サラリーマン人生のゴールは・・・うっかり延長へ
あと数日でお誕生日。ついこのあいだ赤ちゃんだった息子を連れて、親父の還暦祝に駆けつけたはず( 定山渓温泉 ) なのに、うっかり世代は一巡しました。三歳の時に肺炎で死に掛け、奇跡的に快復したとのこと、ずっと身体の弱かった次男坊は北海道から京都へ進学、22歳速攻で大阪に就職(佳き時代であった)爾来ぐずぐず飄々と38年間、あっという間に経過して感動のゴール!(テレビドラマで花束もらったり、帰宅したら優しい奥様がごちそう作って「ご苦労様」とか・・・あの感じ)のはずが、サラリーマン人生のマラソンを走っているうちにゴールが先に伸びておりました。徳俵に爪先で踏ん張っていたはずが、土俵が広がった感じ。
なんせ我ら世代、お国から給料未だ出ませんから。定年延期に非ず時給で継続雇用なんやな、これが中途半端。5-6年前からぼちぼちそんな制度が始まって、いかにも”お余り仕事”担当、お情けで雇っていただいても仕方がないやないの、すっぱり辞めた同期も数人います。気持ちわっかるなぁ、だって曲がりなりにも数年前迄マネージャーやってたでしょ?それがほとんど窓際、職場の端っこで「お手伝い」ですもん。自分の場合、わずか一年前迄「すっぱり辞めた」い派、4年前2013年に大阪→名古屋に移動になった途端(たまたま)しょぼい担当エリアになっちまって、この道十数年、我流唯我独尊抱え込みブラックボックスな相棒を抱えて周りはアンタッチャブル、おかしいと指摘したらヘンな目で見られたことも既に懐かしい想い出。しかもヴェテラン・パートさんがちょうど引退時期にあたって補充なし、諸実務も含めぜんぶ自分でやってちょうだいね、と。
逆にこれが良かったかも。基本実務を一から叩き直した手応え有(誰にも負けまへんで)30年ぶり新システム導入の職場窓口担当も務めました。
新たに赴任した若い上司にお願いして若い相棒に交代、2016年度は愉しかったな。新たな切り口、お仕事成果もいっぱいありましたよ。「頼りにしてまっせ」とのお愛想(職場トップは大阪人)を真に受けて継続雇用を決意したものです。おそらくはお仕事内容は変わらず(むしろ増える?)お給料激減するのみ、幸いお金云々するほど生活に困っておりません。家でごろごろしていも仕方がない、一世代前に比べると”年齢八掛け”で計算するらしいから親父(現在91歳健在)が48歳だった時のイメージか・・・そういえば定年退職は55歳でしたよ、たしか。即天下り(というか取引先に再就職)したけど。
来月になってもきっと、な〜んも変わらない。現在の優秀な相棒は(上司と相談の上)メジャーチームに送り出しました。更にもっと若いのがあと3週間ほどでやってきて、一人前に育てる役割となります。気力体力維持、週三でスポーツクラブは欠かさずもっと鍛えないとな。画期的イメージ一新の「継続雇用」サラリーマン目指しますよ。昨日上司から正式に次期体制の相談もありました。
もうちょっとで桜も咲くことでしょう。
32歳になった息子がようやく結婚してくれるとのこと。彼女とは昨年2016年夏に京都で呑んだけど、若いのに(25歳)お姉さん気質のエエ娘でした。女房殿はお仕事多忙故、未だ彼女と会ったことはありません。月末には熊本迄ご挨拶に出掛けます。いろいろ人生一区切り。
● 恒例ワン・パターンな前月ヴェリ・ベスト。
■新しい(5年落ち中古)コンピューターHP Omni 220-1140jp(メモリ8gb/2TB/Windows10)本日より正式稼働。5年数ヶ月愛用したACER Aspire AS5750は現役稼働のまま引退となりました。CPUはintel Core i5-3450S/2.80Ghzとやら、知識は薄いけどいずれ数世代前のものでしょう。モニター一体型+エルゴノミクス無線キーボード・マウス、机上スッキリとしました。総経費27,000円也(税送料込)。光学ドライブの読み取りやや不調なのが気になります。ここから旧マシンなど要らぬものを処分して、どのくらい節約できるでしょうか。
■Bach フーガの技法 ニ短調 BWV1080(+未完のフーガ+コラール「汝の御座の前にわれはいま進み出で」)〜ニューセンチュリー・サキソフォン四重奏団(2007年/Michael Stephenson(soprano saxophone)/Christopher Hemingway(alto saxophone)/Stephen Pollock(tenor saxophone)/Brad Hubbard(baritone saxophone))・・・もちろんSACDに非ず(んな贅沢な環境は所有していない)こちら圧縮し過ぎな.mp3/128kbps音源も情けないけど、もともと優秀なる音質であることは類推可能。自分の不勉強棚に上げて「C.P.E.Bachはいささか色彩と変化に乏しくワン・パターン」と失礼なことを書いたけれど、親父のラスト作品には既に楽器指定もなし、シンプルな主題がリズムを変えたり、上下を逆にしたり次々変容していくコントラプンクトゥス(対位法)。知的であり、耳目を驚かすような爆発など皆無、しかし無限の「色彩と変化」広がりを感じさせて聴き手の心を震わせます。サキソフォーンの音色はセクシーであり、オルガンのサウンドに人間の息遣いと情感をプラスしたような超絶技巧。昨年だったか化粧品CMでゴールドベルク変奏曲のサキソフォーン版やってましたよね、カッコよい第14変奏、あれともちょっと風情が違って、こちらもっと真摯でオーソドックスな印象でしょう。いずれ大Bachはどんな編曲にも音楽の骨格(本質)を失わない。
■Stravinsky 「春の祭典」〜ザ・バッド・プラス(ピアノ・トリオ版/2104年)・・・「ジャズの王道をすべて避けることが、僕たちの表現の公式」!カッコ良いなぁ。ピアノ+ベース+ドラムでっせ。ジャック・ルーシェもジョン・ルイスも大好きでっせ。でもね、こちら”オリジナル”、旋律エッセンスを注入して自由に変容させるんじゃなくて、オリジナルを三人で分担してそのまま編曲してド迫力に演奏しております。(一部多重録音しているらしい)もともと「春の祭典」は原始のリズムが躍動する作品、それが前面むき出しストレートに爆発して三十数分痺れっぱなし。最高。
■久々の芸術劇場コンサートホールは凄い音響ですね。パイプオルガンも圧巻。ほぼ満員というのも素晴らしい。Mahler 交響曲第2番ニ短調「復活」生体験三度感動しました。
■Martinu フルート、ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲 H.252/2本のヴァイオリンと管弦楽のためのデュオ・コンチェルタンテ H.264/2本のヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲ニ長調 H.329〜クリストファー・ホグウッド/チェコ・フィル/ボフスラフ・マトウシェク(v)/ヤンネ・トムセン(fl)/レジス・パスキエ(v)/ジェニファー・コー(v)(2005年)・・・ホグウッド追悼(1941-2014)ってもう3年前か、亡くなったのは。イギリスの歴史的音楽、バロック古典を凌駕して幅広いレパートリーに挑んでおりました。若い頃、FMで聴いたスロヴァキア共和国ジリナの音楽祭(だったと思う)が出会い、この類Martinuの擬バロック的複数のソロによる協奏曲(ほとんどピアノが入る)をすっかり気に入って、爾来彼の大ファンとなりました。
これも小編成をバックにソロが掛け合う愉しい作品ばかり。ちょいと剽軽でノリノリ、親密な風情が溢れてどれもわかりやすい。素晴らしい遺産を残して下さいました。 ■Bach マタイ受難曲BWV244〜ゲザ・オベルフランク/ハンガリー国立交響楽団/少年合唱団/ハンガリー・フェスティバル合唱団/イシュトヴァーン・ガーティ(b)/ペーテル・コヴェシュ(b)/ヨジェフ・ムック(t)/ユディト・ネーメト(a)/イボリャ・ヴェレビチュ(s)(1993年)・・・冒頭「娘たちよ来れ、そして嘆け我と共に」から胸を締め付け、涙滲む名曲中の名曲、旧くはメンゲルベルク、クレンペラー、ヨッフム、カラヤン、バーンスタイン往年の大指揮者も皆録音を残して、21世紀古楽器系の演奏も種々出現しております。Geza Oberfrank (1936-洪牙利)はオペラ畑一筋のヴェテランらしい。ネットを探ってもこの音源にはほとんど言及なし、NMLで聴けることHMVにて入手可能なのはさすがNAXOS。これは20年以上前、LPを諦めて(メンゲルベルクの抜粋廉価盤一枚)CD入手したもの、なんせ3枚組3,000円は当時激安でした。おそらくはオール洪牙利勢によるモダーン楽器演奏、懐かしく聴き出すとこれが真摯素直な表現、耳あたりよろしくテンポは中庸、粛々と胸を打つばかり。リズムのエッジを強調した最近のものとは異なって、編成はやや大きめ、保守的な癒し系でしょう。
ラスト「われらは涙流してひざまずき」(ここで聴き手はほんまに涙に濡れてしまう)に至る迄、数々の著名な旋律聴きどころ満載。エヴァンゲリスト(福音史家)はペーター・シュライヤーの一種高揚した豊かな表情が懐かしいけれど、こちらJozsef Mukk(t)は抑制された表現、他一般にソロ、合唱も(器楽アンサンブルも)バランス優先、技量にもテンションに不足もないでしょう。Bachの素敵な旋律を堪能するに不足ありません。音質は合唱にわずかな濁りを感じぬでもないけど、まずは問題なし。
一番人気は「ペテロの否認」〜「憐れみ給え、わが神よ」(Erbarme dich) アルトとヴァイオリン・オブリガートかな?Bachはどんなスタイルで演っても音楽の骨格が揺らがないから、思いっきり泣き、浪漫に振ってもおかしくない魅惑の旋律。ここではもちろん、端正なる表現となります。ワタシが一番好きなのは「イエスは鞭打たれ、茨の冠を被らされる」〜コラール「おお頭は血潮にまみれ」、ふだん敬遠しているカール・リヒター(1958年)の極限デリケートな表現に打ちのめされた記憶も鮮明です。もともと大衆的な流行歌かなんかの旋律流用らしいけど。こちらハンガリー・フェスティバル合唱団は厚みにも不足なく、悪くないもの。
ここ最近、長大なる大曲には気力体力続かずちょろ聴きばかり、珍しく断続的に全曲を堪能いたしました。知っている旋律があちこち出現して、それを心待ちにして聴けますから。
(2017年3月1日)
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