Bartok 管弦楽のための協奏曲/4つの小品 作品27R> (ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団)Bartok
4つの小品 作品27 ピエール・ブーレーズ/シカゴ交響楽団 DG UCCG3447 1992年録音 【♪ KechiKechi Classics ♪】 は人生の裏街道的マニアックな音源を好んで取り上げてきたはずなのに、このような著名かつ評価の高い音源を聴く機会が増えました。なんせ、王道(決定盤!)が消えた時代、「最後の巨匠」が退場した故、というのは安易な言い訳でしょう。「管弦楽のための協奏曲」は20世紀の古典と呼んで差し支えないメジャーな作品、ワタシも大好きで棚中には幾種ものCDが残っております。出会いはフリッツ・ライナーだったか?いえ、それはCD時代のことであって、LP時代はジョージ・ショルティ/ロンドン交響楽団だったんじゃないか。いずれハンガリーの強面指揮者、オーケストラも音質も優秀であることが必須条件の作品也。 さて、すっかり評価の定まった感のあるブーレーズの(新)録音はいかがなものか。(といっても既に20年前/光陰矢の如し) 「4つの小品 作品27B>」始まって仰け反りました。音質極上。各パートの存在感、奥行き、広がり、空間、極上の鮮度を以て自然に鳴り響きます。オーディオは門外漢なので安易なコメントは差し控えるべきだけれど、少なくとも我が激安人民中国製ディジタル・アンプとの相性抜群、細部繊細緻密清涼に鳴り響いて、ここぞ!というところの金管やら打楽器の爆発にも文句はない。響きは洗練され、絶対に濁らない。シカゴ交響楽団が世界有数の技量を誇ることは周知の事実だけれど、それをどう活かすかは指揮者の個性と統率力次第なのでしょう。 4つの小品 作品27B>は演奏やら録音機会は少ないようだけれど、Bartokに駄作なし。ジェームス・コンロンにて以前より愉しんでおりました。”前奏曲-スケルツォ-間奏曲-葬送行進曲から成り立っていて、官能的に美しく、一方で野性的破壊的な個性が顔を出しつつある作品”とは、4年ほど前のコメントだけれど、なるほど。硬質な響きを個性とするオーケストラは、ブーレーズの手に掛かると硬質なまま、一種の色気、余裕の空気が付加されるように感じます。「前奏曲」には清潔かつ官能のうねりが感じられ、「スケルツォ」には野性的破壊的(強烈)爆発が待っておりました。そのクリア明晰な響きのみごとさ。 「間奏曲」には静謐な呼吸があり、途中駆け出しても、すぐに歩みはスロウダウン。「葬送行進曲」って、やたらと巨魁大仰であり、悲痛でありながら雄弁!いやぁ、名曲ですなぁ。
「管弦楽のための協奏曲」は名曲中の名曲なので誰のでもよい〜的作品であります。音質さえちゃんとしていれば、というのは、けっこう昔の録音でも愉しめるので保留条件なし。カラヤンの旧録音もよかったですよ。 第1楽章「序奏」は清々しく、伸びやかな響き。ほとんどムダを削ぎ落として筋肉質体脂肪低い、クール表現であります。もちろんオーケストラに馬力はあるけれど。第2楽章「対の遊び」にユーモラスなリズム感も、無表情、ではなく無感情?淡々として正確。管楽器(とくに木管)の硬質な響きはみごとな統率で鳴っております。いつになく抑制した金管にも余裕たっぷり有。第3楽章「悲歌」にも情感余情を込めず、精密静謐な集中力は息を呑むばかりの洗練(とくに木管アンサンブル)。途中の大爆発に響きに濁りは皆無なんです。ここの弦はちょっと語ってますよ、雄弁に。無粋な詠嘆じゃないが。打楽器とのバランスも理想的でしょう。 第4楽章「中断された間奏曲」は不思議な楽章ですよね。ユーモラスであり平易明るい旋律でありながら、喜怒哀楽がわかりにくい。途中幻想的な弦のサウンド、管楽器を中心とする剽軽な展開も感情抑制気味であります。油脂分が抜けているというか、そんな感じ。終楽章はオーケストラ技量の見せどころ。超高速弦のパッセージ、各パートの寸分違わぬアンサンブルの絡み合いも余裕であり、バランス完璧。フィナーレに向け、音楽はどんどん昂揚していくが、額には汗水一粒ない、贅肉皆無。脳裏にはショルティの強烈筋肉質的演奏がありました。 ずいぶんと洗練され、”おとなしい”演奏に聞こえるが、じっさいは相当な迫力なんです。ラストのラッシュには手に汗握る緊張感有。 (2012年6月3日)
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