R.Strauss 交響詩「ドン・ファン」/「死と変容」/四つの最後の歌
(クルト・マズア/ニューヨーク・フィルハーモニック/デボラ・ヴォイト(s))


WPCS-10232 R.Strauss

交響詩「ドン・ファン」
交響詩「死と変容」
四つの最後の歌

クルト・マズア/ニューヨーク・フィルハーモニック/デボラ・ヴォイト(フォイクト)(s)

Teldec WPCS-10232 1998年

 Kurt Masur(1927-)はゲヴァントハウスのカペルマイスターを四半世紀にわたって務め(1970-1996)、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督(1991-2002)、ロンドン・フィル首席(2000-2007)、フランス国立管弦楽団の音楽監督(2002-2008)といった錚々たる経歴なのは周知のこと。現在の奥様は日本人だから、我が国にもお馴染みの存在でしょう。高校時代オカネモチの同級生が(当時)出たばかりのBeethoven の交響曲全集(旧録音)を自慢気にしていた記憶有。こちらフツウのサラリーマン家庭次男坊は同じゲヴァントハウスでもコンヴィチュニーの廉価盤(1,200円也)第7/8番のみ所有、その悔しさが忘れられず、クルト・マズアに対して佳き思い出は抱けない・・・

 ・・・のは半分ジョーダンにせよ、やがて似非金満中年に至って好きなだけCDを買ったり聴いたりできるような身分になっても、彼の演奏にはあまり好感を持てませんでした。(例えばBrucknerとか)でもね。ニューヨーク・フィル現役ホルンの方が「オケのバランスが改善されたのはマズアの力」とのコメントを拝見して、へぇ、そんなもんかいな、先入観を廃してもういちどちゃんと聴いてみようかな、と。

 R.Straussの管弦楽作品って、古今東西、腕利きオケが録音して、古くは弾丸ライナー/シカゴ交響楽団、往年の横綱カラヤン/ベルリン・フィル、ぐっと渋い落ち着きを感じさせるケンペ/ドレスデン〜種々名盤揃い踏み。「ドン・ファン」始まりました。残響少なめ、けっして悪い音ではないけれど、ずいぶん色気の少ない、やや乾いて(それこそ)バランスの良いサウンドであります。ごりごりとした迫力、推進力に非ず、各パートは過不足なく鳴り渡り、例のホルン・ソロはバランスを外して大爆発して(盛大に割れて)欲しいところでも、その則を崩さない。色彩の変化が足りない。アクとかクセとか大爆発!に非ず、これって昔からのゲヴァントハウス時代の印象とほとんど変わらない。

 バーンスタイン時代が懐かしい、時に粗っぽい響きは影を潜めました。かといってシカゴ響圧巻の大爆発、ボストン交響楽団の艶、フィラデルフィア管の瑞々しくも分厚い響きでもない、妙にコンパクトにまとまった”上手いオケ”になったような?「死と変容」だったら、その辺り神妙な風情に似合って「ドン・ファン」ほどの不満は覚えないけれど、ニューヨーク・フィルに陰影は求められないでしょう。

 Deborah Voigt(1960-)は亜米利加出身のソプラノ、METのリング辺りの常連(ブリュンヒルデ)だから、人生の眩い黄昏を歌うには少々立派というか、力強く朗々強靭とし過ぎでしょう。ここでのマズアの伴奏は絶好調でして、歌い手との距離感、各パートの効果的な歌わせ方、浮き立たせ方、抜群です。嗜好としてはもっとマイルドな優しい声が好きだけど、ラスト「夕映えの中で」( Im Abendrot)が流れると部屋中が黄昏れるのは、ヴォイト 姐さんの立派な声でも変わりません。

 世評高い、クルト・マズアは実演の人なのか。それとも聴き手の相性が悪いだけか。

(2015年12月12日)

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written by wabisuke hayashi