2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
2015年も大晦日。
な〜んもしていないような動きの少ない日々も、それなり次への視点の準備となっているのでしょう。現状与えられたお仕事役割の(それなり)深化、安定、成果、女房殿が新しい仕事に踏み出して、苦しみつつ日々いきいきと活動していること、自分は体調の維持やら身辺整理をちょっぴり進めました。昨日昼から女房殿はようやく大阪へ、こちら混みあうご近所ディスカウント・スーパーへ夕食やら珈琲豆、パン、ヨーグルトなど入手へ散歩。あとは音楽三昧、先週先々週選定した書籍は課題が重過ぎて、遅々として進みません。テレビはNHKのドキュメンタリーのみ。自宅では呑らない風習、本日の食事をどーするか?逡巡しつつ洗濯などしております。
ヤフオク(CD)は本日昼を以て店仕舞い、昨夜(おそらく)ラスト入札一個有。パソコン関係は完売です。かなりエエ加減な簡易包装送付のネットブック無事到着との連絡もありました。
2007年に購入した空気清浄機は前居住地・尼崎の排気ガス対策に入手したもの、こちら毎夜星空が美しい空気のキレイなところ、出番はあまりなくなった・・・と思ったら、30年もののマンションは室内全改装済でも収納庫に湿気がこもってカビ?臭いというかなんというか、これがアレルギーの主因かも。オクラ入りしたマシンの再出馬となりました。分解して大掃除、三重構造になったフィルターを洗濯したり、掃除機を掛けたり、日光消毒したり(新しいフィルターを別途入手しているけれど温存中)結果、ネジが一本足りなくなりました。これがとても爽快な気分。
Brahms 交響曲第2番ニ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル(1949年)・・・10年ほど前にダイソーにてシリーズ化され、この録音も聴いておりました。(CDは処分済/露西亜の怪しげサイトより音源まとめて入手出来)この時期からEMIの音質は芳しくありませんね。ここ最近、古楽器系とか若手の颯爽軽快、テンポ速目な演奏ばかり聴いていたせいか、41歳壮年の記録もやや重く感じます。以前は”軽さ(粘着質な重さが少ない)”なんて聴いたけれど、10年経つと印象は変わるものです。但し、語り口の上手さ、老舗オーケストラのコントロールに優れ、音質問題、重さはやがて気にならなくなって、美しい優雅な風情に満足いたしました。順々と語りかけるような第1楽章「Allegro non troppo」〜ラスト終楽章「Allegro con spirito」低弦が奏するD−C♯−Dシンプルな動機がここまで発展するの?驚きの喜び大爆発まで、名曲を名曲としてまとめ上げる手腕に納得。
Mahler 交響曲第7番ホ短調〜ミヒャエル・ギーレン/ルクセンブルク・フィル(2010年2月12日ライヴ)・・・幾種も揃えたMahler 全集中、ギーレンのものは屈指のお気に入り、細部明晰クールな方向が基本嗜好です。それとは別のライヴ、ネットから音源入手したもの。「音楽日誌」にも幾度か登場するから、これは有意義な自主CD化でした。テンポ遅く、全5楽章CD一枚に収まらない。柴田南雄さんで若い頃お勉強したせいか、第2-4楽章の妖しい甘美風情が大好き、このまままっすぐ新ウィーン楽派につながると納得できる静謐な音楽(Nachtmusik)。第1楽章「Langsam (Adagio) 」テノール・ホルンの生暖かい音色が妙に遣る瀬なく、中途半端な感じ、ここはBach 辺りのフランス風序曲(緩-急-緩)の構造なんだそうですね。終楽章「Rondo-Finale. Allegro ordinario」は前楽章「Nachtmusik II」の消えるような風情ぶち壊し!(出来損ないの「マイスタージンガー」風)ギーレンはここを抑制的に冷静に仕上げておりました。
ルイ・ド・フロマン辺りの旧ルクセンブルク放送管弦楽団を思い出せば、このオーケストラもずいぶんとちゃんと洗練されたアンサンブルになりました。やや大味、かなり良好な放送音源也。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜エンリケ・バティス/メキシコ州立交響楽団(2011年ライヴ)・・・これもネットから拾った音源、爆演系バティス(Enrique Batiz, 1942-)が母国でこんな作品演っているんですね。オフマイクっぽくて散漫な音質だけど、まずまずちゃんと聴ける水準。第1楽章 「Andante comodo」神妙な風情はなかなかの出足、意外とやるじゃんと思っていたら、第2楽章以降オーケストラに疲れが出るのですね。優雅なレントラーの足並み(細部アンサンブル)は乱れ、第3楽章 「Rondo, burleske, allegro assai, sehr trotzig」”きわめて反抗的”なところに迫力が足りない。終楽章「Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend」はやや持ち直して、纏綿たる濃厚な表情にてたっぷり歌う・・・
Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜レナード・バーンスタイン/ロンドン交響楽団/合唱団/リーズ音楽祭合唱団/オービントン・ジュニア・シンガーズ/ハイゲート・スクール少年合唱団/フィンチレー児童音楽グループ/エレナ・スポーレンベルク(s)/グィネス・ジョーンズ(s)/ゲニス・アンニアー(s)/アンナ・レイノルズ(a)/ノーマ・プロクター(a)/ジョン・ミッチンソン(t)/ウラディミール・ルジャーク(br)/ドナルド・マッキンタイア(b)(1966年)・・・FMエア・チェックにて全曲拝聴したのはおそらくこの演奏が最初(第1部だけだったらノイマンかも)阿鼻叫喚混沌混迷の渦にワタシは歯が立ちませんでしたよ。CD時代に至って最初に入手したのがジョージ・ショルティ(1971年)〜その硬質強靭強引な響きにいっそう苦手意識が・・・やがて幾星霜、生演奏体験(広上淳一2006年)も経、現在のお気に入りはピエール・ブーレーズとなります。クール明晰なのがよろしい。久々の拝聴は音質はずいぶんと改善され、細部分離はかなりよろしくなった。但し、残響過多に響きが濁るのはあながち音質問題だけじゃなくて、バーンスタインの強烈な煽り、熱狂的な入れ込み、テンポの大きな揺れ、タメ、これはとてもだけど付いていけない・・・ワタシは信者じゃないので。若く体力気力のあるリスナーじゃないと受け止められないんじゃないか。
Holst 組曲「惑星」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル(1971年)・・・いかにも不自然な各パート(マルチマイク録音)にケチをつけたこともあるけれど、当時上り調子35歳の記録、オーケストラは華やかに鳴りきって上手いし、爽快な若者の熱気を好ましく拝聴いたしました。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
お休み初日は自宅にて読書、音楽三昧、テレビは全然オモロなくて、いつものD-Life(BS)海外ドラマを少々。女房殿は急なお仕事呼び出しで一日帰省延長、夜本年ラスト、馴染みの居酒屋にご挨拶に伺いました。(呑むと深夜途中覚醒はパターン)昨日の報道を受けて、日韓関係改善の動きの経緯についての掘り下げが引き続いております。産経新聞元支局長の無罪など、一連の流れとか秋波があるのですね。日本側にとっては喉に刺さった小骨がとれた感じ、むしろ韓国側はさんざん煽ってきた世論をどう収めるか難物でしょう。いずれ隣国とは心底仲良くできなくても、なんとか、そこそこ遣り過すオトナの関係を望みたいものです。ヘイトスピーチなんてとんでもない!
昨日なにを食べたの?それを忘れたらノーミソ危うい〜って云うけど、どんな音楽を聴いたのかいくつか記憶が落ちているかも・・・
Stravinsky バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)/バレエ音楽「春の祭典」〜ヤッシャ・ホーレンシュタイン/南西ドイツ放送交響楽団(1957年)・・・一年ほど前に聴いていて、その印象とほとんど変わらない。ロスバウトの薫陶によって現代音楽を意欲的に取り上げてきたオーケストラも、21世紀当たり前に上手いオーケストラを聴いた耳には(音質さておき)技術的な厳しさが気になります。センスはモダーンなホーレンシュタインでも世代の壁(1898-1973)は超えられないのか、現代音楽の古典はクール、正確なリズムを刻んで初めて”歌”が意味を持つ・・・逆じゃないと思いますよ。それでもこの演奏は時々聴きたくなる。
Brahms ピアノ協奏曲第2番変ロ長調(1965年)/Schumann 幻想曲ハ長調 作品17(1960年)〜ジュリアス・カッチェン(p)/ヤーノシュ・フェレンチーク/ロンドン交響楽団・・・ここ数ヶ月中毒みたいにBrahms のピアノ協奏曲を聴いております。延々と続く憂愁な風情がなんとも云えぬ・・・これはたしかLP時代持っていた?明晰キレのあるタッチを聴きながら記憶を辿っておりました。ジュリアス・カッチェン(Julius Katchen, 1926-1969)は42歳で亡くなって、もったいないなぁ、フツウあと30年は演れますよ。おそらくはロンドンに客演したハンガリーの名匠フェレンチークとの共演が話題となって録音したのでしょう。当時の首席であったイシュトヴァン・ケルテスが故国の先輩を呼んだのか。やや肌理は粗いけど往年の英DECCAの音質はリアルなもの、冴えた技巧、アツい大きな表現に心奪われました。世評を眺めると一部”オーケストラの響きが薄い”とのコメント有、充実したエエ音で鳴っていると思うけどなぁ。
Schumannの変幻自在な旋律(ピアノ作品、室内楽)も大好きですよ。長大な協奏曲に続けて、気まぐれたっぷり甘い旋律を堪能できました。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調〜イディル・ビレット(p)/アントニー・ヴィト/ポーランド放送交響楽団(1998年)・・・先日Chopin を聴いて、20年ほど前の自分の印象とずいぶん離れてしまった〜そんな感慨があった流れ。世評ではCD一枚に収録するため回転を上げて嬰ハ短調になっている!(ほんまか?)そんなコメントも有。(今回は比較対照していないので、絶対音感のない自分には不明)5年ほど前1963年デビューの第3番をかつて絶賛しておりました。この第2番はおそらく初耳、驚いたのは技術的な甘さ。甘美な旋律を誇って稀代の名曲であり難曲、古今東西腕利きピアニストが作品に挑んで、時に技巧ばかり表層を流してオモロない演奏に至ることありました。ビレットはやはり指が回っていない、ムツかしそうな部分になるほど、要らぬ力みや無機的な叩き付けが気になって、一方まったりとした部分での濃厚な表情付けはけっして悪くないもの。続けて第3番を拝聴する意欲は萎えました。音質やらバックのオーケストラはそれなりの味わい。
Respighi 交響詩「ローマの松」/「ローマの噴水」/「ローマの祭」〜ロリン・マゼール/ピッツバーグ交響楽団(1994年)・・・幾度か聴いているはずが・・・仰け反りました。音質が凄い!もともと華やかな近代管弦楽の精華、これは細部までくっきりと、どのパートも明晰に響いた手応えは初めてかも。オルガンは別録りらしくて、その効果はよーく理解できます。ピッツバーグ交響楽団の印象はスタインバーグ時代(1952-1976)硬質かつメタリックな重いサウンド、アンサンブルは剛直ストレートなもの。これが20年経つとすっかり洗練されたスリムな響きに変化して、マゼールは慌てず騒がず、ゆったり目のテンポ(とくに「祭」)微に入り細を穿つ配慮+迫力を以て完璧なコントロール、艶やかなアンサンブルをたっぷり堪能いたしました。
でもね、これだけ種々条件が揃って完全に入り込めぬ感じ有。作品に賭ける灼熱の思いというか情熱?不足か。仮に音質とかアンサンブルが少々甘くても、押し寄せる熱気があれば・・・エエ加減な聴き手の戯れ言なのでしょう。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日午前中に残務をクリアして、昼からお休み(休日出勤代休)といたしました。先週末に中途半端になったものはほぼクリア、一区切りになっても精神的に2015年を終える区切り感というか、ケジメがありません。ふだんからゆっくりしているから?数年前まではいつも切羽詰まって緊張していたからなぁ、お休みに入ったら終日眠かったような記憶ありますよ。せっかくのボーナスをいただいても、欲しいものはにもない、みたいな感じ。
吉越浩一郎「定年が楽しみになる生き方」(WAC文庫)・・・吉越さんの「デッドライン仕事術」は自分の仕事に大きな影響を与えたと思います。(野口先生の「「超」整理法」と並んで)お仕事は短期中期締め切りを決めて、快速クリアさせること。一流企業のトップと場末の裏寂れたサラリーマン末期の自分とでは天と地ほど違うけれど、狭いオトコ社会の頑迷な先入観を一掃して家族とか地域社会とか、女性の柔軟な発想に学ぶという点で参考になる良書、事例がエグゼクティブやら仏蘭西人の奥様との関係とか、前提が違ったとしても。カスタマーレビューはどれも秀逸、曰く「定年後の人生は「余生」でなく「本生」」。定年時年収3000万円以上、役職は有名企業の役員以上、海外体験豊富な人が対象読者。庶民は対象外〜「豊かなサラリーマンの必読書」と揶揄しているように見えて評価は最高ポイント、そりゃ自分の境遇に100%フィットした書籍なんてこの世に存在しませんよ。どう咀嚼して、エッセンスを学べるかでしょう。
浜田寿美男「心はなぜ不自由なのか」(PHP新書)・・・これは一筋縄ではいかぬ、うかつにコメントしにくい”深い”内容、しかし極めて平易な語り口、事例提示のリアルさに於いて興味深い一冊。時間を掛けてゆっくり咀嚼して、再度初めから読み直したいくらい。著者は団塊の世代、学生運動の闘士?逮捕歴もある大学教授(発達心理学者)とのこと。「取調室のなかで「私」はどれだけ自由か」「この世の中で「私」はどれだけ自由か」「「私」はどれだけ自由なのか」の三部からなって、講義録の文書起こしらしい。人間心理のありかたから「自白=冤罪」が生まれる分析、それは拷問とかそんな単純なものに非ず、そこから発展して「羞恥心」の所以、視点の変換(腕や指に欠損のある学生、自閉症のこどもを一緒に授業に参加させた事例がリアル)「明日」と云う概念が不安や希望、行動の選択を生み出すこと・・・題材が重過ぎて売れんやろなぁ。不勉強な学生だったワタシは、こんな勉強だったらもういちど学びたい、そんな知的刺激を受けました。
Mahler 交響曲「大地の歌」〜ダニエル・バレンボイム/シカゴ交響楽団/ヴァルトラウト・マイアー(ms)/ジークフリート・イェルザレム(t)(1990年ライヴ)・・・ライナー、ショルティと著名な録音を残したシカゴ交響楽団、Wagner歌い二人を揃えて、悪かろうはずがない一枚。自慢の金管に強引な風情はなくて、整ったアンサンブル、厚みのあるエエ音で鳴ってますよ。第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」から、いかにもヘルデン・テノール、勇壮朗々とカッコ良い!Mahler ならではの陰影とか厭世、無頼に非ず、これはユリウス・パツァークのイメージ刷り込みかかも。第2楽章「秋に寂しき者」に於けるマイヤーもWagnerでっせ、凛として立派な。ほの暗い深みも感じさせます。第3楽章「青春について」は一番好きな旋律、テナーはちょいと生真面目(上手)過ぎか。第4楽章「美について」の歌には気品があり、途中の「馬を駆ける若者」には爆発が足りない。
第5楽章「春に酔える者」はヴァイオリン・ソロ、フルートが存在を主張し、歌と絡み合って美しい。ラストは少々力み過ぎかも。第6楽章「告別」オーケストラが素晴らしく明晰、マイヤーの歌も発声も凛として立派、ほの暗い深み、気品、同じ賞賛を繰り返したくなるもの。この楽章のクリアなわかりやすさは、かつて経験しなかったもの。
Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」〜ダニエル・バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン(1999年)・・・世評は高くても、彼の(旧)全集には手が伸びなかった!のは、基本、嗜好は古楽器系、快速なテンポ、軽快リズミカルな演奏を期待したいので。フルトヴェングラーの影響云々は、ここ10年以上本家を聴いていないのでなんとも?遅めのテンポ、じっくり歌ってフレージングもしっかり、昔馴染みオーソドックスな世界が繰り広げられました。スウィトナーのオーケストラ、といったイメージのあるオーケストラ、金管が目立たぬ墨色のサウンドはイメージ通り、例えば第2ヴァイオリン、ヴィオラの中低音も充実して、地味渋サウンドに至ります。目新しさはないけれど、最近この方向であまりBeeやんを聴かぬから、妙な安心感、安定感有。時に響きが濁るのはこのオーケストラの特質なのか、音質のせいなのか不明、直前にシカゴ響を聴いていたし、このオーケストラって技術的に凄く切れるものではないな、といった印象もありました。(それが悪いということじゃないけど)木管の質実な味わいは屈指のもの。終楽章の感謝と祈りがしっかり伝わる温かい朴訥さ。
Bach ブランデンブルク協奏曲全曲〜ラインハルト・ゲーベル/ムジカ・アンテクヮ・ケルン(2003年)・・・2015年末も押し迫って、昔馴染みの音楽ばかり。第3番ト長調BWV1048第3楽章「Allegro」やら第6番 変ロ長調 BWV1051の超快速が目立つけど、そこは主眼に非ず。散々古楽器演奏を聴いて、MAKも解散して、かつてのアクロバティック過激演奏もそうは感じなくなりました。溌剌とした躍動はじつは生真面目に統率されて、伊太利亜系の自在な歌とは少々テイストが異なるもの。ハーツェトテットのフルートはドキドキするほど、深く地味な音色、アンドレアス・シュタイヤーのソロ(第5番ニ長調 BWV1050)は存在感を主張して瑞々しい音で鳴り続けました(録音のマジック?)。
昨夜、抗アレルギー剤を睡眠薬代わり(副作用がキツいんですよ、自分には)に早々に就寝、5時過ぎには目覚めて久々ご近所ウォーキング+ストレッチ。Bartok 管弦楽のための協奏曲〜アンドラーシュ・リゲティ/ハンガリー放送交響楽団(1993年ライヴ)・・・ネットより入手した放送音源。NAXOSの協奏曲伴奏に多く登場する指揮者の詳細情報(1953-)は探せません。音質はオフ・マイクに音像遠く、残響過多。ほんの聴き流し、様子はあまり理解できませんでした。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
さてラスト出勤日、かなりお休みメンバー多くても定例ミーティングはあるみたいだし、残務整理して昼から帰るつもり。今年の寒さは例年ほどじゃなくて、昨年の雪が夢のよう、北海道は当たり前に雪みたいですね。数日後に訪問するけど、身支度に気をつけましょう。女房殿は明日より大阪、老母が一人待つ実家に帰ります。昨日、ようやく年賀状送付、オークションにて落札されたミニ・ノートパソコンは郵便局まで片道15分ほど、しっかり坂道を往復して送付してきました。あとは引き隠ってゆっくり、一旦区切りをつけたはずのDVD保存(ハードディスクにもかなり残っている)音源整理をしておりました。再生不能音源発見したり(=いちども再生してない)思わぬ発見があったりのヲタク趣味であります。
女房殿の事務所より「Windows10にしたら動かなくなった」ノートパソコン対応依頼有。半年ほど前、信じられん量のスタートアップ・ソフトに身動きできなくなったもの(オススメされたものはすべて受け入れる!)たしかに、起動してパスワード入れるところでフリーズしております。「クリーンでLinux入れるか?」と光学ドライブを開けたら・・・映像用のDVD出現〜こいつを中途半端に読み込んでいたかも。取り除いたら無事起動して、ちゃんと以前の環境そのまま「10」になっておりました。機嫌と余裕のあるときはレジストリとか、要らぬファイルのゴミなんかを一通り掃除してあげるんだけど、デスクトップの無定見なファイルを一箇所に集めただけで、そのままお返ししました。
手数料五千円!と云っておきましたよ。業者に出してみ!もっと取られるから。タダちゃいまっせ、こんな点検も。
Dvora'k 交響曲第8番ト長調〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(1981年)・・・紆余曲折あって全曲揃えて、結局聴いていない(と思う)というか、どんな演奏だったか記憶もなし。懐かしい(p)1991の国内廉価盤(徳間/新星堂SDS-1)には若干の不満はあっても、きっと元音源はちゃんとしたものなのでしょう。切々したチェロの序奏〜溌剌快活とした爆発に至る第1楽章「Allegro con brio」、第2楽章「Adagio」はありきたりな緩徐楽章に非ず、ちょっとユーモラスな美しさ有。泣けるような哀愁が切ない第3楽章「Allegretto grazioso - Molto vivace」ワルツもラストは大きく盛り上げて終了し、終楽章「Allegro ma non troppo」は冒頭チェロ主題が次々変奏され、金管の絶叫に至る・・・愉しい作品。バランス感覚とか、旋律の歌わせ方、充実したオーケストラの響き、世評の賞賛に間違いはないけれど、ローカル素朴な懐かしさみたいなものとは違うみたい。
念頭にはノイマン/チェコ・フィル辺りがあるのかな?ジョージ・セルのでも”懐かしい歌”は感じたはずですよ。所謂、独逸系のようできた演奏でしょうか。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
先週体調を崩して中断したスポーツクラブ、水曜夜もエアロ・バイク45分のみで退散したので、久々のエアロ・ビクス(超・初心者向け30分)復活させました。前日深酒にはこれが必須、夜、抗アレルギー剤を睡眠薬代わりに鼻水を抑えてしっかり眠りましたよ。昼過ぎケータイに緊急メール有、取引先への納品ミス対応の相談、仕方がなく小一時間ほど出勤、これも年末に相応しい小さな事件、ついでに机の上に回された残務もちょちょいと処理しておきました。
先月復活させたヤフオクは、2015年大晦日を以て終了予定。今週締め切りはボウズかな?諦めていたら今朝、7年もの?ネットブックAspireOne(CM-2)中古入手金額▲送料にて落札されました。2年間Linuxでしっかり遊んで悔いはありません。ここ3年出張外出の機会もほぼなくなって、小さなモバイル・パソコンも必要なくなりました。20年にわたった”お仕事作業持ち出し環境”(自主的に/今となっては情報流出が危ういもの)は既に業務用ウルトラブックにて(当たり前に)実現され、逆にお仕事そのものがそんな必要性を失いました。もう一件、CDにも締め切りギリギリに動き有、ありがたいことです。
Mahler 交響曲第3番ニ短調〜リッカルド・シャイー/コンセルトヘボウ管弦楽団/ペトラ・ラング(ms)/プラハ交響合唱団/オランダ児童合唱団(2003年)・・・長大なる大曲は若い頃より大好き、ところが第3楽章が終わったところで休憩を入れないと集中力、体力が続かない・・・閑話休題(それはさておき)
なんと美しい作品、コンセルトヘボウのマイルド温かいサウンドを活かして、中庸なテンポは穏健に、よう歌うステキな演奏でした。切迫感やら情感込めすぎ!情念、みたいな方向とは縁は遠く、豊かに、たっぷり鳴り響いて仕上げ極上、惚れ惚れするような管楽器の音色、英DECCAの音質も賞賛されるべきでしょう。第5楽章「快活なテンポで、大胆な表出で (Lustig im Tempo und keck im Ausdruck.)」に於ける児童合唱、女声合唱の音色、響きの違い、個性をしっかり、クリアに聴き分けられるのも意外とないもの。この楽章、天使の歌声は一番好きですよ(「カッコウが私に語ること−朝の鐘が私に語ること−天使が私に語ること」)。
万感胸に迫る最終楽章「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて (Langsam. Ruhevoll. Empfunden.)」第1楽章もそうだけど、ほとんど30分に及ばんとする時間は感じさせぬ感動の渦。弦の魅力をたっぷり堪能させていただきました。かつては音質不充分、アンサンブルの質的にも傷の多い(ぐちゃぐちゃ)演奏でも楽しく拝聴したけれど、すっかり贅沢になったもの。
R.Strauss 歌劇「サロメ」より「七つのヴェールの踊り」/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」/「ドン・ファン」〜レオポルド・ストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム交響楽団(1958年)・・・写真はEVRESTの正規盤、ワタシのは怪しい廉価盤(VIRTUOSO 3602)それでも驚異的な音質であります。ストコフスキー76歳、オーケストラはニューヨーク・フィル、例の強烈な金管前面、ヴィヴィッドに躍動して40年後より期待通り!と感じるのは贔屓目でしょうか。なんせコロムビア・ダイヤモンド1000シリーズ以来のお付き合いなので。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨夜は大学の先輩としこたま、たっぷり呑みましたよ。体調はなんとか維持。午前中の残務処理さておき、昼から出掛けた取引先対応はちょいと中途半端なことに・・・忸怩たる思い有。反省しております。出先より直接、待ち合わせの居酒屋へ、思ったより早く名古屋駅周辺に到着したので電気屋を覗きました。目当ては大容量外付けHDD(大セール中、オススメは2TBらしい)エエ加減音源データ保存しているDVDも貯まってきて、目的のものが探せなかったり、ダブったりが日常となって、それをなんとかクリアしようかな、と。3TBで13,000円、安くなりました。帰宅後amazonを検索したら壱万円切るのですね。こりゃ買いかな?念のためカスタマーレビューを拝見すると、けっこう故障が多いみたいですね。大切なデータだったらバックアップが必要らしい・・・だったら意味ないじゃん。もうちょっと価格の下落と品質評価の確定を待ちましょう。4-5年は問題なく保ってくれないと不安です。
自宅メインのノートパソコンAcer Aspire 5750(メモリ6gb)入手は2011年11月、OSは7→8→8.1→10とアップデートを繰り返して、丸4年ハードに使いこなしてここまで順調です。キーボード・マウス、ディスプレイを外付けで使っているせいもあるのか。昨日年末セール中だった家電量販店では10-20万のものが当たり前、ワタシのは4-5万(メモリ増設含)でっせ、そんな贅沢は20年前一番最初に買ったパソコン(Aiwa製たしか13万円/Windows3.1)以来ご縁がありません。当時は30万辺りが相場でしたし。
Respighi交響詩「ローマの松」/「ローマの祭」/「ローマの噴水」〜小澤征爾/ボストン交響楽団(1977年)・・・晩年を日本で過ごしている小澤征爾は、主に若いころの演奏を聴いてきました。先日も「リュートのための古風な舞曲とアリア」の緻密、ていねいな仕上げに感心したところ。これは自分にとってCD初期からの馴染みの音源、以前はあまりに蒸留水のようなピュアな響き、飾りのない表現を物足りないと感じたもの。オーディオ環境の変化、もちろん嗜好の変遷もあるのでしょう。”ピュアな響き、飾りのない表現”を”緻密、ていねいな仕上げ”と受け止めるようになりました。華々しい近代管弦楽の精華を、ボストン交響楽団の眩くも輝かしいサウンド(とくに金管の上手さが光る)に乗せて、スッキリ聴かせて下さって、まったく不満なし。当時、42歳。音質極上。
Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」〜アンタル・ドラティ/コンセルトヘボウ管弦楽団(1953年)・・・ミネアポリス交響楽団とのステレオ録音(1959年)は有名だけど、こんな旧録音もあったのですね。4-5年前、自主CDを熱心に日々作成していた頃の産物、すっかり忘れておりました。ネットにて出目、情報検索しても出てきません。メモには(PHILIPS)となっているけれど、もしかしてMercury録音?音質かなり良好、例の如し素っ気ないほどのストレート系だけど、オーケストラそのもののコクのある響きは魅力たっぷりです。+自主CD余白はRespighi 交響詩「ローマの祭」/教会のステンドグラス〜アンタル・ドラティ/ミネアポリス交響楽団(1954年)・・・ Newton Classicsの復刻にはこの作品含みませんね。(おそらくはステレオ音源のみ選定したのでしょう)ぼんやり聴けばステレオ?見紛うばかりに艶やか、分離の良い鮮明な音質(LP板起こしでも)。ミネアポリス交響楽団はサウンドにコクが足りないと思っていたけれど、ここでは絶好調に爆発して迫力充分、先に聴いた小澤盤に負けぬ感銘がありましたよ。「教会のステンドグラス」は哀愁の旋律漂う名曲であります。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
来月曜は幾人か休むし、自分もミーティングと残務を見極めて昼から帰るつもり、本日が実質上の2015年ラストお仕事。痰がひどく絡んで咳、ほとんど眠れず
禁断の抗アレルギー剤を使ったのが3時頃、副作用どーのとか云ってられませんから。本日昼前から取引先2件訪問、ちょいと距離があって年末の週末に渋滞が心配、電車でいくつもり。そのまま諸先輩との忘年会に突入、大丈夫か?こんな睡眠不足なのに。今朝、たっぷり食欲有。
Bartok ピアノ協奏曲第1番 BB 91/Sz. 83/ピアノ協奏曲第2番 BB 101/Sz. 95〜ゾルターン・コチシュ(p)/ジェルジ・レーヘル/ブダペスト交響楽団 (1971年)+ピアノ協奏曲第3番BB127〜デジェ・ラーンキ(p)/ヤーノシュ・フェレンチーク/ハンガリー国立管弦楽団(1983年)・・・昨日取引先訪問車中にて拝聴。幾度コメントも残って、これはお気に入り作品、演奏であります。コチシュは現在指揮者として活躍、これはデビュー当時19歳の記録、音質良好。”旋律”といった概念を崩したようなハードなピアノの扱いはほとんど打楽器、ハードに苦く響く硬派作品也。この前衛性はどきどきするほど新鮮であり、若きコチシュのタッチも同様です。ラーンキが担当する最晩年の第3番の平易な、明るい世界とは好対照でしょう。
Bartok バレエ組曲「かかし王子」(1975年)/舞踏組曲(1965年)/弦楽のためのディヴェルティメント(1969年)〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団・・・ASTREEの4枚組は高かったですよ。このオーケストラはロスバウト以来の近現代作品への意欲満々、シュトゥットガルトのオーケストラと合併するんだそうですね。おそらくはライヴか放送用音源、音質良好、どれもクールに整ったアンサンブル、冷静にBartokの粗野な世界を描いて、これも最高。
では、行ってきます。体調が心配です。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日は予定通り午前中にて定例作業クリア、帰宅して年賀状印刷(プリンター好調、残るは宛名の整理のみ)夜定例のスポーツクラブに出掛けて、前半のエアロバイク45分実施(ご飯茶碗一杯分のカロリー消費)後半のエアロビクスは断念いたしました。今朝、体調よろしくないことを自覚しております。せっかくの時間的余裕にも音楽に集中できず、昨日の流れにてRespighi 交響詩「ローマの松」〜リッカルド・ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団(1984年)・・・EMIオリジナルに非ず、BRILLIANTライセンス盤のせいか音質問題に閉口、自分の記憶を疑うほど。
今朝の朝日新聞「ザ・コラム」。吉岡記者(三人姉弟の長女)の父親は81歳、岡山での米作をやめたとのこと。TPPの影響?いえいえ、後継者がいないんです。三人のこどもはいちども農作業をしたことはないとのこと。これが日本の農業の実態なのだな。
Brahms ピアノ三重奏曲第1番ロ長調 作品8〜ボザール・トリオ(1973年)・・・これは旧録音?憧憬に充ちて上機嫌なこの作品は以前より大好き、このまま管弦楽作品に仕上げても違和感のないスケールと、優しい風情の作品をずいぶんと聴いておりませんでした。(引用したWestminster音源もとうに処分済)”美しき芸術”という仏蘭西語の団体は、メナヘム・プレスラーを中心として、息長く活動を続けて世評高いもの(1955-2008年)。ワタシ如きド・シロウト、室内楽を多く聴いていない者が云々すべきコメントはありません。音質に少々潤いが足りぬと感じるのは、おそらくデータ拝聴+我が家のコンポ水準の問題でしょう。
肩が凝っております。実質本日明日となった2015年のお仕事をなんとかクリアいたしましょう。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
年末祝日、お仕事担当の関係もあって、サラリーマン生活はほとんど出勤でした。もう20年数年前、小学生低学年だった息子を連れていっしょに(誰もいない)職場に出勤、経緯は記憶していなくて、帰り一緒に喜多方ラーメンを喰ったはず。息子は覚えているでしょうか?本日は週次サイクルのパターンを崩したくなくて、志願の出勤〜データがうまいこと朝一番にて届けば快速処理して午前完了を狙います。昼から切り上げて、年賀状印刷(含む大阪の義母分)一気に仕上げるつもり。
今朝も鼻水盛大に起床、この症状はなんですか?先週の頭痛がウソのように体調は現状維持、このまま2015年を終えたいもの。
Respighi 交響詩「ローマの松」/「ローマの噴水」〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1959年)・・・LP以来の再会、再開お気に入りの演奏、作品也。CD時代に至ってエンリケ・バティスへの十数年前の粗雑なコメントにあまり共感の様子は見えません。(再聴必須)エルネスト・アンセルメの駅売海賊盤はとっくに処分済、かつての賞賛にもかかわらず、再聴が怖い・・・のは、このフリッツ・ライナーにもいろいろ感慨があったので。圧巻のハデハデしい作品の威力迫力は「松」生体験にてしっかり魅力発見いたしました。ラスト「アッピア街道の松」にピアニストが飛び上がって演奏していた記憶も鮮明(学生オーケストラでしたから)。
剛直ストレートな迫力は記憶通り(ショルティの個性とは爽快さが違う)しかし音質がなぁ、手持ちのCD(BVCC-8939/40)は少々草臥れ気味、マスタリングした音源データは入手済なので再確認しなくっちゃ。演奏嗜好はどんどん変化して、安易にも世評通りトスカニーニへの賞賛を納得できるようになりました。なんか要らぬ周辺話題ばかり、本質から外れて、いかにも音楽に集中できていないのがモロ見え・・・行ってまいります。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
体調なんとか快復させつつ、いつもの(じつは2015年ラストの)お仕事週開始はヒマでした。当面の危うい課題はクリアして、次を着手するには中途半端な時期、取引先ご担当は押し迫って現場応援などしているけれど、こちらエア・ポケットみたいなもの。本日明日が定例のデータ処理の山場、明日は志願の祝日出勤なので午前中クリアを狙って、昼から帰宅して年賀状を一気に仕上げようかと。土曜断念したスポーツクラブへの復帰もありますし。
昨日昼休みネットから入手した(掟破り)音源は、たしか以前にいただいた?記憶もうっすら残るもの。映像として発売されているもの、アナウンスが入っているので、放送音源かと。Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ハース版)〜フランツ・ウェルザー・メスト/クリーヴランド管弦楽団(2008年ライヴ)・・・1960年生まれ、2002年よりクリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任しているから、亜米利加のメジャーオーケストラ中、一番最初に世代交代したと云えるかも。以前のちょろ聴き印象+亜米利加のオーケストラでBruckner?みたいな先入観(シカゴ交響楽団の演奏はけっこう聴いているけど)まず第2楽章「Sehr feierlich und sehr langsam(非常に荘厳に、そして非常にゆっくりと)」を確認したら、重心の低い、落ち着いた響きにすっかり魅せられましたよ。ワーグナーチューバの音色がはっきり理解可能。結局、最初っから全部通して美しい大曲を聴くことになりました。中庸適正なテンポ、おそらくは編集していない、みごとなアンサンブルはジョージ・セル以来の伝統、力感に溢れたバランス・サウンドに久々、佳き演奏に出会った手応え充分。
このオーケストラは技量に優れても、各パート突出して色気とか個性を主張することなく、全体バランスを旨とするもの。既に中堅の働き盛りとして評価を確立したウェルザー・メスト拝聴機会はほとんどなくて、この完成度に驚かされました。第1楽章「Allegro Moderato」の優雅な響き、第3楽章「Sehr Schnell(非常に速く)」スケルツォ楽章のリズムのキレの良さ、終楽章「Bewegt, doch nicht schnell(運動的に、あまり速くなく)」は油断すると尻切れトンボ的、違和感が出やすいところ、全体構成を考慮して最後まで緊張感が途切れないことに感心しました。もしかしてこの作品中、ヴェリ・ベストかも。
では、行ってきます。今朝、起き抜けに激しい鼻水症状出て、こりゃいったいなんでしょうか。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
実質上2015年ラストの週へ。金曜夕方より発症した風邪?酷い頭痛鼻水はほぼ軽快し、実質上寝込んだのは半日ほどか。昨日は一年半ぶりの演奏会(地元・長久手フィル「復活」)も無事、しっかり堪能出来、夕方4時開演という絶妙な時間、お仕事に出掛けていた女房殿と馴染の居酒屋(味わい深く末枯(すが)れた爺婆の店)に合流してしっかり呑んだのは、体調確認のため。今週乗り切れそうな手応え有。
夏にイヴァン・モラヴェッツ(Ivan Moravec, 1930-2015)が亡くなって、彼の美しい音色をぼちぼち聴いていたけれど、今度はクルト・マズア(Kurt Masur, 1927-2015)逝去、新聞にも大きく載りました。享年88歳。好んで拝聴する機会は少なかったけれど、亡くなる直前に彼の音源を偶然聴いていたのも巡り合わせでしょう。今朝よりMendelssohn 交響曲第1番ハ短調 作品11/第5番ニ長調 作品107「宗教改革」〜クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1989年)・・・弔意を以って拝聴しておりました。ふだん聴く機会の少ない浪漫派の音楽、第1番の劇性と軽妙なノリのバランスには思わぬ感銘有、第5番の荘厳敬虔な響きにも打たれて、これはマズアの十八番であったことを思い出しました。彼の演奏を好んで聴いたわけでもないけど、ゲヴァントハウスのカペルマイスター(歌劇もコンサートも教会も)を四半世紀務めた実力者だったのでしょう。古風なサウンドはよく鳴っておりました。合掌。
では、行ってまいります。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
未だ不快感は残るものの頭痛は雲散霧消、咽の痛みもほとんどないのは処方された鎮痛剤の効果でしょう。抗アレルギー剤は自分にはアウト(起きていられぬほどの眠気目眩の副作用)なのは処方されたあとで思い出して、夜睡眠前に服用いたしました。昨日、スポーツクラブは断念、思わぬオークション落札が締め切り直前にあって、坂道徒歩片道十数分ウォーキング、郵便局迄出掛けてCDを送付してきました。本日久々の演奏会(地元・長久手フィル「復活」)にもなんとか行けることでしょう。(一年も押し迫って本年初)明日からのお仕事(実質)ラスト週のサイクルもなんとか乗り切れそう。ほんまにひどい症状はほんの半日くらいやったな。
体調は治まったので音楽拝聴可能でした。Gershwin ピアノ協奏曲ヘ調(ロジェストヴェンスキー/モスクワ・フィル1966年ライヴ)/Stravinsky エボニー・コンチェルト(ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット国立放送交響楽団/ミハイロフ(cl)1974年ライヴ)/「ペトルーシュカ」より3楽章/「兵士の物語」〜「兵士のヴァイオリン」(1964年ライヴ)〜ラザール・ベルマン(p)・・・5年ほど前に言及していた記憶は遠く、読み返すと印象の変化はほとんどありません。違和感たっぷりな演目と演奏者、例の如し音質各々ばらつき有(このシリーズ中マシなほう)それでもたっぷりとした個性を堪能できました。Gershwinはややオフ・マイクっぽい音質をガマンすれば濃厚重量級、暑苦しいノリを愉しめました。
エボニー・コンチェルトはかつてない大編成(?っぽく聴こえる)に、オーケストラの妙技をたっぷり披露してスケールが大きいもの。小体小粋ジャジィな名曲が立派に響きます。腕の立つピアニスト必須のレパートリー「ペトルーシュカ」は細部かなり仕上げは粗くても、ベルマンの技巧全開のアツい演奏です。ラストはアンコールかな?剽軽、淡々とした旋律はお気に入りでした。
本日演奏会の予習。Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団/合唱団/エリザベート・シュヴァルツコップ(s)/ヒルデ・レッスル=マイダン(ms)(1961/62年)・・・沼津の山本さんも「復活」演奏会に出掛けて、こんな大曲もあちこち演奏されているのですね。ディジタル以降〜21世紀ぴかぴかの音源も多くて、往年の定評ある音源を聴く機会は減っております。編成大きく華やかな作品は、もう音質よろしからぬ歴史的音源での拝聴を止めました。今月はバーンスタイン(1963年)も聴いて、ちょっと懐古的か。ふたりともMahler 普及に尽力あった巨匠であります。
やや速めのテンポ、詠嘆やら叙情を廃したストレート系演奏は終始テンション高く、集中力あるもの。女声ソロに少々時代を感じさせるけれど、貫禄充分、オーケストラも合唱団も実力充分、これはこれで熱気あふれる集中力が継続します。テンポは大仰に揺れず、陶酔に沈溺する場面もなし、ほぼイン・テンポを維持しながら高揚していく最終場面に、アツい感激が待っておりました。音質にもさほどの不満はありません。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
とうとう土俵を割ったかも。昨日、鼻水がひどく、頭痛激しく帰宅、さらに症状悪化してくしゃみも盛大、まるで悪質な花粉症っぽい感じ。熱と倦怠感は少ないけれど、ふだん以上に耳鳴り盛大、咽も痛くなってきて・・・これはなんでしょうか。インフルエンザだったらヤバいので、否応なく通院検査必要です。こんな時に音楽は禁物。こどもの頃胃腸が弱くて、調子の悪い時にWagner 歌劇「ローエングリン」第1幕への前奏曲/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲(ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィル/17cmLP)と出会ったら、しばらくそれを聴く度腹痛を誘発しましたもの。
ま、頭痛が酷いからね。音量の大きいものは受け付けませんよ。定例スポーツクラブもムリでしょう。最悪。
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上記執筆は午前3時頃、頭は割れるように!といった比喩が似合って途中覚醒、やはり起きていられなくて2-3時間ほどうつらうつら。薬箱を漁ったら鎮痛剤2錠発見(おそらく4-5年前のもの)久々に服用したら効果有、やや沈静化しております。行きつけの内科に開院と同時に突入予定、インフルエンザの検査をしていただく予定、発熱がないので違うことを祈りましょう。
CD処分目指してオークション出品、今朝2件11枚分落札有、なんやかんや云いつつ11-12月、タブレットPCやらiPodClassicも含めけっこうな売れ行きでございます。ま、良心価格・送料・対応ですから。
頭痛押してとぎれとぎれにCD一枚分拝聴。Chopin バラード第1番ト短調/第2番ヘ長調/第3番 変イ長調/第4番ヘ短調/子守唄 変ニ長調/3つの新しいエチュード/幻想曲ヘ短調〜イディル・ビレット(p)(1992年)・・・20年以上前の話題恐縮、当時定評あるルービンシュタインは@2,000以上、NAXOSのCDは@1,000を切って数枚入手、演奏云々より作品をしっかり聴くことを旨として、そりゃ謙虚でしたよ、当時。演奏云々はわからなかったし、音質だってこれで充分、やがてイディル・ビレットはChopin の全集を出して、それは憧れでした。
やがて時は流れ幾星霜。ルービンシュタインのChopin は駅売海賊盤6枚(愛聴しておりました/ワルツも)それを合計1,000円処分、亜米利加西海岸より正規盤11枚ボックス2,472円にて入手したのが2010年3月10日、時代は遷ろってビレットのことを忘れました。閑話休題(それはさておき)
こうしてイディル・ビレットの全集も気軽に(ネット環境より)拝聴できる時代がやってきて、彼女はちょいと忘れられたような感じかも。当時の印象記憶はクール、怜悧、激しい部分での打鍵の叩き付けが乱暴かな、と。久々の拝聴はまず音質がよろしくない(ネットからの拝聴印象前提に)やや大味?”激しい部分での打鍵の叩き付けが乱暴”というのは、おそらく音質だけではなく彼女の打鍵のクセもあるのでしょう。速いパッセージのところでややテクニック的に苦しく、無味乾燥に走ってしまう。ゆったり静謐な部分での味わいの濃い表現は聴くべきものがあるのかも。
バラードはスティーヴン・ハフのを聴いたばかり、表現の抑制云々別にして、正確な技巧、美しいタッチなのは間違いない。これはChopin 屈指の名曲でっせ、美しい浪漫を堪能したいところ、ビレットは少々クセのある表現でしょう。いずれかつての憧れ、願いは叶って、彼女の音楽をしっかり拝聴できることを喜びましょう。
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概ね咽を腫らすことが多いので、耳鼻咽喉科に行くことが多いけれど、今回はインフエンザの可能性もあったので内科へ。血圧対策とか尿酸のヤクをずっとサボっておりましたし。朝の鎮痛剤は劇的効果、通院の十数分はほとんどウォーキング状態、肩首回しのストレッチも実施、医師の診立ては平熱、節々の痛みなし、咽の腫れもたいしたことはない(インフルエンザに非ず)とのこと。昨夜あれほど苦しんだ鼻水も治まり、頭痛も軽減すれば、昼からスポーツクラブも強行できるかも・・・ま、やめておくか。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
久々の、ほとんど初めての冬らしい冷えに体調いよいよ怪しい感じ。昨夜、帰宅後咽の痛みをちょっぴり感じて、吸入器でケアしてしっかり眠りました。今朝、いっそうの悪化せず辛くも週末を迎えました。
今朝の朝日新聞のコラム、2015年はマンション建築データ偽装(ほとんど業界ぐるみ)、大企業である東芝の不正経理、東洋ゴムによる免震ゴムの偽装(防振ゴムも)、ほかいろいろありましたっけ?専門化され分業化され、社会の全体像に無関心に至った結末、それは200年ほど前から欧州にて予言され、現代の日本は更にその先を行って、密室化した専門分野にプロとしての矜持を失って云々・・・視野が狭くなること、ノーミソ硬直化して思考に柔軟性を失うこと、身近な世界に処世術のみで生きていくことの虚しさを自覚しなくては。自戒しましょう。
さて、年賀状を準備しなくちゃ。親父の年賀状(宛先印刷)を送付して、恒例請求書を添付。MPO法人・長久手市ボケ老人を救う会(会長 森 喜郎名義)より前年は「弐億元」、今年は「370億円」(支払期限2030年)としたら「足りないんじゃないですか、それじゃオリンピックの競技場はできない」と親父より(ハリのある声で)電話有。ぼちぼち90歳、足腰は弱ってもノーミソ完全に現役でした。
昨日昼から取引先往復(眠くて難儀しました)に聴いた音楽は Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック/カレジェート合唱団/リー・ヴェノーラ(s)/ジェニー・トゥーレル(ms)(1963年)・・・幾度聴いた馴染みの音源(旧録音)はサイト内検索しても、ほとんど言及がないのが不思議。(第1番有)その第1番にはオーケストラの粗さ、アンサンブルの濁りが少々気になって、こちら、ま、その通りなんだけど、圧巻のアツい熱気、集中力に打ちのめされました。時にモウレツに走ったり、陶酔の歌に沈溺したり、もうやりたい放題!それがぴたりと決まって、バーンスタイン当時45歳、気力体力充実した壮年の成果でっせ。ツボにはまった時のニューヨーク・フィルってほんまに説得力があって、声楽陣も文句なく充実、当時「復活」はさほどにポピュラーな音楽ではなかったはず、作品の普及に賭ける強い思いがしっかり伝わります。音質もさほどに不満を感じさせない。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
「女性再婚期間」問題は違憲、「夫婦選択制別姓」は通らず。ワタシの職場では女性が通称として旧姓を通しておりますね。夫婦同一姓を強制というのはムリムリ、自由に選べるというのが日本人らしい融通性と思うけどなぁ、ちゃいますか。本日の週刊誌の宣伝に安倍ちゃんは70歳年金支給を狙っている?とか。参萬圓バラマキとか(公明党さん得意技だけど経済的にはほとんど意味はない)ほんの2%の軽減税率とか(どーせなら食品0%に!)目先の選挙目当ての人気取りして、一方で更に年金支給5年延期?カンベンしてよ、22歳から38年働いたらそれで充分でしょうが。
今冬はほんまに暖かいですね。ここのところ体調はずっとどんより(いつもだけど)鼻水もようでる、ってじつは風邪症状が継続しているだけ?昨夜もスポーツクラブ行き、強行しました。
Chopin バラード/スケルツォ集(交互に演奏される)〜スティーヴン・ハフ(p)(2003年)・・・まだちょろ聴き程度、印象は申し分ないテクにニックにていねいピュアな仕上げ、しかし煽りとか見栄とか激情、高揚をほとんど感じさせないということ。この作品って甘美な浪漫の塊!みたいな先入観があるせいでしょうか。ちょいとその個性に戸惑って、もう少々聴き込みが必要です。
では行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
恒例、来年度の幹部人事異動発表有。現上司は3年お付き合いして東京に戻り、これ以上ない!といった似合いの(おカタい)部署へ。若手、女性の抜擢やご自宅の都合(通勤単身赴任)を配慮した、なかなか納得の配置でしたよ。次の上司は馴染みの若手、抜擢はほぼ予想通り。こんな動きにも引退近い自分にはいっさい関係なく、外野から眺めるのみ、というのも寂しいものです。仕方がない、これが世代交代ですから。理屈でわかっていても、刷り込まれたサラリーマン根性、なんとなく遣る瀬ない。
あれは一理あったな、そんな話題〜数ヶ月前、ジャン・ピエール・アルマンゴー(p)のPoulencを拝聴、某リスナーがあちこち同じ文言でボロカスにコメント、わざわざそんなことせんでも、と感じたものです。ま、Poulencにはなかなか粋な味わいもあって、やや流した演奏でもエエじゃないか、と。これがちょっとした機会があって、彼のDebussy「ピアノのために」(この曲お気に入り)を聴く機会があって思わず嘆息・・・嗚呼、ぜんぜん指が回っていなくて、雰囲気のみぐずぐずな横流れ、リズムもなにもあったもんじゃない、途中で止めました。Debussyには一種曖昧模糊とした風情も必要だけど、旋律リズムは明晰に表現したうえでのことでしょう。かなりガッカリしましたよ。
でも、それはあちこち喧伝すべきこともない。こっそり個人的に嘆息していればよろしいのでしょう。
Respighi リュートのための古風な舞曲とアリア〜小澤征爾/ボストン交響楽団(1975−77年)・・・16−17世紀のリュート作品を元にした擬バロック的、端正な佇まいが素敵な作品也。弦楽ばかりの第3組曲が一番人気、管楽器も入る第1第2より圧倒的に演奏機会が多いのは編成が少ないからでしょうか。意外なほど全曲録音は少なくて、他にはほぼ同時期のネヴィル・マリナー、それにアンタル・ドラティ(フィルハーモニア・フンガリカ1958年)くらいしか思い当たりません。DGは新進気鋭のコンビ(1973年より音楽監督)にレパートリーの穴埋めを狙ったのでしょう。ていねい緻密、神経質な仕上げを、ここ最近好ましく感じるようになりました。
ドラティの音源はパブリック・ドメインだし、全曲比較拝聴してみたけれど、さすがに音質は少々肌理が粗く、アンサンブルもいまいちな印象でした、では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
体調はここ迄大崩せず、なんとか年末にこぎつけたけれど、ずっとスッキリしない。日常生活に不自由ないことを感謝すべきかな?半年に渡るスポーツクラブでの有酸素運動も寄与しているのでしょう。昨日朝、職場の女性の高級車(レクサス)のドアにドリルの穴、幸い持ち去られなかったけれど物騒やなぁ、ほんま。車上荒らしが多いとはきいていたけれど、身近に感じたのは初めてでした。こちら現在自家用車なし、かつて乗っていたのも絶対盗まれない!水準のボロ中古ばかりでした。
今朝の朝日新聞「耕論」は「持たない生き方」=ミニマリスト。所有する”モノ”にかえって生活を”所有”される愚、ホンマに必要なもの、大切なもの、美しい物を厳選したいといった欲求ありますよ。自分はかなり捨てて、生活を整理をしつつあるけれど、”モノを集める”といった性癖はこどもの頃からの”もったいない”精神(おカネは掛けない)、かつてのCDもそうだったし、現在なら同じ音源データ3つ4つ出てくるのは日常茶飯事、ようやくみつけた!という興奮そのままに忘却、それを繰り返すのですね。昨日もDVDに焼き込んだ近現代作品音源集、まったく同じもの(ファイル名は微妙に異なる)3本、情報印刷時に気付いて呆然。
辛酸なめ子さん(素晴らしいペンネーム)は女性らしいバランス感覚と現実的な視点が光って「ディジタル機器の普及とコンビニの産物」という切り口がみごとでした。
昨日昼休み職場にてネットから発見音源、Khachaturian ピアノ協奏曲 変ニ長調〜ジャン・イヴ・ティボーデ(p)/ギルバート・ヴァルガ/オスロ・フィル(2008年ライヴ)・・・強烈な民族的土俗的な旋律リズムが特異な(クサい)魅力を放つ一連の作品は、小学校の時に聴いた「ガイーヌ」が原点でしょう。先日の二時間ドラマにも効果的に使われておりました。第2楽章「Andante con anima」に於ける特殊楽器(妖しい音色な)フレクサトーンはライヴ故出現しないのは残念でした。若手と思っていた仏蘭西のピアニストも1961年生まれ、すっかり中堅ですよね。テクニックの立つ人、でもこの作品の泥臭い個性を活かすには、少々スリムに洗練され過ぎているかも。ギルバートは著名なヴァイオリニスト・ティボール・ヴァルガの息子(1952-)とのこと。ライヴゆえの散漫さは仕方がないけど、かなり良心的な音質でしょう。
先日の初期仏蘭西バロックの流れ、Schutz 「シンフォニア・サクラ集第1巻」作品6/わが心、定まりて(Paratum cor meum)」SWV257/「主にあって私の心は喜び(Exultavit cor meum in Domino)」SWV258/「主よ、われ汝に望む(In te Domine, speravi)」SWV259/「私のもとへ来るがいい(Venite ad me)」SWV260/「私のもとへ来るがいい(Venite ad me)」SWV261/「神をたたえまつれ(Jubilate Deo)」SWV262/「わが魂は消え(Anima mea liquefacta est)」SWV263 /「われ汝らに誓う、イェルサレムの娘たちよ(Adjuro vos, filiae Jerusalem)」SWV264 /「おお汝はいかに美しきかな(O quam tu pulchra es)」SWV265/「愛する者よレバノンより来たれ(Veni de Libano)」SWV266〜マッテオ・メッソーリ(org)/カペッラ・アウグスターナ(2003年?)・・・Heinrich Schutz(1585-1672)は大Bach のちょうど100年前の人、「独逸音楽の父」なんだそう。若い頃「マタイ受難曲」SWV.479(フレーミヒ/シュライヤー)に歯が立たなかった記憶有。四半世紀も経てばちょっとは聴けるようになっているかも。Brilliantは19枚の立派な全集を出してくださいました。
これが古楽器の柔らかい響きに乗って(ヴィオールとかコルネット、オルガンなど)清冽な声楽は交代でソロを取って、心洗われる至福のひと時であります。残念、こちら音楽史的な知識、もちろん言語不如意(ラテン語ですか?それさえワカラン)和訳を探すのにも一苦労、それでも人声の息遣い、敬虔な宗教的畏敬の念はしっかり感じ取ったものです。お粗末。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日日曜は昼間っから酒(ワイン)あとから頭痛で参りましたよ。小さな男の子が3人、女の子が一人、奥様がひとり、旦那がひとり、一緒に参画して、和気藹々と愉しい集まりでした。若いこと、こどもが小さい頃が人生で一番輝いて、じつはシアワセな時期というのはあとで理解できるもの。お隣のメジャーチームのマネージャーが、じつはギターが上手かったことに驚きました。(先日久々のカラオーケストラに登場したはやっさんの驚異的歌唱に並ぶほど)パオロ・マッツァリーノ「つっこみ力」(ちくま新書)・・・ふざけた筆者名、意味不明な題名、軽妙な筆致さておき、内容はきわめてまともな社会学也。あちこちオモロいネタ仕込んで、やんわり現代社会を分析・批判して、総じて焦点が定まらないと感じるのはレビューと同様の印象です。日本の「ボケ/つっこみ」というのは固有のものだそうで、ボケを際立たせ、わかりやすく浮き立たせ、聴衆もその関係を一拍待ってから反応する〜これと統計データ批判(これはこれで一理有)とどう有機的につながるのか、ワタシの理解力を超えます。それでも、あちこち新鮮な切り口は多いかも。
仏蘭西の州議会選挙(仕組みがよう理解できん)決選投票ではマイルド右翼・国民戦線は第1党になれない、とのこと。これも国民のバランス感覚でしょうか。
Chopin バラード第1番ト短調/第2番ヘ長調/第3番 変イ長調/第4番 ヘ短調/スケルツォ第1番ロ短調/第2番 変ロ短調/第3番 嬰ハ短調/第4番 ホ長調〜アルトゥール・ルービンシュタイン(1959年)・・・既に70歳を超えていたルービンシュタイン、久々の拝聴にわずかなノイズは時代を感じさせても音質、技巧的にも完全なる現役、ブリリアント、雄渾、豊かな情熱に充ちた、これぞ正統。スタインウエイのゴージャスな音色ってこれだよね、的安心感というか、標準足りえる甘美な世界を堪能できます。
他、Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(全曲1910年版)/バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)〜アンタル・ドラティ/デトロイト交響楽団(1981−84年)・・・(時間切れ)
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
ワリと暖かくて年末らしくない日曜、昨日はちゃんとスポーツクラブにて有酸素運動に汗流し、昼過ぎには待望のプリンターが届いて(HP Photosmart 5510/2,970円中古)無事、親父の年賀状印刷出来(途中インク不調に冷や汗)270億円の請求書を付けて送付しておきました。宛先に数人、見知った名前があって、奥様の名前だけになっているのも寂しいもの。互換インク黒の相性がよろしくなくて、しばらくすると出が悪くなって、ヘッドクリーニングが必要なのが難点。前機種(前日逝去)は本体側で操作できたのに、今回のはパソコン側よりソフトウエアからやるしかない。その辺り微妙な塩梅操作、女房殿はするはずもなくて、また激怒するんやろな、きっと。いずれ2−3年は使い倒したいものです。
オークションはいくつか落札有。ヤフオクも新システムになって便利になったけれど、融通は効かなくなって、まとめて落札送料節約がムツかしい。一件、相手先情報を見たら馴染みの方でしたよ。たしか同世代なのに、意欲的な音源入手は驚くばかり。本日、職場にて若い人中心に企画した「クリスマス」〜幾人かこどもを連れてくるやろなぁ、これが小さい職場の良いところ、ワインなど準備してあったからクルマ厳禁、パソコン電源入れることも厳禁也。ご当地(名古屋文化?)+職場風土にはさんざん愚痴ってきたけれど、ここ一年の職場内の立場の変化に感慨深いものはありますよ。
ボーナスも出たし、昨夜はご近所ステーキ屋へ。肉食をあまり好まぬので、珍しいこと、C/P的にあまり良い選択ではなかったかな?和食の多彩さに敵わない。ま、年に一回くらいのことですし。若い人は肉好きでしょう、若夫婦+こども連れがたくさん来店しておりました。
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」(クリーヴランド管弦楽団1969年)/バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版/ニューヨーク・フィルハーモニック1971年/ポール・ヤコブス(p))〜ピエール・ブーレーズ・・・「春の祭典」はこどもの頃からの刷り込み、これがすべての原点也。なかなか1,000円以下にならなかったCD、ようやく2004年新宿にて800円中古入手とのメモ有。センス悪いジャケットデザインの国内盤(SRCR 9220)でも久々の拝聴は素晴らしく見通のよろしい音質、最近のマスタリング+高品質CDとか云々音源とか、きっともっと凄いのでしょう。我が家のオーディオ環境でも類推可能ですよ。
完璧な技巧、リズムの正確さ縦線の合い方、デフォルメ皆無、各パート理想的なバランス、聴こえぬところはない各声部、洗練されきった知的サウンドにノーミソ痺れますよ。ジョージ・セルの薫陶によるクリーヴランド管弦楽団のアンサンブルは、当時最盛期を迎えていたのでしょう。聞きかじり情報は怪しいけど、たった一日のセッション録音だったらしい。これに対抗できる個性は露西亜風泥臭い野蛮な大爆発しかない・・・
「ペトルーシュカ」も基本路線は同じ、凡百な演奏に非ず。但し音質がちょいと落ちて(SQ4チャンネル用?サウンドに芯が足りない)ニューヨーク・フィルのアンサンブルは緻密さに於いてクリーヴランドに比べられません。場面転換の太鼓連打も節約気味なのは残念でした。
Dvora'k スターバト・マーテル(悲しみの聖母)〜ヴァーツラフ・ターリヒ/チェコ・フィル/プラハ・フィル合唱団/ドラホミーラ・ティカロヴァー(s)/マルタ・クラーソヴァー(a)/べノ・ブラフト(t)/カレル・カラシュ(b)(1952年)・・・歴史的録音はほとんど処分したけれど、ま、100枚ほどCDは生き残ってますよ(写真は懐かしいヒストリカル1000シリーズ)。1990年前後未だCDが3,000円ほど高価っだった時代、レンタルビデオ屋に置いてあった1,000円廉価盤を入手、散々聴いたから、こんな荘厳重苦しい作品も細部旋律馴染みです。(マルコ・ムニー/リュブリャナ放送交響楽団/合唱団の抜粋)
音質は思いのほか良好、これが胸を締め付けるような哀しさと安寧の旋律連続、抜粋拝聴時には収録されなかった部分(ラスト第9/10曲)も新鮮に受け止めたものです。オーケストラ、合唱、声楽ソロともほぼ理想的なしっとりとしたサウンドに溢れました。ラスト第10曲「肉体は死して朽つるとも」は冒頭「悲しみの聖母」旋律が回帰して、圧巻の喜ばしい復活がやってきます。ここを抜かしちゃいけない。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨夜、お釈迦になったプリンターの後継はいつ届くのか。不便なもんですよ、日常当たり前に稼働していたものがなくなるのは。睡眠不如意復活して早朝覚醒、さほどに寒くないし起き出して音量低く音楽拝聴しております。ぐずぐず云いつつ12月中旬まで体調崩さずにきたのは、有酸素運動(スポーツクラブ)の賜物でしょう。本日も行きますよ。昨日、取引先帰り(運転眠気覚まし途中休憩)BOOK・OFFではこれといって興味ある出物はなかったなぁ、宮部みゆき「日暮し」はレギュラー価格、手が出んかったし。書籍は基本100円狙いでっせ。
運転中車中拝聴音楽はMahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜レナード・バーンスタイン/核兵器に反対する音楽家(ワシントン・ナショナル管弦楽団/ボルティモア交響楽団のメンバー)/バーバラ・ヘンドリックス(s)/ジェシー・ノーマン(s)(1984年ライヴ)・・・2年半振りの拝聴。珍しい貴重なライヴ音源は、まずまず良心的といった音質水準也。顔合わせの珍しいオーケストラ(選抜メンバー)を率いて、いつも通りアツい演奏を繰り広げて声楽も充実しております。オーケストラの響きがやや細身なのは、オーケストラそのものの個性+音質印象なのでしょう。ラスト熱狂的な聴衆の拍手有〜期待ほどに感銘を受けなかったのは車中といった環境+やはり音質が不充分なのが要因なのでしょう。なんせぴかぴかの優秀録音目白押し、それが当たり前になった不遜な聴き手の問題もあります。
(当時熱心に作成していた)自主CD、2枚分には大幅に余るので前後余白を埋めたのがErnest Bloch 室内管弦楽のための4つのエピソード〜/トーマス・シェルマン/チューリヒ放送管弦楽団 (Concert Hall CHS 1238) /Arnold Schoenberg 映画の一場面への伴奏音楽 作品34 〜チャールズ・アドラー/ウィーン・コンサート・ソサエティ管弦楽団 (Unicorn UNA1008 - 1955)/Alban Berg 初期の7つの歌〜カスリン・ハーヴィ(s)/ワルター・ゲール/チューリヒ放送管弦楽団/クラリネットとピアノのための4つの小品 作品27〜ルベルト・ティクマン(?Herbert Tichman, cl)/Ruth Budnevich(p) (Concert Hall G.12 - c.1951) ・・・Concert Hall CM LE16 (1962 LP) 音源より。半世紀前はバリバリの硬派現代音楽やったろうなぁ、売れんたんでしょうか、こんなLP。良好なモノラル録音、怪しい風情満載の静謐な作品続きました。
Sibelius 交響曲第2番ニ長調/第3番ハ長調〜オスモ・ヴァンスカ/ラハティ交響楽団(1996/7年)・・・瑞典BISがお国もの代表作としてネーメ・ヤルヴィ以来の再録音をした全集より。ヴァンスカはミネソタ管弦楽団と再録音し、ラハティ交響楽団は実演ではそうとうヘロヘロとの噂(=録音のマジック)もあるけれど、ここで聴く限り溌剌と充実したアンサンブルはまったくおみごと、例の第2番第3楽章「Vivacissimo」に於ける弦の快速アンサンブルの揃い方に不満はありません。先日剛直かつ素朴なヤルヴィに感銘を受けて、こちらはもっとスリムな響き、颯爽とモダーンな表現と感じます。ま、亜米利加辺りのパワフルなサウンドから遠くて、素朴は素朴、ローカルなんだけどね。Sibelius はパワフル、色彩豊かに分厚い響き、といった個性は似合わんと思いますよ。音質も充分と受け止めました、専門筋にはいろいろ突っ込みどころあるらしいけど。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
薄ら寒い雨模様*、これから雨は上がるとのこと。一週間もようやく終わって、なんや昨日はやたらと疲れを自覚したものです。な〜んもしていないのにね。今朝の朝日新聞の投稿コラム「ひととき」〜欲しいものはお金では買えない、一般的な説教や教訓じゃなくて、余命が迫った夫に「欲しいものは?」と訊かれ、生命とこども達の大学合格、前者は叶わなかったけれど、大学入学を果たしてようやく学費を払い終えた感慨。胸を打つ説得力であります。来年1月に満90歳を迎える親父から恒例年賀状リスト到着、達筆だった人も手が震えて宛名書きができなくなって、不肖・出来の悪い次男坊にお鉢(印刷)が回ってきます。年賀状も買わないといけないんだよね。最近、プリンターの調子もいまいち、時に女房殿がブチ切れるのでもう一台仕入れておきました。本日くらいに到着することでしょう。
ヴェルサイユの音楽200年(1)/Antoine Boesset(アントワーヌ・ボエセ、1586ー1643)エール・ド・クール(Air de cour)/「Air qui produit tant de choses si belles」「Ne deliberons plus」「Jamais n'aurray-je le pouvoir」「Plaignez la rigueur de mon sort」「Suis-je pas miserable?」「Ennuis, desespoirs et douleurs」「Du plus doux de ses traits」/Robert Ballard (ロベール・バラール、1575ー1650)「Ballet du Dauphin」「Entree de Luths」/作曲者不明「Courante」「Volte」〜モニク・ザネッティ(s)/クレア・アントニーニ(リュート)(2007年ライヴ)・・・Boessetのがソプラノによる歌唱、Ballardがリュート・ソロ、実際は交互に演奏されて、この順番ではありません。大Bach の100年前、仏蘭西バロックの典雅な世界であります。残念、こちら日本語一筋の人生、仏蘭西語題名も歌詞内容も理解できぬのが残念至極、ネット翻訳の直訳無味乾燥は役に立ちません。ド・シロウトの感慨は、時代が下るとともに喧騒と混迷、変化、刺激を加えるといったもの。実演に接すると、リュートはチェンバロ以上に音量が小さいと感じたものです。モニク・ザネッティ (MONNque Zanetti)のしっとり、ノンビリとした世界に陶然と聴き惚れます。途中拍手が入って、ようやくライヴであることに気付くほどに会場騒音は取り除かれ、静謐な落ち着いた世界が広がります。
今朝はSaint-Sae"nsのヴァイオリン・ソナタ(オリヴィエ・シャルリエ)とか、Bach のカンタータ第110番 「喜び 笑い あふれ」(ピエルロ/リチェルカール・コンソート/2012年)など。では、行ってきます。
*一歩外に出たら、雨上がりに異様な湿気と高温、異常気象でんな。
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生暖かい週末、取引先との和気藹々とした商談を終え、一件商品不足に危機意識を持ちつつ、辛くもクリアしてお仕事一区切り。久々眼医者に寄って、視力視野眼圧とも現状維持、コントロールできているとのお墨付きをいただきました。疲れ目、ドライアイはヒドいんですが・・・親父の年賀状宛先点検して、さっさと印刷しようとプリンターの電源を入れたら・・・一色インクカートリッジを認識しません。んなことは慣れたもの、なんせチップなし激安インク(人民中国製?)愛用してますから。純正インクは初回添付品以外使ったことなし、カートリッジを入れ直せばたいてい大丈夫な・・・はずが、インク・カートリッジ・システム云々電源を入れ直して下さい、とのこと。5−6回やりましたよ。とうとう復旧せず(涙)
HP Photosmart Wireless B110aは2013年9月入手(総経費込3,400円)女房殿のお仕事にて今年2015年5月より本格的ハードに使用始まって、ここ最近不調極まっておりました。まだまだ使うつもりで交換インクも到着済、念の為同じメーカー類似型式のを注文して、明日到着するという前夜・・・逝去されました。これも巡りあわせやなぁ。合掌。享年2歳。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
人工衛星「あかつき」失敗を経て5年ぶり金星の軌道に〜これって、日本人の胸を打つパターンやなぁ。失敗に腐らず、次のチャンスに賭けて最低限の条件をなんとか活かす・・・ワタシも好きでっせ、こんな逸話。本日、冬のボーナス支給、やや目減りしたけれど、いただけるのもあとわずかになりました。しっかり呑んだその週は、しっかりスポーツクラブへ〜これってかなり以前からの習慣でしたっけ。水曜夜の初心者エアロ・ビクスは毎度、難行苦行でございます。あれが”初心者”なら、ほかのはどーなるんでしょ?体重増傾向。
Beethoven ピアノ協奏曲第1番ハ長調/第2番 変ロ長調〜エミール・ギレリス(p)/クルト・マズア/ソヴィエット国立交響楽団(1976年ライヴ)・・・その存在は認識して、やや苦手方面(だった)作品故、拝聴を後回しにしていたもの。音質問題への疑念もあったしね(米PIPELINE原盤。往年の放送音源は概ね状態がよろしくない)。5曲中、明朗な躍動に充ちた第1番は一番好き。音質は予想通りかなり粗っぽいけれど、とくにピアノ・ソロは充分聴けるものでした(収録バランスもソロ中心)。60歳円熟のピアノは驚くほどアツく、強烈輝かしい打鍵、ミスタッチ辞さず!猛烈な推進力に充ちたもの。49歳旧東独逸のマズアが呼ばれた理由はわからんけど、「ヘロ過ぎ」「リハーサルなしのぶっつけ本番では?」とのコメントが見られるほど、存在感が薄く、アンサンブルに精彩を欠きます。逆にピアノの強烈な存在感が浮き立つ結果となっております。
日常座右に置いて、といった演奏じゃないけれど、この生々しい熱気は稀有な経験でしょう。第2番第1楽章「Allegro con brio」に於けるカデンツァは誰のか知らんけど、やたらと立派!ほんの試し聴きのつもりだったけれど、残りの作品にも興味が出ましたよ。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
流行語大賞は陳腐化して「トリプル・スリー」なんて初めて聞いた言葉、十数年前の「ぶっちホン」?だっけ、あんなん誰も使っていなかったでしょう。定着した言葉では「ブラック企業」〜ワタミ和解へ。行き過ぎた非人道的行為が業績に影響を与える事例でした。寒いですね。今朝3度C、昨日は昼けっこうな日差しに気温は上がりました。呑んで調子の出ない翌日は、たいていお仕事に集中できる・・・のが不思議、昨夜はあまりの眠さ故、早々に就寝しました。油断すると風邪ひくしね。
Beethoven 交響曲第4番 変ロ長調/第6番ヘ長調「田園」〜チャールズ・マッケラス/ロイヤル・リヴァプール・フィル(1994年)・・・ジンマンのは彼の独自の解釈が多く入っているとか(それはそれでオモロいもの)これが正真正銘「ベーレンライター版」初録音だそう。もちろん版がどーのというより、演奏そのものが溌剌と軽快、快速、推進力に溢れた爽やかなもの、こどもの頃から馴染みの旋律をここまで鮮度たっぷり、各パート鮮明に描き分けて(対向配置)使用楽器さておき、これぞ新時代のスタイルと確信いたしました。ま、Beeやんも懐深いから、昔から定評ある厚ぼったい響きの演奏も悪くないけどね。
あちこちで音質云々の悪い評価を伺うけど、こちらのオーディオ環境のせいか、あまり気になりません。
Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団(1995年)・・・「春の祭典」(1969年)以来のブーレーズの大ファン、やがて角が取れたとかオモロくなくなったと云う声もあるけれど、夾雑物抜けきった透明な響きにいつも驚かされます。懊悩と情念に充ちたMahler を期待するなら、こんなにクール、分析的な演奏に耐えられぬことでしょう。テンポは詠嘆に揺れず、淡々粛々と進んで微妙なニュアンス、大爆発の対比も充分な迫力、どのパートもバランス抜群、聴こえぬところはない!清明な「第九」であります。シカゴ交響楽団がこんなデリケートな響きを出すなんて!
大好きな作品(種々バーンスタインも)久々にしっかり堪能しましたよ。こりゃ、My Very Bestやな。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
仏蘭西の選挙でマイルド路線の右翼・国民戦線大勝利とのこと。う〜む。テロ事件の余波か。
相変わらず寒いけれど、例年に比べればマシかも。昨日はノンビリとしたお仕事早々に切り上げて、職場忘年会。オシャレなアジアン料理の店、こういった場は自分の職場内の立ち位置がよ〜くわかるものでして、居心地悪く義理で出席するのか、それなり雰囲気に溶け込んで和気藹々と談笑できるのか〜昨夜は禁断の二次会(数年ぶり)カラオーケストラに突入(各々性格がようわかって浮き彫りに)終電にて最寄り駅〜タクシー帰宅は深夜一時でっせ。二日酔いするほど呑んでいないけど、今朝の疲労感はかなりのもの、おとなしく一日お仕事に邁進いたしましょう。
故に昨夜音楽拝聴機会なし。今朝、Dukas 「ファンファーレ」/舞踏詩「ラ・ペリ」/Satie 「パラード」〜ルイ・フレモー/モンテカルロ歌劇場管弦楽団((p)1962)/Roussel バレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第2番〜イーゴリ・マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー(1958年)・・・今更といった感慨は、1960年前後のDG録音の見事さ、マルケヴィッチさておきルイ・フレモー辺り、ほとんど忘れ去られた音源は目の覚めるほどクリア、華やかな音楽であります(Dukas)。起承転結のない、だらだらエピソードが続く「パラード」もほとんど嗜好のツボでっせ。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
12月も2週目、ラストは実質休みだから2015年も押し迫って・・・みたいな体感はありません。寒いだけ、本日は職場忘年会。昨日昼、懸案だった「伊東深水」(ご近所名都美術館)に行ってきました。一年半ほど前に「上村松園」に行って以来、日本画好きとしては外せない展示であります。音楽以上に”実物”の迫力、説得力は圧巻!上村松園は線の細さが好きじゃないと考えていたけれど、現物の繊細さに打たれた記憶も鮮明、こちら深水の美人画はリアルな艶かしさ、色彩、情感が伝わるド迫力。少年を描いたわずか13歳の作品、遠景に日本髪の女性がふたり配置され、既に後年の”艶”を読み取ること可能。「古曲の人たち」は年配の女性4人の三味線、謡の様子を描いて、そのリアルさに仰け反ります。晩年画風を変えて、まるでシンプルなマティス風(モダーンなイラストみたい)に至るのもノーミソの自在さを物語ります。モデル〜服飾デザイナー大内順子さんモデルの絵は彼女のセンスを浮き彫りにしておりました。朝丘雪路さんのお父さんですよね。
Bach マタイ受難曲 BWV244〜第51曲 アリア「私のイエスを返して!」/カンタータ第140番「目覚めよ、とわれらに声が呼びかける」BWV140〜第3曲 二重唱「いつ来てくださるのですか、私の救いよ」/カンタータ第204番「私は自分の中で満ち足りている」BWV204〜第4曲 アリア「この広い大地の宝が」/カンタータ第32番「慕わしいイエス、私の願いよ」BWV32〜第3曲 アリア「ここ、父の住み家に」/カンタータ第205番「破れ、砕け、こぼて墓穴を」BWV205〜第9曲 アリア「心地よい西風よ」/ミサ曲ロ短調 BWV232〜「私たちはあなたを讃美します」/カンタータ第157番「あなたを離しません、祝福してくださらなければ」BWV157〜第4曲 アリア「そうだとも、私はイエスに固くすがる」/カンタータ第59番「私を愛する人は、私の言葉を守るだろう」BWV59〜第4曲 アリア「すべての王国をもつ世も」/カンタータ第58番「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」BWV58〜第3曲 アリア「私は苦難の中でも満ち足りている」/カンタータ第117番「讃美と栄光がいと高き宝にあるように」BWV117〜第6曲 アリア「慰めと助けは、いつかは必ず欠ける」/カンタータ第158番「平安がお前にあるように」BWV158〜第2曲 アリアとコラール「世よさらば、私はお前に疲れた」/マタイ受難曲 BWV244〜第39曲 アリア「憐れんでください」(メンデルスゾーン版)〜ヒラリー・ハーン(v)/アレクサンダー・リープライヒ/ミュンヘン室内管弦楽団/クリスティーネ・シェーファー(s)/マティアス・ゲルネ(br)/北谷直樹(cem/org)/ロザリオ・コンテ(テオルボ)/クリスティン・フォン・デル・ゴルツ(vc)/ヘンリク・ヴィーズ(フラウト・トラヴェルソ)(2009年)・・・Bach 声楽作品中、ヴァイオリン・オブリガートを伴うアリアを集めたもの、ま、誰でも知っている名曲中の名曲也。カスリーン・バトル/パールマンによる同趣向の録音があって、こちら、女声男声交互に出現”おいしいところ摘み喰い”的単調さを免れて、年末にふさわしい敬虔さをしっかり受け止めました。
Sibelius 交響曲第2番ニ長調/ロマンス ハ長調〜ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1983年)・・・旧録音。ワリと最近のコメントも残っていて、粗野な迫力満載の力演を再確認いたしました。上手いオーケストラじゃないんだけれど、作品に掛ける情熱を感じさせるアツい、ヴィヴィッドな演奏也。北欧の旅情感じさせるシミジミとした旋律〜第3楽章「Vivacissimo」の弦の快速パッセージの対比もおみごと、終楽章の勇壮なる大団円に文句なし。ヴェリ・ベスト。噂によると超・高級オーディオじゃないと優秀録音の真価は引き出せないとこと、我が家の貧者のオーディオでもその片鱗はちょっぴり伺えました。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜アンドレ・クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー(1958年)・・・16年前不遜、頓珍漢、持って回った言い草がイヤラしい限り。バランス感覚、オーケストラの厚み、ホルンとティンパニの超絶技巧に打たれるばかり、未だ前世代の(所謂)独逸的サウンドが残っていて時期に、こんなにマイルド、柔軟な洗練サウンドを実現するクリュイタンスの実力に感服いたしました。提示部繰り返し有、終楽章繰り返しなしは残念、音質に不満も感じません。Beethoven 交響曲第2番ニ長調〜フィリップ・ヘレヴェッヘ/ロイヤル・フレミッシュ・フィル(2009年)・・・この人の全集を注目して、全部手許には揃えておりません。モダーン楽器による古楽風演奏、ワタシは軽妙さ、リズムのノリを愛します。第2楽章 「Larghetto」の優しい旋律大好き。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日土曜は朝一番に皮膚科〜床屋(ほんとんど出家状態に短い)〜スポーツクラブ強行してしっかり一時間汗、充実した一日でしたよ。米倉涼子「家政婦は見た!」は配役も充実して、殺人事件も発生しない筋書きも凝ってオモロいもの。市原悦子のはキライ、一度も見ておりません。気の強そうな別嬪女優を続編に採用するプロデューサーの眼力に脱帽、超絶ブサイク・メイクとフェルメール「真珠の耳飾りの女」風扮装の美しき対比に感服いたしました。あれだけエエ女は結婚生活に苦労するやろなぁ、要らぬ心配の週刊誌ネタは妙に納得できます。横田栄司(謎の男役)ってビッグ便の人ですよね。
今朝、睡眠不如意に途中覚醒、【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新しておきました。昨日昨夜聴いた音楽に記憶がない・・・のは、あちこちちょろ聴きしていたのでしょう。今朝、Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調(1989年)/イタリア奇想曲(1990年)〜ユーリ・テミルカーノフ/ロイヤル・フィル・・・サンクトペテルブルグ・フィルとの再録音(第4/5/6番)は知っていても、ロイヤル・フィルとの旧録音全集は初めてその存在を知りました。ネットで検索してもほとんど出現しないし、稀なコメントも
いろいろ小細工しているけれど、曲への深い愛情が感じられず、いずれも非常に表面的
あと10年も経てば埋もれてしまう録音だと思う
数少ないコメントに賛同できかねるけど、残念、予言通り埋もれてしまったのは残念至極。オーケストラの技量、語り口の上手さ、メリハリ、アンサンブルのコントロール、耳あたりの良いサウンド、適度な残響に音質極上、ワタシはすっかり魅了されてしまいました。音楽は嗜好品なので、世評がどうであれ自分が愉しめば良いんです。作品になにを求めるかですよね。露西亜風剛直、粗々しい世界?カラヤンに代表される独墺系スタイリッシュ圧巻のオーケストラの厚みなのか。こちら”アクの抜けた露西亜風”、ロイヤル・フィルのサウンドとテミルカーノフのバランス感覚はどこも納得できるもの。例の第2楽章「Andante cantabile」冒頭のホルン・ソロ、そりゃビロビロにエッチなヴィヴラートは懐かしいけど、こちら英国のホルンだって深みに於いて負けておりませんよ。「奇想曲」含め、一気呵成にラストまで聴き通せました。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日の行事は無事クリア、他残務も準備合間に整って安閑と一週間を終えるはずが・・・お隣の来年定年の相方は取引先と忘年会を企画して、街中に出るのも億劫なこちら引き隠り、風邪気味を理由に欠席のつもりが、仲の良い取引先のご担当が急遽お仕事を辞められるとのこと。前担当の彼がご挨拶ということなので合流いたしました。結果的にふだんからお付き合いの深い人、接点の薄い人も含め和気藹々語らって愉しい酒席でしたよ。酒は「ねのひ」がおいしかった。たしか椎名誠が好きな銘柄でしたよね。半年ほど前、そのご担当は異動担当替えにガッカリして、その慰労の意味で呑んだものです。新しい担当にも意欲的に取り組んでいたけれど、やはりオモロなかった、他の道を試したくなった、家業のガソリンスタンドを継ぐ可能性も・・・とのこと。
いつもより呑み過ぎて、朝やや寝坊、体調もさすがに少々重い。昼から定例のスポーツクラブで気分一新しましょう。朝一番で(いつも混んでいる)皮膚科〜馴染みの床屋〜少々お高い地元米粉を使ったパンを入手してきました。ここ一週間のオークションCDはボウズ状態、ちょっと出品足しておくか。
昨夜は音楽拝聴できず。今朝、偶然に拝聴したのはGaluppiオラトリオ「アダムの堕落」〜クラウディオ・シモーネ/イ・ソリスティ・ヴェネティ/マーラ・ザンピエーリ(s)/エルネスト・パラシオ(t)/スザンナ・リガッチ(s)/マリリン・シュミージェ(ms)(1985年)・・・もちろん全部に非ず、後半のみ。バルダッサーレ・ガルッピ(Baldassare Galuppi, 1706−1785)はヴェネツィア出身の作曲家、Vivaldiの一世代後(1678-1741)でしょうか。音楽史的にどーの、というのはわからんけど、既にバロックな雰囲気じゃないですね。旧約聖書の禁断の木の実(ぶどう?)を食べたら云々といった筋書き?これがなんとも典雅な、ノンビリしっとりとした旋律、シモーネ率いるモダーン楽器アンサンブルは洗練され瑞々しい響き、歌い手も素直なもの。心洗われる思いですね。その昔、ピアノ・ソナタ第5番ハ長調(アルトォーロ・ベネデッティ・ミケランジェロ1965年)のシンプルな旋律に痺れた記憶があるけれど、彼(か)の風情そのまま、声楽作品に姿を変えたといったイメージでした。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
さて、本日取引先を呼んで行事対応(半分担当)先週の”全部担当”に比べ、あきらかに準備不足(昨日スタッフ辣腕女性に指摘され)今朝一番でフォロー必要〜昨日、取引先商談から戻るのが遅くなって、通常残務も目白押し、ちょいと切羽詰まっております。ま、そこをなんとかするのがヴェテランのワザ。体調”やや風邪”症状は悪化しておりません。このままなんとか正月迄、保ってくれよ。
昨日移動車中音楽。Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1911年版/後半のみ)/Tchaikovsky 交響曲第2番ハ短調「ウクライナ」/Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2004年ライヴネットから拾った音源)・・・やたらと低音強調、残響豊か、臨場感たっぷりな音質、余裕の技量、バランスのよろしい迫力、スケール、爽やかなサウンド、良い意味でラフなノリがたっぷり、神経質な精緻といった演奏ではありません。「現代音楽の古典」である「春の祭典」はほんまの「古典」に至って、スリリング危ういものに非ず。Tchaikovskyの露西亜民謡風旋律も泥臭さ皆無、洗練されて美しい。
Dutilleux メタボール/Stravinsky 三楽章の交響曲/Ravel ラ・ヴァルス〜アラン・ギルバート/ボストン交響楽団(2013年1月ライヴ)・・・音質鮮明、これもネット音源です。ニューヨーク・フィルは一足早く佳き若手(半分日本人)を据えましたね。ボストンのサウンドには品の良さ+色気があって、ギルバートの統率はほとんどライヴを感じさせない精密なもの。以前にも言及したような?じつは「メタボール」は全然別のハードな作品と記憶違い、きらきら繊細静謐に色彩豊かな作品でした。大好きStravinsky中、数少ないぴん!とこなかった「交響曲」は、いままで知らなかった内声部旋律が浮き立って効果的、強面にならず(誰の演奏の記憶かな?)ピアノのアクセントも効果的な”美しい”演奏也。最近のをちゃんと聴いていないけれど、ニューヨーク・フィルより技量はずっと上か。
帰宅してからゆっくり拝聴したもの。Franck 前奏曲、コラールとフーガ(1962年)/Debussy 映像第1集/第2集(6曲/1982年)/ピアノのために/Ravel ソナチネ(1969年)〜イヴァン・モラヴェッツ(p)・・・Ivan Moravec(1930-2015)今年亡くなった名匠の記録。映像はVOX録音、ほかは伝説のConiferSociety録音でしたっけ?たしかミケランジェリの弟子筋、高貴な色彩、神秘的な集中力は師匠譲りの個性を連想します。Franck が始まったら、もう柔らかい、暖かい音色が凡百に非ず、ボールドウィンでしたっけ。よく知ったはずの作品旋律は、まったく別な深淵、静謐、官能の世界に連れて行って下さいました。Debussyの濃密な世界も師匠を連想させるもの。
では、行ってきます。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
先ほどトイレで本を読んでいたら「ひこにゃん富くじ大吉」出現!BOOK・OFF入手だから前所有者が入れてくださったんでしょう。
お仕事にちょっとしたトラブルは付き物、物流部局の指摘に次善の策を取って、取引先にご迷惑を掛けぬようにしつつ、上司に改善策を提言・・・すると!事実誤認でした、ごめんなさい連絡有。丸く納まれば良いんです。夢にまで見たフクザツな処理は、逆夢、ちゃんと粛々とコトは進んでおりました。体調は徳俵状態、夕方やや発熱も感じてスポーツクラブ断念も考えたけれど強行!馴染みとなった(出来の悪い後方配置のドン臭いオッサンとして)妙齢女性のインストラクターより、ちょっと痩せた?声を掛けられました。いえいえ▲1kgでっせ、ほんの。但し、体組成は変わっているかも。しっかり一時間半、汗をかいて熟睡できました。
季節は寒い冬に深まって、昨日、北海道の両親に電話したら親父のあまり様子変わらぬ(通常生活)ようなので、正月の航空券を取りました。帰りの切符が高いんだよね、時期的に。女房殿は大阪の老母(一人暮らし)の元へ、恒例、京都で落ち合って一泊します。こんな贅沢ができるものシアワセでしょう。
本日午前中、定例の実績資料やら報告書とか、昼から2−3件取引先へ回ります。明日は行事対応なので、これで一週間終わった感じ。お仕事は準備八割、本番には強いこちらレジェンド、ちょっと細かい課題案件のみ(一気)クリアすべき宿題は残っております。
Beethoven ピアノ協奏曲第3番ハ短調〜アルトゥール・ルービンシュタイン(p)/ヨーゼフ・クリップス/シンフォニー・オブ・ジ・エア(1956年)・・・これはパブリック・ドメインなりました。LP時代からお気に入りでした。スでしょ?NBC交響楽団解散自主運営オーケストラ、ステレオ初期ぎりぎりの音質水準+ルービンシュタイン69歳の記録。音質は期待以上、オーケストラはトスカニーニ時代の硬質な印象から離れてマイルドなサウンド、ハ短調という緊張感溢れる調性作品、ヴィヴィッドなピアノは明るく躍動しております。ラインスドルフとかバレンボイムとの録音に興味は湧きません。
Beethoven ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」〜アルトゥール・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)/カルロ・マリア・ジュリーニ/ウィーン交響楽団(1979年)・・・DG8枚組ボックスを(7年前)入手して久しいけど、苦手意識先行の「皇帝」は聴いていなかったんじゃないか。(1960年ライヴには感心しました)威圧感の薄いケンプ盤(1961年)が意外とお気に入りで、世評によると”フツウ”とのこと。
こちら颯爽として、まるで最新のファッション、カッコよいスポツカーのような演奏であって、第1楽章「Allegro」冒頭ピアノ・ソロによる独奏からキラキラ鮮やかな流麗な色彩が尋常に非ず。両端楽章の威圧に耐え切れぬ聴き手にとって「皇帝」は苦手作品の極北、ミケランジェリに掛かると有無を云わせぬゴージャスな響きにそれを忘れます。第2楽章 「Adagio un poco」諦観の変奏曲も底光りするように洗練されておりました。ジュリーニのバックがたいへんな貫禄でして、そりゃマリオ・ロッシとは違うよね。音質も悪くない。
今朝、Bach ミサ曲ロ短調BWV232〜オイゲン・ヨッフム/バイエルン放送交響楽団/合唱団(1980年)拝聴開始。編成の厚い、大きな響きに(最近聴き馴染んだ)古楽器とは別な魅力を発見して、いよいよ音楽も年末モードであります。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
現在お仕事は1月末分の処理をして、そこがたまたまイレギュラー連続、超フクザツな作業を要求されて、終日集中緊張しておりました。夜(内容変容して)夢に出るくらい。とにかく終わらせる、クリアする、翌日に基本持ち込まぬことをモットーにして、それはお仕事が”溜まる”から、油断するとにっちもさっちもいかぬ〜ことになりかねないから。なったことはないけど。自分の意志にかかわらず、大きなトラブルはいつ発生するかわからないし。いや、ほんまありきたり、オモロない話題でっせ、これがサラリーマンの日常ですよ。
加湿吸入器連日使用、部屋にも加湿器ついに登場して、なんとかぎりぎり体調維持。今朝、数日前に続いて15年ほど前の自主CD2枚分、再生不能を確認いたしました。盤面かなりいたんでいたので、取り扱いに問題があったと類推。同時期のを試しに再生したら、ちゃんと現役のもありました。
Ro'zsa ヴァイオリン協奏曲 作品24/弦楽オーケストラのための協奏曲 作品17/主題、変奏と終曲 作品13〜ジェニファー・パイク(v)/ラモン・ガンバ/BBCフィルハーモニック(2012年)・・・ミクロス・ロージャ(1907ー1995)はハリウッドの映画音楽で知られるけれど、ヴァイオリン協奏曲はカッコよい!ほんま名曲でした。(ヤッシャ・ハイフェッツ/ウォルター・ヘンドル/ダラス交響楽団1956年)Bartokに似て、もっと大衆的、甘美、わかりやすい世界。硬派と甘美のバランス最高。第1楽章が始まったら、線が細い?押し出しが弱い?そんなことを感じたのは初演者であったハイフェッツの刷り込みがあったからでしょう。1989年生まれ23歳の録音でっせ、こちら。第2楽章以降は甘美な旋律を素直に歌って音質の良さを愉しんだものです。残り2曲は初耳、マンチェスターのオーケストラは以前から注目の充実したアンサンブルだったし、英国の中堅Rumon Gamba(1972-)はけっこう録音ありますね。作品印象としては馴染みのヴァイオリン協奏曲同様、わかりやすい、ちょいとバロックなテイストも感じさせる、これも名曲でしょう。
金曜に行事があって自分が半分担当の準備中、先週より気は楽、本日の定例作業を乗り切って、スポーツクラブも休まず行くつもり。もう週の半分経過、速いなぁ日々。
2015年12月某日/●後始末と発想転換の日々
エルニーニョ現象とやら?暖冬予想もここ数日は冷えて、職場でも風邪が流行っております。こちら大ヴェテランもそれにならってしっかり風邪症状〜咽と熱がないのが救い、鼻水と微妙なあちこち関節痛のみ、このままなんとか年末まで遣り過ごしたいものです。昨日お仕事週の始まりは、なんとかクリアしたしました。もの凄く不快なこと一件、怒りで血がアタマに登って目眩を感じたけれど、冷静に対処しました。若いころやったら爆発したな。一年の感慨(乾いた事実のみ)は「近況」にまとめました。日本の消費不況を反映するかのように、ほとんど買い物らしい買い物をしておりません。ま、喰いもんだけは毎度贅沢続きだけれど。2回も国内旅行すれば充分贅沢か。
さて、正月の北海道行きをどーする?
Holst 組曲「惑星」〜ジョージ・ショルティ/ロンドン・フィル(1978年)・・・テンシュテットの前、1979-1983年までショルティが首席指揮者だった、というのも意外な感じ。1970年にハイティンクがこのオーケストラで録音してましたっけ、それは遅めのテンポ、重く、暗い演奏だったような?こちら例の如し、かっちりとメリハリ華やかな演奏であり、もっと強面強引な演奏を想像していたら、意外とまとも。シカゴ交響楽団じゃないのでキンキラ金属的メタリックな響きでもない。英DECCAの録音はこういった作品には効果的であって、ショルティの構成の上手さ、アンサンブルの集中力が良い方向で発揮された演奏と思います。「木星」の壮麗なところばかり話題になるけど、「火星」の変拍子の激しさ「金星」に於ける安寧「水星」の剽軽なテイスト・・・「土星」の静謐、「天王星」の怪しいユーモア各々魅力たっぷりの名曲であります。
Bartok 管弦楽のための協奏曲〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1979年)・・・世界最高の豊満サウンドは余裕の演奏(オーケストラの上手さ極限)、例の如し奇を衒わぬオーマンディの表現はオーソドックス、これはお国ものでっせ。RCA初のディジタル録音も成功して、目の覚めるような壮麗な音を聴かせてくださいました。Bartokって時に打ち震えるような恐ろしさを感じるけれど、最晩年の平易な作風+オーマンディに掛かれば、ようできた名作!を素直に堪能できます。
派手な作品ばかり聴いてますね。このあとにR.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1980年)を聴いていて、EMIはRCAより解像度において落ちる?みたいな記憶だったのに、オルガンの分離に驚いたものです。では、行ってきます。