●2011年6月某日の振り返りと後悔
先週に比べずいぶんと体調はよろしいが、まだまだ本調子に非ず。昨夜は10時に寝て、6時まで途中覚醒なし(熟睡というのでもないが)。今朝、どーもカラダが重い、スッキリしない。肩こりバリバリ。昨日は思ったより狙いのお仕事進捗あったし、打ち合わせを一日延期してもらってお休みいただきました。一ヶ月スケジュールで休みやすいのはこの時期のみですし。自宅でメール点検できるのというのは、ほんまに便利(急ぎのものは返答済)。既に猛暑時期だけれど、未だエアコンなしで就寝しております。
昨日通勤音楽。Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ジャン・マルティノン/シカゴ交響楽団/女声合唱団/シカゴ少年合唱団/レジーナ・レズニック(ms)(1967年ライヴ)・・・.mp3音源ダウンロード(上の方)再聴。ジョージ・ショルティとの第5番録音がわずか3年後、辞任前年の記録となります。遠慮会釈なき強烈な金管の爆発は伝統なのだね。かなりヴィヴィッドなアツい演奏であって、長大なる第1楽章のラスト部分アッチェランドで終えると観客の歓声が上がります。緻密精密入念というより、ざっくりと勢い重視、そこは実力派シカゴ交響楽団、粗野な印象には至らず、ライヴならではの感興なのでしょう。先日のブーレーズと同時期の録音だけれど、こちらのほうが作品の愉悦感が感じられる・・・ま、好き好きでしょうが。
【♪ KechiKechi Classics ♪】 (書き手本人も)休憩中。明日より7月、ほんまの夏がやってまいります。原発崩壊の夏。なぁなぁ矛盾先送りとどのつまりの日本也。”やはり自民党政権がよかった”とならぬのは、現在の矛盾はすべて前政権が積み重ねてきたということを皆知っているから。そんなことより、まず自分の健康だな。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
【♪ KechiKechi Classics ♪】 休憩中。金沢会議日帰り出張より帰宅、というか滞在時間2時間少々。ヤクは一週間効くそうで、その間に体調快復させよといった趣旨なんでしょう。既に昨夜は「予算達成祝い」に出席したし(抜けられんのです/若い者の分負担の意味も有/ほとんど呑んでいない)、土日休みなし出張も含め、いつもよりハードなくらい。未だ”生活リズム改善計画”に着手できません。この間「ご自愛下さい」との暖かいメール2件いただきました。感謝。
毎日多湿猛暑だけれど、さほどに暑さを感じぬし、通勤や出張電車中では上着必須。まだ6月ですし。夏本番はこれから。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2001年)・・・再聴。通院後、JRに乗ったら事故とやらで止まってしまって、しっかり全曲集中できました。座ってましたし。細部精緻精密な描き込み、クールだけれど爽やかなサウンド+力感に不足なし。やはり我が人民中国製ディジタル・アンプとの相性悪かったんだな。ポータブルCDプレーヤーだと、文句なく完成度高い演奏と実感できます。
他、同曲をエイドリアン・ボウルト(1958年/剛直で無頼な魅力)、サカリ・オラモ/ストックホルム・フィル(2010年/若々しいメリハリがわかりやすい演奏)など・・・
●2011年6月某日の振り返りと後悔
【♪ KechiKechi Classics ♪】 休憩中。お仕事は通常出勤しているが、土日福井へ所用にて出張。前日夜、馴染みの整形外科左膝リハビリのみ、思い立って診察を受け症状を説明(一ヶ月くらい体調不良)レントゲンで胸を見たら「肺炎の疑い」とのこと。そうか、すっかり症状こじらせていたのだね。注射2本、三日しか処方出来ぬ強力抗生物質(ジスロマック)出。注射もヤクもよう効いて、翌日にはすっかり気分爽快、福井の夜、酒席もお付き合いしました(アホか)。土日つぶれて、先ほど帰宅。明日上司の月一会議用資料締め切り(ほとんどできている)、明後日は(毎週だね)金沢にて会議。明日は通院必須の指示です。
今度は女房殿が風邪症状。大丈夫でしょうか?出張中に10年ほど愛用したコーヒーメーカーが壊れたとのこと。毎日毎日(時には一日2回)使っていたからね、よう働いてくださいました。さっそくamazonに注文、便利やなぁ。
蒸し暑い日々が続くが、体調不良にて汗はかいても”暑い”とは感じぬ状態でした。生活リズム変更の件はこれから考えます。オーディオ/パソコン部屋ちょっぴり(パソコン机の方向のみ)模様替えいたしました。音楽に対する真摯な気持ちもなんとか復活させたい・・・
数日寝込んでいたので、ほとんどまともに音楽を聴いておりません。ま、ここ一ヶ月以上、ほとんどそんな状態だったんだけど。
Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ピエール・ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック/カメラータ・シンガーズ/イヴォンヌ・ミントン(ms)他(1976年ライヴ)・・・再度。これもネットでダウンロード可能(もちろん無料)。先日、(現在より)体調不良中の感想は”どーも中途半端というか、ニューヨーク・フィルが上手くないというか・・・”〜失礼なコメントしておりました。
その後、ぼちぼち部分聴きしたり、出張往復でしっかり再確認したり、かなり印象を変えましたね。朝令暮改、ま、エエ加減っちゅうことでっせ。バーンスタイン時代からは考えられぬほど緻密なニューヨーク・フィルのアンサンブル。骨太でコクのあるサウンド。これでライヴだから凄い。あとは嗜好の問題でして、クール、粛々淡々と正確、この作品が持つ愉悦性みたいなものが不足するかな?徹頭徹尾、静謐であり、後年のDG録音と基本路線は変わらない。もっと脱脂脱力した感じはあるけれど。
まだ、安易な結論は出せぬけれど、もっとヴィヴィッドな、ワクワクするような「第3番」望む。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
本日金沢往復。体調いったりきたり、青息吐息で日常生活を送っております。30年以上旧知の方が急逝された、とのこと。大学の先輩であり一年ほど前に呑んだ記憶も新しいが、いろいろ思うところ有。生活のリズムを整えるというか、変えなくっちゃいけない。毎朝「音楽日誌」、毎週金曜朝に2本の更新記事、10年ほど継続してきたが、生活を見直しましょう。
そのため、【♪ KechiKechi Classics ♪】 暫時休憩いたします。主眼は体調快復が第1。他意はありません。できるだけ早々に復活予定。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
さて、咳も止まったし、胃腸の調子も快復。なんとなくボンヤリしているが、日常サラリーマン生活に復帰しないと。明日は金沢出張なので、その準備+昨日来の残務(本日締め切りの作業?)を朝一番にこなさないと。昨日通勤(速攻帰宅)に音楽(そもそもカバンも)持参せず、音楽は時々起き出して断続的に聴いていたけれど、即居眠りモードに入ってしまうし、集中できないからロクなことはない。そもそも聴いたCDを所定の場所に収納戻してしまえば、何を聴いたのか記憶が飛ぶことも多い(昨夜の食事メニューが思い出せぬような・・・惚け症状に近いのか)。
(なんとか記憶絞り出して)Brahms 交響曲第1番ハ短調/第3番ヘ長調〜ヴォルフガング・サヴァリッシュ/ウィーン交響楽団(1961/62年)・・・LP時代より廉価盤一枚に収録されていたような?当時、サヴァリッシュ30歳代未来の巨匠候補として、けっこう録音も多かったはず。きわめてオーソドックスであり、オーケストラの響きに重厚さ色気も不足するが、この生真面目さが彼のスタイルでしょう。昨今の爆演称揚の風潮からは程遠い演奏だから、忘れ去られたかも。CDも廃盤です。ハイティンク辺りと同様、基本路線を変えぬまま成熟していくタイプか?ロンドン・フィルとの再録音ではぐっと重みが増していた記憶有。正直なところ、半分ほど意識を失っていて、各曲、気付いたら最終楽章であった、という情けない状況です。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
本日も雨模様。本日は午前中のみで半休とするか、なんとかお仕事段取り付けて。どーもあかん、咳が止まらん。なんとか一日保たせても、回りに迷惑でしょう。ここ尼崎、主要幹線通り沿いの賃貸マンションは空気が悪いのか、早いところ環境の良いところに越さなくっちゃ。昨夜、思い立ってメイン・マシンのキーボード定例交換、パンタグラフ(テンキー付き)→メカニカル(テンキーなし)へ。こちら、しっかりとした深いキータッチは魅力的なんだけど、両方ともキー配置にちょっとクセがあって悩ましいんです。ま、気分転換には一番の効果有。職場のメカニカル(テンキー付き/息子のお古)キーボードが一番オーソドックスで使いやすい。但し、今時PS/2接続だけれど。
昨夜の失敗。Mahler 交響曲「大地の歌」〜サイモン・ラトル/ベルリン・フィルのライヴをデータ・ダウンロードして、昨夜ようやく自主CD化済。流麗というか、かつての大物作品に対する構え、ではない、もっと日常の名曲に対してスムース、力みのない流れに至っていて、オーケストラも歌い手も、音質も上々の出来であります・・・ところが、データ整理の時、演奏日時会場歌い手の情報を誤って削除したみたいで、さっぱり肝心なことがワカラん。昨夜、データを拾ったと記憶する辺りを探ったが、探せず。しょうもないことだけれど、これがストレスなんです。
Chopin ピアノ協奏曲第1番ホ短調〜クリスティアン・ツィマーマン(p)/ポーランド音楽祭管弦楽団(1999年)・・・Festival Orchestraというのは臨時編成の録音用オーケストラに多いが、もちろん常設(っぽい)ものもあります。著名なところではルツェルンとかバイロイトとか(やはり臨時雇いか?)。「祝祭」という訳には反発があって、これはあくまで”音楽祭”でしょう。宗教的行事じゃないし。閑話休題(それはさておき)
これは(所謂)爆演ですね。この人には若い頃から3種ほどの録音があるはずだけれど、満を持して自分の表現したいことを専用オーケストラで実現した、ということらしい。驚くべき濃厚なテンポ変遷激しい浪漫演奏でして、伴奏水準に止まらぬ劇的オーケストラの迫力説得力に驚かされます。これで全世界行脚して、トリノでの録音らしい。洗練されたクリアな響きと言うことではない、土俗的な”泣き”溢れるサウンド・・・(時間切れ)
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いつもの通り午前8時には出勤、朝一番より本日中終わらせるべき資料点検修正作業(いつもは午前中ミーティング後、内部確認徹底してからなのに)さっさと着手し、基本資料だけさっさとCDROMに焼いてしまって送付、印刷屋に入稿すべき原稿も勝手に完成させてメール送付。ちょうど月次の実績出たので、早々に内部ミーティング開始、数値の考え方見方、宿題段取り確認して帰宅といたしました。約3時間也。やればできる。帰宅途中2件ケータイに連絡有。昼飯喰ってから自宅に戻って、小一時間ほど寝込んで・・・というか、ほとんど居眠り状態。これから通院だけれど、体調かなり快復っぽい手応えあります。
昨夜の失敗の件、調査の結果、Mahler 交響曲「大地の歌」〜サイモン・ラトル/バーミンガム・シティ交響楽団/マグダレーナ・コジェナ(ms)/ミヒャェル・シャーデ(t)(2011年6月12日オールドバラ音楽祭/スネープ・モルティングスのライヴ)とのこと・・・って、ほとんど先週じゃん。新聞記事(写真入)まで掲載されているのに、ジェーン・アーウィン(ms)かも?とはどういうことか。数回演奏会はあって、Wキャストだったのか。聴き手がエエ加減なんだけど、ベルリン・フィルもずいぶんとスッキリとした響きに変貌したもんだ、と感心しておりました。古巣バーミンガム・シティ交響楽団だったのだね。歌い手も(例えば)フェリア/パツァークの時代を思い出せば、ずいぶんと”日常”な、のびのびとした歌唱であります。BBC放送のエア・チェックなのかな?音質抜群。
今朝のツィマーマンの件、若い頃の録音は透徹した、神経質な魅力に溢れました。その後、コンドラシンとかジュリーニとの録音が出ているが聴く機会なし。”コレ専門/命掛けてまっせ”的決意でスポンサーも集めたんだろうな。尋常ではない入れ込みを感じさせる演奏であって、美しく表面を整えたものでもありません。ソロも”美しい”というより”粗い”印象が勝っていて、ゆったりとしたテンポでとことん細部迄歌い込んで、クサく節回しを強調する・・・これで良いんじゃないか。演奏芸術は個性ですから。いつもいつも座右に置いて愉しむものでもないだろうが。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
基礎体力とか免疫力低下顕著であって、なんとなく微熱っぽくて、どこかに出掛ける意欲出ません。例えば、久々にBOOK・OFFにて書籍仕入れるとか、20分ほど歩いて新しいラーメン屋攻略するとか、小雨模様だといっそう精神的に萎えております。九州地方は大雨らしい。昨夜、ようやく今シーズン初”小夏”注文、もう終わりっぽいけどね。11月に先行予約していた文旦だけれど、じつはその業者が福島だったらしく、4ヶ月以上待たされた(ネット掲載のみ/個別連絡なし)挙げ句、「出庫の日程目処はない」とのことでキャンセル、そのままになっておりました。季節のものはちょっぴり贅沢しても味わうべきでしょう。
昨日、「相棒」大昔の再放送(Season1/2002年まだ画面が狭い)拝見。筋書、演出細部描込の見事さはいつも通りだけれど、秘書室次長の麗子役・純名里沙(犯人)が瑞々しく愛らしい。女性ファッションの流行廃れは速いから、9年前というのは条件厳しいのだけれど、そんなこんな乗り越えて惚れ惚れするほど素敵。それで思い出したのが、Season9「運命の女性」に於ける京野ことみ。ホテルでの結婚披露宴を狙うスリなんだけど、輝くように美しかったなぁ。
「相棒」は女性を美しく描くのが上手いんですね。それともワタシのツボなだけなのか。なんとなくタイプは共通している感じ。
Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ピエール・ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック/カメラータ・シンガーズ/イヴォンヌ・ミントン(ms)他(1976年ライヴ)・・・ニューヨーク・フィルのライヴ全集より。以前に抜粋盤を入手した時、読者より「ぜひ全集入手すべき」との助言をいただいたけれど、そんな勇気は出ませんでした。これもいろいろと考えさせられる演奏也。もともとブーレーズの浪漫の残滓一掃Mahler には(出始めより)ついて行けなかったんだけれど、長大なる第3番をシュターツカペレ・ベルリン(2009年カーネギー・ホール・ライヴ/ネットよりダウンロード音源)を拝聴していっそう混迷し、ウィーン・フィル2001年セッション録音にてようやく”見えて”きたような・・・やる気全然ないような、粛々として淡々、静謐な演奏・・・
こちら1976年ブーレーズ51歳壮年の活力に溢れる演奏だけれど、どーも中途半端というか、ニューヨーク・フィルが上手くないというか・・・ここ散々新しい、上手い!演奏を聴いてきたでしょ。最近の彼のスタイルを全面賞賛するつもりもないが、SONYの正規録音に至らなかったのもちょっと理解できるような、そんな印象、感想。残念。なんかいかんなぁ、数年前だったらきっと絶賛していたと思うんだけれど。
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体調の悪化、というか、ずっと行ったり来たり2ヶ月程?微熱+咳が止まらない。でも、食欲は戻ってきました。こんな時に音楽を聴くのも考えもので、とにかくあまり良い印象を得られないし、感想をまとめることさえ不如意。ましてや、自主CDの音質保証はできぬのは覚悟の上。
新しい眼鏡できました。日常使い用度数弱めの(安)もの、デザイン今風であまり好みではないが、こんなんしかしか店にありませんから。これで予備に余裕ができてひと安心。被災された人には眼鏡を流されちゃった人もいたでしょうね。その不便たるや想像を絶する・・・ワタシもド・近眼+乱視ですから。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2001年)・・・あちこちエラく評判がよかったので、期待して拝聴いたしました。でも、そんなに凄いんだろうか?音質云々は我が貧者のオーディオ(どちらかというとピアノ・ソロ、室内楽に相性がよろしい)故、安易な判断はできぬのは前提、さらさら静かで低音の迫力とか爆発が足りぬような気が・・・微妙なテンポの変遷は見事だと思うが、妙にさっぱりとして説得力をが感じられない・・・
・・・のは、体調のせいかも。
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ほぼ終日、布団に寝込んでテレビ(ビデオ)を見ておりました。途中なんども意識喪失。夜女房殿が帰ってきて夕食、入浴したが、明日かなりヤバそうです。午前中出て(どうしても抜けられぬ定例作業有)、昼から帰るか。いずれ一日おいて金沢出張、週末は福井連泊なんだけど。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2001年)・・・再聴。う〜む、終楽章に山があって、そこは文句なしに素晴らしい。テンポ設定やらタメはほんまに決まっていて、評価が高いのは頷けぬことはない各楽章の完成度だけれど、そんなに説得力あるんだろうか。やはり体調問題か。クラウディオ・アバドの1991年録音にはほんまに感動したんだけれど。
【♪ KechiKechi Classics ♪】は今時珍しい”ブログ”ならぬ、自前サイトなんだけど、愛用のエディターが1999年以来更新されていない、といった危機感(いつ最新版のOSで動かなくなる?)を持っております。そこで、フリーソフトを検索、要らぬ機能は削って、できるだけシンプルなテキストファイルがベース、タグ挿入は自分でショートカット・キーを自由にカスタマイズできること、なにより表示のフォントが自在なこと・・・けっこうないんですよ、意外と。幸い老眼はないんだけれど、人様のブログで最大の不満は字が小さい、画面のテキスト表示幅が小さいこと。これも思ったほど自由になるエディターってないですね。WYSIWYGエディタなどは、必要ないゴミみたいなタグがたくさん出てくるから大嫌い。
どなたか、教えて下され。本日だけで3つほど試したがあきまへんでした。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
新しい眼鏡できました。日常使い用度数弱めの(安)もの、デザイン今風であまり好みではないが、こんなんしかしか店にありませんから。これで予備に余裕ができてひと安心。被災された人には眼鏡を流されちゃった人もいたでしょうね。その不便たるや想像を絶する・・・ワタシもド・近眼+乱視ですから。
昨夜は二日酔い気味だったのでほとんど酒は嗜まず。但し、ラーメンも含め喰い過ぎました。朝食を抜く習慣はないが、今朝は控えめ〜それでもハラ苦しい感じ。鬱陶しい雨模様続いております。今朝、ゆっくり、寝坊し【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例更新。安易な昔馴染みばかりの更新続くが、ご勘弁願いましょう。
昨夜深夜、寝苦しくて起き出して音量極小にてMahler (あちこち、ちょろ)確認。昨日のMMTに考えるところ多かったので。Mahler 交響曲第6番イ短調〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団(2001年ライヴ)再聴・・・アンサンブルの集中力、細部彫琢の徹底、どこにも瑕疵はない演奏、対向配置やら管楽器の奥行き位置関係、打楽器のド迫力、弱音の繊細なるコントロール。旋律にムリのない素直な表現・・・すべてが結実しても、圧巻の感銘(衝撃?)に至らない〜とはずいぶんなる言い種。ほんまは大音量で確認すべきなんだけど、深夜故そうもいかぬ・・・脳裏には怪しいシノーポリがあったのか。とても清潔で爽快、ホールの空間空気を感じてなかなかよろしいではないか。エエ加減やなぁ、ワシの耳。
更に、数回聴いてアカンかった、Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜クラウディオ・アバド/ルツェルン音楽祭管弦楽団/エテリ・グヴァザヴァ(s)/アンナ・ラーション(ms)/オルフェオン・ドノスティアルラ合唱団(2003年ライヴ)・・・これも中盤一部のみ、音量極小拝聴。すっきりさっぱりが時代の趨勢か?旧世代の自分の感性は少々古くさくなっているのかも。つまり”Mahler は大仰なる大物である”との刷り込み思い込み。「清潔で爽快」「すっきりさっぱり」、オーケストラは上手くて当たり前、美しい旋律を素直に表現していく・・・ヘルマン・シェルヘン辺りを喜んじゃアカンのだな。名人が多く参加しているから、という視点ではなく、素直に美しい大曲を愉しんでいる風情が感じられました。演奏スタイルには流行廃(はやりすた)れがありまして、聴き馴染んでいくと聴き手の(旧態なる)感性も変化していくということでしょう。
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無為無策ないつもの休日也。最近、海外サイトで(かなり)自由自在に聴きたい音源をダウンロードできるので、新しいCDを探したり、買ったりする行為は激減しました。もとより棚中にはまだまだ、一生掛けても聴き切れないほどの在庫CD残っておりますし。なんどか同じネタ言及だけれど、”自由に聴ける”ことになると似たような、お気に入り作品ばかりになりがち〜例えばMahler 、そしてMozart のピアノ協奏曲など。ま、音楽は嗜好品だからそれでも良いんだけれど、栄養バランスは必要不可欠。苦手もちゃんと聴かなくっちゃ、ということですよ。自戒いたしましょう。
Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調〜ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)/カルロ・マリア・ジュリーニ/ロンドン・フィル(1977年)・・・5度目、ラス前録音でしたっけ?カラヤン盤(1968年)はこどものころからの刷り込み、このCDは4年ほど前BOOK・OFFにて入手したものだけれど、一度聴いて”ふ〜ん”(ま、こんなもんじゃないの?)的印象で捨て置いたもの。久々の再聴は、50歳の技巧はまだまだ衰えていないし、前回録音ほどギラギラしていない、バランス感覚演奏と感じました。ジュリーニの穏健派伴奏も、ベルリン・フィルほどの艶々色気はないけれど、のびのび歌って悪くない。これは聴き手の華麗なる加齢による嗜好変化と思います。落ち着いた、内省的、抑制のある演奏と思います。
久々聴いたな、以前はお気に入り作品だったんだけれど。(リンク先8年前のCDは半分ほど処分済)
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1990年ケルン・フィルハーモニー・ホール/セッション録音)・・・かつて第5番迄の仏EMIボックス+第6番2枚組はオークション入手、第8/9番+「大地の歌」はFMエア・チェックでもう20年ほど?聴いてきたもの。全集ボックス(録音場所スタッフ等バラバラで音質各々色が違う)再入手したのは昨年2010年末となります。その後、自主CDの嵐となったので途中までで(再)拝聴ストップしていたもの。今朝の話題もそうなんだけど、現代の人気作品群だし、オーディオ映えするし、聴けば聴くほど嗜好の変化変遷著しく激化すると感じます。正直なところ、ここ最近1960年代辺りの音源でMahler を聴くのは敬遠気味ですもん。
結論的には痺れましたよ、この演奏に。激情熱狂系に非ず、明晰、緻密、洗練され、響きは明るく神経質ではない。テンポの揺れも恣意的ではない、自然さに溢れます。どんな旋律も安易に扱わない集中力有、技術的に優れ、迫力たっぷり朗々と鳴り切っておりました。EMI(系)録音にしては、音量収録レベルが高く、優秀な鮮明音質も特筆されるべきでしょう。録音会場の空気感をしっかり感じ取ること可能。気持ちの良い演奏ですね。シノーポリの怪しい、エッチな演奏も好きだけど、こんな爽快な世界も大好き。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
昨夜は東京本丸より旧知の担当来訪、上司(元の上司でもある)始め若い者も含め歓迎いたしました。帰宅、午前様。昼間ずっと体調よろしくなく、お付き合いはちょっと心配だったが、なんとか保ちました。本日内部会議でようやく資料作成一段落、取引先商談本番は来週です。なんやら雨模様でうすら寒いような、暑いような不思議な天候で体調維持が難しい日々〜遅くまで呑んでそんなこと言っても仕方がないが。今朝、【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例サイト更新一本のみ、明らかにアリバイ的実施。ほとんどまともに音楽に集中できぬ日々、続いております。昨日通勤に至っては、ポータブルCDプレーヤー不調にてほとんど鳴らなかったし。
この間聴いた音楽の落ち穂拾い。Mahler 交響曲第3番ニ短調〜マイケル・ティルソン・トーマス/ロンドン交響楽団/合唱団/サウスエンド少年合唱団/ジャネット・ベイカー(ms)(1987年)・・・サンフランシスコ交響楽団との全集が話題だけれど、こちら旧録音。おそるべきクリアな細部描き込み、完成度を誇って、長大なる作品の集中力は最後迄継続いたします。この間、ブーレーズの録音をいろいろ聴いてきたが、あれほどの”抜け方”ではない、もっと大曲に対する構えと緊張感がしっかり存在して、アンサンブルの磨き具合、こりゃずいぶんしっかり練習したんだろうな、といった手応えが凄い。洗練されているが、表面のみを糊塗した演奏に非ず、(時間切れ)
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終日、二日酔いっぽく、なんとか内部ミーティングをクリアして、更に大きな実務仕事処理終え、夕方超・不機嫌の女房殿を誘って梅田・新地待ち合わせ。結局、職場近くまで戻って、数回通ってお気に入りの料理屋に行きました。(狭いが料理絶品!そして安い、若夫婦が爽やか)ま、とにかく一ヶ月の山を一つ越えて週末休み、そして来週は金沢出張〜更に週末は福井へ。それまでになんとか体調を戻したいものだけれど・・・深酒して体調もクソもあったもんじゃないが。ちょっと精神的に解放されております。
通勤音楽は、今朝言及途中MTTのMahler 交響曲第3番ニ短調(1987年)終楽章。陰影とか起伏とか情念、歌とか、そんな世界ではない。ひたすら純化され、洗練され、磨かれたサウンドが素晴らしい。ロンドン交響楽団は絶好調・・・けどね、肝心の聴き手が二日酔いではどーしょーもないではないか。第5楽章「カッコウが私に語ること−朝の鐘が私に語ること−天使が私に語ること」 に於ける夢見るようなメルヘン、第6楽章「愛が私に語ること・父様はぼくの傷口を見てくださる」 に圧巻の感銘が押し寄せない。さらさら清流が行き過ぎるだけなんです。(ホルン、ヴァイオリン・ソロ、フルートもほんまに、痺れるほど美しいのだけれど・・・)
とにかく、また仕切り直しましょう。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
昨日、ようやく所定の資料出来。本日、別の宿題を一気にこなした後、再点検して明日の内部会議に臨みましょう。本日女房殿誕生日(同い年)、昨夜はご近所高級伊太利亜料理店(サイゼリア)にて赤ワインをいただきました。体調はずっと、どんよりしてすっきりしません。休みたいくらいだけれど、毎日こなすべき宿題を決めている(=デッドライン)ので、規則正しいスケジュール管理が重要なんです。まして、飛び込み案件も満載なので。大小様々諸処クリアしていくが、夕方にはなにがあったかほとんど忘れておりますが。
Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調/Sibelius ヴァイオリン協奏曲ニ短調〜チョン・キョン・ファ(v)/アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(1970年)・・・一昨日聴いたもの。3月に言及しておりますね。22歳デビュー録音。例えばハイフェッツの妙技、(この作品言及ではないが)オイストラフの豊満な美音でもない、技術とエモーショナルのバランス感覚抜群の歌心に驚きます。若さ故の走ったり、細部描き込みの不足など微塵も存在しない、清涼新鮮な空気に溢れるが、よく練り上げられた陰影を感じます。プレヴィンのバックが清冽であって、音質は完全に現役であります。なんどでも聴きたいくらい。
別途、一文をまとめたいと思うんだけれど、昨日、昼休み職場でネットを探っていたら凄いのを発見いたしました。「Mozart -TOWER / GERMANY」〜ようはするに「モォツァルトほぼ全曲ぜんぶタダ.wma」サイトであって、試しに交響曲第35番ニ長調K.385/第36番ハ長調KV.425「リンツ」/メヌエット ハ長調K.409(383f)/アダージョ・マエストーソ ト長調 K.444(K.425a所謂交響曲第37番の序奏)を拝聴。音質まぁまぁ(日常聴きに不足ない・・・かな?)けっこうしっかりとした現代楽器アンサンブルであって、余計な飾りの少ないもの・・・問題は演奏者、録音情報一切存在しないことであって、それこそ先日上梓した「製品としてのCDの矜持」(CDじゃないが)基本中基本条件抜也。
でもね、(ほぼ)全部全曲聴けますから。この際割り切って「聴くべきものは聴いた」(似非・平知盛)、手持ちモォツァルトCD全部処分して、これだけで生きることは可能なんじゃないか。煩悩全部捨てれば。凄い時代になりましたよ。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
定例の日常業務(いろいろと飛び込み事象が多い)ともかく、肝心の提案資料への集中力を失って、思うように進んでおりません。あと本日含め、二日間、なんとかしなくっちゃ。職場では風邪が流行っていて、チーム内でもひとり声が出なくなったやつがおりました。自分も一進一退で完治宣言できず。帰宅しても同様で、サイトの原稿執筆の意欲ついに出ません。きょうも暑くなるらしい。
昨日途中だった、「ウィンナ・ワルツ覚え書き」の件、その後、カルロス・クライバー(1989年)を仕上げが雑、と感じるようになって処分済。ロベルト・シュトルツの種々の録音も、(入手困難との記事を信じ、慌てて入手した)「ウィーンの音楽(12CD)」も既に棚中にはありません(抜粋はエエ感じなんだけど、全部続けて聴くと仕上げの粗さが気になっちゃう)。連続記事には登場しないジョン・バルビローリのウィンナ・ワルツ集を入手し、そして処分済み。オーマンディRCA録音の処分の件は言及済みだけれど、CBS旧録音は別途入手、これが意外と華やかで悪くない。
他では、ヤッシャ・ホーレンシュタイン(第1集1962年/第2集1969年)が引き締まったアンサンブルに思わぬ成果!有。そういえばフェレンツ・フリッチャイのCDを譲ってくれ!とのメールが届いて、黙って即送付しましたっけ。そういえばカラヤン/ベルリン・フィルの一枚を入手し、やはり即処分した記憶もある・・・ちゃんと整理して、まとめておかなくっちゃ。記憶は日々、どんどん薄れていくので。
では、行ってきます。昨日の通勤ではチョン・キョン・ファのデビュー録音に感動しておりました。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
昨日は日常業務+課題、この先のスケジュール確認にて終了。狙った宿題進捗に手つかず、けっきょくギリギリ迄掛かってしまうんだな、締め切り日へ。昨夜耳鼻科に行ったら、いつものように大混雑で苦戦、点滴+ヤクをいただく始末で体調がずっと戻りません。困ったもんだ、夜二時間ドラマみていたら、ヤクのせいか凄く眠くなって、しっかりたっぷり(珍しく)眠れました。
通勤音楽は、J.Strauss 加速度円舞曲/美しく青きドナウ/皇帝円舞曲/ピツィカート・ポルカ/南国の薔薇〜ヨーゼフ・クリップス/ウィーン・フィル(1957年)・・・LP時代〜そしてCD時代に至っても愛聴していた「本場」演奏也(処分済)。こうしてパブリック・ドメインになって再会してみると、演奏はもちろんだけれど音質の良好なことに驚かされます。表情はけっこう濃厚、リズム感しっかり、そして浮き立つように優雅、粋。いろいろ経緯があったんだろうが、クレメンス・クラウスのあと、ニューイヤー・コンサートの指揮者はこの人が務めるべきであった、と思います。唯一の不満は収録作品が少ないこと。「ウィーンの森」や「芸術家の生活」は必須でしょう。ワタシ、ウィンナ・ワルツの大ファンでして、「ウィンナ・ワルツ覚え書き」シリーズも10回を数えて3年中断中・・・なのは情けない・・・(時間切れ)
●2011年6月某日の振り返りと後悔
さて、また新しい一週間の開始、金曜日が内部打ち合わせの日程と決まったので、実質3日ほどで提案資料の残りを仕上げないと。一昨日は終日立ち詰め、しかも往復5時間以上列車でしょ?あちこち痛いような、体調のほうはかなり快復しているが、鬱陶しい雨模様でスッキリしておりません。きょうは晴れて、気温も上がるらしい。昨日はご近所眼鏡屋さんへ、主眼は先日寝ぼけてトイレのドアにぶつけた修理だけれど、数ヶ月前ひとつ壊れて廃棄したせいで、日常使いが残2個のみ(もうひとつはちゃんと度数が合ったもので、これは長時間パソコンに使うと頭痛を呼ぶ+デザインが今風で好きではない)旧いやつの洗浄、調整、更に4年で視力の悪化はないか調べていただきました。なんせド・近眼+乱視なので。幸い老眼は大丈夫。視力は変わっていないそう。お仕事+パソコン用にわざと度数を弱くしたものを使っていて、クルマは運転しませんから。フレーム+レンズのセットで4,980円也(=安物)新たに作っておきました。
あまり音楽は聴いておりません。Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル(1967年)・・・こどもの頃から(FMで)聴いている、というか、こどもの時以来の再聴か?以前、ちょろ聴きしていたら、素っ気ない粗っぽい演奏かな?との感想も、ちゃんと集中すれば、テンポ設定の対比強調、粗削りの迫力と勢い、これはこれでなかなか魅力的な演奏であります。ブーレーズ辺りの緻密な演奏を聴き慣れていると、当時のロサンゼルス・フィルは驚嘆するほどのアンサンブルに非ず。英DECCA録音も時代を勘案すると立派なものだけれど、なんせぴかぴかの新録音が次々出るでしょ?それとは同列に語れません。それにマスターに問題有との情報も・・・ま、気にする方じゃないが。残り「ペトルーシュカ」や「ミニチュアール」は未聴。
一昨日言及し掛かりの、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン(1997年ライヴ)・・・フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音(1993年)の記憶は消えております。遅めのテンポ、涼しげ深いブルー系のオーケストラの音色を駆使して(ライヴ故の傷ともかく)入念なる細部仕上げ。よく歌って、テンポの動きは計算され尽くしているのでしょう。それが妙に怪しく、イヤらしく、聴き手の心臓をザワつかせて途中抜けられない魅力に溢れます。ユーザー評割れてますね。誰もが絶賛!そんな優等生みたいな演奏、21世紀に誰が聴くんだ。オーケストラの評価も真っ二つ。シカゴ交響楽団辺りを標準とすると、あかんのでしょう。恣意的個性的な解釈がドレスデンの個性に似合っているかどうかは別物。ワタシはすっかり馴染んで佳くできた名曲、ではなく、巨魁な近寄りがたい大作、との手応えをしっかり受け取りました。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
行ってきました能登半島付け根、山の中。ま、お仕事じゃないと一生いかんだろうな、稀有な経験、素晴らしい自然環境でした。一昨日は通常勤務だったが、チームメンバー(中独連)のド・チョンボのフォロー、若い者の意欲的な相談事のフォロー(素晴らしい成果/本丸、取引先との調整も楽しい)〜自分のお仕事はちっとも進まず、頭痛をヤクで散らしつつ、弁当喰いつつ夕方金沢へ。
前夜はいつものホテルでおとなしく、二時間ドラマを眺めておりました。当日は早朝、集合場所よりクルマにて会場に移動。そつなく役割を果たしたつもり。北陸エリアの担当になって4年目だけれど、ふだんお付き合いのない管理部局の(ヴェテラン女性)部長さんとお知り合いになりました。人生出会いと経験、お勉強でっせ。
通勤〜出張移動音楽。まず、Mozart ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調K.482/第23番イ長調K.488〜ダニエル・バレンボイム(p)/イギリス室内管弦楽団(1967〜74年)・・・予想外に苦戦したアンドラーシュ・シフに比して、こちら想定外になかなかよろしい。バレンボイムの旧全集は時に考えすぎ、時に細部仕上げに難を感じた記憶もあるけれど、ここでは素直な表現、作品に相応しい躍動、優しさに充ちて上出来であります。イギリス室内管弦楽団も好調。なんせ、名曲中の名曲ですから。聴きどころ一杯ですから。変ホ長調協奏曲K.482に於ける第2楽章管楽器のみによる纏綿とした伴奏、終楽章の突き抜けたノンビリ。イ長調協奏曲K.488に於ける第1楽章の典雅な旋律、第2楽章浪漫に溢れた甘美な世界・・・どれも上々の成果。
Scho"nberg オラトリオ「ヤコブの梯子」(1986年)/Mahler 交響曲第8番 変ホ長調(1998年)〜ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送交響楽団/A.マルク、M.J.レイ、C.ベジガー(s)/E.グリュネヴァルト、D.ペツィコヴァー(a)/G.ウィンスレイド(t)/A.マイケルズ=ムーア(br)/P.リカ(b)/ヨーロッパ・コーラル・アカデミー/カルフ・アウレリウス児童合唱団・・・これはMahler の担当。その前のScho"nbergが珍しい未完の作品(弟子が補筆完成)で1961年にクーベリックが初演した由。J.ブレッヒェラー(br)/G.ウィンスレイド、G.レナルド(t)/H.ミュラー=ブラッハマン、J.ジョンソン(br)/T.ハーパー(t)/L.アイキン(s)/ベルリン放送合唱団。ここ最近、こんな精密緻密繊細難解なる作品がお気に入りであって、筋書きともかく言語理解不能、語るように自在なる歌い手旋律の楽譜はいったいどうなっておるのか?訝しくなるほど怪しげであります。おそらくは恐るべき静謐、そして正確なる演奏。約40分。
「千人の交響曲」は初耳ではない演奏のはずだけれど、ちょっと痺れましたね。ネットで音源が自由に拾えるようになって、ここ数ヶ月数多く、幾種も聴いてきたはずだけれど、これぞ(今まで聴いたウチ)文句なしヴェリ・ベスト。録音印象もあるのだろうが、声楽主体、合唱はヴィヴラート少なく響きクリアですっきり濁りがない。おそらくは超絶技巧なのでしょう。オーケストラの力感迫力に不足はないが、各バランス絶妙で常に各パートが鮮明に聴き取ること可能。つまり、声楽器楽混沌混迷阿鼻叫喚の渦に巻き込まれることなく、響きは洗練され見通し抜群によろしい”室内楽的な”(!?)集中力に溢れ、しかも全体スケール、テンションに不足はない〜クールながら。今回はイヤホン聴取、音質の良さも特筆されるべきでしょう。
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あともう一本、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン(1997年ライヴ)に激しく感銘を受けたんだけれど、その件の前に日常生活の件。SHARP製の新しい掃除機到着。購入数年、人民中国製(かなり喧しい)のは先日、ホースがスパイラル状に分解、残りはたしか3,000円弱で購入したミニタイプのみで、女房殿が「今度は自分で選ぶ!」と(ダンナに任せると激安怪しい、約50%の確率で寿命が短いものばかり買ってしまう)と昨日到着した(ワリと)最新型。絶好調のようです。
最近、記憶力が弱まっている自覚があって、実際にはお仕事失念して迷惑を掛けたことはほぼないのだけれど、それは超・整理手帳(メモ、付箋紙)、コンピューターメモソフト、自分(取引先)へのメール(検索可能となる)、辣腕パートさんに引き継いでしまう、種々様々駆使工夫してのこと。それと、実際は(希に)覚えていても”忘れていた”ということにして、”いやぁー、助かっちゃったよ”としておけば、回りがフォローして下さるんです。(もちろんほんまに忘れていることも有)
マルセル・メイエという往年の仏蘭西・女流ピアニストのCDボックスを入手したのはいつだったか・・・【♪ KechiKechi Classics ♪】 を検索すると2010年6月2,356円との記録が出てきました。通常ちゃんと本体にメモを入れておくのだけれど、今回は作業漏れ。さらにamazonの自分の購入履歴を見れば記録も残っておりました。R.Strauss 「ブルレスケ」〜マルセル・メイエ(p)/アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団(1943年)は、さっくり軽妙、ノリノリ愉悦に溢れたタッチが素敵、音質も想像よりずっとよろしい・・・のはともかく、自分の棚中在庫にて”ちゃんとした音質の「ブルレスケ」”って、あったっけ?全然記憶なし。思い付かない。サイト内検索を掛けてみたら、リヒテルのは処分済み?(これも記憶がない)棚中に存在しません。
四苦八苦ノーミソ駆使して、バイロン・ジャニス(p)/ライナー/シカゴ交響楽団(1957年)出てきました。おそらく他にもあるんでしょう。ヤバいな、思い立ったら即棚から出せる!聴ける、状態にならんと。
もう一件、忘れぬうちに言及しておきましょう。数日前のBrahms ピアノ協奏曲第1番ニ短調〜ダニエル・バレンボイム(p)/ジョン・バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団の件。再聴してみると、目くじら立てるほどの悪音質に非ず。彼(か)の印象はなんだったのか?いずれ、さほどの優秀録音に非ず、バルビローリの細部こだわりの仕上げ、若々しくも清冽なピアノがなかなかの聴きものに間違いなし。但し、この人のピアノはもの凄い精密なる集中力、というのとは少々異なりますね。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
本日、狙いのお仕事宿題をそれなりクリアして、夜金沢へ。お客との酒席は流れたので、さっさとお仕事終えて出発前にちょっと呑ってから出発、というのもエエかも。いずれ体調次第なんだけど。残業時間制限でやや遅く(というか通常時間出勤)、定時でタイムカード押さなくっちゃ。残業手当もとより一銭も付かぬのだけれど、メンタルヘルス問題で摘発を喰らうんです。震災発生月は例外として、そこから毎月締め前にそんな調整が必要となりました。そういえば本日夏のボーナス支給、全額銀行経由女房殿へ直行。欲しいものはなにもないし。夜中に途中覚醒したので、サイト定例更新しておきました。
Brahms ピアノ協奏曲第1番ニ短調〜ダニエル・バレンボイム(p)/ジョン・バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1967年)・・・初耳。濃厚、ゆったり纏綿と歌うバルビローリ主導の演奏也。しかし、響きはクリアで重苦しくはない。バレンボイム25歳、現在指揮者としての評価はほとんど聴いていないのでなんとも言えぬが、このピアノは清冽、切れ味のある素晴らしいものでしょう・・・しかし、この音質なんとかならんのか。全部が全部とは言わぬが、EMI録音の悪い部分が集中して出たようで、響きはクリア〜なはずが、全体の音質は繊細さを欠いて不明瞭なのが残念。(第2番は少々マシ?)1960年前後、けっこうエエ音質の録音も存在するのに。たまたまこのCD?ちゃんとした盤もあるんでしょうか。おそらくは我が貧者のオーディオ責任ではないと思うんだけれど。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ジョージ・ショルティ/シカゴ交響楽団(1970年)・・・いったい何度聴いてきたのか。駅売海賊盤ほぼ全集を処分して、正規盤全集を入手したのが2009年8月、との記録有。”かつての印象寸分も違わず。筋肉質、金属的、華やかなサウンドによる強靱なる体育会系演奏そのもの。音質もその印象をいっそう強めているのでしょう。完璧なるメカニック、アンサンブル〜ワタシはもっと陰影に富んだ演奏を好むけど、この個性を礼賛される気持ちは理解できます”とはその時点の感想だけれど、最近の録音を多く聴くようになって印象一変いたしました。これこそが現代のMahler の嚆矢だったのでは?正確、強靱なるアンサンブル(+佳き音質)がまず基本、指揮者の個性云々の前に、近代オーケストレーションの成果をきちんと表現すること。ましてや滅茶苦茶上手いシカゴ交響楽団でしょ?
録音爾来40年以上を経、たったいま虚心に聴けばあながち”筋肉質、金属的、華やかなサウンドによる強靱なる体育会系演奏”が悪いとも思えない。ショルティのけっこう細部配慮ある息遣いも感じ取れました。いかんなぁ、ころころ評価を変えて。
では、行ってきます。荷物の関係+ホテルにてゆっくり過ごす時間はほとんどないので、ノートパソコンは持参しません。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
体調相変わらずスッキリせず。困ったものです。休日スポーツ・クラブなど強行したほうが良いのか?ちょっと考えてしまう。数日前、我が営業部局の本丸大将(若い頃からの旧知/2度ほど同じ職場になったこともある超優秀人材)がやってきて、上司と人事の話しをしておりました。期中幹部異動かな?すっかり現行職場体制にまったり馴染んでいるが、サラリーマンがどんどん異動し、職場の様子が変わっていくのは当たり前のこと。4年前、大阪に戻った時の職場フロア・メンバー生き残りは実質上ワタシ一人のみ(+一人いることはいるが)〜ちょっぴり無常を感じます。
「The New Mythology Opera Suite」という、オペラ中心のサイトを見つけて、フリーで音源ダウンロード可能。さっそくLP時代懐かしい音源やら、CDでも処分済みのものをいくつか再入手・拝聴いたしました。例えば
Bartok 歌劇「青ひげ公の城」〜フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団/フィッシャー・ディースカウ(br)/ヘルタ・テッパー(s)(1958年)・・・独逸語歌唱。もとよりガイコク語不如意故、サウンドとして拝聴しております。この作品はお気に入りでして、LP時代はゲンナジ・ロジェストヴェンスキー、そしてこのフリッチャイ盤で聴いていた記憶はあるが、あとはどの演奏が自らの標準になっているのか?記憶なし。そのワリに旋律細部迄馴染みであって、FMエア・チェックのサヴァリッシュ/ディースカウ(1979年)だったのか?とにかく”サウンドとして聴く”歌としては独逸語に違和感ちょっぴり有。オーケストラの集中力やら、歌い手の緊張、漲る切迫感はもの凄くて、これぞBartok!といった恐ろしい演奏であります。音質も鮮明。
同じサイトより、Tchaikovsky 歌劇「エフゲニー・オネーギン」〜ボリス・ハイキン/ボリショイ歌劇場管弦楽団/合唱団/エフゲニー・ベロフ(br)/ガリーナ・ヴィシネフスカヤ(1956年)もダウンロードいたしました・・・未聴。じつは以前聴いていて、2007年オークション処分したもの。おそらく音質良好なものを再入手する予定がそのままになっていた、と想像されます。けっこう甘美な旋律お気に入り作品。(激安入手可能)ヴィシネフスカヤ(女性に年齢は失礼ながら)20歳代の記録でっせ。結局、自主CD化再聴していないのは、棚中自主CD分類「歴史的声楽関係」ひっくり返すと、オスカー・ダノン/ベオグラード国立歌劇場/ヘイバローヴァ/ツヴェイチ/ポポヴィッチ他(1955年ステレオ!)が出てきたので。いったいいつ?どこで拾ってきたのか。記憶ないが、たしかに馴染みであって未聴ではない感じ。たしか英DECCA録音、CD化はされていないはず・・・
ようはするに、”明日という日は、明るい日と書くのね”的、前向き、昨日より今日、そして明日のほうが明るい、次は何を買いましょう、入手し、所有しなくっちゃ、それを愉しみに過ごしていく〜的希望の毎日ではなく、いずれ無常観に襲われております。CDやら音源データは聴いてこその価値、集めることが主眼ではない。コレクションして飾ることが趣味じゃないはず。これで充分じゃないか。定期的にこんな考えが迫ってきて、棚中溢れかえるCD(4年で半減させたと思うが)もっと処分しなくちゃ、と嘆息しております。
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なんとなくどんより、ぼんやり症状から、本格的な風邪症状に悪化してしまいました。いったいなんなんだ?この体調は。本日、メンタルヘルス検査(アンケートみたいなもの)の結果が帰ってきて、「Aランク」〜つまりまったく無事でありました。精神は大丈夫と言うことだね。明日、金沢前泊〜土曜は能登半島へ。なんとかあと二日、保ってくれ!
通勤音楽は、Bizet 歌劇「カルメン」〜ヘルベルト・ケーゲル/ライプツィヒ放送交響楽団/合唱団/ソナ・ツェルヴェナ(カルメン)/ロルフ・アプレク(ドン・ホセ)/ロベルト・ラウホーファー(エスカミーリョ)/マリア・クローネン(ミカエラ)/ウルズラ・エンゲルト(フラスキータ)/ハラルト・ノイキルヒ(レメンダード)/ギュンター・ライプ(ダンカイロ)(1960年)・・・かなり以前に抜粋を聴いていて、やがて全曲を入手し直したもの。通勤往復では終了せず、最終盤は帰宅後に残り拝聴。驚異的音質。登場者が右手奥から登場して、やがて歌いながら左手に移っていく・・・といった臨場感、奥行き、鮮度抜群。5年ほど前、ウィルヘルム・シュヒターの独逸語盤を聴いていたけれど、これもそう。今朝、”もとよりガイコク語不如意故、サウンドとして拝聴しております”と書いたけれど、仏蘭西語ではないというのは、もの凄い印象の変化があるものです。(当時の自分)曰く”エスカーミリョがウォータンに、カルメンがブリュンヒルデに聞こえる”と。
演奏はすこぶる硬派リズム感優れ、歌い手の技量も凄いが、なんせカルメンは「ターミネーター3に出てくる女性型ロボット」風の冷酷さ、ドン・ホセは端正に生真面目なお仕事ぶり、色男の闘牛士だったはずのエスカーミリョには哲学者の風貌を感じちゃう・・・ま、それでも細部迄馴染みの旋律ばかりだし、声楽(含む少年合唱団)器楽共々充実して、リズム感がとてもよろしい。但し、華やかではない。じつは、マリオ・デル・モナコの妙な録音が刷り込みでして、圧巻の情感の横溢、叫び、涙に痺れた経験があるからヤバい。アルヒポーヴァの怪しい露西亜語も強烈でしたよ。いろいろと版があるみたいで、デル・モナコ盤にはファランドールの強烈なバレエが含まれておりました。
それを思い出すと、どれもいまいちな印象なんだな。でも、もうその音源は手許にありません。それこそネットに音源出現したら真っ先にダウンロード〜自主CD化するんだけれど。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
週末の出張前泊での酒席も上手い具合に流れそうなので、体調快復に専念できそう。本日明日で所定の提案資料の目処を付けたいな、との淡い希望有。先月にて大きな行事は終了しているので、余裕の月のはずなのに、肝心の体調が・・・能登半島へは二十数年ぶりの訪問(もちろんお仕事行事対応だけれど)なので、楽しみにしておきましょう。
昨日の続き、Mozart ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482〜アンドラーシュ・シフ(p)/シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・モーツァルテウム・ザルツブルク(1989年)・・・さらりと聴き流しただけだけれど、24番ハ短調K.491/第25番ハ長調K.503より、こちらのほうに好感が持てる演奏。微妙繊細なる揺れ、間、躊躇い〜控えめで地味なピアノが自然な流れとして捉えられます。但し、第2楽章「アンダンテ」に於ける管楽器ののみの美しい部分に(未だ)心ときめかない。終楽章、映画「アマデウス」にて朝帰りの浮き立つような気怠さを連想できない・・・いずれ、世評高いことだし彼(か)の魅力を発見すべく、もうちょっと聴き込んでみましょう。
今朝、Glazunov ロマンティックな間奏曲 ニ長調 作品69/3つのギリシア主題による序曲第2番 作品6〜アントニオ・デ・アルメイダ/香港フィル(1986年頃?)・・・他「サロメ」作品90より序奏と舞曲/運命の歌 作品84が収録されるが時間切れにて聴いておりません。親しみやすい、保守的かつ浪漫的民族的旋律連続であって、秘曲扱いはもったいないなぁ、平易で美しい作品です。アルメイダも懐かしい(マニアックな)名前だけれど、香港フィルは素朴な響き、あまりぱっとせぬ集中力と洗練に欠けたサウンドであります。音質印象かも知れません。MARCOPOLOから、かつて8.220309(スカーマーホーン)、8.220444/8.220445*(*これが当盤/デ・アルメイダ)/8.220487/8.220485(アンドレースク)計6枚ほどのGlazunov作品集CDが出ていたようだけれど、もちろん廃盤。ま、世知辛い時代だから仕方がない。全部NMLにて拝聴可能でしょう。おそらく。
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寝込むほどではないが微熱と咽の違和感が消えない。抵抗力弱っているなだな。心身ともバランスもよろしくないのか。本日(明日も)残業規定内調整にて早帰り(なんといっても早く出てきているので)。但し、日常業務ともかく肝心の提案資料がちっとも進まない。実質明日一日+半日くらいで完成目処立つでしょうか。
通勤音楽は、Smetana 祝典交響曲ホ長調〜ローター・ツァグロツェク/オーストリア放送交響楽団・・・現役CD也。全編に「皇帝讃歌」の旋律が登場し、まことに賑々しく華やかな作品です。全46分ほど。知っている旋律が堂々と登場するので初耳でもちゃんと愉しめるのがミソ。じつはDOCUMENTSの激安10枚組に収録されていて、【♪ KechiKechi Classics ♪】にも数度登場しておりました。ヨゼフ・フルンチージ/プラハ放送交響楽団(1980年)は少々音質が硬かったのと、アンサンブルそのものも厳しくて、なによりトラック分けがない!こちら、オペラ畑の名手ツァグロツェクにオーストリア放響のアンサンブルも充実安定していて、安心して聴けました。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
さて、なんとかカラダを保たせて一日乗り切らなくっちゃ。スケジュール的には余裕(のはず)の月末締め切り大きな宿題2本、目処立てましょう。どんより曇り、雨も降るらしい。健全な肉体に、健全なる精神宿(ったら理想的、というのが元々の意らしい)る、という先人の言葉通り、体調いまいちだと気持ちも後ろ向きになりがち。昨年猛暑の夏にずっと体調不良だったが、ことしはこんな涼しいうちからアウトかよ。
Mozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491/第25番ハ長調K.503〜アンドラーシュ・シフ(p)/シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・モーツァルテウム・ザルツブルク(1988年)・・・世評高い全集だけれど、初耳。さらりと一聴して「なんじゃ、これ」、耳腐ったのか。全然良いとは思えない。嗜好別にして、シフのピアノにはもっとインティメイト(親密)な集中力、ヴェーグのバックには颯爽カッコ良い推進力を期待したが、なんやらもぞもぞして鬱陶しいとさえ感じます。ワタシお気に入り鉄板作品なのに、ちっとも楽しくない・・・のは鬱陶しい体調のせいか。
仕切り直しましょう。先週休んじゃったし、とにかく這ってでも出掛けるのがサラリーマンの基本ですから。
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昼間体調よろしく、いよいよ快復か?とお仕事もワリと順調に進捗〜ところが帰宅すると、やはり体調がぼんやりしてスッキリせず。ま、今週は金曜迄特別になにもないし、ゆるゆると狙いの提案資料作りを進めれば良いんです。なんとかなるでしょ。
通勤音楽はBeethoven ピアノ・ソナタ第7番ニ長調〜グレン・グールド(p)(1966年)・・・これ、テンポ云々じゃなく(超・快速第1楽章「プレスト」)、おそるべき流麗な勢い+ノリに溢れたクリア明晰演奏です。ウキウキと楽しく、ユーモラス、素敵な作品であった!こんな演奏で出会っていれば、もっと新しい世界が開けたのに、と後悔するほどの感慨有。微妙なニュアンスや味付けが〜みたいな意味合いではない、タッチはクールなのにどんどん熱が加わって聴き手を圧倒いたします。第2楽章「ラルゴ」の悲痛な対比も効果的、これだったらChopin だって演れるんじゃないか、的情感に充ちております。あくまで明晰だけれど。第3楽章「メヌエット」の暖かなリズム感、終楽章「ロンド」は再び快速なる知的愉悦にて充たされました。美しく、荘厳に仕上げる気配微塵もなし、凄い。文句なし。従来のBeeやんのイメージ一新!(ちなみに第8番ハ短調「悲愴」にも激しく感動いたしました。乾いた打鍵と情感のバランスの妙)
帰宅後、同じ作品をスヴャトスラフ・リヒテル(p)にて再聴。但し、録音情報不備なBeethoven ボックス22枚目/87枚組より。どこかのライヴでしょう。音質もそう悪くはない〜こちらも王道じゃないのかも知れぬが、微妙なニュアンスや味付け、陰影+圧巻の強靱打鍵、強固な構成で聴かせるのは馴染みのパターン。グールドとは世界が違うのだね。
今朝、失礼な言及を中途半端にしたMozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491/第25番ハ長調K.503〜アンドラーシュ・シフ(p)/シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・モーツァルテウムの件。ちゃんと再聴。そうか、ベーゼンドルファーなんだな。ここ最近スタインウエイか古楽器ばかり聴いておりました。こちら、ずいぶんとくすんで地味な音色、オーケストラとの音量バランスも小さめ、ヴェーグのバックと一体化しております。時にソロの微妙繊細なる揺れ、間、躊躇い〜それが味だ、ということなのでしょう。ワタシにはそれが(もの凄く!)鬱陶しい。ヴェーグはシフと完全に息を合わせて、同様の”ニュアンス”を感じます。もっとストレートでエエじゃないか!もっと、乾いた表現でもヴォフガングの素敵な旋律はちゃんと映えるじゃないか!と、思います。(グレン・グールドが脳裏にあるのか)
これを、美しい!と捉える人が多数派なんだろうな。ハ長調協奏曲K.503第1楽章カデンツァには「フィガロ」が登場して、とても楽しいんだけれど。異論反論説得求む。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
さて、気分を切り替えて新しい一週間に向かいましょう。どうも体調がはっきりしないが、そんなことも言っていられない。昨夜、ドリ・カムのライヴ(ごく最近30分くらい)をビデオ収録で見たが、20年選手でしょ、立派だなぁ。ずっと第一線、作品の質の高さと体力、エネルギー。但し、吉田美和のお話は感情過多で聞いていられない、ほど恥ずかしい。いつまでもパワフル、若く、美しいが。
Mahler 三昧の毎日継続。Mahler カンタータ「嘆きの歌」(初稿)〜ピエール・ブーレーズ/ロンドン交響楽団/合唱団/エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(s)/グレース・ホフマン(ms)/エルンスト・ヘフリガー(t)/ゲルト・ニーンステット(br)/イヴリン・リアー(s)/スチュアート・バローズ(t)(1969/70年)・・・若く、先鋭だった頃の意欲的録音。ずいぶんとお安くなりました。たしか再録音はなかったはず。まだ未整理というか煮え切らない作品印象をもっていて、ロジェンストヴェンスキー盤では苦労いたしました(処分済)。これがブーレーズの手に掛かるとクリア、わかりやすい作品に変貌する・・・緻密な表現にて魅惑に旋律へ変身。特別に優秀録音ではないが、バンダ(別働隊)の遠くで鳴っている感じとか、狙いの効果をよく感じ取ること可能です。この時期、この作品の録音はほとんどなかったんじゃないか(たしか、改訂版がウィン・モリスで出ていたような?)。オーケストラも声楽陣(各々表情豊か)も好調でして、最初っからこの演奏で聴いていれば、苦労はなかったのに〜そんな後悔を感じたものです。
もう一発、Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団/女声合唱団/テルツ少年合唱団/マジョリー・トーマス(a)(1967年セッション録音)・・・ネットで情報検索すると同時期のライヴばかり出てくるが、こちら昔馴染みのセッション録音。80-90分に至る長大なる作品は、その規模故に不人気作品なんだそう。ワタシ、これが一番好き!全曲、溌剌前向きで平易、明るい旋律が続いてラスト「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて」に至って万感の感動押し寄せて〜さっくりと速めのテンポ、旋律表現にほとんど、素っ気ないほどに虚飾がない演奏也。バイエルン放送交響楽団は技術的に優れたオーケストラだけれど、素朴でローカルな響きが作品に似合っておりました。
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粛々と日常業務の一日。体調はぼんやり・どんより、定時で帰らせていただいて、帰宅して入浴したら、発熱いたしました。食欲はあるんだけどなぁ。幸い、明日の酒席は中止との連絡有。でも、毎月の提案資料、週末の能登半島への出張は待ったなし。営業数値は苦戦気味であって、テンションも上がらんな。
通勤時間はいつも通り、寸分違わず。リズムは崩れてないっすよ。Mahler 交響曲第1番二長調〜ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団(1989年)・・・エエなぁ。良く歌って屈託がない、しかし、粘着質ではない。思わぬほど明るく、気持ちよく音楽は進みます。広がり、奥行きが理想的な深さで、フィルハーモニア管弦楽団は耳当たりの良いソフトなサウンド、そして各パートは艶々に上手い。語り口が絶妙で、四角四面強面な絶叫皆無。最初っから最後迄聴きどころ満載だけれど、いつもは辟易しがちの最終楽章ものびのびと爽快!さっぱりとした切れ味、陽光溢れる演奏です。
久々、この作品に感動しっかり受け止めました。最近のヴェリ・ベスト也。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
寝たきり中年っぽい生活だけれど、夕方女房殿より外食するとの連絡入り、梅田にて待ち合わせ。例の駅中立派な商業施設は通り過ぎただけ〜凄い人数だな。ヨドバシで掃除機を物色してから十三に移動。先日、中独連メンバーが教えてくれた店にて和食+αでおいしくいただきました。酒はほんの少々。けっこう高い(といっても呑んでいないので知れているが)。本日、さらに大人しくして体調快復に努めましょう。明日からまた、お仕事の一週間(週末は能登半島へ行事対応)だし。
Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1965年)・・・十数年前に購入した駅売海賊盤也。先日(あまりぱっとせぬ)旧録音を聴いているが、1986年再録音は聴く機会を得ません。こちら、おそらくはカラヤン/ベルリン・フィルが最高のテンションを維持したと思われる1960年代の録音。中学校の音楽室にもあった(当然LP)し、昔馴染みの音源だけれど、こんなに凄かった?と驚くばかり。自然な奥行き+中低音に厚みのある艶々の極上音質、そしてオーケストラのサウンド。記憶以上に遅いテンポ(とくにプロムナード)に驚かされます。各パートはモウレツに上手い!セクシー。記憶ではもっと”緩い”といった感覚だったんだけれど、アンサンブルのコントロールに些かの隙もない、余裕のテクニックで各々の絵画を描き分けます。ラストに向けて圧巻のスケールと盛り上がり、迫力に声も出ないほど。
ワタシはカラヤン是々非々派だけれど、これにはほとんど文句はない。但し、続くStravinsky バレエ音楽「春の祭典」(旧録音1963/64年)の詰めの甘さはいただけない感じ。以前、もっと良かった印象があるんだけれど・・・あれは1974年録音だったのか。
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朝いったん起きた後、体調よろしくなく再び横になりました。目覚めると女房不在、病院に行ったのかも。食欲は落ちていないが、どこにも出掛ける気力はありません。HDに貯まった録画を消したり、ブルーレイに移したり、ぼんやりしておりました。音楽にも集中できる気分に非ず・・・と言いつつちょっぴり。
Mozart ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.311/第12番ヘ長調K.332/幻想曲 ニ短調K.397〜内田光子(p)(1985/1983年)・・・こんな著名な方なのに、ほとんど聴く機会はなかったんです。廉価盤で出なかったんですよね。集中力のある、禁欲的な美しい音色。暖かさとか色気とか、そんな方向ではない厳しい緊張感が漂います。自然体ではない、徹底的に細部作り込んで抜いたところ皆無。誰でも知っている歌ってる・・・「トルコ行進曲」にも屈託のない愉悦は感じられない・・・ソナタ集全曲聴きとおすのには根性要るだろうな、きっと。これは2004年3月@190広島中古屋にて入手とのメモ有。
我が貧者のオーディオはピアノ・ソロとか室内楽に相性がよろしいんです。
Beethoven ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」/第9番 変ホ長調/第10番ト長調〜グレン・グールド(p)(1966年)・・・あまり聴く機会のない作品(なんせBeeやんなので)だけれど、この人の手に掛かると音楽の構造が平易に、わかりやすく分析解析され、新しい魅力を発見できるんです。誰でも知っている「悲愴」ソナタの旋律(特に第2楽章「アダージョ」)も淡々として乾いたタッチなのに、けっして凡百な、ツマらない演奏になっていない。新鮮でヴィヴィッドな勢いに目が覚めるよう。グールドはテンポ設定がかなり特異らしいが、あまり他を聴く機会がないので、違和感まったくありません。
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”無為無策”どころか”寝たきり中年”状態のお休み終了。来週はわかっているだけで2度の酒席有、お仕事もここで踏ん張って一気呵成に進捗させないと来週が苦しくなる・・・体調だからなぁ、ダイエットせんと抜本的快復せんのか。ちょっとネット検索していたらヴィヴィアナ・ソフロニツキ(fp)のMozart ピアノ協奏曲(完全)全集、旧ボックスがもうちょっと安く入手できる可能性有、とのこと。取り寄せに時間が掛かりそうだから、保証はないが。新仕様はもうちょっと高いですね。いずれワタシのは海外サイトにて気長にダウンロードした自主CDだけれど。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
ここ数年、ずっと体調不良のような、世間一般後期中年サラリーマンはこんなものなのか?目とか腰、肩、精神などは大丈夫みたいなのでマシなほうなのか、ビミョーな毎日。基本は扁桃腺が弱いというということでしょう。週2回ほどの酒席もよろしくないな。世間にはお仕事不如意な方々も多いことだろうし、贅沢な毎日かも。どこにも出掛ける意欲はなし、欲しいものもない。ほとんど唯一の趣味である音楽生活だって”自主CD”にて種々様々音楽拝聴可能だし、パソコンネット環境も現在順調に稼働していて、特別風雲急を告げる困難は発生しておりません。女房殿が姉の入院の世話と、退院して一人暮らしの母親の対応で毎日大変だけれど、自分はぼんやり過ごしております。
ここ数年通っているバッハクライス神戸のBach カンタータを中心とする演奏会、今年は出張日程が入ってしまって行けないことが判明。残念だなぁ、悔しいなぁ。”自主CD”にて種々様々音楽拝聴可能、と先ほど書いたけれど、自由に聴けると音楽聴取範囲が狭くなる自覚あるんです。明らかに多いのがMahler 、そしてMozart (とくにピアノ協奏曲)。古楽器による演奏情報をネットで検索していたら、いつもお馴染み「鎌倉スイス日記」に行き当たりました。さすが専門家の言、(1)「大抵がスコア通りなどと標榜しながら、音楽を変にゆがめていたり、なーんにもせずに漫然と乾燥した音で演奏しているだけ」、(2)「面白くしようとし過ぎて、作品を勝手な『解釈』でこねくり回し、結果酷い有様となるのは、私には到底理解できない。演奏における『個性』をはき違えたような演奏」〜と手厳しいが、じつはこれはマルコム・ビルソン(fp)の正統性への賛辞なんです。
schweizer_musikさんのコメントには思い当たる節もあって、1970年辺りにはトンデモ録音に出会った記憶(1)もあります。やがて1990年代辺りになると技術的な洗練が進む一方、過激にリズムを強調した耳目を驚かせる演奏(2)も登場する・・・いずれ、時間が解決して淘汰されていくものでしょう。現代楽器陣営も”古楽風”リズムの強調をする時代へ至って、演奏スタイルには流行廃れがあるもの。録音が残されるようになって、そのことは記録に残ります。19世紀以前だと想像するだけだけど。
Mozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491〜マルコム・ビルソン(fp)/ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1988年)の洗練された演奏を聴いて、上記のことを思い返しておりました。好みとしてはフォルテピアノのバランスが少々弱いかな、と。おそらくこれが正統のバランスなのでしょう。ヴィヴィアナ・ソフロニツキ(2005/6年)だったら、もっとソロ・バックとも雄弁、陰影深い古楽器となります。これも時代の深化なのでしょう。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
昨日、急に休みをいただいたので、消化すべき宿題も多いことでしょう。覚悟の上。昨夜はいつにも増して寝苦しく、深夜、珍しく【♪ KechiKechi Classics ♪】定例サイト更新2本分原稿ちゃんと上梓いたしました。体調があまり良くないのは喰い過ぎ呑み過ぎ太り過ぎ運動不足なのはわかっていて、そろそろスポーツ再開を検討すべき、と考えております。3年ほど前?左膝を(10年来の古傷再度)痛めてからジョギングは封印してきたが、幸い今冬を乗り越えてから調子も良いみたいだから、考えても良いかも。朝、走るのだったら「音楽日誌」更新やら、朝食、起床時間全部再検討しなくっちゃいけないが、がらりと生活リズムを変えるのも良いかもね。実現できるかどうか怪しいものだけれど。
クラシック音楽の音源情報をネットにて探っていて、思わぬものに出会うことがあります。たいていは数年前更新中断、というのがありがちなんだけど、しっかり、ちゃんと更新されているものだってありますよ。「これからの医療のありかた」〜折しも2011年6月1日付けで院長職を辞された秋田のお医者さま(団塊の世代)のサイトです。職業柄Macなんですね。ヴァイオリンを演奏され、音楽も愛されている。毎日2時くらいに起床、現在は一日一食とのこと。凄いね。エッセイには”肺がんの疑い”(結局そうではなかった)の記事があるから喫煙されるんでしょう。雑記帳も几帳面に更新され、社会事象にも的確なコメントをされております。みごとなものです。
なにごとも中途半端なワタシとは大違い!人生の達人に学ばなくては、謙虚に。菅さん、当面首はつながったが、日本の指導者達のなんと軽い存在よ・・・次は誰かが見えないな。
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ここ数日、Mozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491の旋律ばかりノーミソに木霊(こだま)しております。特に最終楽章の変奏曲。グレン・グールドの演奏は明晰を極めて、作品の構造を鮮明に浮き立たせました。ウラディミール・アシュケナージ(p)/フィルハーモニア管弦楽団(1978年)・・・こちら、タッチが繊細で旋律の末端までニュアンスが込められたような、優しくも美しい演奏也。こちらのほうが一般受けするでしょう。彼の指揮はこの辺りから始まっているんだけれど、フィルハーモニア管弦楽団の洗練された響きは特筆すべきものであります。
では行ってきます。なんとか一日乗り切れますよう、先行きの流れがちゃんと出来ますよう。
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昨夜ほとんど眠れず、体調悪化。一日休み分の日常業務+α、スケジュール調整、週報を仕上げて早退いたしました。もう風邪症状行ったり来たりで一ヶ月以上、完全に治っていないんだな。女房殿は半袖にて姉の病院から戻ってきたが、ワタシはカーディガンを着ている始末。一件トラブルがケータイ飛び込んできたが、無事クリアできました。こんな体調じゃ、運動不足解消云々なんて夢のまた夢。
音楽の件は本日言及中止。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
お仕事関係の話題、今月少々営業数値(予測より)苦戦気味だったが、昨日にてほぼ事前見込み通りへ〜我がチームの中年独身者連盟所属メンバー就任ちょうど一年ほど?初めて自分の持ち分野月次前年クリアが見えてきて、昨夜はちょっぴり祝杯。本日、当面切羽詰まった用件はない!と(自宅でメールを確認しつつ勝手に判断)お休みを決意(連絡済)。ほんまは当日欠勤は美学に反するんだけれど、”左膝リハビリついでに休む”との名目送付(ほんまに通院します)。今朝の新聞にて混迷政局に女房殿は激怒しておりました。仮に総選挙になったとしても”次”はどうなるのか〜ほんま先は見えまへん。こんな議員はんばかり選んだのは、そして育てたのは国民自身(含むワシ)でっせ。いずれ、若手(40歳代)登場を望む。さて内閣不信任案どうなりますやら。震災問題を仮に横に置いておいても(置いちゃいかんが)、この流れにはもの凄い時代錯誤を感じます。今朝の朝日新聞は強烈な批判だったが、他紙ではどうなのか?
昨日通勤音楽。Mozart ピアノ・ソナタ第8番イ短調K.310(300d)/第15番ヘ長調K.533/494/第16番ハ長調K.545/第17番変ロ長調K.570/第18番ニ長調K.576〜クララ・ヴュルツ(p)(1998年)・・・新旧全集にて番号の呼び名が微妙に変わっておりますね。かなり若い頃からリファレンスをグレン・グールドの特異な個性に置いてしまったせいか?大好きな作品ばかりなのに、意外と聴く機会が少ない。これはスタインウエイでしょう。知名度からは信じられぬほど、暖かくも洗練された音色、オーソドックスに細部描き込まれ、流れも自然体です。ユトレヒトの教会にて収録された音質も極上。イ短調ソナタK.310(300d)はかなり劇的な旋律だけれど、淡々と抑制が利いて美しくも官能的(!?)タッチ。「こどものMozart 」ハ長調ソナタK.545は、ゆったり、気品たっぷり優雅な(オトナの)余裕表現に陶然といたしました。
以前、彼女の全集を所有していて、(一部2枚分)ダブり。処分しやすい全集を手放したんだけれど、逆だったな。大失敗。
今朝、Shostakovich 交響曲第2番ロ長調「十月革命に捧ぐ」/第10番ホ短調〜ベルナルト・ハイティンク/ロンドン・フィル/合唱団(1981/1977年)・・・キリル・コンドラシンはんには悪いが、LP以来彼(か)の全集への呪縛はなんだったのか、過ぎたことを振り返ってしまいました。(CD全集は先日処分済)音楽は個人の嗜好だからなんとも言えぬ(事実オークションでもコンドラシン全集は人気であった)が、クリアな音質+優秀なアンサンブル、よくできた近現代作品として、こだわりなく朗々と演奏する、そんなスタイルでこそShostakovichは映える!と確信いたします。
ハイティンク全集の世評、作品ごとの出来不出来はコメントできるほど聴き込んでいないが、この2曲にも圧倒される思い。コンセルトヘボウの深み(先日聴いた第11番)はいっそう好ましいが、ここでのロンドン・フィルの機能性、キレもそうとうなもの。「十月革命」に於ける合唱部分の爽快な迫力。第10番ホ短調交響曲は、暗鬱静謐部分にて、たいていギブ・アップでした。クリアな音質にてその辺りを乗り切ると、劇的大爆発に(ある意味)爽快なカタルシスはちゃんとやってくる・・・
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俄休みなので、(ヲタク)パソコン遊びでも。PuppyLinuxをミニノートに仕込んで、ネットを見る程度だったら不自由はありません。webメール、人様のブログへのコメントにも不自由はない。SSD容量の小さい(4gb)ミニノート選択というのがちょっと失敗だったかな?でも、これで練習してメイン・マシンでのCD起動で使えますから。最大問題は「日本語変換」(これは慣れもあるでしょう)+文字コード問題。せっかくテキストファイルを作っても、保存に失敗すること再々で未だ仕組みを理解していない愚か者。
自宅での最大作業はまず(ド・シロウト)HTML記述(ブログじゃないので)。これは愛用「EditHTML」が1999年来更新されていないのでヒヤヒヤもの、現在なんとか「7」で不自由なく稼働して(ブラウザのソース表示にも対応して)いるが、使えなくなるのも時間の問題でしょう。もう十数年、これしか使っていないし、類似のフリーソフトを探したが、思うようにはいかぬものです。これはLinuxだったら類似のソフトが存在するのか。(ムリヤリPuppyにてEditHTML起動してみたけれど、実用にらなぬ〜)
ほか、病膏肓自主CD作業用のcueシート読み込み自動ファイル分割機能、これはLinuxでもおそらく存在するのでしょう。CD(DVD)焼き込みソフトは今でも稼働しているが、ファイル間の時間調整が自由自在に出来るもの必須。こんなもんじゃないの?日常使うのは。MS ACCESSはお仕事引退したら要らぬでしょう、きっと。EXCEL、WORDは類似のフリーソフトにて充分機能を果たします。(マクロ互換は難しいが、使わなかったら良いんです)画像処理ソフトだっていろいろある(はず)。
ワタシがずっとWindows派なのは、互換性問題です。OSさえ備えればどこのメーカーのハードでも動く。沢山普及しているから便利なソフトがいっぱいある。しかし(おそらくVista時点で)ハードの要求水準を上げて、次々新しいマシンを買わせる路線は破綻したと思いますよ。Macは”囲い込み”をするからキライ、Linuxはシロウトにはどーも敷居が高い・・・というのは、既に”OSを意識しない時代”、”テレビもネットもケータイも同じ”事態に至って、論議の前提が崩れつつあると感じます。
いずれ時代は(自分の哲学も)「断捨離」。お仕事引退後は「ほとんど完全無料ネット生活」目指します。ま、基本ネット環境には経費が掛かるし、最低限のハードは購入しなくっちゃいけないが、それ以外は”全部フリー”でいきたい・・・のが目標です。
●2011年6月某日の振り返りと後悔
不思議なもので今月終わると2011年も半分消化。すごく速く、濃密でもあるような、一方で過ぎ去ったことはとても昔のことのようにも思えます。今朝、ちょっぴりうすら寒く、明日からまた気温は上がるらしい。体調維持に気をつけなければ。昨日ときょうはなにも変わらないんだけれど、一区切り意識して気持ちを新たにいたしましょう。
ここ数日聴いたCDにてショックなことが・・・Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ジョン・バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)・・・ゆったりとしたテンポ、細部迄明晰、纏綿粘着質によく歌って、特異な個性を誇る名演奏であります。音質リアルに極上、オーケストラの技量も抜群。聴き手の集中力が試されるようなリズムのノリ(のなさ)であって、最近こんな方向の演奏はまず聴かれません。まったりとした表現だけれど、熱狂どろどろ汗まみれではない、冷静クールさっぱり。第4楽章「アダージエット」は10分に届かないから、意外とさらりと流れます。終楽章にテンション不足を感じる?が、これも狙いかも知れません。17分以上掛かって、おそらく最長記録。
・・・問題は、第1楽章にて一ヶ所音飛びが〜ずいぶんしばらく聴いていなかったから、盤面ちょっとした指の脂にカビでも出たか?とクリーニングしたが状況変わらず。よく見ると盤面剥離が・・・CDM 7 69186 2(c)1988となっている、かなり年季の入ったCD。BOOK・OFF500円の値札を残してあって、購入既に10年は経過したでしょうか。それとも出張持参で盤面こすれでも(かつて)あったのか。500円出費の元は充分取ったし、他に聴くべき”第5番”は棚中に山ほど眠っております。それでも残念無念、気分は晴れぬ・・・寿命20年?個体差、扱い問題、もしかして中古で購入した時からちょっぴり問題あったのかも。
Mozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491〜グレン・グールド(p)/ワルター・ススキンド/CBC交響楽団(1961年)・・・ピアノ・ソナタは全曲録音しているが、協奏曲はこればかり。先日、1959年バーンスタインとのライヴも拝聴いたしました。恐るべき知的分析的演奏であって、各々の旋律はスタッカート気味、明快に刻まれ、細部配慮に溢れ安易に流さない。タッチは乾いて(無味乾燥に非ず/ウェットではないの意)、たてノリのリズムが快い。短調の劇的旋律作品である、ということを意識させない、
CBC交響楽団の録音は滅多に聴けぬが、ススキンド(ジュスキント?サスキンド?)のオーケストラは充実しておりました。
本日は昼から雨になるそうな。