Beethoven 交響曲第5番ハ短調/第7番イ長調
(アンドレ・クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー)
Beethoven
交響曲第5番ハ短調 作品67(1958年)
交響曲第7番イ長調 作品92(1957年)
歌劇「フィデリオ」序曲 作品72b(1960年)
アンドレ・クリュイタンス/ベルリン・フィルハーモニー
ROYAL CLASSICS グリューネヴァルト教会にて録音 BX703762 5枚組2,600円で購入したうちの一枚。
「知名度や先入観で音楽を聴いてはいけない」〜正確に言うと「知名度や先入観故に音楽を聴かないことは、そもそも論として間違っている」と思います。ワタシはそういった過ちを自戒しているつもりではあるが、正直「思い込み」はあります。以下の執筆は1999年らしいが、当時ジンマンの新しいBeethoven に驚愕して、マイ・ブームが来ていたんですね。やがてワタシは長期間Beethoven 大スランプに陥りました。今思えば、それは(音質のよろしくない)「歴史的録音」ばかり聴いていた弊害か、とも思います。
やがて5年〜ワタシはジンマンを再聴し、依然と変わらぬ感動を得、そしてこのクリュイタンスにはいっそうの驚きを隠し得ません。音質は鮮明とは言い難く、音に芯が足りないし、低音不足は否めないし、弦の艶が上手く捉えられていないのも残念。でも、全体として奥行きと残響と厚みはちゃんとある、流石はベルリン・フィル〜豊かな奥行きやら余裕はちゃんと実感できました。Disky communicationsによるCD化は時にマスタリングが雑だったり、収録構成が滅茶苦茶だったり、なにより装丁が安っぽい・・・これが「棚から取り出しにくい状況」〜「先入観」を生み出します。あれほどLP時代からお気に入りでした。
ワタシ「ジャジャジャ・ジャ〜ンにゃ、もう飽きた」みたいなことはなし。(あれ、このネタ最近使ったような・・・)「運命」だって「田園」だって、よくできた名曲と思って虚心に・・・さて、音楽が始まりました。
適性でスタンダード、速くもなく、遅くもない、納得できるテンポ。リキみなく、余裕を持った上品で清潔、余裕と底力。適度なテンポの揺れ、自然なルバート。「ハ短調交響曲は古今東西屈指の名曲である」という自明の理を、まったく新鮮に、明快に説得させていただける音楽。そりゃ、ジンマンの颯爽と軽快なリズム感やら、聴き慣れぬ旋律の強調は新鮮ですよ。録音だってピンピンの新物!でもね、もっとまじめに、基礎を大切に、フレージングは明快(最終楽章最終盤の金管の几帳面なこと!)に、全体のバランスも配慮いただいて、粛々と音楽は進む〜少々音質が昔風でも感動はそこにちゃんとありまっせ。
そう、走ったり、煽ったり、爆発なんかさせる必要ないんです。急いたラッシュも、変化ワザもがないから、若い頃のワタシは「緩い演奏か」と誤解しておりました。木管が(とくにオーボエ。第7番とは違う人か?)美しい。金管が皮相にキンキンせず、つねに深い。ティンパニの衝撃的な連打にココロ奪われました(〜こりゃ、おそらくどなただって気付くでしょう。もしかしてヴェルナー・テーリヒェン?時代は合ってますか?)。第2楽章は上品で、流れもよく歌ってくださいました。
ああ、第3楽章のホルンは、かつて類を見ない朗々たる勇壮な輝き。中間部の舞曲風の楽しげなノリは、ほんまの「スケルツォ〜諧謔曲」でっせ。テンポも、オーケストラの威力にも余裕を感じさせながら、終楽章のヨロコビと勝利へ。このホルンのスケールもまったく凄い。流れよく高速道路に合流した風でもあり、リキみとか、特別恣意的個性的な表現はなくても、ああ道を間違えず、着実にクライマックス方面に向かっているんだなぁ、といった確信有。やはり、キモというかリズムの締の強烈さは、ティンパニの楔(クサビ)で有無を言わせぬ説得力か。
ラスト、高らかなトランペットが(遠慮がちに、しかし効果充分に)アッチェランドして終了。正直、おツカレ気味の聴き手としては、この「運命」だけでもそうとうにノーミソ満腹状態なんです。やはり最近贅沢になっちゃって、録音水準による聴き疲れもあるのかな。少々、お休みをいただきましょう。
2000年に「贅沢三昧 Beethoven 編」という思い出話しを書いていて、以下の1999年文と同一だけれど、クリュイタンスの第7番は、ワタシにとって想い出深い、貴重なる音楽との出会いでした。なんの裏付けもないが、このセクシーで透明なオーボエは「コッホである」と断言している(当時の)ワタシ。いまでも修正するつもりはありません。やや混乱した文章表現はともかく、演奏全体の印象もその通り変わりありませんでした。
「コッホの透明で鼻にかかったオーボエの音色が美しくて、上品で洗練」「楷書で細部まできっちりと正確に表現されていること・・・上品で洗練されている全体の印象もそのまま・・・ベルリン・フィルの鳴りきったオーケストラの威力が凄い。どの部分も、ひとつひとつの旋律を確かめるような中庸なテンポとリズム感。過不足のない、各パートのバランスの良さ」〜これ以上付け加えることはない。けっこう沢山のCDを聴いてきたが、これが一番好き。
「リズムが平和的でユルすぎると・・・」〜これはベーレンライター版テンポ遵守を念頭に置くと、そう感じられるんです。ま、このテンポで演れる、ということは相当にアンサンブルの集中力も高いはずだし。蛇足ながら、ワタシが少年時代ココロ震わせて聴き行った第2楽章「アレグレット」(そういえばアレグレットなんだなぁ、ゆっくりした楽章じゃないんだ)の感銘はちょっと蘇りました。ベルリン・フィルの磨き抜かれた弦は、な〜んもわからんガキ(当時のワタシ)をも打ちのめすチカラがあったんですね。
熱狂の終楽章も抑制が利いて、必要充分なる盛り上がりに不足はありません。(木管、とくにフルートの美しさが出色)これだったら、そうそう精神的テンションが高くなくても最後まで楽しめるでしょう。「フィデリオ」序曲なんて馴染み中の馴染みだけれど、ああ、こんな素敵な曲だったんだね、といった感慨が沸きました。(2004年3月10日)以下の文書は1999年当時そのまま。
「もっと幅広く音楽を聴かなくちゃ」と思いつつ、Beeやんの交響曲や協奏曲ばかり聴いている今日この頃。(1999年5月)とくに交響曲はいけません。セットものがこんなに安く売っていると、条件反射的にサイフを開いてしまう。でも、なかなか聴けなくて、これも買ってから一年以上経って、ようやく真剣に聴き直しているところ。
ジンマンの全集を聴いて(正確に云うとまだ全部は聴いていない)、快速、軽量、躍動、自由、奔放、な演奏に「?????」状態で引っかかっている私。Beeやんとはこどもの頃から長くつきあっているので、いままでのパターンからズレると悩んでしまう。「好きだけど、これでいいの?」と。そう思いいながらも影響は受けていて、案の定クリュイタンスの演奏に集中するのに時間がかかりました。
交響曲第7番は、LP時代にコンヴィチュニーの1,200円盤で出会いました。カッチリとした真面目な演奏で、曲は気に入りました(とくに第2楽章アレグレット)が、中学校の音楽室にあった、このクリュイタンス盤の美しさに打ちのめされた記憶があります。
赤く透き通ったレコードは、コッホの透明で鼻にかかったオーボエの音色が美しくて、上品で洗練され、低音が弱く、腰が軽かったように思えたものです。久々に聴いた感想は・・・・・。
録音が年代相応に劣化しているのは、そう気になりません。弦の響きがちょっと濁るのは残念。
まず、楷書で細部まできっちりと正確に表現されていること。コッホの音色は記憶通りで、上品で洗練されている全体の印象もそのまま。しかし、低音の迫力不足、というか録音を通してもベルリン・フィルの鳴りきったオーケストラの威力が凄い。どの部分も、ひとつひとつの旋律を確かめるような中庸なテンポとリズム感。過不足のない、各パートのバランスの良さ。
正直云うと、(先ほど書いたように)ジンマンの後に聴き始めると、最初のうちリズムが平和的でユルすぎると感じますね。ところが楽章が進むに連れて、じつに心地よく音楽に集中できるようになる。終楽章における(彼ならではの抑制の利いた)熱狂も説得力充分。
5番もむかしLPで聴いた記憶有。ずいぶんクールで「盛り上がらない演奏」と思っていたのが、ウソのように圧倒されました。
先日聴き返した、カラヤンとの62年の録音もベルリン・フィルの輝かしさに驚いたものですが、この演奏も負けてはいません。
表現的には第7番とまったく同じで、どの部分も明快、曖昧なところなし。テンポは急がず、一見おとなしい演奏のように見えて、ベルリン・フィルの美しく透明な響きを生かした、無駄のない演奏でしょう。オーケストラの質感というか、密度の濃い威圧感がひしひしと感じられます。どんなに音が大きい部分でも響きが濁らないのはさすが。
第7番→第5番と聴いていくと、さすがにジンマンの印象は薄れ「ウン、これこれ」といった安心感も出ますね。(ちょっと安易かも。昔なじみのパターンばかり追いかけていても、ね?)カラヤンのような芝居っけのある節回しはないけれども、最終楽章の盛り上がりも最高。
このCDはお徳用でフィデリオ序曲も付いてます。解説も、まもとな録音データも、トラック表示さえない不親切さながら、この価格なら文句ないでしょう。
やはりBeeやんの魅力には抗しがたい。むかしからのも、新時代の演奏も、少々貯めすぎた交響曲集のCDは、これからまじめに聴きます。(1999年)