Beethoven 交響曲第9番ニ短調 作品125
(デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団/スイス室内合唱団)
Beethoven
交響曲第9番ニ短調 作品125
*第4楽章アラ・マルチア〜フィナーレまでのオリジナル・ゼネラル・パウゼを含んだ版も別収録
デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団/スイス室内合唱団(フリッツ・ネフ)
ツィーザク(s)レマート(a)ダヴィスリム(t)ロート(b)
ARTE NOVA 74321 654112 1998年録音 700円
この作品のあまり熱心な聴き手ではないワタシだけれど、日本人なのでじみじみ年末は第九です。「除夜の鐘」みたいなもんです。各楽章、数種類のCDをひっくり返しつつ、数え切れない煩悩から、できうれば(いくつかは)脱却したい・・・閑話休題(それはさておき)。
以下のもともと掲載文は1999年だから、ワタシのサイト極初期のことでして、ま、素朴というか、いい加減なもんです。(しかたがない)耳学問だけれど、仰々しくスリーヴには「新ベーレンライター版に従った、現代楽器による世界初録音」と謳ってあるけれど、実際はジンマン独自の、かなり自由な解釈がたくさん入っているとのこと。そのことと、出来上がった演奏の芸術的価値は別問題でっせ、もちろん。これぞ新時代のBeethoven に間違いない。
まず録音が非常に優秀です。自然なホールトーンと瑞々しい適度な残響、各パートの明確な定位、かつて聞こえなかった内声部の思わぬ美しい旋律の動き、この作品は意外と優秀録音は少ないそうだから、これは貴重です。ジンマンの軽快なリズムに乗せたノリノリの熱気ばかり目に付くが、じつはチューリヒ・トーンハレ管の、細部表現の微妙な変化がとても楽しい。ええ音鳴ってます。これは「上手いオーケストラ」というだけでは、出せないワザなんです。
ノンヴィヴラートが基本で、各パートも雄弁に歌わないから”単なる素朴”に思われがちだけれど、古楽器では表現できない迫力やら時に重量感もちゃんとあります。他の演奏ならご立派、神聖かつ神妙なる第1楽章「アレグロ」は、なんとなくウキウキするような期待が沸き上がって喜ばしい。第2楽章の強烈な躍動感爆発熱狂(でもどこか知的)は、聴き慣れぬ粗野なティンパニに支えられます。(同じ意味だけれど、ケトル・ドラムと呼ぶと雰囲気出ますか)繰り返しも嬉しい。アンサンブルの技量的(木管を聴いてちょうだい!)には最高の「スケルツォ」。(途中激しいテンポ・アップは楽譜指示ですか?)
サラリとした味わいの「アダージョ」は、涼やかな弦が繊細でした。この楽章は、宇宙の瞑想的な巨大なスケールを感じさせてくださる演奏が多いが、ジンマンは淡々として、じつにそっけない表現。この楽章最大のキモであるホルンだって、全然雄弁じゃない。でも、まるで優雅なワルツのようなリズム感が粋なんです。ここでも聴き慣れぬ木管の歌が新鮮でした。なんと11:31〜通常の良く聴かれる演奏より5分ほど速い。
最終楽章の少人数による合唱。数年前のワタシはそれが不満でした。全然、迫力が足りない。第九は我が日本合唱界の年末祝祭だから、もっと大人数でめでたく演っていただかないと・・・でも、現在のワタシなら正確な音程、抑制とリズム感の利いた声楽アンサンブルが、管弦楽と完全に調和していると感じました。威圧感薄い、親しみさえ感じる冒頭管弦楽。弦によって静かに呟かれる「喜びの歌」〜ファゴットが絡み、やがてすべてのパートが華やかに、繊細に歓喜の思いを呼び交わします。その微細な響きの変化、細部のニュアンスを聴いて下さい。
鋭さの欠片もない、木目の質感を感じさせる管弦楽。ソロも過度に表情を作らず、しかもかなり自由に旋律を揺らせて楽しい。合唱の付点リズムはベーレンライター版の成果ですか?とても爽快。速いテンポでも一糸乱れぬ管弦楽アンサンブル(それは機械的な、という意味ではない)〜それに呼応する合唱団も正確でありながら表情が豊か、これは新時代の合唱です。少人数である不満は、後半に進むほど消えていきました。次はマッケラス盤に挑戦しないと。(2005年12月30日)
1999年前半のマイ・ブームはBeethoven で、せっかく買った珍しい作品のCDが聴けなくて困りました。とにかく、Beeやんをいちどプレーヤーに乗せてしまったら最後、つぎつぎとその関連ばかり聴く羽目になってしまう。200年の歴史の風雪に耐え、現代に生き続けるまさに「古典」。なんど聴いても、鱗は目から何枚もボロボロ落ちる思い。
ジンマンの全集は、その革新的な問題提起、オーケストラの素晴らしさ、録音の上質なこと、価格の安さで最近もっとも話題にすべき録音でした。ナント全集で2,500円〜ワタシは一枚ずつ楽しんで買いましたが〜レギュラーCD一枚分の悦楽。
「第9」は、小学生の時にオーマンディのLPで出会って以来の別格大お気に入りですが、なかなか気に入った演奏に出会えないという不思議な曲なんです。かのフルトヴェングラー様(バイロイト盤)でも、どうもピンとこない。(それだったら戦時中のベルリン・フィルとの演奏の方がずっと感動できる・・・・こともある、体調によっては)
ジンマンの「第9」は1999年4月くらいに買ったはずですが、その「異形」ぶりにあきれ、その後聴いていなかったもの。こうして、改めて聴き直すと新しい発見が次々とあって知的刺激がものすごい。
大曲でしょう、まちがいなく。だからフツウ「いかにも大曲風」に演奏するもんだと思います。スケール大きく、朗々と歌う。テンポもゆったりめがいかにも、ってなかんじ。でも、おそらくそれは浪漫派の洗練を受けた演奏風潮であり、楽器の性能や会場の作りから云っても、作品が生まれた当時の姿とはかけ離れているんではないか、というのが古楽器復興の基本的主張。(違いましたかね)
でも、ほんとうのことは誰にもわからない。それに楽器の性能も会場も、聴く側の人も変わっているから「Beeやんが生きていたら、こう演奏したはずや」という主張も説得力有。ようはするに「自分が感動できるか」というのがポイントで、演奏スタイルのみで粗っぽく分類する時代でもないでしょ。(古い楽器を使えばことたれり、な〜んてね)各々の個性をそれぞれ楽しめる、すばらしい時代と思います。
いつものようにJ.デル・マー版をベースにジンマンが自由に解釈した演奏。快速で、軽快、弾むようなリズムの演奏。響きが素朴すぎて物足りなくさえ思いますね。現代楽器だけれど、奏法は歴史的な影響を受けているようで、ノンヴィヴラート、雄弁にならない各フレーズ。素っ気ない節回し。粗野なティンパニ。重厚からはほど遠い響き。
声楽のソロは充実していて気持ちがよいが、合唱団の人数は少ない。例によって、聴き慣れないフレーズ(ここでは独唱で)が出てきますね。オーケストラは技術的にしっかりとしていて、重厚ではないが安っぽくはならない
・・・てなことは、誰でも気づくことで、もう少しワタシの感想文を付け加えると・・・
深遠なる宇宙からの啓示が降り注ぐ第1楽章・・・・・・・・ではなくて、もっとすっきりとして各パートの主張が明快に絡み合った、かっちりとした音楽。雄弁に歌いたくなる旋律は淡々と進み、かといって木管の優しい歌は繊細そのもの。「えぐり」とか「キメ」とかは無縁で、その落ち着かないテンポにややとまどいながら、やがて細部までよく磨かれた「ノリ」を実感できるようになります。
「ノリ」といえば、第2楽章「モルト・ヴィヴァーチェ」。まさに軽快な「ノリ」。フルトヴェングラー先生やシェルヘンさんの熱狂的な集中力とは、また一風違った弾むような楽しさ。楽器編成のためか管楽器が目立って、いままで知らなかった内声部の音が聴こえてきます。裏打ちのリズムが感じられます。発見。素朴なティンパニが効果的だなぁ。
もっとも浪漫的に演奏して効果が上がる、第3楽章の雄弁な変奏曲。チューリヒ・トーンハレの上質さをあますところなく引き出していますね。例えがナニですが、カラオーケストラであまりにクサく歌うとかえってしらける(オレのことかぁ?)って、あるじゃないですか。早めで揺れのないテンポ、スッキリとした歌い口、(やや薄く感じるが)繊細な弦、管楽器のやさしい響き。その、やや素っ気なくも聴こえる表現の説得力は、むしろ素直に心に染み入ります。
難しい第4楽章。近代的な圧倒的技量を誇るオーケストラで押し倒されるのも悪くありませんが、それを期待するとコケます。やはり素朴、軽量、ちょっと想像つかないかもしれませんが、リズム感命の演奏。奏法や響きは「オリジナル」かもしれませんが、こんな明快なリズムが200年前にあったでしょうか。やはり、現代に生きる演奏なんでしょう。
「喜びの歌」のなんという爽やかで、控えめな幸福感。バスが知的で、若々しい。オーボエとの絡みの絶妙なこと。合唱の響きはずいぶんと薄いが、切れ味は充分。ソプラノ・アルトもヴィヴラートは押さえ気味でアンサンブル重視。
アラ・マルチアのまるで遊園地の行進曲のような軽妙さ、楽しさ。そしてトップ・スピードで高速道路に乗ります。オーケストラ・合唱全開で押し寄せるラスト部分も、あくまで明るさは失わず、威圧感皆無。まるで、ありがちな童話をベースとしたアニメの、フィナーレを思わせる幸福な合唱。
「オリジナル・パウゼ」というのも一興ですが、なまで一度聴きたいものですね。ちょっと、隠し技としては最高です。
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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