2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
この鼻水はなんとかならんか、昨日昼のスポーツクラブはタオルを首に巻きつつ、いつでも拭き取れるようにしてクリアしました。夕方、待望のBOOK・OFF行き文庫新書6冊ほど入手、正月札幌で一冊文庫本を買ったら全国共通10%引券いたいだいて、それは1月いっぱいの締め切りだったので。学生時代~若いころ迄は一度書店に行ったら五千円とかあたりまえに買っていたんだけどなぁ(贅沢三昧)21世紀入った辺り?岡山に転居したらBOOK・OFFがご近所に有、中古CDともども毎週通って爾来、100円文庫新書(+税)しか買わなくなりました。それでも読書生活(痺れるような知的刺激)は充分成り立ちますよ。
女房殿が職場より業務用ノートパソコン(EpsonEndever/堅牢です)持ち帰って、起動画面でフリーズしてしまうと。なんせOA知識の薄い頑固世代が多い小さい職場、やや共用状態のマシンは時々乱暴な爺さんが使って挙句、壊し屋と命名したくなるほど!みごとな不調に至ります。専門家の助言(ワシ)により「7」→「10」に自動アップデートして、いろいろ要らぬものが入っているのだろうなと類推、もちろんフリーズしたらムリヤリ電源を切る荒業にてHDDも傷んでいるのでしょう。とにかく、だましだまし起動させ、要らぬワケのわからんソフトは削除(壊し屋はオススメされたものはすべて受け入れる度量の広い人)更に極めつけは”パスワード変更”、女房殿が不在時に使わぬようにいたしました。まだまだ使えまっせ。
R.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」/「英雄の生涯」~フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団(1954年)・・・幾度聴いてその音質、演奏の完成度に声も出ないほど。60年以上前、テクノロジーの進化に疑念を抱かざるをえない驚愕の逸品であります。前回は2014年6月に拝聴して曰く
カラヤン圧巻の演奏もケンペの滋味深いのも大好きですよ。でもフリッツ・ライナーは別格。CD@2,000の頃からマメに集めて、ここ数年まとめて種々ボックスセット格安出現したでしょ?一旦単品処分して買い直そうと思ったら、時代はパブリック・ドメイン音源自由入手の時代へ~閑話休題(それはさておき)。60年前でっせ、輝かしくも驚異のオーディオ水準。表現そのものはやや速めのストレート系、思わせぶりな小細工なし。冒頭アドルフ・ハーセスのトランペットはアクと個性ある強烈な音色、ほかどのパートも各々個性を発揮して抜群に上手い~個性は全体のアンサンブルのためにある、ってな完成度か。テンションの高さは変化や陰影に乏しいわけでもなし、色彩豊か、CD一枚分ひたすら圧倒されぐうの音も出ない、息も付けないほど・・・
・・・これに付け加えるべきものはありません。おそらくは.mp3/320kbpsから自主CD化したと類推、それでもほとんど音質的不満なし。こんな先人の成果に若手はビビるでしょうね。
Vaughan Williams 音楽へのセレナード/イギリス民謡組曲/ノーフォーク狂詩曲第1番/グリーンスリーヴスによる幻想曲/湖沼地方にて/舞い上がるひばり~エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル/ロンドン交響楽団/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1968-70年)・・・これもほとんどMy Very BestなCD也。6年前のコメントからいささかの印象変化もなし。。やや薄手な録音も淡彩な英国音楽にふさわしく、自然さが際立ちました。辛気臭くも美しい、穏健な音楽は先のライナーと対極、その時の心情に合わせて愉しみたいものです。
もの凄く長かった1月、ようやく終わりました。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
薄ら寒い週末は小雨、今週は、というか今月2016年の出足はとうとうテンション上がらず、体調もよろしくなく過ぎゆくのでしょう。激しい鼻水(+時にくしゃみ)継続、ようやく”石”の痛み軽快したと思ったらアレルギー?かよ。この症状も少々前より、ぼちぼち出ていたんだよなぁ。これも苦しいっす。日銀金利マイナスって、かつて経験しなかった事態はそれがどういう実影響を与えるのかリアルに理解できません。家やクルマ購入のローンが下がる?それでほんまに景気が上向くのか?コトの本質はそこにあるのか。いずれ以前の常識では理解できなかった局面に、たしか自分がこどもの頃には預貯金の金利で生活する人っていたような?いまでも銀行にあずけてもほとんど金利は付かないけど、ますます投機的な、一攫千金詐欺(まがい)に走る人が増えそうな予感がしますよ。先週拝読した名著がますます説得力を強めるこの頃であります。
昨日、取引先往復車中の音楽。Mozart ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調K.482/ロンド ニ長調K.382~エリソ・ヴィルサラーゼ(p)/ラザール・ゴズマン/レニングラード室内管弦楽団(1973年)・・・掟破り音源の自主CD化、なんせCDになっておりませんから。エリソ・ヴィルサラーゼ(1942-グルジア出身の女流)の音源は稀少なんだけど、わざわざ求めて拝聴すべきほどかいな?LP板起こしと類推する音質も埃っぽく、演奏印象も散漫です。数年前に聴いて以来、印象は変わりませんね、ごめんなさい。
余白にはMartinu 室内協奏曲(Concerto de camera, H. 285)~ウルリヒ・レーマン(v)/エドモンド・デ・シュトゥツ/チューリヒ室内管弦楽団(1960年台AMADEO)・・・こちらもLP板起こし、例の如しオーケストラにピアノも加えて、いかにも硬派強面な生真面目演奏、Mozart とは妙竹林な組み合わせだけど、同時期にネット入手したのでしょう。作品の淡々とした味わいが興味深いもの。
もう一発。Bach ヴァイオリン・ソナタ第2番ホ短調BWV1023/Victor Voloshinov (1905-1960)ヴァイオリンとオルガンのための協奏曲/ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調BWV1042~ミハイル・ヴァイマン(v)/ニーナ・オクセンティアン(or)/ラザール・ゴズマン/レニングラード室内管弦楽団(録音年不明)・・・偶然だけど、ゴズマン率いるレニングラード室内管弦楽団連続拝聴。Mikhail Vaiman (1926-1977)は知名度は低いけど、ソヴィエット露西亜往年のヴァイオリニスト。これってネットからごっそり音源まとめて入手したよなぁ、帰宅後あちこち保存用DVDをひっくり返して、よーやくみつけましたよ。(1.5gbほどあるので覚悟してダウンロードしましょう)オルガンとヴァイオリンという組み合わせは茫洋としたスケールを醸しだして、馴染みのBach もいつも以上に新鮮に、別作品のように響きます。Voloshinovという人は初耳っぽいけれど、難解晦渋なことはない、オルガンの大きな海の中でヴァイオリンが自在に泳ぐといった風情でした。ヴァイオリン協奏曲は、ま、フツウの現代楽器による演奏。作品の明るい、ノンビリとした風情をたっぷり愉しんで太古の昔、映画「ある愛の詩」にこの旋律が使われていた(チェンバロ協奏曲)ことを思い出しました。
帰宅後、Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」~朝比奈隆/大阪フィル(1982年ライヴ)・・・山本さんが1997年のライヴに厳しいご意見を書いていたので、恐る恐る拝聴。(なぜかそこには1982年録音の存在が示されない)朝比奈翁の音源はyoutubeに多く出現して、これもそこからの入手音源故、万全な音質ではないのは前提となります(.mp3/160kbps→と再生ソフトでは表示される/聴感まずまず。旧フェスティヴァル・ホールの残響も快い)。これが意外なほどまとも、ちゃんとしたアンサンブルであって当時74歳という若さ(!)オーソドックスなテンション高い表現に打たれました。悠々とテンポをためて歌ところも決まっております。懐かしさ、憧憬も感じさせて、初めて「新世界」に出会ったウキウキ感が蘇るようなアツい、ノリノリ迫力演奏也。大阪フィルも好調で、サウンドに色気は期待できないけれど、技術云々の瑕疵をほとんど感じさせないもの。驚きの成果でした。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日朝一番、いつものように職場一番に出勤して一日のお仕事段取り開始・・・すると、しばらくして激しい鼻水が!これがずっと止まらない、ティッシュの箱を抱えて苦しんでおりました。なんのアレルギー?わからない、スギ花粉症には少々早すぎるし、だいたいこんなヒドい症状は初体験、昼から外出なので、一旦帰宅して抗アレルギー剤+頭痛止服用して取引先へ。辛くも商談クリアして、帰り高速道路にてトラックに異常接近しちゃいました、危ない危ない。症状やや軽快してちゃんと就寝できたけれど、朝、起きだしたらいきなり鼻水復活!またヤク必須、自分には副作用キツくていやなんだよなぁ、時に異様な脱力感に襲われます。トンだ週末でっせ。
こんな状態では残念、音楽に集中できません。Mahler 交響曲第9番ニ長調~モーリス・アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1969年)・・・youtubeより音源入手したけれど、状態はあまりよろしくないリッピング、全部廃棄してまともな音源再聴トライ。但し、第2楽章「Im Tempo eines gemachlichen Landlers. Etwas tappisch und sehr derb(緩やかなレントラー風のテンポで、いくぶん歩くように、そして、きわめて粗野に)」迄。ほら細部解像度、ニュアンス描き込み印象がぜんぜん違う。響きは明るく、テンポは中庸、牧歌的なテイストにあふれてオーケストラの質も上々。但し、切迫感とか異様な緊張感に非ず、大爆発の対比も控えめなマイルド演奏、こんな健全なMahler も悪くないでしょう。全曲ちゃんと聴かなくっちゃ。
もひとつ前日の続き、Granados スペイン舞曲集 作品37/ガランテ(メヌエット)/オリエンタル/ファンダンゴ(サラバンド)/ビリャネスカ/アンダルーサ(祈り)迄/~アリシア・デ・ラローチャ (p)(1964年)・・・これはHispaVox録音、ちゃんとステレオ音源は手元にありました。これがけっこう強靭なタッチ、未だ40歳そこそこ意欲的なアツさを感じさせます。悪い音ではないけれど、オン・マイクに残響少なく、時に強い打鍵に響きが濁る場面も・・・ちょいとデリカシー不足と感じるのは音質故かもしれません。これも全曲聴ける体調に非ず。
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
今朝も0度C。あたりまえに寒い季節真っ最中であります。今朝、”石”の移動によると類推される痛み、ほぼ軽快、腰奥の痛みを自覚したのは1月2日の朝、当初は腰痛(筋肉痛)かと思っておりました。昨夜のスポーツクラブ強行は正解でした。今回はたいした痛みではなかった(≠七転八倒)けれど、不快感は相当なもの。心身ともに元気が出まへん。本日明日と取引先商談は昼から、午前中定例作業残務消化したら一週間は完了です。
Granados スペイン舞曲集 作品37/ガランテ(メヌエット)/オリエンタル/ファンダンゴ(サラバンド)/ビリャネスカ/アンダルーサ(祈り)/ロンデーリャ・アラゴネーサ(ホタ)/バレンシアーナ/サルダーニャ(アストゥリアーナ)/ロマンティカ(マズルカ)/メランコリカ(悲しき舞曲)/ボレロ(サンブラ)/アラベスカ/練習曲~ローサ・トレス=パルド (p)(1997年)・・・アンダルーサ(祈り)って、ギター版のほうが有名でしょう。たしか、アリシア・デ・ラローチャのモノラル録音にて20年ほど前から聴いていたもの(残念、そのCDは処分済)誰の演奏とこだわるほどに作品には馴染んでいなくて、ローサ・トレス=パルドは西班牙の女流らしい。どれも哀愁漂う、欧州というよりローカル(ラテン?オリエンタル風)なテイストを感じさせ、心に染みる旋律続きます。トレス=パルドはリズムの揺れ、重苦しくならぬ歌とノリに充ちて、どれも短い作品ばかり、多彩な個性を楽しませてくださいました。
音楽は嗜好品、Bach Beethoven Brahms も大切だけど、仏蘭西とか英国、そしてこんな西班牙の音楽に親しみをいっそう感じました。
では行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日夕方くらいから”石”はかなり収まってきたようで、痛みは残っているけれど、不快なことはない感じ。体調不良に昼間、お仕事の速度上がらず苦慮いたしました。ちょっとしたトラブル対応も佳きアクセントでっせ。今夜定例(自分にとっては)ハードな初心者エアロビクスには行けそうです。今朝、引き続き氷点下、一番寒い時期を遣り過ごしましょう。風邪とかひかぬよう、インフルエンザがいそうな人混みにも近づかないようにしましょう。ほんまオモロない、な~んもない日々でっせ。ノーミソ活性化しませんね。
9年ほど前、未だCD(廉価盤)収集が日々愉しみであった頃の記録が残っておりました。ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団のSibelius は全部聴きたい!それはけっこう贅沢な夢だったんです。わずか10年であたりまえに、安易に叶ってしまって、それがどーした?みたいな虚しさをちょっぴり感じております。
Sibelius ユモレスク第1番ニ短調 作品87-1/第2番ニ長調 作品87-1/第3番ト短調 作品89a/第4番ト短調 作品89b/第5番 変ホ長調 作品89c/第6番ト短調 作品89d/2つのセレナード 作品69/2つの小品 作品77(以上ドン=スク・カン(v))/序曲ホ長調 JS145/バレエの情景 JS163~ネーメ・ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1989年)・・・隣国の名手、ドン=スク・カンの噂を最近聞かんなぁ、かつてNAXOSから意欲的な録音をしておりました。華やかきらきらなヴァイオリンに非ず、技巧に不足はなくて、むしろ叙情的な味わいが身上なのでしょう。内省的ジミ目な旋律ばかり、これだけ揃えたCDって他にありましたっけ。美しい、繊細なテイストが続いても陰々滅々とした風情に、聴き手は遣る瀬ない気持ちに至るのは必定です。こんな寒い時期にぴったりの音楽かも。
「序曲ホ長調」/「バレエの情景」は颯爽としてカッコ良い、父ヤルヴィ面目躍如とした充実したアンサンブルでした。では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
寒いですね。今朝も氷点下、昨年7月を以って早朝ウォーキング休止中(週2回のスポーツクラブへ)こんな日は起きて即外へ、というのは苦しいもの。昨日は雪がうっすら積もっていたけれど、交通は前回ほどの混乱もなくちゃんと通勤して職場通勤に支障もありません。腰奥の鈍い、不快な痛みは継続、石は微妙に動いているよう。世間では某アイドル(既に息の長い中年)の解散噺やら、人気タレントの不倫がどーやらといった話題で持ち切り、ネットにて切り口を変えたコメント有、LINEログ流出の経過の類推。
ようはするに設定そのまま旧機種を放置(譲渡)したり、パスワードなしのスマホは身近な人が見放題だったり、セキュリティ意識が全然低いんじゃないか、無対策な人はけっこうな比率ということですよ。例えば業務用のメールアドレスって(あたりまえに)私用には使わないけれど、幾度か操作の相談を受けて人様のパソコンを覗く機会はあって、偶然メーラーを見たら「云々ポイント!」「凸凹セールのお知らせ」みたいなものがズラリ~あれじゃヘンなメールを呼びこむのは必至だし、そもそもお仕事にならんでしょう。自分は私用メールでさえGメールと、無料ストレージ登録やらヤフオクやらちょいと危うそうなの用はちゃんと分けていて、スパムメールも届きません(もしかしてメール側でディフェンスしてるのかも)
逆にそういった(無防備な)人々は、クソ高いセキュリティ・ソフトの顧客なのだろうな。
昨夜は珍しく残業した(ウェブ会議)ので音楽は全曲拝聴ならず。Mahler 交響曲第3番ニ短調~エミール・タバコフ/ソフィア・フィル/ブリギッテ・プレチュナー(a)/ブルガリア国立“スヴェトスラフ・オブレテノフ”合唱団/“ボドラ・スミアーナ”児童合唱団(1990年4月)・・・第1楽章「力強く、決然と」と終楽章「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて」のみ、なんと10年ぶりとなります。ユーザーレビューの思わぬ高評価が意外なもの。*番は名演だけれど*番はアウト、みたいな評価が各々間逆なのも音楽嗜好の多様性を物語るでしょう。共通しているのは”オーケストラが弱い”~ほぼ同感。一番評判悪そうな第3番を聴きだしたものです。
響きはちょいと薄いし、サウンドに色気は足りぬけれど、けっこう自然な優秀録音、オーソドックスにあわてず、爽快なスケール溢れる演奏です。意外なほど保留点のない、誠実立派な演奏!もの珍しさのみで聴くべき水準に非ず。この全集登場から十数年、著名な格安全集次々登場して、次世代の優秀な演奏も登場しているから、こんな地味目な知名度演奏は注目されぬでしょう。CDは廃盤だけど、NMLにて拝聴可能、意外な拾いものに感銘を受けましたよ、シミジミ。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
また雪、気温は先週より低いでしょう。おそらくは”石”と類推する不快な腰奥の痛みは継続、今朝はちょっとマシ、昨日は往復30分ほど馴染みの老夫婦の床屋に行ってきて、ついでにやや贅沢米粉パンを入手したくらいの動き、せっかくの週末休みはそれで終わってしました。BOOK・OFFにも行けず。思い起こせば正月元旦より、腰の痛みは出ておりました。素直に排出されぬものか。
小林史憲「テレビに映る中国の97%は嘘である」(講談社+α新書)・・・学者の理論的文書に非ず、ジャーナリストの事実経過やルポルタージュなので出足「反日デモ」取材に印象が定まらず、一旦拝読中止。「世界の15%しか豊かな生活を享受できない」≒中国に富裕層が生まれれば、先進国の中流の生活が落ち込んでいく図式を理解してから、再読進めるとすべてがリンクしました。多くの反日デモは官製であり、コントロールされたガス抜き(宣伝)であり、一部暴走である、両国民ともどこにあるかも理解しない”尖閣諸島”問題は、見て見ぬふりをする、いつも曖昧に放置して遣り過す日本人らしからぬ対応が、火に油を注いだけれど、あれはほんの口実らしい。襲われた日系企業は店長始め、働いている大部分は現地人、商品品質も接客対応もよろしいお店であり、待遇の悪くない工場とのこと。営業再開されるとショッピングセンターは長蛇の列だったし、撤退した工場に庶民はむしろ困ってしまう・・・中国最高の成功を収めた”バブル村”(高級ホテルはその後どうなったのか)、茅台酒(ワイロに使われる)の高騰と偽物の跋扈、そして暴落、北朝鮮国境問題、毒餃子事件犯人の実家・・・どれも身につまされる、リアル悲惨な実態に慄然といたします。
もう”爆買い”は続かんぞ。あれはちょっとしたバブルでっせ、それをアテに商売したら痛い目に遭いますよ。
Mahler 交響曲第7番ホ短調~モーリス・アブラヴァネル~ユタ交響楽団(1964年)・・・アブラヴァネルは史上初のMahler 全集録音だったらしい。ユタ交響楽団はモルモン教総本山所在地(ソルトレイク・シティ)ですし、豊かな財政だったのでしょう。怪しさを強調しない、穏健派マイルド路線、それなりの音質、聴いていてほっとするような演奏也。第1楽章「Langsam (Adagio)~ Allegro risoluto, ma non troppo」にはテノールホルンの違和感少なく、落ち着いた味わい有、第2楽章「Nachtmusik I. Allegro moderato」-第3楽章「Scherzo. Schattenhaft」(影のように)-第4楽章「Nachtmusik II. Andante amoroso」の妖しい風情は健全に落ち着いたテイスト、ていねいな仕上げ、エッチな官能性を感じさせぬもの。なんせ真面目なモルモン教ですから。
オーケストラの技量は高く、充実した厚みがあり、リズムは少々ユルい感じ。悪くありません。では、行ってきます。また一週間、なんとか乗り切りましょう。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
寒い日曜。昨日スポーツクラブを強行する程度だけど、腰奥の鈍い痛み継続(かなり軽快)。けっして気分の良いものではありません。寒さ+こんな体調だけどBOOK・OFFには行きたいんだよな、読むべき書籍在庫払底しているので。
水野和夫「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)・・・久米宏の番組で取り上げられていて、ぜひ拝読したかった”凄い”一冊。ぜんぜん勉強せん不真面目な学生だったけれど、もういちど一からお勉強したくなる!
封建時代~絶対王政~近代資本主義~現代の流れを経済学的に分析し、未来を予測しております。新たな投資先を失った資本は飽和(過剰)状態である、日本の長い低金利低成長状態は資本主義の先鋭を走って、大資本と銀行金融には国家社会主義、中間層以下には新・自由主義(自己責任)を適用して”中流”は瓦解していく・・・。既に金の流れはインターナショナルとなって、かつてのように開発途上国(辺境)から先進国(中心)が安い原料を仕入れて製品を作って高く売る~国際的な構造は崩壊しつつあって、国別の格差は国境を超え、ケインズ政策も意味を成さない、自国の”中流”の生活を削って(国内に辺境を作り出して)利益を出すしかない。この先、中国インドが覇権を握ることはありえず、人口の多い国が先進国並みのエネルギーを消費するには地球規模で資源が足りない(そもそも次の覇権国はもう登場しない)・・・短い3年ほどのスパンでバブルを繰り返す金融資本主義。
みたいな、ちょっと雑駁な粗筋だけど、ほんま出口なし、アベノミクスの薄っぺらい実態も状態がよーく理解できます。さて、この先をどう展望するか。ソフトランディングさせるか。幾度読み返したい名著!
Mahler 第6番イ短調~ガリー・ベルティーニ/ケルン放送交響楽団(1984年)・・・第1-5番のボックス(この写真の)第6番2枚組を入手した時点で全集ボックス格安出現!泣く泣く処分+再入手した記憶も10年前となりました。FMにてジュゼッペ・シノーポリ(シュトゥットガルト放送交響楽団/1985年ライヴ)を聴いて以来のお気に入り作品、ここ最近、異形なるスケールと威圧感に少々敬遠気味でした。これが全集への最初の録音だったのですね。久々の拝聴は楷書の表現、トメ、ハネもきちんとして、それでいて四角四面窮屈にならぬヴィッヴィドな力感とスケール、テンションに溢れる名演!深い感動が待っておりました。
天才的なひらめきを感じさせる情熱バーンスタイン、クールでありながら恣意的な強引さが目立ったマゼール、いずれもテンポを大きく動かした個性的なもの。こちらほとんどイン・テンポ(棒読み状態に非ず)表現に飾りは少ないのに、圧巻のアンサンブルの集中力、サウンドの洗練に陶然とします。当時のオーボエ首席は宮本文昭さんかな?夢見るような透明な音色、オーケストラの技量のたしかさを証明する凄い演奏也。
ここ数年聴いた「第6番」中、ヴェリ・ベスト。
Ravel バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第1組曲+第2組曲/バレエ音楽「ジャンヌの扇」~「ファンファーレ」/クープランの墓/「鏡 」~「海原の小舟」(管弦楽版)~スタニスワフ・スクロヴァチェフスキ/ミネソタ管弦楽団(1974年)・・・このCDとのお付き合いも20年以上、5年ほど前に一部盤面剥離(泣)という悲劇があって、ダフニス第2組曲が拝聴不能、ネット上でSOSを発信したら、読者よりメールでその部分のみ(.mp3)送付してくださったのも暖かい思い出、その部分含めCDR再構成しておりました。
クール緻密な色気の少ない演奏、オーケストラも色彩豊かとはいえぬ個性、それでもRavel には必須、精密機械のような表現に恐るべき透明な集中力有。音質極上(.mp3より復元部分の劣化がよう理解できる)彼の統治は1960-1979年に及んで、大きな成果を上げていたのでしょう。日本ではちっとも知られていないけれど。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
寒いですね。これから明日にかけて雪とか。ぐずぐず達成感のない一週間を終え、鼻水+頭痛症状ひどく耳鼻科に通院へ。ネットにて花粉情報を検索すると、この寒空に「飛散開始前」とのこと。なんのアレルギーか(なんの?)挙句、今朝早朝寝床にて左腰奥に鈍く痛み自覚~動くとほぼ激痛・・・って、ついに”石”活動再開か!と類推、ここ2年秋の健康診断(腹部エコー)ではしっかり写って存在を主張してましたよ。七転八倒ほどに非ず、短時間で治まってくださることを祈りましょう。昼からスポーツクラブはなんとか強行したい。
Bartok 管弦楽のための協奏曲(ロンドン交響楽団/1962年)/舞踏組曲/2つの肖像op.5/「ミクロコスモス」~ブレー(第117番)/~蝿の日記から(第142番)(フィルハーモニア・フンガリカ/エルヴィン・ラモール(v)/1958年)~アンタル・ドラティ・・・昨年2015年9月に聴いていたことは失念しておりました。往年のMercury録音は高音の鮮度は少々落ちても、中低音や奥行き広がりは充分な音質であります。一般にドラティの演奏はどれも手堅く、水準以上の手応え有。管弦楽の協奏曲はフリッツ・ライナー(1955年)が刷り込み、ピエール・ブーレーズ(1992年)をリファレンスとして、強烈なオーケストラのテンションが念頭にありますよ。ピエール・モントゥー時代ラストのロンドン交響楽団は現在ほどに非ず、各パートのバランス組み立て、思わぬ内声部の浮き立たせ方も新鮮であります。
フィルハーモニア・フンカリカのほうが音質はよりクリア、金管の爆発も迫力充分、ドラティとの信頼関係も感じさせ、ヴァイオリン・ソロも美しいもの。Bartokに駄作なし!舞踏組曲の泥臭いリズムに痺れました。
今朝拝聴しているのはScriabin 交響曲第3番「神聖な詩」/法悦の詩~ジュゼッペ・シノーポリ/ニューヨーク・フィルハーモニック/グレン・ディクテロウ(v)/フィリップ・スミス(tp)/アンドレアス・ジュフィンガー(or)(1988年)・・・Scriabinはずいぶんと聴いていなかったな。作品(法悦の詩)との出会いは大昔LP時代ストコフスキー/ヒューストン交響楽団(1959年)、爾来この作品はエッチでいけないもの、密かに愉しんでおりました。シノーポリはメータ時代のニューヨーク・フィルと録音を残していて、どれもけっこう完成度が高い。妖しい官能性とは方向性が違って、朗々明晰爽快に歌う「法悦」、オーケストラの明るく開放的な響き、金管迫力サウンドはまるでRespighi!陰影が足りないほど?フィリップ・スミス(tp)は明朗かつ切れ味のある音色、ニュアンス豊かな味付けとバランスはシノーポリならではもの。音質云々の評価を見かけたけれど、ワタシの拝聴した音源は文句なしの鮮明なものでした。
なんとか体調整えて、有意義な休みにしたいものです。
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土曜のスポーツクラブは午後一時に自宅を出て、30分エアロ・バイク+30分超・初心者向けエアロビクス。12時半ころから鈍く痛む腰奥に逡巡しつつ、とうとう自宅を見切り発車!おそるおそるメニューをこなしました。ま、痛むだけで体調に問題はないですから。ほんまに強烈に痛むときには食欲も失せ、起きていられないし、横にもなれない~所謂”七転八倒”ってやつですよ。2-3度経験して、ここ10年ほどは年に一度ほど鈍く痛む程度、困った体質ですよ。帰宅してほっとしております。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
相変わらず寒さ継続、週末も続くらしい。昨日新しい若い上司赴任、前夜、前上司と4次会まで呑んだそうで、ネットワークの設定など未だお仕事稼働開始ならず、小一時間ばかり現状の問題点(前上司は現状維持を狙ったらしい~とんでもない!)をお話しておきました。さて、どーなるか。ケータイも新しいものに。支給されているガラケーは6年もの?ちゃんと使えるけど、液晶がやや欠けつつありました。東京本丸総務に連絡したら、速攻で交換、到着へ。機種なんてなんでもエエんです(京セラ製)。AUショップに行って環境移行設定していただきました。
先週、ACER Aspire AS5750(Windows10)の光学ドライブを不注意で破損させ、オークションにて交換品を入手(実質464円)既に到着しておりました。週末にじっくり交換しようと思ったけど、昨夜思い立って実行~なんのことはないネジ一本でっせ。あっという間に交換成!これでまた寿命伸びたなぁ、本体は入手既に4年と2ヶ月、毎日一生懸命働いてくれております。キーボードマウス+ディスプレイ外付けしているから、本体は物理的にあまり傷んでいない。OSはおそらく6回以上入れ直して、HDDはちょっと心配・・・でも日々、健気に順調稼働しております。
Brahms 交響曲第1番ハ短調~ヤープ・ファン・ズヴェーデン/オランダ・フィル(2002年)・・・久々の拝聴。やや速めのテンポ、提示部繰り返しなし、サウンドは軽量であって、ものものしい重苦しさ(作品そのものにそんなテイスト有)スケールを強調しないのがモダーン、好感を持てるスタイルであります。1960年生まれ、旧世代ととは異なる潔い風情に充ちて、オーケストラのサウンドがあまり濃くないのもよろしい。最初に交響曲のみ購入して拝聴した時にはさっぱりし過ぎて、色気がないとも感じたけれど、やがてこの勢いが個性であると認識できました。(ちなみにこのBrahms 60枚組もCD購入総決算のひとつ也)
Brahms 交響曲第2番ニ長調~オウェイン・アーウェル・ヒューズ/シュトゥットガルト・フィル(2004-6年)・・・【♪ KechiKechi Classics ♪】らしい、あまり知られぬ音源を久々拝聴。ウェールズ出身の名匠(1942-)はスケールの大きな表現をする人、南独逸のコンサート・オーケストラはほっとするような牧歌的なサウンドは作品にぴたり!でした。ヒューズが朗々と勇壮に盛り上げても、なんとも素朴なサウンドは癒し系。先のズヴェーデンもそうだけど、ここ最近ベルリン・フィルとかシカゴ交響楽団辺り、分厚い強烈なオーケストラばかり聴いていたので、Brahms に親密な親近感を感じたものです。
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
今朝、氷点下。寒いですね。昨日朝の雪は昼くらいには消えたれど、皆出勤には遅れました。クルマは大渋滞、バスは時間通りやってこない・・・車中よりケータイにて連絡あった人も。夜、10日ほど空いて久々スポーツクラブ復活、相変わらずまったくインストラクターのお姉さんの動きに付いていけない情けないオヤジ、恥を忍べば充実した運動にたっぷり、みっちり汗、例えばちょっとした体操、ストレッチは継続できても、集団指導を受けてムリムリ身体を動かすのが身体には良いのでしょう。昨日は腹筋に手応え有、体調快復の自覚充分です。
本日より、新しい上司赴任。こちら、これだけヴェテランとなると、たいてい旧知の人であって、彼は若手有望格の40歳代前半です。
大沢 周子「自分でえらぶ往生際」(文春新書)・・・2003年少々昔の著作は優れて現状の社会に有効な内容、ノウハウに非ず、リアルなノンフィクション聞き取り記述であります。「下流老人」はあまり登場せず、むしろ生活に余裕のある人々の悲劇にいたたまれなるほど、幾度嘆息し、とてもだけど一気に読み進めません。家族親戚の軋轢、財産をめぐる醜い争い、たくらみ(二時間ドラマのように正義は勝利しない)自分の病、老人への虐待・・・幸い我ら夫婦とも財産とは無縁、お金は自分で稼いだものしか身につかぬ、といった根本思想があって、親への孝行もムリのない範囲で続けている次男次女であります。現在、大阪の義母も北海道の両親とも離れて暮らしているけれど、いっしょには住めないなぁ、近所なら良いけれど。もちろん息子もあてにしておりませんよ。自分一人で喰って生活してくれればそれで充分っす。な~んも残すつもりもありません。
音楽の見聞を広げる努力の一環。ハプスブルク帝国の近世音楽史~歴代皇帝の音楽、諸民族の音楽~(CD1)「スロヴァキア宮廷音楽と民俗音楽」Johann Sigismund Kusser(ヨハン・シジスムント・クッサー/1660~1727)「諸芸神の饗宴」より組曲第1番/Pal Esterhazy(パール・エステルハージ/1635~1713)「天上の音楽」(1711)より「おお死よ」/Samuel Friedrich Capricornus(ザムエル・フリードリヒ・カプリコルヌス/1628~1665)「よき調和をはてしなく、食卓とくつろぎの音楽」より3声の第3ソナタ/Georg Daniel Speer(ゲオルク・ダニエル・シュペーア/1636~1707)「トルコ音楽だよりI」よりバロック期に起源をもつスロヴァキア各地の民俗音楽さまざま(コサックの舞踏/ポーランドの舞踏/小僧ロンピン、旦那ゲルゲイを助け出す/ヴァラキア (=チェコ東部またはルーマニア)の舞踏/コサックの舞踏)/以下Barock FolK Music リプトフ(スロヴァキア北部):シュペーアの舞曲にもとづく即興/トルホヴァ(スロヴァキア北部):この足で踊れたら/白き山に水は流れ/デトヴァ(スロヴァキア中部):ああ山よ、山よ/山上の空気/チェルニ・バロク(スロヴァキア南部):いとしいテムロ/誰かが、わたしの黒い髪に/おやすみなさい~グナール・レツボール(v)/アルス・アンティクヮ・アウストリア/マルティナ・クリゴフスカー (歌/ツィンバロン)/ミロスラフ・ストゥデント(歌、ガリゾナ)他(2001年)・・・おそらく20世紀中にはこんな音楽はFMにてちょろりと拝聴するくらい、こうして気軽にネットより拝聴可能になったことを喜びましょう。
一方でこんな趣旨の集大成には解説は必須、お勉強が必要でして、”ガリゾナ”ってどんな民族楽器ですか?ツィンバロンはKodaly辺りで馴染みだけど。Barock FolK Music以降は素朴な歌と音色(なんの楽器なのかさえ不明)が続いて、もちろん意味はわからないし、そもそもどこの言語なのかも不明。前半は器楽作品、大Bach が1685-1750年だからその前の時代か、名手レツボール率いる古楽器団体の古雅な響きに陶然といたします。9年ほど前「レンブラント黄金時代の音楽~”Music from The Golden Age of Rembrandt ”」をエラく気に入って、但し、作品名さえほとんど読めん!という不安を感じたもの。こちらCD10枚分、残り9枚ですから。
音としては気軽に聴けるけれど、解題も欲しいところ。油断すれば昔馴染みの音楽ばかり、とっかえひっかえいろんな演奏で聴くだけになりがち、ネットに溢れる”新しい音楽との出会い”に、残された人生の時間と聴き手の根性が足りません。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
すごい雪。クルマ通勤の人はタイヘンやろなぁ、こちら通勤徒歩数分、暖かくして出掛けるのみ。鼻水さておき(アレルギー症状?)体調ほぼ癒えて、今晩久々のスポーツクラブ復活予定です。
まずまず順調のような、微妙に不快な日々・・・これといったトラブルも内部軋轢もないけれど、キレイごとで済ませる、あまりよろしからぬことを受け流す=結果、その風潮がずっと温存される”文化”が気になります。すっきりしないことがいつまでもクリアされません。小さな職場に20年選手が数名、家庭の事情の配慮も大切なこと、全部が悪いことじゃないけれど、その微妙な保守性が耐えられぬ・・・と云いつつ丸3年だよなぁ、かなり言いたい放題やりたい放題できるようになってはいるけれど。
今朝の朝日新聞「半端ない」という言葉、10歳代では多数派になって、更に「ぱない」に進化しつつあるとのこと。日本語は多様性、融通無碍な柔軟性に特質があるけれど、流行語大賞だってほとんど定着しないでしょ?「あたらしい」と云う言葉はもともと「あらたしい」の誤用が定着したもの。あまり目くじら立てる必要もないけれど「半端ない」に対する違和感も半端に非ず。美しい大和言葉を残し、広げることはできんものか。
Bach カンタータ第202番「消え去れ、悲しみの影」(結婚カンタータ)/アリア「あなたが私のそばにおられるなら」BWV508/アリア「わが魂よ、思い起こしなさい」BWV509/カンタータ第82番「私は満ち足りている」より第2曲「私は満ち足りている」/第3曲「まどろみなさい、疲れ切った目よ」/カンタータ第210番「ああ愛らしい日、待ち望んだ時」(結婚カンタータ)~エマ・カークビー(s)/クリストファー・ホグウッド/アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージック(1996/97年)・・・天使の歌声による、素朴な幸せいっぱいの歌を集めたもの。速めのテンポ、一パート一人?っぽいシンプルな古楽器オーケストラ、早めのテンポによるすっきりとしたフレージング、ノン・ヴィヴラートを基調とする無垢な歌声・・・昔馴染みの旋律が多いけれど、かつての記憶はもっと女性らしさを強調した歌声であったような・・・?
もう一発、Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調~スヴィァトスラフ・リヒテル(p)/キリル・コンドラシン/チェコ・フィル(1950年ライヴ)・・・第1楽章「Allegro non troppo」のみ拝聴。旧ソヴィエット系昔の録音はたいてい、泣けるほど音質がよろしくない。サイト内検索すると5-6年ほど前に自主CD化して拝聴しております。当時も「旧東側往年のライヴとしては、音質状況意外とまとも」とのコメント有、人工的に付加された広がりが茫洋とした奥行きを感じさせます。冒頭のホルンのヴィヴラートはエッチさ半端ではない。当時リヒテル35歳、速めのテンポに安っぽいピアノの音色(おそらくは楽器のせい+音質)に強靭なタッチ、疾走する情熱的な推進力・・・ドキドキするほどエキサイティング!彼の二度に渡るステレオ録音を再確認したくなりました。
他、深夜睡眠不如意に起きだしてBeethoven ヴァイオリン協奏曲ニ長調~ナタン・ミルシティン(v)/エーリヒ・ラインスドルフ/フィルハーモニア管弦楽団(1961年)の上品な演奏など・・・
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
ようやく寒波到来に首都圏方面はたいへんな混乱だったらしいですね。北陸~北国ではこれからすごい雪と風らしい。数年前北海道にて雪の車中で父娘が閉じ込められ、亡くなった事故もあって、あちらの冬は桁違いに厳しい~ことを知っている北国の人は雪のない冬が夢なんです。北海道の母親が毎冬遊びに来るようになって十数年、親父(90歳)の問題もあって昨年はムリ、挙句骨折入院・・・手術後、調子よろしくなくて輸血したとか、ちょっと間を置いて電話してみたら快復傾向とのこと、既にリハビリは始まって立ち上がれるらしい、たいしたものです。
芸能ネタには暗くて、例えばモーニング娘。は初期メンバーしか知らぬし、AKBの代表的メンバーをようやく覚えた!と思ったら即卒業でしょ?若い女性は皆同じに(可愛らしく)見える~じつは一週間ほど前、高畑充希と有村架純が別な人であることによーやく気付きました。日々弱まる記憶力を鼓舞して、なんとかノーミソ鍛えぬと。
Sibelius 交響曲第4番イ短調/ヴァイオリン協奏曲ニ短調~レイフ・セーゲルスタム/ヘルシンキ・フィル/ベッカ・クーシスト(v)(2003年)・・・久々の拝聴、5年ぶり?こんなにエエ音やったんですね、1年で一番寒い時期に冷涼な空間が広がります。暗鬱孤独なモノローグのような作品、難解と思うけれど、こんな音楽が意外と日本では人気がある不思議。作曲家母国のオーケストラはSibelius に特異な共感を以って、深く沈静して純化されたサウンドを聴かせて胸に深く染み入りました。クーシストのヴァイオリンも同様、浪漫の風情にラプソディック自在な作品、ずいぶんと情熱的に映える演奏も多くて、こちら技巧に作品への共感、抑制が利いたバランスがみごと。
では、行ってきます。(朝、ネット接続不調に出勤直前、あわてて尻切れトンボ更新状態)
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
まる二日半ほどじっとして体調はやや軽快、月曜を迎えました。昨夜、恒例週末の外食、久々富山料理の”いけぜん”へ。季節柄魚がめっぽう美味い。すっかり失念していたけれど、昨日は阪神大震災の日でした。当時大阪在住、お隣でリアルに事件を目撃しましたよ。”生命あっての・・・”~爾来、物欲がほぼ消えたほどの人生観の転換がありました。忘れるべきことと忘れてはいけないこと、忘れ去ることと忘れられないこと、自分やら家族親戚に直接の被害はなかったけれど、NHKの映像を久々に見て、当時を鮮明に思い出しました。
Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」~ロリン・マゼール/フィルハーモニア管弦楽団/BBC交響合唱団/サリー・マシューズ(s)/ミシェル・デ・ヤング(ms)(2011年ライヴ)・・・連続「復活」聴きに食傷はなくて、長大な大曲ラストまで拝聴。但し、北側のオーディオ部屋は(この時期とくに)寒くて、風邪養生中には集中力の維持が難しいものです。弱音での音量が低すぎること、遅いテンポ、乾いた表現に失礼なる流し聴き状態、但し最終楽章に焦点を当てているマゼールの意図はようわかって一気ボリューム・アップ、その迫力、タメに圧巻の盛り上がりがやってまいりました。折を見て再挑戦いたしましょう。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」~ヴィトルド・ロヴィツキ/ロンドン交響楽団(1969年)・・・これは20年越し?待望の音源入手でした。出会いは小学校5年生頃?バーンスタインの熱血ストレート演奏に心躍らせたものですよ。ここ数年の嗜好はノイマン/チェコ・フィルのローカル色豊かな味わい演奏となります。ちょっと前にイシュトヴァン・ケルテスが同じオーケストラで全集録音(英DECCA)して、こちらPHILIPSは東欧の巨匠を持ち込んで対抗したのでしょう。音質はまずまず(かなり?)良好、速めのテンポ、前のめりなアツい躍動、思いっきりヴィヴィッドなテンション高い演奏に久々、”心躍る”演奏也。もちろん第1楽章提示部繰り返し有。
著名な第2楽章「Largo」はサラリと流れよく、懐かしい風情に溢れます。木管の音色にやや不満を感じるのは、プレヴィン以前のオーケストラの技量問題でしょうか。第3楽章「Scherzo. Molto vivace」に於ける金管の爆発に不満はありません。終楽章「Allegro con fuoco」序奏のタメがこれほど決まるのも久々、あとは第1主題の緊張感最高!テンション維持して快速に音楽は進んでアツく全曲を締め括りました。(序曲集は未聴)
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
微妙な風邪くらいならスポーツクラブ強行するのに、さすがに気分よろしくなくってお休み、来週水曜迄(スポーツクラブ夜)には快復させるぞ!ぼんやりコタツで昼寝してました。今朝もイマイチ状態継続。体調不良はしかたがないので、音源データや(最近ご無沙汰気味な)自主CDを取り出して確認などしておりました。データの保存方法について先月来いろいろ考えているけれど、HDDよりむしろDVD-RやらCDRのほうが保つんじゃないか・・・との情報を得たことは既に書きました。自主CD中はっきり時期を記憶しているもの、2004年頃いただいたCDR発見(Schumann 交響曲4曲2枚分/エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル1956年/快速!)、少なくとも12年経ってますね。再生ぜんぜん問題なし。滅亡したSONY製高級贅沢国産品だから?こうしてみると激安!東南亜細亜製ばかり入手してきたのは誤りだったのかも。安物買いの銭失いだったかも。
吉村昭「史実を歩く」(文春新書/現在は文庫化)・・・この方の小説はまったく読んでいないので、執筆の経緯とか取材を著したこの一冊への接し方は少々邪道でしょう。しかし「破獄」に於ける人物描写、高野長英(逃亡の軌跡の洗いなおし裏取り)、「桜田門外ノ変」の事実詳細(なんと!明治維新はわずか8年後)、「生麦事件」発生地点の当時の地域状態、大名行列の実情(食事も風呂桶もぜんぶ持参!)、徹底した関係者遺族やら子孫への資料取材、市井の研究者との交流に終始魅了され、一冊読了一気!これからの人生、彼の著作を読むことが楽しみになりました。
人間の記憶ってエエ加減なんですね。戦艦武蔵への山本五十六元帥の臨艦に感激した、そんな船員の記憶はカンチガイ(希望が記憶へと醸成される)既に6ヶ月前に亡くなっていたとのこと。
今朝、Berlioz 幻想交響曲~ピエール・モントゥー/北ドイツ放送交響楽団(1964年)・・・昨年2015年(ムリムリyoutubeより)自主CD化したものを聴いたら、第4楽章「断頭台への行進」~一番盛り上がったところ途中で再生ストップ!たしか@8ほどの激安処分品CDR・・・盤面に傷など見当たらないけど、初期不良品だったのか!→たんなる汚れでした(メガネ拭きにてOK)。泣けるほどショボい音質さておき、迫力と気品が同居したエエ演奏やで。
やや昔懐かしい録音連続。Schubert 交響曲第9番ハ長調~フランツ・コンヴィチュニー/チェコ・フィル(1962年)・・・初耳。その良好な音質、明るく、質実な響きに魅了され、わかりやすくシンプルかつ長大な作品は平易に、スケール大きく歌われました。これって、まったく現役の存在価値也。
Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」~レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック(1987年ライヴ)・・・第1楽章「Allegro moderato(Totenfeier)」/第2楽章「Andante moderato」迄拝聴。クリアかつ臨場感たっぷりな音質、迫力、熱気、あちこちニューヨーク・フィルの技量を云々したのがウソのような完成度、第1楽章のタメ、テンションの高さ、高揚、緊張感。第2楽章「Andante Moderato」は息抜きかと思ったら、その自在なテンポの揺れ動きは信じられぬほど、比類なき説得力!数日前のマゼールとは大違い!こりゃフルトヴェングラーの世界でっせ、天才。汗水熱狂系なんて安易に書いてゴメンなさい。このまま最終楽章迄聴いたら道を誤りそう、快楽感動イケナイ世界に~こりゃいかん!第3楽章からは・・・
久々(My Reference/参照基準)ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団/合唱団/ノーマ・プロクター(a)(1969年)へ・・・南独逸のマイルドな響き、音質はそこそこでも、飾りのない表現とテンションの維持に心打たれてしまう、これで若い頃から馴染んでますから。最初に買った全集ですから。リズミカルな第3楽章(魚に説教するパドヴァの聖アントニウス)、第4楽章「原光」~「赤い小さな薔薇よ」と歌われる静謐な楽章を経て、更に音源を変更しました。
終楽章「スケルツォのテンポで、荒野を進むように」はロジャー・ノリントン/シュトゥットガルト放送交響楽団/ライプツィヒ放送合唱団/シビッラ・ルーベンス(s)/イリス・フェルミリオン(ms)(2006年)へ。幾度聴いてぴん!とこなかった演奏へのリベンジ也。おそらくは優秀録音(らしい)を再生できぬ安物オーディオの責任と類推、収録音量レベルが低いんです。非力なアンプをボリューム3時に合わせて(通常は12時頃)しっかり聴きましたよ。ノンヴィヴラートな弦、さっぱりとしたフレージング、テンションは高くてもけっして激昂しないクール淡彩マイルドな響き・・・声楽の扱いも上々、まずまずの満足を得ました。
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今朝、HDDにダウンロードした音源データをDVDに焼いていて、取り出したあと、中途半端に開けっ放し、そこにドアをぶつけて、ACER Aspire AS5750(Windows10)の光学ドライブをやや破損っぽい感じ。使えぬことはないんだけど、ビミョーです。ちょっとした不注意で愛用のマシンをダメにしちまうなんて・・・(涙)新品を買うと送料込みで3,000円を超える?オークションの出物(中古)で1,000円+送料164円にて落札いたしました。(さらに▲Tポイント600円分)数日したら到着するでしょう。壊さぬよう、分解掃除しないと。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
相変わらずの風邪気味に体調不良悪化、昨日は昼から取引先に野暮用、そのままさっさと辞去いたしました。午前中にやるべきことはやりましたし(1件大きな処理は月曜に押し出し)。スキー・バスの件は、まったやった!という感じ、何年前でしたっけ?法律運用を変え行政指導を徹底しても事態は改善されんのですね。底なしの”廃棄カツ”流出問題含め、モラルの崩壊に大丈夫かよ!日本、暗鬱とした気分になりますよ。
今朝の朝日新聞地方版、定時制高校に行こう!68歳の会社経営、息子に社長職を譲って学校へ~曰く”学歴は必要ないが、知識は必要”~名言です。学歴はあっても知識がない、智慧と工夫がない、愛と配慮がなくっちゃどーしょーもない。(反省)
Chopin 幻想曲ヘ短調/バラード第1番ト短調/第2番二短調/第3番 変イ長調/第4番ヘ短調/序奏とロンド 変ホ長調/ロンド ハ長調~ギャリック・オールソン(p)(1989年録音)・・・本国亜米利加では大人気、日本ではさっぱりな・・・オールソンの全集より。ベーゼンドルファーとのこと、たしかにキラキラ華やかなタッチに非ず、技巧の冴えは前提として、怜悧なキレに非ずやや地味な音色。むしろ優しく抑制され、大柄に強調したり煽ったりしない姿勢に好感が持てました。著名なバラード辺りそんな演奏が多いですもんね。
Bach ブランデンブルク協奏曲全曲~ユーディ・メニューイン(v)/バース音楽祭管弦楽団/ジャネット・クラクストン(ob)/バリー・タックウェル(hr)/アーチー・キャムデン(fg)/クリストファー・テイラー、リチャード・テイラー(リコーダー)/エレーヌ・シェーファー(fl)/デニス・クリフト(tp)/ジョージ・マルコム(cem)/第6番はユーディ・メニューイン、パトリック・アイアランド(va)/アンブローズ・ガウントレット、デニス・ネスビット(ガンバ)(1959年)・・・メニューインのクセのあるヴァイオリンやら、彼の指揮を全面賞賛するつもりはないけれど、管弦楽組曲(1960年)など興味を以って拝聴しておりました。EMIへのバロック録音は数年前一通りネットより入手したつもりが、整理した(はずの)音源データDVDをひっくり返しても出現しない・・・データ不良だったので廃棄したのか、それとも誤って削除したものか・・・ここ3日ほど掛けて再ダウンロードいたしました(計5gbほど)。
タックウェル、シェファーとかマルコム(よう鳴る昔のモダーン・チェンバロ/ほとんど別楽器な印象)とか名人揃えてますね。驚くべきは音質、かなり良好に各パート分離し、位置関係も理解可能。あわてて録音データを確認したら1959年!引き締まった小編成に、当時ありがちだった大柄時代錯誤な表現に非ず、親密に抑制の利いた、肩の力も抜けた表現であります。弦の響きがちょっぴり粗い(メニューインのヴァイオリン印象でしょう)とか、現代の古楽器の音色、先鋭なリズムに鳴れた耳には違和感あるかも知れないけれど、愉悦に充ちて全曲聴き通すのに苦痛はない、あっという間。第3番ト長調第2楽章「Adagio」(たった2小節)は7分!Britten編らしい。どこかの作品から引用したのかな?「マタイ」の「主よ、憐れみ給え」風もの哀しいヴァイオリン・ソロが主役です。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
やる気意欲高まらぬ2016年開始も2週間経過、ようやく季節らしい冷えに風邪症状継続しつつ週末を迎えました。大きなトラブルやら、職場内外人間関係もスムースというか、ヘンな緊張感もなく粛々淡々としております。なんかオモロないなぁ、これが引退間近ということかいな。毎日精力的に動いている女房殿を羨ましいとも思わぬ精神の後退ぶり。名古屋ではCoCo壱番のビフカツ廃棄分、業者より流出とのこと、今朝の朝日新聞によると以前にもあったけど露呈しなかったらしい。自分も食品を大量に扱うお仕事だし、廃棄はないけれど、なんとなくコトの経緯は想像付いて慄然とする思いであります。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調~ロリン・マゼール/フィルハーモニア管弦楽団(2011年ライヴ)・・・ライヴの直後、いかにもブート・レグ(語源は靴にマイクを仕込んで海賊収録)っぽいネット音源を聴いていた一連のサイクルであります。まず音質の件に感慨有、これが優秀録音なんだろうな、間違いない。自分がオーディオにあまり熱心ではないのは、カネを掛ければキリがないこと。もちろん機器の品質は前提として”部屋を鳴らす”ことが基本、よほどの住環境じゃないと理想に至らぬこと。結果としてオーディオ評価も割れて、真理が見えにくい世界であること・・・伝聞だけど、オーディオ自慢の方に誘われて、その音質に愕然とした事例もあるようです(よろしからぬほうに)。こちら10円玉インシュレーターでも、安マンションの一室としてはそれなりの音だと満足しておりますよ。
このライヴは弱音と最強音の差が大きいんです。繊細な弱音を基準にボリュームを設定すると、最強音でトンでもないことになる!リアルな臨場感は作り物とは違う迫力有、これこそ高級オーディオが真価を発揮すると類推されます。マゼールの個性は必ずしも嗜好にフィットしないけれど、その目指すところは理解できます。ウィーン・フィル→バイエルン放送交響楽団(未聴)→ニューヨーク・フィルハーモニック(数曲拝聴)と全曲演奏を続けて、最初のセッション録音(SONY)の印象とほとんど変わらない。遅いテンポ、揺れ動いて細部入念な描き込み、熱狂やらノリとは無縁、クール怜悧に一歩引いて考えぬかれた”理が勝った”表現、完璧なアンサンブルのコントロール、緊張感の維持・・・ブート・レグを聴いていた(音源廃棄済/音質不備)ので、編集してあることは理解しても、この完成度はたいしたものです。ほとんどライヴとは思えぬほど。
しかしなぁ、あちこちのテンポのタメやら、稀な疾走には自然な情感の反映やら、流れの必然性を感じさせぬもの。世評は高いので、これは嗜好の問題なのでしょう。汗水熱狂系(バーンスタイン)やら体育会系筋肉質演奏(ショルティ)とも異なる、不思議な世界であります。
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨夜、異動者お別れ会は感動的。お別れの言葉やら単なる寄せ書きに非ず、写真を集めてアルバムに仕上げて寄贈は想定の範囲内、記念品贈呈が凄い!美濃焼の夫婦茶碗贈呈時に派手に落として一個破壊!青褪める一同~というのはじつは数人の”茶碗劇”、ちゃんと正規なものは別途準備してあって、あらかじめ割ってあったのは100円ショップのものであった・・・その発想の豊かさに感服しました。二次会に誘われたけれど、風邪症状のためムリせず辞去いたしました。
お仕事はこの時期、いつもこんなヒマやった?というほど粛々淡々として、このところ大きなトラブルとかインフルエンザにて倒れるようなことがないのも一因でしょう。次年度準備にも材料は揃っていない中途半端な時期、大きな枠組作業に非ず通常業務のみだったら、いくら物量が多くても(昨日みたいに午前)2時間ほど会議が入っても即こなせるほど実務能力は熟練した3年間也。
昨夜は音楽なし。今朝、Wagner ジークフリート牧歌~コリン・デイヴィス/シンフォニア・オブ・ロンドン(1960年)・・・当時33歳、次代を担う若手をEMIは探していたんでしょう。こどもの頃、”セラフィム1000”シリーズにて聴いた懐かしいMozart も含む6CD分まとめて発売されております。この1曲に特別な感慨はないけれど未聴でした。EMIにはこんな録音用オーケストラの音源が(バルビローリとか)いくつか残って、その経緯はようわかりません。音質はそれなり、やや平板、低音が甘いEMI風音質も懐かしいもの。既にパブリック・ドメインにて半分ほど聴いているけれど、BerliozとかStravinskyとか未聴なので愉しみにしております。
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
本日、異動者二人のお別れ会。少々風邪気味、昨年末二次会(カラオーケストラ)デビューしたけど、それはご遠慮しようかと。昨日、若い者が寄せ書き集めたり、集合写真撮ったり、けっこう忙しい中和気藹々とした職場やな、そんなことを感じたものです。こちらヴェテランは相変わらずやる気意欲高まらず、そんな素振りは見せないけれど。昨年末2015/12/15に購入したプリンターHP Photosmart 5510(2,970円)のインク(前機種からそのまま移行した残)が切れました。親父のとウチの年賀状+女房殿がお仕事でバリバリ使って4色278円(税送料込/チップなし)人民中国製互換インクへ変更、チップの付け替えもすっかり慣れましたよ。次のバックアップ用インク(2回分)を即注文済。
ここ最近、音質を気にして、というか耳あたりの良い、わかりやすい音楽ばかり狙って安易か、そんな反省をして音源選定。Scho"nberg 弦楽四重奏曲第1番 作品7~コーリッシュ弦楽四重奏団(1936年)・・・ルドルフ・コーリッシュ(Rudolf Kolisch,1896-1978)率いる団体は新ウィーン楽派専門の団体ですか?そんなんで商売になったんでしょうか。ソプラノ入り第2番は幾度か拝聴機会はあったけれど、第1番は初めてかも。無調に至る前、後期浪漫派の甘美な風情を残した40数分、途切れなく纏綿と音楽は続きます。イメージとしては「浄められた夜」風、これが時代相応な音質(まずまず良心的)妖しいセピア色の印象をいっそう強めて、けっして難解な音楽に非ず、Mahler 辺りから一本に結ばれた流れを感じさせました。
Stravinsky バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)/Debussy 夜想曲~アンタル・ドラティ/ミネアポリス交響楽団/セシリアン・シンガーズ(1951年)・・・CDでは復刻されていない?Mercuryのモノラル録音、数日前ミネアポリス交響楽団の悪口を書いたことへの反省もありました。LP復刻の音源は奥行き不足とはいえ、期待通りの鮮明な音質。時代的に「火の鳥」は短い1919年組曲版(LP片面に相当)、Debussyも色彩豊かな作品、飾りや動き少なくやや生真面目なストレート系表現を以て、ヴィヴィッドに表現しております。時に金管とか個別気になる箇所はあっても、けっこう瑞々しいサウンドに鳴っていて、整ったアンサンブルに感心いたしました。女声合唱を伴う「シレーヌ」を省略しないのも矜持でしょう。
歴史的音源も敬遠せずに聴いていきたいものです(ほとんどタダやし)。では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
せっかくの連休も風邪気味、暖冬とはいえ一番寒い時期、引き隠って新しい一週間を迎えました。明日、異動者二人のお別れ会。定例スポーツクラブはお休みとなります。久々に老舗・岩波新書らしい手応えある一冊拝読(1995年発行だけど)平川 南「よみがえる古代文書―漆に封じ込められた日本社会」 (岩波新書) ・・・人骨もそうなんだけど、日本の気候では紙の文書は残りにくいんですよね。竹簡とか金属に残された文字は有名だけど、奈良平安時代の漆に固められた「壺の蓋紙」が全国各地より出土、当時紙は貴重品だから反故が使われ、漆の驚異的な保存能力+赤外線で解読可能になる・・・その解読がスリリングであって欠損部分を類推するのもドキドキもの。当時のお役所文書から庶民の生活がリアルに浮かび上がる・・・権力の象徴である暦が凄いし、九九って大昔からあるんですね。旧字体さておき、現在でも漢字はそのまま読めることに感動すらある・・・ま、秦の始皇帝時代の漢字もかなり読めますもんね。既に20年前の著書、その後の成果も知りたいものです。
Beethoven ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調「熱情」/第22番ヘ長調/第26番 変ホ長調「告別」/第16番ト長調~アルフレッド・ブレンデル(p) (1962-64年)・・・2010年入手の35枚組ボックス、これがCD入手の締め括りとなった集大成のひとつ也(以降データへ)。ぴかぴかのリアルな音質とは云えぬけど、劣悪だったはずのVOX録音はそれなり聴ける水準(オーディオに詳しい方によると、元音源とそう変わらぬらしいから、こちらの再生環境なのでしょう)、30歳になったばかり若きブレンデルの記録です。いちおう幾種か音源揃えてあっても、Beeやんのピアノ・ソナタにはなかなか手が出ず、結局ブレンデルを思い出したように取り出すのみ。聴けばその盤石な知的構成に必ず感動する名曲であり、ブレンデルのストレートな飾りのない中庸表現+芯のある音色に(必ず)満足できるもの。全部とは云わないけど、作品旋律もほとんど昔馴染み、「熱情」「告別」辺りなんてステキな作品なんや・・・
Bartok バレエ音楽「不思議なマンダリン」/弦楽のためのディヴェルティメント(BBC交響楽団/1964年)/2台ピアノと打楽器のためのソナタ(ロンドン交響楽団メンバー/1960年)~アンタル・ドラティ ・・・入手した音源データが不良、大好きな「ソナタ」ラスト聴けず残念。例のMERCURY録音は高音の伸びとか肌理の粗さはあっても、骨太豊かな広がりは現役でしょう。「マンダリン」は内容も音楽も暴力的なもの、ディヴェルティメントは擬バロック的+ローカル旋律な楽しさがあり、このシリーズには珍しいオーケストラも好調です。いくつかドラティを聴いてきて、ミネアポリス交響楽団(現ミネソタ管弦楽団)のアンサンブルが一番落ちるような・・・
Kieth Jarrett「サンベア・コンサート」~「京都」(後半)(1978年)・・・激しい不協和音、ゴツゴツしたリズムは怒りに充ちた出足、はっきりと記憶は蘇りました。やがて怒りは治まり、リズムは整い、少しずつ平静さを取り戻し、静謐な美しさは上流の水源の一滴に至る30数分。これがインプロヴィゼーション!?録音として永遠の生命を保つ音楽に至るとは!
他、Mahler 交響曲第3番二短調~第1楽章「力強く、決然と (Kraftig. Entschieden.)」(ベルリン・フィル/1990年)/終楽章「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて (Langsam. Ruhevoll. Empfunden.)」(シカゴ交響楽団/2006年ライヴ)~ベルナルト・ハイティンクなど。かつて指揮者とオーケストラの違和感あった前者音源をちょっぴり見直しました。では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
祝日連休、本日は成人の日。ご当地はノンビリした新興住宅街が多いから、大荒れなことはないのでしょう。ヘンな伝統ができているところもあるとか。夜、ご近所の爺婆居酒屋に行って、新年のご挨拶、30年来の常連さんがいろいろ歴史とか説教してくださいました。おいしかったですよ。キンメの白菜煮、薄味で絶品!野菜の甘味が際立って臭み皆無。微妙な風邪症状なのでどこにも出掛けず(いつものこと)音楽もあまり聴かず、ヤクのせいで夜もよう眠れます。
山岸良ニ「古代史の謎はどこまで解けたのか」(PHP新書)・・・例の捏造事件ショックも含め、エドワード・モース、岩宿の発見~戦国時代の遺構までコンパクトに、要らぬ余録なくまとめて、現状分析は的確です。いままでバラバラの知識だったものがスッキリ整理されました。博多在住時には吉野ケ里に二度も行きましたよ。サラリーマン引退したら三内丸山古墳やら平泉にぜひ行ってみたい。先日、NHKの番組は世界に類のない豊かな縄文文化を特集しておりました。
宮部みゆき「本所深川ふしぎ草紙」(新潮文庫)・・・ここには超能力やら霊は出現しないし、ようできた人情話ですよ。7話の短編はどれも表層の事象と裏腹の真実が深くて、味わい深く泣かせてくださるものばかり。彼女の文庫を安く探して、たまたま札幌にて入手した一冊です。幾度、読み返して江戸情緒を堪能しております。岡っ引きの茂七って、ドラマにするのなら誰が適任でしょうか。
Barber ピアノ協奏曲(デニス・ラッセル・デイヴィス/ザールブリュッケン放送交響楽団1984年)/Bartok ピアノ協奏曲第3番(秋山和義/新日本フィル1985年)/Nothing but the Truth~キース・ジャレット(p)・・・とくに前者は超絶技巧にばりばり弾くような(とくに最終楽章)作品だし、キース・ジャレットの技巧的な問題をちょっぴり心配しておりました。後者Bartokは比較的穏健というか、そんな作風だから大丈夫とか、先入観バリバリ。かつてかなりの量を聴いて(Mozart とかBach とか)違和感があったんですよ。結果、今回も響きが薄いな、軽いかな?音録りの思想とかオーケストラのサウンドもあるのか。D.R.デイヴィスはクールな音造りをする人だし、新日本フィルも(ゆうぽうと簡易保険ホールのせい?)やや乾いて響きは散漫、それよりキース・ジャレットのピアノのタッチは作品の強面風情にはちょっと違うんじゃないか、と。結果的に昔のイメージから離れられません。
Kieth Jarrett「サンベア・コンサート」~「京都」(前半)(1978年)・・・LP時代大枚10枚組入手(たしか中古壱万円)社会人になって”オトナ買い”とはこのことか、グレン・グールドのBach /BOXと並んで宝物でしたよ。ほんま久々の、待望の再入手(データ)あれ?6枚分しかない、って、LP時代一夜2枚に渡ったものをCD一枚分収録+アンコールを別途まとめて計6枚といった計算でした。今朝(↑上記の仕切り直し)早朝より聴いて、陶然と聴き惚れておりました。今聴けば”ステキなミニマル・ミュージック”風、Michael Nymanに非ず(あれはあれで研ぎ澄まされ、計算し尽くされた緊張感が凄いけど)もっと自在なインプロヴィゼーション(即興演奏!)官能的であり静謐、幻想的、瞑想的、微細な揺れ、わずかな変化、沈黙、やがて変遷し、空気が変わって~起承転結ではない、心象風景が刻々と変化して四十数分LP一枚分、途中で止めるワケにはいかぬ陶然とした、甘美な時間が過ぎました。もう40年ほど前、青春の記憶です。
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昨日どんな音楽を聴いたの?ようやく思い出したので追加。
Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調~ミシャ・ディヒター(p)/クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1978年)・・・これはネットよりLP音源入手。SACD化されたらしいけど、話題にもなっておりません。Misha Dichter(1945-)は年齢的にまだまだ現役の亜米利加のピアニスト(ディクター?じゃないのか)最近噂を聞かんなぁ、マズアとこんな録音を残していたのですね(第1番も有)。アナログ末期SQ4チャンネル録音らしくて、これってたいてい芯の定まらぬ結果になりがち、これもオーケストラ含めて微妙に響きが薄く感じます。技術的には文句なし、悪くないけど期待の独逸のオーケストラもそこそこで、先のKieth Jarrett連続、ちょいと不調でした。お粗末。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日は体調問題(やや発熱)もあって、昼から職場辞去、そもそも金曜で一週間分のお仕事のケリを付けて、ほんのちょっぴり残務処理ですから。帰宅して定例スポーツクラブはお休みしようかな?一瞬考えたけれど、一度サボるとずるずると・・・これはいかん!ムリムリ自らを鼓舞してエアロ・バイク30分+超・初心者エアロ・ビクス30分強行。数日前夜、エアロ・バイク45分消費カロリー100kcalに届かなかったのは心拍数が上がらなかったから?速度を上げ過ぎたかも、と反省してゆっくり、じっくり漕いで30分、130kcal消費となりました。エアロ・ビクスは途中膝が痛んで、これは風邪症状でしょうか。
帰宅してノートパソコンAcer Aspire 5750(メモリ6gb)つけたら、なんか本格的に「10」アップデート始まりました。延々と終わらぬので、テレビ前コタツ常備のDELL Inspiron N5110(赤/LinuxBean/ほぼ環境は同期させている)を使用して数時間後、終了したようなのでWinodwsに戻りました。ところが!Wifiが(勝手に)機内モードになっているし、QTclipのスタート・アップも無効に、アレンジしたゴミ箱(「新しい世界」に変名済)アイコンもデフォルトに戻って修正の仕方がわからない、日本語入力が出現しない・・・Cortanaなんて要りませんよ。再起動したら日本語入力(Google)無事修復しました。ま、動作は安定しているから佳としましょう。
いくつか十数年愛用常用している(Linuxでは動かない)ソフト(+周辺機器)があるし、世間様ではWindowsが圧倒的多数、女房殿(のフォロー)やお仕事の都合もあってWindows10を使っているけれど、DELL Inspiron N5110(赤/LinuxBean)のほうが快速だし、安定しております。いずれ我流なのでちゃんと使いこせていないけれど。
世間では北朝鮮の水爆(ほんまか?)とかベッキーのLine云々が話題みたいだけど、国際情勢さておきタレントのゴシップ話はオジサンに縁はありません。いつも明るく可愛らしいベッキーも、最近表情風情にちょっと品がないなぁ、ぼんやり感じておりました。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調~ヴァーツラフ・ノイマン/ゲヴァントハウス管弦楽団(1966年)・・・久々の拝聴。年末聴いた小澤征爾(1990年)は爽やかな演奏やったなぁ。こちら年代なりの音質の不備はあっても(Brilliantライセンス盤だし)年代を考慮すれば充分過ぎるほど。当時ノイマン46歳、コンヴィチュニーの後任であった(1964-1968)ことは少々意外な感じです。これがド・シロウトな”独逸的”イメージそのもの、質実にくすんで地味渋系、弦が中心で金管は深く柔らかく前面に出ない。一説によるとホルンは若き日のペーター・ダムなんだそう。表現に咳いたムリムリ感、前のめりな切迫感もなく、自然なスタイルはチェコ・フィル同様、違うのはオーケストラの色や個性であって、いずれ異形な切迫感やらモダーン颯爽とした世界とは遠いローカルなもの。
Mahler にはキレのある上手いオーケストラ必須と考えてきたけど、少々宗旨替えしました。CD一枚分、聴き疲れせず名曲を実感させてくださいました。(写真はクリムトの「抱擁」これほど作品との親和性を感じさせる絵画も珍しい)
Mozart 歌劇「魔笛」~ヴォルフガング・サヴァリッシュ/バイエルン州立歌劇場管弦楽団合唱団/ペーター・シュライヤー(t:タミーノ)/アンネリーゼ・ローテンベルガー(s:パミーナ)/ヴァルター・ベリー(br:パパゲーノ)/オリヴェラ・ミリヤコヴィチ(s:パパゲーナ)/エッダ・モーザー(s:夜の女王)/クルト・モル(b:ザラストロ)/テオ・アダム(br:弁者)(1972年)・・・昨夜第1幕、今朝から残り全部拝聴中。驚きました。先のゲヴァントハウスもそうだけど、ド・シロウトな”独逸的”イメージ・サウンドの魅力、集中して「魔笛」ばかり聴いていた記憶はないのに、どこをとっても知らぬ旋律、歌はない!ほどに妙に細部馴染んでMozart の愉悦、メルヘン、たっぷり隅々迄堪能いたしました。音質は年代相応、舞台の雰囲気は充分伝わりますよ。それにしても・・・オール・スター揃えたなぁ、現在ではムリでしょ。とくに男声陣の個性圧巻!エエ時代だったんやな。エッダ・モーザーの「夜の女王のアリア」はキンキンして好みじゃない、なんて罰が当たりまっせ。
音楽の見聞を広げる取組みの一環。Joseph Boulogne Chevalier de Saint-Georges(サン-ジョルジュ1745-1799)交響曲ニ長調 作品11-2(歌劇「ラマン・アノニム」序曲/1779年)/ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-1(1774年)/作品8-1(1775年)/作品2-2(1773年)~フランチシェク・プレイスレル.Jr(Frantisek Preisler Jr)/プルゼニュ放送交響楽団/ミラスロフ・ヴィリメッツ((v)Miroslav Vilimec)(1996/97年)・・・Saint-Georges(サンージョルジュ)の名前はNAXOS辺り見掛けていて、いずれ聴いたみたいと考えておりました。こんな稀少音源もかつては苦労してクソ高い値段に博打のように個人輸入CDでしか聴けなかったのに、こうしてネットから気軽にデータ入手、拝聴叶う佳き時代になりました。
Haydnが1732-1809、Mozart が1756-1791、Beeやんが1770-1827だから皆同時代、1789年がフランス革命、その辺りでっせ。たった今21世紀でさえ、見た目肌の色言語は同じでも、国籍出目(のみ)で差別的言辞を吐く輩(やから)が存在するでしょ?ましてや250年ほど前、西インド諸島仏蘭西領の奴隷の息子、おそらくは開明的な親父の配慮で8歳より渡仏、一流の音楽教育を受けたとのこと。乗馬とかフェンシングでも名を馳せたらしいけど、きっと苦労したでしょうね。”黒いモーツァルト”という別名もビミョー、実聴した音楽は、シンプル素直、端正、陰影少なめなMozart 風、この辺り(マンハイム楽派というか、こちら仏蘭西だけど)時代の反映そのままの風情であります。
プルゼニュとはビールが有名なピルゼンのこと、ややザラリとした質実な響きのモダーン楽器によるアンサンブル、ミラスロフ・ヴィリメッツは美音じゃないけど、充分な技量で同じ調性ばかり(ニ長調)3曲協奏曲続けても飽きさせないほど表情は豊かでした。時に見せる陰りも優雅な旋律也。おそらくは古楽器溌剌リズム感が似合う音楽と類推(たしかブルーノ・ヴァイルの録音があったはず)、フランチシェク・プレイスレル.Jrはオーソドックス、フツウのアンサンブルであります。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
やる気も意欲もさっぱり盛り上がらん2016年最初の週に限って土曜出勤、セキュリティ解除当番(平日は実質全部自分が開けている)挙句、鼻水が止まらぬ症状に耳鼻科に通院したら風邪とのこと。ぐずぐずしていても体調は悪くありません。もう一人出てきたら、昼から職場辞去してスポーツクラブ強行するつもり。昨日夕方親父の手術(2箇所ほど骨折)は無事完了、レントゲンで見るより実際にはもっと状態は悪かったようで全治3ヶ月、自分も左膝靭帯を切った時にはリハビリに苦労したから、90歳の爺さんにはもっとタイヘンでしょう。改装したマンションはトイレ風呂は(予算的に)手付かず、昔風深い浴槽では入れないでしょう。
改装時にトータル予算枠と改善希望箇所との折り合いを付ける、といった交渉ができず、途中要望をどんどこ足すから、ずいぶんと高く付いたらしい。なんせお役所(+高度成長)体質の人々だからなぁ、今更、云っても仕方がないけど。1994年にマンション改装を手掛けた経験から、一番カネが掛かるのは水廻り、それを後回しにするのが常識から外れている!(って、その半年後に博多に転勤異動になったのも想い出でっせ)
引き続きブーレーズ追悼。ここ数年、かつて心待ちに新録音を愉しんでいた馴染みの音楽家が次々亡くなります。その中でも彼の逝去が一番ショックが大きかったな、なんせ老熟とか枯れた味わいとか晩年のイメージとは無縁の人でしたし。Bruckner 交響曲第9番二短調~ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィル(2001年ライヴ)・・・手持ち音源確認中、偶然発見したもの。ネットから入手したライヴ音源は、パソコンソフト(Foober2000)にて再生すると「CDでは発売されておりません」的コメントが出現します。ややデリカシーに欠ける肌理の粗い音質はまずまず良心的、例の如し虚飾のない表現はライヴ故、意外とアツい風情に溢れました。作品的に美しくもフクザツなる旋律が重層的にからみ合って~みたいなものではない、もっとハーモニーそのものの響きの重なりあいの世界だから、ブーレーズの世界じゃないかも。例えばチェリビダッケとかヴァント、クナッパーツブッシュ(フルトヴェングラーも)ってあまりMahler を演りませんよね。こちら悪くないけど、ブーレーズならでは洗練された個性は発揮されておりませんでした。
Stravinsky バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)/バレエ音楽「春の祭典」~ピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団(1991年)・・・偶然だけど1969年録音は前月のヴェリ・ベスト、久々にその精密緻密なバランス+尖(とんが)った緊張感に感銘を受けたものです。こちらまず「ペトルーシュカ」よりスタート、申し訳ないがニューヨーク・フィルとは雲泥の技量の差、フレージングの処理をマイルドにいっそう洗練させるのが、彼なりの熟練だったのでしょう。弱音部分での抑制されても、細部明晰な響き、最強音部への自然な移行はスムースそのもの、各パートは痺れるほどニュアンス微細に反映されても、具現化されたバランスは驚くほど静謐(というか響きが濁らない)クリアであります。
その道に詳しい方は当時のDG録音に文句を付けている件も散見されるが、こちらド・シロウト。夢見るように鮮明な音質+時に打楽器の低音が快く響きました・・・あまりにしっとり、バランスよく仕上げすぎて「ペトルーシュカ」の魅力である賑々しい愉悦、祭りの喧騒のウキウキ感にはちょいと欠けるのかも。「春の祭典」も同様。マイルドなフレージングの仕上げが徹底され、強弱の流れスムースに至って、1969年の衝撃は薄れました。(1963年の録音はいっそう怪しい熱気有。これは若さかな?)しかし、音質やら奥行、打楽器の深みが増して、これはこれで洗練徹底されて魅力的でしょう。
他、Kodaly 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」/ガランタ舞曲/ハンガリー民謡「孔雀」の主題による変奏曲/マロシュセーク舞曲~アンタル・ドラティ/フィルハーモニカ・フンガリカ(1973年)・・・これは英DECCAの名アナログ録音。今は亡きフィルハーモニア・フンガリカにとってお国もの、Bartokとはずいぶん風情が違って、ユーモラス、泥臭くわかりやすい世界が広がってノリノリ。なんかとても愉しい。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
いつも通りお仕事遂行しているように見せて、その実ぜんぜんやる気、意欲が出ない2016年第1週目。明日土曜は出勤当番になって、なんとか昼から帰ることを狙っております。(スポーツクラブ行き)鼻水がひどくて、なんかのアレルギーなのかな、通院を考えましょう。昨夜、母親から電話が・・・親父になにかあったのか!と思ったら、明日(=本日)手術とのこと、知っているって、先日聞いたよ。祈、無事な快復。
昨年末、溢れかえる音源データ整理の切り札に3TBの外付けHDD入手を検討したけれど、品質不安定との声に諦めたものです。使い方にもよるけど、即アウトになるのはさておき、概ね寿命3-4年ほどってノートパソコンに似ているじゃないの。現在自宅稼働の3台はいずれも満4年を超え(女房殿の)eMachines E732Z(Windows10/64bit/メモリ4gb)は中古入手(2014年1月)なので、ほんまの実働はわかりません。壱万円経験勉強として消費するのも悪くないけれど、データがいきなり消えちまうのは困る!(怪しげな予告はないのか)DVDは保存状態さえよければ(+もともと媒体の品質がまともであれば/安物狙いはアウトやったな)30年保つ!との情報有。たしかに2000年頃焼いたCDR(=自主CD)でも、いくつか現状聴けるものがありますよ。アウトになったのはたいてい手垢(脂)とか盤面傷が要因でした。
10-20年保てば充分、しばらくDVD保存でいきまっしょい。ネットストレージ保存はダウンロードがメンドーなので検討外。写真は保存済です。
ブーレーズ追悼。Ravel 古風なメヌエット/ラ・ヴァルス(以上1974年)/バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(1975年)~ピエール・ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック/カメラータ・シンガーズ・・・精密機械のように緻密な作品を残したRavel 、正確な技術とお仏蘭西の粋の両立が課題でして(少なくとも当時の)ブーレーズは曖昧な技巧やら雰囲気で聴かせたり、要らぬ色(色気)が滲み出る母国のオーケストラを嫌っていたんでしょう。ニューヨーク在任中(1971-1977)バーンスタイン時代(1957-1969)の粗っぽい熱狂は是正されても、このオーケストラはあまり上質上品な響きに非ず・・・ニュアンスとか雰囲気より、明晰な響きを求めて、各パートのバランス、アンサンブルの集中に傾注しているブーレーズの格闘が理解できる録音也。「古風なメヌエット」は無遠慮、四角四面な姿がオモロく、「ラ・ヴァルス」「ダフニス」とも、思わぬ美しいサウンドをあちこち引き出しつつ、基本尖(とんが)って硬質、細部明快な表現が際立ちます。
音質は記憶以上に鮮明。そんなブーレーズのコントロールだからこそ、ニューヨーク・フィルの素のサウンドがモロに出て、このオーケストラにRavel は似合わない。後年ベルリン・フィルと再録音したでしょ?しばらく聴いていないけれど、マイルドな色気サウンドに驚かされたものです。
他、Mahler 交響曲第1番ニ長調~ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団(1998年)・・・夾雑物過不足のない表現、明晰硬質なサウンドに痺れました。では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
本日北海道の親父90歳の誕生日、明日骨折したところの手術、無事快復してくれるでしょうか。手術の無事成功は前提として、ポイントは積極的なリハビリでしょう。今朝、新聞にてピエール・ブーレーズ逝去(90歳/親父と同世代)を知りました。「春の祭典」(1969年)以来ヒーローでしたよ、ワタシの。当時のこどもにとって2,000円は大金でした。彼のStravinsky、Mahler 、Bartok、Debussy、Ravel 、Webern・・・ほとんど自分のリファレンスでしょう。合掌。
昨日、定例データ処理作業は驚くべきほどスムース=ヒマ、嗚呼ツマらんな、なんて不遜なことを云うとお仕事不如意で悩んでいる多くの人々に申し訳ない。昨年末、取引先の若く優秀な親しい方(妻子持ち)が退職、事前に幾度か相談に乗った(というか愚痴を聞いた)けれど、理由は”お仕事担当変更したらお仕事がオモロない”、もっと別な可能性をみつけたい、とのこと。3年前、ご当地名古屋方面に転勤移動して、自分の立場の変化(マネージャー→一担当)文化、人間関係、職場運営の違い、純実務的な慣れに苦しんで、ようやくそれなり馴染みましたよ。職場内外概ね良い人間関係を築いて営業実績は順調、データ処理は熟練工夫を重ねて大合理化出来(もともとパソコン関係は得意というか趣味だし)フツウ経験を重ねれば精度と速度はアップするでしょ?
職場内の皆、嫌がる後ろ向きなお仕事も引き受けてヴェテランの役割を果たしているつもりだけど、先が見えぬのがツラい。お仕事の考え方、対峙の仕方は人それぞれ、一時逼塞する時期があっても基本”オモロい”ことが大切と思います。あと1年、身の処し方を熟考しましょう。昨夜、新年初の初心者向けエアロビクス、相変わらず自分のみ全然インストラクターの動きに付いていけず、有酸素運動の汗+冷や汗混じっておりました。
Mahler 交響曲第9番ニ長調~モーリス・アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1969年)・・・全集はとうに売り払ってしまったけれど、昨日偶然youtubeに全曲アップされていることを発見、そのまま聴けば良いのに、全曲.mp3音源としてダウンロードしました(音質はいまいち/オリジナルは良好とのこと)。NMLでも聴けますよ。牧歌的な暖かい風情漂って、暗鬱な激情切迫感とは異なるもの。オーケストラの響きは明るく、思いのほかアンサンブルも優秀、テンポは中庸、なんとなくユルくて、これもまた味わいあるMahler なのでしょう。今朝はここまで。(10年ほど前【♪ KechiKechi Classics ♪】 にコメントありました)
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
お仕事初めは、さほどに盛り沢山なトラブルといったワケでもないけど、やはり失念とか思わぬ残務調整有。定例のデータ処理作業はスタートが遅れても順調にクリアできました。半日ほどのずれ込みは覚悟していたんだけどね。2015→2016へ気分は一新しないけど、種々記憶は一掃されて困ったものです。今朝の朝日新聞「自由とは何か」~三人三様のご意見有、やはり最低限の経済的裏付けが基本かと思います。蛭子能収さん「好きなことをするため」の最低限の心配り、月3回ほどの競艇?これは絶対に欠かせないとのこと。好きなこと=息抜き、そして才能なんだろうな。いったい自分にはなにがあるんだろう?
朝の腰奥鈍い痛みは本日ほとんどなし、こりゃ石だったんだな。本日夜、久々のスポーツクラブ復活予定。
Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調/Prokofiev ピアノ協奏曲第3番ハ長調~サンチャゴ・ロドリゲス(p)/エミール・タバコフ/ソフィア・フィル((c)(p)1989)・・・Santiago Rodriguez(1952-)はキューバ出身のピアニストらしい。野球みたいに身体能力に優れているのかな?腕利きピアニストの技巧の冴えを見せるべき作品、前者は第2番ハ短調に比べ、旋律甘美の徹底に於いて一段落ちて技巧ばかり目立つ~そんな勝手な印象は演奏個性によるものだったのでしょう。ロドリゲスのピアノは(こんな作品に?!)爽快なほどの鮮やかな技巧のキレ、明るくアツい歌心溢れて作品イメージを一変させるものでした。Prokofievだっていかにもウケ狙い!風作品を真正面から切り込んで、怪しい聴き手(=ワシ)に文句を云う隙を与えぬもの。詩情豊かなゆったりとした味わい作品への相性はさておき、バリバリ弾いて!華やかな作品にはこんな個性は必須。
ネット情報を探ると数年後の再録音(ライヴ?)があるそうで、そちらはもっと凄いとのこと。タバコフは久々の拝聴、あまり芳しくない伴奏の評価なんだそう。ワタシはさほどに不満を感じませんでした。(1989年録音とのネット記事を見たけれど、あくまで(c)(p)1989。詳細情報は探せません)
Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」~カール・ミュンヒンガー/シュトゥットガルト放送交響楽団(1983年)・・・独インターコードによるミュンヒンガーのMozart とかBeethoven 録音など、かつてCD数枚持っていたっけ。Karl Munchinger(1915-1990)はちょいと昔の人、古楽器全盛時代に忘れられた人みたいな印象でしょうか。年末お休みに入って腑抜けた精神状態にBeeやんまったく受け付けず、昨日の小澤征爾、そしてこの「英雄」を快く拝聴いたしました。繰り返しなし、激しい煽りとか爆発とは無縁、諄々とした中庸バランス感覚、耳あたり良い暖かいサウンド、わかりやすい旋律表現、時にやや昔風なテンポのアゴーギク(Agogik)も意外なほど効果的、50分しっかり集中できましたよ。彼のほかの交響曲録音も拝聴機会ないものか。一巡して、こんなオーソドックスに柔らかい演奏に鮮度を感じます。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調~ロヴロ・フォン・マタチッチ/イタリア放送ミラノ交響楽団(1962年ライヴ/モノラル)・・・第1番ハ長調も
聴いたけれど、平板奥行きのない乾いた音質に少々閉口気味。それにオーケストラが上手くないなぁ、パブリック・ドメイン故、喜んで無料入手した音源は、マタチッチのヴィヴィッドな表現の片鱗は理解できても、大賞賛して聴くほどの録音じゃないかも。ごめんなさい。
では、行ってきます。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
世間より一日遅れて本日より出勤。今朝はちょいと冷えますね。いきなりの週次データ処理の山場さておき、途中ミーティングも入って、もちろん残務もあるでしょう。慌てずに、キリの良いところまで、じっくりやりましょう。あわてるような仕事に非ず。
小松美彦「脳死・臓器移植の本当の話」(PHP新書)・・・年越して分厚い新書、渾身の力作を読了。あまりのコトの深刻さ+親父のケガに暗鬱とした気分いや増しました。自分なりに問題意識を整理すると(1)そもそも心臓移植でほんとうに寿命が伸びるのか、現状最善の治療法なのか(統計ではそうとは限らない)(2)脳死判定行為そのものが脳にダメージを与え、回復(または延命)の可能性を摘み取ること。移植を前提とした臓器保存は”生きている”患者を死に追い込む! (3)脳死が脳波が測定できないことで判断できるのか、それは証明できていない(「脳死」と判定され、臓器を取り出すときに血圧が上がる!”死者”が暴れる!)「脳死」(自発呼吸がなく)人工呼吸で生かしても、遠からず心臓死を迎える→ウソ!そうでない例もたくさんある。(4)大脳の機能(のみ)が人間性や情感の中枢なのか(この例示が興味深い)他いろいろ。1968年「和田心臓移植」は心臓移植を必要としないかも知れないない患者に、まだ生きているドナーの臓器を移植した?かも知れない行為、30年を経て再開された1999年高知赤十字病院の移植だって、基本経緯の危うさは変わらない・・・自分の臓器はすべて提供する決意をしていたけれど、かなり思いは揺らいできました。「脳”死”」というのは推進派の天才的な造語(世論誘導)だったんだな。
昨日一昨日、朝鈍い腰痛があって、自分は腰には柔軟性充分との自覚有、昼には気にならなくなったけれど、慣れぬ布団のせい?それとも腹部エコーに2年連続写った”石”の仕業か?今朝はなんともありません。
Beethoven 交響曲第5番ハ短調~小澤征爾/シカゴ交響楽団(1968年)・・・写真が若いなぁ、33歳の記録。LP時代以降幾度も聴いていたはずの音源、どんな感じだったか記憶もありません。これがけっこう重量級厚みのあるサウンド(ちょうどマルティノンが辞任した頃)、今となっては中庸なテンポ(当時としては速め?)引き締まったムダのない表現、緊張感と推進力にあふれて、爽やかな演奏であります。提示部繰り返し有。おそらく時代はもっと悠揚としたスケールを求められたんでしょう。結果的に今に至るも全曲録音してませんよね、交響曲は。(たしかメータも)不思議。(後述;小澤征爾の全集はあるとのご指摘有)
他、Schumann ダヴィッド同盟舞曲集/幻想小曲集 作品12~マレイ・ペライア(p)(1973年)・・・これ最高!安定した技巧、暖かい音色、詩情に不足はないけれど往年の揺れるような浪漫に非ず、バランス感覚ある甘さ控えめの表現であります。昨年末、ラストに処分したのはイエルク・デームスのボックスでした。久々に聴いたら技術的な問題にちょっと驚いたもの(不遜!)です。
では、行ってきます。あわてず、しっかりお仕事に集中いたしましょう。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
世間ではお仕事始め、こちらもう一日お休みいただいて長久手に戻ってきました。元日、札幌のマンションに到着すると親父はソファに寝込んで身動きできず、前日神棚の準備をして椅子から転落して左腰左脚を傷めた(骨折)とのこと。折悪しく、ご近所病院(整形外科)は営業していない、ってほんまか?2日半ほどお付き合いして、ま、ノーミソ完璧稼働のみ確認して、昨日朝一番に千歳~神戸空港~京都へ。先ほど母親から電話が来て、無事入院し、数日後手術とのこと。とんだ90歳の誕生日やなぁ、ちゃんとリハビリしてくださるでしょうか。せっかく言語明瞭ノーミソ明晰なのに、そのまま寝付いてしまえば弱ってしまうのではないか・・・せっかくの帰省も親父の顔を見ただけ。
京都には昼過ぎに到着して、昼飯喰おうと思ったらどこも大行列!いっそうガイジンさん多い感じ。女房と素敵な新しいホテルにて待ち合わせて、夕方山陰料理のお店に行ったけれど、どーも食欲出ません。ほとんど呑んでませんし。本日はさっそく女房殿が昼からお仕事稼働なので、初詣は錦天満宮(錦市場入口)で済ませました。
どこにも行っておりません。無神論者ではあるけれど、地元神社に昨年の御札を収め、新しいのを入手しなくっちゃな。
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J. Strauss II「Ouvertu"e zu "Blindkuh" (Overture to "Blind-Man's Buff")」/Ziehrer「Faschingskinder Walzer, Op. 382 (Carnival Children, Waltz)」/ Komzak「 Echtes Wiener Blut! Marsch, Op. 189 (True Vienna Blood! March)」/ J. Strauss II「 Immer heiterer, Walzer im La"ndlerstyle, Op. 235 (Ever Merrier, Waltz in La"dler style)」/Ziehrer「Freiherr von Scho"nfeld - Marsch, Op. 422 (Baron von Scho"feld, March)」/ J. Strauss II「 Wiener Blut, Walzer, Op. 354 (Vienna Blood, Waltz)」/ J. Strauss II「Neue Pizzicato - Polka, Op. 449 aus der Operette "Fu"rstin Ninetta" (New Pizzicato Polka from the operetta "Princess Ninetta")」/Ziehrer「Weaner Mad'ln, Walzer, Op. 388 (Girls of Vienna, Waltz)」/ Ziehrer「Das liegt bei uns im Blut, Polka Mazur, Op. 374 (It runs in our blood, Polka Mazurka)」~ウィリー・ボスコフスキー/ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団(EMI SLS 517/Record Two/1971-72年頃)・・・新年早々(正確には年末押し迫って)親父がひっくり返って入院、このウィンナ・ワルツ集もLP板起こし不正入手音源(LP4枚分)掟破り。ボスコフスキーのウィンナ・ワルツはなんとなく、緩いというか芯が定まらぬような印象もあって、あまり好んで聴きません。こちらウィーン・フィルに非ず、オーケストラは上手くもなく、音質も状態良好とは云えぬ乾いたもの、でもしっかり聴きましたよ、正月ですし。
「ウィーン気質」とか誰でも知っている作品もあるけれど、コムツァーク(1850ー1905)とかツィーラー(1843ー1922)とか、求めて聴かぬような素敵な旋律も出会って、なかなか雰囲気たっぷり。楽団員が口笛吹くのもあるんですよ。ま、作品が作品だからアンサンブル云々は良いでしょう。
2016年1月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日、既に昨年となったけれど、朝ちょいと寝坊して朝食、思い立って行きつけの床屋に朝一番に向かったらお休みでした・・・一旦帰宅して、反対方向の絶対に開いている!チェーン店へ計30分ほどのウォーキング。やや待たされ短く刈ってもらって、そのまま大型温泉風浴場へ~極楽っす。手足の痛みに効きそうな電気風呂(あれって高周波?)使用、上がってソフトクリーム180円喰ったのもささやかな贅沢でした。さらに途中、激安激旨手打ちうどんを昼食として帰宅したら、心身ともにもうヘロヘロ・・・
今サイクル・ラストに落札されたCD一件、送付住所連絡があったので、ポストに入れてヤフオク・プレミアム会員契約解除としました。これで一区切り。
Mozart 交響曲第40番ト短調K.550/第41番ハ長調K.551「ジュピター」~ハンス・グラーフ/ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団(1988年)・・・お気に入り作品なのにずいぶんと聴いておりません。朝一番、朝食時にポータブルのONKYO CDプレイヤー/CBX-Z10で聴いて、集中したわけじゃないけど、嗚呼やっぱ名曲やな。グラーフはほんま作為のない、素のまま虚飾の表現、作品の素敵な旋律テイストがそのまま素直に伝わります。悲劇を強調せず、天翔るジュピターを徒に大柄にしない。オーケストラが質実というか、キラキラしたところのない響き、これは屈指の全集と思います。音質もよろしい。
ここまではよかったんですよ。次から最悪。
Beethoven 交響曲第4番 変ロ長調~ベルナルト・ハイティンク/ロンドン交響楽団(2006年ライヴ)・・・ハイティンクは大好きだし、世評も高いもの。ここのところBeeやんアレルギーも改善して期待して聴いたけれど・・・やはり、彼(か)のデッドな音質故?全然愉しめません。噂によると高級オーディオじゃないと高音質の真価を引き出せないとのこと。約一年前に聴いていて、その時は(音質印象さておき)もっとオーソドックスな表現を好ましく思ったんだけど・・・
Beethoven 交響曲第9番ニ長調「合唱付き」~ニコラウス・アーノンクール/ヨーロッパ室内管弦楽団/シャルロッテ・マルジオノー(s)/ビルギット・レンメルト(a)/ルドルフ・シャシング(t)/ロベルト・ホル(b)/アルノルト・シェーンベルク合唱団(1991年ライヴ)・・・初発売当初、FMで数曲聴いた記憶もうっすらあるけど、実質初耳。ここではっきりしました。全然、音楽が耳に入ってこない、せいぜい終楽章の声楽陣がヴィヴィッドやなぁ、と。完全に集中力切れてゆるゆる、ぼんやりテレビの格闘技でも見るしかない・・・
昨年は小さいノートパソコン+PocketWifi持参して北海道に行ったけれど、AspireOne(ネットブック)はオークションに出して売れてしまいました。札幌~京都へ、次の更新は4日後、その間、音楽なし生活となります。2016年「音楽日誌」はいきなり休載也。
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・・・と、書いたのは実質2015年12月31日(更新は2016年)。気分的に緩んでしまって、格闘技も途中からいつものD-Lifeの亜米利加ドラマ再放送へ(一時間でしっかり起承転結ケジメが付くのが快い)。アレルギー症状にて咳き込んで眠り浅く、さして寒くもない朝、初詣に出掛ける気力も失せてひとり、いつもの珈琲パンヨーグルトゆでたまごバナナの朝食は正月らしからぬもの。
朝一番のBiber ロザリオのソナタ(前半第1~9番)~ヴァルター・ライター(v)/アンサンブル・コルダリア(1999年)はほんの聴き流し、嗚呼こんな作品だったよなぁ、凄い技巧やなぁ(古楽器)そんな程度。半世紀以上前に日曜学校(礼拝?)に熱心に通った純な魂はどこかに雲散霧消いたしました。
Mozart ピアノ・ソナタ 第4番 変ホ長調 K.282(189g)/第5番ト長調 K.283(189h)/第6番ニ長調 K.284(205b)~マリア・ジョアン・ピレシュ(p)(1989-90年)・・・1974年ほの暗い情感に充ちた若い録音も好きだけど、こちらしっとり浪漫の香り漂うデリケートな演奏も大好きですよ。楽器はYAMAHAですか?(事情通の方、ご教授乞う)スタインウエイの華やか強靭な音色とは違うような・・・彼女のデリケートなタッチの成果かも知れません。初期の無垢な作品は思わぬ深遠さを加えて、ようやく心の平安が戻ったような~さて、北海道へ出掛けましょう。(写真はちょっと作品収録組み合わせが異なる単発もの。ステキなお姉さまです)