2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
なんか風邪ひいちゃったなぁ、体調ずっと怪しかったけれど。鼻水、首筋の痛み、幸い扁桃腺の腫れ痛みはあまりなくて、自分の場合そこがポイントですから。加湿吸入器の成果か。昨日、午前中に名古屋市内に出掛けて某ボランティア活動の見学(初参加なので詳細言及せず)いわゆる社会奉仕なんだけど、その活動内容が自分が経験してきたお仕事にけっこう関係して、ちょいとその辺りに興味がありました。NPO法人の理事長は10歳上、ふだんは平日の活動だから、たまに日曜にこうして見学させてくださるんです。4人の対応事務局は若者(うち一人は日系ブラジル人女性)もちろんボランティア(平日はちゃんとお仕事している)、7名ほど参加があって予想外に若い人ばかり(学生二人含)自分が最高齢でした。日本は未だ大丈夫だ。平日はリタイアした人が主力なんだそう、65歳お国からお給料(=年金)もらったら一人前なんだそう。
初対面の若者たち+自分より若い人々との会話は愉しく、有意義なものでした。充実した日曜は数年ぶり?サラリーマン引退後はこういった”基盤”をいくつか確保したい・・・寒い朝、夢見もよろしくなく起床。すぐ側の職場(なぜか大きなビルの上の方にある)になかなか出掛けられない、たどり着いたらエレベーターが止まらず屋上に出てしまう・・・
Respighi 組曲「リュートのための古代舞踊とアリア」第3番/Mozart アイネ・クライネ・ナハト・ムジークK.525/Vaughan Williams グリーンスリーヴズによる幻想曲/(伝)Pegolesi コンチェルト・アルモニコ ト長調/Sibelius 哀しきワルツ/Barber アダージョ〜アントニオ・ヤニグロ/イ・ソリスティ・ザグレブ・・・ネットから入手した音源。1960年前後かな?Vanguardの録音は一般に優秀、Barberは別途CDを持っていて、こちら音質は少々落ちるLP音源也。粋な愉しい作品ばかり、一時代を築いた名アンサンブルの記録であります。
Bartok ピアノ協奏曲第2番〜イディル・ビレット(p)/テオドール・グシュルバウアー/ゲヴァントハウス管弦楽団(1985年ライヴ)・・・これもネットより入手したもの(記憶では彼女のサイト)。もう6年ほどの自主CDかな?ビレットのクール怜悧なキレはChopin よりこちらに相性あると思われます。管楽器のみの華やかな伴奏に、いつもの感想だけど旋律を感じさせない、非情なリズムと音色の違いのみ、といった作品であります。
本日で11月は終了、今週もスケジュールはややタイト、本日体調保つか、がポイント。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
ここ数年、お休みやら平日お仕事後に予定を入れることを避けて引き隠り傾向、内向き生活にも飽きてきました。本日、自ら志願して某ボランティアの見学、名古屋市内に出掛けます。これが新しい出会いに至るのか、それとも単発の思いつきになってしまうのか、有意義な一日になることを願いましょう。痩せても枯れてもお仕事で培った技能をそれなり活かせるのか、役立たんオッサンなのか。まったく見知らぬ人々との出会いは、凝り固まったノーミソに新たな切り口を見せてくださるでしょうか。
体調かなり怪しいけど、寒い中、昨日定例土曜午後のスポーツクラブ行き(徒歩3分)強行、エアロバイク30分+初心者向けエアロビクス30分、しっかり汗をかいて、身体を動かしてきましたよ。体重は微増〜うーむ。オークションCDはまずまず、本日1件落札され、ほか2件も入札が入っております。iPodもタブレットPCも売れたし、11月で休止させようかな?そんなことも考えていたけれど、出品を増やしてもう一ヶ月継続させて様子を見ましょう。持ち物はできるだけ減らしたいので。
Franck 前奏曲、コラールとフーガ〜イヴァン・モラヴェッツ(p)(1962年)・・・コルトー辺り昔馴染みの作品が、こんなに静謐、深淵に響くとは!ことし 2015年7年84歳にて逝去したモラヴェッツの柔らかい、角の取れたサウンドに痺れました。ボールドウィンなんですってね。DebussyとかChopin 、拝聴すべき音源は準備してあるけれど、余韻に浸ってこれ1曲で休止中、伝説のコニファーソサエティの優秀録音は噂ばかり、自分はどれがどれやら?出目もわかりません。
Bach 音楽の捧げもの〜ラミン・バーラミ(p)/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団員(アンドレア・オリーヴァ(fl)/カルロ・パラッツォーリ、アルベルト・ミーナ(v)/ガブリエーレ・ジェミニアーニ、カルロ・オノーリ(vc))・・・ぴかぴかの新録音?出たばかりの音源はデータ入手のため詳細情報は不明。3声/6声のリチェルカーレはピアノ・ソロで演奏可能、しかしワタシお気に入りのトリオ・ソナタをピアノで?というのは初耳、チェロのパート(通奏低音か)を右手に配して、主旋律もピアノが担当して+フルートとヴァイオリンといった編曲となります。クイケン兄弟など古楽器演奏に鳴れた耳には、モダーン弦楽器はやや大柄(フルートも含めニュアンス不足)に聴こえます。イメージとしてはBusoni編曲やらピアノによる協奏曲、みたいな印象、それでもBach は演奏スタイルやら少々編曲にはビクともせん、強靭な軸はぶれず、各々個性が愉しめるもの。1976年テヘラン生まれの若手は欧州では評価高く、英DECCAに次々と録音を続けております。しっかり芯のあるタッチは神経質に非ず、スタッカートを基調としてもグールドほど個性的(奇矯?)ではない。
それにしても・・・Bach の旋律リズムの多彩な陰影は、Telemann辺り牧歌的な世界(これも各々個性)とはずいぶんと異なって、聴き応えたっぷりでっせ。
Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調(1975年)/Janacek シンフォニエッタ(1979年)〜ロヴロ・フォン・マタチッチ/ザグレブ・フィル・・・「我が祖国」(1979年ライヴ)2枚組の片割れ、オーケストラの技量的にも音質にも少々難はあるけれど、それをものともせず、スケール大きな泥臭い表現は味わい深いもの。この作品のキモは第2楽章「Andante cantabile」ホルン・ソロ、ここも残念音色の魅力に足りないけれど、洗練されて上手いオーケストラ→結果、凡百なツマラない演奏とは雲泥の差、若手の颯爽とした演奏も悪くないけど(例えばユロフスキの「悲愴」)こんな”大きな”演奏は21世紀に見掛けなくなりました。「シンフォニエッタ」も同様(こちらライヴ?やや金属的なクセのある残響有)作品の魅力をたっぷり引き出してくださる名人芸也。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
一日休んで、予想通りタイトな残務に集中して、昼から取引先へ。これが運転片道一時間、体調著しくよろしくない(とくに眼)そして眠いこと!職場に戻って更に残務ほぼクリア、一週間の業務を終えて早々に帰宅、ようやくこれは急な冷えによる風邪症状とはっきり自覚いたしました。一昨日来の首筋の痛みはそれやったんやな。加湿吸入器を連日使って、今朝目覚めると体調はさほどに悪化しておりません。これだったら定例、昼からのスポーツクラブ強行できるかも。この間オークション送付したタブレットPCなど無事すべて到着連絡があって、売れ行き鈍いCDも今朝時点入札いくつか有。今回のオークション再開のきっかけとなった某物件にもよーやく買い手がついてほっとしております。
上野正彦「解剖学はおもしろい〜死体からDNAまでの秘密」(青春新書)・・・法医学の専門家である上野さんの著作は目に付く限り入手して、その真摯な姿勢にいつも感心しております。これは看護学生への講義をまとめたもの、できるだけ平易にわかりやすく、若い人が飽きないよう工夫したとのこと。読者評価も概ね好評、しかし、読み物としては(不遜にも)さほど面白くないと感じました。やはり事実/事件から導かれる発見を期待しているから。概論として良くできていても、物見遊山なド・シロウト(=ワシ)には物足りない。
天野篤「この道を生きる、心臓外科ひとすじ」(NHK出版新書)・・・この医師の一途な姿勢、集中力はNHKのドキュメント番組を拝見して感銘を受けました。この著作はそれを契機に生まれたとのこと。まず、題名がよろしくない、シンプルに「心臓外科ひとすじ」だけでよろしいかと。内容は期待通り、今まで知った範囲の確認にとどまって、おそるべきストイックな生き方に圧倒されつつ、著作としてはいまひとつな感じ・・・これってこちらの体調問題、受け取り方ですか?
音楽の方も不調そのもの、取引先移動中に拝聴したTelemann 管弦楽組曲ニ長調TWV55:D18/ト長調TWV55:D10「ドンキホーテのブルレスケ」/ハ短調TWV55:c2/ニ長調TWV55:D4〜パトリック・ペイレ/コレギウム・インストゥルメンターレ・ブルーヘンス(2004/2005年)・・・7年前に聴いて大苦戦、大Bach に比べるとシンプルな旋律リズムは陰影に乏しい感じはあるけれど、このモダーン楽器によるアンサンブルは生真面目、四角四面っぽくて躍動に不足すると感じます。評判はよろしいみたい、優秀録音とのことから拝聴環境問題+体調問題両方の印象か。しかし、このあとに聴いた(自主CD)Bach パルティータ イ短調BWV1013〜ポーラ・ロビンソン(fl)(録音年不明ライヴ)・・・フルート一本で無限の広がりを感じさせる深淵、「シャコンヌ」〜レイ・チェン(v)(1989〜)には「人類の悲劇」をしっかり受け止めました。慣れとか嗜好の問題かも。
ヲタク話題継続恐縮、CDボックスをひっくり返していたら、同封された自主CD一枚発見、記憶では15年ほど前のもの、手脂なんか付いて傷も目立って再生まったく不能でした。扱いや保存状態にもよるけれど、5年位前のものは問題ありませんね。上のBach はおそらく6年くらい前のもの(amazonPBのCDRが激安だった→その後値上)盤面も美しく維持されておりました。さて、どのくらい保つものか、DVDも含め。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
一昨日夕方、首筋の異様な痛みにお休みを決意、体調は悪くはないけれど、急な冷えに風邪気味なのでしょう。ちょっぴり快復して、本日は一日休んだ分残務目白押し。ご近所ショッピングセンター迄、12月20日(日)Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」(長久手フィル)のチケットを購入に出掛けたら、ここで扱う分はもうない、と。ガッカリして帰宅したら、女房殿は知人が出演するから一枚義理で買ったとのこと、有り難く譲り受けました。帰りのエレベーターにて同階の主婦といっしょになったら「マイ・ナンバー届きました?」との質問有、ことの是非さておき、基本実務処理の甘さ、処理能力に疑念おおいに湧きますね。「オレオレ詐欺」に続く新手のトラブル発生必至でしょう。お隣、韓国でもけっこういろいろあるらしい。研究対策できているんでしょうか。
Brahms ピアノ協奏曲第1番ニ短調〜マルティーノ・ティリモ(p)/クルト・ザンデルリング/ロンドン・フィル(1978年)・・・第1楽章「Maestoso」(堂々と、威厳をもって)冒頭のオーケストラの威圧感、それに対比する落ち着いた重心の低いピアノ・ソロが印象的な作品であります。第2楽章「Adagio」クララへの愛の告白「あなたの穏やかな肖像画を描きたいと思って書いた」の優しさ、深遠な安寧が好みとなりました。ザンデルリンクのオーケストラは意外なほど爽やかなバランス感覚、キプロス出身のヴェテラン・マルティーノ・ティリモ(Martino Tirimo 1942-)も強面にスケールを強調しないリリカルな味わい、作品の憂鬱な美しさが際立つ演奏です。現役CDだけど、 ピアノ四重奏曲第1番(管弦楽版)をムリムリ収録させるから、第2番が泣き別れになるのはいただけません。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜クラウディオ・アバド/ベルリン・フィル(1989年)・・・手許の音源整理確認をしていて、ああこちらは聴いていないかも、1981年シカゴ交響楽団との旧録音は幾度も聴いた記憶あるけど。ベルリン・フィル芸術監督就任直前、既にカラヤン時代とは異なる清潔かつ緻密なサウンドに仕上がって、クールかつ作為を感じさせぬ”純な”演奏でしょう。しかし、我が貧者のオーディオ環境との相性か、二度聴いて印象が定まりません。世間の絶賛ほどに感慨を得られず、仕切り直しいたしましょう。
Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜クラウディオ・アバド/ルツェルン音楽祭管弦楽団/エテリ・グヴァザヴァ(s)/アンナ・ラーション(ms)/オルフェオン・ドノスティアルラ合唱団(2003年ライヴ)・・・こちら三度目の正規音源、逆に第1回目(シカゴ)、第2回目(ウィーン)との録音はあまり聴いておらず、こちらラスト録音ばかり、団員に錚々たるゴールデンメンバーを揃え、表現は直截、迷いなくスッパリとしたもの。愉悦に充ちたスケール、オーケストラ、声楽とも充実して、祝祭的な風情が盛り上がって、珍しく最後まで集中できました。
では、行ってきます。朝一番から根性入れて乗り切りましょう。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
細かい瑕疵さておき、 概ね昨日の行事を職場女性陣の応援も得、無事乗り切って、準備合間にいつもの定例業務もクリアできたので本日お休みをいただきました。当初の外出予定がキャンセルになったのと、終日立ち仕事の疲労+いつにない首筋の痛みを自覚しております。それでも夜はスポーツクラブ行き強行!全身運動すれば改善するかな、と。汗はたっぷりかいて結果、全身疲労+今朝目覚めても痛みは取れません。(体重はほんの少々微減状態)挙句、先ほど右足先が攣って数分間苦しみました。水分は充分摂っているんだけどなぁ。
数日前送付したiPodClassicは無事到着連絡有。ほっとしました。
昨日傷発見に泣いたCDRossini 弦楽のための四重奏ソナタ集(2)第4番 変ロ長調/変ホ長調/第6番ニ長調〜ロッシーニ・アンサンブル(ブダペスト)/アンドラーシュ・キス(v)(1991年)・・・ONKYO CDプレイヤー/iPodドッグ CBX-Z10では音飛び発生(CDの読み取り感度がよろしくない?安物CDRでも時々不調)、コンポのプレーヤー(SONY/DVP-NS715P)ではちゃんと再生を確認いたしました。いかにも録音用臨時編成!といったネーミングの団体は、ハンガリーのヴァイオリニストがリーダーを務めて、ちゃんとした清涼なサウンド。残響豊かに、ややオフ・マイクな音質も悪くないもの。カラヤンの豊満な余裕も素敵だけれど、シンプルな愉悦を清潔に表現する、こちらのアンサンブルも悪くありません。
Handel トリオ・ソナタ ト短調 作品2-8 HMV393/Fux トリオ・ソナタ イ長調 K.340/Fasch トリオ・ソナタ ニ長調 FWV N:D4/Tuma トリオ・ソナタ ハ短調/Telemann ターフェルムジーク(食卓の音楽)第1部〜トリオ 変ホ長調 TWV 42:Es1/Handel トリオ・ソナタ ホ長調 作品2ー9,HWV394〜アンサンブル・ディドロ(2013年)・・・題して「The Dresden Album」18世紀前半のバロック時代、Bach は別格に魅力的と思うけれど、やや知名度の落ちる作曲家の作品だって、なんとも優雅典雅な響き。ハネス・プラムゾーラー(v)/ヴァルジャン・ドネイヤン(v)/グルリム・チェ(vc)/フィリップ・グリスヴァール(cem)が奏する3声のソナタ、古楽器の技巧のキレは当たり前に至って、端正に整ったアンサンブルは生真面目過ぎるほど。30年ほど前の記憶にあった、あまり美しからぬノン・ヴィヴラート、素朴どころか素っ気ない響きが夢のような、古楽器演奏の進歩、成果。もうちょっとユルく、自由でも良いんじゃないの?
Fux(1660-1741)の躍動する愉悦、Fasch (1688-1758)の優雅な陰影ある風情、Tuma(1704-1774)の作品は初耳だったかも、ほんの短い2楽章は嘆きに充ちてほの暗い魅惑の旋律(フーガ)でした。HaydnMozart 以降のピアノ・トリオより、Barock時代のトリオ・ソナタに多彩な広がりを感じます。馴染みの「食卓の音楽」は上手さ生真面目さが際立って、もうちょっと弾(ハジ)けて欲しいところ。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
そういえば一昨日の夜「風街レジェンド〜松本隆 作詞活動45周年記念 オフィシャル・プロジェクト〜」後半戦ちょいと拝見(失念していた)。はっぴぃえんどはもともと激しいパフォーマンス絶叫!バンドじゃなかったけれど、生き残った三人はすっかり爺さんになって、いっそう落ち着いた味わいに至りました。どの作品もほとんどフルコーラス歌える青春の記憶、細野晴臣、鈴木茂は現役のパフォーマー、松本さんは実演から遠ざかって、それでもちゃんとドラムを叩けるのが立派。大滝詠一が亡くなって「はいからはくち」のヴォーカルは佐野元春が担当、これも相応しい人選でしょう。こどもの頃の刷り込み、嗜好は一生モンです。再放送せんか。もうちょっとで12月、わりと温かい日が続きます。
久々、若いお姉さんにしっかり歯を掃除してもらうとキモチ良さ抜群!歯磨きは熱心なつもりだけれど、デンタル・フロスはやらんもんな、前歯の裏とか不快感が募っておりました。その道のプロの指導はたいしたものです。次、三ヶ月後に実施予定。本日、自分主催、取引先を集めて半年に一回の行事対応有、なんとかなるでしょう。
Mahler 交響曲「大地の歌」〜ヨーゼフ・クリップス/ウィーン交響楽団/フリッツ・ヴンダーリヒ(t)/ディードリヒ・フィッシャー・ディースカウ(br)(1964年ライヴ)・・・第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」が始まって、その曇りがちな音質にガッカリして調べると、クリップスの遺族が所有していた放送録音のコピーからの復刻とのこと。しかし、ヴンダーリヒの明朗な声、爽やかな節回しを聴いていると途中で止めるわけにはいかぬ魅力横溢、パツァークほどアクが強くなく、ヘフリガーほど生真面目が過ぎないバランス。フィッシャー・ディースカウは相変わらず微に入り細を穿つ表現、完成度高いもの。但し、自分の嗜好としては男声女声交互に出現するほうが作品の彩りが深まると感じます。ヨーゼフ・クリップスのMahler ?ちょいと不思議な感じだけれど、意外なほどスケールの大きさ、例の如し慈しむような細部描き込みに感銘ひとしお〜でもね。
ラスト「告別」の延々たる静謐は、この音質では少々キツい。それなりの音質を気にするようになった罰当たり者、それは例えばブルーノ・ワルター新旧二種以来、この作品はたいてい音質に恵まれた音源が多かったせいもあることでしょう。
今朝、Rossini 弦楽のための四重奏ソナタ集〜ロッシーニ・アンサンブル(1991年)後半を聴いていたら、途中音飛び有。あわててCD盤面を確認すると微細な傷数ヶ所有。20年ほど前大枚980円(*2枚)入手、通勤出張時にポータブルCDプレーヤーを持参していた頃、替りのCDを不織布一枚に収納、これが書類でパンパンの鞄中にこすれて数枚お釈迦にした記憶(涙)もあって、おそらくその流れでしょう。諸行無常。形あるものは必ず衰えていくものです。もったいないなぁ、めったに聴かんけど。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
月曜祝日、本日より一週間サイクルのお仕事再開+途中自分主催の行事が入って準備万端、冷静に対処したいと思います。年末のご近所演奏会(Mahler 「復活」)チケットを買いに行こうと思っていたのにすっかり失念、睡眠不如意もあってぼんやり引き隠っておりました。加湿吸入器を使って、昨夜はしっかり眠りましたよ。こんな生活ではアカンな。夜、先日治療の奥歯点検+歯石除去予約入れております。
Debussy 牧神の午後への前奏曲/交響的素描「海」/夜想曲〜アラン・ロンバール/ストラスブール・フィル/ラン国立歌劇場合唱団(1981年)(ラプソディ第1番〜アルミン・ジョルダン/モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団)・・・アラン・ロンバール(Alain Lombard, 1940〜)は主にオペラ畑の人のせいか、日本ではあまり知名度はないでしょう。このオーケストラは歌劇場のオーケストラも兼ねているそう(パターンですね)。淡い色彩、薄っぺらい木管、ほんわかマイルドなサウンド、アンサンブルのバランスよろしく粋な風情漂う味わい演奏也。この系統では未だにアンセルメが人気ありそうだけど、録音で聴く限り、こちらのほうがずっとオーケストラは上手くて、隠れた実力派といったところ、作品は選ぶのかもしれません。音質も良好。
Chopin スケルツォ(第1番ロ短調 作品20、第2番変ロ短調 作品31、第3番嬰ハ短調作品39、第4番ホ長調 作品54)/即興曲(第1番変イ長調 作品29、第2番嬰へ長調 作品36、第3番変ト長調 作品51、第4番嬰ハ短調 作品66「幻想即興曲」)〜ロベルト・シドン(p)(1976年)・・・1941年ブラジル生まれ、LisztとかScriabin、いかにも技巧派!といった録音が多くて、Chopin のイメージは意外でした。硬質、重量感あるクール、輝かしく洗練されたタッチ、スケルツォにはぴったり!な切れ味は爽快そのもの。甘美味わい系ならノクターンとかワルツも良いかも知れないけど、ラスト”いかにも”(安っぽいドラマに登場する深窓の令嬢が演奏する・・・っぽい)幻想即興曲の鮮やかな成果含め、シドンの魅力全面開花でした。
Best of Play Bach /G線上のアリア/シチリアーノ ト短調/トッカータとフーガ ニ短調/平均律クラヴィア曲集第1巻第1番前奏曲とフーガ ハ長調/コラール「主よ、人の望みの喜びよ」/イタリア協奏曲/コラール「目覚めよ」/半音階的幻想曲とフーガ/協奏曲二短調〜ジャック・ルーシェ・トリオ(1985年?)・・・データ入手故、情報不備。なんせ膨大な録音があって再々録音、コンピレーションの組み換えも頻繁、比較的類似の収録から発売年を類推しました。ロイヤル・フィルと共演したブランデンブルク協奏曲第5番が有名だけど、あれはオリジナルの弦楽合奏が窮屈だし(しかもアンサンブルが粗い)トリオのみの自在な、阿吽の呼吸に本領が発揮されると感じます。原曲をベースを完全に準備して編曲しているのでしょうか。それとも一定の決め事を押さえたら、この小節はアド・リブとか、装飾音とか自由なのかも。馴染みの旋律がリズムを変え、シンコペーションし、スウィングして、どんどん変容してアツくなっていく風情、最高!ピアノはもちろん、超絶ベース・ソロにも打ちのめされます。音質も極上。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
大阪W選挙、維新圧勝。地元では強いですね、こちら名古屋方面(だけじゃないか)”第三極”はへろへろ、市長知事の個人人気に頼っている状態。たしか地元・長久手には”減税”の議員はいませんよね。なんやぱっとせん民主党は分裂含み、野党では唯一共産党が気を吐いて、社民党ほとんど消滅、残り自民党を利するような結末になって、頼むぞ市民運動・・・って、引き隠って評論しても仕方がありません。一週間前に(使わなくなった)iPodとエエ加減Wifタブレットの処分を思い立って一週間、オークションでは望外の値がついて昨日送付完了したら(思ったより送料はずっと安かったし)なんやすっかり気が抜けて一区切り。ぼんやり過ごして挙句、テレビ番組もオモロない、夜はひどい睡眠不如意でした。
CDは”まとめ売り”(送料節約)して週一回程落札有、程度の成果。売れまへんな。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調/第3番ニ短調〜スティーヴン・ハフ(p)/アンドルー・リットン/ダラス交響楽団(2004年)・・・スティーヴン・ハフ45歳の記録(Stephen Hough, 1961〜)いつまでもリヒテルやらアシュケナージでもないでしょ。大好きな作品、こちら速めのテンポさっぱりとした表現は腕の立つ若手にありがちな”表層をなでる”風に非ず、ライヴとは思えぬ完璧な技巧(編集はしていることでしょう)は、細部配慮が行き渡って、歌心に溢れて、新時代の切り口を感じます。濃厚甘美な旋律が漆黒の大河を連想させた第2番(リヒテルの刷り込み)は甘さ控えめ、ホロヴィッツ以来鬼神の如き技巧炸裂して華やかな第3番だって、さらさら爽快、のびのびと切れ味があって聴き疲れしない。もちろん、音質は極上です。
今朝、ちょいと寝坊して(出勤だったら遅刻しない程度)Bach が聴きたいな、と。Bach 管弦楽組曲第2番ロ短調/第3番ニ長調(1978年)/オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ハ短調(1984年)〜トレヴァー・ピノック/イングリッシュ・コンサート/スティーヴン・プレストン(フラウト・トラヴェルソ)/サイモン・スタンデイジ(v)/デイヴィッド・ライヒィンバーグ(ob)・・・5年ほど前のコメントが残っていて、こどもの頃に聴いたカラヤン、マゼールの印象からがらり!作品イメージを転換させた演奏(こちら旧録音)だったと記憶します。未だに一番人気らしいカール・リヒターもそうなんだけど、暗い詠嘆に揺れる第2番ロ短調、壮麗に立派なスケールを誇る第3番ニ長調、というのは19世紀〜20世紀、浪漫の洗礼と現代楽器の機能的な発達の成果だったのですね。こちら軽快に弾むようなリズム、さっぱりとしたフレージング、舞曲の集まりなんだから当たり前のスタイルに目の覚めるような衝撃を受けた記憶も鮮明、古楽器のザラリとした味わい深い古雅な響きも魅力でした。
いったい楽譜はどーなっとんのか。これほど違う”譜読み”って可能なんですか?著名な「アリア」の低弦ピチカート何処?ド・シロウトに教えて下さい。オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ハ短調も痺れるような魅惑の旋律+ソロ楽器掛け合いの緊張感に打たれ、これも出会いはヴィンシャーマン(1962年)ですから。デイヴィッド・ライヒィンバーグの粗野な響きが自分の標準に至りました。ま、ここ20年ほど古楽器聴きまくってミュンヒンガーとかヘルムート・コッホ辺り一周して、堂々たる重量感は妙に新鮮に感じる今日此頃・・・
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
土曜は月一回出の番が回ってくるけれど、諸行事やら巡り合わせが悪くない限り休むようにしております。昨日はなんや一日損した感じ、午前11時には当初考えていたお仕事はさっさとクリアして、お電話もほとんどなし。あまりにヒマ、思わず昼飯(おにぎり持参+職場にあったサンプル)喰い過ぎましたよ。夕方、自宅より徒歩20分ほど?以前から気になっていた寿司屋というかオシャレな居酒屋へ〜客層が若いファミリーばかり、若夫婦+可愛らしい男の子やら赤ちゃん連れて3組ほど、ボタンエビの刺し身、カマスの焼き物、マナガツオの煮付+サラダ、ビール、と日本酒1合いただきました。鮮度はまずまず、値段も予想通り、接客も雰囲気も良好、しかし煮付の味が濃すぎて口に合いません。それに(例の如し)普通酒がない!ブランド酒ばかり(ワリと良心的な値付)肴を少々、安い酒ばかり長っ尻な客は要らんということか。最近の風潮ですか?それとも名古屋文化圏固有の事象か。締めに寿司を頼むつもりだったけれど、さっさと引き上げました。
本日結婚記念日。すっかり忘れてました。
初代DosparaTABLET A071-D15A(Nexus7化/Wifi)とiPodClassic 160gb Black(イヤホン欠品)、昨夜オークション終了。とくに前者はまず売れんやろな、そう考えておりました。(送料こちら負担良心的値頃出品)ところが!送料分のみならず、結果入手の半額くらいまで競り上がって落札されました!ソフト(CD)は人気ないけどハードって需要あるんやな、ここ8年ほど、例えば旧ノートパソコン、オーディオ関係とか必ず売れた記憶有。午前中には散歩兼ねて郵便局に行ってきましょう。
Gershwin ラプソディ・イン・ブルー(1924年オリジナル・ジャズ・バンド稿/Grofeによる)〜ジョアンナ・マクレガー(p)/カール・デイヴィス/ロンドン交響楽団(1991年)・・・マイケル・ティルソン・トーマス+作曲者ピアノ・ロール盤(1976年)がけっこう有名、それは快速、ノリノリなゴキゲン演奏でした。名曲中の名曲!こちらCD一枚分全部聴いていない1曲のみ拝聴、軽快なリズム感、仕上げも上々なんだけれど、フツウに上手い演奏+薄い響きのバックみたいな感じ。とても良いけれどMTTのようなショッキングな鮮度を感じぬのは、擦れっ枯らしな聴き手の感性問題なのでしょう。演奏効果的に日常Grofe管弦楽編曲版(正確には1926年稿を基本とした1942年フランク・キャンベル=ワトソン改訂版)が演奏機会が多いけれど、軽妙なテイストのサウンドもよろしいものです。残りもちゃんと聴きましょう。
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団(1954年)・・・久々の拝聴は自主CD棚「20世紀音楽Historical」取り出した昨日の流れ。20枚組ボックスに含まれて復活してますね。日本では人気イマイチだったけれど、ピッツバーグでは長く敬愛された人(在任1952-1976)、ボストン交響楽団では小澤征爾の前任に当たります(1969-1972)。剛直、ストレート、残された音源印象からオーケストラの響き明るく、推進力があってもやや粗く(?)重い・・・虚心に拝聴すれば、そのテンション、集中力迫力に圧倒されます。未だ「春の祭典」が難曲であった時代、虚飾のないストレート系といってもドラティとはずいぶんと印象は異なりました。こちら色気も熱気もちゃんとあって、オーケストラが上手過ぎて表層を流れることもないアツさ充満!技量的に充分な輝き、厚み、爆発があって爽快そのもの。久々、粗野な「ハルサイ」たっぷり堪能いたしました。音質はまずまず、時代を勘案すれば充分かと。
今朝拝聴しているはPonce 南の協奏曲/Rdorigo ある貴紳のための幻想曲〜アンドレアス・セゴビア(g)/エンリケ・ ホルダ / シンフォニー・オブ・ジ・エア(1958年)・・・これもネットから拾ったパブリック・ドメイン音源。記憶では米DECCA録音(英DECCAとは別な会社)、DGオリジナルとして復活したこともある、ちゃんとしたステレオ録音であります。ギター協奏曲と云えば「アランフェス」(官能的第2楽章「Adagio」変奏曲最高!)寡占状態、PONCEだって南国風情漂う、妖しい微熱に充ちてエキゾチック、素敵な作品也。「ある貴紳」(セゴヴィアのこと)も名曲ですよ、Respighi「リュートのための古代アリアと舞曲」クリソツな場面(おそらく同じもの)が出てきて、あれって昔からの著名な旋律引用なんでしょうか。2曲とも彼に献呈された”ギター界のカザルス”、味わい深いギターであります。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
残念ながら本日土曜出勤留守番、お仕事サイクル的には昨日迄に一区切り付けて、差し迫ったものはありません。偶然、ほかの出勤者がすべて外出して電話番留守番が必要ということです。巡り合わせがよろしくなくて、こんな時には”悪魔の電話”を取ってしまうこと再々、他の縄張りのトラブルをなんとかするのもヴェテランの役割でしょう。先日阿藤快さん(69)の急逝、花のニッパチ・北の湖理事長(62)も亡くなったとのこと。大動脈破裂と大腸がんか・・・川島なお美が55歳でしょ?ちょっと早いよね、平均寿命が伸びてもそれはあくまで平均、さて自分はどうなるのか。
二日ほど睡眠不如意が続いて、一昨日はよく眠れたけれど早朝右脚ふくらはぎ攣って悶絶覚醒、今朝も左脚付け根が攣りそうになって(なんとかディフェンス)4時半起き、これはなんでしょうか。今週は呑んでないし、水分は多く摂っているはず。
Barber バレエ組曲「メディア-心の洞窟」作品23〜作曲者/ロンドン新交響楽団(1950年)パロドス(Parodos)/コロス、メデイアとイアソン(Choros. Medea and Jason)/ 若き王女、イアソン(The Young Princess. Jason)/コロス(Choros)/メデイア(Medea)/カンティコス・アゴニアス(Kantikos Agonias)/エクソドス(Exodos)/Mozart 交響曲第29番イ長調K.201(186a)〜ペーター・マーク/スイス・ロマンド管弦楽団(1950年)/Mendelssohn 弦楽四重奏曲第2番イ短調 作品13〜ヤーノシュ・ローラ/フランツ・リスト室内管弦楽団(2014年ライヴ)・・・ここしばらくデータから直接音楽拝聴する機会が多くて、自主CDとは疎遠になっておりました。もう絶対に聴かん!もの(主に歴史的音源)は100枚単位で学生時代の先輩にムリヤリ押し付けました。久々「20世紀音楽Historical」(自分なりの分類)を取り出したら、こんな無定見な組み合わせの一枚出現。これって1980年代、盛んにエア・チェックしていたカセット・テープにできるだけ無駄なく余白を埋めて収録したクセかな?わずか1年前拝聴とサイト内検索できるけど、記憶は完全に飛んでおります。
ワタシのはネットから拾った音源(LP復刻)「メディア」はNAXOSからちゃんとCD化されております。
冒険活劇風わかりやすい旋律サウンド連続、サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910-1981)は世代からみると「遅れてきたロマンティスト」無調とか不協和音とは無縁、平易かつ甘美+ノリノリな世界が続く25分ほど。モノラルでもさすが英DECCA、音質はかなり鮮明です。オーケストラも上手いもんでっせ。日本じゃほんま人気なくて「弦楽のためのアダージョ」あとヴァイオリン協奏曲くらいか、まずまず聴かれているのは。知名度薄い作品をわざわざ聴く(=お金を掛ける)のは勇気のいること、こうしてネットから気軽に音源に確認できる佳き時代となりました。
ペーター・マーク31歳の録音も英DECCA録音。この人はワルター辺り大人気だった頃「次世代のMozart 指揮者」と期待された人だったんだな。旧録音もちゃんとCD化されております。繊細、自然な息遣いの演奏也。軽快な清涼感はアンセルメのオーケストラの印象そのまま、整った清潔なアンサンブルと、浮き立つように颯爽としたリズム感はマークの成果でしょう。
Mendelssohnはごく最近のライヴ音源みたいですね。弦楽四重奏を室内オーケストラ編成で演奏して、まるでちょっとした交響曲風のスケールを感じさせます。初期中期浪漫派の交響曲は一般に苦手、ピアノ・ソロとか室内楽はどれもたいてい嗜好にフィットする不思議。明るく安寧な序奏からほの暗く躍動する第1楽章「Adagio-Allegro Vivace」、陰影の色濃い情感が高まる第2楽章「Adagio non Lent」、第3楽章「Intermezzo-Aregretto con Moto」は繊細な躍動感溢れ、終楽章「Presto」には劇的な躍動〜そして静かに鎮静して締め括られる名曲也。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
いつもの週末も明日、土曜出勤当番留守番が決まって気分的にはくつろげません。ま、非常事態宣言の仏蘭西と違ってノンビリした郊外新興都市の生活であります。昨日、東京本丸より現状分析と中期的な課題整理を伺うため常務職場来訪、昔馴染みの若手筆頭です。その分析のわかりやすいこと!発想の柔軟なこと!自分が引退後の話題なので、要らぬ水を差すつもりは一切なし、大きなお仕事での分担は各々あるはずで、大道に間違いがなければ、その具体化に最前線・現場は傾注すべきなのは当たり前。ところがここ最近「ブレイク・ダウン」「ボトム・アップ」ができない事象が多くありませんか?どこかに火災が発生して「火事だ!」と叫んだら→「初期消火を!」→「消防署に連絡!」→「避難誘導しろ!」→「人員確認はできているか!」→「重要持ち出し案件は?」とかなんとか、そんな流れは必須でしょ?ところが「火事だ!」→「火事だ!」→「火事だ!」と右往左往するばかり、大方針のブレイク・ダウンができなくて、そのまま”丸投げ”はよく見られる光景であります。
んなことより、なにより”傘がない”。身近なしょうもないことに暗鬱として〜お隣の来年2016年3月定年退職のヴェテランが継続雇用希望とのこと。上司との定期面談(今回は評価伝達→高評価をいただきました→もう引退近いから関係ないけど)にて、伺って驚愕!希望すれば雇用は確保されるのが労働者の権利、しかし小さな職場に職種は限られ、彼のすべき(できる)お仕事は想像付きません。現在も20年ほど?持ち分をどんどこ減らしても経費、残業は変わらず腫れ物に触らぬように放置され、引退を待っていたのに・・・自分が”そういう立場に追い込まれている”という自覚がないのか。自分と同じエリアの担当だから、その余波と尻拭いとかタイヘンなんです・・・
若い人の定期採用、人材育成教育に熱心だから、若くて優秀な人材つぎつぎ育ってますよ。権利は権利だけど、ヴェテランの立ち位置や役割を自覚しないと”不良在庫”に至る自覚有、自分は職場でいちばん嫌がる、メンドーなお仕事を率先して引き受けてますよ。パソコンの技術は誰にも負けぬよう努力してまっせ。異動3年目、若い人も相談に来るようになりました。この人がいなくなったら困る!状況を作り出して(ほぼそうなった、というのは傲慢な思い込みか)そしてさっさと辞めたい、次の道を探したいもの。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜グスターボ・ドゥダメル/スカラ座フィル(2008年ライヴ)・・・これはネットから拾ったライヴ(放送?)音源。次々世代の巨匠の演奏スタイルとか、まだあまり理解していないけど、テンポを自在に変化させて表情はかなり濃厚。おそらくは馴染みの薄いオーケストラを自在に操って、けっしてムリムリでも独りよがりでもない、説得力抜群の”浪漫”な演奏でありました。音質はそこそこ、オーケストラの響きが明るい?というかMahler にはやや違和感あるけど、ミスタッチ云々別として、ここまでアンサンブルをコントロールできれば立派なものです。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日は睡眠不如意押してのお仕事、不思議なことに体調不良を感じることなく(そこそこ)忙しい一日を終えました。残務もキレイにクリア。お仕事は妙に順調やなぁ、なんか逆に心配、一発凄いのが待っていそうな・・・夜、スポーツクラブ強行、週2回実行を決意して、今週土曜は出勤留守番が確定したので、ここでサボるわけにはいかんのです。前半エアロ・バイク43分でご飯一杯分=ビール中ジョッキ一杯分のカロリー消費、溢れ出る汗〜更にここから45分(実際は50分超え)の初心者向け(でも毎度付いていけない)エアロ・ビクスにヘロヘロ。体重は微妙に減って72.8kg。数日前の健康番組の医者曰く、激しい運動は毎日するのはよろしくないとのこと。週2回は適正なのかも。
エエ感じに身体をいじめて〜結果、やはり睡眠不如意、2時半頃途中覚醒、小一時間ほど(深夜に相応しい)Debussy 前奏曲集第1巻/第2巻〜モニク・アース(p)(1962年)静かに拝聴してから二度寝(うつらうつら)したものです。
Shostakovich 交響曲第5番ニ短調〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1981年)・・・幾度か聴いている”新時代の”演奏也。ハイティンク人気はたいしたもので、ほとんど評価は高いもの。旧ソヴィエット系でもバーンスタインでもない、淡々と情感を交えず、抑制を旨とした表現は飾りもなく、大仰なる交響曲のイメージを覆すもの。オーケストラの豊満な響き、音質も良好とはいえ、こうなると”そもそも作品が好きか”が問題となることでしょう。ワタシに集中力は足らず、新たな発見、切り口を得られませんでした。再度、折を見て挑戦いたしましょう。
昨日の続き。Shostakovich 交響曲第14番ト短調「死者の歌」〜クレメラータ・バルティカ/ギドン・クレーメル/ユリア・コルパチェヴァ(s)/フョードル・クズネツォフ(b)(2004年ライヴ)・・・ほとんど話題にならなかった音源。ネットでいくつか感想を拾っても概ね評判はよろしくありません。響きが薄い、迫力不足と。Mahler もそうだけど、ほとんど各パート一人(じゃないけど)風+打楽器+声楽、ムダを削ぎ落とした、骨ばかりのサウンド。Mahler /Shostakovichは大編成大音響分厚く響くサウンドが前提、不満が出るのも納得、でもね。小編成の弦は研ぎ澄まされた切れ味、集中力、ニュアンス、打楽器と声楽が浮き立って、ズズ暗い恐怖の作品は静謐さが際立って洗練されます。まだまだShostakovichはお勉強中だけれど、声楽二人圧巻の説得力には納得できました。音質も極上。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
相変わらずどんより薄ら寒い空模様、これから雨とのこと。昨日は(珍しく)最悪に忙しく、冷や汗状態のトラブルも発生、狙った宿題のクリアを逃しました。座り仕事=パソコン・キーボードが主たる作業なので、両腕両肘状態最悪、幸い肩こり症じゃないのが救いでしょう。アレルギー?風邪なのか、鼻詰まり、痰の絡みも最悪、加湿吸入器を使えばよかったのにそのまま就寝したら、息苦しく途中覚醒、二度寝も浅眠状態〜今夜、久々の水曜夜スポーツクラブなのに(土曜のより少々キツい)・・・今朝の朝日新聞の読者投稿コラム、小学2年生の孫娘に「夢はかないましたか?」と問われて、考えこむ爺婆〜その世代にワタシも接近しました。
Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調/幻想曲集 作品116〜エミール・ギレリス(p)/オイゲン・ヨッフム/ベルリン・フィル(1972年)・・・この巨大なスケールを誇る4楽章はお気に入り作品、おそらくは世評最高の演奏を拝聴したのは初めてでしょう(大昔FMで聴いていたかも?ちなみにバックハウスも聴いたことがない)。重心の低さ、線の太さ、佳き意味で硬質な音色、深み、安定して文句ない技巧のキレを誇るピアノ・ソロに納得。あまりに期待通り、予想通りの完成度に拍子抜けするほど、やはりかつて聴いた可能性大でしょう。劇性を恣意的に強調せず、厳しい姿勢に苦み走った浪漫な旋律をひたすら誠実に表現して完成度は高い。ヨッフムのバックは抑制が効いて、いつもの煽りは影を潜めてソロを引き立てたベルリン・フィルは美しいもの。第3楽章安寧の「Andante」に於けるチェロ・ソロは歌に溢れて、このオーケストラはそんじゅそこらの伴奏オーケストラに非ず、音質も文句はないでしょう。幻想曲集はかつて聴いた記憶鮮明、これも「重心の低さ、線の太さ、硬質な音色」が際立ちました。
さて、第1番ニ短調も聴かなくっちゃ。冒頭ラッシュの威圧感はちょいと敬遠気味なんです。
Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ短調〜アダージョ(弦楽合奏用編曲:シュタットルマイヤー&クレメラータ・バルティカ)〜クレメラータ・バルティカ/ギドン・クレーメル(v)(2001年)・・・これも一年くらい前にちょろ聴きして、歯が立たなかった記憶有(たしかカーステレオ)。自宅コンポにてしっかり集中すれば、少ない演奏家各々の配慮あるニュアンスは繊細、オーケストラでは感じ取れなかった細かい表情のの変化は新鮮そのものであります。
続いてShostakovich 交響曲第14番ト短調 作品135 「死者の歌」が収録されるけれど、それは先の宿題としました。では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
いつものお仕事開始の月曜日を遣り過ごし、まずまずのスタート。夜、ご近所(いつも混んで評判の良い)歯医者へ左上奥歯かぶせもの(ぽろりと外れた)治療に行ってきました。もしかして数ヶ月前の”左奥歯全体が染みる”症状は、かぶせが緩んでいたのが要因かも。ついでに定期的な歯石除去の予約をしてきました。今朝の朝日新聞、島根大教授による「1%移住による田舎再生」の提言には説得力と希望を感じました。たしかに田舎は不便で”なにもない”けれど、いまどきネット時代にさほど買い物に不便はない(例えば書籍やら音楽など)し、自然環境は桁違いの魅力があることでしょう。若い世代の尖ったブロガーも地方移住を実践しますよね。さて、自分はどーする?(移住の話題さておき)2週間後に某組織のボランティアに申し込んだら、快諾のメール返答が届きました。
Mozart 交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」(1984年/ウルフ・ビョルリン)/ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調K.271i(1987年/ヒロ・クロサキ(v))/交響曲第25番ト短調K.183(1988年)〜ハンス・マルティン・リンデ/カペラ・コロニエンシス・・・幾度拝聴して【♪ KechiKechi Classics ♪】をサイト内検索してもコメントなし。今となっては古楽器初期のスタイルは穏健マイルド、人によっては技術のキレ云々されることもあるでしょう。元より「パリ」は強弱を強調したウケ狙い作品、いくらでも過激な表現は可能だけれど、温かい響きは薄くなり過ぎず、バランスの良く味わい深い素朴なもの。(この指揮はウルフ・ビョルリン 1933-1993)終楽章「Allegro」のテンポも意外なほど速くない。ヒロ・クロサキ(1959-)は古楽のスペシャリスト、当時カペラ・コロニエンシスのコンマスだっけ?ニ長調K.271iは偽作でも、作品旋律の美しさには関係ないこと、ほとんどオーケストラと一体化したソロは激しい自己主張をしないもの。
いずれ、残響豊かな録音と古雅な響きを堪能しました。”自分は古楽器支持!”の原点って、この辺りにあったのかも。初期中期作品中屈指の劇性を誇るト短調交響曲K.183も基本その路線、但し、アンサンブルのバランスはリンデより、ビョルリンに一日の長があると受け止めました。
今朝、Shostakovich 交響曲第1番ヘ短調/第15番イ長調〜ヴァレリー・ゲルギエフ/マリインスキー劇場管弦楽団(2008年ライヴ)・・・一年半ほど前カーステレオにて拝聴したのみ。目の覚めるような鮮明リアルな音質、クールかつ洗練されたサウンド、アンサンブルは新時代の露西亜なのでしょう。繊細であり迫力には不足しない。ユーモラス、才気煥発な第1番を堪能して、やはり妙に剽軽な第15番第1楽章「Allegretto」に於ける「ウィリアム・テル」のコラージュ、人を喰ったような打楽器を愉しんでいる途中・・・
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
11月も中旬。土曜夜という最悪のタイミングで左上奥歯のかぶせが取れてしまって、如何ともし難い日曜は引き隠り、但し、サラリーマン引退後の生活(生き方)に影響ありそうな発見+ちょっとした決意もありました。二週間後の見学定員に入れるか?返事待ちです。オークション出品はCDのほうはさっぱり、既に入札入っているタブレットPCは初期化して荷造りしました。今週は来週行事の準備など、お仕事はちょいと慌ただしい感じ。
Bruckner 交響曲第7番 変ホ長調(ノヴァーク版)〜クルト・ザンデルリンク/デンマーク放送交響楽団(1977年)・・・ネットから拾える音源、LP板起こし?かなり良心的な音質。日本語検索には詳細情報出現しません。これがクールなオーケストラの響き、激昂しない落ち着いた味わいに溢れて、思わぬオーケストラの実力に驚かされます。Brucknerのキモは一般にスケルツォだけど、この作品は第2楽章「Adagio」の深遠な世界が聴きもの、音質印象かずいぶんと枯れて清冽なテイストが支配しております。この楽章ラスト、ホルンの遠い余韻にいつもしびれますよ。こんな隠れた立派な音源もあるのですね。
Bruckner 交響曲第3番ニ短調(1972年)/R.Strauss セレナーデ 作品7(1961年)〜ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー/モスクワ放送交響楽団・・・全集前にいくつか録音(乃至放送)しているうちのひとつ。版の呼称は混乱して、いわゆる現在主流も「改訂版」でしょう。Wagner旋律が出てこないやつ。無遠慮に色彩豊かに鳴りまくる金管=露西亜風演奏は”Brucknerらしさ”からちょいと遠い感じもあるけれど、これはこれでけっこう愉しく聴けるのがロジェストヴェンスキーの語り上手、オーケストラも上手いしね。R.Straussは音質かなり落ちて、穴埋め程度のもの。
Vivaldi 協奏曲集「和声と創意への試み」作品8/1-4「四季」/ニ短調 作品8ー9/ト短調 作品8−8〜エンリコ・オノフリ(v)/パオロ・グラッツィ(ob)/イル・ジャルディーノ・アルモニコ(1993年)・・・今更「四季」みたいな感じはあるけれど、もともと好きなんですよ、イタリア・バロック一般。ここではテオルボの自在な即興性+ポジティヴ・オルガンの温かい響き、ノリノリのリズム、テンポの変化、間、ほんまに愉しい!作品8唯一のオーボエを伴うニ短調第9番等、短調の作品を加えて配慮ある一枚に仕上げております。イ・ムジチも好きだけど、遠くなったかな。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
久々のスポーツクラブは効果絶大、快い疲労感があって、帰宅後の居眠りも最高。2週間に酒3回、東京の会議も試食が多かったから体重増を覚悟したけれど現状維持でした。戦後最悪のテロ事件らしいパリの件は前後関係とか、なぜ仏蘭西でというのが理解できていないので、安易な感想を抱けません。一般論として「暴力反対!」とか云ってみても、もうちょっとコトの真相やら経緯がありそうな・・・相次いで諸行事とかイヴェント、コンサートが中止に追い込まれているようです。藤沢周平「周平独言」(中公文庫)・・・あちこちに掲載した短い文書の寄せ集めだけれど、人気あるんですね。2008年で第11刷、文春文庫にもなっておりました。卓抜した歴史的人物の分析、故郷・庄内への思い、日本全体が概ね貧しかった頃の幼いころの生活、どこを切り取っても、どこから読み返しても、心の琴線に触れる珠玉のエッセイばかり。雑誌の特集で執筆部屋に取材に関連して、あまりのもののなさ、できるだけものは持ちたくない、じょじょに整理して、世間から消え入りたい、といった考えに共鳴しました。
数年間遊んだiPodClassic(160gb)、DosparaTablet(初代/Nexsus7化/出品即入札有)オークションに出品しました。身辺整理を加速させたいものです。CDは人気ないけど。
Elgar ヴァイオリン協奏曲ロ短調/弦楽セレナード ホ短調〜マラト・ビゼンガリエフ(v)/バッディット・アングラングシー/西カザフスタン・フィルハーモニー(2009年)・・・Marat Bisengaliev(1962ー)はカザフスタンのヴァイオリニスト、指揮者(インド交響楽団の音楽監督とか)。ここ最近メジャー路線な音楽拝聴が多いけれど「西カザフスタン・フィル」という名前を見たら、これはもう聴くしかない生来のマイナー好き。NAXOSは英国系の品揃え豊富、ドン=スク・カン以来の再録音に中央アジア(旧ソヴィエット)のオーケストラを持ってくるとは・・・弦楽セレナードを聴けば一目瞭然、けっこうちゃんとしたアンサンブル+ローカルな色濃い味わいがあって立派な技量でした。Laloとかツィゴイネルワイゼンとか、なんとなくクサい旋律テイストの作品がレパートリーなのか、と思っていたビゼンガリエフ、英国紳士の曇り空を連想させる名曲に挑んで、憂愁な旋律をしっとり演奏しております。
大好きな作品だけど、好悪を分かつ華やかさの足りぬ英国音楽、ジミな旋律、激昂しないリズム感な作品。ビゼンガリエフのヴァイオリンは、しっとり質実に演奏した結果、その辺りをちょいと強調し過ぎるような、聴いていて気が重くなるような・・・これは聴き手の問題かな?
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜アンタル・ドラティ/ミネアポリス交響楽団(1959年)・・・こちらLP時代からお気に入りでした。(フィル・アップは豪華「展覧会の絵」)久々の拝聴です。うっすらとした記憶では世評芳しくなかったような?音質はこの時期としては出色のもの(昔を感じさせるけど)速めのテンポ、素っ気ない、飾りも色気も足りない表現、的確なバランス、迫力に充ちて、時代は「春の祭典」が演奏至難であったころのもの、まず正確に演りましょう、的職人的風情に溢れておりました。記憶では後年のディジタル録音(1980年デトロイト交響楽団)拝聴時にも、なんともコメントしにくいバランスを感じたものです。今回はこんな四角四面な風情も意外と愉しみました。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
久々お休みの朝はどんより曇り、薄ら寒く、いまにも降りそうな感じ。お仕事はそれなり順調に進捗し(よろしからぬトラブル一件辛くもクリア、というかゴマかして)夕方4:45辺りは既に精神的にお休みモードに。上司とか付近の席の方々が出張など不在だったのも、お仕事集中できた要因です。早々に帰宅してフロに湯を入れていたら、出先より女房殿からメール有、爺婆のやっている(いささか美しからぬ)居酒屋にて落ち合って、上手い焼き魚、寿司など堪能いたしました。ビール中ジョッキ1+日本酒2合(だらだら呑むのは好きじゃないので、さっさと帰宅)数日前の東京に続き、呑んでも途中覚醒なし、睡眠状態はまずまずでしょう。本日10日ぶりにスポーツクラブに行く予定。
マンション工事偽装は組織ぐるみ関連する人50人以上(まだまだ隠れているんじゃないか)旭化成のみ?との疑念通り別会社でも発覚し始めました。これはもうゼネコンの世界では当たり前の(悪しき)ジョーシキなんじゃないの?ワーゲン然り、東芝然り、とくに大きな会社は社会に対する規範であるべきことは当たり前、なにかがおかしい、基本は不正ができないようにする組織づくり+人材育成でしょう。組織は大きくても狭い村(オトコ)社会に独自の言語・哲学を醸成するからおかしくなる。時代はインターネットの世の中でっせ、いくら情報が溢れても聴く耳持たなければ意味ないか。
1995年大阪の中古マンション(大改装済)売却して博多へ。爾来、20年借家暮らし。この間、”姉歯偽装”とかマンション偽装とは幸い、偶然、縁がありませんでした。一生中最大の買い物に、ご同輩の苦しみ悩みを察して余りあります。
本格的音楽拝聴は本日より復活予定。Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年全曲版)〜クリストフ・フォン・ドホナーニ/ウィーン・フィル(1979年)・・・この人(1929-)少なくとも日本じゃ人気出なかったな。「ペトルーシュカ」の録音に記憶あるけれど「春の祭典」はなかったはず、やや忘れられた音源の類かも。英DECCAの壮麗な録音は基本思想(マルチマイク)は同じでも、英国亜米利加維納では各々サウンドは微妙に違って、ここではクリアでありながらトータル厚みのある瑞々しい響きが印象的。この人は飾りが少ないというか、素っ気ない、色気もない表現といったイメージがあるけれど、ここでは知情意バランスよいですよ。抜けきった緻密クールなブーレーズとも異なって、ストレートだけど根底には語り口の上手い浪漫があるような・・・最近の演奏に見られるような神経質じゃないんです。メルヘン多彩な旋律リズムは、意外とたっぷり鳴り響いて45分飽きさせません。
Stravinsky 協奏曲 変ホ長調「ダンバートン・オークス」/エボニー・コンチェルト/管楽器のためのサンフォニー(1927/1947)/八重奏曲〜ジョン・ホィットフィールド/エンディミオン・アンサンブル(1987年)・・・ジョン・ホイットフィールド(John Whitfield)ってようわからない。知名度の低い現代ものの録音を検索できるけれど、これは偶然ネットより入手した音源也。音楽はできるだけ見聞を広げるよう努力しているつもりだけれど、結局こどもの頃、若いころの嗜好が一生支配して、この辺りStravinskyのハードな作品も大好きでっせ。擬バロック的な愉悦に溢れる「ダンバートン・オークス」、ジャズに接近する「エボニー・コンチェルト」、ムダを削ぎ落としてエッセンスばかりの管楽作品、難解晦渋に非ず、とこかユーモラスかつ素っ頓狂なテイストがあって、これはアンサンブルの技量が高くないとどれも愉しめません。Endymion Ensembleって英国の団体?文句なしの切れ味とノリ。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
先週土曜日以来の連続お仕事も本日にて一区切り。いつもの火水定例データ処理点検はそのまま木金に移行して、昨日は残務処理もけっこうな物量、2案件ほど当初予定より遅れております。本日、完全クリアを狙いましょう。鬱々と先行きに(よろしからぬ)感慨があって、音楽拝聴(もちろんお仕事)にも意欲は湧きません。体調的には落ち着いても疲労が溜まっているのか、スポーツクラブも2回分抜け、明日久々に復活させましょう。身体をしっかり動かすことが健全な精神の基本也。上野正彦「裏切られた死体」(朝日文庫)・・・この方の書籍はかなり読んでいて、更にもう一冊入手済。ワタシの二時間ドラマフリークの基礎知識になっているのかも。悲惨かつ専門的な事象をいかにわかりやすく、ドラマを以って伝えるかの典型、みごとな平易さであります。
昨夜はいくつか音楽を取り出して、どれも集中できず途中止。今朝からAlbeniz スペイン組曲 作品47(フリューベック・デ・ブルゴス編)〜ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967年)・・・たしか元はピアノ曲、この人(1933-2014)は西班牙系独逸人のはずだけど、若い頃は母方の母国の音楽専門みたいな印象でした。ド・シロウトが想像する西班牙のリズム、色彩に溢れて、明るく清潔、歯切れのよいオーケストラのサウンドが快い。英DECCAの録音も陰影に充ちた素敵な音楽を捉えて文句なし。時にカスネットが浮き立って、この辺りは録音のマジックですか?
なんとか本日を乗り切って、ゆっくりと週末を迎えたいもの。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
2泊3日の東京出張を終え、昨夜帰宅。定例水曜夜のスポーツクラブの時間に間に合わず、意外と疲労は溜まっておりません。月曜体調最悪頭痛に耐えて夕方東京行き、床屋で気分転換してから大阪時代の朋友と近況を語り合ってたっぷり酒(ご長男”できちゃった結婚”らしい)珍しくしっかり眠れて翌朝には快復しておりました。東京本丸の会議は皆若いなぁ、優秀やなぁ、感慨深いもの。女性を多く採用してほとんど”女子アナ”風お洒落モダーンな別嬪はんも多い。こちらヴェテラン、旧知もたくさんいて、しっかり勉強させていただきました。もう十数年前になる岡山時代「あのころが一番愉しかった」そう云ってくださる後輩数人、ありがたいことでっせ。これが人生の宝なんやな。
大阪の朋友は4歳下、お子さま二人は成人(ひとり障碍有)そこそこ資産家の次男坊であり、先日親父の遺産の畑売却成って小金ができたそうです。現在マンション二つ分所有(ローン残3,000万とのこと)このたびワケ有物件を娘名義にて現ナマ200万円にて入手、そこを賃貸して投資回収を狙うそう。引退後と娘の将来を考えていて、小さい、ムリのない投資と運用は(実際に成功するかどうか別として)ノーミソ鍛錬、緊張感にはよろしいかなと。
こちら引退迄一年半に迫っているのに、な〜んも計画がありません。「ボケまっせ!」厳しく指摘されました。さてどーする。
出張中、オークション一件落札有、ヤフオク月会費赤字を免れました。ここ数日、音楽拝聴せず読書は進んでおります。通常より二日遅れの定例お仕事(事前折り込み済)本日よりクリアいたしましょう。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日朝、出掛けにサイフが見えない・・・前日切符を買った時に置き忘れたか、スーパーのセルフチェック時に置き忘れたのか・・・現金は数万円、諦めもつくけれど、カード類がヤバいかも。とにかく女房殿に貳阡圓借りて出発、駅にて思い出して電話してみたら〜ズボンのポケットに入れたまま洗濯しておりました。まずはめでたく、昨夜一生懸命乾燥させておりました。土日と取引先行事に肉体系労働、これはこれで気分転換なんだけど、体力的にキツく、週末休みが潰れる生活リズムは少々ツラいもの(先に代休取っております)。本日夜より東京へ2泊3日の会議出張は雨模様らしい。私用にほとんど使えない業務用ウルトラ・ブック持参必須、「音楽日誌」数日休止します。iPodも持参せず、愛用のPHILIPSイヤホンは女房殿に奪われたし、耳鳴り(≒高音難聴)要因のひとつは、20数年に渡る通勤出張時の音楽大音量拝聴と自覚しておりますから。
3日前の先輩との酒席にて気になったこと。店の雰囲気も料理も上々、価格もリーズナブル、ところが・・・日本酒派である我ら(なんせ酒を教えてくれた人々ですから)熱燗、普通酒(大関とか白鹿、松竹梅などなんでもOK)を頼んだら、メニューにないんです。クソ高いブランド酒しかない。悪い趣味でっせ、居酒屋ではないということ?以前にもそんなことがありました。経済効率優先なのか。
昨夜も音楽はほとんど聴いていなくて、ここしばらく拝聴分の落穂ひろい。Shostakovich 交響曲第4番ハ短調〜ラディスラフ・スロヴァーク/スロヴァキア放送交響楽団(1988年)・・・かなり以前にエエ加減なコメントも残して、CD時代に至って最初に入手した全集はとうに処分済。廉価な全集は数種出現しているし、NAXOSも若手現役ヴァシリー・ペトレンコのが出ているから御用済ということでしょう。最近、スロヴァーク音源CD2枚分ほど別途データにて再入手しました。
日本のプロ初演は1989年って、ごくごく最近じゃないの。第1楽章「Allegretto poco Moderato - Presto」/第2楽章「Moderato con moto」(スケルツォ)/第3楽章「Largo - Allegro」から成る3楽章制、専門家によるとMahler の影響顕著なんだそう、こちらド・シロウトには重苦しく、ズズ暗く、難解な風情がMahler とは大違いと感じます。第1楽章の息苦しいような叫び、第2楽章の重い脚を引きずるような絶望感・・・オーケストラが技量的に弱く、響きも少々薄いけれど、スロヴァークの奮闘が光る努力賞ものの演奏也。
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜テオドール・クルレンツィス/ムジカ・エテルナ(2013年)・・・油断すると見知らぬ次世代が次々登場して、とうになくなった人の演奏ばかり聴くことになりがち。テオドール・クルレンツィス(1972-)ってギリシャの俊英らしい。ムジカ・エテルナ(Musicaeterna)って自ら創設したオーケストラとのこと。この辺りの世代は難曲とか演奏至難とかそんなことじゃなくて(アマオケだってフツウに上手いですもん)昔からあった馴染みの作品なんでしょう。一流のオーケストラが分厚い響きで・・・みたいな風情とも異なって、やたらとノリの良い親密な演奏。楽譜を追うのに精一杯じゃなくて、いかにアンサンブルの統一と各パート自在な歌を両立させるかといった水準です。いずれ、かつてのイメージとずいぶんと違う・・・
では、行ってきます。二日後の夜に帰宅します。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
年に数回の肉体系労働、終日立ちっぱなし、しかも前日酒席+睡眠不如意、ま、体調的にはさほど問題はなかったけれど、疲労感かなり、帰宅後の風呂は気持ちよかったなぁ、よう眠れたし。本日日曜もう一日、取引先にお付き合いしましょう。3年目だから慣れたもんですよ。山は超えております。職場取引先関係行事連続のため、社用車の遣り繰りが付かず、リニモ「杁ケ池公園」〜「八草」経由〜愛環「三河豊田」へ。ICカードが使えない!ことに閉口したのはさておき、長久手市に棲んで2年半、転居下見に来て以来の「リニモ」乗車じゃないか。「杁ケ池公園」以東は初めて、八草って豊田市なんですね。凄い田舎でんな、列車での移動って風情ありますよ。ああ、あちこちに”生活”があると云った、当たり前の感慨有、半分眠っていても。本日もう一往復。
Bernstein ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」〜ケネス・スカーマーホーン/ナッシュビル交響楽団/ベッツィ・モリソン/マイク・エルドレッド/マリアンヌ・クーク/ロバート・ディーン他(2001年)・・・「ポーギーとベス」とかこの辺り、大好き。躍動する熱気というか、当時の亜米利加の勢いを感じさせます。時代を遷した「ロメオとジュリエット」、冒頭プロローグから馴染みの旋律リズム連続、情熱的な愛の告白である「マリア」〜「トゥナイト」辺り鳥肌モン!「アメリカ」に於ける変拍子のオモロさ、ノリ、誰でも知っている「クール」のカッコ良さ・・・オペラ歌手に非ず、いかにもミュージカルな歌い手のアツいエネルギーをしっかり感じましたよ。
NAXOSは佳きオーケストラに目を付けましたね。ケネス・スカーマーホーン(Kenneth Dewitt Schermerhorn, 1929-2005)はホールに名を残して地元に敬愛された人、その後の録音も含め、どれを聴いてもこのオーケストラはけっこう立派な出来なんです。
Shostakovich 交響曲第11番ト短調「1905年」〜レオポルド・ストコフスキー/ヒューストン交響楽団(1958年)・・・先日、ヤンソンスにけっこう感銘があったので温故知新。EMI/Icon10枚組より。この時期にほとんど驚異的な音質、財力にモノを言わせて著名な指揮者を招聘したオーケストラはキレと艶のあるゴージャスな響きであります。時代的なものか、リズムにやや緩さを感じても、わかりやすい表現、迫力に不足なし。新しい音楽の普及に尽力したストコフスキーの遺産は21世紀に現役です。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日は朝一番から全力投球、昼前には取引先に出発して商談をそうそうに終え、本日の別取引先行事準備へ。夕方職場に戻って残務整理済ませて急ぎ名古屋駅へ。地下鉄に乗る(中心街に出る)のは一年に数回、今回は迷わず酒席へ到着いたしました。ダイエットも一日忘れて盛大に呑み、美味しく喰い、案の定夜中2時半に目覚めるのは椎名誠さんと同じ、小一時間くらい音源ファイルなどいじってから二度寝(うつらうつらでも)可能なのはマシなのでしょう。
本日これから上司とともに取引先行事対応へ。そういえば母親から電話があって、来年早々に90歳になる親父は、とうとう運転免許返上したとのこと。宮崎の哀しい事件が気になったのか。ほか、先日ネットで手配した富有柿がとても美味しかったから、もう二箱送れと。昨夜は音楽を聴いていないので数日前の記憶を辿って・・・
Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜アントニ・ヴィト/ワルシャワ国立フィル/合唱団/ステファン・ヴィシンスキ枢機卿大学合唱団/ポーランド放送クラクフ合唱団/ワルシャワ少年合唱団/バルバラ・クビアク(s)/イザベラ・クウォシンスカ(s)/マルタ・ボベルスカ(s)/ヤドヴィガ・ラッペ(a)/エヴァ・マルチニェツ(a)/ティモシー・ベンチ(t)/ヴォイテック・ドラボヴィッチ(br)/ピョートル・ノヴァツキ(b)(2005年)・・・居並ぶ著名演奏家音源中、知名度的には弱くCD一枚に収まらぬのも拝聴機会を減らす一因でしょう(フィル・アップなし)。ワルシャワ・フィルは鳴らない、ジミな響きのオーケストラと云った先入観があって、結果、ゆったりと落ち着いたテンポ、絶叫や雷動といった風情に非ず、誠実なスケールにあふれて細部明晰、混迷混沌に非ず、爽やか快い演奏でしたよ。
オーケストラの技量に不満は感じさせず、合唱の清潔な響きも立派なもの。レビューの一部に「歌手は一部非力で、発声自体が変な人(ソプラノ)」とのコメントもあるけれど、そうですか?第2部「ゲーテの『ファウスト 第二部』から最後の場」が時にテンション云々は、テンポ設定やら誠実な表現がそう感じさせる可能性はあろうかと。音質はかなり良好、いまどき当たり前。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日否応なく休みだったので(一件、お仕事メール有)本日盛り沢山なお仕事+夜から名古屋駅前付近にて諸先輩と酒席(女房殿も参加)、明日明後日は取引先諸行事対応で土日潰れ、来月曜より東京へ二泊三日〜毎日ノンビリ半分引退気分からちょいと慌ただしい。昨日は散歩がてらBOOK・OFFに書籍仕入れ(宮部みゆき「日暮し」はテレビ放映の関係か、在庫売り切れ)あとは【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新の執筆をしておりました。地元BOOK・OFFは高級住宅街+学生さんも多いところなのに、品揃えはあまりよろしくないと感じます。
椎名誠「ぼくは眠れない」(新潮社新書)・・・大ファンなのに久々の拝読。若き辣腕編集者→作家への転身以来苦しめられる”不眠”、35年間の戦いを描く一冊。読み終えたあとにレビューを確認するのは愉しみ、やはり純実務的ノウハウを期待する人は評価が低いんやな。そんな目的の方はGoogle検索でもすれば・・・発想の豊かな人だからノーミソの興奮を抑制ムツかしく、大量の酒は肝臓は大丈夫でもノーミソにはよろしくないということでしょうか。こちらもここ10年ほど更に睡眠不如意状態、今夜は呑むからきっとあまり眠れないでしょう。サラリーマン引退迄残り一年半、それまで保てば〜そう思っております。
Bach 平均律クラヴィア曲集第2巻〜フリードリヒ・グルダ(p)(1972年)・・・今回はちゃんとした(圧縮し過ぎない)音源にて拝聴、情報は混乱しているみたいだけれど、ベーゼンドルファーの質実素朴な音色でしょう。装飾いっぱい愉悦にあふれた演奏也。いつものことだけれど、知的構成と情感的な美しさが両立するBach の美しい世界。Bach の鍵盤作品はなぜか?ピアノで聴く機会が圧倒的、ニュアンス多彩で表現個性が際立つからか、チェンバロも好きだけど。
他、定例更新の関係でShostakovichばかり聴いていたので、食傷気味。では行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
寒いですね。今週末土日取引先行事対応にて出勤、その代休取得ムリムリ、本日お休み。休みを消化するための段取りたいへんでして、一昨日自慢気な大量データ処理は、昨日数件登録漏れ発見してあわてて修復、他しばらく前に”ヤバいかも”と自覚あった通り、水際ディフェンスしたトラブル数件有〜結果良ければそれでOK。それでもお仕事は順調と云うべきでしょう。体調快復傾向、昨夜エアロ・バイク+エアロビクス計1時間半、しっかり身体をいじめてきましたよ。体調と精神はたしかにリンクしております。無理難題な肉体労働(滅多にないこと)に非ず、専門のインストラクターに付いたエアロビクスは翌日、妙なところが痛む、ということはないんです。快い疲労感のみ。
靭帯一本切れている左膝の痛みも雲散霧消、ひどい肩こりもありません。そういえば数ヶ月前に発症した左奥歯方面の痛み(知覚過敏?虫歯や歯周病はないので)これもほぼ改善いたしました。(シュミテクトの成果か)
昨夜はスポーツクラブだったので、ほとんど音楽は聴けなくて・・・Bernstein「キャンディード」序曲(1960年)/Gershwin ラプソディ・イン・ブルー(1959年)〜レナード・バーンスタイン(p)/ニューヨーク・フィル/コロムビア交響楽団・・・躍動、熱気、この愉しさは比類のないもの。「キャンディード」序曲は現代の「フィガロ」序曲でしょう。明るい、短い、わかりやすい、夢見るような旋律+変拍子、記憶よりずっと重く、アンサンブルは粗く、それでもノリノリの世界をたっぷり堪能いたしました。
「ラプソディ」は中学時代音楽室にあったLP(これ)が出会い。一発でココロ奪われましたよ。やがて馬齢を重ね、要らぬ知識も付いて「カットがある」「重い」とかあちこち浮気しまくり(現在継続中)。バーンスタインはピアノ上手いですよね。ゴージャス、ブルージィなテイスト満喫しておりました。今回拝聴した音源は、音質生々しいことに驚き!
他、Bartok 管弦楽のための協奏曲(+オリジナル・エンディング別途収録)/4つの小品 作品27/ハンンガリー農民の歌 作品100〜レオン・ボットスタイン/ロンドン・フィル(2000年)・・・1946年生まれ、ボットスタイン(Leon Botstein ボッツタインとも)は音楽学者と云うべきか。レパートリーもマイナーっぽいからほとんど聴く機会もなし、イロモノかいな?このCDは偶然発見、ネットで検索してもなかなか出現しまへんで。ロンドン・フィルは絶好調、Telarcの優秀録音に恵まれ、意外なほどオーソドックス明晰、洗練された演奏を繰り広げております。驚きました。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
昨日は祝日出勤、誰もいない静かな職場でゆったりと定例作業を消化〜なんて思ったら大間違い。人の担当分野も含め、ちょいと大きな商品事故連発、8時(前)出勤と同時に電話が鳴ってその処理に追われます。上司も急遽出勤しました。こちらヴェテラン、もっと苦しい新聞沙汰の対応も幾度経験して余裕といえば余裕、但し、当初考えていた作業は遅れがちに・・・それでも昼過ぎにはいつも通り完了!と、思ったら年末進行のデータ処理もう一発到着しました。ゴールまでたどり着いたら、即、次のコースへの出発であった・・・ここから(痛む腱鞘炎に耐え)作業テンポをアップさせましたよ。ここをクリアしなければ、あとが苦しいんです。結果的にほぼ時間内にクリア、本日残った一工程は処理可能です。
女房殿は大阪の母親のところに行って留守にしております。
Beethoven 交響曲第9番ニ短調「合唱付き」〜ジョージ・ショルティ/シカゴ交響楽団/合唱団/ジェシー・ノーマン(s)/ラインヒルト・ルンケル(a)/ロベルト・シュンク(t)/ハンス・ゾーティン(b)(1986年)・・・1970年台のショルティ旧全集は交響曲第1番、第3番を聴いて、その歌心のない強引さにガッカリして、未だ全9曲拝聴ならず。こちら「第九」新録音はびっくりするほどオーソドックスなスタイル、強引なフレージング、力みは影を潜めてクールにバランスよく、アンサンブルの完璧さ、縦線の揃い方は快感であります。モダーンで洗練されたオーケストラだ。第3楽章の美しい変奏曲、ホルンの技巧のみごとなこと!声楽の充実も久々の経験、とくにソロに余裕を感じさせます。20年ほど前、FMでこの演奏を聴いたことを思い出しました。
カミング・アウトするとこれはネットより不正入手した音源。海外サイトをいろいろ検索していたら、.mp3ファイルが転がっていて、内容確認したら偶然上記音源だったということです。音源再生にはFoobar2000を主に使って(.apeファイルはMediaMONNy)再生中ビットレートが表示されます。経験的に知っている「第九」ファイルサイズより小さくて、かなり圧縮されていることは想像できました。
これがどーもおかしい。いえいえ聴いた印象では音質は意外と悪くない、もともと優秀な録音なのでしょう。おそらくは.mp3/128kbps、これは耳が弱まっている自分にも劣化が理解できるほどの圧縮、ここ最近保存対象から外しております。ま、もっと圧縮しているのもありまっせ。おそらくは、というのは、表示が揺れ動いて100kbps以下になったり200kbps以上に上がったり・・・タイミング表示はもっとおかしくて、第1楽章が一時間半と認識・・・4楽章ともそんな感じ。再生はちゃんとできます。エエ加減なリッピング+ファイル圧縮処理なのか、いずれ鑑賞にはさほど支障なし。
ま、不正ファイルの不正入手ですから。以上、ツマらん繰り言でした。
Scarlatti ソナタK531/K98/K124/K125/K87/K27/K533/K32/K141/K142/K25/K69/K481/K386/K128/K39/K113/Schubert アレグレット ハ短調〜朱曉攻(シュ・シャオメイ - Xiao-Mei Zhu 攻は間違い。出てこないので、偏が王なんです) (p)(1995年)・・・文化大革命の危機を乗り越え現在亜米利加で活躍するピアニスト(らしい)。無味乾燥なカークパトリック番号ばかり並べたけれど、誰でも知っている馴染みの旋律ばかり。彼女の演奏はかつてない個性であって、とろけるような浪漫に充ちたホロヴィッツ方向に(もちろん)非ず、清潔端正なバロックでもない、もっと颯爽として良い意味で乾いて、淡々として、ニュアンス推進力のもあるもの。名演奏揃いの作品に、新たな切り口を見たような感慨がありました。
では、行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
本日祝日出勤、定例曜日で実務処理が待っているので、後ろに押し出したくないんです。来週は珍しく月曜夜から2泊東京会議なので、あらかじめお仕事後ろ倒しとなって、リズムが崩れるのは嫌なもの。昨日は終日薄ら寒く一気に秋冬風情に〜体調がよろしくなくてお仕事中苦しみました。例のマンション(他大型建築物)偽装事件は一個人の不正ではなく、組織ぐるみだった可能性が徐々に明らかに・・・って、当たり前じゃん。いくつもの組織やら大人数で進める工事がたった一人で偽装なんてできるわけないじゃん。大元の設計ならともかく。人柱を作って済ませようとしたの?困った組織風土でっせ、21世紀に。
西和彦「60歳からの暮らしの処方箋」(幻冬舎ルネッサンス新書)・・・これは佳い著作ですね。例の著名なITの人じゃなくて、大成建設を引退された方らしい。1945年生まれだから一回り上の団塊の世代に入るのか。京大を出て、大企業の幹部を経験された方だけど、淡々として力みのない文書、引退後の家族との関係、狭い男社会(人の話を聴かないのは何処も同じ)→女性のコミュニケーションが大切な地域社会へ、そして家庭へ。至極真っ当、オーソドックス、これから自らの教科書にしたいくらいリアルな一冊。例の如し、レビューにはボロカスなコメントもあって、いったいなにを求めて読書をしているかのか不明なほど、哀しい姿勢と感じました。自分が自ら見聞できることは広い世間のほんの一部、視野を広げてくださったり、ぼんやり感じていたことの整理をしてくだされば、それで充分じゃないっすか。
直接の言及は少ないけれど、お子様がひとり重い障碍を抱えられているとのこと。あえて書かなかった”哀しみ苦しみ悩み”が裏にあるのかも。ブログもあって、ここ2年ほど更新が途絶えているのが心配です。
Shostakovich 交響曲第5番ニ短調〜エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(1954年)・・・温故知新。もしかして初耳?演奏スタイルは想像通りだから、大昔FMで聴いていたのかも。露西亜の怪しいサイトから「.mp3 Collection」みたいな一連の音源が入手できて、旧ソヴィエット・メロディアのムラヴィンスキー音源はかなりの比率でパブリック・ドメインに至ってデータ入手済。224kbpsというのはまずまず?耳鳴り頻繁でも128kbpsよりマシと理解できます。予想通りというか、それ以上に聴きやすい音質でした。低音は弱いけれど。
モスクワ系の泥臭い表現とはかなり異なって、洗練された集中力、管楽器の音色はたしかに露西亜風だけど、迫力厚みがあっても引き締まったサウンドが印象的。上手いオーケストラですねぇ、アンサンブルの揃え方、メリハリの緊張感は尋常に非ず、終楽章「Allegro non troppo」のテンポは遅く、安易に盛り上げない冷静さも意外でした。
Bach カンタータ第121番「キリストを われらさやけく頌め讃うべし」/第122番「新たに生まれし嬰児」/第123番「いと尊きインマヌエル、虔しき者らを率いたもう君侯」/第124番「わがイエスを われは放さず」〜ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス/テルツ少年合唱団/マルクス・フーバー (bs)/ポール・エスウッド (ct)/クルト・エクヴィルツ(t)/フィリップ・フッテンロッヒャー(b)/トーマス・シリング (bs)/シュテファン・ランプ(bs)/ロベルト・ホル(b) (1982年)・・・例の如し、キリスト教の行事やら独逸の節季は理解できず。多彩な旋律、立派なバスのソロが躍動し、エスウッドのカウンターテナーには少々クセがあり、ボーイ・ソプラノはやや音程は不安定でも無垢な味わいがありました。古楽器アンサンブルも声楽も素朴さが目立ちます。テナーとオーボエ2本のオブリガートが泣かせるほどの美しさ・・・
行ってきます。
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
本日よりネクタイ着用にて出勤、今朝11度C、クールビズ?には違和感たっぷりな気温、もう通年ノータイにならぬものか。首を締め付けられるのはもうご勘弁な気分でっせ。昨日午前中はBOOK・OFF経由(書籍処分)〜途中ドラッグストア(目薬二本入手)〜市役所側の行事をちょいと覗いて〜大型著名パン屋にて(いつになく)高めのパン入手〜計2時間ほどの散歩、ずっと坂道だし佳き運動でした。夜女房殿と居酒屋へ、鍋物(モツ鍋)がおいしい季節になりました。宮部みゆき「日暮し」を入手しようと思ったら、たまたま上中下巻の「上」がない・・・あきらめました。体調はあまりよろしくなく、微妙に不快感続きます。
無定見に保存していた音楽データは膨大に至って、ここ1−2ヶ月日々点検整理に勤しんでおりました。DVDは二百枚ほど使ったかな?音源検索が可能なように分類をまとめ、ファイル名を規則的に変更整理、ダブりファイル廃棄、パスワード不明やら再生不能なものも廃棄、音質不十分なものは別途保留保存(状態のよろしい物が再入手できれば廃棄)出口の見えぬようなヲタク作業(趣味)も、昨夜Bach の声楽作品を点検しつつ、ほぼ完了を自覚いたしました。HD中に未だ300本ほどのデータファイルが残っていて、これはゆっくりDVDに焼くつもり。
DVDの寿命って5年ほど?(CDRは保存状態にもよるけれど、そんなもの)様子をみて大容量HDDに移行させるか、使い勝手の良いクラウドにするのか、全部諦めてNMLに一本化するか・・・問題は棚中存在を主張するCD也。冷静にカウントすると2000枚は残っているかも。久々にヤフオク登録再開して数件出品してみたけれど、数百円の月登録料金はムダになりそうな雲行きです・・・
Beethoven 交響曲第9番ニ短調 作品125「合唱」〜イーゴリ・マルケヴィチ/コンセール・ラムルー/カールスルーエ・オラトリオ合唱団/ヒルデ・ギューデン(s)/アーフェ・ヘイニス(a)/フリッツ・ウール(t)/ハインツ・レーフス(br)(1961年)・・・ナント十数年前のコメントが残って、LP時代に聴いていたのだな。DATはとうの昔に処分しました。エア・チェック・カセットからの以降を狙ってMD(懐かしい)とかいろいろ試行錯誤〜結果、CDに一本化→21世紀はデータの時代になりつつあります。閑話休題(それはさておき)
やや速めのテンポ、引き締まったフォルムとリズム(乾いた音質印象か)解像度高い各パートの明晰な描き分け、音質はまずまず。マルケヴィッチはオーケストラをごりごりしごいたみたいで、けっこう立派なアンサンブルに仕上がっておりました。(あまりの厳しさにオーケストラ側は全曲録音を拒否したとか?)冒頭のホルンからセクシー甘美なヴィヴラート満載、木管の薄い軽い華やかな存在感際立つBeeやん也。声楽ソロの存在感貫禄抜群、合唱もまずまず。ヴェリ・ベストでもないけど、時代遅れ違和感に非ず、これはこれで個性的明快な演奏でした。
他、Shostakovich 交響曲第5番ニ短調〜エフゲニ・ムラヴィンスキー/レニングラード・フィル(1954年)・・・昔のもの(時間切れ)
2015年11月某日/●後始末と発想転換の日々
連休三日目。引き隠り連続じゃあかんので、本日はBOOK・OFFへいくつもり、目薬(職場自宅各部屋各所に配置)も切れ気味なので入手しなくっちゃ。爽やかな秋晴れです。少し外に出ることを意識しなくっちゃ。体調イマイチと云いつつ、ちゃんとスポーツクラブへは通っております。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調〜イーゴリ・マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー(1959年)・・・一週間程前ネットより入手した旧PHILIPS音源データ、LP以来の再会?音質改善印象著しい。交響曲全集のマルケヴィッチ版があったはず、でも録音は全曲揃いませんね。記憶通り峻厳に引き締まったサウンド、リズム感にもキレとノリがあります。第1楽章提示部繰り返し有、最終楽章繰り返しなし、仏蘭西のオーケストラとは思えぬけっこうな厚み+アンサンブルの集中力はマルケヴィッチの力量なのでしょう。重苦しくない明晰な響き、最低限のテンポの動き、しかし最近の軽量快速素っ気なさとは異なって、それなり重心の低さを感じさせます。馴染みの名曲に光を当てて、現代に残すべき価値有。
Shostakovich 交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」/ジャズ組曲第1/第2/タヒチ・トロット〜マリス・ヤンソンス/フィラデルフィア管弦楽団(1996年)・・・My鬼門なShostakovich。こどもの頃に聴いた「第5番」(コンドラシン1964年)から一歩も進めない。結論的に良好な音質、技術的に優れ、分厚く鳴り響くオーケストラで聴かぬと、まず音楽の入り口にたどり着かない、ということでしょう。ヤンソンス(1943-)は露西亜で教育を受けた人だけど、世代が違って豊かに鳴り響いても、アクとかクセとか臭み、濁りを感じさせぬバランス感覚有。不気味にうごめいて静謐な第1楽章「宮殿前広場」(Adagio)/機関銃炸裂する第2楽章「1月9日」(Allegro)/犠牲者のレクイエムである第3楽章「永遠の記憶」(Adagio)/団塊の世代なら知っている「ワルシャワ労働歌」も登場する第4楽章「警鐘」(Allegro non troppo)〜ソヴィエットも崩壊(1991年)し、政治的意味合いを失って、純粋に露西亜の旋律やパワフル暴力的なサウンドを愉しめる時代がやってきております。
彼の全集は種々オーケストラが担当して、これは彼(か)のフィラデルフィア管弦楽団。圧巻の技術と豊満ブリリアントな響きが政治臭を一掃して、ヤンソンスは自在なコントロール。静謐な部分(ここでたいてい挫折する)で音楽は行方不明にならず、大爆発部分は爽快ですらある。わかりやすいShostakovichを堪能いたしました。音質極上。ジャズ組曲、そしてタヒチ・トロット(「ふたりでお茶を」)は以前からのお気に入り也。小粋です。
Bach 平均律クラヴィア曲集第1巻〜フリードリヒ・グルダ(p)(1972年)・・・年代を勘案するとずいぶん素っ気ない音質、しかもデータはおもいっきり圧縮しているもの(AAC)。チェンバロを別格として、ピアノなら自分の刷り込みはリヒテル(DGから出た一部作品ライヴ)これも浪漫といえば浪漫、細部明晰、装飾音も豊富な個性的なものでしょう。全部集中するには自分の体力気力が少々足りません。