Bartok 管弦楽のための協奏曲
(ヘルベルト・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団1952/53年)
Bartok
管弦楽のための協奏曲
ヘルベルト・カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団(1952/53年)
パブリック・ドメイン音源にてネットよりダウンロード可能
連続休日出勤、途中唯一の祝日が葬式となってしまって、日常業務をこなすのも青息吐息状態、音楽にも集中できず、もちろんまとまったコメントも不可状態続きました。幸い、毎朝のウォーキング+ストレッチが効いたのか、体調は維持。連続する酒席にも無事耐え抜いて、そろそろ山場終了(あともう一歩!油断するな)・・・【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例サイト更新もずいぶんとサボってしまいました。
レコード盤(現在ならCD、そしてデータ)にて音楽を拝聴する、そんなスタイルはあらえびす時代からの日本の伝統です。最近益々疎遠になりつつある生演奏への敬意、価値重視姿勢は変わらぬが、気軽に、いつでも音楽を愉しめるというのは素晴らしいこと。そして時代は激安CD、無料データダウンロードへと至りました。これは(不可逆圧縮音源である).mp3→.wav変換の自主CD、ステレオ録音前夜のモノラル録音は(そんなエエ加減デコードでも)充分新鮮でした。
出会いはジョージ・ショルティの旧録音、あれは未だ小学生か中学生の頃?緊張感漂う、硬派な演奏だったが、FMで聴いたカラヤン/ベルリン・フィル(1965年)は悠々とした余裕、スケールの大きさに驚いたものです。(最近聴いていないから、ほんまのところは自信がない)こちらフィルハーモニア管弦楽団はカラヤン44歳壮年の記録、語り口の上手さ、スケールそのまま、爽やかな躍動を感じさせるのはオーケストラの個性でしょうか。
Bartokに駄作なし。最晩年のわかりやすい作風ながら、これはハードな作品だと思います。第1楽章「序奏」は、神妙かつ慎重だけれど、響きはクリアであり、アンサンブルの精緻さは驚くべき水準。ショルティほど硬派ではなく、柔らかい表現にハードな旋律が映えます。弦のひりひりするような叫びだって、柔らかく抑制され、しかもスケールは充分。緊張感集中力迫力に不足はない。第2楽章「対の遊び」は冒頭そしてラストの小太鼓がユーモラスであり、やがて複雑に参入する木管も同様。スケルツォ風楽章であり、情感を殺したような(?哀しいのか苦しいかわからぬような)非情な雰囲気もあります。中間部の荘厳なるコラール風金管も含め、フィルハーモニア管弦楽団は絶好調でしょう。
第3楽章「悲歌」は朗々として、まったりと甘美な語り口絶好調。弦のサワサワとした歌も木管の華やかさも極上です。第4楽章「中断された間奏曲」も同様、現代音楽の晦渋さ皆無、悠々としたスケールの大きさ、柔らかい響きはいかにもカラヤン風・・・だけれど、オーケストラはフィルハーモニア管弦楽団だから清潔感が維持されます。トロンボーンのブーイング、木管の嘲笑(ネットの解説)ねぇ、なるほど。ヴィオラの幻想的な第2主題は美しく、こんな旋律を扱わせたらカラヤンはほんまに上手い。
終楽章は、ヴァイオリンの急速細かい旋律疾走にオーケストラの技量を問われます。カラヤンはここで快速テンポを採用して、いとも軽々と高速道路をすっ飛ばします。フィルハーモニア管弦楽団は抜群に上手い!冒頭のホルン、そして途中金管の乱舞、絡み合いは華やか、かつ完璧なるアンサンブル!木管、弦の掛け合いがバロック風であり、ラスト、弦の急速パッセージは更にテンションもテンポも上げて、圧巻のフィナーレを迎えました。 (2011年10月21日)
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