製品としてのCDの矜持


 最近、無料でネット・ダウンロード〜自主CDを聴く機会が多くなった罰当たり者だけれど、レコードやCDには愛着たっぷりあります。LP出始めの1950年代は「一枚初任給半分くらいの価値があった」(らしい)、ワタシが子供の頃、1974年のオイル・ショック以前だったらレギュラー盤で2,000円也。これは高かったですよ、当時高校前のラーメン屋で学生ラーメン100円(だったと思う・・・)仮に現在の激安ラーメンが300円と仮定したら6,000円。500円としたら壱万円でっせ。しかも子供の貨幣価値でしょ。それはそれは高価でしたよ。だから廉価盤しか買えなかった。それでも貴重品中の貴重品、宝物。

 当時から輸入盤が安かった。CD時代に入ると初期は3,000円以上。1990年前後、1,000円の駅売海賊盤は激安だったんです。今は昔。その話題はさておき今回は「製品としてのCDの矜持」の件。

 ワタシは@13.8也のCDRで音楽を聴いているけれど、世間には@3,000(もする)SACDなどというのが存在するんですね。それが「うまく再生してくださらない」なんていう話題を伝え聞きます。それって、不良品じゃないの?初期CDにもありましたよ、そんなの。手元には1980年代のCDがあって、さすがに20数年経ったら盤面剥離でずいぶんと哀しい思いをする今日この頃。これはある意味、寿命だから仕方がないとあきらめるしかない。

 まず、ちゃんと再生できる、というのが大切な一番目。ワタシはほとんどこれで満足できるんです。次は「情報完備」〜演奏者表示は当たり前、怪しげホームセンター店頭売駅売海賊盤にはそれさえないものがありました。収録作品が完全表示されていないもの〜ま、この二点はほとんど100%クリアされてますよ。(調性やら作品番号が抜けているのには閉口することも多いが)ところが、ここ最近激安化が進んで、例えばデニス・ラッセル・デイヴィスのHaydn交響曲全集には3枚の不良品が含まれたし、ジエイムズ・レヴァインのMahler 選集ボックスはオーケストラ表示が誤っておりました(第3番)。情けない。なんたる失態。団塊の世代引退後のモノ作りは衰退しているのか。

 ワタシはもっと、更に情報を求めたい。要らぬ解説なんて全然必要なし、だから英語でも独逸語でも露西亜語でもかまわない。(詳細学術的作品解析、クリティカル・エディションの貴重な解説は別物です)日本語解説を求める人はけっこういらっしゃるんですね。オークションで落札された人に送付後、「日本盤じゃなかったんですね」と苦情があったことも・・・1990年代迄のレコード芸術別冊を残してあるけど、往年の評論家コメントなんて(失礼ながら)笑止千万ものでっせ、いまとなっては。当時から疑念を持っていたけれど。

 録音年は最低欲しい。【♪ KechiKechi Classics ♪】言及音源には必ず(ネット検索して)録音年を入れているけれど、けっこう苦労するんです。できれば年月日、録音場所情報も欲しい。これが抜けているものが多いんです。新旧録音が存在する場合、ワザと表示しないことさえあるらしい。新しいことが大切なんだろうか、時代が進めば進むほど良い結果が生まれるはずもないのに。なかには録音機器、エンジニアとかスタッフ情報を完備しているものもありますね。ワタシはあまり興味ないが。リマスタリング担当には少々興味有。イアン・ジョーンズとかマーク・オーバート・ソーンとか。

 これはRCAのオリジナル・デザインあとはデザインだな。最近「オリジナル・ジャケット・コレクション」って出ているじゃないですか。CDはサイズ小さいし、LPは30cm、その違いもあるんだけれど、やはり激安化に伴う製品としての手抜きを感じるんです。先のレヴァイン・ボックスなんて最悪、オリジナルはもっと素敵でしたよ。それは使えないのか。版権問題でもあるのか。そんな話題もネット・ダウンロード時代に至れば郷愁に過ぎないのかも。

 付け足しです。協奏曲に於けるカデンツァの作者表記が欲しいなぁ、意外と載っていないんです。製品には最低限の品質条件があって然るべし。独善的我流のコメント解説なんて必要ないんです。

(2011年6月3日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi