2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
休日はいつも(程度こそあれ)早朝覚醒、本日はやや早いくらいに自然に目覚めて、ご近所(ウォーキング兼)コンビニ迄パンなど買いにいきました。体調まずまずというか、ぎりぎりというか、昨日夕方時点”いよいよ風邪に敗北?”〜覚悟したけれど、なんとか徳俵に留まっております。例の家庭内無線LAN(Fonルーター/SoftBank無料配布の安いやつ流用)不調の件、一番使用機会の多いACER Aspire AS5750(8.1/6gb)除いて他4台(タブレット含む)すべて順調に状況快復いたしました。昨日注文したFonルーター(送料税込1,200円也)は本日到着、たんなるムダ遣いに至る可能性も有。(ワタシ、金額の多寡にかかわらず、こういった行為に遣る瀬ないキモチいっぱいになるんです/Kechiでんな)
Rachmaninov ピアノ協奏曲第2番ハ短調/Ravel ピアノ協奏曲ト長調〜エレーヌ・グリモー(p)/ヘスス・ロペス・コボス/ロイヤル・フィル(1992年)・・・芸能である以上芸術と容姿は極めて重要な連関有!との強く主張をしてきたワタシ(残念、美人は苦手)。稀代の別嬪ピアニスト・グリモー23歳の記録です。彼女の躍動するMozart に心奪われて以来気を付けて拝聴しているけれど、DENON旧録音はほとんど棚中に眠っておりました。
定評あるPCM録音には少々クセがあって、薄く靄が掛かったように柔らかいというか、けっして悪い音ではないけれど。”Rachmaninov ってこんな感じ!”刷り込みはリヒテル(1959年)、漆黒の重量感、強靭濃厚浪漫に比べ、こちら淡彩に明るく、さらさらクール爽やかな風情が個性でしょう。技術的な不備云々はもちろん皆無、素敵に懐かしい旋律は甘さ控えめ、理が勝ってツマラない演奏に非ず、無垢な美しさに溢れます。Ravel にも同様の鮮度有、但しこちらにはもっと若々しい躍動、爆発はあって然るべし。
上記に負けぬくらい昔に入手した「Great Chamber Music」(10CD)よりBrahms 弦楽六重奏曲第1番 変ロ長調/第2番ト長調〜ジュリアーノ・カルミニョーラ、ステファーノ・ザンチェッタ(v)/トマーゾ・ポギ、ファブリツィオ・メルリ−ニ(va)/マリオ・ブルネッロ、フランコ・ロッシ(vc)(1992年ボローニャ・ライヴ)・・・まさか未聴ということはないと思うけど、前回拝聴記録も記憶もなし。すっかりスターとなったカルミニョーラを当時は全然知らず、ここではモダーン楽器使用(と類推)。この作品はお気に入り(Brahms の室内楽は一般に全部)編成は小さくても、悠々としたスケール、美しくも遣る瀬ない旋律が聴き手の背後に、悦び哀しみ交互に迫って感慨無量(とくに映画音楽で著名となったらしい第1番第2楽章変奏曲「 Andante ma moderato」)。かなり雄弁に歌う”アツい”演奏であり、独墺系きっちり端正な方向とは別種の魅力に溢れます。Brahms !といった先入観からはみ出るほど新鮮、但し、ワタシの嗜好としてはもう少々”美しい”洗練を希望したいところ。
(あと、Brahms 交響曲第4番ホ短調〜オウェイン・アーウェル・ヒューズ/シュトゥットガルト・フィルなど拝聴・・・これは備忘録)。
●
【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例更新ムリムリ実施。女房殿はお出掛け、こちら風邪症状土俵際故おとなしくお隠りしております。昨日昼注文したFonルーター(SoftBankが無料配布していた”なんちゃってFon”〜正式登録には本国申請ワザ必要)10時には到着、amazonは速い!その後、ACER Aspire AS5750(8.1/6gb)のみ接続は相変わらず不調、もしかしたらルーターじゃなくてマシン本体の問題じゃないか・・・届いたものは2年前と寸分違わず同じもの。付け替えて、パスワード設定しても・・・アウト!他のマシンもアウト(涙)・・・ちょっと置いて、ルーターを再度接続し直したら・・・大丈夫みたい。1,200円ムダになりませんでした。
思わぬ余録有。AspireOne(LinuxBean/1gb/中古3,240円)は、ルーターに一旦(持ち出して)接近させないと接続できなかったんです。その儀式が毎度鬱陶しかった!これが一発接続に。つまり、電波が弱まって、それでも頑張って健気に接続するマシン(eMachines/女房殿用Dell赤)、なんとか努力するマシン(AspireOne)、とうとうアカンようになったACER Aspire AS5750・・・もしかして(現在接続不可)無線のプリンターも?あとで再トライしてみましょう。(無事再設定完了いたしました。やはり犯人はルーターそのものだったのか!)
Brahms 交響曲第4番ホ短調〜オウェイン・アーウェル・ヒューズ/シュトゥットガルト・フィル(2004-6年)・・・(不遜にも)やや食傷気味になっている作品。第3番は一年半ほど前に拝聴しておりました(まったく記憶なし)。しかし、似たような感想やなぁ、この人はけっこう大柄、スケールの大きな表現を取る人、オーケストラはあまりキレのある響きや技量とは言い難いけど、エエ感じの南ドイツの素朴な味わい雰囲気ありますよ。
これにて11月終了。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨日にて諸実務作業差し迫ったのは一旦一区切り、いろいろちょんぼというか、抜け漏れがあっても工程上第3者が点検して修正されれば良しとしましょう。本人の工夫努力、成長は前提として、不充分なところをフォローし合える体制というのがキモなのでしょう。ミスした本人が言っても仕方がないけど、この職場最大の不満は”逆パターン”が多いこと〜自分の領分をミスなくやり過ごすことに主眼有(≒失敗することは恥ずかしいと思う)、各自自力更生、結果として実務力量向上も、仕組みの改善にも熱心じゃないこと。ワタシは一年悩んで、自分の担当分野の実務改善(取引先との関係改善も)重ねてきたつもり。座右の銘は
”謝って(修正して)済むミスはミスに非ず”(だからのびのび大胆に、といった趣旨)
今朝体調も改善して、ウォーキングに出掛けようとしたら残念、雨でした。
この間、取引先ドライブ中に聴いた音楽Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ダニエル・バレンボイム/ベルリン・フィルハーモニー(ハース版1994年録音)・・・こんなことを言っちゃ失礼だけど、ディジタル時代以降、世界最高峰のオーケストラとの録音膨大なるバレンボイム、いくつか拝聴した結果は”どれもそれなり、どれもイマイチ”〜そんな不遜な感想ばかり。(若い頃の録音や、ピアニストとしては別なイメージ有)艷やか厚みのあるオーケストラ、”フルトヴェングラーの路線を狙った”と云われるけど(記憶イメージにある)尋常一様ならざる緊張感に非ず、時にテンポは揺れても”上手いオーケストラがスムースに音を出している”と聴きました。悪くないけどなぁ、神々しい感動を受け取れない。
Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜ダニエル・バレンボイム/シカゴ交響楽団(ノヴァーク版/1979年録音)・・・4年ぶりの拝聴か。若い録音は上記再録音シリーズより、前のめりの意欲とアツい感興溢れるもの(全部は聴いていないけれど)。
”精神性とか鬱蒼とした響きとか、渋く地味なサウンド”の欠如か。それでも、この”わかりやすさ”、オーケストラの優秀な技巧、鳴りっぷりの良さを賞賛
そんなコメントに一理有。今回拝聴は弦の過剰な表情付け、ヴィヴラートに違和感ありました。ま、録音の問題かもしれません。なんや、謙虚さに欠ける不遜な聴き方やなぁ。反省しましょう。
他、若い頃のエレーヌ・グリモーとか、カルミニョーラのBrahms 室内楽とか。では、行ってきます。
●
朝一番より、全開お仕事宿題こなして、昼過ぎに職場を辞去いたしました。ここ数ヶ月、ネットの調子がよろしくなく(数ヶ月前無線プリンタ不調以来か)昨日も四苦八苦して復旧、今朝は電波はちゃんと認識しても接続できないのは、すべてのマシンに共通しております(何故か女房殿用マシンはやがて接続可能に)。いよいよFonルーターの寿命かも、導入は2012年7月頃、丸2年経ったのか。昼休みamazon(激安)注文しました。最新型の無線ルーターを入手する勇気はありません(金額的に)。明日到着予定、さてどーなるか。同じ症状やったらアホでっせ。
当面、業務用Wifiを業務上横領流用して、ネット環境を乗り切っております。(更にしばらく経ったら、パソコンオーディオ部屋eMachinesの接続も修復〜これは・・・?)
来年早々90歳になる親父から依頼有、年賀状宛先は手が震えて書けないから印刷せよ、昨年よりの恒例となりました。(リストのみ、年賀状はこちら持ち)昨年一旦”筆王2003”にリスト化しているから、メンテのみ。毎年30数名亡く(または喪中に)なっているそう。ちなみに自慢は”年末葬式に行った本人から年賀状が届いた”こと。一気百数十枚印刷済ませて、クリックポスト投函済。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨日は暖かく良い天気、午前中締切迫った資料を仕上げて、懸念される問題は2件有、昼から取引先へ出掛けて1件クリア、残りは(最年末)運を天に任せるしかない・・・体調はぐずぐず連続、今朝もウォーキングは強行しました。なんとなく風邪なのかも。本日午前残務クリアして昼から(別の)取引先へ。明日出勤当番、この間の宿題整理をいたしましょう。辛くも一週間乗り切った、てな感じです。
(この間拝聴言及漏れ)Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット文化省交響楽団(1985年)・・・半年前の印象と変わらぬヴィヴィッドな色彩感、荘厳さとは別種の愉しさ有。Bruckner 交響曲第9番ニ短調〜ジョージ・ショルティ/シカゴ交響楽団(1985年)・・・同じ年の録音、個性色合いは異なっても方向は似ている?上手いオーケストラ、鳴り響く明晰強靭な明るいサウンド・・・一般にショルティのムリムリな表現は嗜好じゃないけど、Brucknerへの先入観を打ち崩す切り口の新鮮さを感じさせます。以上、放置しておくと忘れそうになるのでお粗末なコメントのみ。
Bruckner 交響曲第1番ハ短調〜エルネスト・ブール/南西ドイツ放送交響楽団(1976年)・・・正直にカミングアウトすると、ネット検索して偶然入手できたデータ音源自主CD化。正規ライセンス音源かどうか別としてCD(R?)化されていたものらしい。音質極めてリアル良好(直接音中心、各パート定位明瞭)、リンツ稿とのこと(ヴァント1981年はウィーン稿)。現代ものを得意とする指揮者には珍しい作品に思えるけれど、オーケストラは絶好調に鳴り切って細部明晰(先の2点に負けぬほど)わかりやすい(仕上げクールだけど)。初期作品の荒削りな旋律を身近に感じさせて、こちこちWagnerを連想させました。
フィル・アップは「テ・デウム」〜記憶では同時にネットから入手した音源、残念ながら演奏者クレジットなしのファイル。ヴィヴィッドな推進力、朗々たる声楽のテンションを聴いて”オイゲン・ヨッフム?”〜あわてて再聴比較したら、こちら音質もオーケストラ声楽のテンションもやや落ち、方向性は似ても別演奏でした。ヨッフムって、大爆発なんですね。
では、行ってきます。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
今週土曜は出勤当番なので、当面切迫しない宿題はそちらに押しやって本日明日を乗り切りましょう。昨日も定例作業手順途中、つぎつぎ自分のミスを発見して、修正に追われました。ま、たいしたことはない。今朝、目覚ましのFMが鳴って起床時ストレッチ(毎日実施)後、起き上がったら目眩ちょっぴり有、久々のウォーキング強行するけど体調はけっしてよろしくない。風邪気味?ここ数日、夕食後胃の調子もイマイチ〜逆流性食道炎かも。どこかで診てもらわぬと・・・胃カメラは若い頃から慣れたもんです。
長野県北部地震に続き、阿蘇山噴火とのこと。阪神大震災以降列島は動き頻繁、高度成長期って、ほんの束の間の幸運が重なっていたんですね。Brucknerは交響曲第9番(二種)+第1番を聴いているけど、その前に
Scriabin 法悦の詩〜ピエール・モントゥー/ボストン交響楽団/ロジャー・ヴォアザン(tp)(1952年)・・・ Poem of Ecstasy→”法悦の詩”は名訳!中国語訳”狂喜之詩”って、やや風情に欠けませんか。ネットからLP音源を入手して拝聴。伝説の名手・ヴォアザンはかっちりして骨太雄弁な音色、というか、ちょいと昔風か、もちろん文句なく上手いけど。ルートヴィヒ・ギュトラー辺りに馴染んだ耳にはそう感じます。18歳未満禁止的音楽を、モントゥーは洗練されて粋な表現、オーケストラも艷やか・・・もともと優秀録音と類推するけど、LP復刻音源は少々ツラいのも事実でした。
ま、自主CDならぬデータそのまま拝聴して済ませました。CDに焼いて保存しても、おそらくあまり聴く機会はないでしょう・・・この間の経験に学びました。
10枚組「From Paris to Vienna」4枚目(amazonマケプレにてリンク先よりうんと安く入手)。Waldteufel ワルツ「 Estudiantina(エストゥディアンティーナ)」(「女学生」は誤訳とのこと)(フランツ・バウアー・チューセル/ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団1981年?)/Suppe 喜歌劇「スペードの女王」序曲(ジョージ・ショルティ/ウィーン・フィル1959年)/Hellmesberger ワルツ「舞踏会の情景」(ロベルト・シュトルツ/管弦楽団)/J.Strauss 皇帝円舞曲(ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル)/Bizet 歌劇「カルメン」より第2幕への前奏曲と舞曲(エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団)/「カリヨン」〜組曲「アルルの女」より(ヘルベルト・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団)/Ravel ボレロ(ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団1958年)・・・Estudiantinaって学生の楽隊らしくて、ラテン系の国々にそんな祭り、風習があるそうな。カスタネット大活躍して、いかにもウキウキとした西班牙風情(ワルツってなっているけど、組曲ですね)音質も演奏も上質。ショルティのSuppeは凄い!ウィーン・フィルのとろけるような音色に油断していたら、突然のヤケクソ大爆発!(ワシにこんな作品如き演らせるな!みたいな)ド迫力に仰け反ります。
ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世(Joseph Hellmesberger, Jr.1855-1907)は初耳(ウィーン・フィルのコンマスだった由)。「Ball-Szene」ってとろり甘美な旋律を誇る名曲でした。ロベルト・シュトルツの語り口の上手さ、微妙にユルいオーケストラの味わい最高。カラヤンの颯爽としたスタイルは申し分なし、アンセルメもツボを押さえて文句ありません。スタインバーグの「ボレロ」はそれなり、といったところ。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
薄ら寒い小雨にウォーキング不可、先週に続き二日連続休止状態。なんとなくダルいけど、体調は維持出来、なぜか花粉症みたいな鼻水盛んに出て困っております。昨日もお仕事苦戦しつつ(いくつか定例作業処理ミス発見してやり直し)なんとか所定の時間に終えた〜というか、月曜祝日だったし更に早く出勤しましたから。1時間以上、職場一人で粛々と残務処理というのは効率エエもんでっせ。久々女房殿ご帰還。
先週のMahler に続き、今週はなんとなく〜Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜セルジウ・チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル(1989年ベルリン・フィルハーモニー・ホールライヴ)・・・これはEMIから出ている1994年ライヴ(未聴)に非ず、著名な1992年ベルリン・フィル、1990年日本での演奏(これも未聴)でもない別物。海賊盤CDで見掛けたけれど、ワタシはネットからかなり良好な音源拝借いたしました。ハース版?第2楽章「Adagio」(Sehr feierlich und sehr langsam/非常に荘厳に、そして非常にゆっくりと)〜おそらくはBrucknerすべての作品中もっとも美しいところ〜クライマックスに打楽器入っているからノヴァーク版じゃないのか(ド・シロウトの言及範疇じゃないけど)。例の微速前進、ピアニッシモ重視、息の長い旋律を悠々と謳わせて、オーケストラの響きはあくまで淡彩デリケート、油断すれば冗漫にダレる可能性大な表現は、緊張感テンションを維持してとことん美しい。テンポは全般に遅いけれど(終楽章出足は軽妙にテンポ速目〜これも効果的)CD一枚に治まります。陶然と夢見るようなサウンドに包まれ、いつまでも終わって欲しくない、まるで魔術のような演奏であります。
こんなん聴いちまうと、他のBrucknerが聴けなくなってしまうかも・・・ネットで情報を探ると、種々存在する彼の”第7番”中、これが一番の完成度とのこと。第4〜9番+テ・デウムを聴く機会が多いけれど、作品そのものの美しさに久々目覚めました。(そういえばロジェストヴェンスキーの第9番への言及忘れてました)
では、行ってきます。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
金土と肉体系労働、幸い体調崩さず日月連休をゆっくり休みました。女房殿不在だと冷蔵庫在庫+お手軽な外食(コンビニ弁当含)になっちまって中高年の(俄)独身生活は寿命を縮める実感ありますよ。職場は外食不如意な場所故、冷凍食品在庫活用して弁当を作りました。今朝、意気軒昂にウォーキング出発!と思ったら雨、残念。今週は一日少ないし、取引先との関係で(ちょっぴり、ほんのちょっぴり)資料作りは押しております。あと一週間で年末12月へ。月並みな表現だけど、光陰矢の如し。
(先日居眠りして途中となった)Bruckner 交響曲第8番ハ短調(ハース版)〜ギュンター・ヴァント/ケルン放送交響楽団(1979年)・・・徐々に(CD)在庫意識は薄らいでも、これはMy ReferenceなBruckner交響曲全集也。LP時代からお気に入りでした。団とかベルリン・フィルとの再(々)録音と比べて云々されているけど、音質含めこれぞ”参照の基準”でしょう。詠嘆に横流れしない、がっちり構築物のような厳しい表現と筋肉質サウンド。時にテンポの有機的なタメ、揺れがあっても恣意性を感じさせぬ辛口演奏の極北、金管が絶叫してもヒステリックに非ず、強引なる威圧とも無縁。どの楽章も聴きものだけど、第3楽章「Adagio. Feierlich langsam, doch nicht schleppend」(荘重にゆっくりと、しかし引きずらないように)淡々として、クールな風情に一番の感銘を受けました。テンポは中庸、しかしCD一枚に収まらぬ81分強。
Beethoven ロマンス第1番ト長調/第2番ヘ長調〜ナタン・ミルシテイン(v)/アナトール・フィストラーリ/フィルハーモニア管弦楽団(1964年)・・・たった今気付いたけど、ワルター・ススキンド/コンサート・アーツ管弦楽団との第2番とは異なる音源だったのですね(サイト内検索を掛けると一年前も同じことが書いてあった)。彼の端正な表現ともかく、もの凄くオン・マイク、デリカシーに欠ける音質に閉口いたしました。彼のVivaldi辺りにも似たような記憶があって、録音条件に恵まれない人だったのでしょうか。
他、Bruckner 交響曲第9番ニ短調(ロジェストヴェンスキー)を今朝より拝聴・・・そろそろ出掛ける時間となりました。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
充実した休日、体調も悪くないけど微妙にあちこち筋肉痛が残っている感じ。読書も進んで、現在愉しみつつ数冊並行して読了途中です。昨夜、映画「あなたへ」数度目の健さん追悼、次世代若手との共演を果たしてラスト作品もカッコ良い!役柄設定上奥様の病であった”悪性リンパ腫”で亡くなるとは・・・今朝の朝日新聞「岐路の原電 延命に奔走」〜敦賀原発2号機の真下を走る活断層を巡って、いまだ激しいやりとりが続いていたことに唖然。日本原子力発電も会社の存続問題の根本だから、激しい抵抗を続けるのは(流れ経緯として)理解できるとしても、政治が調査結果を捻じ曲げる(と言っちゃ失礼?違う解釈ができる)とは・・・自分は科学者に対して尊敬の念を抱いているけれど、少なくとも現状の条件下で正確な検証結果を出していただきたいもの。コピペとかデータ捏造、写真流用とか、なんか想像していた世界とは違っている感じ。
そういえば米山公啓 「医学は科学ではない 」(ちくま新書)読了しておりました。実際は経験則の積み重ね、それさえEBM(Evidence Based Medicine: 実証にもとづく医療)は実践されきっていない、更にそれが実践されても科学とは言い切れない。白い巨塔による上からの指示、みたいなことでなくても”科学ではない”。種々問題提起を孕んで結論も明示されていない一冊。(幾度言うが)ワタシは書籍に”即戦ノウハウを求める(=結論のみ。一言でどうなの、どーすりゃいいの的)”風潮には賛同しないし、自分の視野が新しく拓けて有用な著作と理解いたしました。
Stravinsky 三楽章の交響曲(1962年)/バレエ組曲「プルチネルラ」(1963年)〜オットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団・・・先日、アラン・ギルバートによる繊細、美しい演奏にすっかり目覚めた作品也。この世代(フルトヴェングラー辺りも)が意外と同時代の作品紹介に熱心であって、クレンペラーにもけっこう録音は残っております(Stravinskyは実演機会少なかった由)。ゆったりとしたテンポ設定、じっくり噛み締めるような味わい溢れて、軽妙腰のカルい演奏に非ず。しかし鈍重でもない、オーケストラは上手く、合奏能力は高いもの(固有の色を出し過ぎない)。乾いてクール素っ気ない風情があって、別に濃厚浪漫に揺れるワケでもなし。三楽章の交響曲は劇的に重く、響き混濁して、ああこの作品苦手と思っていたけど、このクレンペラーはベース出汁はしっかり、色付け味付け明快でも塩分控えめの料理みたい。「プルチネルラ」にはいっそうその感を深めました。ホグウッド辺り(これも大好き)とは対極にあるような、ゆったり優雅な(どこかとぼけたような)味わいに充ちてお見事でした。音質も良好。
Stravinsky 三楽章の交響曲(コロムビア交響楽団1961年)/交響曲ハ長調(CBC交響楽団1962年)〜作曲者自演・・・若い頃高嶺の花であった”作曲者自演全集”(22CD)も2007年5,500円ほどにて無事入手、その後売れ残ったのか激しく値下がりしてガッカリしたものです。クレンペラーが思いの外よろしかったので、原点確認のつもり。一般に(誰に限らず)”自作自演”ってさっぱりと素っ気ないものが多くて、これもソツなく、上手くまとめた(悪くない)印象でした。作品としては交響曲ハ長調(この調性ほんまか?)のほうが、とぼけて淡々とした(新古典的)味わいが好み。演奏も後者のほうが作品風情味わいは似合っているみたい。音質こちらも良好、オーケストラも上々の出来。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
数少ない”肉体系労働”(ふだんは机に縛り付けられている!)二日連続、なんとか無事乗り切って、昨日夕方早々に帰宅。ケツから腰に掛けての筋肉痛、膝は意外と大丈夫、今朝ちゃんとウォーキング実施しました。気が緩んで風邪悪化を懸念したけど、大丈夫みたい。帰宅後、ご近所拉麺喰って、入浴して二時間ドラマぼんやり眺めつつ【♪ KechiKechi Classics ♪】アリバイ更新など。ウィンナ・ワルツ(+その辺り)は優雅わかりやすい旋律、リズム、気軽に愉しめて大好き、”軽音楽”って音楽に価値の軽重などあるはずもないけど、あまり構えずにゆったりと拝聴すべき音楽なのでしょう。
コタツに隠ってテレビを眺めていたら、夜半に連続!長野県北部の大きな地震報道有、一発目はこちらもちょっぴり揺れました。被害の全貌は詳細わからず、昨夜はさっさと就寝したので。御嶽山の噴火も関連しているのでしょうか、人間が経験する一生の期間は大自然にとってほんの誤差、明日は我が身、なんとか生き延びたいものですね。被害に遭われた方々にせめてお見舞いを申し上げましょう。
そんなこんなで昨日は音楽なし。今朝からMahler 交響曲第6番イ短調〜ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団(1986年)終楽章「Allegro Moderato」昨日時間切れ最終迄辿りつけなかったので、しっかり34:29堪能いたしました。シノーポリのザ・フィルハーモニア任期は1984-1994年、彼の微妙に粘着質な表現とオーケストラのクリアな響きは相性よろしかったと思います。そのまま「亡き子を偲ぶ歌」〜ブリン・ターフェル(br)(1992年)へ・・・とても立派な押し出しの良い声質、雄弁な表現、シノーポリの伴奏は精緻を極め、揺れるテンポは効果的、説得力充分。この作品は実際の演奏会に行ってみると、大きな編成のオーケストラは舞台上にあっても、あちこちのパートがほんの少しずつ、静かに繊細に声楽ソロと対話している〜意外と切り詰められた伴奏でした。
●
上記の流れは朝5時自然覚醒、ウォーキング実施、朝食摂って朝刊熟読したあと「音楽日誌」執筆、更新。その後、Bruckner 交響曲第8番ハ短調(ハース版)〜ギュンター・ヴァント/ケルン放送交響楽団(1979年)・・・第1楽章「Allegro moderato」キモチ良く拝聴しつつ、一気に睡魔が襲ってきました・・・転(うたた)寝すると風邪ひきまっせ、そのまま二時間ほど二度寝。起きだして昨夜録画しておいた「リーガル・ハイ」スペシャル・ドラマ堪能、ガッキーのブス・メイクやら、ダサい衣装がカワいい!筋立ても深くて、納得のオモロさ、もう一回見たいくらい。
その後、思い立って床屋に行かなくっちゃ。徒歩20分ほど温泉風大型浴場へ、まずその横の散髪屋にてしっかり短く刈ってから”昼風呂”堪能いたしました。ぽかぽかと温かい気候に充実した休日也。
Bartok パントマイム「不思議なマンダリン」(全曲)/二つの肖像〜クラウディオ・アバド/ロンドン交響楽団/アンブロジアン・シンガーズ/シュロモ・ミンツ(v)(1982年)・・・Der wunderbare Mandarin/「中国の不思議な役人」とは訳し過ぎ、閑話休題(それはさておき)。残酷かつエロティックな筋書きに相応しい、暴力的作品!最高。クリアな音質は前提として、壮年期のアバド+ロンドン交響楽団は引き締まって美しく洗練され、技術的に優れ、リズム(変拍子)のキレ、迫力、色気にドキドキするほど痺れました。上手いオーケストラやなぁ。「春の祭典」に負けぬ魅力ありませんか、この作品は。アバドって、この辺りが一番良かったんじゃないか、ファンには申し訳ないけど。
作品のバーバリズムがすっかり気に入ってもう一発!Bartok 組曲「不思議なマンダリン」〜ロルフ・ラインハルト/南西ドイツ放送交響楽団・・・CDになってますか?LP板起こしのネット入手音源也。全曲30分曲、こちらやや省エネ20分弱。ま、暴力的な美しさに変わりはない。これって悪名高いVOX録音ですよね、おそらく1960年頃か。先のディジタル録音に比べ、さほどに遜色ないかなり良好な音質、打楽器の低音はこちらのほうが効いているくらい。オーケストラも現代ものに強くて、技術的にもかなりのもの。 Rolf Reinhardt (1927-)って、その後どこで活躍しているのか。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨日は終日(自分主催)行事対応、一昨日夕方から”肉体系労働”もあって昨日は一日中立ち詰め、腰辺り筋肉痛有。刷り上がった資料に上司からクレームが付いたけど(本質的でないところに妙なこだわりあるんだよな)ほぼ順調にコトは進んだと思います。本日、これより早朝出立、上司とともに取引先行事対応へ。正直なところやや準備に不安あります。肉体系労働連続はロートルにはツラいところ。昨夜(見るつもりもなく)映画「南極物語」(1983年)(初)拝見〜未だ若々しい健さん主演、ワンちゃんの物語だったんですね。最近すっかり老境に至った渡瀬恒彦もビックリするほど若く、重鎮・山村聰も存命、荻野目慶子は子役でっせ、我ら夫婦と同世代夏目雅子は輝くように美しい(亡くなる2年前)・・・佳人薄命也。
前回拝聴不本意な印象であったMahler 交響曲第6番イ短調〜ジュゼッペ・シノーポリ/フィルハーモニア管弦楽団(1986年)・・・セッション録音にて(ずいぶんと久々/全集入手は2008年7月)再聴いたしました。かつての記憶ではライヴ(シュトゥットガルト放送交響楽団とベルリン・フィル2種)に比べ、セッション録音はおとなしくてイマイチだったはず。ところが印象ガラリ変わって、細部迄明晰な音質に支えられ、微に入り細を穿つ表現が精緻繊細に伝わって、作品の怪しい美しさは(例の)清潔なオーケストラの響きに支えられ、オーケストラも鳴り切って聴き応え充分。現在の自分の嗜好では、こちらのほうにずっと好感を持ちました。力づくに非ず、微妙にうねうねやや遅めのテンポ、イヤらしい”歌”に溢れてたっぷり美しい、久々に”悲劇的”を堪能いたしました。
では、いつもより更に30分早く出掛けます。昨夜は睡眠不如意甚だしく、ちょっと体調心配。女房殿は昨日、検査が遅くなって大阪帰り断念、本日出発です。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
本日半年に一回の(自分主催)取引先呼んでの行事対応、半年前のは事前準備に少々失敗し(というか手を抜きすぎ)て周りにご迷惑をお掛けしたので、今回は準備万端(のつもり)です。それにしてもバラバラな職場やなぁ、前職場ではそんなことはなかった〜なんて一年、じつは自分の所属するグループの位置付けがそう(別物に)なっていることに、ようやく気付きました。半年掛けて融和と一体感を醸成してきたつもりだけど、歴史と文化は一朝一夕には覆りません。体調なんとかここ迄維持出来、明日取引先の行事対応終日、なんとか乗り切りましょう。
半年前とは業務への習熟度居合もちゃいまっせ、昨日もあっと驚く大トラブル残指摘有、一瞬冷や汗もじつは事前に回避済、その修正を失念していただけと気付きました。本日、女房殿検査通院〜そのまま定例大阪の実家へ。
R.Strauss 交響詩「ツァラトゥトラはかく語りき」〜ウィリアム・スタインバーグ/ボストン交響楽団(1970年)・・・10年ぶり再聴。テンション高い快速(30分を切っている)、飾りや詠嘆の少ないストレート表現、重量感ある華やかな響き、この人も自分なりのサウンドを持っていてピッツバーグ交響楽団録音同様、”金属的サウンド”強烈であります。アンサンブルに乱れはないのに、緻密よりラフな勢いを感じさせて、とてもわかりやすい”ツァラ”〜この作品は著名な冒頭さておき、けっこう難解な作品と思います。自分の所有しているCDはもちろんレギュラー盤、これっておそらく超・優秀録音なのでは?管楽器の奥行き、定位が鮮明であり、ヴァイオリン・ソロ(シルヴァースタイン)の美しさ、存在感をはっきり認識できました。
Debussy 前奏曲集第1巻〜ロベール・カサドシュ(p)(1953年)・・・LP板起こし自主CD也。この辺り、パブリック・ドメイン音源+αの音源もたっぷり入手済。30枚ボックス出ているんですね。第1曲「デルフィの舞姫」から怪しげな別世界に連れて行ってくださる、静謐なリズム調性を掴みきれない転調の連続に夢心地、大好きな作品はベネデッティ・ミケランジェリの濃厚濃密苦み走った演奏が出会いであり刷り込み。カサドシュはもっと自在に柔らかく粋、微笑むようなタッチが親しみやすいもの。音質も日常拝聴に問題ない水準でした。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
明日明後日に迫った行事対応、本日一日を残して事前準備を終えました。日常業務もスケジュール通りの進捗、いつもならガタガタ悪化する風邪症状は土俵際に留まって、なんとかクリア、本日は余裕の点検予備日となります。世間は総選挙へ〜これほど盛り上がらぬ、ぱっとせぬ選挙も珍しいのでは?投票率が低いのはアベちゃんの思う壺、ちゃんと投票するつもり。そういえば転居後初だったかも。
昨日、Mahler 歌曲集「こどもの魔法の角笛」〜エリアフ・インバル/ウィーン交響楽団/ヴァイクル(br)/フェルミリオン(s)(1992年)・・・お気に入りだったはずの一枚は、集中できず途中半分ほど拝聴ストップ。辛気臭いというか、なんというか・・・作品旋律も大好き、音質も自然でよろしいのになぁ、体調問題かも。関連情報検索してみると「角笛」って意外と全曲録音はないものなのですね。プロハスカ/フォレスター/レーフス(1963年)とか、著名なジョージ・セル/シュヴァルツコップ/フィッシャー・ディースカウ(1968年)、昔馴染みは多くて、そのことに気付きませんでした。
仕切り直し、出直ししましょう。
Bartok 管弦楽のための協奏曲〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1955年)・・・写真のCDは(モントゥー/北ドイツ放送交響楽団の「幻想」に続き)2枚目入手だったはず、とっくに処分してネット音源→自主CD化しておりました。大好きな作品、しかも30数分というお手頃なサイズ、CDも種々いっぱい出ていろいろ聴いております。でもね〜昨日同じ結論、オーケストラの輝かしさ、上手さ、テンションの高さ、飾りの少ないストレート系の表現+作品に寄せる燃えるような情熱+時代を感じさせぬ鮮明な音質、作品が作品だからその辺り効果は顕著。どこも凄いけど、とくに第5楽章Finale(Pesante - Presto)の縦線の合い方には唖然とするばかり。
同じオーケストラで小澤征爾が14年後に録音(EMI1969年)して、若々しい躍動は大好き、でも貫禄やら非情な厳しさという点で桁は違う感じ。
10枚組「From Paris to Vienna」3枚目。J.Strauss 円舞曲「ウィーン気質」(ウィリー・ボスコフスキー/ウィーン・フィル)/Heuberger(ホイベルガー1850-1914)喜歌劇「オペラ舞踏会」序曲(フランツ・マルスツァレク1900-1975/ケルン放送交響楽団Kolner Rundfunk-Sinfonieorchester) /Chabrier 交響詩「スペイン」(アタウルフォ・アルヘンタ/ロンドン交響楽団1957年)/ Lehar 円舞曲「金と銀」(ロベルト・シュトルツ/ウィーン交響楽団)/J.Strauss 喜歌劇「ジプシー男爵」序曲(クレンメンス・クラウス/ウィーン・フィル1951年)/Ziehrer 円舞曲「ウィーン娘」(ジョン・プリッチャード/ロンドン・フィル)/Suppe 喜歌劇「タンタロスの苦悩」序曲(ヘンリー・クリップス/フィルハーモニア・プロムナード管弦楽団)/喜歌劇「ファティニッツァ」〜 行進曲(ロベルト・シュトルツ/管弦楽団)/J.Strauss 常動曲(ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル1949年)・・・音質、オーケストラの音色のバラ付きが気になるけど、数度拝聴すると慣れます。昔馴染みの数曲+初耳作品(Heuberger/Suppe/Ziehrer辺り)どれも人懐こい旋律連続・横溢、間違いなくシアワセな時間を保証してくださる一枚也。クリップス弟は知っていた(「ドナウ川のさざ波」涙が出るほど!)けれど、Franz Marszalekは初耳、往年のオペレッタ指揮者らしい。ボスコフスキー、クレメンス・クラウス辺りはあまりに著名な音源、自信に溢れた歩み、シュトルツはいつも通りツボを押さえて雰囲気たっぷりに巧い語り口。このボックスでは渋どころを担当しているJ.P.は音質もよろしく、溌剌メリハリ有、カラヤンは颯爽としてカッコ良い。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
健さん追悼。あれほどカッコ良い男はもう現れない。
お隣の”ド残業”(どんなにお仕事量少なくても)先輩、珍しく昼から風邪で退去。自分は症状悪化せず現状維持との自覚、ところが昨日は諸実務処理のスピードが上がらないというか、作業途中ミス発見、幾度修正の繰り返し、フクザツなる定番作業の途中に次々挟まるイレギュラー処理依頼(締め切り消化順有)は、ノーミソ鍛錬に充分な効果有と思います。けっこう大苦戦いたしました。それでも基本残業なしパターンは崩しません。(その代わり一時間早く出勤する/スタートダッシュが重要)
近現代華麗なるオーケストレーションにはそれなりの音質が必要と痛感、R.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1954年)拝聴・・・60年前のテクノロジーは奇跡と呼ぶに相応しい鮮烈な鮮度!しかも(CD処分済)ネット音源からの自主CDでっせ。これが(聴いたことのない)高品質CDだったらどーなるの?オーケストラ圧巻の威力という意味では、ほとんど唯一カラヤンに対抗しうる存在か、テンションの高さ、アンサンブルの集中力、各パート多彩な個性主張(ハーセスのアクの強いトランペットをしっかり認識できる/当時33歳)、一方で恣意的な虚飾をほとんど感じさせないストレート系表現、賛辞は尽きぬ・・・こんなのが出ちゃうと後続は苦しいやろなぁ。問題は聴き手の健康のみでっせ、心身ともの。
痺れました。
Mahler 「大地の歌」〜ジュゼッペ・シノーポリ/ミラノ・スカラ座管弦楽団/ヴィオレッタ・ウルマーナ(s)/ヴォルフガング・シュミット(t)(1998年ライヴ)・・・先日久々の拝聴にぴん!と来なかった交響曲第6番(1985年ライヴ)は再聴の機会を伺っているところ。こちら、Mahler に縁のなさそうなオーケストラによる(おそらく)放送音源は音質良好、Mahler 中一番のお気に入りも最近拝聴機会激減、リファレンスはワルターの美しくも明晰な演奏でした。こちら(予想外と言っちゃ失礼か)オーケストラの充実した響き、細部うねうねしたシノーポリのイヤラしい表現(けっこう好み)、声楽はずいぶんとモダーンな印象がありました。さらりと聴いたばかり、もうちょっと聴き込みたい好感有。
Mahler 交響曲第10番 嬰ヘ長調(デリク・クック全曲完成版)〜マリン・オールソップ/ボーンマス交響楽団(2008年ライヴ)・・・これも(例の)ネット入手音源DVD保存(初)再生。入念な細部描き込み、スケールも大きく、目隠しすればこのオーケストラとは気付かぬ充実した鳴りっぷり、第1楽章「Adagio」に於ける落ち着いた歌、第2楽章 「Scherzo」のリズム感の良さ、第3楽章 「プルガトリオ(煉獄)」は怪しさ満載・・・終楽章(前から)心臓の鼓動を感じさせる強烈な大太鼓。演奏に文句なし。但し、音質の肌理の粗さには長時間(80分強)継続するには少々苦しいところ。
これにていちおうMahler 交響曲全曲拝聴成!あとは声楽の補遺(じつはいくつか聴いている)+再挑戦を検討いたしましょう。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
やや風邪気味、いつもは咽から症状発して一気に悪化するのに、日曜辺りから2日3日、体調は土俵際に留まって昨夜は早々に就寝、よう眠って快復に努めました。最低気温7度C、さすがに朝のウォーキングは寒く、このままなんとか週末(連続行事対応)迄保たせたいもの。昨日のお仕事宿題クリアは70%ほど、いくつか懸念が残って、まず本日明日の定例作業を乗り切りましょう。
Mahler (なんとなく)集中聴きもそろそろラストへ。コメント抜けたけど、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜ウィン・モリス/シンフォニカ・オブ・ロンドン(録音情報不明)は聴いておりました。(第8番と同時に)バランスの良さ、よう歌って美しいのはいつも通り。昨夜仕切り直しに聴いたのは、Mahler 交響曲第9番ニ長調〜レナード・バーンスタイン/ベルリン・フィル(1979年ライヴ)・・・誰でも知っている賛否渦巻く著名な”歴史的”録音であります。CD収録ナント!82分。自分の嗜好とは離れた熱狂熱血粘着質系演奏でも、バーンスタインの新旧Mahler は嫌いじゃありませんょ。あとはこの作品に作品に何を求めるか、Mahler の巨大なる世界はかつて、一大イヴェントとしての演奏だったはず、時代世代は遷って”日常”になりつつと感じます。先月拝聴したマイケル・ティルソン・トーマス(2011年シカゴ・ライヴ)は美しく洗練された完成度を誇って、情念とか入れ込みとは縁の薄い世界、そちらのほうを好ましく感じるように。編集してあるとはいえライヴ収録、あちこちアンサンブルの破綻が見えるし、バーンスタインは慣れぬオーケストラのコントロールに苦しんで、それはベルリン・フィル側から見ても同様でしょう。熱気、気迫みたいなものは充分伝わるけれど、音質含め”美しくない”〜しかし、全82分モウレツな緊張感を聴き手に強いるのも事実。ファンには堪らぬ魅力なのでしょう。これは日常聴きに相応しくない、一期一会的貴重な記録と思います。
眠らせてばかりのネット入手DVD保存音源より。R.SUTAUSS 交響詩「英雄の生涯」〜ジャン・マルティノン/ボストン交響楽団(1966年ライブ)・・・引き締まって知的な演奏は決して悪くない・・・けど、良心的なAM放送風、全然低音が足りず、この類の音楽にはそれなりの音質は必須、珍しい音源が嬉しくてどんどこ入手しても、それは音楽生活を豊かにするものではない・・・そんな当たり前の発見がありました。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
北側にあるパソコン・オーディオ部屋は異常に寒く、とうとうエアコンを付けたほど、ホットカーペットのみでは足りず今冬初稼働させました。油断して音楽聴きつつ読書〜居眠りしたら、ちょっぴり風邪症状へ〜気を付けんとな。今週は週末諸行事連続して、その準備含めて休めませんから。根性入れて出勤いたしましょう。下馬評通り翁長氏沖縄県知事選圧勝、米軍基地を県外へ、という願いは、実質上米軍を日本から外へということに等しく、これからが智慧の絞りどきでしょう。
昨日一昨日とネットより入手した音源DVD保存分、いくつか再生していたら、俄に虚しさを覚えて(人生の?)身辺整理を考えてしまいました。もうこれ以上”所有すること”に執着しても仕方がないじゃないか・・・「Herreweghe_Mahler 2」とかいう圧縮ファイルを閲覧したらファイル2個有、一個は仏蘭西語のアナウンス(解説)、もうひとつはMahler 交響詩「葬礼」(交響曲第2番第1楽章の初稿)〜フィリップ・ヘレヴェッヘ/シャンゼリゼ管弦楽団(録音情報不明のライヴ音源)・・・あちこちネットを探ってみたけどCDになっていないし、放送録音?詳細情報探せません。記憶では偶然(ファイルのみ)発見してダウンロードしたもの、内容(Mahler のなんの作品?「復活」かも、と)未確認でした。Brucknerにはイマイチ作品風情にフィットしない印象が強かった”古楽系”、こちら版の違い(途中明らかに馴染みとは異なる旋律やら、旋律担当楽器の違い有)親密緻密+柔らかい響き、威圧感の少なさを愉しみました。
もう一発、別ファイルMahler 「花の章」/さすらう若人の歌〜ダニエレ・ガッティ/フランス国立フィル・・・これはちゃんと情報完備・・・と思ったら、そのDVDはどこに仕舞ったか?今朝、もうわからない。録音時期も素敵なバリトンも忘却・・・(10)の箱かな?と目星をつけてようやく発見!2009年ライヴ、マルクス・ウェルバ(br)でした。やや肌理が粗く大味な音質だけど、濃密な集中力を堪能できました。「葬礼」+「花の章」+αなんて自主CDには趣き深いんだけどなぁ、ちょっと自粛中です。キリがないので。
音質といえばMahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1990年)・・・同じ旧EMI系のレーベルなのに、テンシュテットとは天と地ほど異なる鮮明な音質。あわててネットを探ってみたらちゃんとSACDになってましたね、こちらフツウのCDでも仰け反りましたもの。細部明晰な描き込み、適正中庸なテンポ設定、各パート際立つ美しさ、一糸乱れぬアンサンブルの集中力、縦線の整い方、キレ、鳴り切って芯のあるオーケストラの響き、恣意性を感じさせぬ旋律の歌・・・粘着質な詠嘆に非ず、贅肉脂肪分を削ぎ落とした”浪漫の欠片もない”演奏にも非ず、ほとんど理想的バランス。ややウケ狙い的作品(というか売れ筋「アダージエット」含んで、ウケ狙い的演奏も多いのか)をここ迄新鮮に聴かせて下さったのも、久々の経験でした。(中途半端に収集、それを処分して全集入手は2010年12月)
では、今週もなんとか乗り切りましょう。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨夜はご近所の高級中華(超・高級”餃子の王将”に非ず)にて、上品なお料理いただきました。美味しかったけれど、メニュー品数パターンが少ない、味が厭きる感じあるな、元より舌が上品じゃないのか。名古屋辺りは車社会であって、もう意地で”徒歩生活”続けております。いろいろ理由もあって、遠くないうちに自家用車生活復活必須、今のうちしっかり歩いておきましょう。ご近所には外車のディーラーや、高級車専門リストア会社がズラリ、もちろんフツウの中古車屋さんもあります。しかし、物欲をまったく感じない。欲しいものがない。食道楽別格として、物欲枯れ果てております。パソコンも(安いのばかり)3台(+タブレットPC)あれば充分、昨日は大阪の義母に頼まれて喪中はがき印刷(岩手の兄が亡くなったため/ギリギリまで会計の現役であった由)、プリンターは無線機能アウトになっているけど(激安エコインクにて)無事稼働中。
今朝のウォーキングよりダウンのジャンパー着用、昨日辺りから”冬”実感しております。体調維持、ここ数ヶ月耳鳴りの悪化を自覚しております。
野口 悠紀雄 「超「超」整理法」 クラウド時代を勝ち抜く仕事の新セオリー(講談社文庫)・・・自分のサラリーマン生活に多大なる影響を与えた野口先生の著作は最近読んでなくて、もう次の著作が出ておりました。生来の三日坊主体質、片付けられない性格のはずが、職場自分の机の上には(不在時)ディスプレイ+キーボード+カレンダーしかない(無線マウスは引き出しに仕舞う/もちろんパソコンも)。引き出しの中もスカスカ(最低限の紙情報を残して、どんどん捨てていく)〜パソコン+ネット時代に至って、諸資料は自分のパソコンに時系列順に並び、半年ごとくらいに古いのを捨てていく・・・付箋紙をいっぱいディスプレイ上に貼り付けている人がいるけど(本音では)あれはアホ。弱まったノーミソに当面忘れちゃいけない諸課題実務宿題のメモだから、終わったら剥がして捨てる、逆か?全部なくなるまでお仕事クリアするということでしょう。(やや中期的なものはメモ・ソフトを自動起動させて、そこに情報を残す。付箋紙だったら紛失するでしょ?)カレンダーソフトに締め切り明示も活用しております(ネット環境があればどこでも見られる)。その辺りの発想はすべて野口先生に学んだと自覚有。
この一冊ではGmailがデータベースになる、といった主張であって、お仕事ではメールは完全内製化になっているからGmailに非ず。但し、やっていることはまったく同じ。キーワードで要件検索、取引先との商談は基本月一回だけど、要件は思いついたら即情報流して(連絡いただいたもの含め)過去一ヶ月の未解決案件を印刷して資料に付け加えております。困ったのはメールの基本がわかっていない人(けっこう多い/自分も最低限要件のみ素っ気なくも非礼なのはさておき)〜例えばアカウントが”wabisuke”になっていて俄には誰かわからない(○×商事 凸凹支店 侘助太郎 とすべき)、題名に案件が載っていない(常に”云々商店です”という題名の人が存在する)、要件結論不明確("***について"、はアウト。"***でご迷惑をお掛けしている件の中間報告でございます"とか、"***の件、OKです"といった結論が欲しい。これは60%ほど不満有)
いずれ、キーワード検索は既に実践しておりました。資料を破棄してしまってもメール添付にはたいてい残っている・・・ま、そんなことを連想、しっかり確認しましたね。この辺り、ヴェテランは若い人に伝えないと、というか、ここ10年ほど新たにできた概念なんでしょうね。
【♪ KechiKechi Classics ♪】 +「音楽日誌」のサイト内検索も似たような活用だなぁ、なんせノーミソ弱まって記憶危ういですから。フツウのgoogle検索にて自分のサイト記事を発見することも多い。
Mahler 交響曲第2番ニ短調「復活」〜ミヒャエル・ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団/オイロパ・コール・アカデミー/バンセ(s)/カリッシュ(a)(1996年)・・・4年ぶり拝聴。2010年7月には
最高。ギーレンはムダを削ぎ落としてとことん低体脂肪/低体温的音楽を演る人だと思っていたけれど、ここで聴く限り壮麗なるスケールで迫力満載。旋律表現に前時代的誇張は存在しない(やや素っ気ない)のは事実ながら、響きの豊満に不満を感じません。細部、いままで気付かなかったような配慮でエグりだし、あぶり出して作品の真価を余すところなく伝えて下さいました。録音極上。
オイロパ・コール・アカデミーの壮麗なる響きに痺れ、少なくとも合唱に於いてこれ以上の水準を聴いたことはない。瑞々しく、厚みがあって整然、二人のソロも文句ない充実ぶり。おそらくは数々聴いた「復活」中のヴェリ・ベスト也。
との感想有。この嗜好は寸分の変化もなし、ブーレーズとかクール、素っ気ない知的、体脂肪低い筋肉質演奏が好みです。もちろん声楽の扱いもポイントでしょう。最高。
昨日のMahler 交響曲第6番イ短調〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュトゥットガルト放送交響楽団(1985年ライヴ)最終楽章のみ自宅コンポにて再聴。若い頃あれほど感動したのは幻?音がスカスカなんです。アンサンブルの密度もいまいち・・・ちょっと時間を置いて再確認いたしましょう。ちょろ聴きのみで見捨てませんよ。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
せっかくの充実したお仕事も、ちょっと不快なことがあって気分的に瓦解、ま、自業自得なので仕方がない。週末のお休みを堪能いたしましょう。トンデモ早朝覚醒してしまって、音楽など静かに拝聴してから寒い暗闇にウォーキングへ。早朝お仕事に出掛けるであろうオジサン一人、迎えの車を待っておりました。若い女性が自転車で朝一出勤?皆、偉いですね、一生懸命働いて自分とは大違いだ。自分は肩の関節など微妙に痛みはあるけれど、基本体調維持出来。女房殿はやや不調が継続して「音楽日誌」に詳細書かんでくれ!と苦情有。(知人には【♪ KechiKechi Classics ♪】の存在など誰でにも教えていないのに)先月上司に大阪の義母の関係で異動願いを上司に頼んでみたけど、エラいさんにはちゃんと申し伝えた、とのこと。但し、上手いこと”空き”があるかどうかは微妙。それにあちらは激務だからねぇ、それも悩ましい。先がないのに、こき使われるのも悔しいところ。
昨日は社用車高速使わず取引先迄往復70km、というか、前回高速を使ってみたけれど、あまり時間変わらんかったので。車中音楽しっかり拝聴しました。Mahler 交響曲第6番イ短調〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュトゥットガルト放送交響楽団(1985年ライヴ)・・・これぞ若い頃、FM放送にて出会った(カセット・エア・チェックした)演奏、怪しい作品魅力を発見させて下さった演奏そのもの。当時、貧しかった若者(ウソ?当時女房殿とWインカム+一人息子生まれたばかり。けっこう収入はあって車2台有。バブル時代でんな)はMahler の長大なる作品を、ほとんどFMから学んだと記憶します。やがてCD化され2011年4月頃(東日本大震災直後)曰く
尋常一様ではない緊張感、集中力、揺れ動き、旋律をよく歌わせて、とことん怪しい雰囲気満載。サウンドは洗練され、アンサンブルは緻密であり、オーケストラは鳴り切って、ド迫力。”揺れ”は見事に決まって流れに不自然さはない。金管高らかに鳴り響いて、打楽器の重低音、弦は明るくテンションが高い〜終楽章に焦点を当て、ダメ押しのように興奮が押し寄せます・・・ヴェリ・ベスト。断言いたしましょう。
ふ〜ん、そうだったのか・・・昨日は車中騒音のせいか集中できず、粘着質な揺れ動きは理解できても、上記ほどの大絶賛?てな感じ。そもそも、あまりの悲痛な作品旋律リズムに拝聴機会は激減して、最終楽章「Finale.Allegro moderato-Allegro energico」の悲劇的熱狂を受け付けぬように・・・テンシュテット(1983年)の叫びに心底感銘を受けたのは未だ20世紀中であったか。第3楽章「Andante Moderato」に好感を持ったのは、加齢による緩徐楽章への嗜好か。冷却時間を置いて再びトライいたしましょう。
10枚組「From Paris to Vienna」/「Unforgettable Melodies From The Golden Age of Light Music」2枚目。Offenbach 喜歌劇「地獄のオルフェ」〜「カン・カン」(ロベルト・シュトルツ/管弦楽団)/Auber 歌劇「フラ・ディアボロ」序曲(エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団)/J.STRUSS 円舞曲「ウィーンの森の物語」(ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル)/Waldteufel円舞曲「スケートをする人々」作品183(フランツ・バウアー・チューセル/ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団1981年?)/Ziehrer 行進曲「軍服の魅力」(ロベルト・シュトルツ/管弦楽団)/Suppe 喜歌劇「ボッカチオ」序曲(ウィルヘルム・シュヒター/北ドイツ放送交響楽団)/Lanner 円舞曲「シェーンブルンの人々」(ジョン・プリッチャード/ロンドン・フィル)/ J.& Josef Strauss ピチカート・ポルカ(ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル)/J.Strauss 円舞曲「南国の薔薇」(フェレンツ・フリッチャイ/RIAS交響楽団)/Bizet ファランドール(ヘルベルト・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団)・・・じつは(昨日朝)未だ3曲目迄しか聴いていなくて、これから全部拝聴します。音質まずまず。シュトルツはツボを押さえて馬鹿騒ぎ愉しさ満載、「天国と地獄」なんて数十年ぶりの拝聴じゃないか。(要らぬ薀蓄Saint-Sae"ns「動物の謝肉祭」〜第4曲「亀」はこの旋律を静かに、ゆっくり演奏したもの)、Auberの作品は初耳、ここでアンセルメ登場とは!粋な小品に小味な色気有。1940年代のカラヤンはウィーン訛りのリズム+細部入念な仕上げ+色気はお見事!但し、後半のツィター・ソロが略されてガッカリ。残る収録も興味ソソるものばかり。
・・・全部聴いて続き。チューセル(トイスル?)はWaldteufel担当だったのか、馴染みの懐かしい旋律(大昔カルピスのCM音楽)はまずまずの出来。シュトルツのZiehrerのノリに文句なし、「ボッカチオ」序曲は初耳、懐かしいシュヒター登場、やや四角四面におカタい表現であります。(話は逸れるけれど例の「第九」ってハンブルク放送交響楽団?ほんまに北ドイツ放送交響楽団なのか)J.P.は往年の穏健派英国指揮者だけど、ウィーン交響楽団との録音もけっこうあるから、この辺りは得意だったのでしょう。音質も良好、雰囲気も上々。カラヤンの語り口の上手さは先に言った通り、フリッチャイのモノラル録音はリズムを強調して、硬派でした。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨日のお仕事は充実していたけれど、それなり純実務的な”気が重い”お仕事残有、ま、なんとかするけど、思うようにならん、悩ましい、といった夢に苦しんで早朝覚醒いたしました。薄ら寒い早朝の空気の中、ウォーキング実施、ラスト公園鉄棒でのストレッチ中、満天の星空+上空に欠けた小さな月に気付きました。昨夜、わかぎゑふ「正しい大阪人の作り方」 (集英社文庫) 読み始めたら抱腹絶倒!(まだ最初のほうちょっぴり)名古屋の職場ってなんて静か過ぎ(異様なほど)と思っていたけれど、”あほか!ボケカス”野次怒号飛び交う大阪の職場が異常だったのかも。ボケ、ツッコミの受け応えは訓練なんやろな、日常の。引かれる例示のリアルさに感動すら覚えました。侘助。おすすめ度☆☆☆☆☆(予測)。
Mahler 交響曲第3番ニ短調〜ヴァーツラフ・ノイマン/チェコ・フィル/キューン児童合唱団/クリスタ・ルートヴィヒ(ms)(1981年)・・・薄味好みの源泉はこの辺りにあるのかも。サイト内検索を掛けると全集は2008年夏頃入手、曰く
素朴で味わい深くマイルドな響き、先鋭と無縁なるムリのない表現、激昂しない穏健と安寧。でもテンションが落ちたり、緩んだりするわけじゃないんです。声楽の扱いも(いつもながら)上手いですね。終楽章の静かな感動も圧巻です。録音も極上の自然体。
とのコメント有。なるほど。やや速めのテンポは淡々として、ほとんど虚飾(色付けも工夫も詠嘆)もない。(終楽章はわずか20分)ニューヨーク・フィルはサウンドそのものがあまり好みではない(自分の嗜好に非ず)と自覚したが、こちらあまり上手くないオーケストラのサウンドがジミジミ胸に染みる、味わい系極北か。弦は有名だけど、金管の音色はジミな色気、長大なる作品を音量低く、静かに、噛み締めるように味わって厭きることはない。長大、しかし牧歌的風情にあふれる旋律に似合う演奏と感じます。(脳裏にはショルティ/シカゴの対極が蘇りました)今更蛇足ながらクリスタ・ルートヴィヒの深々と落ち着いた声質、最高。
今なら11枚組6,581円(税込)なんて贅沢できまへんで。今朝、思い立って第1楽章(エドゥアルド・ファン・ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団1957年ライヴ)確認再聴したけど、モノラルながら音質良好、オーケストラ圧巻の厚み、暖かくも芯のあるサウンドに痺れました。Mahler には音質条件必須だけど、これは例外中の例外。
Mahler 交響曲第4番ト長調〜エドゥアルド・ファン・ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団/マーガレット・リッチー(s)(1951年)・・・これは英DECCA録音でしたっけ?(PHILIPSレーベルを衣替えするからオールド・ファンの記憶は混乱しがち)超・個性満載メンゲルベルクの跡を継いだベイヌムは、これからステレオ録音本格化!といった時期に亡くなっちまって残念(58歳でっせ、もったいない)。オーソドックスなバランス感覚はオーケストラの個性を活かして、残された録音には注目すべきものが多いと思いますよ。先のライヴ同様、モノラルながら音質(更に)良好、オーケストラ圧巻の厚み、暖かくも芯のあるサウンドに痺れる・・・大好きなMahler 全曲中第4番のみ少々苦手、という印象もこの演奏なら一掃されること請け合います。但し、マーガレット・リッチーの歌い方は明晰明快だけど、少々昔風に硬派じゃないか。もっとマイルド・セクシーに甘い声質を期待したいところ。
先の第3番も含め、パブリック・ドメイン音源自主CD也。ノーミソがMahler の甘美、息の長い旋律を欲している今日此頃であります。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
ずっと眠りが浅い自覚有、早朝には左足が攣って難儀しました。体調はなんとか維持、数日前の倦怠感はありません。しっかり、根性入れて短時間、早朝ウォーキング継続。本日明日と取引先との定例商談有、週次サイクル作業はほぼクリア、来週以降の行事準備も概ね先が見えて精神的には今週終えたような気分也。今朝の朝日新聞、例の吉田調書に係る”誤報問題”、記事全文再掲+PRC(中華人民共和国に非ず「報道と人権委員会」)長大な検証全文掲載・・・正直全文読む気がおきまへん。16面(名古屋版)抜粋のみしっかり拝読させていただいて、いつもの時間配分崩れました。年末総選挙へ、ようワカランな。意義も争点も結果見込みも、大阪市のハシモトさんが再選挙強行したみたいなもの?
amazonマケプレよりCD届きました。ほとんどパブリック・ドメイン音源中心寄せ集めDOCUMENTS10枚組「From Paris to Vienna」、副題は「Unforgettable Melodies From The Golden Age of Light Music」。さっそく一枚目拝聴。Offenbach 喜歌劇「パリの生活」序曲(ヘルベルト・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団)/Suppe 喜歌劇「ウィーンの朝昼晩」序曲(ジョージ・ショルティ/ウィーン・フィル1958年)/Josef Strauss 円舞曲「わが人生は愛と喜び」(ウィリー・ボスコフスキー/ウィーン・フィル)/Suppe 喜歌劇「怪盗団」序曲(クルト・クレーメル/ケルン放送管弦楽団/ルネ・コロ(t))/Waldteufel 円舞曲「黄金の雨」(フランツ・バウアー・チューセル/ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団1981年?)/J.Strauss ポルカ「電光と雷鳴」(ロベルト・シュトルツ/ウィーン交響楽団)/円舞曲「春の声」(クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル)/Offenbach 喜歌劇「山賊」序曲(ピンカス・スタインバーグ/ケルン放送管弦楽団)/J.Strauss 円舞曲「美しく青きドナウ」(ヘルベルト・カラヤン/ウィーン・フィル)・・・作品の愉しさはどれも折り紙つきだけど、録音時期も音質もバラバラ、個性も種々多様、正直言って少々聴き続けるは少々ツラいもの。ケルン放送管弦楽団(!?)の2曲が比較的新しいと類推されるけど、聴き易い音とは限らないので要注意でっせ。(「怪盗団」にはちょっぴり音の揺れ有)冒頭の2曲(1950年代録音)は少々デリカシーに欠けます。賑々しい迫力、躍動、メリハリは充分、たっぷり。
OffenbachとかSuppe辺り、ふだん真剣に聴かんからな。軽音楽って、もう死語かも。久々虚心に、ほぼ馴染みの旋律しっかり味わいましたよ。「わが人生は愛と喜び」題名に相応しい涙モンの名曲名旋律〜ボスコフスキーにはヤワ?な先入観があってあまり聴いていないけど、それなり手慣れて悪くないですね。ルネ・コロの甘い声も聴けました。Waldteufelの作品は初耳、いつもの優雅な風情満喫できるのは演奏も良いからでしょう。フォルクスオーパーのオーケストラが一番マイルドに耳馴染みます(音質バランスもよろしい)。シュトルツの「電光と雷鳴」ノリノリ元気一杯最高!(二度聴きました)カラヤンの「美しく青きドナウ」は1940年代のEMI録音かな?音質はずいぶんと改善され、粋な雰囲気でした。
なんとなくMahler 拝聴継続していたけど、一休み中。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
小雨模様の朝、決意通り(ちょろ)ウォーキング再開。首筋咽辺り膏薬貼って不快感除去に努め、早めに就寝(眠り浅いけど)短い時間でも毎日の繰り返しは大切なケジメ、気分転換と自覚いたしました。昨夜より、パソコンオーディオ部屋に電気カーペット通電開始、それでも本日予測最高気温20度C。今朝の新聞によるとナンシー関心臓疾患による急逝後12年、東京では展覧会が開かれるらしい、名古屋でも開催されんのか、ぜひ全貌を拝見したいもの。消しゴム版画+辛口世評、現在ならマツコDelux的な立ち位置か?
音質印象か?一度のみの拝聴では結論安易な(イマイチ)ニューヨーク・フィルに対比して、Dutilleux メタボール/Stravinsky 三楽章の交響曲〜アラン・ギルバート/ボストン交響楽団(2013年ライヴ/ネットより配信されている音源より)・・・メタボールは1964年クリーヴランド管弦楽団(ジョージ・セル時代)の委嘱作品だったのですね。かなり以前よりシャルル・ミュンシュのCD(フランス国立放送管弦楽団1967年)を拝聴していたはず、じつはまったく別作品との記憶違いと昨夜気付きました。キラキラ輝くように繊細、美しい変奏曲に仕上がった17分ほどの作品、アンサンブルの緻密な集中力、完璧な仕上げはライヴとは信じられぬほど。音源の性格上、編集されてませんよね。大好きStravinsky中数少ない苦手系作品である「三楽章の交響曲」も、細部クリアに表現され、ごりごり威圧感を伴わない(作品との出会いはユージン・グーセンス/ロンドン交響楽団〜これがよろしくなかったのか)、オーケストラのサウンドそのものが洗練され、ホールトーンも理想的、これからの世代である半分日本人・アラン・ギルバートはまだ数種しかCDを聴いていないけど、愉しみであります。本拠地であるニューヨークではどんな評価なのか。
Mahler 交響曲第7番ト短調〜ハンス・ロスバウト/ベルリン放送交響楽団(1953年?)・・・久々の拝聴理由は、ボロカスな世評を拝見したため〜曰く、音がヒド過ぎ、オーケストラがヘタ過ぎ(複数評)。そうかぁ、これが作品との出会い、我が耳は未熟だった(または腐っていた)のか。(録音は意外と明快で聴きやすい、と)9年ぶり?拝聴は、意外と明快とまでは云わぬけれど、音楽鑑賞に支障あるほどに非ず、オーケストラはあまり上手くはないが、危うい濃密風情はたっぷり、第7番ってこんな怪しい作品との刷り込み、久々に思い出して、妙に満足いたしました。最近のスッキリした流暢な”上手い”オーケストラにはないテイストを堪能いたしました。なんせこれで作品に出会ってますから。それにしてもSymphony Orchestra of Radio Berlin、現在のベルリン・ドイツ交響楽団だったら表記はRIAS交響楽団のはず、もっと上手いオーケストラでしたよ。Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin(旧東)でしょうか。ワカランなぁ。
では行ってきます。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
寒いですね。体調よろしくなく連続ウォーキング休止、数年継続して連続休止は豪雨(またはインフルエンザなど)以外経験なし。食欲は落ちていないけど、首背中の不快感かなり有、休みたいくらいですよ。もとよりあまりオモロないお仕事、諸行事の準備が迫っていて+日常業務も山場故休む選択肢はありません。日中首脳は無表情のまま久々の握手、新聞の記事によると、ナショナリズムを煽って人気を得るというパターンは洋の東西を問わず常套手段なんだそう。昨夜も(ここ最近)テレビ・ドラマはほとんどツマらない、キャストの当てはめ方が滅茶苦茶、筋書きも違和感ばかり、質の低下は目を覆うばかり。
Mahler 交響曲第1番ニ長調(1883年ハンブルク稿)〜ウィン・モリス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970年)・・・作品の成立経過、内容はWiki参照お願い。売れ筋交響曲もいろいろ苦労して現在の姿になっているのですね。2013/4年にヘンゲルブロックが録音しているようだけど、こちら40年以上前のハシリ、音質かなり良好です。美しい「花の章」の正式採用はここ迄、他細部馴染みの旋律が別な楽器に置き換わったり、様子が異なることは理解できても、表現指示の問題は指揮者の解釈なのか楽譜なのか、ド・シロウトには俄に判断できません。ウィン・モリスは意外とバランス感覚な指揮と思うけど、聴き慣れた作品旋律は時に微妙に響きが薄かったり、詠嘆に揺れる(と信じてきた)部分がさっぱりと流されたり、妙に怪しく、そして新鮮でした。ニュー・フィルハーモニアは上手いですね。明るくキレのある響き、慣れぬ楽譜ものともせず、アンサンブルの完成度は高いもの。
●
微妙に体調よろしくなく、いつにも増して早めに出勤、昼休みもお仕事継続して一区切り、早退いたしました。目眩というか、後頭部がぼんやりしているというか・・・明日は根性入れて、早朝ウォーキング強行決意しました。ここで挫ければだらだら安易堕落の崖を真っ逆さま〜そんな可能性も。帰宅してゆっくり読書しつつ、音楽など聴いておりました。
澤口俊之「あぶない脳」(ちくま新書)・・・なかなか興味ふかい”脳の進化”論議、連載の再編集らしく、内容はやや雑然として取り留めはない感じ。ワタシ如き不遜やけど、文書にもクセがあって流麗に非ず。白眉はラスト「老いて育つ脳」〜種の保存の観点から考えると、人間40を過ぎたら存在の意味はないはず。しかし「結晶性知能」は高齢になっても発達する、単純な記憶力計算力のピークは20歳くらい、しかし人類の進化はもっと深いところに至っていたのですね。そういえば社会的指導者にはけっこう高齢の方もいらっしゃいますもんね。
R.Strauss 交響詩「ドン・ファン」/交響詩「死と変容」/最後の4つの歌〜クルト・マズア/ニューヨーク・フィル/デボラ・ヴォイト(s)(1998年)・・・先日Tchaikovskyを聴いて、ちょっぴり見直したクルト・マズア。じゃじゃ馬オーケストラのバランスを整えたのが彼、という(団員の)コメントも伺って興味深まっておりました。(またまた)不遜やけど、整ったアンサンブルは悪くない、といったところか。質実抑制された表現+輝かしいオーケストラの音色もバランス重視やや控えめ、語り口の華やかさ上手さではマゼールのほうが上でしょう。もしかしたら音質印象(+我が貧者のオーディオ責任)かも。脳裏にはベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ドレスデン、シカゴ辺りの刷り込みがあるのか・・・どーもサウンドが平板に感じます。
ダイエット(胃のバイパス手術)で一躍有名になったDeborah Voigt(フォイクト?)は「しみじみ人生の黄昏」に相応しくない、強靭な輝かしさ。R.Straussもなかなかムツかしいもんです。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
眠り浅い自覚あって今朝も体調よろしくない。ウォーキング休止。新しい一週間を迎えるべき(心身とも)新鮮な状態に非ず。昨日は夜ご近所ショッピングセンターに外食しに行ったくらい、引き隠って読書、音楽三昧+2時間ドラマの録画確認(ロクなものなし)。ここ数年、NHKドラマは上質であってぼちぼち最終回へ向かっているドラマ「昨夜のカレー、明日のパン」(原作はベストセラー小説だそうな)・・・キャストの個性描き分け見事。昨夜の仲里依紗〜彼女、結婚出産を経てますます魅力的になったな、あれアイ・ビー・ルックっていうの?素敵な服装でした。片桐はいりの怪演ぶりは健在、ちょっぴりヘンコツな役どころ・ミムラは以前から大ファン。筋書きらしい筋書き、劇的展開もない、淡々とした心象風景の描写、変化はツボでした。
昨日のアバド以来久々ノーミソはMahler MODEへ。Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜ウィン・モリス/シンフォニカ・オブ・ロンドン/New Philharmonia Chorus/London Bruckner-Mahler Choir/Ambrosian Singers/Orpington Junior Singers/Highgate School Choir/Finchley Children's Music Group/Joyce Barker, Elizabeth Simon, Norma Burrowes, Joyce Blackham,Alfreda Hodgson, John Mitchinson, Raymond Myers, Gwynne Howell(1972年)・・・珍しい音源でしょ。拝聴三年ぶり、ウィン・モリス(1929-2010)はMahler に名演奏を多く残して、経歴を見ると合唱畑の人なんだな。油断すると阿鼻叫喚混沌混迷の渦に巻き込まれる作品、音質も良好、声楽扱いの上手さ、解像度の良さ、バランスに驚かされます。オーケストラは指揮者が寄せ集めた団体(数枚の録音有)に技量の不足を感じさせず、ゆったりとしたテンポ設定にリキみなし(第2部は66:20!)よう歌って細部、各々の声部を明快に、ていねいに美しく再現して巨魁なる作品の魅力を余すところなく表現して下さいました。
久々、ワケわからん(風)大曲!たっぷり、堪能いたしました。LP時代に聴いていた交響曲第2番ニ短調「復活」のみ、音源を探せません。CDになっていないのかな?
Mozart 交響曲第38番ニ長調「プラハ」K.504 〜ルートヴィヒ・ギュトラー/ヴィルテゥオージ・サクソニエ・・・続いて第33番 変ロ長調K.319有、今回拝聴ならず。1986年結成Virtuosi Saxniaeはシュターツカペレ・ドレスデンの首席メンバーによって構成されるとのこと。数多く録音も存在するのに、日本ではほとんど話題にならぬモダーン楽器団体(かなりスッキリ軽快な古楽器テイスト)、奇を衒った表現に非ず、オーソドックスなバランス+ヴィヴィッドな躍動、クールなサウンドはほとんど理想的、現状自分の嗜好にもっとも沿うもの。音質も極上でした。
他、読書にもいろいろ発見。頑張って出勤してきます。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
もう11月も中旬、なのに今朝ウォーキング兼コンビニ行きも妙に暖かい。どんより曇り空。昨日通院ハシゴ、けっこうな坂道を行ったり来たり、適度な運動のせいかよう眠れましたよ。少々寝坊気味。一昨日の酒席を思い出して、そういえばあまり金銭に執着のない人々(余裕有)だけど、財テクとかやっていたんだな、自分には一生縁がないでしょう(ちなみに博打パチンコ競輪競馬競艇関係も)。今朝の朝日新聞にも「上手く行って少々高い利回りより、家計の節約ムダのほうが成果有、優先事項」との記事がありました。8年程ぼちぼち続けたオークションCD処分もけっこうな現金になったのかも。
本日の宿題は(一週間サボった)【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新やな。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜クラウディオ・アバド/ベルリン・フィル(1991年ライヴ)・・・(2011年4月の印象は)
オーケストラの上手さは驚異的。弦の響きがシルクのように鈍く輝いてゾクゾクするほど。弱音で音楽の姿が”弱く”ならず明晰、最強音の鳴りっぷりに文句ない迫力を感じさせても響きは濁りがない。洗練を失わない。細部の仕上げ、全体の構成、流れにムリがない。ほとんど飾りがない、自然な歌に溢れている・・・こどもの頃より聴き慣れた作品が、なんと新鮮に響くことかっ!
・・・これではっきりした。その後転居有オーディオ環境はそれなり改善しても、聴き手の感性劣化は如何ともし難い。どちらかと言うとエグい変化際立つような演奏より、粛々と微細なニュアンス系が好みだったのに、薄味淡々とした時間が流れていくばかり〜そう感じるのは耳の味覚が鈍くなっているから。最終楽章に至ってようやく、曇りも衒いもない清潔な爆発に快感を覚えたものです。熱狂的な拍手にライヴであることを思い出しました。ま、編集してあるんだろうけど、そのくらいみごとなアンサンブル。
あとは昨夜の話題の流れ。保存音源DVDから直接再生確認して、ちょろ聴きばかり、そんな姿勢が一番よろしくありません。音楽は真面目に、ちゃんとひとまとまりにして聴くべきでしょう。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
昨夜、珍しく胃の調子いまいち〜諸先輩との宴会居酒屋突入前、整腸ドリンク服用して、フツウにお付き合いして遅く帰宅いたしました。幾度酒席を重ねても話題は尽きぬものですね。お仕事は先週来のトラブル最終処理、いくつかの残課題クリアして、粛々淡々順調に実務処理済、冷静に考えると膨大なる量をこなしているかも。遅くまでテレビを見ていたせいもあって、今朝はいつもより寝坊、恒例ウォーキング実施、これより皮膚科へ〜混むから早く並ばないと・・・
半年ほど前機種変更となった業務用支給Wifiは、業務用ウルトラブックしか使えないと思っていたけど、設定で自宅私用に流用できることを(ようやく)発見!ま、そうなんだろうな、出先でネット環境を使う機会はなかったので、切迫していなかっただけ。自宅には無線LAN環境整ってますから。(ここで中座)
●
大人気混雑する皮膚科はうまい具合に5番目位に滑り込み、早く終わったので、ついでに眼科(眼圧)や血圧の定例検査、通院のハシゴ、いずれも正常値コントロールでした。めでたい。ドライ・アイ用の目薬も処方していただきました。
昨夜名古屋駅辺り往復中拝聴した音楽は、Haydn 協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105 作品84(ヴァイオリン・チェロ・オーボエ・ファゴットと管弦楽のための)〜アンタル・ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ/イシュトヴァン・エングル(ob)/ラズロ・バラニャイ(fg)/イゴール・オジム(v)/ゾルタン・ラクツ(vc)(1974/72年)・・・人気知名度さておきMozart に負けぬ素敵な名曲ですよ。既に解散したオーケストラは、この頃が絶頂期だったのでしょう。現在では珍しくなくなったHaydnの交響曲初全集、音質も瑞々しく、おそらく団員と類推されるソロも文句なく上手い。ドラティの録音をそう多く聴いていないけど、1960年頃のはどーも四角四面、生真面目過ぎてツマらない〜そんな不遜な印象を抱いておりました。十数年経ったこの演奏には躍動感溢れ、オーケストラに色気不足も感じさせません。
●
久々の出張で久々iPodを利用したことをキッカケに、ディジタル・オーディオ化のことを再考しておりました。ラトックシステム USB Wireless Audio Adapter REX-Link2Sは2012年11月入手済、その後、転勤になってお仕事やら日常生活スタイルやら変わってしまって、ほとんど使用機会を失いました。CDという形態にこだわる必要なくデータそのまま愛用のコンポにて音楽再生環境は整っておりました。いくら安くてもCDRを自主CD化するには手間も掛かるし(かなり整理しても)少々貯まり過ぎて、整理も追いつきません。時にその存在さえ忘れてしまう・・・ネットから入手した音源もDVDに数百枚分となって、一生掛かって聴きけない物量に至りました。
CDはもちろんデータだってムリヤリ入手する必要はない、youtubeからそのまま再生したら良いんです。そのことは「幻想交響曲」(ピエール・モントゥー/ハンブルク北ドイツ放送交響楽団1964年)との再会で痛感いたしました。更に数日前のカラヤン拝聴、これが決定的事件。先ほどデータのままオーディオ・コンポにデータを飛ばして拝聴いたしました。iPodの感動は間違いなし。
続いていくつか、DVDに保存してある音源データ(各々圧縮してある)を解凍せず、閲覧モードからそのまま再生しても音質的に問題なし。そのことは2年前から知っておりました・・・でもなぁ、なんか違う。たんなる懐古趣味、慣れ、旧態な思想を引きずっているだけ?こどもの頃、宝物を抱えるように大切に聴いていたLPの有難味、初めて手に取った虹色に輝やくCDの美しさ(それがモントゥーNDRの「幻想」であった@2,800也)その思い出から抜け出せない、忘れられない。
・・・徐々にそんな時代に変わっていくのだろうけど、少しずつ、ちょっとずつ、手探りしつつといったところ。本日半年ぶりにamazonからCD注文しました。(ギフト券残っているので)いったりきたり。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
出張すると早朝ウォーキングはできないので(靴や服装問題有)久々にキモチがよろしい。暖かいですね。珍しくホテルではよう眠れ、帰宅したらなぜか睡眠不如意、眠り浅く早く目覚めました。先々週怪しかった風邪症状も無事クリア、二日間の職場不在も会議中精力的に内職済、本日残務一掃できそう。夜は定例、ご当地在住諸先輩との定例呑み会、ここ最近呑めなくなっているの自覚もあって、少々気は重いけど欠席の選択肢もあり得ません。
西村 淳「名人誕生―面白南極料理人」 (新潮文庫) ・・・「面白南極料理人」の続編というか、内容的にはその前段の部、といったところ。所謂プロの文書じゃないから、流麗洗練から程遠い、しかしリアル、躍動が伝わる抱腹絶倒の熱気が伝わります。(小さかった娘さんとのお別れが涙を誘う)映画(2009年)(ロケは網走)もオモロかったけど、主演・堺雅人は優男風、著作から伝わる粗々しい体育会系とはイメージ別物。西村さんは1952生まれだから後期団塊の世代?ちょっとズレるか、バブル時期(1988年 - 1990年)と崩壊後(1996年 - 1998年)二度南極越冬しておりました。そういえば二度目のは本になっているんでしょうか。ま、みごとに変人ばかり登場して、ニヤニヤ連続元気になれる一冊也。
出張中iPod拝聴に発見有。Beethoven 交響曲第3番変ホ長調「英雄」/第4番変ロ長調/第7番イ長調〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1962年)・・・パブリック・ドメインだし、良質な音源はネットより入手済、経緯や技術的云々に疎いリスナーは、なんやら高品質テクノロジーを駆使した音源(所詮.mp3)を再入手、放置しておりました。これが(SACDならぬiPodでも)目の覚めるようにクリア、オーケストラの質感、厚み、各パートの存在感、惚れ惚れするほど美しい音色を堪能いたしました。かつて聴いていた韓国製駅売海賊盤(音質なんのその!魂で聴け、と)の記憶を嘲笑うかのように印象一変!かつてメジャーの代表、権威権力の権化として嫌っていたカラヤンも半生記を経、冷静に拝聴すれば颯爽としたリズム、バランス感覚有、カッコ良さ際立ってみごとであります。細部、時にリズムが微妙にズレるのもリアル、華やかな印象はローター・コッホ(ob)の明るく浮き立つような存在なのでしょう。フルートもホルンも痺れるほど深く、美しい。
基本、古楽器の素朴粗野、軽妙なリズムのリズムのキレを愛するけれど、Beethoven 作品にカラヤンをリファレンス、スタンダートと認めるに吝かに非ず。こどもの頃より食傷気味に拝聴してきた名曲中の名曲を新鮮に再発見いたしました。オーディオ環境改善には縁のない生活だけど、”より佳き音源を求めて往年の巨匠フルトヴェングラー幾種入手!”みたいなキモチ、ちょっぴり理解できました。
Dvora'k 交響曲第4番ニ短調作品13(B41)〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(1977-81年)・・・こちらお馴染み、いつものCD、ド・シロウトにはこれで充分、贅沢言いまへんで。先の(旧西)スターオーケストラに比べ(旧東)のオーケストラは質実マイルド木目の手触り、別な魅力たっぷりあります。第2楽章「Andante sostenuto e molto cantabile」〜ホルンの静謐な重奏から始まる絶品変奏曲!例えば交響曲第8番ト長調第3楽章「Allegretto grazioso - Molto vivace」のワルツ、交響曲第7番ニ短調「Scherzo: Vivace - Poco meno mosso」懐かしい民族的な旋律を凌駕する(泣けるほどの)美しさを発見いたしました・・・と、いうか、ずっと以前に好感を以って拝聴していた”美しいもの”をようやく探し当てた、といったところ。Wagnerの影響顕著な風情有。残りの2楽章は少々俗っぽい、わかり易すぎるかと。
では、行ってきます。久々の職場であります。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
(在東京ホテル二日目)いくらお義理出席+内職も充実した会議も出張連続はカラダにツラいもの・・・たしか、母親は本日午前の便で北海道の便で帰るんだっけ。元気な母親に孝行するのは幸せなことだけど、日常生活リズムがガタガタになるのは勘弁してほしいのが正直なところ。職場のウルトラブックは薄く、高性能、外出先でも使い放題だけど、カスタマイズ不可(でもないけど)USBは読み込みのみ可能、但し書き込めないから「音楽日誌」更新不可。ホテルの共用パソコンにて更新しております。ChromePortableのバージョンが旧いらしく、あちこち不具合有、帰宅したら仕込み直しましょう。
●数日ぶりの自宅、ようやくパソコン・オーディオ部屋も解放されました。半年ぶりの東京出張、別に夜呑んだワケでもなし、夜ゆっくりしてわずか二泊三日。名古屋〜東京なんて一時間半、それでも心身ともにガタガタの自覚有、なんかもうアカンなぁ。iPodによる音楽拝聴+読書=けっこう充実した道中でありました。その件さておき・・・
ふだんは自分のパソコンで【♪ KechiKechi Classics ♪】を眺めつつ更新しているけど、ビジネス用ウルトラ・ブック(ブラウザはIE)とかホテル共用パソコンでは全然見え方が違うもの。我が自宅マシンのChrome文字設定は「大」乃至「極大」フォントは「メイリオ」、これが「中」とか「小」、明朝体だったら目も当てられぬスカスカ状態也。もとよりカッコ良いデザインから程遠いからな。それはいっそうよろしくなく見えるもの。(自分なりに見えているのはこんな感じのつもり)
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
(在東京ホテル)昨日は(質ともかく)お仕事量は多く、ハードにこなして、他同じ会議に出掛けるメンバー皆東京へ出発後、ラストに職場出。ふだん使わぬバス停の時間の見方がわからなかったり、名古屋駅途中、ぼんやりして手前で降りてしまったり・・・大きなトラブルは(緊張しつつ)先は見えて、ここを乗り切るのみ。久々のiPodはMozart ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(マルタ・アルゲリッチ(p)/クラウディオ・アバド/モーツァルト管弦楽団2013ライヴ)、Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」(ラファエル・クーベリック/ウィーン・フィル1956)に全然ぴん!とこなくて、よう知っている作品旋律ゆえ、聴き手の雑念先行いたします。
Rameauのクラヴサン作品集〜ピーター・ヤン・ベルダー(cem)(2008/2枚目)に至って、ようやく魂が洗われるような気分に・・・「ソローニュの愚か者(Les niais de sologne et deux doubles)」ってすばらしい変奏曲。その昔、ボブ・ジェームスのシンセサイザーに痺れたことを思い出しました。「タンブーラン」辺り、ランドフスカの旧い録音で聴いていたっけ。ノーミソ刷り込みはもっとロマンティックな風情、ベルダーの演奏は楷書生真面目、これはこれでエエ感じ。
●
初日の会議を大過なく終え、蕎麦などいただいてホテルへ。出張したら必ず呑んでいたのは何年前?ごっそりCDも買っていたっけ。興味の幅が狭まるのは寂しいけど、しかたがない・・・じつは一週間ほど前から眼がツラくて・・・先日の岩国行、ホテルで鏡を覗いたら眼が真っ赤、目薬(フツウの安い点眼薬)持参を忘れてました。昨夜も職場に忘れ、先ほど(耐え切れず)新たに入手しました。ドライ・アイかなぁ。マウス腱鞘炎+ドライ・アイって最悪、あちこちガタガタ。もうアカンで。読書にもひと苦労。
そういえば昨夜ホテル到着してテレビを点けたら、某バラエティ番組の街頭声掛けに東京本丸の若い女性が映っている・・・あいつだよね?本日会議にいたので確認、まさにそうでした。知人が出ているのを見たのは二度目。若い頃、市役所に用事があって出掛けたら、夕方のニュースに出たことがあったらしく、翌日数人に声を掛けられことあったっけ。だからどーのということもないけど。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
本日通常業務後、そのまま東京へ前泊。二日間会議対応、その間に母親は北海道に帰ります。ムダを削ぎ落した狭いマンション暮らし、一室占領されると日常生活はにっちもさっちもいきまへんな。悩ましいトラブル処理もあって、夢見はよろしくない・・・もう3日ほど音楽は聴いていなくて、昨夜久々iPod音源仕込んで、充電いたしました。移動中は久々、たっぷり聴けることでしょう。但し、イヤホンでの拝聴は気分的に快適に非ず。書籍も二冊持参。昨年初めまでは、こんな準備は毎日でした・・・
ごっそりおみやげ購入、金額の多寡に非ず、珍しいのは未だ北海道上陸ならぬ(年寄りが知らぬだけ?)ピーナツかぼちゃ5-6個ほど。ほかはありきたりの饅頭など。いずれ送料のほうが高く付くんです。「音楽(なし)日誌」もここ迄か。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
多大なる出費も親孝行、岩国にいる息子(孫)のことろへ母を同行いたしました(女房殿は部屋掃除)。あいにくの雨模様、前回訪問時には(有料故)渡らなかった立派な錦帯橋、今回は向こう岸に行ってみました。絶景也。帰り駅までのバス待ち目撃、延々30分以上地言葉でケータイに叫び続けるお婆さんやら、自転車より粋にご挨拶したお爺さんのポロシャツが裏返しであった・・・前回と同じ絶品魚料理、但し、せっかくの息子との酒もほとんど呑めないのは体調?ここ最近、呑(や)ってないのにね。途中、恒例広島駅中にてお好み焼き(そばで)+ビールは美味しかった。
本年二度目の岩国、これにて訪問打ち止めだな。記念に(ウソ)床屋さんに行って、短く刈ってきました。(お隣は若い米国人〜兵隊さんでしょう)帰り、京都にて途中下車(といっても改札内)絶品・かぼちゃの浅漬購入、新商品の玉ねぎの漬物は期待ほどに非ず。
音楽まったく聴けず、本も読んでいない。このまま明日、大トラブル処理開始、一週間の山場である定例作業こなして、そのまま東京へ。久々にiPodを取り出しました。
2014年11月某日/●再出発仕切り直しの日々
お仕事種々トラブル抱えつつ、事前に打つべき手は打った、あとは連休明け覚悟を決めて次善の策開始するのみ、といったところ。婆さん(母親)は地図を頼りに見知らぬ名古屋の街へ無事待ち合わせ場所に到着、一泊してちゃんと戻ってきました。さすが世界を旅慣れた経験有。女房殿の調子もいまのところ落ち着いて、本日岩国の息子のところに出掛けます。昨日、早朝ウォーキングをサボったら一日気分スッキリせず、今朝は早朝決起して実施せん!と起き出せば外はジャジャ降り、思うようになりまへんな。せっかくの旅行も雨模様みたい。
パソコン・オーディオ部屋はすっかり”母親仕様”となって、音楽拝聴不可状態、昨日出勤前途中迄。Bruckner 交響曲第8番ハ短調(ハース版)〜オトマール・スウィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(1986年)・・・スウィトナーのドレスデン・ボックスは処分したけれど、こちらシュターツカペレ・ベルリンのボックスは棚中現役。最近のオーケストラは全世界、けっこう上手くなったけれど、Brucknerにはオーケストラの音色個性をお求めたくなって、この時期(東にあった)シュターツカペレ・ベルリンの質実な音色最高。かなり揺れ、雄弁な表現なんだな・・・といった印象のまま中途です。さて、再確認はいつになるのか・・・
体調はいまひとつのまま、雨中お出掛けしましょう。【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例更新はお休みです。(この後、小降りになったのを見計らってウォーキング強行)
●
マシン替わってAspireOne(LinuxBean/LeafPadにて執筆)へ。その後順調です。マウス腱鞘炎だから小さなキーボードは少々ツラいものがあるけど、もともと歴代小さなパソコン(外に持ち出すこと)は大好きだったんですよ。【♪ KechiKechi Classics ♪】はブログと異なってすべてのファイルを自己管理可能、日常全ファイル一斉置き換えなど(誰も気付かぬうちに)実施しております。自宅に3台あるマシンのファイル同期は永らく手動実施してきたけど、この度思い立ってDropBoxへ移動、これで"自動同期"となりました。当たり前の機能活用だけれど。
余録はブラウザにてアクセス、職場でもファイルをいじれるようになったこと(セキュリティの関係でFTPは不可)ダウンロードして修正加筆、再アップロードして帰宅後FTPすればよろしい。そう言えば本日宿泊のホテルもFTPはあかんかった?ような記憶有・・・