●2009年12月某日
大晦日。よく眠れていつもと変わらぬ時間に目覚め、いつもと変わらぬ朝食、そして朝刊熟読。一年前と違うところは、体調が維持できている、ということかな+物欲がかなり減退している・・・欲しいものはなにもない。お仕事自己評価2008年は「68点」、本年は「80点くらい」なんじゃないか、ちょいと甘すぎるかな?昨日の(滅茶苦茶苦しかった)「ボディ・ヒーリング」から一晩経ても特別にどこも痛いところはないのが流石のプロの指導なのでしょう。本日明日も行きまっせ、明日はもう来年だけれど。女房殿は例年のパターンにて一人暮らしの母親のところで年越し、元旦に帰って参ります。息子からは「1月3日が休みです」とのメール有。ケータイもなく安閑としていて、緊急連絡先メールを覗いてもな〜んにもなし。山は1月3日なんです。
実は明日(来年)更新のサイト用原稿ができていない・・・正直なところ、毎日お仕事の締め切りに追われ(正確には”追っている”つもり)、自宅での趣味も締め切りかよ・・・的感慨はあるんだけれど、生活にはリズムが必要なんです。リズムを基本として、小さな、時に大きな変化を付けちゃう。例えば、数日前メインPCである「AspireRevo」のキーボードをパンタグラフ→(元々愛用していた)メカニカルに戻しました。キータッチがしっかり、かっちり深く、手応えが良いもの。但し、テンキーがない、BSキーの位置が悪いといった弱点はあるんだけれど。キーボードは大切なインターフェイスなので、気分転換できやすいんですよ。職場のマシン本体は基本いじれないが、キーボードマウスは勝手に変更しております。
CDをここ数年、激しく処分していたのも”生活に変化を付けるため”であって、収納棚はすかすか状態に〜但し、ここ数年の”激安ボックス”って薄いECOパック仕様で幅が狭いじゃないの。だから、総枚数では思ったよりも減っていないかな?でも、減れば減るほど物欲(CD欲しい!)も減っていって、挙げ句「NML」登場じゃないですか。所有することの意味合いがどんどん薄くなってくる・・・
変化しちゃいけないのは、音楽に対する真摯な姿勢、畏敬の念なんでしょう。自戒いたします。
R.Strauss 交響詩「ドン・キホーテ」作品35〜シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団/ピアティゴルスキー(vc)(RCA 09026-61485-2 1953年)・・・この当時のRCAは凄い専属を抱えておりましたね。(こんなCDが@250だからBOOK・OFF漁りは止められない)モノラル末期だけれど、音質はずいぶんと改善されて・・・意外と切々と歌って、予想通り情熱的でイキイキとしたフレージングが頻出します。雄弁だけれど、重々しさとかカンロクみたいなものではなくて、もっと本能で歌っている!といった印象か。アツいでっせ。ウキウキするような賑々しさがあって、ジンマンらの”静謐派”とは世界が異なります。こちら”体育会系”か・・・とは、4年ほど前のコメントであります。なるほど。
”情熱的でイキイキとしたフレージング”〜ヴィヴィッドに躍動する演奏であって、オーケストラも抜群に上手い。明るい。グレゴール・ピアティゴルスキーって、波瀾万丈の生涯だったんですね。先ほどネット検索するまで露西亜の人とは知らんかった。ベルリン・フィルの主席だったとは!なんとなくミュンシュのレパートリーとは違うような気がするけれど、40:59飽きさせないテンション連続に満足。
Shostakovich 交響曲第1番(1962年)/Sibelius 交響曲第4番イ短調(1967年)/Schenker「大編成の管弦楽による風景」(1975/76年)〜ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団・・・一時の”ケーゲル・ブーム(狂騒?)”も去ったか?ワタシもedel15枚組を残してほぼ処分済。Shostakovichは若書きの天才的ユーモラスな作品だと思うが、ケーゲルの手に掛かると晩年風シニカルが深く刻印されるんですね。コンマスのガライ(v)、ピアノはシュテッキヒト(p)であって、これも思ったほどソロが前面に出ていない。地味なサウンド印象。Sibelius に至っては、怜悧な低弦をごりごりと響かせて開始、7曲の交響曲中もっとも難解な作品をいっそう晦渋冷酷に響かせるトンデモ演奏であります。Schenkerは1942年の作品だそうで、独逸の人なのかな?破壊的壮大なる不協和音であって、派手でわかりやすい”新ウィーン楽派”の残党、みたいな(ド・シロウトなコメントで申し訳ない)オモロい作品でありました。
旧東独逸のアナログ録音って、けっこう水準高いですよね。
サイト更新用原稿執筆もあるので、これにて「2009年音楽日誌」は打ち止め。読者の皆様、良いお年を。
●2009年12月某日
さて、本年最終出勤日をきっちりと締めくくりましょう。占いは信じないほうだけれど、ネットのブラウザ初期画面に出てくるじゃないですか、曰く「大切なものをなくす」と。昨夜、今冬着込んだ厚手のフリース・ジャンバーを洗濯、できあがって干そうと思ったら、ポケットに厚みが・・・そう、業務用支給ケータイ也。一年半ほど使用したSONYエリクソンのもので、ケータイそのものはキライだ(し、あまり上手に使えない)が、いつもいっしょですからね。大切とはさほどに思っていないが、お仕事上は大切に間違いはない。自分の不注意だから自己負担あるかも。基本法人契約でごっそり使っているから、ポイントが貯まって経費負担はないとおもいます。いずれ、この年末年始緊急連絡不可となって、別途連絡方法を上司、取引先、関係各部署に連絡しなくちゃ。総務は昨日で営業終了、年明けまで再手続きはできないんです。
年末年始、なにかトラブルが発生すればボロカス、なにもなければ”見えない糸電話”からの解放であります。ビミョーやな。2009年はラスト迄ドラマ続きだ。
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Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜フォルクマール・アンドレーエ/ウィーン交響楽団(1935年ハース版/1953年録音)・・・先日、ネットで「こんな人の全集が存在するのだね」と驚いていたけれど、NMLで聴けるとは・・・68:16だからテンポ速め。史上初の全集とのこと、ネットで情報を拾うと必ずしも賞賛ばかりではありません。短期間に一気に仕上げたセッション録音ということもあるのか、オーケストラの仕上げは少々ラフな印象ないでもない。しかし、これは希有な推進力とヴィヴィッドな躍動があって、かなり爽快な、モダーンなセンスの演奏であります。なんせ1878年巨匠世代の生まれ、異形なる後期浪漫の残滓に充ちているのか?と思ったら大間違い。全集の版の選び方も現代のセンス(改訂版の排除)であって、音質は時代相応だけれど、けっこうラスト迄愉しく聴けました。購入するには少々お高いな、なんせパーテルノストロ全集の9倍くらいですから。
そういえばNMLの件、WMP→FlashPlayerに変わるそうだけれど、既にワタシのパソコンではWMPでは使えません。原因不明。たしかに動作はFlashPlayerのほうが軽快でした。
さて、そろそろ出勤準備。昨日の宣言通り夕方、西宮コナミへ直行して久々の「ボディー・ヒーリング」(短いやつ)やりましょう。
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・・・嗚呼、一年のお仕事終わったな。ノンビリと一日過ごすつもりで、取引先に頼まれた資料3本午前中に一気に終え、昼からぼんやり〜と思ったら、金沢の女性担当よりけっこう大きな宿題来ちゃいました(メールのみならず、電話でダメ押し有)。年明けでいいよ、とのことだったが、意地で夕方まで3時間掛けて一気消化〜メールにて返信いたしました。文句あるか。
ケータイの件、上司にボロカス言われるかと思ったが、そんなこともなくて上機嫌でした。代替の緊急連絡先メールをあちこち連絡済み。いやはや疲れた、お仕事は確実に年々苦しくなって、おそらくは来年はもっときつくなるのでしょう。定時で職場をあとにして、阪急西宮北口のコナミ・スポーツへ。短めの「ボディ・ヒーリング」(ソフト・ヨガみたいなもの)〜数ヶ月ぶり。いやぁ、もうぼろぼろ。滅茶苦茶苦しい!気分悪くなるほど!膝が痛いとかなんとか、クサい言い訳ばかりして、酒と美(B?)食の毎日に健全なる精神など宿るわけもない。やれ耳鳴りだ、睡眠不如意だ、なんて全部自業自得でしょう。
不幸にも病を得、カラダの自由は利かないが、気丈にも精神は気高い・・・そんな立派な方もいらっしゃることでしょう。でもね、ワタシはいくらでも自分を律して健康になれるのに、堕落しているだけじゃん。反省と後悔の2009年だ。
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先ほど、テレビをちょろりと付けたら、JUJU & JAY'ED「明日がくるなら」ナマで演っていて、以前からエエ曲やなぁ、とは思っていたけれど、いっそう感銘深い、いやもう、震えるほど、涙出るほど。若い世代には本格派が出てきておりますね。作品も歌も、アレンジも最高。映画「余命1ヶ月の花嫁」の歌だったんですね。その辺りが世情に疎い親父状態だ。
●2009年12月某日
昨夜はいつもの呑み友達とは異なる面々との酒。エエ加減にせいや!的連続酒席、出費の是非ともかく、いくら仕事関連とは言え、いつも馴染んでいるメンバーとは違う切り口、価値観に触れることも大切でしょう。正直なところ、ちょっとばかり不快(20年前の先輩上司は変らず良い人であったが)であり、狭い自分のフロア内での(これまたいつの間にか狭まった自分の)視点を反省いたしました。さて、派遣パートさんは昨日にて出勤終了、大多数のメンバーも本日にてお仕事最終、ワタシと上司は明日お留守番だけれど、上司は昼から東京に帰る段取りとなります。大きなトラブルはここまで発生しておりません。偶発的突発的事故ならともかく、3ヶ月前の自らのお仕事不充分の結末としての”トラブル”(ちょんぼやな)なら、これは覚悟と反省が必要です。
とにかく残った宿題をクリアしなくっちゃ。オークション落札されたCD未連絡分、ようやく一報有。そういえば、Syuzoさん出品分で、ムリヤリ譲ってもらったぶんの支払いも受け取りもしていない・・・反省いたしましょう。昨夜で酒終了、自宅では呑まないことにしているし、例年恒例にて年末年始は禁酒なんです。音楽はほとんど聴いていなません。通勤にもプレーヤー持参せず、手ぶらで出掛けております。
Dukas 魔法使いの弟子〜アクレサンドル・ガウク/ソヴィエット国立放送交響楽団(1960年)・・・先日のLisztのフィル・アップ。これが仰け反るような、巨大な構えの演奏であって、かつて聴いたことのないオモロさ!”爆演”を称揚するつもりはないが、こんな小品ならときにエエのではないか、と思います。精神的にざわついていて、なかなかゆったりと音楽を愉しめません。
では行ってきます。
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実質上ラストの日。若い者は書類やサンプルが積み重なった机周りを清掃しておりました。指示したデータ点検作業がまともにできてない、ということで、実際にやってみせて、朝から説教状態とうとう年末まで継続です。緊張感は切れているんだけれど、本日更に大きな宿題に着手、上司と打ち合わせをいたしました。なによりトラブルが発生していないのがありがたい。明日、もう一日留守番だけれど、取引先へのデータ提出は3本残っております。とにかく、それだけ、やっちゃう。久々の定時帰宅。明日夜より3連続スポーツクラブ行きを決意。ほんまです。
Khachaturian 交響曲第1番ホ短調〜アレクサンドル・ガウク/ソヴィエット国立放送交響楽団(1958年)・・・モスクワ音楽院卒業作品らしいから、若いころのもの。クサい哀愁のメロディはわかりやすく、親しみやすい民謡風。音質も予想外に良好だし、いつもながら骨太で泥臭い迫力演奏に満足であります。3楽章42分程の作品。
BBSにて話題になったBruckner 交響曲第7番ホ長調〜朝比奈隆/大阪フィル(1975年聖フローリアン・ライヴ)・・・言わずと知れた名演奏録音であります・・・と、言いたいところだけれど、ワタシにとってはヴェリ・ベストではない。豊かな残響に支えられ、けっして慌てず、ゆったりと力みなく、粛々と自然体にて進む音楽。真摯であり、誠実、謙虚、希有の感動、永遠の価値を否定するものではありません。途中テンションが落ちることもない。
しかし、(不遜なコメントと自覚しつつ)オーケストラが弱い。響きが薄い、コシも芯も足りない。弦に震えるような官能が欲しい、金管にもっとキレと洗練があれば・・・でもね、この呼吸の深さ、静謐は尋常じゃないですよ。白眉は第2楽章「アダージョ」なんだろうな。盛大なる打楽器が入らない「ハース版」はこれで好きになりました。精神が落ち着き、ゆったりと安寧の気分に浸れる感動的演奏であります。
●2009年12月某日
さて、2009年最終週の出勤、あと3日分。本日のスケジュールは決まっているし、明日明後日も意外と宿題が溜まっている感じで、どーもお休み気分に至りません。体調を崩していないのが救いの年末であります。昨日も外出せず、特別に欲しいものもなくて、買い物にも出掛けておりません。朝、オークションで落札されたCDをポストに投函したのみ。ぼんやり二時間ドラマの再放送を眺めて、時に音楽を聴いていただけ。
野村進「脳の欲望 死なない身体〜医学は神を超えるか」(講談社+α文庫)・・・今年読んだ中でも屈指の価値を持ったノンフィクション。もともと1993年に出た著作を2001年に文庫化、つまりかなり以前の著作なのに内容はまったく草臥れていない。使い捨てみたいな書籍氾濫の昨今、これほどの手応えを維持できているとは!救急医療、性転換手術、拒食症・過食症、美容整形、動脈硬化遺伝子の発見とアルツハイマー病研究、体外受精と凍結受精卵による不妊治療・・・科学技術的な内容と、それらに携わる医者研究者患者当事者のリアルな葛藤、その社会的意義、人間としての尊厳を問題提起して感銘深い。なんとか続編を期待できないものでしょうか。科学の進歩、だけではなく、停滞、社会的受け止め方の変化、医療崩壊・・・そして精神病理問題の広がり、家族の崩壊。著者はワタシと同世代のフリーライターなのだね。
協奏曲100枚組ボックスより45枚目。Mozart ピアノ協奏曲第20番イ短調 K466/第23番イ長調 K488〜アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)/ジュリーニ/イタリア放送ローマ放送交響楽団(1951年録音)・・・かなり以前に所有していた音源(処分済)であり、音質の悪さに閉口していた記憶有。記憶通り、一般に良心的な状態のボックス中、かなり厳しいのは事実であります。ジュリーニの入念なるバックに支えられ、濃密な集中力を誇って、揺れ動く浪漫に充ちた演奏です。音質乗り越え、黒砂糖を煮詰めたようなタッチはちゃんと理解可能。ワタシは彼の大ファンだし、かなりの音源を集め聴いてきたつもりだけれど、Mozart だけは重すぎて粘着質であきまへん・・・ま、なにを演っても同じスタイルということなのでしょう。
音質問題が気になる今日この頃、自分の堕落ぶりを再確認するため、Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜カール・シューリヒト/レジデンティ管弦楽団(ハーグ/1964年)・・・ずいぶんと久々再聴。ステレオとかモノラル、ディジタルやらアナログ論議乗り越え、ショボい音質の代表例としての著名音源であります。アンサンブルを神経質に整えるタイプではないし、オーケストラは重厚官能をウリにする個性でもない。でもね、慣れかなぁ。軽快清涼、リズム感やら呼吸の具合がとてもよろしくて、枯れきって爽やかな演奏に仕上がっております。版の問題は不如意だけれど、第2楽章「アダージョ」にて盛大なる打楽器が鳴り響いて、けっこう感銘は圧倒的!妙ちくりんなる音質故、万人にお勧めしかねるが、かなり若い頃から聴いていても、ちゃんとBrucknerのファンになっている(=ワシ)から、おそらくは大丈夫。
Mozart クラリネット協奏曲イ長調K.622〜ベニー・グッドマン(cl)/シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団(1955年/56年じゃないの?)・・・存在のみ知っていて、実際に聴いたのは初めて。刷り込みはジャック・ブライマー/ビーチャム盤であって、落ち着いて優雅な味わいであったと記憶します。ジャズの巨匠・グッドマンの演奏はヴィヴィッドであり、ミュンシュのバックともども元気一杯明るく躍動するもの。けっこう著名なる音源故、ネットでいくつか検索してみたけれど、評判あまりよろしくないですね。陰影が足りない、ということでしょうか。求めているものはなんですか?晩年の清明なる境地、白鳥の歌か。
我らがヴォルフガングの世界はもっと表現多彩で、切り口がいろいろあってもよろしいと思います。ワタシは堪能いたしました。
●2009年12月某日
昨夜は大失敗!月曜に諸先輩と呑む約束があるのに、夕方職場の仲間に誘われて、つきあってしまいました。年齢(とし)恰好的に自分が過半の支払いをしなくっちゃいけないし。どーせ、今週出張の泡銭(出張手当/日帰り予定が前泊を伴うことに変更)もあったけど。結果「すべらない話」半分見ること不可。それよりなにより、カラダに良くないね。毎日じゃないけど、隔日で呑っている感じ。深く反省。体調はそう悪くない。オークションは一件、連絡も入金もちゃんとあるが、もう一件が数日を経て未だ音沙汰なし。数少ない売れたものなのに、困ったものです。
さて、2009年ラストの日曜をゆったり過ごしましょう。
Khachaturian ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜ダヴィッド・オイストラフ(v)/作曲者/ソヴィエット国立フィル(?との標記(c)1955年)・・・オーケストラ標記がおかしいし、正確な録音年情報もなし。ガウク盤とか、EMI録音とはきっと違うものなのでしょう。音質はそれなりであって、鑑賞に不足はそう感じません。エキゾチックというか、クサい旋律満載魅惑の作品であって、オイストラフのヴァイオリンは豊満で洗練され、安定したテクニックを誇ります。キレ!とか壮絶!といった印象ではなく、聴き手に労苦の痕跡を残さないスムースさ。こんな土俗的な作品は、粗野にバリバリ弾けばよい、といったものでもないでしょう。もちろんかつて聴いた中ではヴェリ・ベスト・・・なんだけど、そもそもこの作品、我が棚中に存在するのか?の記憶さえない(のが情けない)。馴染みの作品なんだけど。サイト内検索を掛けても出てきたのは、フルート編曲版のみ。
フィル・アップが素敵でして、バレエ組曲「仮面舞踏会」〜レオポルド・ストコフスキー/ニューヨーク・フィルハーモニック(1947年)・・・(テレビCMでもお馴染み)安直なる哀愁のワルツ最高です!グラマラスなる指揮ぶりも作品に似合って、妖しい脂粉が撒き散らされているような、ゴージャスな演奏、作品でありました。音質も悪くない。
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NMLにて、Roussel バレエ音楽「蜘蛛の饗宴」/小管弦楽のためのコンセール/弦楽シンフォニエッタ」/交響曲第4番イ長調〜パスカル・ヴェロ/ケベック交響楽団・・・「蜘蛛の饗宴」は、いかにもお仏蘭西的ほんわかとした作風だけれど、けっこうハードでカッコ良いリズム、粋な味わいも有。ケベック響なんて滅多に聴かぬ名前のカナダの団体だけれど、フランス語圏でしたっけ?意外と洗練されたアンサンブルで聴かせて下さるのはヴェロの薫陶の成果でしょうか。思わぬ拾いもの。
●2009年12月某日
さて、これより代休の休日出勤?要はするにトラブル対策要員(留守番)であって、年末はイレギュラーがいろいろ多くて、問題が起きやすいものです。なにもなければ残務処理、なにかあっても処理をしなっくっちゃいけないのは同様だけれど。クリスマスもクソも、年末押し迫ったとか正月近いとか、全然そんな実感ないなぁ、粛々とお仕事スケジュールを消化しているだけ、みたいな感じ。体調まぁまぁ、こうして元気でお仕事させて下さることに感謝して出勤いたしましょう。ボーナスもちゃんと出たし、女房殿からお小遣いもらったし(欲しいものはないんだけれど)。昨年話題の「年越し派遣村」みたいのはないのか?話題になっていないだけなのか。今年の方が状況ずっと悪化していると思うんだけれど。
ここ最近、ずっとそうだけれど・・・音楽に震えるほどの集中力が欠けております。Glazunov ヴァイオリン協奏曲イ短調〜セルゲイ・スタッドレル(v)/ウラディミール・ポンキン/レニングラード・フィル〜録音情報不明、(p)1988となっているので、1990年代初頭に購入したCDであって、入手経緯まったく記憶なし。ハイフェッツ盤ともお付き合いが長い(←CD購入前にFMエア・チェックでも)から、かつてお気に入りだったのか?前回聴取は2006年4月であって、やや細身で神経質な印象の演奏であります。ハイフェッツの自由奔放というか、勝手に弾いてまっせ的表現に耳馴染んでいるからか。やや表情が生真面目過ぎ。引き続き、ピアノ協奏曲第2番ロ長調〜ドミトリー・アレクセーエフ(p)/ニコラエフスキ/ソヴィエット放送交響楽団・・・これは知名度低い20分弱の作品(単一楽章)だけれど、思わぬ甘美な旋律連続で拾いものの逸品也。
露西亜音楽を特別に愛しているわけじゃないが、今月はノーコーなるGlazunov連続聴取であります。音楽を幅広く愉しむのは、音楽愛好家としての基本的矜持でしょう。CDでは入手機会が少ない作品も、NMLならすぐ聴ける時代となりました。
●2009年12月某日
体調は維持しているんだけれど、かなりの疲労蓄積自覚有、肩ばりばり。本日、代休の休日出勤の更に代休半日分、昼から取得するが、予想通り取引先からの宿題ごっそりいただいて、年内最後までお仕事メ一杯山積状態也。明日も出勤です。今朝、年内最終サイト定例更新〜うむ、なんとか一年間青息吐息で継続できたな。年内で閉店予定のオークションは一件のみ落札有、今晩締め切り分も一件のみの予定で、ほとんど売れ残るでしょう。昨年の記憶でも年末年始というのはあかんのだね、だいたい。
昨夜、帰りは隣席が上司となったため、音楽聴取不可。これでラスト出張同行だからね。今回の本丸幹部異動の意味合いとか、評価をじっくり伺いました。いずれ自分には与り知らぬ、直接興味ないことではあるけれど。さて、2010年度新しい上司の下、自分の立ち位置はどーなるのか?そもそも現行位置(現場監督的位置)に納まっているか、わからぬし。
(昨夜は音楽を聴いていないので)ここしばらくの音楽の落ち穂拾い。雑談。Liszt ファウスト交響曲(声楽なし版)〜アレクサンドル・ガウク/大交響楽団(1952年)・・・Lisztはもっとも敬遠している作曲家の一人でして、棚中在庫はリコ・サッカーニ/ブダペスト・フィル(声楽入)のみ(他処分済)。こうして10枚組”オトナ買い”したら収録されるのもなにかの縁。さすがに十数年来馴染みの作品旋律、かなり粗野な金管爆発甚だしい第1楽章「ファウスト」から意外と愉しめます。但し、音質はそれなり、時代相応だな。終楽章「メフィストフェレス」に声楽が含まれない(後半「神秘の合唱」に入らずそのまま終結する)から短いのだね。雄弁でスケールの大きな演奏であって、(音質問題乗り越え)とてもわかりやすい、ド迫力演奏であります。
先入観、思い込みはあかんですよ。音楽はいろいろ、幅広く虚心に聴かなくっちゃ。
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朝職場一番に出勤、「ECOで節電20度」指示守らずがっちり23度に温度設定(だって寒いんだもん)、一日分不在の机上の書類郵送物回覧一気に処理、なんせ午前中しか時間が無いので、短い打ち合わせも入れ、業務指示2件、ちょっとしたトラブル3件ほどあり、上司への定例報告書も完成させ、もう酒は今年終了、と決めていたのに某取引先(20年前の上司でもある)より、忘年会の約束はどーなっとんじゃい!とのツメ(メールにて)有・・・とにかく職場出。途中で超人気ばば混み状態の耳鼻科に診察券を入れたのが午後2時〜散髪屋へ行ってますます短く(短い髪型にすればするほど散髪サイクルが短くなる)〜帰宅して小一時間居眠りしつつ音楽をぼんやりして聴いておりました。
わずか数時間の職場滞在にもドラマはあって、派遣さんが「はやっさん、忙しいところすみませんが相談が・・・」〜データ取得用専用パソコンの件で。ああ、そういえばお隣のチームの某データ取り込みソフトが不調で大変だ!って数日前に騒いでおりました。ま、人様のチームのことだし、専用ソフトだからワカラんし、無視しておりました。で、派遣さんが声を掛けて下さったので、件のマシンをみたら・・・LANケーブルが抜けておるじゃないの。なにがソフト不調だ、古典的なギャグじゃない。職場内騒然!爆笑の渦。
で、耳鼻科が終わったのが午後8時半でっせ。待っている間に、左膝リハビリ・マッサージも終了。明日も出勤です。
オークションぜんぜんあきまへん。一件のみ、高額に釣り上がって金額的には辻褄合っているが、問題はそんなことじゃないんです。
●2009年12月某日
(在金沢ホテル)世間はクリスマス・イブでないの。こちら草臥れ(しがない)中年サラリーマンはいつもの睡眠不如意、ホテルだといっそう状況悪化。空気の乾燥+酒要因でノドが渇いて目覚める、といったところですね。ヤクと酒抑制にて体調はなんとか維持、本日の会議+もう一件打ち合わせで帰阪だけれど、きっと宿題山積だろうな、年内処理はムリか?来年早々に持ち越しか。「音楽日誌」を年初から読み返しても、今年2009年いったいなんど金沢に行ったのか?30回くらいになるんじゃないか。半分くらいは泊まっているかも。遊びに行くのならエエんですけどねぇ・・・ご当地の旨いもんを喰うよう努力しているんだけれど、時間的に往復(不味い)駅弁という哀しい状態の時もあります・・・
月曜に職場の研修というか、外出での取り組み(視察)があるので、そのあと酒なんだろうな、できれば避けたいが。立場的に抜けられない。本日から年末ラストの商品納品が始まっていて、トラブルがあるとすればこれからが本番です。いよいよ山。
昨夜移動中の音楽続編。Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年全曲版)/幻想的スケルツォ/花火〜シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団(1984年)・・・オーケストラが極上に上手い、官能的で濡れたような音色(特に木管)は滅多に聴けぬ個性であります。基本的にはもっとクールでリズムを強調したような演奏が好みだけれど、メルヘンの雰囲気+全体の完成度は類を見ないものでしょう。「幻想的スケルツォ/花火」なら、文句なくかつて聴いたなかでヴェリ・ベスト。それを前提に・・・
録音が不自然で気に喰わない。英DECCAマルチマイク録音の精華を否定するものではないが、各パートの突出は時に違和感がありますね。(最終版の金管は有名)ま、聴き手の感想は勝手なもので、先日、ハイティンク/シカゴ交響楽団ライヴのオフ・マイク?超・自然な会場音ですか?けっこう閉口した記憶があるけれど、それと真反対の人工的あざといサウンド。ぼんやり、部屋に音を流すのならこれでよろしいが。
協奏曲100枚組ボックスより95枚目。Berg ヴァイオリン協奏曲〜ヨゼフ・シゲティ(v)/ミトロプーロス/NBC交響楽団(1945年)/Scho"nberg ピアノ協奏曲(1953年)/Webernピアノのための変奏曲(1954年)〜グレン・グールド(p)/ボーデ/CBC放送交響楽団・・・Bergが予想外に音質がよろしいし、この作品特有の異様に凝縮された緊張感が、びんびん伝わります。シゲティって器用な技巧やら美音とは縁遠い人だけれど、作品の本質というか、真髄をえぐり出して聴き手の魂を揺さぶるようなエグい演奏になっておりました。帰宅して再度聴きたい!
グールドの方はCBC放送音源であって、激安ボックスが出ております。ワタシは6枚組で先に入手していたが、既にオークションにて処分済み、その理由はもっぱら音質問題でありました。この演奏も凄い技巧の冴えを確認できるが、オーケストラが遠い。様子がよくわからない。オルジナル・ジャケット80枚入手済であり、1961年録音(ウォルター・ススキンド/CBC交響楽団)にて良好な音質が存在する以上、資料的な価値しかないと考えております。
●2009年12月某日
昨日は中途半端に午前中休んだのが悪かったか?けっこう気分が悪くて、どうしようかと思いつつ出勤、まとまったお仕事できるような気分ではなく、日常業務とか周辺業務とかで時間つぶし、そのまま夜”忘年会”へ〜一体何回目?新年度の組織体制(東京本丸だから、今年度は現場改変はなし)+大幅幹部人事異動発表、当然自分は幹部ではないのでそれも関係ないが、2年9ヶ月お付き合いの上司は(予想通り)異動です。結果的に人生で一番長い関係になったんじゃないか。ひどい経験(胃袋穴空きそうな、責任全部押しつけられそうな)もいろいろしたが、最終版半年くらいはすっかり”お任せ”状態で自由にやらせて下さいました。本丸の世代交代(若手)幹部はここ2年の成績不振を受けて、総交代っぽい異動となりました。ここのところ、東京本丸の混乱ぶりには少々目に余るものがありましたからね。
明日、日帰りで金沢年内ラスト出張なんだけど、上司の異動を考えるとこれが実質上最後の挨拶(自分はしばらく継続するが)?ということで、ご当地の幹部に連絡入れたら、本日前泊できないか?との連絡昨夜遅くに有。上司にメールを入れたが、昨夜はヘロヘロで帰ったし、見ていないようです。これからそんなこんなの調整有。既にいつも出勤時間なんだけど(じつは大寝坊)いつも出勤が早すぎるし、差し迫ったどん詰まり作業(資料作り)とか、大トラブル発生しているわけじゃなし、留守番が趣旨なので、ゆっくり出勤すれば良いんです。
結論的には、ワタシはなにがあろうと、上司が交代しようと、粛々と自分の分担を創意工夫して毎日乗り切る、ということですよ。ちゃんとした第一線のお仕事を割り当てて下さっているだけで、感謝。
昨日の音楽は、Bernstein 交響曲第1番「エレミア」(1961年録音ジェニファー・トゥーレル(ms))/ 交響曲第2番「不安の時代」(1965年フィリップ・アントルモン(p))〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル・・・著名指揮者にはけっこう作曲を好む人がいて、おおよそあまり芳しい結果は残せない・・・(代表例はフルトヴェングラーか?)大いなる例外はこの人であって、躍動する多彩なリズム、華々しい旋律、美しいサウンド、どれをとっても一級品!難解でも晦渋でもない、わかりやすく明快なる旋律ばかり。先日、「不安の時代」旧録音を聴いたところだけれど、こちら録音がよろしいし、アントルモンのピアノがきらきら美しい!最高です。
さて、これからどういう動きととなるか・・・まずは出勤。
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いつもより一時間寝坊して、開き直ってゆっくり出て行ったのに、世の中はお休みなのだね。どこも空いていて、あっという間に職場に到着、結局定時に余裕で間に合って、しかもフロア一番乗りはいつもと同じ。それなりのトラブル電話があって、関係担当者と善後策調性。上司とはよーやくケータイがつながって、んじゃ前泊するよ、時間調整とかホテル準備して、とエラくさっぱりとした声で返答有。午前中、ちょっぴり身辺整理的お仕事+明日の金沢会議の資料印刷(昨日中にできていた)し、ヤマト便さんに引き取りの連絡して、職場を後にしました。
なんせ、出張準備していなくて、ノータイ+セーター姿だし。よく考えたらワシは同行する必要などない(上司のお別れ挨拶だし)、明日日帰りで充分なんだけど、なんか空気的に上司も取引相手先も「とーぜん、ハヤシはくるでしょう」的状態になっていて、知らぬふりはできぬ・・・また酒かよ。昨夜呑んだばかりなのに。勘弁して。先ほど電話したら「金沢の雪は溶けましたよ、雨で」とのこと。
いったん帰宅して(これが現在)これから即出掛けて、サンダーバードの人になります。胃薬風邪薬両方必要です。そして、取引先幹部との酒は精神的に疲れるんです。いくら親しいとはいえ。
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(在金沢ホテル)先週、今年ラスト宿泊出張と思ったのにねぇ・・・なんか2009年って激疲れ状態のまま終了するのか。胃腸弱っている自覚ありますね。大きなトラブルなきことを祈るばかり。これから上司をお迎えに(別のお隣)ホテルへ。胃腸が心配だ。
移動中音楽しっかり聴きましたよ。ちょっとだけ言及すると・・・Mozart ヴァイオリン協奏曲第4/5番/アダージョK261/ロンドK269/ハ長調K373〜エミー・ヴェルヘイ(v)/マルトゥレット/コンセルトヘボウ室内管弦楽団(1989年)・・・買い換えているがずいぶん以前からのお気に入りであります。稀有な優しさと気品に充ちて、ほとんど陶然と香るような演奏であります。録音もよろしいですね。ロンド ハ長調K373って、喜び溢れて走りだすような情景が見えます。
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ご当地の取引先幹部と上司のお別れ会完了。なんども行きつけの(大衆的)料亭、料理は心尽くし(カニがメイン。但し、生ワカメのしゃぶしゃぶが一番よかった)。取引先はワタシをほんまに大切にしてくださって、上司は「どーして全国区になれないのか」と嘆くばかり〜ええカッコしいではなく、ワタシには上昇志向が欠如しておるのだね(親しい友人評)。おそらくは同世代の本丸幹部はワタシの年収2倍?でも3倍働いて、ストレス4倍くらいじゃないのか。お仕事は愉しむことを旨としているので、なんの後悔も感慨も反省もないんだけれど。
●2009年12月某日
午前中(ムリヤリ/否応なく)休み。昼からお仕事段取りに出掛けるが、定時にて某忘年会(上司同行にてお世話になっているメーカーさんとの)に出発予定。先を考えると、ここで詰めた作業をやっておくとラクなんだけど、ワタシ、あんまり建前とかきれい事は好きじゃなくて、ま、抜くところがあってもよいかな、と。幸い、この段階で大きなトラブルはないようだし。やや胃腸に不快感はあるけれど、風邪症状ほぼ全快、冷えているのに左膝もそう悪くはない、両腕の(原因不明)筋肉痛も注射以来それなりに緩解しております。さて、午前中懸案のサイト更新用原稿を執筆しましょう。余裕を以て音楽を堪能して、ゆったりと感想を認(したた)める〜というのが贅沢な趣味。
そういえば昨夜有田みかん到着、女房の実家にも。ことしは当たり年!先日、思いつきでネットお米を注文したら、おまけにみかんが入っていて、女房殿がエラく気に入っての再注文であります。今回も濃厚絶品で、北海道の両親にも昨夜手配しておきました。わざと無選別10kg、サイズばらばらのを注文したが、さてどうか。小さいサイズのが旨いんですけどね。
引き続き、NMLにて、Glazunov 管弦楽作品第1集/3つのギリシャ主題による序曲第1番 ト短調 作品3/フィンランドのスケッチ作品8/勝利の行進曲 作品40/春 作品34/叙事的な詩 遺作〜ケネス・スカーマーホーン/香港フィルハーモニー管弦楽団 (録音年不明)・・・第4集ルーマニア勢よりアンサンブルの洗練は上回って、わかりやすくシンプル、かつ濃厚甘美なる(少々クサい)旋律は初耳でも懐かしいもの。 珍しい作品、演奏家、かつてはそんなCDを発掘し、入手することそのものが難行苦行、そして趣味好事家の世界でした。でも、こんなに簡単に、あっという間に「音楽を聴ける」時代になったんですね。凄い時代になったと実感すると同時に、ありがたみとか希少価値(いずれ要らぬ価値観か?)は薄れたような・・・せめて音楽に対して虚心に向かい合うよう心掛けなければ。
Bach 平均律クラヴィア曲集第1集前奏曲とフーガ第1〜8番〜グレン・グールド(p)(1962年)・・・先日不遜なる感想を抱いたアンドラーシュ・シフとの違いはなんなのか。曖昧なる雰囲気で聴かせることへの決然たる拒否、虚飾や作為から完全に解放されて、ほとんど素のピアニズムがむき出しになる驚き。馴染みの第1番ハ長調のシンプルな音階が始まったら、首をかしげるほどの素っ気なさに驚かされました。でもね、音楽が進んでいくとしっかりとしたリズムと”ノリ”にやがてココロ奪われます。30年前、初めての冬のボーナスで購入したグールドのBach セット(当然LP)に含まれておりました。変化したのは(音楽の受け手である)自分であって、この音源の価値は永遠であります。収録わずか37分少々、これがオリジナル。
Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団/合唱団/ファスベンダー(ms)/プロウライト(s)(1985年)・・・お気に入りの演奏スタイルはシンプルで虚飾のないストレート系、と日頃考えている自分にはおおいなる矛盾。第1楽章から揺れ動くテンポ、練り上げられた入念なる細部描き込み、これは結局ラスト迄テンション維持されて、もの凄い完成度だと思います。オーケストラのサウンドがクリアで軽快、優秀なる柔軟性があるということだね。思い入れ表現が、暑苦しく、重苦しく至らず、よく歌って美しい世界に至ります。たしか、日本でのライヴをMDで保存してあるはずだけれど、それはもっとド迫力であった記憶が・・・こちら表現としてはややさっぱり軽快か、あくまで相対的に。
●2009年12月某日
さて、実質上2009年ラストのお仕事週をなんとか乗り切らなくっちゃ。体調ほぼ快復傾向、このまま維持して休みを迎えたいもの。昨日昼はずいぶんと久々、ご近所を散歩いたしました。ご近所「らー麺藤平」は一年ほどぶりか、たしか昨年辺り経営難にてどこかに吸収されたのでは?といった記憶有(違ったらごめんなさい)麺の太さ中、茹で加減も、濃厚なるとんこつスープも上々・・・って、ラーメン好きのワタシにしてはけっこう久々の堪能かも。昨日「M-1グランプリ」たっぷり愉しみました。売れてない実力者って、いっぱいいるんですね。ちゃんとした”しゃべくり”ができてほんまの芸人だ。パンク・ブーブー優勝結果に納得。(僕の真剣な目を見て下さい!って、人をバカにしたような顔!最高)
NMLは聴く機会の少ない作品、演奏者を気軽に愉しめるのがエエですね。Glazunov 管弦楽作品第4集/序曲「謝肉祭」 ヘ長調 作品45/牧歌 作品14-1/東洋の夢 作品14-2/ セレナード第1番 作品7/婚礼の行列 作品21/セレナード第2番 作品11/祝典の行列 変ロ長調 作品91/踊りの情景 作品81〜ホリア・アンドレースク/ヤシ・モルドバ・フィルハーモニー管弦楽団(1986年録音) ・・・なぜかルーマニア勢にて録音。ちなみに第1〜3集は香港フィルでっせ。いかにも露西亜風の甘くクサく、暑苦しい旋律連続、あまり洗練されない、キレのよろしくないアンサンブルも似合っていて、音質かなり良好。
BBSにて「フツウ」談義にもなった、第九の件。なんせ日本の正しい年末だからね。Beethoven 交響曲第9番ニ短調「合唱」〜パウル・クレツキ/チェコ・フィル/合唱団/インゲボルク・ヴェングラー(s)/アンネリース・ブルマイスター(a)/マルティン・リツマン(t)/パウル・キューン(b)(1965年)・・・全集手頃な価格で復活していたんですね。メモによると2000年4月30日徳島の中古屋にて3,990円入手(高い!と当時から感じていた)。これが2001年末Beethoven 「第九」棚卸〜大掃除にて、輝かしい第1位を奪取しておるのだね。久々の聴取でも、なんせオーケストラのザラリとした感触が堪らない!(時間切れ)
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体調まぁまぁにて一日、当面目指した宿題は終了。実際のところチーム内は上手くいっていなくて、問題中年オトコ傍若無人状態は相変わらず。おそらくは新年度で異動だろうが、人生にはこんな人に出会うこともあるんだな、といった深い感慨があります。中年も年季が入れば、全体の指示に従わない、”自分なり”に進めて結局破綻を起こしてしまう。処世術のみで乗り切ろうとするが、もちろん乗り切れるはずもない・・・彼にも妻子があるから、と養護してきたつもりだけれど、2009年も押し迫って限界であります。上司は激怒しておりました。そのこととは別に土曜日出てこい!との指示(留守番役として)有、代休消化は必須で、もともとそこが代休だったんです。代休を半分休日出勤にして、その代休を明日午前中にムリヤリ取りましょう。年内は実質上残二日間分くらいしか机仕事はできないんじゃないか?なんとか元気で保たせたいですね、ラスト迄。
今朝の「第九」(クレツキ/チェコ・フィル)の件、所謂”爆演”系とは無縁のオーソドックスかつ滋味深いオーケストラの音色に支配された演奏であります。木目の質感であり、草の香りが匂うように素朴、質実なサウンド。煽ったり、ムリムリの絶叫、雄弁を強要することもない、自然で深い呼吸。「春の祭典」やらBartok「管弦楽のための協奏曲」を演るには少々似合わない風情だろうが、少なくともノイマンのMahler は絶品でした。白眉は第3楽章「アダージョ」に於ける弦とホルン(両者ともチェコ・フィルのウリ)でしょう。ちょっと不遜だけれど、終楽章にはどうも(作品的に)違和感があるんです。
BBSにて(おそらくはよろしくない意味で)”フツウ”と評されたBeethoven 交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ヨーゼフ・クリップス/ロンドン交響楽団/BBC合唱団/ヴィヴィアン(s)/ヴェレット(ms)/ペトラーク(t)/ベル(b)(1960年)・・・全集5枚で1,000円を切るような激安で出現したらしいが、ワタシのはちゃんと正真正銘EVERESTの正規盤でっせ。この人こそ、穏和で柔和、ほとんど力みのない優しい表現が身上であります。この時期、ロンドン響には主席が不在で(クリップスは1950-1954年在任)必ずしも技量的に万全ではなかった、との情報を得たことも有。そんな先入観もあってか?先のチェコ・フィルよりオーケストラ自体のサウンドの魅力では負けるかも、とは思うが、この「抜き方」こそ尋常(フツウ)ではないまったりとした味わい有。クレツキに比べると少々アンサンブルやリズムがヤワい(ユルい/カルい)感じはあるけどね。そこが優しさでもあるんだけど。好きですよ、こんな感じ。
終楽章にものものしさ皆無、おとなしい、静かな演奏であります。「歓喜」の旋律は寂しげに低弦のみで進められ、やがてファゴットやら他の弦楽器が絡んで変奏されると、そこはまるで雪解け風景。合唱にはもっと緻密さを求めたいが、オペラティックなツボを押さえた味わい有。
●2009年12月某日
昨日、昼の麺類(もち麦麺とやら/コシ、のどごし、ボリュームたっぷりなんだけど藁のにおいが少々)喰い過ぎ基本として、どーも胃腸が不快です。じつはここ数ヶ月、時に”胸焼け”がする。かつて”鋼鉄の胃袋”を誇っていたのに、あきまへんな。風邪症状が胃にきているのかも。夕方、息子部屋の大掃除から戻った女房殿と焼き鳥屋で待ち合わせたが、隣席若いカップルの喫煙に少々閉口〜彼女を気遣って、こちらにケムリを送るんだよね、勘弁して。2度とその店には行きません。店の格のワリに値段はそれなりだったし。
昨夜は、悩んで結局「のだめ」連続拝見。いかにもガイジン(露西亜の娘という設定)っぽいベッキーが可愛いし、のだめの圧倒的な個性と押し(ヘンタイぶり)が圧巻!俺様千秋は女性陣には人気だろうが、ドラマには女性という華が必要です〜というのは差別になりますか?前半は千秋の指揮者コンクールが中心だったが、今回はのだめの古城でのデビューがキモでしたね。名曲を細切れに聴かされるのはツラいんだけれど、Mozart もRavel もさっそく聴きたくなりました。
若いって、なんて素晴らしいチャンスなんだ!映画も楽しみです。
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●吉例【♪ KechiKechi Classics ♪】2009年勝手に各自アカデミー賞ひとまず更新。継続募集中です。日本にとっても、自分にとっても大きな転機になった2009年であった、と思います。聴いた音楽の件は、後ほど。
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相変わらずオークションは不調です。売れ残りは覚悟の上での年内限定再開店(ごっそり120枚注文分到着しちゃったんで)だけれど、ハンス・シュミット・イッセルシュテットのBeeやん8枚組のみさっさと入札が重なる、というのはあまりに嗜好が保守的で情けない。ま、世間の売れ筋ってそんなものなのでしょう。もともとワタシのコレクションは”安物ばかり”(なんせ【♪ KechiKechi Classics ♪】の残党だから)、Syuzoさんの出品はもう少し価格が上だけど、ずらりメジャーなライン・アップでけっこう動いているみたい。
でも、12月再開店送付済のものだけでも、既にこの間注文した支出を上回っている状態には感謝いたしましょう。
ダブり買いで出品してもさっぱり動かない(アクセスそのものがほとんどない)ルドルフ・バルシャイは世間的に人気ないんだな。Bach フーガの技法(バルシャイ編)〜ルドルフ・バルシャイ/モスクワ室内管弦楽団(1969年ライヴ)・・・かつて83分超ムリムリ一枚収録で所有していたCDだけれど、処分済。10枚組にて偶然再入手。2004年の「音楽日誌」には”弦楽器+木管+チェンバロ・ソロ(金属的な音色が時代を感じさせる)の編成。色彩豊かな演奏ではないが、その集中力は驚くばかりで、厳しい表情は大時代の大仰なる表現とは無縁ながら、古楽器系バロックとは一線を画す立派なスケール感がありました。着実でしっかりとした足取り、素晴らしい室内アンサンブルが、かつてロシアには存在した、ということです”とのコメント有。
今回は常識的に、15分ほど2枚目に繰り下げて収録、Gluck、Rameau(ラモー)、Lully、Marais(マレ)、Purcellの編曲もの(1950年代録音)の小品集が含まれました(この部分、ほんのちょろ聴き状態を反省)。この2枚、いずれモノラル収録でして(音質ともかく)全然楽しめない。例えばヘルマン・シェルヘン辺りの編曲だったら、怪しさ満載の新ウィーン楽派に接近してクリアな印象だったな、もっと。
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風邪症状も胃腸の調子もかなり落ち着いて参りました。今週の祝日(+30日も)はトラブル発生対策で、出勤は当初より覚悟の上。週半ばには今年ラストの金沢日帰り出張、それより新年早々の会議資料準備がかなり壮絶なんだけど、既にキモチ的にちょっと切れつつあります。ヤバいね、ここでお仕事テンションを保たせないと。
今朝のルドルフ・バルシャイの件、ちょっぴり文句を付けたが(ほぼ音質問題か?)Charpentier「アリオーソ」(1956年)にてバルシャイ自身の達者で優美なヴィオラ・ソロが聴けます。Rameauの協奏曲第6番ト短調は「六声のコンセール」の(おそらくは)編曲であって、著名なる「雌鳥」などが含まれました。Purcellの「ファンタジア」はワタシのツボなんですよ、けっこう。室内アンサンブルだから、こういったバロックはレパートリーだったんだろうが、あまりに演奏スタイルは変遷し、最近の古楽器はぴかぴかの新録音ばかりじゃないですか。その辺りとの比較は少々苦しい感じ。
●2009年12月某日
お休み。昨夜「のだめ」一年ぶりの再放送を見ていたので、少々夜更かしだったが、今朝はいつもの時間に起床。生活はリズムですから。医者の禁を破ってちゃんと入浴いたしました。腕の注射あとはちゃんと消毒しましたよ。ほら、今朝なんともない。「のだめカンタービレ」の原作は拝見したことはないんだけれど、それなりテレビの再放送は好んで見ているんです。「クラシック・ヲタク」うるさい親父(含む自分)の評判抜群。指揮がウソ臭い(アリキリの石井が一番上手い)、アニメ的おちゃらけが多すぎ、ということも含め、愛する音楽+その音楽に情熱を注ぐ若者+若者の生活・元気(多分にバブリーながら)が眩しいっすよ。昨日の再放送は古都プラーハの街並みやホールが美しくて、嗚呼、行ってみたいな、と思わせます。ビエラ先生って、ズデニェク・マカールのことなんですね。
養老孟司「自分は死なないと思っているヒトへ〜知の毒」(だいわ文庫2006年)・・・この間の読書コメント漏れの一冊。人間は「変わらない構造物」を求めてきた、ピラミッド然り、万里の長城、(最近話題のダム、道路、ハコモノも)然り。自分は変わらない、と信じているが、じつは人間は自然そのものであって有為転変し続けている・・・同じ音楽、同じ映画、同じ小説、それは十数年前とどこも変わっていないのに、受け取るべき人間の感性が変化している、ということでしょう。それは実感できる毎日であります。女性とこどもには”自然”がたっぷり残っているから、”変わらない構造物重視=オトコ世界”には棲みにくいはずだとも。一方で日本は”里山”という概念=人間が手を加え続けて自然と共生する文化が残っている(かな)、古代文明というのは膨大なる自然破壊=森林の破壊、砂漠化の歴史だったんです。
”山が荒れる”というのは、全部伐採しちゃう、ということでもなくて、人間が手を入れなくなって(樹木生え放し状態で)かつての生態系を維持できない、ということも多いと伺いました・・・内容からの連想であって、読む人によって感想は異なるかも知れません。気持ちのよろしい一冊。
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Bach ピアノ協奏曲第1番ニ長調BWV1052〜スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ターリヒ/チェコ・フィル(1956年)・・・再聴。これはSUPRAPHONの音源なんでしょう。リヒテルは小学生以来の大ファンであって、強靱なテクニック、けっこうな録音量を誇りながら、この人はレパートリーを厳選しております。”全集録音!”みたいなものは存在しない。いかにも的「ゴールドベルク変奏曲」もないし、著名作曲家協奏曲で全部揃うものもないのではないか・・・チェンバロの演奏に馴染んでいたせいか、現代ピアノによるBach 協奏曲にはずっと違和感があって、先日、グレン・グールドのクールなタッチに(ようやく/20年掛かって)目覚めたところ。
音質もそう悪くないし、大柄な作風の作品に相応しい入念硬派なタッチであり、ターリヒのアンサンブル(かなり緻密)との相性も抜群です。しっかり浪漫方向なんだけど説得力があって、盤石に揺れ動かない。いいぞ、なかなか。とくに第2楽章「アダージョ」に於ける深遠なる情景が。
続いてBach ピアノ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056〜クララ・ハスキル(p)/カザルス/プラド音楽祭管弦楽団(1950年)・・・2003年に「プラド音楽13枚組」(8,590円贅沢!)を入手しているのでダブったか?と一瞬ひるんだけれど、これは初耳。リヒテルを”しっかり浪漫方向”と感じたが、こちら揺れ動いて”いかにも女性的”(先入観?)柔軟なる味わい有。カザルスにアンサンブルの緻密を求めても仕方がないし、骨太なバックとソロに”泣き”を感じる感傷ぶり。これはこれで悪くない時代の証言か。やはり、第2楽章「ラルゴ」のとつとつとした寂しさ絶品。ラスト、2台のピアノによる協奏曲ハ長調BWV1061〜ハスキル/アンダ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1956年)・・・EMI録音ですよね、意外と昔から知っていた音源。晴れやかな表情で、これはよく整ってバランスの取れた演奏であります。スタジオ録音という条件もあるのでしょう。
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上記、ワン・パラフレーズ執筆に小一時間以上(部分繰り返し、関連CD棚中検索、ネット情報検索含む)、休日朝の贅沢な時間消費だけれど、これだから【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新が苦戦する理由自覚あります。上記コメントも、文書整理して、細部印象追加すれば更新原稿一本ですよ。老後には困らぬ趣味の世界だけれど、現役草臥れ中年サラリーマンには負担が大きすぎるか・・・それでも精神の切り替えには必要と思っております。
●2009年12月某日
寒いですね。昨日、金沢取引先のご担当のアシスタントさんより、情報連絡のお礼のメール有、「金沢は雪です。一気に冬になってしまいました」と文学的な追伸が。昨日は体調フツウなのに、午前中より全然ノーミソ働いていない自覚有、午前中周辺作業ばかりでお茶濁し、昼からチーム打ち合わせ30分ほど、そのあと本丸のいよいよ大物月次作業に着手。一時間で終了予定が、その4倍ほど、とうとう忘年会出発時間になっても完了できない。こんなこともあるのだな。風邪症状が悪化しているわけでもないが、こんなときには休むべき(おそらくは精神的)疲労状況なのでしょう。(自腹)忘年会は楽しかったが、とにかく喰いもんも酒も全然旨くない、お付き合いなので文句は言えんが、これだったら自主的酒席で自由に店を選べるほうがずっと良いではないか。
本日、【♪ KechiKechi Classics ♪】サイト定例更新済。原稿在庫は先週のもの、これで在庫一掃です。オークションは本日締め切りなのに、一件の入札もない。人生こんなものだね。あかん時はあかん、ということ。
今朝、Bach ピアノ協奏曲第1番ニ長調BWV1052〜スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ターリヒ/チェコ・フィル(1956年)・・・協奏曲100枚組ボックスの一枚目を飾るに相応しい音源であり、初耳どころか存在さえ初めて知りました。じつは敬愛するBach 作品中、現代ピアノを使った協奏曲は少々敬遠気味で、コメントはもうちょっと聴き込んでから、ということにしましょう。本日、懸案の宿題を一気に終わらせて早帰り、耳鼻科+左膝リハビリに行く予定。
年末トラブルなきことを祈って、平安なる週末になることを願います。
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朝一番、いつもの上司と一番出勤を競って、モウレツに定例作業消化+α(飛び込み作業)、状況分析、緊急作業指示、昨日はノーミソ全然働かずに忘年会に突入、本日はやや酒は残っているし、睡眠不如意だし、風邪症状やや悪化でもノーミソは快調!狙った当面の宿題全部クリア!”早退”いたしました、といってもフレックスタイムなので堂々と帰ればよいのだね。皆、体調を心配して下さいました。整形外科ではいつもの左膝リハビリは入念であり、両腕の筋肉痛(ほぼ一年になる)の検査結果は「原因不明」〜つまり悪い病気ではない、とのこと。ストレスでしょう。両腕に「消炎剤+筋肉弛緩」注射で様子見。
超人気!耳鼻科は4時に診察カード入れて、4時間以上待ちでっせ(途中整形外科に行ったが)。とにかく一週間終わり。オークションは予想通り八戦全敗。人生こんなものだよ。先日言及して、BBSでもちょっぴり話題となったシュミット・イッセルシュテットBeethoven 8枚組も出品してしまいました。
通勤音楽は、「AMERICANA〜20th Century Works For Orchestra」(VOX ACD8155)/Bernstein 「キャンディード」序曲/ Elie Siegmeister (エリー・ジーグマイスター 1909-1991) 「ウェスタン組曲」/Morton Gould 「アメリカン・サリュート」/LEROY Robertson「パンチとジュディ」序曲/Vaclav Nelhybel「交響的練習曲」〜モーリス・アブラヴァネル/ユタ交響楽団+Ruggles 「人々と山々」/Ives「尖塔と山々」/Copland「静かな都市」〜ルーカス・フォス/バッファロー・フィル・・・1970年前後の録音らしい。「キャンディード」「アメリカン・サリュート」ともかく、他は聴く機会機の少ない作品でしょう。1990年初頭に1,150円にて購入した、長〜い愛聴盤となります。(昨日のLukas Foss?の話題で思い出したもの)
アブラヴァネル/ユタ響は豊かな響きで、オーケストラも上手い。ノリノリのBernsteinを先頭に、残りの作品も誰でも知っているような懐かしい、前向きで明るい旋律ばかり。音質もGood!後半がルーカス・フォスの出番であって、さすがRuggles/Ives辺りは少々ハードで破壊的な旋律が歯応えたっぷり、Coplandは例の如し静謐で旧き良き亜米利加市民の敬虔な生活を連想される感動的な作品也。但し、バッファロー・フィルはやや柔軟性に欠けて、ちょっぴり不器用なアンサンブルであります。こちらの音質も悪くありません。
●2009年12月某日
寒いですね。外の気温0度(パソコンのデスクトップにご当地の気温が表示される)。体調が気になるが、本日出張の後始末+(もちろん)通常業務+忘年会有。もちろんトラブル処理(じつはうっすらとコトの発生に気付いている)も。
昨日移動中音楽の続き。Bernstein 「ファクシミリ」(シドニー・フォスター(p)/RCAヴィクター交響楽団1947年)/交響曲第2番「不安の時代」(ルーカス・フォス(p)/ニューヨーク・フィルハーモニック1950年)〜レナード・バーンスタイン・・・「ファクシミリ」をネットで調べていたら自らの記事が出てきてびっくり!(記憶完全消失)曰く、”コミカルで断片的、ユーモラスな旋律が連続。ペトルーシュカのようなワルツもあり、ピアノの活躍もそれを連想させますが、時代の違いか旋律には不安な印象がつきまとう。ヴァイオリン・ソロは甘く、やがていつもの軽快なリズムに乗って、熱気が爆発しました”と。なるほど。久々の聴取は(師である)Coplandを連想いたしました。「不安の時代」最初の録音は初耳でして、音質は良好、第1楽章「プロローグ」/第2楽章「7つの時代」/第3楽章「7つの段階」/第4楽章「挽歌」/第5楽章「仮面舞踏会」/第6楽章「エピローグ」は前半後半二つに分かれ、各々連続して演奏される30数分の作品。
けっして難解ではない、ピアノ・ソロが静謐で開始されリリカル、大活躍。そして例の如しのエネルギーが熱く押し寄せてくるような盛り上がりがある。イメージとしては「ペトルーシュカ」。いつぞや「馴染みがない=名曲に非ず」的ネット上の風潮に怒りを爆発させたが、このわかりやすさ、楽しさ(題材は「「不安の時代」だけれど)は出色です。このCDの演奏者コメント「Lukas Foss」はおそらく「Lukas Foss」の間違いでしょう。独逸出身亜米利加の著名なる作曲家です。録音もけっこうあります。
●2009年12月某日
(在金沢ホテル)昨日は片町付近、テレビがあるような安直な店にて愉しく自主忘年会。寒くて、雨模様は途中で霰に変わりました。和やかに盛り上がった会話、まずまずの料理(大阪のことを考えれば出色!)適切な出費、昨夜は眠れなくて、途中起きだしてNHKの熱帯雨林の生態系のおもろい番組見たりしていたけれど、幸い風邪症状は悪化しておりません。空気は乾燥していて、ちょっと油断しておりました。いくつかお仕事上のトラブル連絡がケータイに届くが、たいした問題ではなくクリア済。
BBSにてこの間のサイト更新分の情報ミスの修正有、ありがたいことです。単純な記述ミス、曖昧な情報確認ミス、あきまへんな。昨夜ヒマだったので、【♪ KechiKechi Classics ♪】の全テキストファイル1,740本ほど、一部テキスト一括置き換えを実行。誰も気付かないだろうが。ちょっとしたこだわりです。本日、もう一本、チームメンバーの商談に立会、それでお役御免、ゆっくり昼食を摂って夕方には帰宅予定。
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昨日の自分の商談はいまいちだったが、本日の同行商談は望外の成果!気持ちよく昼食を摂って(昨日の若い女性独りでやっている洋食屋/中華料理屋は未だ工事中)、そのままサンダーバードの人に。移動中ずっとうつらうつらしておりました。往復そんな状態、全然読書もできておりません。気持ちが緩んだせいか、体調下降気味、大丈夫か?明日、職場忘年会+お産で辞める派遣さんのお別れ会あるんだけれど。
それでも音楽はちゃんと聴きましたよ(途中時々意識を失っていたけれど)。Mozart 交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」/第36番ハ長調K.425「リンツ」/第40番ト短調K.550(クラリネットなし版)〜ヤープ・テル・リンデン/アムステルダム・モーツァルト・アカデミー(2002年)・・・無条件幸福である我らがアマデウスに演奏云々は無用なんだけど、やはり時代は古楽器じゃないのか。カラヤンのゴージャスで立派な演奏もなかなかよろしかったが、こちら素朴で薄くて、穏健派古楽器の柔らかい響きであります。優しく、まったりとして威圧感皆無の癒し系演奏。繰り返し実行も嬉しい。もう最近こればっか。音質も良好。クラリネットなし版と有版両方全集に収録されるが、ド・シロウトにはどこがどう違うのか、ようわからない。
de Falla バレエ「恋は魔術師」/「7つのスペイン民謡」(BERIO編)/「讃歌」G.86/「三角帽子」第2組曲 G.59〜エドゥアルド・マータ/マルタ・セン(s)/シモン・ボリヴァル交響楽団(1994年)・・・ベネズエラに、こんな洗練されたオーケストラが存在するんですね。マータに残された時間はあと一年、やや優等生的に意外と整った演奏だけれど、リズム感は本場もんでっせ。de Fallaの珍しい作品もタップリ堪能できる3枚組であります。
●2009年12月某日
これより金沢行き。ゆっくり昼食をいただくためにはもう出なくっちゃいけないんだけれど、もう一本遅らせましょう。ご当地は雨模様だけれど、ちょっと寒いみたい。体調をなんとか保たせないと。今晩、自主忘年会、明日、もう一件同行商談付き添いがあって、事務所には戻らない予定。オークションには、まったく動きなし。今週末ワン・クール終了で一件も売れんのではないか。いずれ大晦日を以て、今回の取り組みは一区切り予定。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1979年)・・・いくら比較的良好なる音質とはいえ、歴史的録音ど〜んと100枚組ボックス聴き進めていくと、クリアな音質が懐かしくなります。この人は立派な録音が多いと思うが、個性とレパートリーが一致しているか?という点でちょっぴり疑念が・・・Mahler 録音は他第10番(クック版)と「大地の歌」のライヴがあるくらいでしたっけ?第9番は人生の懊悩苦悩、身をよじるような作品印象があるけれど、この演奏は盤石の安定感があってスケール大きく、立派です。揺るぎない自信と確信の歩みであって、がっちりとした独墺系交響曲に接近しております。
タイミングはちょうど80分でCD収録不可、”遅い”といった印象はそうないけれど、落ち着いた味わいで熱狂疾走絶叫とは無縁な演奏であります。クリアで明晰な録音であり、木目の質感サウンドのオーケストラ、ざわざわとココロの奥底に不穏なものを隠し持っていない。健全で明解。これはこれでひとつの得難い価値と感じました。
では、行ってきます。出張には音楽とパソコンを持参いたしましょう。
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(在金沢ホテル)商談は資料の一部にミスがあって失敗、だけれど、和気藹々とした雰囲気ではありました。明後日職場に戻ったら急ぎフォローしないと。朝、車中ではやや気分悪く、冷たい雨模様の金沢到着後、即バスに乗って取引先ご近所へ〜いつもの現地人経営中華料理屋は工事中で、お隣の洋食屋に初訪問。若い女性が独りでやっていて、とても美味しい。これから贔屓にしましょう。ドリンク剤とチンツーミン服用で乗り切りました!
これより自主忘年会。取引先とこんなに親しいとは、ほんまに幸せです。博多でも岡山時代(広島松山高知)でもいっしょだったが。
移動中音楽は、Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年版)〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団(1955年)・・・太古ステレオ録音であって、時代を考えると驚異的な音質、冷静に聴けば不自然な各パート浮き立つような分離であります。雰囲気タップリの演奏だけれど、金管のキレとかリズムの甘さがあって、最晩年に再録音した理由も理解できる。続く交響詩「ナイチンゲールの歌」も同様。かなりハードで荒唐無稽な旋律だけれど、時にやや音楽が行方不明になる場面有。”時代の雰囲気”はちゃんと感じ取れます。
「火の鳥」はNMLで聴けるものと(おそらく)同じでしょう。
●2009年12月某日
本格的な昼寝をたっぷりしたのに、夜もしっかり眠れました。時に(ヤブ)医者に不眠を訴えると、昼寝のしすぎなんじゃないの?と揶揄されることがあるが、明らかに要因が異なります。激しい発熱やら関節の痛みなどはないからインフルエンザではないでしょう。おそらくは一年の(精神的)疲労蓄積集大成ではないか。明日、年内ラスト宿泊を伴う出張(しかも自主忘年会有)、準備はほぼ万端です。本日、気になる緊急資料要請一気にこなして、年末年始の商品イレギュラー処理を完了させて早退したい。
音楽はいろいろ聴いているが、コメント不可。クララ・ハスキルのMozart 、ヴァーツラフ・ノイマンのMahler 、マルティノンの「海」・・・ぼんやり聴いてしまって、快い感触が残るばかり。Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団/合唱団/パーション(s)/ストーティン(ms)(2008年)・・・しっかり再聴。”聴取百遍意(い)自ずから通ず”〜音量が小さく、しかもおそらくはマルチマイクとは対極にある自然体のホールトーン、劣悪なオーディオ環境乗り越え、ほとんど作為のない表現が胸を打つ不思議。ショルティ時代を思い起こせば、クール強靱なるサウンドと技量は健在だけれど、きらきら艶々した派手なサウンドはどこにいったの?状態か。もちろん巨匠時代の異形巨魁なるスケールとは無縁、安易なテンポの変動、急ぎ足など皆無であって、粛々淡々と音楽は進んで、その流れに身を委ねることができれば、やがて至福の時がやってきました。
じつはMahler 交響曲第1番ニ長調〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1977年ライヴ)の(ずいぶんと久々)再聴に感じるところがありまして、ハイティンクの”変貌”に感慨があったことがポイント。「この食堂の味は30年変わらないな」とか「この人はむかしからずっと誠実な仕事ぶりだ」と評される場合、基本的方向はともかく、不断の努力と改善あってこその現在だと思うんです。つまり、ハイティンクは美しく老い、成熟していったことをはっきり認識出来た・・・(時間切れ)
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明日から出張だけれど、ヒジョーに体調がヤバい。出勤中は気持ちが張っていたせいか、なんともなかったんだけれど、(結局通常業務)帰宅後食事をしてフロに入ったらへろへろ〜お仕事は(自分の分は)順調で、懸案のトラブルもいくつかクリア、しかしチームメンバーの資料が全然できていない。できていないこと、わからないことがあれば、謙虚に訊く、相談する、努力すべきであって、処世術で乗り切ろうとする心根が気に喰わない。んもう40過ぎたオトコは使い物にならん!って、自戒しなくっちゃ。それにしても人の話を聞いていないこと、驚くばかり。
今朝の話題の続き。1977年ライヴにはコンセルトヘボウというオーケストラ、ホール、PHILIPSのサウンドの考え方、それが希有なる効果を上げておりました。48歳壮年のライヴは、”穏健自然体”に間違いはないが、もりもりとした躍動があるんです。79歳の演奏はいっそう枯れ、贅肉が落ち、その方向は虚心に徹底されて〜黄昏の輝きがある。シカゴ交響楽団との現在をそう聴き取りました。交響曲第3番とかBrucknerの交響曲第7番も聴いてみなくっちゃ。
但し、Mahler 交響曲第1番ニ長調は青春の歌だから、若い演奏が似合うのも事実。ハイティンク33歳、1962年のスタジオ録音もストレートに躍動して微笑ましく聴いたものです。
帰宅して、Sibelius ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜アイザック・スターン(v)/トマス・ビーチャム/ロイヤル・フィル(1954年)・・・初耳。う〜む、こりゃ全然あかん。テンポ速めなのはともかく、間が足りない、急いた印象ばかり、細部が粗いような印象を受けます。NMLで聴けるものと同じでしょうか?(タイミングはほぼいっしょ)ワタシの体調問題なのか、多くの方々のご意見を乞う。フィル・アップは「フィンランディア」「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」、組曲「物語の情景」〜第3曲「祭り」〜ハンス・ロスバウト/ベルリン・フィル(1953年)・・・意外と有名なDG録音だったので期待したが、音質的にも、演奏的にも全然愉しめず。とくに前半。協奏曲100枚組ボックスの復刻問題かも。
●2009年12月某日
基本的にケータイは嫌いでして、若者には楽しい着信があるのだろうが、草臥れ中年オジさんには100%お仕事トラブルに決まっているんです。昨日、映画には(当然)持参せず、帰宅するとメール一件、上司より着信が〜「インフルエンザじゃないのか」と。今更実質上サボり、とも言えず、ただの風邪ですと返信。(昨夜、映画の帰り”クエ鍋”喰ってきたとはカミング・アウトできず)オークションはワンクール終了。連絡なし一件のみが気に掛かるが、一応追加出品〜カンではほとんど売れ残るのではないか?とにかく大晦日段階で残ったものはすべてキャンセルして、また休止宣言とする予定。本日は年賀状を印刷しないと。「7」にしてからPIXUS iP3500の設定がおかしくて、印刷はちゃんとできるんだけれど、インク不足などの表示が出ない。ネットでドライバ関係の更新をしようとすると「プリンタが見あたりません」?との警告で不可・・・困りました。
【♪ KechiKechi Classics ♪】各自勝手にアカデミー賞2009年募集開始しているんだけれど、ようやく一件”予告”が出ただけで(ほぼ)無反応状態が寂しい。皆、忙しいのだろうな、精神的に。不況だし。それに自分自身が音楽に対する熱心で前向きな意欲、少々萎えている自覚ありますもの。著名な音楽ブログにて【♪ KechiKechi Classics ♪】 の更新記事が引用されているのには驚きました。感謝。
Beethoven ピアノ協奏曲第3番ハ短調(ヘンリー・スウォボダ/ヴィンタートゥール交響楽団1950年)/第4番ト長調(カルロ・ゼッキ/ロンドン交響楽団1947年)〜クララ・ハスキル(p)・・・前者はWestminster、後者が英DECCA 往年の著名録音だけれど、たしか現在では同じ資本傘下のレーベルとなったんだっけ?いずれ、そんなこととは無関係の著作隣接権切れのANDROMRDA盤での入手であります。LP板起こしか。2008年4月14日3枚組1,900円程の(贅沢)入手とのメモが残っているが、歴史的音源はネットでいくらでも拾える、自主CD化も可能と気付いたのは今年2009年になってから。閑話休題(それはさておき)、LP時代からお気に入りでした。ってからも、なんどか入手と処分を繰り返しているかも知れぬ記憶有。
作品的には交響曲を上回る”苦手系”でして、なぜか油断すると棚中にどんどこ貯まるんです。故に聴く機会も少なくはない。若い頃はけっこう好きだったんですけど・・・ハスキルには「皇帝」などの録音は(たしか)なかったですよね。音質はわりと良好。クララ・ハスキルはずっとファンでして、棚中かなり音源揃えて常備しております。しっとり瑞々しいタッチはけっして”細く”ないが、繊細でニュアンスに富んで色彩有。先入観的な”女性の演奏”ではないだろうが、ガンガン叩き付けるような迫力演奏では(もちろん)なく、色気があってサウンドに芯をしっかり感じさせるもの。両方ともオーケストラは好演でして、前者はチェコ系?戦後すぐのWestminsterにたくさん録音があるし、イタリアの指揮者カルロ・ゼッキは晩年群馬交響楽団にて活躍された方でした。
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朝、オークションで落札されたMozart 9枚分ポストに投函(3枚ずつ横に並べるとムリヤリ入る)しただけで、いつものように終日引き隠り。風邪気味なので。昼寝もたっぷり、本格的にしてしまいました。ほんまに”休んだ!”といった感じ。年賀状一気に印刷、ついで義母の依頼分も。宛名もソフトにて一気印刷、便利なものです。プリンタ絶好調。職場では個人情報の関係で住所は公開されていないし、儀礼的なものはかなり抑制して、相手から届いた分のみ返答するようにいたしましょう。
落札されたCDは、ようやく残り一件連絡有。でも、再び出掛ける意欲は出なくて、明日、朝出勤時投函いたしましょう。残りは大苦戦、予想通り。ブツが悪いのだろうか?きっとそうなんだろうな。
●2009年12月某日
夜中の2時半頃、ケータイが鳴ってメール到着、なにか緊急事態か?と慌てて起き出したら、昼間メーカーに要請していた資料でして、なんという非常識!それがまた驚くべきほど無内容なものであきれました。カネよこせ、と言ったわけじゃなし、ノーミソに汗をかけ、とお願いしただけ。その会社、腐ってまっせ。そんなこんなでただでさえ睡眠不如意状態、二度寝して目覚めたらいつもの出勤時間、良い言い訳ができた、とばかり本日休みを決意、ちょっと体調怪しいですし。ごめんなさい。
そんなこんなで音楽への集中力失っております。Mozart 交響曲第23番K181(K162b)(ウィーン・フィル/1956年)/交響曲第35番ニ長調K385「ハフナー」(ロンドン交響楽団1965年)/交響曲第36番ハ長調K425「リンツ」(パリ・オペラ座管弦楽団1964年)〜カール・シューリヒト・・・シューリヒトのMozart はワタシの原点だし、「リンツ」は懐かしいコンサート・ホール・レーベル音源也。6年ほど前は一生懸命棚中在庫の整理コメントをしたものです。(1)、(2)。怒濤の在庫処分の結果、珍しくほとんど棚中現役、彼(か)の更新記事に意味があるかどうか別として、熱心であった!とことに間違いない。ところがなんだ?今朝から、あまりよろしくない音質状態で聴き進んで、ほとんど感銘が押し寄せない。たった今現在の心身ともの状態なのか、それとも古楽器(系)演奏に嗜好が遷ってしまったのか・・・たんなる音楽に対峙する姿勢の堕落か?
もっとウキウキしながら音楽を聴きたいよう。
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演奏会に行って、Haydn/Mozart を聴く予定が、女房殿が映画「沈まぬ太陽」を見たいという。なんせ年齢の関係で「二人で2,000円」なものだから、お付き合いしてネットで予約。(ご近所)伊丹まで行ってまいりました。途中10分の休憩も入り、3時間以上の長丁場。丁寧な組み立てと、細部詳細な描き込みが、稀に見る力作に間違いないでしょう。かなりの手応え有。キャストもちょい役含め豪華配役陣、主役(級)の渡辺謙、三浦友和は立派です。でもね〜
まず、”9年に渡る報復人事で海外赴任”が、さほどに苦しく描かれない。イスラム諸国やらアフリカの大地で、なにに目覚めたか、がよくわからない。なんせ時間はタップリだから、オーヴァーアクションで事態を際立たせる手法をとっていない・・・からジミに見える。例えば、暴力場面、セクシーな場面がほとんど(ほぼ)皆無。松雪泰子は三浦友和の愛人なんだから、官能的場面があっても良さそうだけれど、ないんです。高級倶楽部のママであり、三浦友和に命じられて役人やらマスコミ篭絡役になっている小島聖だって、そんな役柄なのにそういった場面皆無。政治家の女絡みの場面だって、話題だけで実際の行為はないんです・・・
と、まぁ、ちょいと文句を言ったけど、戸田恵梨香は可愛いし、香川照之は東尋坊で自殺しちゃうし、で、けっこう楽しめました、と言っちゃ失礼だけれど、現在のJALの体質とダブります、イメージ的に。御巣鷹山事故と、過去の流れが上手くフィードバックして絶妙と言ってよいでしょう。
この間の読書コメント、すっかりサボってました。塩澤修平「デフレを楽しむ熟年生活」(講談社+α新書)・・・2004年発行。ここ最近時の流れは異様に速くて、現在ならこんなノーテンキな書籍成り立ちません。もしかして”小泉改革”に希望を持っていた頃?カネモチ団塊の世代の淡い期待?この書籍が出て数年足らず、あっという間に役に立たぬ、事実現実の社会はもっと厳しい状況になってしまいました。
春日武彦「問題は、躁なんです〜正常と異常のあいだ」(光文社新書)・・・久々の凄い手応え!鬱病の書籍は山ほどあるが、躁病の話題は滅多にない〜躁は鬱に比べて軽い、明るくて元気なのはよろしい、みたいな風潮があって(事実、女房殿もそんなことを言っていた)でもね、実際の症例は悲惨です。そんな事例がたくさん、具体的に列記されます。誇大妄想、イっちゃてるヲタク、ほらけっこう見掛けるでしょ?著名な作家にも実例が挙げられております。
これ、ネットブックで更新しているんだけれど、Google日本語入力を使ってみました。ほとんどストレスがない。ワタシはATOK一筋だけれど、これはそうとうに使えます。
●2009年12月某日
通院しただけで無為無策の代休を終え、なぜか?昨夜は10時には眠くなって、途中覚醒なし。ありがたいことだけれど、風邪症状は悪化しているようで(ジョーダン抜きで)本日は早帰りしないとマズいかも知れません。オークションは本日ほとんど締め切りで、一本のみ時間設定を誤って朝のウチに終了します。売れ残りほぼは予想通り、BRILLIANTのMozart ピアノ協奏曲全集はいくら安くても(9枚で1,000円/送料別)知名度的に(デレク・ハン(p))難しいんじゃないか、と予想したがちゃんと入札ありました。お気に入り全集をこれで3本処分したことになるのか・・・でも、まだ4セット棚中にあってこれで充分じゃないか、しかもここ最近、古楽器聴取が多いという嗜好もありましたし。
今朝、無事サイト定例更新成。ことしもあと2回分で終了、元旦がいきなり定例更新の金曜日なのだな。「音楽日誌」も含め、サイトの更新が生活のリズムであります。音楽はいろいろ聴いているんだけれど、どれも心底痺れるような手応えがない〜帰宅してから冷静に振り返りましょう。
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いろいろとお仕事トラブルは完全にクリアしていないし、宿題も残ったままだけれど、上司も含めチームの打ち合わせを終え、早々に職場を退散。明日出勤当番なんだけど、できればサボりたい・・・それがムリでも午前中出て、昼から休んで演奏会にでも、と考えております。じつは少々体調が怪しくなりつつあって、但し、咽が痛いとか、熱が出たりしていないので助かっている感じ。いつもの(大繁盛)耳鼻科で咽の消毒、吸入しっかりしてきました。オークションは予想通りの売れ残り出、しかし一部には法外なる値段が付いちゃいました。締め切り日当日朝まで「入札0」だったのにね。売れ筋とはワカラんもの。本日売れた20枚ほどで、先日の”オトナ買い”は経済的には充足された計算となります。恐ろしい。
本日通勤に(雨模様故)音楽持参せず。帰宅してからRachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調〜スヴィァトスラフ・リヒテル(p)/クルト・ザンデルリンク/レニングラード・フィル(1955年・・・となっているが、1959年の誤りと思う)これは「MEISTERKONZERTE100枚組〜the master of music」100枚に含まれるが、じつは本日無事売れたYedangClassics盤、更に別途RUSSIANREVELATION盤でも所有しているという「トリプル買い」の一枚也。この作品との出会いの演奏であります。小学生の時。同時期のヴィスロツキ盤(DG)との比較では、こちらモノラル録音なので損をしているが、なんせオーケストラはワルシャワ・フィルの敵ではない。濃厚で漆黒、リヒテルの強靱に叩き付けるような芯のある音色の魅力は変わらない。技巧は、技巧として存在するのではなく、芸術に奉仕するためにある!リヒテルを聴いて「技術的に凄い」と感じたことはないんです。それが当たり前の世界と常に説得される熱狂的な、白熱の演奏也。
このシリーズは収録時間が短いこと、フィル・アップが凝っていることが特徴でして、Rachmaninov 前奏曲ト長調 作品32-5/ト短調 作品13-5〜ゲーザ・アンダ(p)(1956年)・・・彼にしては珍しいレパートリーだし、初めて存在を知った音源でもあります。これが幻想的であり、繊細。露西亜系色気と脂っ気が多い演奏ばかり聴いていたので、その抑制され落ち着いた味わいが感銘深いものでした。
●2009年12月某日
昨夜は寝不足押して粛々と日常作業進捗、上司よりの急なレポート要請(お仕事のダイエットについて表彰されることになった、とのこと)も素早く完成(なんせ、ここ半年ノーミソにしっかり内容蓄積してあるから)、来週火曜出張の定例提案書資料完成、見本としてチームメンバーに送付しておきました。締め切り迫っているのに、他の連中は未だ基礎資料を並べ替えている水準なのだね。どこに時間を掛けるべきか、エネルギーを注ぐべきか、全然わかっていない。日常定例作業は無心になってさっさとこなすべき”作業”であって、”お仕事”ではない。それを溜め込んでどーする?
代休前日、ということもあって、チームメンバー誘って酒〜この一年いろいろあったこと、来年の人事配置の見通しなどをご相談。けっこう呑んだけれど時間的にはそう遅くならずに帰宅できました。散財。
この間の”修正”いくつか。10月の更新記事関連にて。Beethoven 弦楽四重奏ヘ長調 Hess34はピアノ・ソナタ第9番ホ長調の編曲とのことだけれど、748作品全集(87枚組)に、なぜかソナタ第9番が含まれない!と嘆いておりました。が、ついに発見。85枚目に「Biamonti」「Hess」「WoO」「作品番号なし」の珍曲ばかり揃えているんだけれど、そこにひっそり「作品14の1」(ダニエラ・ルソ(p))含まれておりました。ピアノ・ソロ作品集は20〜36枚目配置なのだね。けっこう隅々まで調べたつもりだったが・・・まだまだ発見はありそう。
先日一度確認して、不遜な感想を抱いた、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団(2008年)・・・再聴。ハイティンクは元々大ファンだし、シカゴ交響楽団だって指揮者との相性で抜群の効果を上げる立派なオーケストラ、自分の印象に自信が持てませんでした。音質がオフ・マイク?(収録音量が低いのはたしか)でもないか、かなり自然な、作った感じのないホールトーンはちょっと散漫か。かつてのコンセルトヘボウでの録音印象と比べると、暖かさに欠ける感じがしたものです。怜悧クール強靱なるサウンドはシカゴ交響楽団モロの個性。ハイティンクの穏健表現にも磨きが掛かって、特異なる異形パフォーマンスなど存在しないのだけれど、細部迄表現に磨きが掛かってスケールが(ムリなく)大きい。ヴェリ・ベストとは思わぬが、現在現役中では最高のパフォーマンスのひとつと評して間違いはないでしょう。オーケストラとの相性は抜群のようです。ちょっと意外だけれど。
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午前中、左膝の通院+ついでに高血圧のヤクもそこでいただくことにしたが、ありがたいことに久々かなり正常血圧に。ヤク服用3週目の効果でしょう。北海道の母親に頼まれた買い物をして送付、あとはやや風邪気味故おとなしく室内にこもっておりました。ケータイに連絡有、商品トラブルちょんぼ発生して、明日善後策必要です。最低限の傷で収まって下さるとありがたいんだけれど・・・ひとつ良いことがあれば、逆のこともある。
明日、そんなこんないろいろと業務をこなして、土曜出勤はできれば避けたいんだけれど・・・そういえば、本日はボーナス支給日であったな。あまり関係ないが。
音楽はいろいろさまざま、断続的に聴いていたけれど記憶がない〜武満徹「地平線のドーリア」「ノヴェンバー・スップス」〜岩城宏之/NHK交響楽団/鶴田錦史(琵琶)/横山勝也(尺八)、(1984年)・・・武満徹の音楽は何度、いつ聴いても感銘が深くて、日本古来の「間」とか「呼吸」、「静」、ひりひりする繊細なる幽玄は肌にぴたり!フィットいたします。以前も書いたけれど、小学生の時既ににFM放送で深い感銘があった記憶有。美しい不協和音也。
●2009年12月某日
例の睡眠不如意。別に思い悩むことはないんだけれど。本日、資料関係を一気に仕上げて、できれば”早帰り”したいものです。フレックスタイムだから、理論的には11-3時の間に出勤すれば良いのだけれど、お仕事はリズムがあってのものだから、そうもいきません。取引先とか関係各部署よりがんがん連絡入るしね。ましてやワタシは出張が多いですし。残業減らし必須、明日は代休消化必須。先月はそれで作業進捗がもの凄く苦しくなった記憶あるが、今月は余裕です。
BBSでの【♪ KechiKechi Classics ♪】読者からの宿題継続、Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団/合唱団/パーション(s)/ストーティン(ms)(2008年)・・・収録音量レベルが低い、シカゴ交響楽団のサウンドが怜悧に過ぎる印象は変わらない。ワタシの貧しい聴取環境では云々できず、おそらくは高級オーディオで印象一変するのでしょう。美しく抑制された演奏に間違いないが、1968年コンセルトヘボウの印象が脳裏に焼き付いているせいか、嗜好とは微妙にズレがあるような気が・・・聴き手の集中力のダウン要因かもね、HMVのユーザーレヴューでは激賞が続いております。終楽章まで進んで圧巻の感動にたどり着けない。再度確認しなくては!
今朝、Beethoven 交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ウィルヘルム・フルトヴェングラー/バイロイト音楽祭(1951年)・・・昨日の”定評あるイッセルシュテット”への不遜な感想からの連想であります。著作隣接権切れ音源(.mp3)よりの自主CD化だから、歴史的音源の復刻に心血を注いでいる方からは笑止千万なるものなのでしょう。ワタシはこの演奏を神格化する論議に参加できないのだけれど、それでも、”ひとつひとつの音に魂が宿っている”こと認めるに吝かではない。まだ途中迄で全曲終わっていないが、深遠なる宇宙よりのメッセージを感じさせる第1楽章、強烈なるリズムに爆発を伴う第2楽章「スケルツォ」・・・これはこれで時代の証言であります。
お気に入りは(世評必ずしも高からぬ)デイヴィッド・ジンマンとか、ハノーヴァー・バンドに親密を感じる今日この頃であります。
●2009年12月某日
さて、なんとか体調を保たせて今週も乗り切りましょう。きょうは暖かくして出勤します。でも、ワタシって汗っかきなので、通勤電車中ではたいへんなのだね。富有柿送れ、との北海道わがまま婆さんの願いでオークション検索送付手配、もう季節は終わりなんだけど。昔、北海道では柿が貴重品(ミカンも)でして、でも、現在ではフツウに売っていることは度重なる北海道出張で知っております。でも、年寄り(としょり)にはその感覚が抜けない。それに、ワタシが見立て、厳選送付するのは”とびきりエエもん”(高いものに非ず)ですし。それに息子から送られたら、親はなんでも嬉しいでしょう、きっと。ネット検索のついでに、米+みかんを発見し、これは本日自宅用に届きます。さて、どんなものか。
昨日の、Prokofiev ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16の件、棚中にはガブリエル・タッキーノ(p)の全集が存在します。購入既に15年を越えたと思うが、この作品の良さを理解できませんでした。ヤコブ・ザーク盤石の演奏でちょいと目覚めた感じあるんだけれど、タッキーノはどんな演奏だったのか?オーケストラはルイド・フロマン/ルクセンブルク放送管弦楽団(1972/73/77年録音)・・・こちらけっこうニュアンス系優しい、粋な演奏でして、硬派で難解、やや破天荒なる楽想をマイルド化させております。ザークのほうが作品の本質をエグり出すような真摯で真正面な演奏だったが、こちらもけっして悪くない。けっこう聴きやすい音楽に変貌しておりました。オーケストラの技量ともかく、ステレオ録音ですし。
リンク先更新分で思い出したが、チェロと管弦楽のための交響的協奏曲ホ短調(ラズロ・ヴァルガ(vc))は、件の協奏曲100枚組ボックスにてダブっております。この演奏はちょいといただけなくて、ロストポローヴィチの演奏で目覚めた記憶がありました。久々、ちゃんと聴いてみなくっちゃ。
音楽は幅広く、自分の嗜好を越えて、先人が残した音楽は座右に置いてちゃんと聴きましょう、というがモットーだったが、Prokofievの交響曲全集は棚中にはないんじゃないか?十数年前にはワルター・ウェラー全集を購入した記憶があったけど、どこかで処分したっきりか。反省材料です。NMLでも聴ける時代にはなったが。
では、行ってきます。
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昨夜は体調悪化を心配したが、今朝はちょっと快復、お仕事中もほとんど問題なく過ごしました。お仕事進捗はとても順調で、上司への出張報告書を(久々)真面目に執筆提出し、評価面談があり、厳しい自己評価から(珍しく上機嫌なる)上司がポイント上乗せして下さり、来年度の人事異動の様子を伺い、それはほぼ意向通りであり、資料は順調に進捗し、日常業務の点検にも問題はない。明日で当面の資料作りは完了し、来年の取引先会議用の資料に着手できるかも。翌日は代休消化です。このまま最年末までトラブルなきことを祈るばかり。
来週も金沢出張だけれど、先日幹部と(正式)忘年会を済ませ、こんどは実務担当同志で(自主)忘年会決定〜こちらのほうが楽しいな。
通勤音楽は(年末らしく)Beethoven 交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ハンス・シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル/ウィーン国立歌劇場合唱団/サザーランド/ホーン/タルヴェラ(1965年)・・・あまりに有名な、定評ある一枚也。2003年自らの”棚卸し”では、これを第1位に推奨しておりました。曰く、ウィーン・フィルは豊かに鳴っているのに、この人が振ると”甘さ”の欠片(かけら)もない。いやむしろ”渋い”とさえ。昔々、村田武雄さんが「威風堂々とした独逸的な」なんてFMで話していたけれど、いや、そう言いたくなる気持ちもわからなくもない。慌てず、騒がず、諄々とアツく、盤石の歩みで、まさにオーソドックス。重心は低いがリズム感が明快。と手放しの賞賛だったが・・・6年経ったらすっかり感覚が変わってしまって、ちっとも楽しくない。なんか、全然フツウ。そこが良かったはずなのにね。そもそも作品に以前ほどの共感がなくなっちまったのか。罰当たり傲慢野郎だ(=ワシ)。心身とも調子のせいか。
どこかで仕切り直します。反省。
●2009年12月某日
土日おとなしく、どこにも外出せず体調快復を狙ったが、軽い風邪症状に変化なし。悪化しなかったことだけでも良しとせねば。熱は出ていないし、咽の痛みもほとんどなし、やや頭痛があるくらいだけれど、不快な気分ではない。悪化させぬよう今週いっぱいを乗り切りたいものです。今年もあと25日で終了。オークションは、思わぬものに入札があって(いくら安くてもダメかと思っていたんだけれど)今週末は久々の送付作業になりそう。休日どこにも出掛けないのは、ほぼ習慣になっていて(最近、いくら暖冬でもそれなり寒いし)パソコンで遊んでおりました。
いつだったか、ベルリン・ドイツ交響楽団のサイトにて前音楽監督であるケント・ナガノ(現在はインゴ・メッツマッハー)の音源を気前よく放出して下さったことがありました。著名交響曲ばかり5曲分、.mp3でダウンロード。一通り聴いたけれど、旧態なCD好きのワタシとしてはイヤホンのみ、というのはちょっと寂しかった。得意の.wavファイルにデコードをすればよいのだろうが、長大交響曲が一本のファイルになっていて、手が付けられなかった。理論的にはファイル分割すればよい、と考えていたけれど、昨日棚整理していたら件の保存用CDROM発見〜ファイル分割を実行してみることにしました。UniteMovieというフリーソフトがあって、短い動画ファイルやら、音源を簡単に結合できるんだけれど、ダウンロードして解凍したら「分割ソフト」も同封されております。これが使いやすい。.mp3だったらちゃんと分割できますよ、とのこと。
Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団(2006年)・・・無事、4楽章分ファイル分割できて、.wavファイルにデコード、無事自主CD化なりました。音質も良好。先日、シモーネ・ヤングの新鮮きわまりない演奏を聴いたばかりだけれど、遅めのテンポ設定(CD1枚に収まらない)、イメージとしては巨匠世代の悠然たる味わいに溢れてスケール大きく、オーソドックスな伝統墨守の良さが出ていると思います。ベルリン・ドイツ響は良い意味で洗練されていなくて、いわゆる”独逸の音”がしますね。アンサンブルの集中力はお見事、これはケント・ナガノの統率力なのでしょう。
Prokofiev ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16〜ヤコブ・ザーク(p)/クルト・ザンデルリンク/ソヴィエット放送交響楽団(1952年?)・・・(時間切れ)
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暖冬と油断し、コートも着ずに出掛けたのが運の尽き、風邪症状悪化しております。マズいなぁ、ちょいと胃腸に来ている感じ。このまま坂道を転げ落ちるように悪化しちゃうのか、困ったね。通勤音楽には、Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団(2006年)・・・最終楽章再び。イヤホンで確認すると、さすがに高音の鮮度が落ちている(なんせ.mp3→.wavへ変換してるから)が、中低音はわりと充実しております。1951年生まれ日系亜米利加人指揮者が、所謂独逸的磐石なオーソドックス伝統的な表現、かなりの遅いテンポは壮絶であります。嵐のような感銘有。
ベルリン・ドイツ交響楽団とは旧ベルリン放送交響楽団(西)であって、ギュンター・パッシンの明るく、滑らかで、夢見るようなオーボエの記憶が懐かしい。もう退団したとのことだけれど、きっと弟子筋が演奏しているんじゃないでしょうか。彼の音色をちょっぴり思い出しました。
Prokofiev ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16〜ヤコブ・ザーク(p)/クルト・ザンデルリンク/ソヴィエット放送交響楽団(1952年?)・・・件の協奏曲100枚組ボックスより55枚目。けっしてお気に入りとはいえぬ作品だったが、硬派で難解、やや破天荒なる楽想は、端正で落ち着いたタッチのピアノでしっかり表現されます。こんな”わかりやすい”作品”だっけ?聴けば聴くほど、滋味深い安定感があって・・・妙に記憶がある・・・そうか!「ザ・ソヴィエット・イヤーズ 1947-1955」6枚組(HDN HDN0017)に収録されていたとは。ダブり買いだけれど、こうして作品を再認識できたら悪くないかもね。
●2009年12月某日
金曜日遅くに出張より帰宅、土曜日は午前中通院で時間がつぶれたのに、なぜかしっかり休んでいる、といった実感ある日曜の朝。精神(キモチ)的なものか。やや風邪気味だけれど、数ヶ月前まで続いていた”体調不快感”はありません。来週は出張もないし、途中代休消化もあるし、悪化させないことに気を付けましょう。オークション出品は、もう少し入札が増えて、アクセス状況から売れ残りの予想も立ってきました。動きがあるうちはけっこう愉しいものですよ。
昨日到着した計120枚のCDへの雑感を〜まず、安くなった。120枚買って@100ですもん、計12,000円也。実際はダブりがあってムダなんだけど、それはオークションにてぼちぼち処分いたしましょう。「MEISTERKONZERTE100枚組〜the master of music」100枚は、一枚当たりの収録がちょっと短めだけれど、それが音楽聴取にはかえってよろしい。なんせ集中力落ち気味なので。昨日は女房殿実家に行っていて不在、ということもあって音楽三昧、このボックスからも数枚拝聴いたしました。音楽は嗜好品なので、基本、同じもの、似たようなものばかり聴いたってかまわない。でもね、未知の音楽、苦手系作曲家、初耳指揮者演奏家、噂ばかりで実際に耳にしたことがなかった音源に接していかないと、”精神の鮮度”が保てない。いくら好物でも、ずっと同じものばかりだと飽きるのと一緒です。(基本の和食は毎日食して当たり前だけれど、そんな音楽もある)自分の嗜好の軸をしっかり確認するということ。
それに、嗜好はどんどん変わるもの。”至高の名演!”、”究極の一枚”という論議はまだあるのかな?ワタシなんかエエ加減だから、音源評価なんかコロコロ変わりますよ。その音楽と接したときに、お仕事でオモロくないことが重なっていた、とか、凄い頭痛だったとか。世評なんかどーでもよくて(流行やら人気を確認するのは良いだろうが)自分が好きだったらそれで良いんです。但し、ネットに出すのだったら、人に語りかけるのなら”良い”、”ダメ”だけではどーしょーもないけどね。(なかには☆の数のみでコメントしている人もっ!)
つまり、結論的に音楽の楽しみを広げる、もっと幸せになる!ために”CDオトナ買い”をした、といった(醜い)言い訳でございます。
Shostakovich 交響曲第5番ニ短調〜アレクサンドル・ガウク/ソヴィエット国立放送交響楽団(1957年ライヴ)・・・この人はムラヴィンスキーやスヴェトラーノフの師匠筋に当たる人だけれど、1963年に亡くなっているし、露西亜音源の出口関係やら、知名度的な問題もあってあまりCDが出ておりません。YedangClassicsでいくつか聴いていたが、まとまった音源が10枚分出ていたので今回入手の決意をしたもの。エエ顔してますよね。昔の地方都市の土建屋の社長みたいだ。こどもの頃、散々聴いた挙げ句、現在ではもっとも苦手となった著名作品をしっかり拝聴。
50数年前にしては、ちゃんと鑑賞に差し支えない水準のモノラル録音、テンポはやや遅めに感じるが、ザンデルリンクに比べればタイミングはやや短い。知名度ある名曲に対する気負い、ものものしいリキみ、みたいなものは感じられなくて、あわてず意外と冷静かつ精密+時代のスケールはちゃんとあります。ライヴだから、アンサンブルの縦線のずれなど散見される(のが良いじゃないの)けれど、期待通りの露西亜風びろびろの金管(とくにホルンは泣けるほど妖しいでっせ)大爆発はあるけれど、そうクサい演奏ではない。終楽章ありきたりのフィナーレ(ここの疾走は文句なくアツいよ)迄たどり着いた結論=不覚にも感動してしまいました。盛大なる拍手有。罰ゲームとして「革命交響曲」連続5本聴きを命ず!という指示には乗れないが、タマにだったら悪くないのではないか。
フィル・アップはRAVHAMNINOV 3つのロシア民謡 作品41/カンタータ「春」 作品20(1956年)〜エフゲニー・キブカロ(br)/モスクワ放送合唱団。こうした初耳作品に出会えるのも、”オトナ買い”の余禄であります。荘厳で幻想的、かつ懐かしい旋律、言葉はわからんでも、雰囲気はじゅうぶんに堪能できます。
●2009年12月某日
しばらく演奏会に行っていないので、ご近所ホールにでも、と考えていたけれど、日程を一週間間違っておりました。風邪症状が悪化せぬようおとなしくしておきましょう。インフルエンザではないと思う。今朝、オークションに2件入札があってほっとしたところ。この調子でずんずんと売れていただきたい。スヴェトラーノフのMahler 全集を出品したのは、昨日、出張移動時の拝聴の結果最終決断となります。
Mahler 交響曲第6番イ短調〜エフゲニ・スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団(1990年)・・・もの凄い爆演!との世評高いが、音質がいまいちだし、なにより演奏も繊細精密さを欠く印象があって、世間の賞賛に賛同できません。数年前(2006年7月)、単発で所有していた何曲かをオークション処分して全集入手、なんどか聴いてきたが、残念ながら”お気に入りMahler ”に至らず。この間、クーベリックをリファレンスに、バーンスタイン(新録音)、ハイティンク、ノイマン、シノーポリを拝聴して、いずれ各々の持ち味を堪能してきたが、スヴェトラーノフの個性が嗜好に合わない、求めているものが異なる、ということです。オークションに数点彼のCDを出品しているが、全部が全部気に入らない、ということじゃないですよ。けっこう棚中には彼の遺産が残っております。
エミール・タバコフの全集には、オーケストラの弱さはあるけれど誠実な感動があったし、音質がよろしい。ジョージ・ショルティの全集はことし2009年8月に(再)入手していて、自分の望むべき方向嗜好とは異なるが、その体育会系個性は尊重して拝聴いたしました。英DECCAのマルチマイク録音は近代管弦楽の精華のような作品には効果的であります。スヴェトラーノフがどうのこうの、云々する前に”そんなにたくさん持っていても、そうは聴けんのだよ”ということだね。
Shostakovich 交響曲第13番 変ロ短調「バビ・ヤール」〜ユーリ・テミルカーノフ/ソヴィエット国立アカデミック交響楽団/グレゴリー・セレツネフ(b)(1983年ライヴ)・・・Beeやんとは別な意味で、もっとも苦手とする作曲家だけれど、今回オークションに自演のピアノ協奏曲を出品したのは、ダブり処分であって、すべてダメというこじゃありません。「バビ・ヤール」は知識としてはちゃんと聴いていて、しかし共感できた試しがない。今回だって出張直前に「テミルカーノフ」10枚組ボックス(2008年1月現相場より1,300円程も高く入手!残念)からテキトーに取り出しただけ。
これが予想外、実際上”初の感銘”ありました!ライヴ故の印象もあるんだろうが、室内楽的な集中力があって大柄な響きを強調しない。チューバの低音があちこち、まるでソロのように出現されて、衝撃的。鬱陶しくも暑苦しくも強面バスと、モノクロ印象の強い男声合唱団にはリズミカルな掛け合いがあって、怪しいノリ有。稀に優しい旋律が登場(第5楽章「出世」に於ける木管や弦)して、その対比に癒されます。妙なユーモアも感じます。
今朝、同曲をキリル・コンドラシン/モスクワ・フィル/アカデミー・ロシア男声合唱団/ヴィターリ・グロマツキー(b)(1962年12月20日モノラル録音)にて再確認。爽やかなる朝に聴くべき音楽でもないが、この作品を掌中に収めつつある手応えありました。音質は良好。この全集も安いですね。
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朝一番で耳鼻科へ、雨模様のせいか意外と空いていて、そのまま整形外科で左膝リハビリ(マッサージ)もお願いして午前の部終了。微熱っぽいので、自宅でおとなしくしております。二日前の夜に衝動買いしたCDセット到着・・・やっちまった・・・ようやくCD在庫も減ってきたのに、物欲も枯れてきたのに、一気120枚到着のオトナ買い。なんと罰当たりか!「MEISTERKONZERTE100枚組〜the master of music」100枚で8,519円也。ざっと見、完全ダブり(既存所有)が6枚分ほど。なんせ歴史的録音ばかりだから、今年2009年初頭に処分したものを含めると更に10枚分くらい増えるんじゃないか。
さっそく一枚拝聴。Bizet/Waxman 「カルメン」幻想曲(ヤッシャ・ハイフェッツ(v)/ヴーアヒース/RCAヴィクター交響楽団1946年*早速ダブり)/Dukas 魔法使いの弟子(フェレンツ・フィルッチャイ/コンセール・ラムルー1952年*これもダブり)/Berlioz序曲「ベンヴェヌート・チェルリーニ」/序曲「海賊」(シャルル・ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団1946/48年)/ハンガリー行進曲(フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン・フィル1953年*これまたダブり)・・・なんやねん、この一枚シャルル・ミュンシュだけが初耳か。ワケのワカラン”仏蘭西ものコンピレーション”だけれど、RCA、英DECCA、DGの寄せ集めであり、音質の個性(とくに音量の違い)が気になります。つまり「カルメン」幻想曲の音量が大きく(演奏は壮絶)、次の「魔法使いの弟子」が小さい。ミュンシュの録音はさすが英DECCA、けっこう聴きやすい音であり、優雅でヴィヴィッドな勢いを誇りました。ハンガリー行進曲はオーケストラの威力抜群です。
BBSにて宿題をいただいていたNMLのハイティンク聴取の件、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ベルナルト・ハイティンク/シカゴ交響楽団(2008年)・・・収録音量が小さくて様子がわかりにくい?と思っていたら、第1楽章最終盤とか、終楽章ではけっこうな迫力で、これがナマの印象に近いのかも知れません。シカゴ交響楽団のサウンドは硬質怜悧であって、これがシカゴ・オーケストラホールの音なのかも。ハイティンクはいつもながら、飾りの少ない自然体の表現が入念だけれど、おそらくはオーケストラの印象で以前ほどの感銘を感じない。アンサンブルの集中力は磨き上げられ、クールな抑制とここぞというところの爆発にも不足はないが、ヴェリ・ベストとは感じない。体調のせいかな?
●2009年12月某日
本日は10時過ぎのサンダーバードに乗ればよい日程なので、職場へ顔は出さず金沢へ直行します。珍しい余裕の金曜朝なので、久々ちゃんとサイト定例更新済・・・だけれど、内容やネタはいかにも手抜き、というかやっとこさ、状態。ところで、先月一ヶ月止めていたオークションを再開することを決意いたしました。昨夜、HMVの通販サイトを眺めていて、久々のごっそり注文を掛けちゃいました。昨夜のグレン・グールドも含め、ちゃんと聴けていないCDは大量にあるのに、それでも「CDを購入する≒音楽を聴く意欲」みたいなところがあって、それはNMLとはまた異なった意味合いが(勝手な思い込みだけれど!)あるんです。
昨夜のニュースによると、統計を取って以来、冬のボーナスは最大の落ち込み幅、支給される人も百万単位で減っているとのこと(団塊の世代が引退したこともあるのだろうが)。ワタシは(少なくとも今年は)それなりにいただけることを感謝しなくては。たしか支給は来週だっけ?なんせ、銀行→女房殿直行なので。それとは関係なく、”CD在庫総量抑制計画”に沿って、世間のクラシック音楽ファンに格安音源供給活動を再開しなくっちゃ。昨夜、体調怪しかったが今朝悪化していないようなので、本日これで乗り切って、明日午前中(いつもの耳鼻科)通院。
ここ数日聴いている、NML音源は引き続き Messiaen トゥランガリーラ交響曲〜岩城宏之/メルボルン交響楽団/原田節(オンド・マルトノ)/木村かおり(p)(1985年)・・・たしか、岩城夫妻はMessiaenと交流があったし、木村かおりさんはスペシャリストだったと記憶しております。今年2009年は待望の生演奏を聴けたし、華やかな宝石箱をひっくり返したような作品は大好きです。小澤征爾(1967年録音当時若手)の精密かつ前のめりの勢いに溢れた演奏も素敵だけれど、こちらヴェテランの余裕、優雅な表現で、音楽の構造が抜群にわかりやすい。二人のソロ(生体験すると理解できるが、実際は多人数の打楽器群が大活躍する)の動きが前面に出ていて、瑞々しくも平易な表現であり、なにより愉しい!けっこういろいろと聴いてきたが、これはヴェリ・ベストじゃないか。オーケストラも絶好調の鳴りっぷり。
Saint-Sae"ns ピアノ協奏曲第2番ト短調(フリッツ・リーガー/ローザンヌ室内管弦楽団1976年)/Liszt スペイン狂詩曲(1974年)/Brahms 奇想曲第1番ニ短調/間奏曲第1番イ短調/第2番イ長調 作品118/奇想曲第3番ト短調/間奏曲第1番 変ホ長調 作品117/奇想曲第7番ニ短調/Rachmaninov 前奏曲第4/8/12番/練習曲第2/3/5/6番(1995年)〜ミヒャエル・ステューダー(p)・・・2008年春に購入した6枚組でして、日本では知名度薄いが、落ち着いてしっとりとした”間”を感じさせるタッチが魅力です。リンク先ではMozart を絶賛されているようだけれど、歴史的異様にアツい演奏別格として、このSaint-Sae"nsほど力みのない、素直で美しい演奏はそう聴けるものではない。Brahms の内省的な作品はほぼ理想的な落ち着きがあるし、Rachmaninov の洗練は他ではちょっと聴けない。
なかなかエエもんでっせ。
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体調ちょっと怪しく、朝、葛根湯ドリンクを服用して出発。車中ではほとんど眠っておりました。こりゃアカンな、とは思ったが、熱心な打ち合わせをしているうちに快復。帰りは少々マシになりました。このまま悪化しないことを願う・・・移動中はちゃんと音楽聴きましたよ。
Vaughan Williams 南極交響曲(交響曲第7番)/第3番「田園交響曲」〜アンドルー・デイヴィス/BBC交響楽団/女声合唱団/パトリシア・ロザリオ(s)(1990年〜96年)・・・ワタシはこの作品が大好きで、それはほんのこども時代から。でもね、曖昧で茫洋として混沌、難解な作品に間違いないと考えてまいりました。しかも、このコンビはひときわジミで控えめなサウンドでしょ、ところがっ!精緻なアンサンブル、メリハリはっきりとして、作品の姿が非常に明快です。もともとは映画音楽なんだけど、われらがアンドルーはしっかりとした”交響曲”としての構成を作り上げております。ま、サウンドはジミのままなんだけど、きらきら表面的ではない色彩がちゃんとあって、こりぁエエ作品だな、と手応えも感動も充分。パトリシア・ロザリオって、目をつぶって聴くとまるで雪女伝説ですね。
Beethoven 交響曲第1番ハ長調/第8番ヘ長調(1958年)/エグモント序曲(1949年)/序曲「レオノーレ」第3番(1959年)〜ジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団・・・LP時代からお気に入りでした。ック。当然、コンサートでは演っていたんだろうが、録音はステレオでは「英雄」とこれくらいか。音質印象もあってか、軽量でスリムな演奏であって、スケールも小さい感じ。スッキリしてますけど。ワタシの”Beeやん苦手病”を克服させて下さるほどのインパクトはありませんでした。残念。
今朝、オークション再開。帰宅して様子を見たけど、ほとんどアクセスもないといった”大不況”状態です。良心的価格なんだけど・・・他の方の出品も入札が少なくて、状況深刻です。
●2009年12月某日
明日は午前中通院の予定で昼頃金沢に出発なので、提案書資料作りは本日で完了必須。これが終われば次、とキリがない。大小様々なる突発トラブル処理はもちろん有。特別にコメントしているのはある種”特命作業”であって、日常業務は別途に存在しております。それは条件反射・延髄でこなしていて、どこまで進んでいるか、の自覚さえない。実務処理をして下さる派遣さんに「抜け漏れがあったら指摘してくれ」とお願いして、目の前に提出される”宿題”を粛々とこなすのみ・・・といった体系を作ったのは自分です。職場では”パソコン技量”を誤解されていて、皆相談にくるが(けっこうな比率で解決するけど/昔のテレビが映りが悪いとハコを叩いたりしたじゃないですか、あんな感じ)じつはEXCELなどほとんどワザは使えない。最低限のみ。ま、ACCESS使える人は滅多にいないからね、これはツブしが効きますよ。サラリーマン寿命がちょっと延びました。タッチタイピングなんか全然ダメ、キータイピングは二本指しか使っていない・・・
ワタシが知っているのは「こういったことはパソコンが得意/不得意」「類似の作業は合体させて繰り返さない」「趣旨を思いついたら、もっとも合理的な作業手順を組み立てて、委託する」・・・あとはていねいにマニュルを作る、あとは職場内趣旨徹底ですよ(これが一番難しい)。以前の職場でもそうだったが、派遣さんはスキルをアップさせて、他のところに再就職しても使えるようになります。大阪異動3年目、ようやく出張先より遠隔操作で資料を取り出したり、作業依頼ができるようになってきました。”パソコンができる”ということではなく、”お仕事のためにパソコンでなにができるか”がキモ。
大切なのは、考えること、アイデアを絞り出すこと、ノーミソに汗をかくこと。それ以外は”お仕事”ではなくて、”作業”と考えております。自分の不手際棚に上げて、あくせくしているのを”仕事”と誤解(またはパフォーマンス)しているのが多すぎ!閑話休題(それはさておき)
昨夜の続き、Bartok 管弦楽のための協奏曲〜岩城宏之/メルボルン交響楽団・・・「春の祭典」が予想外の好演だったので、これも期待したんだけれど、まず音質が少々落ちます。(録音年は不明)難曲続きであって、「春の祭典」ではメルボルン響の力量に驚いたものだけれど、こちらはリズムのキレ、各パートの精緻正確な技量+洗練された歌という点で期待ほどの水準に非ず。残念。
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先週土日一緒だった息子がインフルエンザとのこと。伝染ったか?昼過ぎからどーも体調が怪しい。お仕事は順調で、かなりの苦戦を予想した資料作りや、来年度取引先と契約内容点検、検索システムの改訂・・・順調に消化。明日、金沢往復だけど大丈夫か?
通勤音楽はMahler 交響曲第3番ニ短調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル/ニューヨーク・コラール・アーティスツ/ブルックリン少年合唱団/クリスタ・ルートヴィヒ/フィリップ・スミス(ポストホルン)/ヨセフ・アレッシ(tb)/グレン・ディクテロウ(v)(1987年)・・・2枚目ラスト迄。結局、第1楽章のみ少々出足が鈍かっただけで、第2楽章以降ホルンの厚み、クリスタ・ルートヴィヒの深み、少年合唱団の元気で無垢なる躍動、そして万感胸に迫る最終楽章の弦〜どれも絶品でありました。ワタシはこの長大なる作品を愛します。
帰宅して聴いたのは、「Slaughterhouse-Five」と題されたアルバムで、1972年映画化されたときの音源らしい。Bach ピアノ協奏曲第5番 BWV 1056(ゴルシュマン/コロンビア交響楽団1958年)/ゴルトベルク変奏曲 BWV 988〜第18変奏/第25変奏(グレン・グールド(p)1955年)/ブランデンブルク協奏曲第4番 BWV 1049〜第3楽章「プレスト」(カザルス/アレクサンダー・シュナイダー(v)/ルドルフ・ゼルキン(p)/マールボロ音楽祭管弦楽団1964年)/ピアノ協奏曲第3番 BWV 1054(ゴルシュマン/グレン・グールド(p)/コロンビア交響楽団1967年)・・・既存音源の寄せ集め也。ゴルシュマンのオーケストラが少々大味といった記憶があったが、さすがオリジナル音源、グールドの知的なタッチとリズムのキレがしっかり感じられて、そんじゅそこら凡百の演奏ではない。リンク先を見るとけっこう難解な作品みたいですね。映画や小説にはあまり興味なし。
●2009年12月某日
2年前、机を隣にしたやつが夜来訪ということで、遅く迄迎撃。今朝は「7」に於けるブラウザのソース表示の設定で時間ツブしてしまって、音楽日誌執筆時間がとれません。挙げ句、その件はクリアできず。今週のサイト定例更新はどーなるのか?微妙です。
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ま、二日酔いですよ、やや。昨夜は開始が遅かったので、夜も遅くなって、フロも入らずそのまま就寝、今朝入浴いたしました。「音楽日誌」は執筆できなかったが、通常通りいつもの時間に出勤、やや頭痛を抱えつつ粛々とお仕事資料作りを進めました。明日で一段落予定、明後日は金沢日帰り往復で先行きの打ち合わせ。
通勤音楽はMahler 交響曲第3番ニ短調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル/ニューヨーク・コラール・アーティスツ/ブルックリン少年合唱団/クリスタ・ルートヴィヒ/フィリップ・スミス(ポストホルン)/ヨセフ・アレッシ(tb)/グレン・ディクテロウ(v)(1987年)・・・前半1楽章のみ。その前に交響曲第10番「アダージョ」(ウィーン・フィル1974年)が収録され、例の如し練り上げられたウィーン・フィルの艶を堪能。そしてニューヨーク・フィルに替わると明らかにオーケストラの色気が落ちる、というか骨太で明るいいつものサウンドなんだけど、どうも期待ほど元気がない、というか抑制気味な表現であることは前回聴取より気付いておりました。山は終楽章にあるんだけれど、今回は聴いておりません。
人民中国製CDプレーヤー(300円)は無事稼働しているが、気のせいか、やや細部の明晰さや奥行きが足りないような気がしますね。手元で操作できないのは不便だけれど、ちょっと鞄を開ければ良いだけ、抜本的な不満ではない。帰宅して聴いたのはStravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜岩城宏之/メルボルン交響楽団・・・以前「ペトルーシュカ」「アゴン」のCDを所有していたけれど、この音源は見掛けたことはなかったですね。録音情報不明(鮮明な音質で残響豊か)だけれど、メルボルン時代だから1974年〜数年後ですかね。有名な「振り間違い事件」がこのオーケストラ、この作品だけれど、繊細で緻密、粗野ではなく、素直で美しい演奏です。この作品にはもっと、圧巻の威圧感があっても良いのかも知れないが、おとなしすぎて迫力不足、ということでもない。打楽器の使い方はひじょうに上手く、全体として洗練されたサウンドに驚きました。
●2009年12月某日
いつもの、おなじみの睡眠不如意。体調そう悪くないし、お仕事進捗やら職場環境人間関係だって問題はなにもないのに、どーも気分的にすっきりしない12月が始まりました。このモヤモヤ感の原因を探らなくては。昨夜セブン銀行のATMで現金入金しようとして拒否されたこと?(原因不明/カード不調か)【♪ KechiKechi Classics ♪】サイト更新用原稿未着手であること?音楽に対する意欲が高まらないから?べつにド残業しているワケでもなし、但し、先週先々週出張連続(その準備もキツかった/合間の日常業務消化も)での気分的余裕のなさはあったのかも知れません。そのまま宿題は継続しているわけだし。
昨日、人民中国製中古ポータブルCDプレーヤー(300円也)デビューは、Bach ゴールドベルク変奏曲 BWV 988〜アンドラーシュ・シフ(p)(1981年)・・・新しい録音が出ているらしいですね。昨年2008年に待望の入手をした12枚ボックスは、世評やら、かつての自らの印象から外れて微妙に気に喰わない。優しく、ゆらゆらと味わい深いタッチ、浪漫(?)に揺れ動くリズム感(とくにゆったりとしたテンポのところにて)がフィットしない。繰り返しを実行して、雰囲気たっぷりの個性を実現しております。でもね、例えばあのもの哀しい第25変奏曲は詩情豊かに、まるでChopin のようにニュアンスたっぷり表現されつつ、基本のリズムに”もどかしさ”を感じちゃう。これを賞賛される方がいらっしゃっても不思議はないけれど、ワタシにはグレン・グールドの、精緻を極めた表現+ノリが脳裏に木霊しておりました。
Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調(1967年)/交響詩「運命」(1970年)/イタリア奇想曲(1987年標記だけれど1970年が正しいらしい)〜エフゲニ・スヴェトラーノフ/ソヴィエット国立交響楽団・・・交響曲は音質が妙で、そのせいか演奏もせせこましく彼らしい豪快さに欠けるように思います。「運命」も同様、イタリア奇想曲は快調な気風溢れる感じでよろしい・・・こんな不満も”モヤモヤ感”の一因か?オークションを復活したくなりました。おそらくは数度聴いて、この先再聴することはないと予想されます。
嗚呼!音楽に対して不遜な態度だ。