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音楽日誌●日々の振り返りと後悔●日々の振り返りと後悔 ●今月の近況
2010年秋、熊本阿蘇の宿泊先にて
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●2011年3月某日の振り返りと後悔

寒いのは本日迄?早よ、春よ来い。東京電力は福島原発そのものはもちろん、会社としての存続が難しくなった、とのこと。自分は必ずしも原子力の平和利用に否定的ではないが、この運用水準の杜撰さだったら、この際問答無用でしょう。別の道を探すべき。情報隠蔽体質、批判や警鐘に謙虚に耳を貸さない”優秀な”技術者の集まりというのはとんでもない結末を生むものなんですね。働く人々、とくに現場で危険と最前線に向き合っている人々になんの罪はない。但し、組織というのは常に新しい空気、血をを入れ替えていかないと、誤った価値観に固定化される〜どこかの書籍で読んだ趣旨を目の当たりにいたしました。意見は多様性が大切なんです。デストロイヤー(破壊者)ではいけないが、論議の切り口の鮮度は常に保つべき。悪慣れすれば=思考停止、安易な日常の繰り返しに至る。既存マスコミも同様に思えます。

それが原子力発電であれば、世界の人々を悲惨な結末に〜たった今命を賭して作業をしている人々にエールを。そして、現場の人々のみに”対岸の応援太鼓”的対応にならぬよう、まず、なんとかこの苦難を治めることを主眼として次の道を切り拓くことを。これは”第二の戦後”なのでしょう。

振り返れば日常のお仕事(+α)が待っております。

UCCD9199Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜チョン・キョン・ファ(v)/アンドレ・プレヴィン/ロンドン交響楽団(1970年)・・・デビュー録音。40年余を経、なんというフレッシュ。艶々美音ではない、激情に前のめりでもない、若々しい爽快なエモーショナルとたしかな技術+集中力に支えられて、これは新時代の演奏だったんですね。先人達(露西亜系)の粘着質(とばかりは言えぬが)表現とは異なる、新しいバランス感覚。馴染みのクサい旋律に新しい命を吹き込んでお見事です。”女性的”とか”東洋の巫女(?!)的”云々〜カンチガイな論評をかつて見掛けたことを思い出しました。プレヴィンも美しいサポートぶり。英DECCAへの初録音だっけ?


●2011年3月某日の振り返りと後悔

昨日は震災後初の取引先訪問、商品調達問題でずいぶんとご迷惑をお掛けしているが、先行き見通しも含め見通し、情報交流、雰囲気は上々。先週末、求められて急ぎ作った(見覚えある)資料がちゃんと役員会に出ていて、わずかその数日後に状況変化(概ね良い方向)については上司と二人で口頭フォロー。出荷再開と裏腹に西日本に製造移転集約、そこに全国分が集中するから、あらたな”不足”が生まれる可能性も有。たったいま、水(ペットボトル)の受給が逼迫(通常の8〜10倍の受注)していて、これは一過性心理的なものかと思います。

なにごとも自粛ムードはよろしくない、ということで、日常生活=電車の時間迄呑む!しっかりご当地の旨いもの(とくに野菜、魚)を喰ってきました。帰宅したら、女房殿が先日放送した「金八先生」のビデオを見ていて、そのまま夜更かししてラスト迄見てしまいました。ああいう説教臭いのは基本、キライなんだけど・・・現代社会に必要とされる伝説なんだな。お伽噺。教師という激務が理解できるし、それをあえて目指す若者も増えて欲しい。寝不足だし、本日午前中内部打ち合わせが終わったら、代休消化しようかな?

出張音楽。一番印象に残ったのは、Ravel 「シェヘラザード」序曲/ラ・ヴァルス/クープランの墓/逝ける女王のためにパヴァーヌ/高雅で感傷的なワルツ〜ジャン・マルティノン/パリ管弦楽団(1973/4年)・・・ややオフ・マイクで腰のない音質ながら、繊細な空気と各パートの存在をしっかりと感じられる、極限デリケートな演奏。精緻でありながら、それは独墺的方向ではなく軽快華やか、粋なサウンドを基調としております。先日(ちょろり)聴いたアバドとはずいぶんと印象異なって、こちらに共感が多い。

言及もうひとつ。Mahler 交響曲第7番ホ短調〜クラウディオ・アバド/グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団(1999年エディンバラ音楽祭ライヴ)・・・ネットで拾った音源也(アナウンスも入る放送録音)。著名どころのMahler 全集では、唯一アバドのみほとんど聴く機会を得ません(おそらくそう遠くない時期にDG全集再発されると思うが)。これが昨夜の印象では、とてもツマらない。響きは整理され、若者のオーケストラは上手いが妙に面白味がない。期待の第2/4楽章(=夜の歌)に濃密な官能を期待できません。ルツェルンの「復活」もそうなんだけど、クラウディ・アバドはほんまにツマラなくなっちまったのか・・・ま、ワタシの嗜好問題でしょうが。

では、行ってきます。

休日出勤が続いて、お休み消化を厳命されております(割り増し賃金が高くなる=経費節減)。朝一番より精力的に宿題こなして内部打ち合わせ、更に諸実務(派遣さん退職に伴って補充しなかったので自分で規範を示さないといけない)こなして昼から半(代)休。出張深酒睡眠不足のワリに体調よろしく、昼寝もせずに音楽など聴いて、通院のハシゴ(情けない)。左膝(+両腕にも痺れがあって)リハビリが主眼です。今週はもう一日お休みいただきます。

DG 4775082今朝、クラウディオ・アバドの悪口書いたけれど、捲土重来狙って通勤音楽はMahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜クラウディオ・アバド/ルツェルン音楽祭管弦楽団/エテリ・グヴァザヴァ(s)/アンナ・ラーション(ms)/オルフェオン・ドノスティアルラ合唱団(2003年ライヴ)・・・結論的にこの演奏の価値を見直しました。ユーザーレビューでは賛否両論であって、自らの感想は当初”非”。これはバーンスタインの(わかりやすい)熱狂的な演奏を連続して聴いていた刷り込みかも。イヤホンで集中すると、細かい表情付け、細部配慮が行き届いて”秘めたる情熱”系端正な演奏と気付きました。どうしても名人寄せ集めオーケストラは、特有の色というか個性が薄まっちゃうのは仕方がないんだよね。細部、よくよく拝聴すれば、どのパートも美しく歌っておりました。アバドの表現は粛々淡々的大人しい場面が多く、微細な起伏を聴き手は感じ取らなくっちゃいけない、ほんまの山場であるラスト迄ずっと抑制していたんですね。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

本日(昼から)金沢行き。夕方からの会議がすっかりパターンになってしまって、しかも経費節減にて宿泊は基本なしだから、けっこう遅くなります。資料準備は上司が替わってからすっかりラクになりました。課題は明快、資料はネタだけ出しておけば自分でさっさと作って下さるし、紋切り型の報告を嫌う(=自分と同じ)、本番では大切なところしか話題にしない・・・そういえばこの震災絡みで来週、金沢行事中止に。しめしめと思っていたら、東京本丸会議の代理出席となってしまって、久々前泊となります。お仕事段取り付けて久々、旧知の人に声を掛けようか、7時くらいに到着できんか。

PMC 045昨夜の音楽。Mozart ピアノ協奏曲第5番 ニ長調 K.175(382)/第10番変ホ長調K.365(二台のための)/第7番ヘ長調K.242(三台のための)〜ヴィヴィアナ・ソフロニツキ/リンダ・ニコルソン/マリオ・アシャウアー(fp)/タデウシュ・カロラク/ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ(2004-6年)・・・例のネットからダウンロード(根性あれば)→ムリヤリ自主CD化プロジェクト2枚目。良好な音質も手伝ってか、とても豊かに鳴り響く古楽器オーケストラ(抜群に上手い)であって、薄っぺらい素朴なフォルテピアノとの相性抜群。名手リンダ・ニコルソン他数台のソロでは、なんやらがちゃがちゃと賑やか、現代楽器の整理されたサウンドにはない楽しさ溢れました。強靱なタッチになり得ない→速めのテンポ+軽妙なリズムを生み出して、溌剌ヴィヴィッドであります。

さて、出張にはどのCDを持参しようかな?


●2011年3月某日の振り返りと後悔

あと4日で4月なのにこの寒さよ。比較的温暖なるここ西国でもそうなんだから、ましてや被災地では・・・原発問題は混乱を極めている、というか、なんせ”事故はあり得ない”前提で進めていた事業だから、なんの想定も準備もされていなかったのでしょう。三重苦な現地を救うのと並行して、現在稼働している原発の総点検とエネルギー政策の見直しが必須〜といった論評しても、空しいほどことは深刻であります。倒壊した信用金庫から現金4,000万が盗まれた、貴金属店から宝石がごっそり消えちゃう、無人のガソリンスタンドを復旧しようと思ったら機械が壊され現金が抜かれていた、とか、恥ずべき行為が頻出しているようです。ガソリンスタンドの件は、盗難に止まらず、ガソリン供給を遅らせるといった二次被害を生んでおりました。

状況に悪慣れしていないか?自戒しつつ今週のお仕事を再開いたしましょう。しっかり休みました。

昨日の話題絡みで、Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(1978年)・・・全集中セッション録音のほう。全編悲痛な嘆きに溢れて、並の緊張感切迫感ではない。Mahler は日常化し、演奏技量の向上もあって”クール緻密な”演奏も多くなっているけれど、これはバーンスタインの流れを組む情念の表現であります。ロンドン・フィルのアンサンブルに疑念はないが、”豊かに鳴り響く”といったサウンドじゃないのは音質問題か。独逸人である彼が独逸の厚みのあるオーケストラで録音できなかった、という偶然の産物か。1988年ライヴは昨年購入したきり、聴いておりません。一般にテンシュテットの演奏は胸がひりひり痛むような印象を受けることが多くてウカツに聴けないんです。

では、行ってきます。

今朝も職場一番乗り。常に一番じゃないんだけれど、自分の場合”安定している”〜ほぼ同じ時間に出勤している、というリズム厳守。お仕事は常に優先順位を明確に、区切りとケジメを明確にしているつもり。土日はすっかりお仕事のことは忘れたから、パソコン起動とともに立ち上がる「メモ・ソフト」に先週の残務、着手順課題が書いてある〜つまり、気付くたびメモをしておくこと、帰るときに再点検しておくことがポイントなんです。

きょうもずいぶんと(激しい)説教しちゃいました。毎週月曜締め切りの資料作成=原稿=印刷屋送付があるんだけれど、一週間掛かって全然出来ていない。手抜きにもほどがある。内容がエエ加減。そんなことが連続したので、事前に徹底していたつもりなんだけど・・・あかんなぁ、説教疲れしました。

EMI CDC7 54603 2 1982/84年録音通勤音楽はMahler 交響曲「大地の歌」〜クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル/アグネス・バルツァ(ms)/クラウス・ケーニヒ(t)(1982/4年)・・・数年前にコメントしておりますね。明晰というべきか、線は細く神経質、切れ味があって分厚く濁らない。指揮者の狙いか、ロンドン・フィルの個性なのか、EMIの録音のせいなのか。響きは(例の如し)ひりひりと悲痛、激しい慟哭なのに絶叫しない。歌い手は表情豊かだけれど、どこか醒めてクールな佇まいを崩さない・・・これは個性だな。

ずいぶんとこの作品を聴いてきたが、歌い手二人はモダーンなんじゃないか。クールで正確、細部描きこみ完璧。とくにアグネス・バルツァの怜悧な個性に、深く感じ入りました。Syuzo師匠の詳細コメント有。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

寒くて出掛ける意欲なし。真夏の暑さにも同じようなことを言っていたから、ずっと精神的引き籠もり状態なのでしょう。寒い、と言ったって被災地の比じゃないし、暖房も食料も、そして音楽もたっぷりあります。贅沢、ワガママばかり。

だらだらと音楽を聴いていて、【♪ KechiKechi Classics ♪】 用サイト原稿未着手。完全にキモチ弛緩しております。記憶を辿っていくつか・・・ここ数日の落ち穂拾いも含めて。Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1957年)・・・セルのステレオ録音もいよいよパブリック・ドメイン化が始まりました。CD全集は既に処分済み、リンク先の.flacファイル(可逆圧縮1/2程)より自主CD化したが、感想はいつもと同じ、峻厳そのもの。鍛え上げられた肉体に体脂肪率はわずか数パーセント。ムダがないのではない、過不足がないストレート。もの凄い集中力とメリハリ表現のみごとさ。オーケストラは上手いが、色気は必要としない・・・こんなステレオ音源が出てくるから、ラインスドルフ1950年辺りの「英雄」存在が危うく(好事家の世界に)なるんです。じつは一度.mp3音源(不可逆圧縮1/10程)で自主CD化したのに、再度実施したのは音質改善を期待したから。

悪くはないが、この時代だったら立派なものだけれど、”音が痩せている”印象は拭えません。もともとの音源水準なのでしょうか。自主CD余白にはMozart ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503〜レオン・フライシャー(p)/セル/クリーヴランド管弦楽団(1959年)・・・これは音質もちろん、構えの大きな、華やかな演奏です。フライシャー当時31歳。まだ存命らしい。

Mozart ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467/第23番イ長調K.488〜ウラディミール・アシュケナージ(p)/フィルハーモニア管弦楽団(1977/80年)・・・もしかして初耳?FMで聴いていたかも。弾き振りのオーケストラが極上だし、ちょっぴり揺れ動いて細部仕上げ繊細なるピアノは、泣けるほどのしっとり仕上がり。ここ数年、古楽器の素朴古雅な響きを主体に聴いていた作品だけれど、こんな浪漫に振った表現にも別種の感動有(自作のカデンツァも味わい深い)。例の如く英DECCAの録音は見事、但し作品個性的に不自然なる華美は存在しません。

夕方、思い立って床屋さんに行ったが、基本”引き籠もり”継続。明日も寒いらしいですね。被災地では断続的に不安な余震が続いております。

音楽はぼんやり聴いているけれど、集中力が足りません。Spohr ヴァイオリン協奏曲第11番ト長調 作品70〜ウルフ・ヘルシャー(v)/フレーリヒ/ベルリン放送交響楽団(1992年)・・・多くの人に知られないのが残念なほど素敵な、美しい旋律続いて感激・・・はあったけれど、終日、ぐったりとしておりました。当然、スポーツクラブもサボり。

クラウス・テンシュテットにはファンが多くて、亡くなった後もライヴが続々発売され、先日も1989年の「復活」ライヴを感銘深く拝聴したばかり。EMIよりセッション録音を集めたMahler 全集が出ているでしょ?これに1981年の第2番「復活」が含まれます。当然ディジタル録音。なんどかこのサイトでも触れているが、おかしくないですか、この音。おそらくは元々優秀録音だったんじゃないか、マスタリングのミス?音量レベル低過ぎ、アンプのボリュームを3時にしてもダメなんです。ふつう1時くらいですよ、うちでは。一般にEMIはその傾向なんだけど、これは少々酷すぎです。あちこちネットで探しても、そのことへの言及が見あたりません。偶然、たまたま我がボックスのみ不良品なんでしょうか。基本スペック同じな工業量産製品なはずだけれど・・・

その道に造詣深い人、情報求む。(ちなみに全集中、ほかの作品ではそんなことはない)*ご指導有。やっぱりもともと問題音質なんだそう


●2011年3月某日の振り返りと後悔

土日連休。隔週で土休、実際は条件が整えば土曜も休めたんだけれど、震災以来しっかり当番厳守となって、久々の連休となります。午前中は耳鼻科に行かなくっちゃ。微妙な病で通院が多いのだな。もう4月の声を聴く時分なのに肌寒く、左膝の調子もよろしくないから、リハビリにも出掛けたいところ。被災地の病人はたいへんだな。放射能問題はますますエラいことになっているみたいだし。

一昨日出張時の音楽続編。Chopin 練習曲 作品10/25(1961年)+遺作3曲(1967年)〜アダム・ハラシェヴィチ(p)・・・1955年のショパン・コンクールで優勝し、PHILIPSに主要作品をほとんど録音しているが、少なくとも日本では話題にならなかった人でしょう。駅売海賊盤名曲集の定番だったものを聴いて感銘有、10枚組を再入手したもの。技術的な不足を云々するものではないが、それ前面の表現方法ではない。やや、ほんの少し洗練されない土俗性、しっかりとしたリズム感が味の濃さを感じさせます。先の名曲集にも言及したが”けっして流麗でスタイリッシュなものではない、しっかりと細部を描き込んで、粋にカッコ付けたものに非ず”〜Chopin の旋律をしっかり堪能させて下さいました。音質もよろしい。

但し、1967年に追加録音された遺作3曲は、あきらかに音色が変わっていて、ふっくらと暖かいが、散漫な印象を受けました。音質理由でしょうか。

SONY 88697808092”The Secret Live Tapes”Bach ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052(ミトロプーロス/コンセルトヘボウ管弦楽団1958年)/Beethoven ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」(クリップス/バッファロー・フィル1960年)/Scho"nberg ピアノ協奏曲(ミトロプーロス/ニューヨーク・フィル)〜グレン・グールド(p)・・・う〜む、こんなんが出てくるのだね。まぁマシなモノラル録音、といった水準ながら、例のペラペラの音色、一種特有のタテのりのリズム。Bach の現代楽器の協奏曲は彼以外のものでは魅力を感じ得ないし、「皇帝」(ここは通常テンポ)を興味深く拝聴できるのも同様。しかも、敬愛するヨーゼフ・クリップス!難曲、Scho"nbergをクールな佇まいにて洗練されたサウンドで聴かせて下さるのも彼ならでは。

Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1990年)・・・CD収録の都合で第4番ト長調終楽章(1987年)が始まりました。ルチア・ポップ(s)の声が無垢で可憐なのだね。今やMahler の入門作品へと至った第5番は、シノーポリの”怪しい演奏”(1985年)を好んでおります。こちら、これほどアンサンブルが整って細部ていねいに描き込んで知的、それでも響きがふっくらとして神経質な印象を与えない。この時期のケルン放響(現中部ドイツ放響)は最盛期の瑞々しいサウンドを誇って、各パート(代表はトランペット、オーボエも)個性的な音色でよく歌っております。なんやら高品質CDで再発されたらしいが、安い輸入盤でも(ワタシ如き貧者のオーディオでは)充分優秀録音でございます。

花粉症シーズンを迎え、ただでさえ人気の耳鼻科はババ混み。姉のところに出掛ける女房殿に診察券だけ先に出してもらったが、たっぷり昼過ぎ迄掛かってしまって、左膝のリハビリにいけませんでした。ちょっと遅めの昼食は地元「マヅマン料理ヒマラヤ」へ。前回訪問したときには怪しげラーメン風定食を喰ったが、王道のナン+カレーを味わいたかった。ごく薄味のコショウスープみたいのが、咽にひりひりきますね。本日のカレーはほうれん草+(馴染みの)チキンカレー。エエ味なのに、いつも空いているんです。安いし味もよろしいが。場所が悪いのか(立花駅の地下)お隣の中華料理屋は大人気。

相変わらず自主CDばかり作っております。もっと若い演奏家の音源を聴いてあげなくっちゃ、とは思いつつ、ネットでは安易に昔馴染みばかり入手できるんです。

レナード・バーンスタインの若い頃の録音を最近聴くことが多い・・・元気があって熱気いっぱい!ヴィヴィッドで前のめり、出来不出来もある〜若いって素晴らしい。Tchaikovsky イタリア奇想曲(1960年)/歌劇「エフゲニ・オネーギン」〜「ポロネーズ」(1971年)「ワルツ」(1975年)/Rimsky-Korsakovスペイン奇想曲(1959年)/「雪娘」より「軽業師の踊り」(1967年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル・・・こうしてちゃんと調べてみると、けっこう寄せ集めなんだな。音質というかサウンドは粒は粗いけれど意外と鮮明。粗野で荒削りの熱気に溢れました。

MS6010もう一発。Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1958年)・・・これは既にパブリック・ドメインだし、LP板起こし音源をネットから拾えました。噂ばかりで初耳。ロンドン交響楽団との1972年録音は、名曲全集的音源にてBOOK・OFFでよく見掛けます(自分もそこで入手)。こういった話題の音源は”期待ほどには〜”てなこともあるが、こりゃなかなかエエじゃないの。

まず音質がよろしい。怪しいSQ4ch用(でしたよね)1972年録音より(LP板起こし→自主CD化でも)あきらかに旧録音のほうが良さげな感じ。自然な定位奥行きというより、派手派手しく左右の分離を強調したものです。溌剌とした熱気に充ちた演奏であり、あながち荒削りとはいえぬ集中力+ド迫力。40歳の気力体力爆発して、聴き応えたっぷり。オーケストラも絶好調。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例サイト更新、定曜日実施したが、なんのことはない更新作業に手間取ってしまって(5分のつもりが15分)ノーミソが稼働しておりません。これより出勤してからの大小いくつかの(速攻)宿題が気になって気も漫(そぞ)ろ、といったところか。これ以上、音楽への言及余裕ありません。アダム・ハラシュヴィチのChopin 練習曲(全曲)、グレン・グールドのThe Secret Live Tapes、ガリー・ベルティーニのMahler 交響曲第5番 嬰ハ短調、そしてあまりオープンにしていない”無料でネット・ダウンロード可能な海外サイト”にて古楽器によるMozart ピアノ協奏曲集音源入手の件・・・

では、行ってきます。

今日は4年間我がチームのフォローを全面的にして下さった派遣さん退職の日、チームでお別れ会をしてあげようと思っていたけれど、いろいろ経緯があって二人でご馳走することに。時間が決まっているので、朝から粛々と作業をこなしておりました。宿題は一個どうしてもクリアできず、妙案が浮かばない。来週に延長戦。それでも(自分なり)膨大なる量をこなした、と自負しているんだけれど・・・急な飛び込みで取引先からの資料要望も夕方迄に送付、更に大きな依頼が一件飛び込んできたけど、急ぎ課題整理して関係各位に指示〜さっさと呑み屋に逃げだしたらケータイに”この部分の見方は?”といった質問が追いかけてきました。

呑み会は早々に終えて帰宅。ワタシはだらだらと遅くまで呑むのは趣味じゃないんです。自分が主催だと絶対早く終わらせちゃう。東日本じゃ震災津波災害、避難と放射能でっせ、なんてノーテンキなんだ。

今朝言及し掛かった、”無料でネット・ダウンロード可能な海外サイト”にて古楽器によるMozart ピアノ協奏曲集音源入手の件。ワタシは情報をいただき、つぎつぎとリンクを辿ってマニアックな音源を入手できるようになりました。やや掟破りっぽいのでサイトではあまり言及していないんだけれど、ちょっぴりだけ・・・ヴィヴィアナ・ソフロニツキというピアニストは、著名なるウラディミール・ソフロニツキの娘さんだそうで、フォルテピアノの奏者として最近来日も果たしておりました。

彼女のPROMUSICA CAMERATA PMCBOX 041-051(11CD)/一枚目Mozart ピアノ協奏曲全集がネットからダウンロード可能〜但し、根性があれば(タデウシュ・カロラク/ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ2004-6年)。遅いんですよ、サーバーからの速度が、異様に。カミング・アウトすると、本日職場にてお仕事しつつダウンロードしておりました。(もちろん全部に非ず)でないと、自宅では時間掛かりすぎ。もとよりお気に入り中のお気に入り作品群、古楽器による全集は大枚をはたいてジョン・エリオット・ガーディナー/マルコム・ビルソン(fp)にて入手済み。もう【♪ KechiKechi Classics ♪】 とは名乗れぬ・・・これで充分じゃないか。

下らぬこだわりだけれど、昨年リンダ・ニコルソン(fp)のCDを(不注意にて)一枚破損してしまいました。それが悔しくて・・・余人には理解できぬと思うが、江戸の敵を長崎で(自分のチョンボ破損をネットダウンロード無料自主CDで)しかも、この際11枚全部!といった決意であります。一昨日、ノートパソコンを一晩中付けっぱなしで一枚分ダウンロード完了。Mozart 第9番 変ホ長調「ジュノーム」K.271/第14番変ホ長調 K.449〜ヴィヴィアナ・ソフロニツキ(fp)/タデウシュ・カロラク/ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ(2004年)・・・ワルシャワ、フリデリク・ショパン音楽アカデミー・コンサートホール/使用楽器はポール・マクナルティ製(モデル:1795年頃ワルター製) なんだそう。ディジタル以降の古楽器演奏はどれも水準が高くて、聴き応えあります。

正直なところ、どれを聴いても同じ、とは言わぬが、どれを聴いても痺れちゃいます。音質鮮明そのもの、フォルテピアノはいっそう素朴で軽妙(ちゃちな?)なサウンド(通奏低音としても参加)、古楽器オーケストラも同様、上手いが素朴さを失わずたっぷりと暖かい。洗練され過ぎず、リズムは適度な緩さに溢れて、マイルド古雅な響きに魅了されました。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

今朝早いサンダーバードに乗ったので、ようやく金沢より帰還したところ。もう4月間近なのに雪が降りました。寒かったな。お仕事は全然集中力を失って、散漫な商談に終始したのは、トラブル続きで疲労気味の取引先担当と自分の集中力の欠如、更に解決の妙案が浮かばないちょっとしたトラブル2件、咽に魚の小骨が引っかかっているような?そんな感じ。明日でなんとかクリアしたいものだけれど・・・ま、たいしたことないっすよ!屁みたいなサラリーマンの戯言。

震災被害を受けた相馬市の方よりメールの返事参りました!個人情報部分を抜いて掲載しちゃマズいかな?

お久しぶりです。

 震災後、初めて音楽日誌を覗かせていただきましたら、私のことが載っておりました。
 お心遣いありがとうございます。
 実は、私、地元***勤務でして、震災後、自宅にはほとんど帰っておらず、メールの確認が出来ませんでした。

 市民はもとより、多くの住民が想像を絶する被害に遭い(特にこの地域は、地震・津波・原発の三重苦なんです。)、辛い生活を余儀なくされています・・・

 ありがたいことに家族も師匠から譲っていただきましたCDも無事でした。

 今、職場から書き込んでいますが、無事メールが届くことを祈っています。

・・・おお!”三重苦”の現地より【♪ KechiKechi Classics ♪】拝読とは〜(感涙)ありがたいなぁ、ほんま。

金沢往復たっぷり音楽聴きましたよ。Mahler 亡き子をしのぶ歌〜キルステン・フラグスタート(s)/エイドリアン・ボウルト/ウィーン・フィル(1957年)・・・女性に年齢は失礼だけれど62歳の記録。ちょっぴりよれよれな感じないでもないけれど、硬質、高貴、貫禄溢れて深々とした声色。ボウルトがウィーン・フィルでMahler ねぇ、音質も悪くないし、細部まで配慮あるサポートであります。

LPO0044 Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル/合唱団/ケニー(s)/ファン・ネス(ms)(1989年ライヴ)・・・これって以前聴いてたっけ?1981年セッション録音は何度聴いてもウチのオーディオと相性が悪くて、集中できません。こちら世評高いライヴだけれど、最初のうち(第1楽章辺り)音が遠く、遅く、散漫な印象が強くて、こりゃ評判倒れかな?と不安に〜でもね。

後半から最終楽章が壮絶に盛り上がるのだな。やれ、オーケストラの響きがどうのとか、アンサンブル云々、そんなこと言及することさえ意味を感じない。人生掛けてまっせ、的、悲壮な熱気と集中力に溢れて、彼に残された時間は9年。ウカツに安易に聴けぬ、一期一会的別格の迫力であります。

逢うて 別れて

別れて 逢うて

末は野の風 秋の風

一期一会の出会い哉


●2011年3月某日の振り返りと後悔

昨日、職場部署の連続予算達成を祝ったが、時節柄どこにも評価されない。東北は被災地現場で機能が麻痺しているし、北海道には商品入荷はままならない、東京首都圏は断続的な停電の影響や、地震当日のトラブル+その後の東北関東への支援体制で商売どころじゃない・・・我ら関西の部署も商品が足りない状況連続しているが、それでも半年前からの仕掛けが成功して高い予算をクリアいたしました。昨日は緊急トラブル処理(たった今継続中)と日常業務の狭間でノーミソが回っていない(思うように合理的に宿題消化できぬ)自覚有、それ以上にチームメンバーがお仕事完了できていないので、それを受けて作業する自分は身動きが取れぬ〜とうとう途中断念!

ま、被災者のことを思えば毎日屁みたいなもんですよ。あと一回分、(歯医者行き)歯石取りの時間が取れずに苦慮しているが、現地ではしばらく歯も磨くことができずに、口中衛生が保てず肺炎になる人もいたんですってね。自分は歯磨きフリークでカバン、職場机、あらゆるところに歯ブラシ常備、一日最低3回、たいていは4回(食後即)しっかり磨くから、消耗は速い。子供の頃〜若い頃虫歯に苦労して歯並びも悪いから、ここ20年手入れは怠りません。歯磨きできぬ環境など、信じられん!耐えられない。

ポータブルCDプレーヤー通勤デビュー。COBYとかいう(おそらく)人民中国製品だけれど、快調です。前回の@300のより音の隈取りがはっきりしている感じ(イヤホンは同じPHILIPS使用)。Sibelius 交響曲第2番ニ長調〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1970年東京文化会館ライヴ)・・・言わずと知れたジョージ・セル亡くなる直前の日本ツァーの記録となります。中学生だったワタシは札幌(中島スポーツセンター/プロレスやるところ)でジョージ・セルに遭っているんです。早くに会場に入ったら、ジョージ・セルが客席方面からやってきて、子供だった自分は走って接近!触ってきました。演奏の出来は全然記憶がない・・・

デッドな会場故、アンサンブルの緻密な集中力がモロ、ピタリと縦線が合う。鳴り響かぬ会場に負けぬ金管の強烈迫力、テンション高く朗々と歌って、これほどのアンサンブルにはそう滅多に出会えない・・・しかも、(いつも感じるんだけれど)セクシーな音色とか、ソロの個性的な妙技、といったものに一切依存しない。すべては全体のためにある、的、徹底したバランス、表現意欲にビリビリ痺れちゃう。コンセルトヘボウ盤を再聴しなくっちゃ。(正規盤入手済み)

今朝一番で(東京→福井)無事荷物は入りました。博打というか賭けだったんだけれど〜しかも、ほとんど勝ち目のない。奇跡の勝利に、もうこれで今日は帰っても良いくらい、なんだけど、そうもいかぬ日常業務有。震災の影響続きます。それでも歯医者の予約を取って早々に職場を出ました。ふだん意識しないが、全国、全世界で支え合って物事は回っているのだね。部品が足りなくて、JR西日本が間引き運転するとか。放射能はエラいことで、東京の水道水に入っちゃったとは・・・もう原発はアカンでしょ、岡江久美子、渡瀬恒彦、星野仙一・・・「私は必要だと思います」って、後悔しているんじゃないか、CMに出て。今、テレビに流したらブラック・ジョークでっせ。明日、早朝より金沢行き。

このデザインが初出LPと同じ昨日通勤音楽の続き。Mahler 交響曲第3番ニ短調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック/リプトン(ms)/スコラ・カントルーム女声合唱団/トランスフィギュレーション教会少年合唱団(1961年)・・・旧全集では1960年の第4番に続いて、こんな大曲録音しておりました。現役で通用する音質。Mahler はどれも好きだけど、ここ最近第3番の明るさ、前向きな幸福感がひときわ好ましい。CD一枚に収まらぬ100分も苦にならない。オーケストラは鳴り切って絶好調ですね。官能的ではないが、明晰で骨太、ふっくらとした暖かい音色。やや前のめりの表現も若々しく、作品個性に相応しい。終楽章のシミジミとした安寧は、少々浮き足だった感じだけれど、時に仕上げに荒っぽさを感じさせる旧全集中、出色の完成度を誇っているでしょう。

昨日〜本日、二日掛けてたっぷり堪能いたしました。50年前ねぇ・・・たいしたもんだ。(写真は初出LPと同じデザイン)


●2011年3月某日の振り返りと後悔

さて、気持ちを入れ替えてお仕事再開。本日は稟議書とか、この間のトラブル処理で後回しにした日常課題の点検をしなくっちゃ。我が職場では本日より新年度、サラリーマンのお正月だけれど、人事異動がほとんどなかったし、一人出ていって、替わりが来るのは20日後。別のフロアではかなり入れ替え戦があって、おそらく皆ご挨拶にいらっしゃることでしょう。昨日、お隣に引っ越してきた若夫婦+小さい女の子がご挨拶に来ておりました。息子が住まいする熊本で昨夜、震度3くらいの揺れがきたらしいが、たいしたことはない。息子からは”彼女ができた”とのノンビリメールが女房殿に届いていたそう。どんな人?浜田ブリトニーみたいのとちゃうやろな。

一昨日の”ボディ・ヒーリング”一時間コースの影響にて、カラダ中あちこち(まだ)痛い〜ので、どこにも出掛けず、雨も降っていたし。夜、女房殿と贅沢寿司屋に行って、旬の”筍の天ぷら”とか馬刺しとか喰ったが、おとなり煙草に閉口、すぐ出て、王将にて喰い直し、これが少々量が多すぎた!失敗。被災地に比べ、なんて安閑とした日常生活なんだ。原発、首都圏の電力計画はどうなる?被災地復興のスピードは?3年ほど前にモウレツ大量にオークションCDを購入して下さった方が相馬市(【♪ KechiKechi Classics ♪】 読者)であったことを思い出して、試しにメールを出してみたけれど、当然返事なし。ネット環境は戻っていないだろうな、元ワシのCDも被害を受けたことでしょう。

Spohr ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調/第5番 変ホ長調〜ウルフ・ヘルシャー(v)/クリスチャン・フレーリヒ/ベルリン放送交響楽団(1992年)・・・6枚組の全集が出ていて、以前から興味があったもの。ヘルシャーは1942年生まれ、独逸のヴェテラン。端正で美しい音色、艶々せず落ち着いた味わい。この辺りなら古楽器での演奏成果を聴きたいところだけれど、素晴らしく安定した技巧と歌、しっかりとしたバック、良好なる音質にて作品をちゃんと拝聴できるというのが貴重なんです。第8番イ短調「劇唱の形式で」ばかり有名だけれど、どれも意外と変化に富んだ旋律が飽きさせない。時に夢見るような憧憬の旋律も顔を出します。ソロは浪漫指向で美しいのだけれど、おそらく原曲はもっと素朴なテイストと想像できます。

さて、新品(安物2,400円ほど)のポータブルCDプレーヤー通勤デビュー。Mahler でも持参するか。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

世情が世情なので、連休が贅沢な感じです。9時半頃にデータ更新される予定なので、それを受けて取引先に”お詫び”送付(自宅よりメール)作業有(前夜、夢の中で作業シミュレーションしていた〜)。震災関係の商品調達は日々刻々と状態が変わるんです。直接の被害はなかったし、我が職場中年患部(ああ、これも翻訳すると意味がワカランな)3人(含む自分)は16年前阪神大震災にて各々、被災者、現地支援者、大阪で被災地支援の事務局(商品調達/全国支援者受入)を経験していて、対処は冷静かつ合理的であります。若い者はもちろん、中年でも震災対応未経験者は断片的な情報で偏った見込み、判断、行動をしがち。回復復興の過程もつぶさに目撃しているが、なんせ前回はお隣・大阪がほぼ無傷だったし、人口が密集していて範囲も狭かった(だから被害が大きかった、というのもあるんだけれど)、今回は被害者は広く散布しているし、支援拠点みたいなものが作りにくいでしょう。挙げ句、原発事故だもんな。

おそらく死者は2万人のレベルに達するでしょう。街ごと流されたり、産業基盤が吹っ飛んでしまったり、で、復興は難渋を極めることが予想されます。前回より、不況は深化しているし、高齢化も進んでおります。一昨日のテレビ報道、昨日の朝日新聞、避難所で赤ちゃんがご機嫌でお風呂に入ってました。状況は悲惨で安否不明者も多く不安な毎日だけれど、あんな光景がほっとさせる、素晴らしい報道です。家族を失った方、病を得て避難所で苦しんでいらっしゃる方を思い遣りつつ、現役サラリーマン生活でこんな経験2度も・・・というのも不思議な感慨。

NAXOS 8559671CORIGLIANO ファンタズマゴーリア〜「ヴェルサイユの幽霊」からの組曲/ヴァイオリン協奏曲 「レッド・ヴァイオリン」〜ミヒャエル・ルートヴィヒ (v)/ジョアン・ファレッタ/バッファロー・フィル(2008年)・・・新しい音楽、現役演奏家の録音はできるだけ聴いてあげないと。噂の美人指揮者ジョアン・ファレッタ意欲的な録音続けております。「ファンタズマゴーリア」は幻想的静謐なるテイストにて開始、やがて打楽器の多彩な爆発に、「セヴィリャの理髪師」「フィガロ」辺りの唐突なる引用が加わってかなりの衝撃有。元が映画音楽だから、厳格晦渋な世界とは無縁です。オーケストラはキレがあって上手いし、音質は鮮明そのもの。低音が効いて、打楽器の位置関係は、はっとするほど明確。

ヴァイオリン協奏曲は文句なし、穏健平易な幻想曲。センチメンタルな浪漫だなぁ。ミヒャエル・ルートヴィヒのヴァイオリンは、よよと泣き崩れるような儚げな世界であって、情感を押し殺したような哀しみ溢れて繊細、美しい。第1楽章「シャコンヌ」ねぇ、どう聴いたらよいのでしょう?第2楽章「スケルツォ」は不安げな細かい音型があちこち鏤められていて、なるほどこれが現代の”スケルツォ”なのだね。ヴァイオリンは凄い技巧を要求されると思います。(昨日の話題を連想)バリバリ弾くんじゃなくて、ごくごく繊細なる弱音連続します。(正式には「Pianissimo scherzo」)

第3楽章「Andante flautando〜フルートのように」。かなり表情豊かな詠嘆であって、粛々朗々と歌うヴァイオリンは清潔そのもの。終楽章「Accelerando finale」〜題名通り、どんどんアッチェランドしていて、無機的なリズムを刻むバックも加速度的に熱を帯びて蒸気機関車のよう(前半)。ヴァイオリンは時にワザと汚く音をつぶして、あとは快速パッセージに酔いしれるばかり。オーケストラの激しい爆発は期待通りであります。中間部の優しい歌も極上。

これは現役レパートリーとして生き残るべき優秀作品でしょう。NAXOSはエエ仕事しております。

PHILIPS 442050Mahler 交響曲第6番イ短調〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1969年)・・・一番最初の録音也。LP時代ひときわ評価の低かった全集であり、現在では人気大指揮者となったハイティンク。新録音目白押しの人気作品群だから、やはりちょっとジミな存在として認識されていることでしょう。ここ一ヶ月ほどモウレツに集中してMahler ばかり、あちこち数多く聴いてきたが(ハイティンク大ファンのワタシでさえ)”ジミやなぁ”と思いますもん。でもね、ちょっと驚きました。作品的に怪しく、強烈に、激しく、大仰に表現可能でしょ。ハイティンクは過不足なく、テンポは中庸、誇張も虚飾もない表現、優秀なオーケストラのマイルド深い響き(どのパートもエエ音してまっせ)をムリなく活かして、聴けば聴くほど味わい深い。地味ではなく滋味深い。力強さにバランス感覚があって、快い。長大巨魁なる作品を聴き通すのにツラくはないんです。

結果80分強、爽快な満足感有。先日のシノーポリに”ヴェリ・ベスト”の評価揺るがぬが、日常座右に聴いて飽きることはない、といった希有な価値であります。

商品納品状況のデータ(出勤者より)自宅拝受。データ・サイズなど眼中にない連中だから、非常識に重いEXCELデータの扱いに難渋いたしました。さっそく新情報を取引先に送付、お休みをいただいているが急ぎの場合はメールしてね、とも付け加えました。

病膏肓に至っているLP音源復刻の件、どこから引っ張ってきたかすぐ忘れるのでコメントしておきましょう。http://randomclassics.blogspot.com/2011/03/erich-leinsdorf-and-rochester.htmlBeethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜エーリヒ・ラインスドルフ/ロチェスター・フィル(1952年以前)・・・米コロムビアの廉価盤LPシリーズの発売であって、好事家には高値で取引されているという幻の音源・・・だから、それが、どーだっつぅの。もとよりBeeやん苦手、わざわざ太古録音を手間暇掛けて自主CD化せんでも(しかも第1楽章後半で針飛有/妙にリアル)、とは思いつつCDR@14弱でしょ?ちょっとしたムダ、贅沢しても許されるでしょ、との判断で今朝方作成強行。ワタシも貧しい好事家のひとり。

名演溢れ出る著名作品故、これが独自の地位を占められるかどうかは別な話題。音質は時代相応のどんよりしたものだけれど、想像よりずっと良好、音楽を愉しむにそう不足はない感じ。まだフルトヴェングラー存命の時代を考慮すれば、驚くべきスリムでクールなアンサンブル、新時代のクリアな表現と言えるでしょう。テンポは中庸、明らかに師匠筋のトスカニーニ系であって、流れはスムース。ロチェスター・フィルがこれほど引き締まったサウンドであったとは!少々驚きの水準であります。全曲拝聴あっという間。

もっと若手、ぴかぴかの新録音を聴いてあげなくっちゃ、とは思うんだけれど・・・”病膏肓”ですから。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

相変わらず睡眠不如意、朝4時頃目覚め、ぼんやり(音量低く)音楽を聴き流していたけれど、また眠くなって二度寝、ちゃんと朝食を摂ってから【♪ KechiKechi Classics ♪】更新用原稿を執筆しておりました。所詮、ド・シロウトの屁みたいな雑文なんだけど、あんまりエエ加減な情報というのもナニなので、けっこう調査裏取り、手持ち音源聴き比べするからエネルギー使うんです。精神的に疲労してくると、その行為が苦しくなっちゃう。結果「馴染みのない、情報の少ない音楽を敬遠する」といったことになりがち、よろしくありませんね。趣味だから、しっかり手間暇掛ける、ノーミソ汗かくことが肝要なんです。

Nielsen ヴァイオリン協奏曲 作品33〜ユーディ・メニューイン(v)/モーゲンス・ヴィルディケ/デンマーク放送交響楽団(1952年)・・・膨大な録音があり、教育者として、人格者として著名なメニューインに、深い感銘を受けることは少ない。馴染み少ない作品(勉強の意味で聴いた)、これはそうとうな技巧を要する劇的多彩な難曲でしょう。ソロの音色が美しくない。細部技量が洗練されない。響きが濁って聴きづらい。おそらくは(肌理の粗い)音質問題が主要因でもないと思われます。残念。フィル・アップはSvendsen パリの謝肉祭 作品9〜アンデルス・ノルキスト/オスロ・フィル(1958年)・・・初耳作品、指揮者は名前も知らぬ〜そのことが、音楽聴取の幅を広げるんです。かなり良質のモノラル録音、溌剌と華やかな作品、そしてキレのあるアンサンブルでした。12:47。素晴らしい。

原発事故処理は前進しているようで、最悪の事態は回避できそうです。被災者支援はまだまだ、テレビの番組はほぼ通常に戻って参りました。首都圏は停電でたいへんみたいだけれど、買い占めみたいな愚かな行為は止めていただきたいもの。昨日、スーパーを覗いてきた職場同僚は「米はなかったな」と言っておりました。

こんな時に、しょーもない話題ひとつ。先日「The Music Parlour」を引用した関係で、管理人さんよりBBSに書き込みいただきました。Googleの翻訳にて【♪ KechiKechi Classics ♪】を読んでいただいたらしい。凄いね、最近のソフトの威力は。でも、おそらく細かいニュアンスは伝わらないのだな。例えば「無条件幸福」〜若い人のために要らぬ解説をすると、第二次世界大戦終結のため「無条件降伏」受諾の掛詞。「華麗なる加齢」とは、「華麗なる一族」にヒントを得て「加齢なる一族」という少子高齢化を反映した世相から、更に発展させた言葉遊び。

中独連(全日本中年独身者連盟)〜これなんか絶対に意味不明。中独連は「中毒」のおぞましい響きに引っかけてあるんです。ガイジンさんから書き込み、というのも翻訳不能でしょう。「エエ加減」というのもムリか。「ややノーミソにエンジン掛かるのに時間を要して」これはどうだ!(ノーミソ前頭連合野の劣化、という学術用語だったら?)「ド・シロウト」(これはラテンの香りがする・・・ウソ)は。希に混じる関西弁(〜でっせ、とか、あきまへん)、怪しげ”けんね”言葉は伝わっておるのか。

ま、たいてい本質には関係ない修飾部分だから、概ね伝わっているのかな?ネット世界は言語を越えて、交流ができる時代となりました。

スポーツクラブ行き敢行。一週間空きました。ま、週に一回くらいカラダを鍛えておかないとあかんからね。人気のインストラクターらしく、混んでおりました。相変わらず9:1で女性圧倒的(含む女房殿)。明日、朝一番でメールを点検して取引先に連絡するけれど、自宅で可能だからもう一日(しっかり)休みましょう。

BRILLIANT BRL92778先日、トマス・ビーチャムのSchubert を拝聴してから、ちょっと印象変更。以前はけっこう好きな作曲家だったんだけれど、やがて交響曲を敬遠するように〜久々、Schubert 交響曲第9番ハ長調〜リッカルド・ムーティ/ウィーン・フィル(1986年)拝聴・・・EMI録音の悪口を言い続けてきたが、最近は是々非々で聴いております。時に薄っぺらく、臨場感も鮮度も少ない音質に閉口することはあるけれど、作ったところのない自然なサウンドが好ましい・・・これはまさにそれ。全部かどうかは知らぬ(楽譜を見たことがない)が繰り返しはかなり実行していて、たっぷり一時間掛かりました。ムーティが指揮すると、明るいが引き締まったサウンドになるんです。浪漫に弛緩したり、情念に走ったりしない、それなりテンポも揺れるんだけれど、基本ストレートで爽快なスケールを誇ります。ウィーン・フィルは筋肉質のサウンドに変貌していると聴き取りました。

馴染みの、しつこい旋律繰り返しも苦痛ではない。たっぷり堪能いたしました。但し、第1楽章でCDが途切れるのは耐えきれない。それこそ”自主海賊盤CD”作って聴きました。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

本日最高気温17度との予想。出勤当番だけれど、歯医者(歯石取り)の予約を朝一番に変更してもらって、それから出掛けることにいたしました。日常お仕事段取りへの完全復活を目指しましょう。こういったトラブル処理ばかりしていると、大切な日常の積み重ねが疎かになりがち。昨夜くらいからお笑い番組復活しておりました。アホな番組が平穏に流される、というのが大切なことだったんです。さて、原発はどーなる?被災地からは疎開が始まっているが、薄皮を剥がすように現地の生活は改善されているでしょうか。女房殿の母方の親戚が岩手方面だけれど、なんとか、辛くも無事だったらしい。amazonに注文したポータブルCDプレーヤーは明日到着の見込み、本日の通勤は(使い勝手のよろしくない)日立製のメモリーオーディオにて乗り切りましょう。相変わらず、データ投入時にちゃんと完了しない不具合あるけれど。

こちら便利な日常生活継続中。非・被災地の買い占め行為には、冷静な判断を望みましょう。チェーン・メールはあちこち出ている、との報告有、悪意ではないにせよ、ネット時代にも流言飛語は付きものなんですね。今回の災害はなんとかクリアせねばならぬが、日本の、そして世界の歴史のターニング・ポイントになるでしょう。まず、原発政策は完全見直しが必要。日本の国力は落日の色濃かったが、徐々にではなく、こうして一気に、劇的加速度的に位置付けを下げていくのか。下品な金満国家としてではなく、未曾有な災害にもパニックも略奪も発生しない、ボランティア精神と矜持に溢れた国民性を世界に誇るようになりたい。

Brilliant Classics BRL93647Purcell 三声のソナタ(1683年全12曲Z790〜801)〜ムジカ・アンフィオン(レミー・ボデ/山縣さゆり(v)/ライナー・ツィッペリング(ガンバ)/ピーター・ヤン・ベルダー(cem/org))・・・これは涙が出るほど平穏かつ雅なバロックであり、Bach 辺りに比べるとずいぶんジミで静謐、劇的変化の少ない47の楽章が延々と続きます。まさにワタシのツボ。古楽器の技量は練り上げられて、主旋律を担当するバロック・ヴァイオリンはもちろんだけれど、ヴィオラ・ダ・ガンバ+チェンバロ/オルガンの通奏低音が主導権を握っております。ロック・バンドに於けるベースとドラムでっせ、これがほとんど全体の帰趨を決定するんです。この連中はBrilliant Classicsで大活躍、どれを聴いてもまず期待を裏切られることはない。新しければ新しいほど良くなる〜という結論には容易にならぬ(リンク先のコメントはエエ加減だけれど)が、録音は間違いなく良質だし、21世紀に於ける古楽器技量の成熟は驚くべきものでしょう。

昨日言及中途半端だった、Shostakovich 交響曲第11番ト短調「1905年」〜ドミトリー・キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団(2004年)・・・馬車馬のようにモウレツに音楽を聴き続けても、人生に時間は限られております。もちろん、経済的な問題もあって、人間関係でもなんでもそうだけれど”出会い”は運命なんです。子供の頃〜若い頃のLP時代、FMエア・チェック時代にはShostakovichとの出会いがよろしくなかったのか、旧い記事で恐縮だけれどLPとの最終決別は「コンドラシン全集」事件がキッカケでした。やがて幾星霜華麗なる加齢を重ね、親の敵のようにCDにてコンドラシン全集を再入手したが、往年の感銘は蘇らない。すっかり”ショスタコ嫌い”が身に付いてしまって、前に進めない・・・キタエンコは1940年露西亜の出身、いつの間にこんな凄いことになってしまったのか?ギュルツェニヒ管って、これほど壮絶なる技巧でしたっけ?キタエンコは名誉指揮者という称号らしくて、オーケストラとの相性抜群なのでしょう。粛正前、不気味な静謐が支配する第1楽章「宮殿前広場」は音質が鮮明じゃないと音楽が行方不明になりがち、これは第3楽章 「永遠の記憶」も同様(途中の盛り上がりが素晴らしい迫力)であって、この辺りの様子が鮮明に捉えられるか、オーディオの真価が問われるところ。

第2楽章 「1月9日」そして第4楽章「警鐘」の激しいサウンド、わかりやすい旋律は、ソヴィエット・ロシア崩壊、世代の入れ替わりを以て”爽快”に表現されるように至ったのか。やや暗めのサウンド、充分な重みとキレのあるオーケストラは絶好調であって、鮮明なる録音も特筆すべき水準。キタエンコは劇的振幅の大きな表現で、新世代のこだわりなさともちょっと異なる、思い入れの深さも感じました。アンサンブルは緻密な集中力を誇ります。

一日職場を空けると浦島太郎状態に至って、状況が少々変化しておりました。ややノーミソにエンジン掛かるのに時間を要してお仕事苦戦気味。それでも当初の最低限実務連絡処理は完了、早々に帰宅いたしました。但し、お仕事中、勝手に音楽データのダウンロードしていたのに、それを収納したコンパクト・フラッシュを忘れてきました・・・お休み中、自主CDにしようと考えていたのに、残念無念。ま、なんぼでも聴くべき音源は残っておりますから。明日はスポーツクラブへ行かなくっちゃ、法人割引回数券一回分、そろそろ期限が切れるんです。この間の不摂生のせいで皮膚の状態がやや悪化して恥ずかしいんだけれど、誰もそんなもの見ていないでしょ、きっと。

帰宅したら新しいポータブルCDプレーヤー届いておりました。本日通勤にはメモリーオーディオ持参したが、どーも使いこなせなくて、Mahler の交響曲第8番 変ホ長調第1楽章(ロバート・ショウ/アトランタ交響楽団)→Copland「キューバ舞曲」(バーンスタイン/ニューヨーク・フィル)→Rachmaninov ピアノ協奏曲第「5」番ホ短調(ヴォルフラム・シュミット=レオナルディ(p))第1楽章〜つまり、ファイル名の冒頭に1が付いているものを最初に再生するるようにしているらしい・・・i・Podシャッフルみたいで悪くないが、落ち着かない感じ少々有。挙げ句、帰りは電池切れ。情けない。更に駅から乗ったバスが年度末道路工事大渋滞に巻き込まれ、歩くより時間が掛かってしまう。バス代とそれ以上に時間のムダ。

こんなこともありますよ。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

本来明日休みで三連休のハズが、土曜出勤体制が弱い!との上司の一声で、本日休みに鞍替え、ま、それも悪くないでしょう。昨日午前は前日呑み過ぎで休んだみたいなものだから、本日しっかり精神的メンテナンス日。世間の話題は震災〜原発〜停電〜生産遅滞へと遷っているように見えます。マスコミの報道が画一的で、切り口がいつも同じなんだな(扇情的一点豪華主義)。霧島山噴火はどーなった?鳥インフルは。大桃・麻木問題はヒマで平和かつ情けない話題であったことは一目瞭然で完全昔話。スーパーの棚からごっそりものがなくなるのは、いつもは冷静沈着な日本国民も流れに付和雷同しやすい性癖ということなのでしょう。残念。都会は日常生活に困るような商品供給状況じゃないっすよ、なんせワタシ当事者ですから。原発問題は別格に深刻だけれど、意外と生産流通活動は早めに復活しますよ、阪神大震災時より苦戦するだろうが。

UCCG-70026 Ravel ボレロ/スペイン狂詩曲/「マ・メール・ロワ」全曲/亡き王女のためのパヴァーヌ〜クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団(1985年)・・・話題の歓声入り「ボレロ」初拝聴。昨日朝、酔眼状態での感触だから安易な判断はできぬけれど、「それで?」といったところ。オーケストラは技術的に優れて緻密だけれど、華やかさとか色気とか全然足りないんじゃないの?それともクリュイタンス、マルティノン、デユトワでの刷り込みが前提になっているから?もう一度確認いたしましょう。

今朝、一件のみ【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例サイト更新実施、できるだけ日常生活リズムに戻したいものです。

これから歯医者(歯石取り)だけれど、どこにも出掛けず、朝からパジャマのまま、音楽聴いたり自主CD作ったり、(なんとか)もう一本サイト更新したり、これがお休みです。途中、職場メールの確認しました。中途半端な行動は精神的によろしくないが、こんな時節なので仕方がない。なんせ原発爆発ですから。こちら、温々と暖かいところでゴロゴロしておりますから。

今朝のアバド/ロンドン交響楽団によるRavel の件、再聴。なるほど、辛口+贅肉のない引き締まったサウンド、じつは優秀録音だったんですね。あとは嗜好の問題でして、ワタシは辛口+贅肉のない引き締まったサウンド色気が足りない、なさ過ぎと聴き取りました。ごめんなさい。

この間、貴重なるLP復刻も含め、音質問題がいっそう気になります。本日の更新分にも言及したが、若く貧しかった頃、LPもCDも贅沢品だったから”まず、安いものを!”というのが優先だったんです。基本、それは一生の嗜好を方向付けたが、やはり音質が厳しいものが含まれておりました。(旧録音モノラルとか)近現代の大規模編成作品には、オーディオ印象が重要なんでしょう。例えば、ドミトリー・キタエンコ/ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるShostakovichを(いくつか)聴いて仰け反りました。もちろん”このオーケストラ、いつの間にこんなに上手くなったの?”といった前提ありつつ、とにかく音質が凄い。こんな細部迄作品旋律内声部の効果を感じたのは初めて!これでShostakovichに出会っていれば、こんな苦手意識で20年も苦しまなかったかも。

売るか、お世話になったキリル・コンドラシン全集を。彼(か)の交響曲って、強弱が大きいでしょ、とくに弱音がツラいんです。なんかアカンなぁ、贅沢になって。

EMI 72435680982 6音質の件ついでに言及。Rimsky-Korsakov交響組曲「シェヘラザード」〜ロヴロ・フォン・マタッチッチ/フィルハーモニア管弦楽団(1958年)・・・以前国内盤で聴いていたけれど、音質は芳しくなかった記憶が・・・久々の拝聴は艶々の豪華絵巻!的サウンドではないにせよ、1958年にしては出色の自然さを誇って、ぼんやりとしたものに非ず。演奏は”交響組曲”に相応しいがっしりとした構成感+貫禄のあるもので、フィルハーモニア管弦楽団の技量はお見事であります。リズムのキレ、華やかなサウンドも素晴らしい。先ほど更新した同時期のロンドン交響楽団とは雲泥の差。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

昨夜は職場中年患部3人にて痛飲。日時のトラブル処理は”日常化”し、ある意味落ち着いた、というか、処理に慣れてきたこと、なによりここしばらく休みもなくて、ストレス溜まりっ放しなんです。本日休もうと思ったが、そういえば昨日夕方取引先より(安易に)お仕事請け負って、待ったなしの提案締め切りを忘れておりました。歯医者に行って(左上に違和感有)左膝リハビリして昼から出掛けましょう。さっそく、”自宅でメール見られる”新システム”活用、こりゃ便利でっせ。昔、最初に職場eメールを導入した時には、勝手にアカウント設定して自宅で見ていたんですけどね。セキュリティは基本ながら、一方でケータイ支給で24時間縛り付けておいて、メールはログインした専用パソコンでしか見られない!というのは、いかにも営業を知らぬ机にしがみつき内勤系本丸官僚の考えそうなことだ。こうして、震災という未曾有の被害状況に直面して使いやすくなる、というのも感慨深い。

通勤音楽は、Delius 劇付随音楽「ハッサン (Hassan)〜またはサマルカンドへのすばらしい旅」〜トーマス・ビーチャム/ロイヤル・フィル/レスリー・フライ(br)/アルトゥール・レヴィンズ(v)/フレデリック・リドル(va)/BBC合唱団(1958年)・・・SONYよりCD化されているようだけれど、例の如しfontana  CFL 1020痺れるようなLP音源を公開しているサイトよりダウンロード、自主CD化済み。年代から考えてステレオ収録を期待したが、鮮明なるモノラル録音でした。馴染みの穏健かつ幻想的安寧なるサウンドで始まり、筋書きともかく(ようワカラん)途中、トルコ風(?かな)剽軽なるリズム、オリエンタルな旋律も出現、ラスト荘厳なる合唱が盛り上がって、消えて〜多彩、とても楽しいもの。Deliusはずいぶんと数をこなして聴いているはずが、これは初耳だったんじゃないか。修行不足でんな。ビーチャムの演奏には一分の隙もない、余裕、優雅そのもの。28分ほど。

これだけではCD収録が余るのでVaughan Williams 組曲「野の花(フロス・カンピ)」 (Flos Campi/ヴィオラと合唱を伴う小管弦楽のための組曲)〜エイドリアン・ボウルト/フィルハーモニア管弦楽団/BBC合唱団/ウィリアム・プリムローズ(va)・・・これがよくわからない、というのは作品の価値、演奏水準の理解ではなくて、どのサイトから落とした音源なのか?記憶なし。そもそも元音源情報も不明(ネット検索しても/わずかにここくらい?)フィルハーモニア管弦楽団は戦後の創設、当時はEMI専属だから、その辺りの録音なのでしょう。わりと良好なるモノラル録音。繊細なモノローグ(暗鬱なるヴィオラ・ソロ)であって、例の如くつかみ所のない、盛り上がりも変化も少なめなる旋律続きます。これぞワタシのツボ。ラストにちゃんとクライマックスはあるんだけれど・・・さらに壮麗なる「感謝祭の歌」(ロンドン・フィル/合唱団1954年)、これはCDにて入手可能。女声ソロは誰でしょう。クレジット不明。合唱+オルガンというのは黄金の組み合わせですねぇ。なんやらやたらと荘厳なるナレーターも入って、映画の一場面を見ているかのような雰囲気也。

収録ぎりぎりまで詰め込む!のは、若きビンボー時代カセットにエア・チェックする時身に付けたワザ。Debussy 牧神の午後への前奏曲〜フリッツ・レーマン/ベルリン・フィル・・・これもどこからダウンロードしたのか・・・記憶薄れております。たしかR.Strauss「ドン・ファン」とセットだったはずだけれど・・・なかなか雰囲気たっぷり。後、発見いたしました

整形外科(左膝リハビリ/今朝両ふくらはぎが早朝に攣った)は混んでいて、歯医者の予約に少々遅れました。幸い、診察の結果は”問題なし”、次回より歯石を取っていただくことに。昼から職場に駆けつけたが、日常業務は粛々と進んでおります。印刷屋から校正が届いていたり、中独連(全日本中年独身者連盟)メンバーが(いつもの)お仕事大チョンボして、あわてて予定商品を差し替えしたり、震災関連で商品在庫が切れてお詫びしたり・・・

でも、東日本は日常業務にならんでしょう。ましてや被災地や原発事故の傍の方は生きるのがやっとですから。テレビを見ても、いかにも寒そう。

人民中国製AudioComm CDP-500Y(中古300円乾電池式)逝去通勤にて音楽を聴こうと思ったら、CDをちゃんとトレースしてくださらない。なんせ安物人民中国製激安CDROMだし、エラーが出るのも仕方がないか、最近こんな症状が多かったんです。しかし、他のCDに替えても様子は変わらない。なんやら”きゅるきゅる”といった雑音も・・・寿命か?2009年11月末、秋葉原で購入したCDプレーヤー(300円)は一年数か月の激務に耐えかね、役割を終えました。合掌。(さっそくネットにて注文済)

BBSにガイジンさんより書き込み有。この間お世話になっている「The Music Parlour」の管理人さんらしい。どーやって【♪ KechiKechi Classics ♪】のリンク引用をみつけたのか?不思議です。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

また静岡にて地震有。M6といったらけっこうな規模だけれど、新たな被害はあまりなさそうですね。今朝までの情報ではそんな感じ。職場の安否確認システムが遅れ、深夜寝入ってから(自動)電話到来、うるさい!といった文句は、東北の被災者、そして原発事故の恐怖に慄(おのの)く住民に申し訳ない。朝日新聞の朝刊にコラムがいくつかあって、「原発に絶対事故は起こらない」というテーゼは地元を説得するための方便だったが、それが実際の行動を規定していたこと。チェルノブイリやスリーマイルの事故には「構造が異なる」で済ませ、被災訓練だって「絶対に事故が起こらないなら必要ないじゃないか」と”模擬住民”を使ってなされていた、とのこと。想定される最大限の天変地異に耐えうる、との設計(?)も、いとも簡単に”最大値”を越えたのか、ようはするに”嘘っぱち”だったんでしょ?東電は。ほかの電力会社も一緒か。

コトが起こってから(こうして)遠吠えみたいに書いても仕方がないが、想像力なさ過ぎ。全国すべての原発の再点検再見直し望む。少なくとも隠蔽体質一掃していただきたい。現地住民は冷静だそうだけれど、首都圏、そしてこちら関西でも一部商品の「買い占め」(1974年のオイルショックを思い出させる)があるらしい・・・なんせ、スーパーへはここしばらく行っていないからわからぬが。

DECCA Legend 467123-2(こんな時に音楽など申し訳ないが)Mozart ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450〜レナード・バーンスタイン(p)/ウィーン・フィル(1966年)・・・生粋の亜米利加指揮者が本場・欧州メジャーへ進出の端緒となった時期の録音也。LP以来の再会であって、当時は「ピアノの表現にデリカシーが足りない」との手応え有。現在の耳で聞けば、信じられぬほど細部ニュアンスとデリカシーを込め、しかもヴィヴィッドな推進力+希望に溢れて、聴き手をウキウキさせるに充分なる魅力に溢れます。昨日のピレシュ/アバドじゃないが、”音楽の愉悦”横溢。バーンスタインとウィーンはお互いに足りぬものを補い合った、との言及を拝見したことがあるけれど、まさにその通り。通勤で続く「リンツ」を確認しようかな?


●2011年3月某日の振り返りと後悔

我がチームの震災対応(商品調達不如意による代替対応/情報提供)はワリと上手くいっていると自覚しているし、日常業務も並行して遅滞はないと思います。昨夜、お隣のチームの旧知の友人(いつもの職場患部仲間)と帰りに呑み屋に行った(緊張とストレスが凄いんです/休みもないし)が、お互い16年前の阪神大震災を経験している、というのが大きいですね。例えばカップヌードルを大量に現地に送ったが、これは初期のみ、徐々に食糧事情が改善していくと不要になります。今回の違いは、前回は大阪が無事で、そこ拠点に神戸に支援に入れた、または、脱出が比較的容易であったということ。それと時代と地域性もあって、お年寄りが多いですね+なんといっても原発事故が脅威。

原子力の平和利用を一律に否定するものではないが、以前より情報隠蔽、データ改竄体質には不安を持っておりました。首都圏の計画停電は人々の生活と製造に大きな影響を与えているが、まず福島第2原発問題をクリア〜できるのか。してもらわんと。気持ちが張っているせいか?体調は悪くない。ずっと睡眠不足なんだけど。上司は昨日机で居眠りしておりました。

Weitblick SSS0109 昨日、通勤音楽はMahler 交響曲第6番イ短調〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュトゥットガルト放送交響楽団(1985年ライヴ)・・・こうして良質な状態でCD復刻されたことを喜びましょう。かつてFMでエア・チェックし痺れた、というか、初めて第6番の魅力に目覚めた演奏であります。尋常一様ではない緊張感、集中力、揺れ動き、旋律をよく歌わせて、とことん怪しい雰囲気満載。サウンドは洗練され、アンサンブルは緻密であり、オーケストラは鳴り切って、ド迫力。”揺れ”は見事に決まって流れに不自然さはない。金管高らかに鳴り響いて、打楽器の重低音、弦は明るくテンションが高い〜終楽章に焦点を当て、ダメ押しのように興奮が押し寄せます。

ヴェリ・ベスト。断言いたしましょう。フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音と比較しなくては。好対照はバルビローリ盤かな?

では、行ってきます。

原発事故というやっかいな事象を抱えて、現地はまだまだ悲惨な状況ながら、こちら関西”対策対応”は徐々に日常仕事に馴染んで参りました。本格的に商品がショートしてくるのはこれからだけれど、一方で少しずつ連絡不通、停電問題乗り越えてコトの可否ははっきりしてきた感じ。本来のスケジュール通り、本日は取引先向け提案書の内部検討会。我がチーム・メンバーはトラブルありつつ、ちゃんと準備してきましたよ。時間短縮でワタシの分は”自力更生”〜資料配ったのみ。ちょっと一区切り、ほんまは明日休みたいくらいだけれど、毎日”待ったなし!”の判断(ムリヤリ便を仕立てて届けるか、あきらめるか)が求められるから、どーしょーもない。ついにセキュリティ問題乗り越え、自宅でメール・アクセスできるようシステム改変がなされました。これで土日は休めるでしょう、ともかく。

通勤音楽はMahler 交響曲第6番イ短調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック(1967年)・・・先月聴いた時には好感を以て拝聴したんだけれど、いかんせん昨日のシノーポリ凄すぎ。その印象強烈で、バーンスタインの前のめり速めのテンポ推進力エネルギーには間違いないんだけれど、仕上げが粗い。オーケストラの質が落ちる、喧しく、響きが洗練されない・・・

帰宅して、Mozart ピアノ協奏曲第14番 変ホ長調K.499/第17番ト長調K.453/第21番ハ長調K.467〜マリア・ジョアオ・ピレシュ(p)/クラウディオ・アバド/ウィーン・フィル/ヨーロッパ室内管弦楽団(1993/95年)・・・無条件幸福作品、最近は古楽器で愉しむことが多くて、現代楽器、ましてや現役世代にて作品拝聴は久々か。ピレシュは溌剌と明快ヴィヴィッドなタッチ、オーソドックスだけれど意外や硬派な表現で女流風情柔らかい、といったものに非ず。聴き始め、いくぶん辛口のタッチに愉悦が足りない、もっと遊びを!との感想だったが、やがてこんな誠心誠意な表現こそ飽きがこないのだな、と意識が変わってきました。Mozart は難しいですよ、ほんまに。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

いつものサイクルで月曜へ。本日明日は休めないから、水曜くらいに代休取ろうかな、一日分。軽い花粉症、みたいな感じなんだけど、幸い風邪などひいておりません。気持ちが張っているせいか。なんせダブルお仕事=通常+震災対策フォローで疲れが溜まっております。それでも現地の方に比べれば・・・宮城県だけでも「万単位の方が・・・」となっていたから、全体ではいったいどれだけの犠牲者が出るのか・・・

通勤往復、そして帰宅すれば音楽聴いてますよ。でも、ほとんど精神的に集中出来ない。Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1953年)。Vaughan Williams 交響曲第9番ホ短調〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル(1958年EVERAST録音)など・・・内容言及する余裕はありません。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

自分は安閑として、休日出勤対応してもディスプレイにらんで、対策資料やら連絡メモを作るばかり。商売や日常生活リズムはガタガタになっても、被災地の方々に比べればどーということもない。かなりの”揺れ”は経験済みだけれど、津波の猛威を国内で実物見るのは初めて、但し、温々と暖房の効いた部屋のテレビで、ということです。阪神大震災では6,000人が命を落としたけれど、人数確定はけっこうあとだった記憶が〜現地の被害者はもちろん、ご両親やら親戚の安否がつかめず、不安な時間を過ごされている人も多いことでしょう。北海道(被害少ない/函館は建物がかなりつぶれているが)の両親に電話が通じたのは昨日夕方でした。阪神大震災では”パソ通”、今回はツイッターが大活躍したらしい。バカにできんな。有効活用され、流言飛語が出回らぬことを祈りましょう。

”衣食足りて音楽を識る”というのは真理。現地はもちろん、遠く被災地の近親者のことを慮って音楽など!という心情の方も多いことでしょう。東北地方の音楽サイト・ブログの発信者は更新不可能でしょう。もしかしたら家屋ごと、ネット環境パソコン、そして自慢のオーディオ、LP、CDを失った方もいらっしゃることでしょう。命さえあれば、また、いつの日か心安らかに音楽を愉しめる日がやってくる・・・16年前、神戸の状況を至近に経験したが、あのときに人生観は変わりました。物欲が一気になくなったような・・・それでも16年経てば、また煩悩は自らに蔓延しちゃう。

音楽はぼちぼち聴いているが、もちろん集中できず。定例サイト更新は今回一本のみ、休みがなくなったので追加は不可。そろそろ出掛けましょう。

ヒマなような、忙しいような?不思議な休日出勤也。こちら平穏だけれど、商品が入荷しない、届けられない。「停電でたいへんです!」との連絡があるところは未だマシ、な〜んの音沙汰もなし、津波にさらわれたかも知れぬ海辺の工場はどうなっておるのか。幸い阪神大震災の経験が生きていて、納品先である取引先も我が方も冷静で粛々とコトを進めております。上司が”本日は5時で店仕舞い!”と宣言して帰宅いたしました。明日、いつもの月曜が始まるが、いつになったら落ち着くのやら・・・

通勤音楽は、Vaughan Williams 交響曲第6番ホ短調〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン交響楽団(1949年)・・・どこかのネットで拾った音源だけれど、こんどこそ探せない!英DECCAの旧録音(ロンドン・フィル1953年)とは違う音源のようで、「オリジナル・スケルツォ」というのもいっしょに入手。初演の翌年ですね。信じられぬほど音質良好で、不気味で暗い曲想をわかりやすく、力強く表現して下さっております。第2次世界大戦後の混乱を意味しているらしい。第9番と並んで”根暗”シリーズだけれど、こちらのほうが晦渋さは少なくて、不気味な味わいに説得力有。とくに不協和音の続く第3楽章「スケルツォ」が破壊的で、なかなかよろしいではないか。(オリジナルとやらは未聴)

そのうち、音源入手先を発見できるでしょう。昨日のジョン・プリッチャードの出所は一日で首尾良く見つけられました。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

大地震未曾有の被害有。命を失った方、家をを失った方、怪我をされた方、ライフラインが寸断され、寒さの中苦しんでいらっしゃる方、お見舞いを申し上げます。被災地の医療関係者、復旧にご尽力されている方・・・努力に敬意を表しましょう。

16年前は大阪にいて、お隣の被災地支援のお手伝いをしたものです。今年は未だ寒いし、ましてや東北地方でしょ。今回は津波の猛威を目の当たりにしました(テレビだけれど)。商品調達などが問題になる(昨夜は予定を変更して遅くまで情報収集+連絡作業)んだけれど、前回経験が生きていて、取引先は冷静です。現在はケータイ、ネット、メールが存在するけれど、安否確認システムはうまく動きませんでした(メールが届いたのは夜の9時過ぎ)。年一回の大災害机上シミレーション訓練というのがあって、今回こちら関西は直接の被害はなかったが、被災地で発生する事象の想像はつきました。例えば”帰宅難民”、発生が昼過ぎで首都圏の方々は職場に泊まったりしたんでしょう。ウチの東京本丸もそうだったみたい。

昨夜は職場中年患部3人、出先の神戸で落ち合ってそのまま呑みに行く予定が、当然戻って対応に追われ・・・というのはウソで、ほとんど何も動けない。取引先より散発的に問い合わせがくるが、前回みたいに”絶対商品を届けろ”みたいなヒステリックな対応はないんです。東京本丸からの指示情報を待ちつつ、最低限の”予想される事象”資料準備のみ連絡。実際は日常残務処理いたしました・・・で、遅くに呑み会開始。被災地には申し訳ないが、大阪では日常の週末なんです。首都圏〜北は全部交通機関麻痺していたけれど、こちら終電までちゃんと動いている・・・

帰宅し、遅くまでテレビを見ておりました。これは16年前と同じ。津波やら”液状化”の猛威に息を呑みました。想像していたけれど、原発も危うい。これから休日出勤は仕方がないが、明後日以降日常業務はどうなるのか、落ち着くには数ヶ月掛かるのか?先行き不安です。

音楽はいつも通り聴いているが、言及する意欲を失いました。このサイトへのアクセス・カウントなんて最近気にしたこともないが(どーせトップページのみにしか付けていないし)”やや落ち”くらいですね。被災地の人はそれどころじゃないのは当たり前。

ひどいもんですね、地震と津波は。阪神大震災以上の規模、そして被害かも。明日も休日出勤だけれど、こちらは届けるべき商品の調達状況の集約、整理、連絡といっても(東京本丸)情報一本化はこんな事態には当然の前提です。あちこち勝手に電話なんかしたら、現地にはご迷惑でしょうが。だからするべきことは限られていて、営業担当している取引先も冷静でほとんど電話はきません。するべき実務は(ほとんど)ない。

実質上は通常業務(締め切り迫る)営業提案資料を仕上げておりました。商品調達できない可能性高いのにね。東北地方にもけっこう製造メーカーは多いんです。いつまで続くのか、この難行苦行は。いえいえ、被害の当事者に比べたら、そんなこと屁でもないや。

通勤音楽はBeethoven 交響曲第1番ハ長調〜ジョン・プリッチャード/ウィーン交響楽団・・・往年の英国職人指揮者(1921- 1989年)レア・そのものの音源であります。1950年代の音源かな?若い頃にはウィーンにも来ていたんですね。演奏は、新古典主義というのか、トスカニーニの影響を強く受けて、飾り少なく、溌剌かつ乾いた推進力+叩き付けるような迫力を誇って天晴れな出来映えであります。音質も相当、かなりよろしい。

同じサイトからの入手にてBeethoven 交響曲第5番ハ短調〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1955年)・・・旧モノラル録音。豊かなオーケストラの響き、オーソドックスな表現、提示部繰り返しもあって、音質も良好〜だけれど、オフ・センターで音源がゆらゆら揺れて聴いていて気持ち悪いこと夥しい。揺れるのは地面も音もよろしくありません。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

データ保護、セキュリティということで、職場では私的なウェブ・メール使用禁止(システム的にディフェンスされる)、更にはUSBも殺してあります。後者は申請すればOKであって、ワタシはこの仕組みができてからずっと”使用可”の許可有〜昨夜、4gbほどデータを持ち帰ったが、コンパクトフラッシュを自宅でひらくと”真っ白”・・・必要データをコピーして一カ所に集め、まとめてコピーしたんだけれど、けっこう時間が掛かって、その最中別なお仕事しておりました。やがてコピーは終了して、作業用に集めたデータを消した記憶が・・・あれはじつは持ち出し側のフォルダだったのだね。頭の中も”真っ白”になりました。

今朝、なんとか一本のみ定例サイト更新実施。

昨日の通勤音楽。Vaughan Williams 交響曲第9番ホ短調〜ブライデン・トムソン/ロンドン交響楽団・・・初演の記録が貴重なのは間違いない。でもね、1980年代音質状態より良好なる演奏で聴くと印象も変わります。全編暗鬱晦渋な旋律連続作品ながら、サキソフォーンの甘い音色があちこち(ずっと)大活躍して、特異な(素敵な)サウンドに至っていることが理解可能。彼は1991年に亡くなっているが、穏健でありながらアンサンブルの仕上げ、辛口の集中力、作品の本質に迫る深みが素晴らしい・・・おっと、出掛ける時間になってしまいました。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

昨夜は職場「歓送会」。ここ数年、経費での出費は認められず自腹だけれど、若い者が多い職場、どーしても激安呑み放題居酒屋になってしまって、料理(味のない怪しげ揚げ物+サラダ)も酒も最悪〜ビールが苦手なワタシは大苦戦。白ワインは「瓶の栓、締め忘れて一ヶ月冷蔵庫に放置しました」みたいな、気の抜けたスカみたいな味。あまり呑まなかったが、ラスト冷酒を頼んだら方向性はまったく同じ。似非金満中年おっさんはすっかり贅沢になりました!我がチームの中独連メンバーをネタにからかって、座は大いに盛り上がりました。エエ職場です。性格の良い奴らばかり(除くワシ)。

”HI-FI OVERTURES”通勤音楽は”HI-FI OVERTURES” Tchaikovsky 序曲「1812年」/Dvora'k 序曲「謝肉祭」/Albeniz「トゥリーナ」/Mussorgsky 交響詩「禿山の一夜」/Weber 「舞踏へのお誘い」/J.Strauss ポルカ「電光と雷鳴」〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1956年他)・・・「1812年」に大砲入らず、どれも溌剌というより強烈!仰け反るような迫力とテンションに充ちて、文句なし。音質はさすがに鮮度ちょっぴり落ちるのは50年以上前だから当たり前でしょう。白眉は「謝肉祭」と「電光と雷鳴」、ぎょっとすること間違いなしの眩しいアンサンブルの炸裂となります。

さて、本日は当面の宿題八割完成を目指しましょう(現在五割)。月例の大お仕事一件、昨日夕方一気に仕上げて大きな成果有。早々に仕上げて左膝リハビリに向かいましょう。

日常業務いろいろこなしつつ、狙いの資料は70%ほどの完成か。あとは明日午前中で完成目指しましょう。昼から日常業務に戻りつつ、外出そのまま帰宅予定。本日は早々に職場を出て、一週間ぶりの左膝リハビリへ。いつまでも冷えるので症状ちょっとよろしくありません。明日、【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新日だけれど、な〜んもできておりません。酒ばかり呑んでいたからね、今週は。(中断)


●2011年3月某日の振り返りと後悔

引き続き女房殿は寝込んだまま、3月も中旬なのに春めいてきません。せめて自分は体調維持しないと〜本日はお仕事進捗一気に狙いましょう。夜は東京に異動する若い女性の歓送会、いろいろすったもんだした我がチームの派遣さんも今月いっぱいで辞めるとのこと、後任の補充なし。昨日、作業分析+合理化(仕分け)+お仕事再振り割り実施。なるべく定例作業を合理化し、定型化し、牽制機能を持たせていたんだけれど、これからは”自己責任”増えます。新規参入者にはトラブル・ディフェンスやら作業習熟の有効な手段だったが、これからはちょっと厳しくなるでしょう。昨年異動の中独連メンバーは、おそらく実務処理ぼろぼろになる〜それを覚悟で狭い範囲を任せていて、そこは実質捨てておりますから。いったんトラブルあれば、自分が前面で詫び、フォローするのはいつものこと。そこがヴェテランのお仕事です。

昨夜の音楽。Elgar「コケイン」/交響曲第1番 変イ長調〜ジョージ・ショルティ/ロンドン・フィル(1972年)・・・ハイティンクやショルティがロンドン・フィルのシェフをやっていたなんて、既に記憶の彼方。(ハイティンクの録音はもっと復活して欲しいな)これは恐ろしく磨きの掛かった演奏であって、細部の描き込み、微細なニュアンス、流麗な歌、揺れ、おそらくは多くの人々を心酔させる演奏であります。アナログ最盛期の英DECCA録音、ロンドン・フィルは絶好調のアンサンブルでしょう。テンシュテット時代のアツい演奏を賞賛するに吝かではないが、この時期のほうが充実しているような?(ファンの方、済みません)

でもね。ボウルト先頭にバルビローリエドワード・ダウンズ、マッケラス、ギブソン、エルダー(この辺り記憶曖昧/あとで再調査)英国系でこの作品を聴いてきたせいか?どうも流麗に過ぎるというか、上手すぎるというか、雄弁な表現に含羞と抑制が足りない印象有。嗜好の問題だから、良し悪しじゃなくて、もっと質実で渋いもんでしょうが、この作品は、といった刷り込みがあるんです。先日、尾高/BBCウェールズ響の第1番を拝聴したが、もの凄くジミ臭くてエエ感じでしたね。それとは対極の”華麗なる”演奏。たっぷり堪能したが、なんとなく?状態が最後まで続きました。

では、行ってきます。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

月曜はミーティングが連続したり、週末休み明けのフォローがあったり、思うようなお仕事動きになりません。残業になって、挙げ句、職場の連中と呑みにいってしまいました。寒かったし。実質上の新年度体制はスタートしていて(なんせ職場入れ替えメンバーは一人のみ、我がチームに至っては不変)今週あと実質3日ほどで月例の提案資料を仕上げなければ。日常業務は待ったなしで怒濤の如く押し寄せるが、それは前提の話題。ヴェテランに最前線を任せて下さるシアワセを噛み締めましょう。

帰宅したらオークション落札した外付DVD-R機器到着。今朝、試しに使ってみたけれど、CD再生せず、でもCDは焼ける。DVDにここ10年の写真のバックアップをしている最中だけれど、”残りおよそ4時間45分”のまま動きはない・・・なんか操作間違えたか。数ヶ月前、テレビのDVDに使おうと思って50枚購入したら、じつは映像対応していないデータ用のものであったことに気付いて眠っていたものを使用中。(映像用にフォーマットした一枚は廃棄)〜どーしょーもなく、作業取り消しました。研究とお勉強だな、また。おそらく更にもう一枚DVD廃棄の予感。

昨日、通勤音楽はMahler 交響曲第2番ハ短調〜ベルナルト・ハイティンク/ベルリン・フィル/エルンスト・ゼンフ合唱団(1993年)・・・ベルリン・フィルとの一連の録音は全集に至らず第8/9番が残されました。PHILIPSとの契約解除と彼の芸術価値を関連付けるネット発言も拝見したが、結局PHILIPSは店仕舞いするわけでしょう、数年後に。経営悪かったんでしょうね。たしかにコンセルトヘボウとの録音に比べて、オーケストラの個性と似合っていない、というか、ベルリン・フィルは金属的硬質に響いて、馬力もキレもあるが豊かで暖かいとは感じられない。数年前にいくつか聴いて、ちょっとアカンと思ったきり棚中眠っていたCDだけれど、再評価中です。昨日印象は、さほどに悪くない、もう少々聴き込んでみましょう、といったところ。

では、行ってきます。

経験則的に前日呑み過ぎ、睡眠不足の日はお仕事進捗はかどる・・・という怪しい法則有。本日もそんな感じ。飛び込み案件2つほど入ったし、資料は30%くらいの進捗だけれど、”全貌は見えた”手応えつかみました。明日一日で70%くらいまでいけんか、でも、なんやら予定外のいろいろがあるんだよなぁ、きっと。明日は職場のお別れ会だし、本日はさっさと帰宅。女房殿体調崩して寝込んでおります。ここ数日機嫌が悪かったのは、そのせいもあったんだな。

帰宅して、DVD焼いている最中。今朝の”残りおよそ4時間45分”のDVDはダメになっておりました。これで計2枚の廃棄、ものごとを会得するには少々の犠牲(ムダ)が付きものなのでしょう。

Decca LXT 5149 (Espana)通勤音楽は、J.Strauss バレエ音楽「美しく青きドナウ」(デゾミエール編)/Rossini バレエ音楽「ウィリアム・テル」(?)〜ジャン・マルティノン/ロンドン交響楽団(1958年以前の録音)・・・こんな珍しい音源もネットで拾えるとは・・・CDになっていないのはもちろん、作品的にも初めてその存在を知りました。旧き佳き時代ぷんぷんのジャケット・デザイン。モノラルだけれど、音質相当に鮮明也(懐かしい針音有)。ウィンナ・ワルツを想像すると、演奏はちょっと元気良すぎ、粋な柔らかさではない、もっと溌剌としたリズムに支配されております。オーケストラは上手いですね。CDが安くなると(これに至ってはCDR14円ほど)、音楽を大切に聴かなくなるのも事実だけれど、こうして珍しい音楽音源を気軽に愉しめるようになるのものです。

・・・こんなことを書いているうちに、無事DVD焼けました。これでムダな出費ではなくなったな。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

めでたくもない誕生日。ディジタル表示で日付がぱたりと変わるわけでもなし、加齢は毎日、ちょっとずつ進んでおります。但し、正月でもなんでもそうだけれど、区切りだからね。毎日変わり映えのしないお仕事、日常生活ながら、待ったなしの親の介護問題やら外からの事情変化有、そして同じようなお仕事繰り返しにも劇的に変化を作り出していかなくっちゃ。本質神髄は変わらぬが、アプローチ、切り口に鮮度を維持しないと人生に飽きます。自分への誕生日プレゼントは、amazonにてCDR(100枚)補充+オークションにて外付DVD-Rドライブ落札であります。

Mozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466〜クララ・ハスキル(p)/イーゴリ・マルケヴィッチ/コンセール・ラムルー管弦楽団(1960年)・・・貴重なるハスキルのステレオ録音、駅売海賊盤入手(おそらく1,000円/現在のCDR70枚分?)既に20年ほど経過の馴染み。親密で瑞々しいピアノは文句なし、但し、マルケヴィッチのオーケストラが力みが過ぎて(おそらくは10年以上)敬遠していた録音也。2010年1月に入れ替えたオーディオの効果は劇的、解像度はぐっと上がって”優秀録音”、コンセール・ラムルーに(かつての)ヒステリックなる印象はありません。メリハリとキレに印象変貌しております。

似たような事象。Mozart 交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団(1970年前後?)・・・かつて、第39/40番41/29番を、”響きの洗練に於いて疑問があって、愉しめませんでした”との印象だったはずが、劇的変化有。やや金属的サウンド、しかも素っ気ないクールな表現に間違いはないが、細部解像度が上がって、適度な残響を伴った緻密なアンサンブルと理解可能。貧者のオーディオが前提だし、オーディオは出費しだすとキリがないので、音楽をたくさん聴くほうに重点有、それでもここまで印象変わるとは・・・

では、行ってきます。さて、通勤音楽にはなにを持参いたしましょうか。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

昨日スポーツクラブへ行ったし、お昼は最寄りの駅前こ洒落た和食屋ですてきなご飯をいただいたし(女房殿同行)、本日は自宅でゆっくりいたしましょう。ま、昨日もゆっくりしたんだけれど。自主CDは10枚ほど?焼いたような・・・珍しいもの、有名だけれど聴く機会を得なかったもの・・・いろいろ。

PENTATON  PTC 5186 307Brahms ハイドンの主題による変奏曲/交響曲第1番ハ短調〜マレク・ヤノフスキ/ピッツバーグ交響楽団(2007年ライヴ)・・・旧PHILIPSのスタッフによる録音なんだそう。容姿も含め(?)その実力にワリに日本じゃ全然人気のない人だけれど、これは素晴らしい一枚也。1960年前後、長いスタインバーグ時代は荒々しく馬力があり、重く、そして金属的に明るい〜そんなイメージを覆すのは、既に40年経過しているんだから、当たり前でしょう。その後、プレヴィン、マゼール、ヤンソンスと指揮者に恵まれ、現在はマンフレート・ホーネックが音楽監督(彼の録音は聴いたことがない)。明るいサウンドはそのままだけれど、ライヴとは信じられぬ集中力のあるアンサンブル、かっちりと芯のあるサウンドは”クリア明快なるBrahms ”を実現して、従来の重厚長大なる世界から作品を一変させております。表現そのものはオーソドックスで特別なことはないんだけれど、どこもヴィヴィッド、キラキラと歌って気分爽快。

Mahler 交響曲「大地の歌」〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団(バイエルン州立フィル)/クラウス・フローリアン・フォクト(t)/ヴァルトラウト・マイヤー(ms)(2010年7月18日ライヴ)・・・CD出ていないですよね?鮮明なる放送録音(エア・チェック?)には冒頭拍手+アナウンサーの紹介有。恐るべきクール、テンションの低い(?)いえ、力みのない淡々演奏であって、歌い手も端正そのもの。とくにフォクトの冷静沈着な歌いぶりは、ユリウス・パツァーク(1952年ワルター盤)辺りが刷り込みの世代には「・・・ここまで来たか」的、感慨ひとしお。二人の歌い手はいずれWagnerの名手であって、現代のスタイルってこんなんですか?マイヤーも(フォクトほどではないが)似たような”クール路線”、これもカスリーン・フェリアの彫りの深いクセのある声質に馴染んでいると驚かされること、必定。ノットのオーケストラは室内楽のように緻密綿密であって、体温は一貫して低い感じ。楽器編成の大きさを感じさせないもの。一聴、ヘロ演奏に思えるんじゃないか。ワタシは否定いたしません。

表現そのものはずいぶんと異なるが、師匠筋のブーレーズを思い出しました。ネットでは凄い音源が拾えます。

年齢(とし)なのか、コンピューター時代の宿命なのか?記憶の消え方は著しい〜自分の旧い「音楽日誌」を(必要があって)確認していたら”Prokofiev ピアノ・ソナタ第3番イ短調/第6番イ長調〜マレイ・マクラクラン (p)(1989年)”登場・・・これがまったくわからない。名前も所以も(もちろん)CDの棚中存在も不明。うんうんうなりつつ、サイト内検索しても手掛かりなし。悩むことしばし、とうとう発見いたしました。Murry McLachlanって、BRILLIANTの5枚組に入っているのじゃないの(廃盤かぁ)。探し疲れて、再聴意欲を失いました。

Khachaturian ピアノ協奏曲 変ニ長調〜デニス・プルタロフ(p)/ロバート・グター/グリーンズボロ・フィル(2006年ライヴ)・・・これはネットで拾ったことをしっかり記憶して、記録も残っております。ノースカロライナ州のオーケストラかな?一年ほど前は、こうした無名の音源も(無料であれば)喜んでダウンロード、自主CDを一杯作っておりました。時々メールにて”オーケストラの上手いヘタはわからない”という方がいらっしゃるが、ぜひ勇気を出してこれを聴いていただきたい。オフ・マイクの情けない音質+涙が出るほど”上手くない”粗雑なアンサンブルを堪能可能。プルタロフ自身の演奏は立派なもので、聴衆の拍手は熱狂的だけれど。ライヴだったら(もっと音質がちゃんとしていれば)感銘深かったのかも。

レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein, 1918年8月25日 - 1990年10月14日一日中部屋に引き籠もって、断続的に音楽三昧。ネットで音源を漁っていたけれど、ひとつ凄いのを(またまた)発見。Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィル(1965年12月9日ライヴ)/Ella Lee(s)/Saramae Endich(s)/Beverly Wolff(ms)/Jennie Tourel(ms)/George Shirley(t)/John Boyden(br)/Ezio Flagello(b)/The Westminster Choir/St. Kilian boychoir・・・出所は例のMahler 専門サイト。著名なるロンドン交響楽団とのセッション録音の前年。放送録音のエア・チェックらしく(ラストにアナウンスが入る)、第1楽章ラストで音が少々遠くなります。この時期だったら、という不満な音質(モノラル)だけれど、怪しげ音源としては充分音楽を堪能可能な水準です。第1部は例の如し熱気溢れるアツい前のめり表現が揺れ動き、第2部は意外や、弱音の配慮、声楽の扱いもバランス良く、圧巻の盛り上がり、けっして好事家の世界ではありません。声楽陣はこちらのほうが好調なんじゃないか。ジョン・ボイデン(br)の説得力は凄い。ラスト辺りの繊細なる合唱の感銘も文句なし。熱狂した聴衆の拍手も盛大也。

問題は”ほんまにこんな演奏会あったの?”ということであって、詳細情報が揃わないのがこの手の常。しかし、データをダウンロードすると演奏会チラシと思しき.pdfファイルが存在して、間違いなくニューヨーク・フィルの定期演奏会であることが判明いたしました。特別にこの作品、バーンスタインのファンというわけでもないが、貴重な記録であることは間違いない。集中的にこの作品に臨んで、そしてロンドンに行ってセッションを組んだんですね。亜米利加じゃユニオンの制限など、当時大人数の録音は難しかったのかも。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

お休みはいつもの早朝決起。ゆっくり音楽を聴いたり、ここ行くまでパソコンをいじったりできるのが楽しみだっただからかな?”週間2本サイト更新”一本も残っていたし。昨日は、午前中にお仕事懸案事項はクリア出来。宿題は山積なんだけど、寒さ故?左膝がかくかくする(痛むわけではない)感じがあったし、持病の通院もあって昼からお休みをいただきました(ケータイは数件追いかけてきたが)。ここ最近、追い詰められてばかりで、精神の余裕はなかったからね。

1月中旬に情報をいただいた「パブリック・ドメインじゃなくてもデータ入手できますよ」=自主CD化の件、リンクを辿ってますます広がっております。どうやら西班牙がその筋の本場らしい。法律が違うのかな?ゆっくり速度、いちどに1本ダウンロードするとしばらく時間をおかないと(お試しの意味合いか)次はできない、有料コースへの執拗な誘いがある・・・ということで、商売として成り立っているようではあります。ネットとかパソコンへの習熟は少々必要(環境によっては暴走する/次々とブラウザが開いて強制的に電源を切るしかない・・・ことも有)だけれど、そのままメモリー・オーディオにぶち込むなら、特別な作業は要りません。公に情報開示するには少々グレーゾーンっぽいので、ほんの一部のみURLを公開しているのみ・・・

日本でパブリック・ドメイン音源を公開されている良心的なサイトにて、「パブリックドメインの役割」といった興味深い、心温まる記事を拝見いたしました。「了承を得たもののみ」となっているから、もっと一杯メールが届いているんでしょう。曰く、音楽聴取の幅が広がって、結果的にCD販売の力になっている、とのこと。なるほど。ワタシのようにかなり幅広く、お気に入りじゃなくても音楽に接している人は少数派なのかも。オーディオの都合で「自主CD化」(CDRは激安だし)しているが、日本の住環境やら通勤時を配慮すれば、既にメモリー・オーディオは多数派と類推されます。時代は変わっております。

今朝、Vaughan Williams 交響曲第9番ホ短調(マルコム・サージェント/ロイヤル・フィル1958年初演)を更新いたしました。出所は「The Music Parler」〜ここは往年のLP音源を公開されているところ、かなりマニアックだけれど(恥ずかしながら)ワタシのツボにピタリ!フィットいたしました。

じつは上記作品はせいぜい35分弱、CDRに焼くには余裕あり過ぎ、ということで、Elgar 組曲「子供の魔法の杖」("The Wand of Youth")第2番/Vaughan Williams トマス・タリスの主題による幻想曲〜マルコム・サージェント/BBC交響楽団(1952年)を追加。いかにも、的レパートリーだけれど、初耳音源じゃないか。というより、少なくとも日本でCDは見掛けたことはない。演奏は悠々としてノーブルなもの・・・と言ってしまえば、いつも通りのオーソドックスなんだけど、まさにそれ。難渋晦渋なるRVWの交響曲第9番との組み合わせも、こちら懐かしい旋律満載。相性抜群でした。音質は良好。

行ってきましたスポーツ・クラブ。これで5週連続達成(ラジオ体操風出席表、みたいなものにスタンプを押していただく)。左膝は大丈夫、跳んだり跳ねたりじゃない”ヨガ系”のメニューにて太ももの筋肉しっかり鍛え、関節は充分(過ぎるほど)屈伸させたほうが調子よろしいんです。

このサイトは人様にどーの、というより、基本、自分への備忘録なんです。コンピューター、ネット時代を迎え、自分の感じ方考え方(音楽を中心として)を記録として残す、ということ。「パブリック・ドメインじゃなくてもデータ入手できますよ」=自主CD化の話題継続。「StateWork」という凄い放送音源を揃えたサイトを発見いたしました。早速、http://statework.blogspot.com/search/label/MussorgskyMussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」〜ジョルジュ・プレートル/ベルリン・ドイツ交響楽団(2008年10月27日フィルハーモニー・ホール)の音源を拝聴。前後に拍手も収録され、音質極めて優秀かつ臨場感たっぷり。遅いテンポ、細部じっくり描き込んで緻密、そこは仏蘭西の人、チェリビダッケみたいな茫洋と重苦しく引きずるようなテイストではなく、もっとクリア軽快なるサウンドに仕上がっておりました。若い頃のプレートルやら、大昔旧ベルリン放響のイメージとはずいぶんと違って、アンサンブルの仕上げも極上です。ライヴとは信じられぬほど。

DG 429 918-2  3枚組1,380円Schumann ピアノ協奏曲イ短調〜スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ヴィトルド・ロヴィツキ/ワルシャワ国立フィル(1958年)・・・久々の拝聴。入手11年目、1974年録音を入手して4年棚中眠らせて未聴なのは、こちら旧録音に得心がいかなかったから。本日、ようやくその真価に辿り付きました。前回コメントを検索すると”音質が気になる”?エエ加減なものですな。リヒテルの明快硬質なタッチ、漂う硬派な浪漫は充分堪能可能。ロヴィツキのオーケストラも、薄い、上手くないといった印象ばかりだったが、本日は雰囲気たっぷりに感じます。オーディオ環境が変わっていること、なにより聴き手のノーミソの変容、そして体調、気分の問題もあるのでしょう。それにしても、この録音は話題にならなくなりました。

過去後ろ向き、マイナーな音源ばかりでも仕方がない、ということで、Mozart 交響曲第32番ト長調K.318/Mahler 交響曲第1番ニ長調〜小澤征爾/斎藤先生記念管弦楽団(2008年ライヴ)・・・こんなメジャーな(しかも新しい)音源は【♪ KechiKechi Classics ♪】 に珍しいでしょ。世評は気にしないが、HMVを一応拝見。意外と辛口なんですね。ワタシは若い頃〜ボストン交響楽団時代の音源を(華麗なる加齢を重ねるに従い)好ましく感じるようになってきました。細部迄生真面目、余計な夾雑物を入れないピュアな表現。ここ10年ほどの(ほとんどちょろ聴きだけれど)印象はほんまによろしくない。実演に接すればガラリと変わるのでしょうか。こういった”名人寄せ集めオーケストラ”は、どうしてもオーケストラ固有の色、というものが出なくて、無味無臭みたいな味気ないサウンドに感じます。

Mozart のK.318はほんまに小粋なシンフォニアははずが、躍動が足りない。Mahler はかつての”余計な夾雑物を入れないピュアな”蒸留水のような表現ではなく、たんに味けのない”上手い”演奏に感じました。ちょっと時を置いて再確認いたしましょう。安易な判断はできません。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

寒いですね。3月だというのに一直線に春になって下さらない。明日出勤当番なのに、試しに「休み」申請してみたら、通ったみたいです。とにかくお仕事宿題は本日で目処を立ててしまいたいもの。昨夜、遅くにサイト原稿ちょっぴり手を入れて、本日一本のみ更新済み。もっと音楽をていねいに、しっかり集中して聴かないと〜「音楽日誌」言及の音源だって、ちょろ聴き、断続的にバラけて聴いたり、だったりでエエ加減な姿勢が多いんです。「ケータイ・カンニング」の件、単独犯が事実であれば、情状酌量して、なんとか再挑戦させてやって欲しい・・・でも、ムリだろうなきっと。本人も完全に精神的に萎えているだろうし、仮に来年どこかに再入学できても、まわりの元・受験生がその存在を許さぬでしょう。

昨日の通勤音楽。Sibelius 交響曲第1番ホ短調〜レナード・バーンスタイン/ウィーン・フィル(1990年)・・・亡くなった年の録音だから、もっと茫洋として達観した風情か・・・と思ったら大間違い。ライヴが基本の音源だから、すっきりクリアなサウンドにはならぬが、すさまじいテンポの揺れ、タメが絶妙に決まって個性的、その説得力抜群。もっと粘着質で暑苦しい表現と想像したが、スケール大きな浪漫な表現に、作品個性との違和感はありません。主義主張も徹底すれば、芸術に至るといった典型か。ちょっと驚き。

では、行ってきます。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

ちょっと寒さ戻ってますね。お仕事は毎日余裕がない〜”追って”いるんじゃなくて、”追われて”いる感じ。宿題課題だけははっきりとして、実務処理が追いつかない。営業実績進捗はよろしいけれど。本日午前中、まず身辺、宿題の整理整頓だな。

昨夜、Brahms 交響曲第1番ハ短調〜ヴォルフガング・サヴァリッシュ/ロンドン・フィル(1991年)・・・先月、ウィーン交響楽団との旧録音を(中途半端に)聴いたばかりだけれど、こちら30年後熟練の成果であります。HMVのユーザーレビューがオモロいですね。なるほどなぁ、な〜んもせんけんね、系かも。過度な情念やら表情付けをしない、粛々淡々と作品のテイストを活かして、流れは極めて自然。スタンダード。それをもの足りぬ、と感じられる方もいらっしゃるのでしょう。ワタシはゴリゴリのご立派重厚なる演奏は苦手なので、この方向を堪能いたしました。EMIの7枚組入手当時、ロンドン・フィルの響きが薄い?軽量かも、と感じたはずだけれど、今回はそんな印象はありませんでした。

ウラディーミル・ユロフスキロンドン・フィル現在のシェフであるウラディーミル・ユロフスキのMahler (2010年)の件は帰宅後・・・

寒さが戻ってきて、左膝も疼く今日この頃。夜、リハビリに通ってきました。ついでに血液検査も。これだけメタボリックなのにコレステロールが正常値なのは不思議です。お仕事の整理はかなりできたかな?といったところ。明日、もう一山で今サイクルの目処が立つでしょう。じつは今朝、一日間違っているのに気付いて、じつはもう明日金曜なのだね、サイト更新原稿執筆にまったく手は付いておりません。ヤバい。

今朝の続き。Debussy 前奏曲集(コリン・マシューズ編)/Mahler 交響曲第1番ニ長調(花の章付)〜ウラディーミル・ユロフスキ/ロンドン・フィル(2010年11月1/4日ライヴ)・・・ネットを探っているとこんな音源に出会えるのだね。キラキラと宝石を鏤めたような繊細可憐なる「前奏曲」、のびのびと素直に歌った第1番。練り上げられた”ワザ”というのではないけれど、1972年生まれ、充分若い。彼のTchaikovskyを数曲聴いている(もちろんCDにて)が、美しく淡々と仕上げて”露西亜風”に非ず、洗練されていましたよ。ここでも同様、すっきりさらさら美しく仕上げて”突っ込みが足りぬ”といった批判もあり得るでしょう。第1楽章ラストのアッチェランドも落ち着かない。でもね、これでよいと思うんです。成熟はまだまだこれから。ロンドン・フィルは、ずいぶんと洗練された響きになっておりました。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

(在金沢ホテル)これよりご当地にて会議対応。戻って上司と定期面談〜もう(というか、ずっと)出世なんて全然考えていないから、どーでもエエがな。言いたいことは常に言っているし。昨夜もよう呑みました。ここのところ昼飯弁当持参でダイエット+散財もダイエットだったが、昨日は昼飯は中華台湾屋台ラーメン+焼飯という黄金の定食でしょ、夜も含めメタボリック完全復活の道、驀進中。反省。

Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1957年)・・・再聴。この時点でこの鮮明なる音質。なんせ子供の頃からの馴染みの作品、最近聴く機会は減っていたんです。作品個性的に「新世界アメリカ」系か「故国ボヘミア」系、という選択をしたいところ。ヴァーツラフ・ノイマン(後者系)に親密を感じておりました。こちら徹底的機能的技術の冴え、キレ、圧巻のテンション集中力〜先月はそれが嗜好に合わずに(同時聴取の)バルビローリに軍配を上げちゃいました。あとは嗜好の世界ですから。シカゴ響のサウンドはBartokに似合っても、この作品はちょっと違うんじゃないか。第1楽章提示部繰り返しをしていないのは残念。

午前中の会議は懸案の”合理化”を見事に通して、急ぎ大阪へ。気が張っていたのか、昼から一気に激しい睡魔が襲って、断続的に意識を失いました。夕方職場に戻って上司と面談、チームメンバーへの報告を最優先し、忘れぬうちにと、いくつか頼まれごとを消化していたら、自らの実務に手は付かない・・・明日以降に回しましょう。かなりお仕事溜めている自覚有。鬱陶しいな。ま、それはそれで一ヶ月のサイクル一区切り。なんか酒浸りだ。

DG  UCCG-3033移動中音楽。Mahler 交響曲「大地の歌」〜オイゲン・ヨッフム/コンセルトヘボウ管弦楽団/ナン・メリマン(ms)/エルンスト・ヘフリガー(t)(1963年)・・・不思議なレパートリーであり、ベイヌム盤とオーケストラも歌い手も同じ。初耳でした。素晴らしく鮮明リアルな音質であって、ヨッフムは硬派明快+劇的な表現でコンセルトヘボウとは盤石の信頼関係を感じさせます。ヘフリガーはワルター盤より凄みを増してテンション高く、メリマンはややスタイルに時代を感じさせて少々大仰(ヴィヴラート過多)だけれど、貫禄説得力充分でしょう。全体に官能色気艶、厭世より緊張感が勝った”前向き”演奏也。オーケストラは上手いっすよ、とても。CD入手以来寝かせていたものだけれど、思わぬ成果でした。驚き。


●2011年3月某日の振り返りと後悔

どーせいつものように早朝に出勤してもコピー兼プリンタは故障しておるし、修理まで動けないからゆっくりしましょう。サイト月替わりの変更準備もしておりませんでした。昨日、ド残業+ちょっぴり呑みに行ってしまって遅く帰宅、中途になった続き〜ディミトリ・スグロス(p)にて、Liszt メフィスト・ワルツ第1番(1987年メルボルン・ライヴ)/リゴレット・パラフレーズ(1989年シドニー・オペラ・ハウス・ライヴ)/ピアノ協奏曲第2番イ長調〜マルコ・ミュニヒ/スロヴェニア・フィルハーモニー交響楽団(1987年リュブリャナ・ライヴ)・・・苦手系の作品だけれど、とにかく強烈、正確無比のキレ味を誇るテクニックを堪能すべき壮絶なる演奏であります。精神性とか味わいとか、そんな言葉が空しくなるような強烈インパクト充分。かつての神童ぶり、健在です。

本日明日と金沢へ。パソコン持参いたしましょう。

結局、コピー機は治っていて、それでも定時出勤。朝一番にお仕事ちょんぼを上司に見破られ、苦境に陥るが、ま、なんとか次につなげて解決しました。資料は無事刷り上って、(上司含職場患部3人)早飯昼食〜サンダーバードの人へ。たっぷり居眠りし、たっぷり音楽を聴きました。現在、会議を上々の雰囲気で終え、ホテル入り、夜の酒席会場へ向かうまでの時間つぶし。明日もう一本(ちょっと重い)会議対応有。ちょっと寒さぶり返したが、体調は大丈夫。

DG 4776545今朝の予告通り、Mahler 交響曲5番 嬰ハ短調〜グスターボ・ドゥダメル/シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ(2006年)・・・再び。若い、新しい世代の演奏をちゃんと聴いてあげなくっちゃ、ということ。彼もロサンゼルス・フィルの音楽監督となって、ベルリン・フィルにも登場して大活躍!31歳だもんなぁ、凄い。このオーケストラは子供中心のアマオケなんでしょ。技術的には文句の付け所はない。安定したアンサンブルであり、ドゥダメルの解釈もオーソドックなもの。でもね、やっぱり(厳しく言えば)音量の低いところで、テンションも一緒に下がってしまうところ有。上手いんだけどねぇ、荒削りでも破天荒でヴィヴィッド!若さ爆発!みたいな方向を期待したかったが、ちょっとそこは不満です。当たり前だけれど、個性とかアクとか色とか、そんなものが全然足りない。

パブロ・ゴンザレス/カタルーニャ国立バルセロナ交響楽団には、それはありましたよ。

【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi
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