Beethoven ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」
(ウィルヘルム・ケンプ(p)/ライトナー/ベルリン・フィルハーモニー)
Beethoven
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」 (1961年)
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調 作品111(1963年)
ウィルヘルム・ケンプ(p)/フェルディナント・ライトナー/ベルリン・フィルハーモニー
ECC-618(DG録音の海賊盤) 中古 250円で購入
ケンプといえば、最近ではフレディ・ケンプなんでしょうが、ワタシがこどもの頃(1960年代)にはウィルヘルム・ケンプ(1895-1991)のことでした。DGのケンプ、DECCAのバックハウス、RCAのルービンシュタイン、CBSのゼルキン・・・この辺りが各社メジャー・レーベルの看板ピアニストだったと思います。Beethoven のピアノ協奏曲全集では、ベルリン・フィルをバックとするケンプと、ウィーン・フィルを従えたバックハウスが双璧の権威だった、と記憶しております。ま、昔日の思い出でしょうが。
ワタシは(相対的に)Beethoven を苦手としていて、つまりはその強靱なるサウンドから逃げ出したくなる・・・とくにピアノ協奏曲を聴く機会は少ないんです。純粋なる個人的嗜好なので勘弁してください。もちろん古今東西老若男女歴史の荒波を乗り越え、「名曲」と評価された作品に対する敬意は失わないつもり。つまり、聴く機会は常に確保している、ということです。で、往年の名盤も機会があれば(こうして)購入しております。(棚中に眠ることも多いが)
で、更に「皇帝」はいっそう敬遠していて、ば〜ん!と冒頭華麗なるフル・オーケストラ+ピアノ・ソロが派手派手しく登場すると・・・引きます・・・が、とにかく聴きましょう。真面目に。1961年といえばカラヤン壮年期の勢いある時期のベルリン・フィルだけれど、件(くだん)のグラマラスなレガート・スタイルではなく、実力そのままに誠実引き締まった(むしろ地味な)サウンド。なんでまたフェルディナント・ライトナー(1912-1996)が担当したんでしょうね。
きっとプロならば、腕が鳴るような技術を発揮すべき名曲なんだろうが、当時60歳代後半のケンプは技術をウリにしておりません。つまり強靱で華々しいテクニックではない〜けど、それで何を表現しているか、が問題なんでしょう。抑制が利いたバックともども、威圧感の薄い、やや細いピアノ・ソロ〜それは線が細いという意味ではなくて、年齢(とし)いくと髪にコシがなくなるじゃないですか、ちょっとそんな感じであり、いかにも枯れつつある、といった味わい風情だと思います。
第1楽章はどんしゃんとやかましいものではなく、淡々とした流れが落ち着いて、やがて粛々と盛り上がりを見せます。第2楽章「アダージョ」の安らいだテイストは、虚心坦懐として味わい深いものであって、薄味の美であります。終楽章はいかにもリリカルであって、強固なる打鍵を誇りません。指が回っていない?弱い?いえいえ、そういう音楽表現なんです。録音は自然で悪くない(この海賊盤でも)と思いました。
●
Beethoven のピアノ・ソナタもワタシにとってはいっそう苦しい・・・但し、このラストのハ短調ソナタはLP時代からお気に入りでした。「皇帝」だって昔馴染みだけれど。小学校の卒業式で第2楽章が流れていて、「ああ皇帝だな」との記憶ありますもの)これは厳しくも凝縮された音楽なんです。これこそ鬼神の如き集中力が必要だろうが、もちろんその方向ではない。
やや弱い、もたつきが感じられるのは事実かも知れないが、細部の弾き流し(崩し)がないんです。第2楽章が次々変奏して、リズムが弾むでしょ。ここも精気が漲(みなぎ)らない。枯れて恬淡として、Beethoven に”戦い”とか”情熱”、”叱咤激励”を求めるなら全然あきまへん。威圧感やら、押しつけがましさを回避するならこれでOKだけれど、個人的には”Beethovenに開眼!”(新しい魅力発見)とは至らず・・・でもね、粛々と進む細かい音型を聴き進んでいくと、たしかに込み上げるものはあります。
(2006年10月27日)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲
|