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音楽日誌

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2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

5月も本日にて終了。

週末に向けて天気は崩れるとの予報も、前日夕方の雨はすぐ上がり、昨日朝は好天、夕方迄降らないとのこと、シーツやタオルケットの洗濯をしておきました。朝のストレッチは左膝の痛みにその辺りの可動域が確保できません。YouTubeエアロビクスはお気に入り、シンプルに15分動き続けるもの実施してから、ウォーキング兼ねて、野菜が切れていたので買い物に出ました。備蓄米ならぬ通常ブランド米だと思うけれど、5kg3,000円台後半、陳列量も含めてちょっと落ち着いている?買い占めた人はコロナ時期のマスクの二の舞いになるのか。未だ、情勢は流動的。今朝の体重は67.45kg+400g。

相変わらず激ヒマな毎日に音楽関連ヲタク話題。
Claudio Abbado(1933ー2014伊太利亜)は、とくにベルリン・フィル以降ちょっと疎遠になって、拝聴機会は少ないもの。久々にMahlerが聴きたくなって全曲集めたはずの第1番イ長調を聴き始めて・・・これはシカゴ交響楽団のじゃないの(1981年)。つまり圧縮保存時に誤ってファイルを取り込んで、シカゴがダブっておりました。ガッカリして必死に半日ほどネットを探ったらベルリン・フィル(1989年)音源は無事再入手できました。集めるだけ集めて放置して聴かない罰当たり行為だからこんなことになる。反省。

トランプさんがハーバード大学留学生をを追い出したり、補助金を停止したり、権力が学問に口出すようになったらお仕舞いでっせ。短絡的な発想で亜米利加の権威や信頼、気品を大きく下げることでしょう。日本でも学術会議云々も似たような感じ。隣国の大統領選はいかがでしょうか、最有力野党候補の苦戦が見えて、そうなると反日カードを切るのは常套手段、なかなか先が見えぬ不安な情勢が続きます。場末のNo No GGs'が云々しても屁の突っ張りにもならんけど。

AN 2 9811「A Broue Fest」/Handel オラトリオ「ソロモン」より「シバの女王の到着」は元気の良い闊達な始まり。(3:04)ハープ協奏曲 変ロ長調は夢見るように美しい旋律が静かに歌います。 (マキシネ・エイランダー (hp)/Andante Allegro/Larghetto/Allegro Moderato/11:52)Purcell「アブデラザール」組曲 これは「青少年のための管弦楽入門」のオリジナル作品。勇壮にカッコ良い弦楽アンサンブル。 (Rondeau/Air/Minuet/Jig/Hornpipe/Air/7:04)Vivaldi 2台のチェロのための協奏曲ト短調 RV 531は劇的に無骨な作品。チェロはなかなかのテクニックの始まりから、緩徐楽章は詠嘆が広がりました。(クリスティアーネ・マーラー/ アレン・ホエアー(vc)/Allegro/Largo/Allegro 11:14) Bach シンフォニア ニ長調(カンタータ第42番「されど同じ安息日の夕べに」より)優雅な安らぎ充ちたシンフォニア(6:47)Locatelli 合奏協奏曲ヘ短調 作品1-8は静謐に嘆いて、しっとり息を潜めるような弦楽アンサンブル。 (Largo Andante/Andante/Pastorale: Largo Andante/16:01)Marcello オーボエ協奏曲ニ短調はちょっと粗野なオーボエが魅惑の、これは誰も知っている哀愁の名曲。(ジョン・アベルガー(ob)/Andante e Spiccato/Adagio/Presto/11:12)Vivaldi 2台のヴァイオリンのための協奏曲イ短調 作品3-8 これも著名な「調和の霊感」より。ほのくらい軽妙さが疾走します。(ジーン・ラモン/ジュヌヴィエーヴ・ギラードー(v)/Allegro/Larghetto e Spiritoso/Allegro/9:35)ジーン・ラモン/ターフェル・ムジーク・バロック・アンサンブル(2002年)・・・加奈陀の優秀な古楽器アンサンブルによるバロック名曲集は選曲に一捻り、二捻り加えて極上のテクニックと優秀な音質に飽きさせぬ一枚。これは十数年前より愛聴していたもの、Baroque音源の点検整理をしていて偶然発見、懐かしく思い出しました。古楽器演奏の草創期にあった未熟な洗練されぬ技術や、尖りすぎたリズムに非ず、しっとり落ち着いた優雅なサウンド、テクニックは充分、マイルドなアンサンブルは新鮮、残響たっぷりな音質も極上。ゆったり、至福のひとときが過ごせます。

DGBruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜ダニエル・バレンボイム/シカゴ交響楽団(1977年)・・・ノヴァーク版らしいけれど、あまり細部の違いを理解していない永遠の初心者。シカゴ交響楽団はショルティより前に全集録音を完成していたのですね。これは第8番と並んで屈指のスケールを誇る作品、全曲中一番のお気に入り、拝聴機会の多い作品でした。当時バレンボイム35歳新進気鋭の意欲的な若々しい演奏。後年の録音よりこちらのほうがよろしい感じ。録音も良好。
第1楽章「Adagio - Allegro」荘厳な低弦ピチカートから金管の壮麗なコラールへ。この金管の威力は余裕、メタリックに過ぎると感じさせない。速めのテンポに主部に突入して、この辺りのスムースな流れはいかにも若々しいパワーのあるもの。若さゆえの粗い前のめり表現でもない、テンポの揺れも恣意的に過ぎず、重過ぎず、爽やかにデリケートな仕上げでした。ラストのテンポ・アップの若さも微笑ましい。(21:25)
第2楽章「Adagio」ここも心持ち速めのテンポ。弦の詠嘆は雄弁だけど、重く引きずらぬ美しい、流れのよろしい緩徐楽章。壮絶なシカゴの金管も余裕でした。(17:18)
第3楽章「Scherzo: Molto vivace」Brucknerのキモはスケルツォ。シカゴの金管の重量級威力を堪能しつつ、それ力尽くに非ず、風情はあくまで若々しい爽やかさ。中間部の優雅なレントラー(弦のポルタメントは印象的)との対比も有機的でした。(13:17)
第4楽章「Finale: Adagio - Allegro moderato」第1楽章冒頭が回帰して静々と始まるフィナーレ。ここもやや速めのテンポにスムースな始まり。そして重々しい第1主題が決然とした足取りに始まるフーガ、そして練り上げられた弦が優雅に歌って、この辺り慌てた印象はありません。やがて、金管炸裂して強烈なフィナーレへ、充実した金管のコラールと弱々しい弦の対比には涙が出そう。やがて静かな弦が粛々と歌って、もりもりと力を加えてクライマックスも余裕のパワー、ラストのテンポ・アップも落ち着かぬ印象に非ず、爽快に決まりました。(23:39)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日は朝から曇り、遅くに雨との予報も午前中小雨もぱらついたけど、本格的な雨は夕方から。朝一番の洗濯、ストレッチ、オーソドックスなYouTube鍛錬済ませて隔日筋トレへ市立体育館を目指しました。トレーニングルームは若い人が数人、その関係もあって一種筋トレマシンは使えませんでした。暖かくなってトレーニングに快い汗、シャワーも快適な季節に至っております。膝の痛みはまずまず、腰は大丈夫。最近、女房殿は婆さん宅に泊まったり、夕食を準備したりで、自分は自宅の料理手抜きが続いていたけれど、久々ちゃんと料理を仕立てました。なかなか美味しく、女房殿にも好評でした。今朝の体重は67.05kg▲200g、通常の食事と運動してこの成果。

例の安いコメはネット予約はあっという間にパンクしたそう。それとテレビの保守的姿勢潔く鮮明な某評論家が、前の農水大臣はな〜んもせんかったとのコメントをしたらしい。失言云々より、そっちのほうが問題だったんじゃないの?相次ぐコメの窃盗事件には心痛みます。世間が皆苦しんでいる時に、そこに付け込む所業は人間として最低、オークション各社は備蓄米出品を制限禁止するそう。

概ね毎日拝見するブログの記事だけど、

先日、AIに校正させてみたがやっぱり自分で書いたままの方がいい。
AIが校正した文章というのはどうもあざといというか検索ありきのような文章でこじんまりしていてつまらない。
タイトルもまたしかりで、なんだかしっくりくるものがない。
〜なるほどなぁ。AIの機能が未熟なのか、これから驚くような個性を刻む機能が装備されるのかはわからぬけれど、そんなものかも。それに頼ると人間の文書能力がオモロない方向に劣化するかも。
ちょっと違う話しだけれど、YouTube動画の音声がいかにも「自動読み上げ」これが読み間違い連発!仕組みはわかっていないけれど、上梓する前に修正はできないものなのでしょうか。アクセントも妙におかしい。聴いていて気持ち悪い。

RCAMendelssohn 劇音楽「真夏の夜の夢」〜エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団/合唱団/Helen Vanni(ms)/Arlene Saunders(s)/Inga Swenson(ナレーター)(1962-63年)・・・タイミングはほぼ音楽の部分を拾ったもの、実際はその合間に英語ナレーターが入ります。劇がすべて収録されていないはずだけど、馴染みのメルヘンな旋律の余韻が快くつながって流れよろしく(ナレーションが音楽の流れを邪魔しない/むしろ劇としても雰囲気を高めている)ボストン交響楽団の響きは分厚く、ゴージャスに響き渡りました。素っ気なくクールなイメージのあるラインスドルフもなかなかの風情たっぷりに、これはメルヘンの風情漂う大好きな作品の最高の演奏のひとつ。音質はちょっぴり劣化を感じるけれど、充分瑞々しい。Overture(12:46)Scherzo(4:43)March Of The Fairies(1:02)Song With Chorus「You spotted snakes」(3:57)Intermezzo(2:11)Nocturne(5:59)Dance Of The Clowns(1:14)Wedding March(4:57)Finale(2:28-1:08-1:03-0:57)

PAS960Haydn チェロ協奏曲第1番ハ長調/第2番ニ長調/交響曲第16番 変ロ長調〜ダヴィッド・ラビノヴィッチ/セルゲイ・イストミン(vc)/アポロ・アンサンブル(2009年)・・・Sergei Istomin(露西亜→白耳義?)の生年情報が探せません。アニマ・エテルナの主要なメンバーであり、古楽器の名手。 David Rabinowitch(1959-烏克蘭)はヴァイオリニストでありアポロ・アンサンブル(阿蘭陀)の音楽監督。これは各パート一人、ソロは伴奏兼任という初演時のスタイルを踏襲した録音なんだそう。古楽器、少人数という条件を凌駕して、力強い厚みのあるサウンド、ノン・ヴィヴラート奏法の素っ気なさを寸分も感じさせぬアツいヴィヴィッドなリズムに驚かさせる演奏でした。イストミンのチェロはガット弦のマイルドな音色にキレッキレの技巧に躍動いたします。
ハ長調協奏曲は朗々と雄弁な作品。「Moderato」(8:57)「Adagio」(6:16)「Finale: Allegro molto」(6:56)
ニ長調協奏曲は優雅に優しいスムースな旋律。「Allegro moderato」ここのカデンツァは超絶技巧(13:07)「Adagio」(4:11)「Rondo: Allegro」優雅に魅惑のフィナーレ(4:57)
交響曲第16番 変ロ長調は初期作品、編成はob2/hr2/弦楽器は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、低弦(ファゴット含)シンプルなもの。ユーモラスな下降旋律から始まる「Allegro」(4:45)「Andante」は淡々と落ち着いて(5:58)「Finale: Presto」は符点のリズムが溌剌と躍動しました。(2:56)気持ちよろしくCD1枚分の音楽を聴いて、コメントや画像を保存しようと思ったら・・・昨年2024年に拝聴コメントが残っておりました。まったく記憶はなくて、最近こんな経験ばかり。


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日は好天、週末=月末に向けて天気は崩れるようです。ゆる筋トレは休みの日、どこにも出掛ける意欲もありません。左膝辺りやや不調を抱えつつストレッチ、YouTubeエアロビクスは短いけれどなかなかの運動量。(←右奥の体重増気味の女性の奮闘に注目しつつ)自分も頑張りました。あとは引き隠り。
そう云えば話題の進次郎米の件、ほんまに安く出るのなら「転売」する悪いのが出てくるような気がする。次の小規模小売に放出する古古古?米がどうなるのか、状況を見守りたいところ。今朝の体重は67.25kg+100g。

「ヤープ・ファン・ズヴェーデンのパワハラ疑惑」
事実はどうなのか云々する立場にはないけれど、セクハラ、パワラハは音楽界に限らず、内外世界各地どの職場にもあったのでしょう。程度の差こそあれ、それがそれなりに許された時代と現在はもう違う世界に至ったと思います。
自分だって現役時代自覚のない行為はあったのかも。65歳でお仕事完全引退したけれど、18歳より旧知の友人は「70歳迄働く」と決意して、結局66歳で辞めたのは(噂だけど)メーカーの若い営業担当との軋轢だったみたい。彼は人格的には自分の数倍穏健だから、華麗なる加齢にノーミソがちょっと劣化したのか、それともかつてはそれで通っていた対応や行為が、時代を経て行き過ぎに至ったのか、なんともわかりません。
音楽会では幾人もそんな話題があって故人ではジェームズ・レヴァイン、現役ではシャルル・デュトワ、ダニエレ・ガッティ、J・E・ガーディナー、ヨス・ファン・インマゼールなど、きっと他にもたくさん隠れていることでしょう。露西亜の侵攻を支持した音楽家もそうなんやけど、せっかくのステキな音楽もちょっと色褪せてしまう感じ。(議員さんやあちこち首長にはもっとひどい話題が報道されているみたい)

DGR.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」/交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」/交響詩「ドン・ファン」〜グスターボ・ドゥダメル/ベルリン・フィル(2013年ライヴ)・・・期待の現役旬の指揮者にベルリン・フィルという組み合わせ、それに相応しいグラマラスな作品。今や日常拝聴する音楽のほとんどが鬼籍に入った人の録音ばかり、こうして新しい情報を経験しておかないと時代に取り残されそう。話題の録音なのでリスナーの評価はさまざま、現代最高のサウンドを堪能される方もいらっしゃるし、カラヤン時代を懐かしむ人も多い(そういう方はたいていラトル時代にベルリン・フィルはダメになったとの注釈が付く)
「ツァラトゥストラはかく語りき」は四管編成+6種の打楽器+ハープ、オルガンが加わる壮麗に輝かしい作品、冒頭が映画音楽としてあまりにも有名だけど、自分はいつも難解に感じて、それでもノーミソ空にしてゴージャスな響きを堪能すべく幾度も聴いております。結論的には最上級のオーケストラを駆使して、デリケートに素直、スッキリとした響きにスムースな流れ、力みもなく完成度は高い演奏。カラヤンの鼻持ちならないほどの詠嘆とか節回し、剛直なダメ押しや威圧感を期待される方には、モダーンに抑制して物足りない印象に至ると類推できます。自分は指示派、但し正直なところフリッツ・ライナーの太古強引なパワーが懐かしくなったのも事実。2017年に2014年1月14日ライヴ?音源を聴いていて、その時の印象は「落ち着いて端正、しっかり細部描き込んで立派な演奏」となっておりました。基本それは変わらない。
Einleitung(1:44)Von den Hinterweltlern(4:03)Von der grossen Sehnsucht(2:03)Von den Freuden-und Leidenschaften(2:00)Das Grablied(2:29)Von der Wissenschaft(4:29)Der Genesende(5:19)Das Tanzlied(8:03)Nachtwandlerlied(8:03)
「ティル・オイレンシュピーゲル」(15:54)「ドン・ファン」(18:39)も湧き上がるような勢いを感じさせて、基本は端正にスッキリとした響き、ベルリン・フィルは落ち着いて、余裕のバランスと技量を感じさせました。例のホルンのテーマにも壮絶な凄みには至らぬ感じ。

KKC-6271R.Strauss 交響詩「マクベス」(2018年)/楽劇「薔薇の騎士」組曲/交響詩「死と変容」(2017年)〜ラン・シュイ/シンガポール交響楽団・・・Lan Shui (1957-中国→亜米利加?)は1997-1919年迄音楽監督。BISに精力的な録音をしておりました。中国フィルとのBrucknerも聴いたことがありました。コーペンハーゲン・フィルとはBeethovenの交響曲全曲録音もあるみたい。艶とか圧巻のパワーにはちょっぴり足りないけれど、アンサンブルは整って、スケールの大きな演奏を繰り広げて誠実なアンサンブル、亜細亜のオーケストラも上手くなったとシミジミ思います。
「マクベス」は1880年初演された初期の作品。後年の勇壮かつ時に剽軽なわかりやすさには、やや足りない劇的な風情。(20:53)
懐古趣味にウィーン風情漂うステキな旋律集めた「薔薇の騎士」組曲も、彼(か)の脂粉漂うような優雅な華やかさや匂い、例の著名なワルツにも賑やかさはもうちょっと欲しい、真面目なアンサンブルでした。
Con moto agitato(4:39)Un poco lento(5:12)Allegro molto - Tempo di valse(6:45)Moderato molto sostenuto(5:49)Schneller Walzer(2:30)
「死と変容」は静謐の病床から始まって、死との激しい戦いから浄化に至る名曲。ここも不気味な死との戦いの激烈対比にいま一歩。だけどアンサンブルは立派なものでしょう。(26:10)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日は眠りが浅く早朝覚醒。体重増にはショックを受けたけれど体調はフツウでした。朝一番のストレッチとYouTubeエアロビクスはサボらず実施して曇り空の中、市立体育館へ。行事はとくになかったみたいで静かなもの、トレーニングルームは常連メンバーに、珍しくマッチョなバーベル野郎連は不在、Myメニューを手抜きなく消化できました。帰路2kmは天気もよろしく帰宅後洗濯して干しました。いつもと変わらぬ平和な生活が続きます。前夜、女房殿は甥からもらった「ド演歌コンサート」チケット持参して、愉しんできたようです。今朝の体重は67.15kg▲1.25kg夕食をぐっと抑制しました。一日の減り方としては最大値。

ここ最近、在留外国人の違法運転、交通事故が増えているように感じて、ゴミを公共交通機関の線路に投げ捨てて妨害したネパール人留学生も出現。大多数の方は日本社会に馴染んで生活していると類推するけれど、そんな事件事故は増えて治安の影響を与えているかも知れません。犯罪に迄至っていなくても、行状の悪い外国人観光客はあちこち出現しているようです。
ニセコのリゾート施設、中国系企業経営破綻で工事中断との報道。中国本土の不動産不況とインバウンド・バブルの影響から悲惨な事象がぼちぼち・・・この先不安です。

小泉進次郎農水大臣は好調なパフォーマンスですね。さて、今回放出されるコメの値段、それに関連して相場全体は下がるのでしょうか。「進次郎米」とのネーミングなんだそう。

Andrey Boreyko(1957-露西亜)Schumann 演奏会序曲「ヘルマンとドロアテ」/ピアノ協奏曲イ短調/Mahler 交響曲第1番より「Blumine」〜アンドレイ・ボレイコ/デュッセルドルフ・フィル/ヘルベルト・シュフ(p)(2010年リンツ・ライヴ)・・・Andrey Boreyko(1957-露西亜)は最近迄ワルシャワ・フィルの音楽監督を務めていたそう。これはネットより入手した放送音源、音質はリアルに鮮明なものでした。オーケストラもソロも意外な熱演でした。
序曲は哀しい始まり、「ラ・マルセイエーズ」の旋律が幾度もに出現する優雅な作品。途中交響曲「ライン」の旋律も入ります。(9:30/拍手有)
ピアノ協奏曲はHerbert Schuch(1979-羅馬尼亜)による瑞々しいタッチがヴィヴィッドに充実したもの。これはほんまに浪漫派屈指の美しい旋律が堪能できる名曲。ソロは空疎なテクニックに走らず、後半に向かうほど熱を高めて快い歌に溢れた演奏でした。(31:06/拍手有)
Mahlerはアダム・フィッシャーとの全集録音にたしか含まれなかった作品。トランペットのソロは優秀、憧憬に充ちた旋律が響いて、ていねいなアンサンブルでした。(8:15/拍手有)

MecuryRomsky-Korsakov 交響組曲「シェエラザード」〜アンタル・ドラティ/ミネアポリス交響楽団/ラファエル・ドルイアン(v)(1958年)・・・二管編成だけど打楽器7種(銅鑼含む)+ハープという絢爛豪華な管弦楽技法と、夢見るように美しい魅惑のオリエンタルな旋律を誇る作品。弦には各々ソロ・パートが準備されております。Mercuryによる一連のRimsky-Korsakov録音はロンドン交響楽団によるもの。こちらミネアポリス交響楽団(首席在任は1949-1960)このオーケストラはアンサンブルは整っても、どうも音色がオモロない、ジミな感じ。Rafael Druian(1922ー2002露西亜→亜米利加)はダラス→ミネアポリス→クリーヴランド→ニューヨークのコンマスを歴任した名手でした。音質はこの時期にして立派な、直接音中心に解像度の高いもの。
「海とシンドバッドの船」「シャリアール王」の主題が悠然、大きな波の揺れ、船のゆらぎがリズムに表現され、希望に充ちた壮麗な海洋の旅の始まり。オーケストラの響きには華やかさがちょっぴり足りない。(8:53)
「カランダール王子の物語」ドルイアンの清楚なヴァイオリン・ソロは「シェエラザードのテーマ」。続くファゴットは「托鉢僧であるカランダール王子のテーマ」、これが哀愁を帯びてしっとり変化して・・・途中金管による「物語を中断する王の怒り声」が登場する緊張感。この辺りの金管はちょっとマイルドに過ぎてジミな感じ。やがて物語は感興と緊張感を高めてテンポ・アップ、華やかに劇的に終了。(11:03)
「若い王子と王女」ここは緩徐楽章的なものでしょうか?弦による落ち着いた「王子のテーマ」はしみじみ、たっぷり歌い(フルートにも華やかさが足りない)軽快な小太鼓に乗ったクラリネット(他木管も)は「王女のテーマ」をリズミカルに受け継ぎます。ここは陶酔とセクシーな風情がもうちょっと欲しいところ。上手いけど真面目過ぎですかね。そして清楚極まる「シェエラザードのテーマ」はヴァイオリン・ソロ、満を持して登場。静かに遠いホルンも幻想的にこの楽章を締め括リます。(10:26)
「バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」「シャリアール王」のテーマが風雲急を告げる始まり、いつも優雅な「シェラザードのテーマ」もヴァイオリン・ソロが力強く呼応してフィナーレの始まり。細かい快速音型はフルート、トランペット、ホルンの快速タンギングはオーケストラの腕の見せ所でしょう。「女王のテーマ」がリズムを変えて登場、緊張感を高める疾走は各パートの超絶技巧と打楽器(低音)の迫力、この辺りRimsky-Korsakov管弦楽技巧の華やかさ満開のところ。ミネアポリス交響楽団のアンサンブルにいささかの疑念もない、素晴らしい技量と統率のままクライマックスへ突入、ラスト清楚なヴァイオリン・ソロ「シェラザードのテーマ」に静かに終了しました。(10:52)あちこち文句をつけたけれど、立派な演奏でしたよ。


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

5月も最終週を迎えて、今年初紫陽花を見掛けました。昨日は終日曇り、薄ら寒い感じ。5月にとうとう台風は発生せず、そんな年は”当たり年”〜いっぱい発生する可能性もあるそう。
残念!三連覇ならず。昨日朝一番にご近所クリニックへ出掛けて先日の健康診断の結果伺いへ。AST/ALP(肝臓数値)が三年ぶり基準値超え、これは脂肪肝でしょう。ここしばらく体重増が気になって、おそらくその要因に血圧も最高150が常態化しております。他、服薬を続けている尿酸値は正常値コントロール出来、コレステロールも正常値、血液がちょっと濃いとのこと。肺がん、大腸がんの簡易検査も問題なし。まず体重を減らすことが最優先、運動はちゃんと継続できているので。元気で遊びに行く、酒を時々嗜むことが人生の目標です。

朝一番は曇り、雨の心配ななさそうなので洗濯実施して外干し、ストレッチは関節通常稼働確保できるほどの鈍い痛みを感じつつ実施、YouTubeエアロビクスはオーソドックスな短いもの、クリニック往復含めて1日分の運動量を確保できました。本日からまたしっかり鍛えましょう。今朝の体重は68.4kg+さらに400gなんじゃこりゃ。

Avie AV2169Beethoven 交響曲第4番 変ロ長調/交響曲第7番イ長調〜ダグラス・ボイド/マンチェスター・カメラータ(2008年?)・・・Douglas Boyd (1959-英国)はグラスゴーの出身。マンチェスター・カメラータには2001-2011年音楽監督在任、あまり拝聴機会はなかったけれど、かなり以前よりYouTubeに彼のBeethoven全曲が上がっているのは知っておりました。いずれ現代オーケストラには必須の名曲演目、モダーン楽器を使用してすっきりとした速めのテンポと軽快なリズムのキレは古楽器奏法の影響を受けたものでしょう。古今東西星の数ほど出ている全集録音に、その特異な個性を発揮するのは難関、整ったアンサンブルに各パートは充実した技量、テンションも充分、音質も良好〜そして「その先」の個性や色合いに注目。
交響曲第4番 変ロ長調は全9曲中もっとも編成が小さいんだそう。
第1楽章「Adagio - Allegro vivace」神妙な序奏から、ぎゅーっ!と弓を引き絞って飛び出す矢のような主部はなかなかのテンションの高さ、打楽器リズムのアクセント、メリハリは明快に楷書の表現でした。オーケストラの響きは明るく、感楽器の音色は素直に響きに重厚さから遠いものでした。(11:48)
第2楽章「Adagio」優雅な符点のリズム感は快いもの。第2主題のクラリネットは素朴な音色、あとで登場するフルートも同様。ラストのタメはなかなか味わいがありました。(9:38)
第3楽章「Allegro molto e vivace」リズムや音階が革新的なスケルツォ、ここのリから強いメリハリはなかなかの出来。(5:45)
第4楽章「Allegro ma non troppo」快速テンポにアクセントしっかりした疾走。響きは分厚くはなく、軽快に正確なフレージングとアンサンブル、ファゴットの難所も問題なく切り抜けて爽やかな熱気が走りました。(6:40)
交響曲第7番イ長調はリズム生命!舞踏の聖化と呼ばれたそう。
第1楽章「Poco sostenuto - Vivace」意外と落ち着いて中庸のテンポに低音の動きもよくわかる演奏。提示部繰り返し有。管楽器さておき、弦の響きが少し薄く感じます。(14:02)
第2楽章「Allegretto」クールにすっきりとデリケートな弦は(おそらく)ノン・ヴィヴラート。抑制した静謐が光る緩徐楽章。(8:19)
第3楽章「Presto, assai meno presto」愉悦に充ちてリズミカル、力みとは縁のないスリムな響きが軽快に躍動するスケルツォ。トリオの管楽器の微妙な膨らみがオモロい効果でした。(8:52)
第4楽章「Allegro con brio」速めのテンポにスリムなサウンド、ノンヴィヴラートの弦、管楽器の明るい軽い響き。勢いもキレもあるフィナーレはやがて打楽器に力感を加えも重くならず、いや増す熱気とノリを堪能いたしました。(8:31)

RCA 090926-61821-2Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調(1989年)/イタリア奇想曲(1990年)〜ユーリ・テミルカーノフ/ロイヤル・フィル・・・10年ぶりに聴いたけれど、露西亜風泥臭さとは縁遠く、素直に洗練されたサウンドは力強く、入念に歌う表現に打たれました。音質も良好。
第1楽章「Andante - Allegro con anima」始まりの「運命の主題」は遅いテンポ、重い途方に暮れた足取りに始まって、哀愁のテーマが前編に登場するわかりやすい作品。響きはクリアに深遠な始まり。やがてロイヤル・フィル自慢の金管炸裂にモウレツな爆発がやってきました。テンポは悠々と揺れてその雄弁な詠嘆表現も重苦しくならない。(16:54)
第2楽章「Andante cantabile con alcuna licenza」優雅なホルン・ソロが聴きもの。後半の金管炸裂も壮絶だけど、メタリックなヴィヴラート轟く露西亜風音色ではない(14:33)
第3楽章「Valse: Allegro moderato」優雅なワルツもそっと囁くように始まってデリケート。ここは力みのないさらりとした表現でした。(6:15)
第4楽章「Finale: Andante maestoso - Allegro vivace」「運命の主題」はやや遅いテンポにじっくり腰を据えて、サウンドは重苦しくない。やがてカッコよく第1主題が走り出していや増す熱気。「運命の主題」は高らかに明るい表情に変貌して決然とクライマックスへ。この辺りロイヤル・フィルの金管は鳴り切って圧巻、やがてそのテンポはテンポを落として堂々たる行進曲に締め括りに全曲の幕を閉じました。(13:08)
「イタリア奇想曲」は刻々と曲調が変化する表情豊かな作品。ロイヤル・フィルのパワーは充分でしょう。テミルカーノフの表現は意外と軽妙に流麗でした。「Andante un poco rubato」トランペットのファンファーレから哀愁と詠嘆の旋律へ。「Allegro moderato」管楽器による明るく優雅、賑やかな変奏。「Presto」は弦楽器が疾走するタランテラ。「Allegro moderato」最初の金管が戻って力強く「Presto - Piu presto - Prestissmo」は快速熱狂のタランテラに締め括る・・・(14:35)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日日曜の朝、前日室内干しの洗濯物はちゃんと干せておりました。呑んだ夜は途中覚醒しがちだけど、なんとか朝迄眠れても流石にちょいと呑み過ぎ、体調はどんより気味。いつものストレッチ、YouTubeはオーソドックスなエアロビクス済ませて、小雨の中市立体育館に向かいました。体育館はなにか行事は混んでいたけれど、トレーニングルームは空いていてマシンは誰も使っていない。ちょっぴり遅れて若い女性が二人、筋トレにやってきたけれど、いつもどおりのマシントレーニングは順番通り消化+エアロバイク15分こなしてからシャワーと使ったら気分爽快!体調もすっかり快復〜そう思ったら、昼過ぎ突然右脚膝裏に痙攣発生、しばらく苦しんでおりました。今朝の体重は68.0kg+550g! 昼飯前に喰ったナッツとひさびさのウィンナーがよろしくなかったのか。ガッカリ。

ちゃんみなが主催するオーディション「No No Girls」というのはMr.Fujiのリアクション動画で初めて知りました。Huluで話題になっていたらしい。審査基準は「No FAKE(本物であれ)」「No LAZE(誰よりも一生懸命であれ)」「No HATE(自分に中指を立てるな)」〜カッコよい!「Sad Song」歌はパワフルで骨太、やなちゃんは涙を流して、The First Take Versionへの内外リアクションはたくさん出ております。(皆、メンバーを良く知っている)ファイナリストでHANAが結成されてデビューしたのですね。関連動画に出た理由をようやく理解しました。
そんなステキな流行りのアーティストには一番縁遠い我ら「No No GGs'」は残念「No Money(残念ながら年金世代にはカネはない)」「No Power(華麗なる加齢に体力は落ちるばかり)「No テンキ(社会の新しい流れにノーミソは追いつけない)」状態。

His Master's Voice ASD 2709 Shostakovich ピアノ協奏曲第2番ヘ長調/Ogdon ピアノ協奏曲第1番/ピアノ・ソナタ/主題と変奏〜ジョン・オグドン(p)/ローレンス・フォスター/ロイヤル・フィル((p)1971)・・・John Ogdon(1937-1989英国)は早世がもったいないピアニスト。都会的センスいっぱいのShostakovichは明晰クリアに躍動して、弾むような切れ味のあるノリノリの演奏。第1番の録音がないのが残念でならない。最近噂の聞かないLawrence Foster(1941-亜米利加)によるバックもヴィヴィッドに切れ味のあるもの。音質も極上。(7:15-7:36-5:35)
オグドンの自作は初耳。ピアノ協奏曲は不協和音の金管ファンファーレから始まる「Energico」からピアノは細かい音型に目まぐるしく疾走してパワフル。中間部は静謐に不気味。後半は破壊的にファンキーな怒涛のピアノでした。やがて東洋的静謐かつ不気味な旋律に落ち着いて幻想的、ピアノは相当な技巧が要求されそう。そして大爆発のうちの終了。(14;39)「Moderato Languido」オーケストラは不安げに重い足取りに呆然と歩んで、ピアノは時にヒステリックな合いの手を入れました。(6:42)「Presto」きらきらと狂気を孕んだピアノの疾走するフィナーレ。不協和音も美しく、激しく破壊的に高揚します。壮絶なテクニック!(5:34)かなりの名曲、現代の若手腕利きピアニスト向けとして演目復活しないでしょうか。
ピアノ・ソナタは第1楽章「Allegro」流麗かつ無感情に自在な音型から、やがて静謐に輝かしいアルペジオが続きました。(6:57)第2楽章「Andante」細かく不安定なヴィヴラートのような音型から始まる緩徐楽章。やがて劇的に雄弁な旋律が叫んで、不安げな哀愁が美しい。そして冒頭の旋律が復帰して終了。(11:08)第3楽章「Allegro」はパワフルなアルペジオが破壊的連続打鍵!ここも壮絶テクニック要求〜だけど一度聴けば良いかな。(5:51)
主題と変奏は途方に暮れたTheme「Moderato」から(0:55)Con fuoco(0:53)Vivace(0:28)Allegretto(0:43)Andante(1:03)Andante(0:34)Prestissimo(0:29)Andantino(1:00)Marziale(0:28)Scherzando(0:28)Quodlibet,Cappricioso(0:38)刻々と姿を変える饒舌な変奏曲でした。

1958年英国初演の記録Shostakovich 交響曲第11番ト短調「1905年」〜マルコム・サージェント/BBC交響楽団(1958年ライヴ)・・・「血の日曜日事件」(1905年)を題材としている作品。会場ノイズもリアルなライヴ音源はかなりオン・マイク。Malcolm Sargent(1895-1967英国)による西側初演の記録なんだそう。かなり練習を積んだと類推されるしっかりとしたアンサンブルと緊張感、凄い熱気でした。
第1楽章「The Palace Square(宮殿前広場)」弦による粛清前の不気味な雰囲気が延々粛々と続いて、ティンパニの存在感はかなりリアル。(13:29)
第2楽章「The 9th of January (1月9日)」民衆の請願行進は暗く静かに始まり、やがて皇帝軍とのせめぎあいに決然とした、金管によるわかりやすい旋律が切迫感を強めます。いったんそれは収まって第1楽章冒頭の静謐から11:24の小太鼓と不穏なコントラバスから、やがてティンパニの一斉射撃、13:51辺りの小太鼓と大太鼓+ヒステリックな弦が悲惨な殺戮情景を描き出して(申し訳ないけど)カッコよい圧巻の迫力!(18:37)
第3楽章「In Memoriam(永遠の記憶)」暗鬱な哀しみと怨詛に包まれた犠牲者へのレクイエム。終盤に向かって叩きつける打楽器によって怒りが爆発いたします。(11:05)
第4楽章「The Tocsin(警鐘)」かなり俗っぽい「ワルシャワ労働歌」が符点のリズムに緊張感を湛えて始まるフィナーレ。ここのテンポ・アップや切迫感は第2楽章の一斉射撃に負けぬ激烈なもの。やがて8:00辺りから静謐が戻ってイングリッシュ・ホルンの祈るような旋律から、ラスト激しい慟哭風疾走がチューブラーベルとともに勇壮に響き渡って全曲を閉じました。(13:35/大喝采とアナウンスは別)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

相変わらず熟睡感はなくて夢見もよろしくないけれど、それなりに眠れました。昼から雨との予報だけど、洗濯物は外干し強行、午前中には室内移動必須、大学の諸先輩が出てくるので新大阪にお迎え、いつも出掛けるところじゃないので自宅からの所要時間に確信がありません。11:30お迎えには絶対遅刻できない・・・いつものストレッチ、座って踵を股に引き寄せて上半身を地面に付ける動作は辛くも実施出来、YouTubeエアロビクスも実施してコミュニティバスの時間を睨んだけれど微妙な感じに断念、最寄りの駅迄歩きました。

余裕の時間に新大阪駅に到着したけれど、想像以上に内外観光客に激混み大混雑状態。上手い具合に三人お迎えに成功して、地下鉄で一駅移動すればインバウンドも不在、予約の店に到着できました。呑み放題付き5,000円のコースはなかなかの味、酒は自分で冷蔵庫から一升瓶を取り出して注ぐスタイル、大満足に思い出話し、健康に過ごせることのシアワセ、これから先の予定の打ち合わせもして満足。たこ焼き屋で軽く二次会をして新幹線にて戻っていきました。自分は早々に最寄りの駅に戻ってコミュニティバスに間に合いました。今朝の体重は67.45kg▲200g。

金正恩さん赤っ恥、駆逐艦の進水式が浸水式になって激怒の挙げ句、10人あまりが公開処刑されたとのこと。船舶造船の専門家だったのかなぁ、せっかくの人材は消えてしまって、お仕事のミスで殺されるのなら、自分は現役時代かつて幾度射殺されたことか・・・失敗を乗り越えてお勉強していかないと、人材育成はできないでしょう。きっと家族親類縁者も露頭に迷うんやろなぁ、可哀想な国民ですよ。

ちょっと話題は逸れるけれど、苦労して脱北して韓国に落ち着いた方が来日して観光旅行を堪能する〜そんな動画は大好き。そして北朝鮮時代の思い出話しが興味深いもの。例えばこれ情報統制に徹底した反日教育の中でも日本製品への品質信頼、北朝鮮に渡った在日朝鮮人からの文化、情報伝達、その方たちは国籍は違っても日本の文化を身に着けていたのでしょう。そんな方々の雰囲気は違っていたとのこと。自分がこの世に存在するうちに、北朝鮮情勢は変わるのでしょうか。烏克蘭の行く末ももちろん心配だけど、こちらなんせ隣国の話題ですから。

VOX(VOX LEGENDS)  CDX2 5502 1950年代の録音?Dvora'k チェロ協奏曲ロ短調〜ガスパール・カサド(vc)/ヨネル・ペルレア/ウィーン・プロ・ムジカ管弦楽団・・・20世紀中に聴いた記録は残って、そのCD音源は全曲再入手できておらず、ロンド ト短調 /「森の静けさ」は手許にありません。Gaspar Cassado(1897ー1966西班牙)はカザルスの弟子、残された録音はほとんどモノラルでした。Ionel Perlea(1900ー1970羅馬尼亜)も昔懐かしい名前、主にオペラ畑に活躍したそう。この作品は郷愁の懐かしい旋律たっぷり、チェロがたっぷり歌う最高の協奏曲名曲。ロストロポーヴィチ全盛期のギラギラするようなテクニックのキレが懐かしいけれど、こちら質実なテクニックに音色はずいぶんとジミ。20年前に再聴したメモが残って曰く

ずいぶんと実直というか、やや地味系の演奏に聞こえます。テクニックがどうの、ではないけど ”カッコ良くない”
その時は聴手(=ワシ)がスランプであったらしく、現在ならそのジミな質実さが味わいに感じます。1950年代のモノラル録音も意外と悪くなく、ペルレアのオーケストラもしっかりと力強いものでした。
第1楽章「Allegro」郷愁はたっぷりだけど、詠嘆や大仰な節回しに遠く、魅惑の懐かしい旋律が誠実に歌って力強い。(15:02)
第2楽章「Adagio ma non troppo」ここはメモディ・メーカーであるDvora'kの旋律がしみじみ際立つところ。ロストロポーヴィッチ/カラヤンの色気はないけれど、質実素朴な語り口がむしろ好ましいくらい。これは各々嗜好の世界でしょう。(11:18)
第3楽章「Finale: Allegro moderato - Andante - Allegro vivo」ずんずんと力強いリズムを刻むフィナーレ。煽ったりスケールを強調しない誠実一筋の味わい系表現でした。(12:49)

EMI Glinka 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲/Borodin 歌劇「イーゴリ公」序曲(フィルハーモニア管弦楽団/1959年)/「だったん人の踊り」(パリ音楽院管弦楽団/1961年)/交響詩「中央アジアの高原にて」/Tchaikovsky 歌劇「エフゲーニ・オネーギン」より「ポロネーズ」/イタリア奇想曲/大序曲「1812年」(ボーンマス交響楽団/英国王立海軍楽団/1966年/1968年)〜コンスタンティン・シルヴェストリ・・・ Constantin Silvestri(1913-1969羅馬尼亜)は主に英国に活躍したけれど、独特のパワーを感じさせるアクの強い個性的な表現を駆使してウィーン・フィルにも登場していた実力者でした。これは露西亜の泥臭い旋律ばかり寄せ集めて、オーケストラもばらばらだけどCD1枚分聴いてほとんど違和感はありません。音質も悪くない。
元気よろしく一気呵成なGlinkaより始まって(5:19)オリエンタルな歌劇が始まる期待感いっぱいの「イーゴリ公」序曲迄フィルハーモニア管弦楽団(10:13)そしていちばん有名な「だったん人の踊り」(合唱は入らない/13:58)はパリ音楽院に変わっても、その壮麗さ、アンサンブルの勢い、アクセントの強さに変わりはありません。
それ以降は1962-1969首席在任した手兵ボーンマス交響楽団担当。サウンドはちょっと荒削りにパワフルでした。哲学的な「中央アジア」は神妙に味わい深く、シルクロードの情景が眼前に浮かび(7:28)舞踏会の喧騒を感じさせる「ポロネーズ」(4:36)へ。
イタリア奇想曲は騎兵隊のファンファーレから暗鬱な嘆きが続く第1部「Andante un poco rubato」。一転、優雅な管楽器が明るく流麗に歌う変奏曲である第2部「Allegro moderato」晴れやかな表情、上機嫌に疾走するタランテラである第3部「Prest」へ。そして第1部の暗鬱な金管の刻みと弦が戻る第4部「Allegro moderato」ラスト第5部「Presto - Piu presto - Prestissmo」は第3部の急速なタランテラのリズムに乗って打楽器のリズムと熱気もノリノリ、華やかに賑やかにフィナーレヘト雪崩れ込みました。タンバリンの存在感もリアルに際立ちます。(16:56)
オーラスは賑やかな「1812年」。神妙なヴィオラとチェロによる聖歌「神よ汝の民を救いたまえ」から始まって、あとは緊張感溢れる弦に金管が激しく叫んで「ラ・マルセイエーズ」(云わずと知れた仏蘭西軍の攻撃)はあちこち、露西亜民謡風の旋律も拮抗してバトルは最高潮へ。「ラ・マルセイエーズ」はやがて弱まって、大砲炸裂!の場面へ(ここでの迫力はいまいち)冒頭主題が力強く大爆発して、鐘が鳴り響いてラスト「ロシア帝国国歌」が大砲とともに締め括って勝利を祝う・・・アツい演奏でした。(15:46)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

週末を迎えて昼から雨との予報。本日は新城(奥三河)名古屋、岐阜在住の大学の先輩(50年来の付き合い)が酔狂にも新大阪迄出てきて昼酒、既に酒席は予約済みです。1月に自分が名古屋迄出掛けたから、気を遣って出てきてくれたもの。7月には萩旅行もあり(ホテルは予約済)11月は福岡唐津での集まりを日程調整中。こんな贅沢できるのも身体が元気なウチですよ。洗濯後、左膝ストレッチ可動域は前日よりはマシだけど苦戦中、YouTubeエアロビクスは最近お気に入りの東南亜細亜系元気な女性によるシンプルに動き続けるエアロビクス15分実施後、いつもの市立体育館へ出掛けて、しっかり鍛えてきました。気分は爽快。

時々眺める医師のブログを覗いたら「一日8,000歩を目指している」とのこと。「一日壱萬歩」というのはゴロが良いだけで特別な意味はないようですね。自分のスマホアプリ=スマートウォッチには「一日6,000歩」に目標設定してあって、ほぼクリアできております。ま、だらだら歩いても意味はあまりないそう、それはせいぜい気分転換ていど。自分も足腰膝をなんとか労って、しっかり前向きに歩けるように心掛けましょう。朝のストレッチ、短いYouTubeエアロビクス、そして隔日のゆる筋トレが自分の健康の基本です。昨日もしっかり身体を動かしたつもりだけど、今朝の体重は67.65kg+200g。昼夜しっかり喰ったからなぁ、華麗なる加齢に基礎代謝が落ちているのか。

ChandosTchaikovsky 交響曲第6番ロ短調「悲愴」〜マリス・ヤンソンス/オスロ・フィル(1984年)・・・世評の高さを理解できぬのは自らの耳に責任があると類推、ヒマな引退身分なので幾度挑戦いたしましょう。今回は一番人気、露西亜の憂愁たっぷりの名曲を拝聴。この作品は小学生時代から聴いておりました。Mariss Jansons(1943-2019拉脱維亜)の全集録音より。今回拝聴に若きヤンソンスの魅力をちょっぴり理解した感じ。第1番を聴いた時同様、いまいち鮮明さを欠く音質には不満がありました。
第1楽章「Adagio - Allegro non troppo」の落ち着かぬ速めのテンポを若さの勢いと捉えるのか、いまいち鳴りの足らぬオーケストラの響きをローカルな味わいと理解するのか。アンサンブルの縦線がぴたり合うことがすべての価値観に優先しないけれど、オスロ・フィルのアンサンブルは最良ではない感じ。悠々として清潔な歌と精一杯の爆発対比は後年の成熟を予感させて、その迫力と推進力は若さの証明でしょう。(18:04)
第2楽章「Allegro con gracia」5/4拍子の甘いワルツは速めのテンポに甘さ控えめ、淡々と進めてこれも悪くない表現。(7:33)
第3楽章「Allegro molto vivace」ここは若さと熱気に充ちたスケルツォも快速、軽快。スケールは大きくはないし、重量感もないけれど、ここは若きヤンソンスの勢いよろしく一番決まっているところ。(8:25)
第4楽章「Adagio lamentoso; Andante」清潔に哀しみは抑制され、さっぱりとしたフィナーレの始まり。清涼な嘆きが速めのテンポに粛々、うねるような濃厚な詠嘆とは無縁にテンポはけっこう動いて、決然としたキレもあるけれど、オーケストラの響きは分厚く響かない。雰囲気はあるけれど、音質にクリアな解像度が足りないと感じるのは、我が貧者のオーディオの再生能力の限界か。ちょっと締め括りとしては物足りない。(9:32)

NAXOS 8.550517Tchaikovsky 交響曲第1番ト短調「冬の日の幻想」/幻想序曲「ハムレット」〜エイドリアン・リーパー/ポーランド放送交響楽団(1991年)・・・アントニー・ヴィトと振り分けたNAXOSの全曲録音は意外に上出来。Adrian Leaper(1953-英国)は手堅くスケールが小さいと云ったイメージだけど、ここでは手堅くアンサンブルをまとめて、ポーランド放送交響楽団は予想外な好演を見せておりました。音質はまずまず。知名度云々別として(申し訳ないけど)著名なマリス・ヤンソンス/オスロ・フィルよりこちらのほうがよろしいかも。Tchaikovsky若き日26歳の作品は二管編成、メロディ・メーカーの面目躍如、懐かしい旋律に溢れてお気に入りでした。
第1楽章「冬の旅の幻想(Allegro tranquillo - Poco piu animato)」木管と弦によるト短調の寂しげな始まりだけど、民謡風の懐かしい旋律に、決然と躍動するリズムが前向きな希望を感じさせるところ。洗練されぬオーケストラの響きはジミだけど、誠実な雰囲気はあります。(11:45)
第2楽章「陰気な土地、霧の土地(Adagio cantabile ma non tanto - Pochissimo piu mosso)」チェロによる幻想的に泣ける旋律は誠実な歌、それに応えるさっぱりと儚げな淡い木管もしみじみと懐かしい。途中登場するホルンも思わぬ雄弁、アツく盛り上がりました。(10:15)
第3楽章「Scherzo. Allegro scherzando giocoso」ハ短調。そっとデリケートに寂しげに、落ち着かぬスケルツォ。中間部には優雅なワルツが弦によって歌われ、この辺り甘く不安な旋律はいかにもTchaikovskyの個性でしょう。リーパーはそんな陰影対比表現も上手いと思います。(8:45)
第4楽章「Finale. Andante lugubre - Allegro moderato - Allegro maestoso - Allegro vivo - Piu animato」ファゴットの暗鬱な始まりから、やがて民謡旋律を弦が静かに、ト短調に切なく歌い出すフィナーレ。木管が幻想的に絡みます。それはト長調に明るく転調して快活に、懐かしい露西亜民謡風旋律は疾走して、この辺りちょっぴり勢いがもたつき気味。いったん静かに沈んでから、やがて徐々にパワーとテンポを上げて、チューバとティンパニ加えてシンバルと大太鼓も参入。高らかなトランペットも叫んで立派なクライマックスに至るけれど、やや迫力パワー不足でした。(12:53)
幻想序曲「ハムレット」は聴いていないはずもないけれど、例の如く甘く切なく、劇的ステキな旋律に記憶はありません。1888年、三管編成の作品とか。途中劇的な盛り上がりは相当なもの、華やかに最後まで疾走いたしました。(17:58)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日朝には雨も上がって洗濯は外に干せました。ストレッチは座って踵を股に引き寄せて上半身を地面に付ける動作時、左膝内側に痛みを感じてしっかり伸ばせません。これは治療が必要かも。他の日常動作には問題ありません。YouTubeエアロビクスは短い十数分、東南アジア系の女性によるシンプルな動きのものを実施してすごい汗。それから食材仕入れに業務スーパーを目指しました。野菜が下がったこと、量は少ないけれど3,000円台/5kgのコメが並んでおりました。帰り、同世代のウォーキング爺さんに抜かれて・・・負けてられん! 速度を上げて抜き返しました。結果心拍数も上がって、一日の目標トレーニング量達成へ。それでも今朝の体重は67.45kg+450g、残念。

橋幸夫さん(80歳)アルツハイマー症公開して歌手活動継続。これはちょっと励まされる記事ですね。周りのフォローもタイヘンやろうけど、部分的であっても脳の機能がちゃんと維持できる可能性を示していると思います。
自分は万博反対派だけど、声高にケチつけるつもりもなし。行きたい方は愉しんでいただいて、スムースな運営と赤字と大きな事故だけは出さぬよう陰で祈るのみ。いまどき30%くらいの支持があれば立派なもんですよ、但し税金で赤字補填するのはいただけない。一部海外の施設の建設に関して業者への未払いが発生しているのは困り物(ネパール館は開場の目処は立っていないそう)それと「シオユスリカ」大量発生してなかなか退治は難物みたい。(アース製薬に協力要請)困ったものですね、想定外のことは発生するもの、システム上のことはいろいろ不備の噂を聞くけれど、利用するつもりがないのでその辺り実態はまったく理解できておりません。

TBRCD0018-2Respighi 交響詩「ローマの松」/「ローマの噴水」/「ローマの祭り」〜山田一雄/東京都交響楽団(1989年サントリーホール・ライヴ)・・・3年前にも聴いていて曰く

これは音質、熱気、パワー、オーケストラの厚み低音、アンサンブル、いずれをとっても最高の演奏。ここ最近、日本の演奏を多く拝聴機会があってほとんどその高い水準に仰け反るばかリ、大正生まれのヴェテランの記録も例外にあらず、都響の金管は鳴り響く技量に驚かされました。「噴水」は未だ様子見、「松」に於けるタメと朗々たる歌、満を持して「祭り」の大爆発に痺れました。77歳亡くなる2年前の記録とは信じられない。
三曲とも微妙に編成は違うけれど、基本三管編成にブッキナ?とか特殊楽器、多種多様な打楽器、オルガンやピアノ入るデーハー、ごりごりとした分厚い響きに金管炸裂!そんなイメージ必須、知的に抑制されたジミな佇まい〜なんて想像できぬ華麗なる名曲。これは山田一雄さん(1912-1991東京)の貴重な記録、レビューによると当日演奏会は観客ガラガラだったとのこと、もったいないなぁ。オーケストラの色気とかキレのある圧巻のパワー云々文句は付けられるけれど、個々のパートの技量や緻密なアンサンブル、なによりヤマカズさんの情熱ある推進力(当時77歳)に圧倒される記録でした。音質もリアル。
「ローマの松」は1924年初演。
ボルゲーゼ荘の松(4:29)カタコンバ付近の松(2:34)ジャニコロの松(3:41)アッピア街道の松(6:51)
「ローマの噴水」は1916年初演。
夜明けのジュリアの谷の噴水(2:47)朝のトリトンの噴水(7:50)朝のトリトンの噴水(7:22)黄昏のメディチ荘の噴水(5:30)
「ローマの祭り」は1929年トスカニーニ初演。
チルチェンセス(5:30)五十年祭(8:00)十月祭(7:43)主顕祭(5:28/大喝采入り)

EMI LPデザイン Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調/憂鬱なセレナーデ〜イツァーク・パールマン(v)/ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1978年)・・・これも聴いていて当たり前な音源だけど、いつでも聴ける・・・そんな油断からようやく重い腰を上げて拝聴、そもそもこの作品もなかなか拝聴意欲が湧かない(旋律があまりに濃厚にクサい!?と感じる)不埒者。Itzhak Perlman(1945-以色列)33歳の記録。テンポは中庸に慌てず、引退直前のオーマンディ率いる華麗なるフィラデルフィア管弦楽団は残念、時に強奏で響きが濁る音質が残念でした。
第1楽章「Allegro moderato」から豊満な音色にスムースなテクニックを駆使して、露西亜風クサいスケール大きな旋律は洗練され、たっぷり優雅に歌って豊満な音色。オーマンディの息の合わせ方はデリケートに絶品でした。(19:20)
第2楽章「Canzonetta: Andante」緩徐楽章も神経質にならぬ明るく瑞々しい音色に、楚々と哀しい旋律を奏でて、フィラデルフィアの弦も管も静謐に美しいもの。(7:02)
第3楽章「Finale: Allegro vivacissimo」は力強いオーケストラの始まり。ソロは速いパッセージ、難物な技巧を余裕に力みも曖昧さもなくクリアして軽快に疾走します。伴奏とソロの間合いは名人芸でしょう。ひばらくぶりに聴いた作品だけど、名曲としての手応え充分に堪能いたしました。(11:10)
「Serenade melancolique」は懐かしい、メロディメーカーとしてのTchaikovskyを堪能できました。うつむき加減に憂愁な気分が漂う低音中心の旋律がしみじみ。(9:21)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

なんや江藤農水相は辞めたのか、残念。「ウケ狙い」「宮崎弁」で通して、とことんポストにしがみついて欲しかった。売るほどあるコメは売りに出してほしい。次はポエム小泉進次郎なんだそう。池田市にて5歳児保護、背中に刺し傷有。両親は死亡との記事。なんとかこの苦しい経験境遇乗り越えて、その子が健やかに育つことを心より祈りたいものです。昨日天気は夕方まで保って雨、九州四国は大雨とか、被害は出たのでしょうか。まだ序の口5月なのに不快な蒸し暑さに、来たるべき夏が心配です。

前日ちゃんと昼飯喰ってから昼酒に臨んだのに、思わぬ減量。呑んだあと洟水痰の絡みに苦しんで途中覚醒、小一時間くらいぼんやりYouTube眺めてから二度寝いたしました。朝はいつもどおり目覚めてヘルシー朝食、洗濯、ストレッチ、そしてお気に入りYouTubeエアロビクス短いのを実施するのも千年一日同じ生活。左膝?股関節?辺り鈍い痛みに可動域が落ちております。引き続き好天の空の下、市立体育館を目指したけれど湿度が高くて汗が出ます。朝一番のトレーニングルームは常連メンバー数人+学生4人くらい、いつもどおりのユル筋トレ+エアロバイク15分実施、もちろんシャワーを浴びて帰りました。念のため血圧を測ってみたけど、やはり高いまま。食材は切れているけれど、スーパーには寄りませんでした。今朝の体重は67.0kg▲300g。

先日の情報断捨離の流れ。Facebookは登録して一度のみ、お仕事引退職場風景を投稿しただけ。ネット登録用メールアドレスのスパム対応に変更した時に、ログイン情報管理変更を失念してそのままになっておりました・・・そのまま数年、一度も拝見せず。ところが・・・先週くらいから(その変更メールアドレスに)お友達投稿情報が何故か復活。もしかしてFacebookの登録変更は成功して、通知案内を止めただけだったのかも。Instagaramは相変わらず登録情報エラーでした。(登録削除さえできない)
数年ぶりに旧知の更新を拝見して、ちゃんと定期的に更新されている方の動静は伺えて、義理でお友だち登録した方は失礼、削除いたしました。でも、ほとんど大多数の方は投稿皆無(含む自分)。噂ではFacebookももう落ち目なんだとか、ほんまでしょうか。こちら本家元祖(よりいっそう)落ち目なタグ打ちホームページ【♪ KechiKechi Classics ♪】は逆に希少価値なのかも。自分は毎日の更新で手一杯、他のSNSに手を出す余裕はありません。

MercuryBorodin 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の踊り」(1956年)/Rimsky-Korsakov スペイン奇想曲/「ロシアの復活祭」序曲(1959年)歌劇「金鶏」組曲(1956年)〜アンタル・ドラティ/ロンドン交響楽団/合唱団・・・これは2020年に拝聴コメント有。「だったん人の踊り」を初めて聴いたのはLP時代の名曲集だっけ、エドゥアルド・リンデンベルク?合唱のない冒頭の静かな部分のみ(娘たちの踊り)を聴いて美しい音楽だなぁ〜しみじみ。やがてアンタル・ドラティの演奏をエア・チェックして、その壮麗に泥臭い舞曲の迫力と合唱に痺れたのがMy原点。やがて歌劇「イーゴリ公」全曲も作品としてお気に入りとなった・・・はずなのに・・・その肝心のDorati Antal(1906ー1988洪牙利→亜米利加)の音源が見当たらない。どこでどう失ったのか。手許にあって当たり前の存在、馴染みの音源を失うのは精神的によろしくない。
半世紀以上にわたって音楽を聴いてきて、LPやカセット・エアチェック→CD廉価盤中古時代→ネット音源時代データ拝聴に至って、やがて.mp3ファイル処分→さらに悲劇のHDD一個お釈迦〜その過程どこかで失ったのか。あわててネットに探ったら、速攻ちゃんと再入手出来てほっとしたものです。
「だったん人」は1956年録音だったのですね。Mercury録音は70年経っても現役、ロンドン交響楽団はプレヴィン時代1970年以降スーパー・オーケストラになったらしいけど、この時期でもドラティの統率に迫力の演奏。打楽器の低音も響いて、記憶通りの壮麗な管弦楽、合唱にオリエンタルな旋律リズムの魅力爆発!(11:19)
「スペイン奇想曲」は1887年の作品、3年後の録音はいっそう良好。フルート2本+ピッコロの二管編成だけれど、8種の打楽器+ハープが多彩な管弦楽マジック、ヴァイオリン、チェロ、オーボエ、クラリネット、ハープ、フルート、ホルン、イングリッシュホルンのソロも登場して、多彩な西班牙趣味の旋律リズム躍動!オーケストラは鳴り切って最終盤に向けての熱狂的な盛り上がりも賑やかに、みごとに決まりました。Alborada(1:15)Variations(4:39)Alborada(1:12)Scena e canto gitano(4:58)Fandango asturiano(3:26)
「ロシアの復活祭」序曲は1888年の作品。導入部は荘厳な風情から、その素材を活かしつつAllegroはカッコよく疾走して、やがてお祭り騒ぎの賑やかな風情が陰影豊かに爆発します。ロンドン交響楽団の金管の響きは華やかにキレがあって優秀。ドラティは颯爽とカッコよく、モダーンな表現に泥臭さを感じさせないもの。(15:18)
歌劇「金鶏」組曲は1956年録音だから、オリジナルLPは「だったん人の踊り」との組み合わせだったのでしょう。オペラから素材を集めて、作曲者の死後、後人によってまとめられた作品はエピソードの羅列っぽい。神秘的な導入からホルンも優雅な「Introduction and Dodon's sleep(序奏とドドン王の眠り)」(8:58)「King Dodon on the battlefield(戦場のドドン王)」は泥臭いリズム(4:08)「Queen of Shemakha's Dance - King Dodon's Dance(ドドン王とシェマハの女王の踊り)」は優雅な「シェラザード」風情(6:32)「Wedding Feast - Death of King Dodon - Finale(婚礼の祝宴とドドン王の哀れな末路と死-終曲)」華やかな祝宴の風景から、中途半端な盛り上がりへ。(6:11)

JOKER LP STEREOPaganini 魔女たちの踊り 作品8/Sarasate アンダルシアのロマンス/サパテアード/Paradis シシリエンヌ/Stravinsky ロシアの踊り(「ペトルーシュカ」より)/de Falla「はかなき人生」間奏曲/Debussy 「都に雨が降る如く」/Ferrara ブルレスカ/Sarasate マラゲーニャ/Suk アパショナード/Brahms ワルツ イ長調/Mussorgsky ホパーク〜デネシュ・ジーグモンディ(v)/ハンス・ハーゲン/ウィーン・コンツェルト管弦楽団/ピアニスト不明(1964年)・・・Denes Zsigmondy(1922-2014洪牙利)による超絶技巧ヴァイオリン名曲集。この骨太に濃い音色のヴァイオリニストは初耳でした。Hans Hagen(1915-1979墺太利)は主にオペレッタに活躍した人らしい。オーケストラの素性は不明だけど、素朴なサウンドでした。LP復刻。
たっぷりと華やかなヴィヴラートに切々と歌う、ちょっとクサいほど表情豊かなヴァイオリン。Padganiniは優雅な哀愁の歌から、やがて細かい技巧が自在に発揮され(管弦楽伴奏)Sarasateはあざとい低音を効かせて大仰なる表情(ロマンス)サパテアードは快活快速な舞曲でした(ピアノ伴奏)Paradisはまたしっとり落ち着いた蠱惑的な音色(管弦楽伴奏)Stravinskyは誰でも知っている賑やかに躍動するところ、まるで硬派ヴァイオリン協奏曲風オモロい編曲、超絶技巧が冴え渡ります。(以上A面23:08)
Sarasate「はかなき人生」は誰でも知っている、いかにも西班牙風濃厚な旋律リズムに冴えわたる技巧。Debussyはヴェルレーヌの有名な詩によるもの(堀口大學和訳)低音がたっぷり、途中からのピチカートがは壮絶。後半は高音の美しい音色に高らかな歌が続きました。(ピアノ伴奏)Ferrara ブルレスカは快速ヴィヴィッドな短い躍動は中国風。Suk「アパショナード」は切々たる詠嘆の表情たっぷり。Sarasate「マラゲーニャ」は情熱的な疾走。もちろん超絶技巧が冴え渡ります。Brahms ワルツ イ長調は懐かしくも優しい穏健な旋律、重音が凄い技巧なのでしょう。Mussorgsky「ホパーク」は懐かしい躍動リズムを刻んで、ピチカートと重音連続 !(以上B面22:23)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

全国的に気温は上がったみたいで、最高気温は29度C迄上がったそう。朝一番に激安美容院を目指して、残念三席中四番札、カットのみ980円は充分に安いけれど、タイムサービス14-16時680円?その時間は空いているのでしょうか。次回試してみましょう。ちょっぴり食材買い足してそろそろ切れるキウイは赤いのはシーズン終了、甘いゴールドが特売されておりました。そして昼から人生の大先輩と京橋にて初対面、人生の機微をしっかり学んで、思わぬ転職経験、その経緯を伺ったものです。けっこう呑みました。今朝の体重は67.3kg▲150g。左膝腰の痛みはどうも坐骨神経痛っぽい感じ、YouTubeに出ていたストレッチを試しております。

江藤農水相は最低最悪の失言、取り消してもそうカンタンに国民は忘れまへんで。辞めないそうだから、このまま参院選に突入して欲しいもの。

どうでもよいようなヲタク話だけどここ半年くらい【♪ KechiKechi Classics ♪】の画像ファイルの点検整理を毎日継続しております。未だ無料サーバーにはたっぷり余裕はあるし、自分は非常識に大きな画像はアップしていないけれど、初期の頃から10年ほどは自らスキャナでCDスリーヴ画像を取り込んだりして、それはけっこうなファイルサイズ、それを圧縮したり、状態がよろしくなければネットより再入手して入れ替えしたり、ま、だれも気付かぬであろうジミな作業も老後のヒマな趣味のウチですよ。その作業途中に致命的な誤字脱字、間違いを発見するのも日常、最近ではBorodinをBolodin(誤)となっているものを発見、秀丸エディターのGrepいっせい置き換えしたものです。

そのGrepも作業間違いをしたことがあって、オケ→オーケストラにいっせい置き換えしたら、「カラオーケストラ」という妙竹林な日本語が発生しておりました。これもある日気付いて「カラオケ」に一斉置き換え。きっとまだまだ、山のようにヘンなのがあるのやろなぁ、だれからも文句や抗議、指摘もないけれど、恥ずかしい。

MMS 64-AStravinsky バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)(オランダ・フィル/1956年)/ピアノと管楽器のための協奏曲(ノエル・ミュートン=ウッド(p)/ハーグ・レジデンティ管弦楽団/1952年)〜ワルター・ゲール・・・ 前回拝聴はワリと最近2020年。最近音源データ再入手出来、録音データ他詳細が判明いたしました。「火の鳥」はかなり以前から馴染みの音源でした。Walter Goehr(1903ー1960独逸→英国)とNoel Mewton-Wood(1922ー1953濠太剌利)による懐かしい音源。音質は記憶よりずっと良好、ConcertHallって音質劣悪の代表みたいな印象だったけれど、モノラルでもこれは意外とちゃんと聴ける水準でした。
「火の鳥」は1919年二管編成の組曲版。リズムもしっかりとして慌てず、さらりとして流れよろしく細部の描き込みも充分。オランダ・フィルとはエエ加減な表記だけど(現存する団体は1985年三つの団体が合併したもの)アンサンブルの水準は高く色彩感も充分、メルヘンに美しい旋律が際立ちました。
Introduction- The Firebird and its Dance(5:06)Variation of the Firebird-Ring dance of the Princesses(4:37) Infernal Dance of King Kashchey(4:39/ここは途切れる版採用)Lullaby(2:48)Finale(8:43)
ピアノと管楽器のための協奏曲は1924年初演。題名通り伴奏に弦楽器は入りません。
「Largo - Allegro - Piu mosso - Maestoso (Largo con principo)」暗く不安げな管楽器のコラール風序奏から、快活に無機的なピアノがリズミカルに参入、それはちょっぴりユーモアを孕みながらノリノリにに疾走しました。(7:38)
「Largo - Piu Mosso - Doppia valore - Tempo primo」荘厳に落ち着いた緩徐楽章。孤独に無感情なピアノも淡々としてちょっぴりRavelのピアノ協奏曲も連想いたしました。(7:25)
「Allegro - Agitato - Lento - Stringendo」ギクシャクとしたリズムを刻んで賑やかな新古典風でもあり、ジャズの影響も感じさせる自在なフィナーレは、やがて冒頭のコラールも再現。ラストは素っ頓狂に終了。(5:03)

MELODJA LPElgar ヴァイオリン協奏曲ロ短調〜イーゴリ・オイストラフ(v)/ヴァレンティン・ジューク/モスクワ・フィル(1984年)・・・1910年の作品だけど、濃密な浪漫と英国の落ち着きを湛えた保守的な名曲。伴奏は古典的二管編成+ティンパニの編成。Igor Oistrakh(1931-2021露西亜)は著名なダヴィッドの息子。父親よりやや暗めのウェットな音色に、英国の落ち着いた憂愁はとても似合って、しっとり黄昏れる演奏でした。Valentin Zhuk(1934-露西亜→阿蘭陀)は初耳指揮者、もともとヴァイオリニストだったらしい(モスクワ・フィルのコンマス)。LPからの音源は音質良好。
第1楽章「Allegro」陰影豊かにうつむき加減の詠嘆は抑制を以て表情豊か、本場英国より風情は濃厚でしょうか。瑞々しいウェットなソロは美音。慌てず、余裕の技巧でした。(17:33)
第2楽章「Andante」遠くの田園風景を眺めるような懐かしい、いかにも英国らしい安寧の緩徐楽章。ヴァイオリンの弱音はここでもたっぷり歌って静謐、デリケートでした。モスクワ・フィルも雰囲気たっぷり。(11:49)
第3楽章「Allegro molto - Cadenza - Allegro molto (Tempo I)」フィナーレは情熱的な情感と緊張感が高まるところ。しかし英国音楽は激昂とか疾走とは無縁に落ち着いた歌。ラスト第1楽章冒頭の旋律が戻って締め括りへ、ここのヴァイオリンは流麗な技巧の見せ所でしょう。(17:50)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

新しい一週間は好天の始まり。いつもどおりの朝を迎えてストレッチ(一工程抜けた?かも)YouTubeエアロビクスは短いけれどしっかり身体を動かすものをこなして市立体育館を目指しました。トレーニングルームは常連引退メンバー+現役若い人数人、マルチチェストはずっと使われて実施できませんでした。シャワーを浴びて往復移動中も気分は爽快。変わらぬ、シアワセなマンネリ、ワン・パターンな毎日。少々の左膝腰痛みも日常の生活、運動には影響はありません。本日は朝一番激安美容室に通うつもり。今朝の体重は67.55kg▲300g。思うようには減りません。

新名神で逆走から関連事故。こんどは福岡県にてこどもの列に軽自動車が突っ込んで5人怪我、大丈夫か、あちこち日本は。こんどは高齢者の運転らしい。そしてちょっぴり下がったはずのおコメはまた値上げに転じているそう。
毎日眺めるブログに「友人がXを70歳を期に止めた」との記事拝見。SNSによる情報の遣り取り、違法賭博の誘いやロマンス詐欺投資詐欺などの話題もあって、自分と情報との距離感が難しく(鬱陶しく)なったんだそう。情報の断捨離とか。振り返って自分のは時代遅れタグ打ちホームページは27年継続、しばらくBBSもあったけれどパスワードの不備でお釈迦になったのを期に廃止、それ以来読者とはメールのみの情報遣り取り連絡となりました。ま、このくらいが適切なのかもね。【♪ KechiKechi Classics ♪】はあくまで自らの備忘録≒自己満足、ボケ防止程度のもの。なんせお仕事引退後はヒマですから。誰が見ているのか知らんけど、忘れた頃稀にメールが届くくらい。

そんな篤志家である読者が偶然比較的ご近所、しかも大学の先輩ということがわかって本日、中間点である京橋で昼呑みの約束をしております。

蘭PHILIPS 6514050Dvora'k 交響曲第8番ト長調〜ネヴィル・マリナー/ミネソタ管弦楽団(1980年)・・・ Neville Marriner(1924-2016英国)がミネソタ管弦楽団の音楽監督を務めたのは1979-1986年。後年手兵アカデミーとの再録音があるけれど、それは未聴。彼のTchaikovsky交響曲は薄味に過ぎてかなりガッカリ、さて、こちら古典的二管編成+ティンパニ、うきうきと懐かしい旋律が響き渡る名曲、新世界側のオーケストラとのの記録はどうか・・・自分の先入観ではアンタル・ドラティ以来このオーケストラのサウンドには、いまいちコクが足らんような気もしていたものでした。
これが第1楽章「Allegro con brio」から素直な響きに中庸のテンポ、バランスよろしく歌って浮き立つような懐かしさいっぱい。響きにはけっこう厚みも感じました。
第2楽章「Adagio」しみじみかつ決然とした魅惑の緩徐楽章はフレージングも清潔に、途中の爆発も爽快。
第3楽章「Allegretto grazioso - Molto vivace」この交響曲の白眉である優雅なワルツ。爽やかな軽みのある響きとリズムには、甘く床しいニュアンスに充ちておりました。
第4楽章「Allegro ma non troppo」高らかなトランペットのファンファーレから、チェロが落ち着いてシンプルな主題を刻んで、それが力強く成長していくフィナーレ。金管もなかなかのパワーだけど、美しい弦が歌って爽やかなバランス表現、過度な重さやアクはありません。(36:52)

 venias VN033 97CDMancinelli(1848-1921伊太利亜)組曲「ヴェネツィアの情景」より「キオッジアへの恋人の駆け落ち」(1945年)/Respighi 交響詩「ローマの松」(1942年ライヴ)/交響詩「ローマの噴水」(1945年)/Westerman(1894-1963)ディヴェルティメント 作品16(1940年代)〜クレメンス・クラウス/ウィーン・フィル・・・Clemens Krauss(1893ー1954墺太利)には膨大なモノラル録音が残されて、意外と日本では一部除いてあまり聴かれていないようです。音質はいずれも予想外にかなり良心的に瑞々しく、資料的価値を超えて聴きやすいもの。2020年に聴いた痕跡があったけれど、記憶はまったくありません。
Mancinelliは快活に元気のよろしいスケルツォ風楽しい作品。(4:01)
残念!デーハーな「ローマの松」に「アッピア街道の松」が収録されない。録音時の不備があったんでしょう。(3:01-7:33-8:32)「ローマの噴水」とも優雅にたっぷり歌って、厚みのある金管は華やかにコクがあり、弦はデリケートな表現、静謐部分の陶酔に聴き惚れました。
(実質初耳/誰やねん)Westermanの作品もけっこう保守的な作風、愉しめました・・・との前回拝聴の印象。「けっこう」どころに非ず、20世紀の作品とは思えぬ優雅に平易、浪漫風にのびのびとして牧歌的なメルヘン、最後は華麗に盛り上がる懐古的作品でした。フルートやホルンが美しく、ハードな不協和音とは一切無縁のOverture(5:41)Sarabande(6:15)Gavotte(4:32)Gigue(248)Finale(8:43)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日日曜は雨は上がって曇ったり晴れたり、洗濯物は外に干せました。体調は悪くないけれど、鼻詰まり痰の絡みに早朝覚醒続いて睡眠不足、左膝不調は続いてストレッチ時に関節の可動域がちょっとヤバい感じ。なんとかならんもんか。YouTubeは久々にスワイショウ実施して、朝から安易にカレーを仕込んで結果的に終日引き隠りました(夕方喰ったけど美味しくない)。ほんまは珈琲が切れそうだし買い物に出掛けようと思ったけれど、女房殿が婆さんのところに行くのでついでにお願いしました。今朝の体重は67.85kg+300g増加中。

「世界一貧しい大統領」ウルグアイの元大統領、ホセ・ムヒカ氏逝去享年89歳。在任は2010年から2015年迄。軍政下に十数年投獄され、 やがて大統領となり、この人ほど清貧という言葉が似合う人もいない。日本人にもそんな生き方のファンはたくさんいらっしゃることでしょう。自分のその一人・・・なんやけど、経済的には「清貧の生活」を貫くと経済的にはなかなか厳しいことになるそう。自分も含め日本の高齢者層はそれなりに貯め込み、この先の生活不安や健康問題から、なかなか放出しないから経済は上手く回らない(含むワシ)。そして種々様々な経緯により貯蓄の少ない方々、病に倒れる方、ギリギリの生活に暮らす方々が多く存在するのも事実、それは生存の危機ですよ。

ここ数年の物価高は数十年単位で経験したことのないものだから、先行き不安になるのは当たり前でしょう。コメの高騰が収まらぬのを見て政府の無為無策に気付きました。ホセ・ムヒカ氏 の精神に学びつつ、そこそこにムリのない範囲で散在すること、暮らしを楽しむことも大切なのでしょう。一攫千金を狙って、慣れぬ投資になけなしの資産をあっという間に溶かして・・・そんな薄っぺらなネット記事も毎日のように拝見しております。

EMI 3846992Chabrier 気まぐれなブーレ/楽しい行進(1955年)/Ravel 亡き王女のためのパヴァーヌ/古風なメヌエット/ハイドンの名によるメヌエット/水の戯れ/鏡(蛾(Noctuelles)/悲しげな鳥たち(Oiseaux tristes)/海原の小舟(Une barque sur l'ocean)/道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)/鐘の谷(La vallee des cloches)/組曲「クープランの墓」(Prelude/Fugue/Forlane/Rigaudon/Menuet/Toccata)(1954年)〜マルセル・メイエ(p)・・・Marcelle Meyer(1897ー1958仏蘭西)この人は早めに亡くなってしまったけれど、CD17枚分かなり状態のよろしい音質に録音を残してださいました。ここも低音しっかり響いて、プレイエルのマイルドに暖かい音色に不満はありません。浮き立つような喜びに溢れるChabrie、緻密かつ小粋に名残惜しくセクシーなRavel、デリケートなんだけれど、いずれも神経質な線の細さを感じさせぬ有機的なタッチには痺れるほど。大好きな作品ばかり続いて、意外と淡々かつ力強さにノリノリ、夢見るように、心ときめく時間が過ぎ去りました。最高。(5:50-3:47/4:53/5:13/2:04/5:05/4:29-5:02-7:13-5:42-5:34/2:45-2:53-5:37-3:07-4:18-3:56)

PHILIPS UCCD-4775R.Strauss オーボエ協奏曲ニ長調/メタモルフォーゼン(23人の弦楽独奏者のための練習曲)〜ハインツ・ホリガー(ob)/ヨーロッパ室内管弦楽団(1993年)・・・これはR.Strauss最晩年の諦観が色濃く表出した名曲。音質はちょっぴりオン・マイクに直接音中心。Heinz Holliger(1939-瑞西)は現代最高のオーボエ奏者の一人。オーボエ協奏曲ニ長調は1946年初演。伴奏は二管編成、金管はホルン2本のみ。R.Straussのメロディ・メーカーとしての実力をいかんなく発揮した名曲。全曲は途切れなく演奏され、人生の眩い黄昏を連想させます。憧憬にみちて爽やかに歌う「Allegro moderato」(8:33)懐かしい情感にしっとり歌って、心の安寧鎮静を呼ぶ「Andante」は遠く控えめなホルンも効果的(9:26)「Vivace-Allegro」はフルートとの掛け合いも可憐に上機嫌な疾走。ラスト、ソロのカデンツァが腕のみせどころ(4:42)「Allegro」はちょっぴりリズムが変わって明るく懐かしい表情に終わりました。(3:15)
「メタモルフォーゼン」は沈みゆく独逸帝国鎮魂の歌に響きます。変奏曲の枠に捉えきれぬ弦楽合奏に非ず、フクザツなる弦楽23重奏。暗鬱に精神は沈溺する第1部(Andate)第2部(Agitato)第3部(Andante)詠嘆、悔恨、そして葬送行進曲へ。デーハーに効果的な管弦楽作品のイメージが強いR.Strauss晩年の行き着く先の諦念は、静かに表情豊かに表現され、消えていきました。 (30:55)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

なにが週末は小雨模様、だよ。朝9時に雨は上がるとの予報を信じて洗濯物は外干し、ストレッチ、YouTubeエアロビクスの選択が悪くて動作にまったくついていけぬ情けない運動音痴。そのまま傘をさして市立体育館を目指したけれど、いや増す雨の勢いに靴はびしょ濡れとなりました。市立体育館はこどもバトミントン大会、トレーニングルームが空いていたのは自転車組が休んだからでしょう。水筒持参忘れ、仕方がないので筋トレはいつも通り消化してエアロバイク15分は断念、早々に帰宅いたしました。途中土砂降り、洗濯物を室内に移動して、昼から早々に雨は上がりました。今朝の体重は67.55kg+400g、思うようになりません。服薬しても洟水痰の絡みに苦戦継続しております。

埼玉県の小学生ひき逃げ事件の容疑者は中国籍の男性らしい。早晩捕まると思うけれど、またまた中国バッシングがあることでしょう。(その後自首したとのこと)ほんの一部の悪いやつの所業のために、真面目に日本人社会に馴染んで暮らしている外国籍の方は苦労されているでしょうね。隣国では反日教育があるから、開き直る論調がいっそうよろしくない。日本人のなかにも差別意識はあるかも知れないけれど、少なくとも公言するのは恥ずかしいこと。あからさまに言いふらす人は嫌われその人格は疑われます。

ちょっと話題が逸れるけれど、韓国へ旅行する日本人は減っていて、韓流ドラマやK-Popファンの女性が中心。観光資源はあまり多くなく、全体に物価は高め、さらにタクシー代もぼったくられたとの声もありました。30年以上前だけど、自分もソウル旅行時の通訳さんにラストちょっぴり、そんな経験の記憶も蘇りました。 ほんの一時のおカネのために、その国のイメージや印象、心象を下げてしまうことは残念な行為でしょう。日本ではそんなことがないことを望みます、ソフトパワーは大切ですよ。日本はインバウンドのオーバーツーリズムに苦しんでいるけれど、海外在住の日本の方が京都を訪れて、所謂著名な知名度高い観光地を避ければ、いくらでもあまり混んでいないステキなところがあると報告しておりました。

Intaglio INCD 7331Scho"nberg 室内交響曲第1番 作品9b/Sibelius 交響曲第5番 変ホ長調〜ヤッシャ・ホーレンシュタイン/BBC北部交響楽団(1970年ライヴ)・・・ちょっと曇りがちのステレオだけど、まずまず良心的な音質でした。
室内交響曲第1番は1908年の作品。二管編成(+ピッコロ)の管弦楽版、Jascha Horenstein(1898ー1973烏克蘭→亜米利加)は現代音楽の擁護者、この作品も別途録音が存在します。新し過ぎる作品に初演では野次と怒号飛び交ったらしいけれど、この作品との出会いは彼でした(南西ドイツ放送交響楽団/1956年) LP時代は作品の理解に歯が立たなかったけれど、CD時代に至って”噎せ返るような爛熟浪漫”として作品を堪能できるようになりました。15人によるオリジナルのほうがクールに作品細部様子が浮き出て硬質に感じたもの。ところが、この1970年ライヴにびっくり!1956年録音を凌駕するわかりやすさ、ゲンダオンガクとしての晦渋さはほとんど消え去って、後期浪漫の残滓たっぷりな雄弁、わかりやすさダントツ。(24:34)
Sibelius 交響曲第5番 変ホ長調は1915年初演。既に浪漫の影響を抜けて独自の清涼な達観の世界に至っている明るい名曲。二管編成+ティンパニだから大柄なものに非ず。ホーレンシュタインには交響曲第2番ニ長調の録音があったと記憶するけれど、聴いたことはないかも。これが現BBCフィル(マンチェスター)が一期一会的陰影と迫力、音質条件乗り越え、ライヴの熱気がひしひしと、引き込まれるような記録でした。
第1楽章「Tempo molto moderato - Allegro moderato (ma poco a poco stretto) - Vivace molto - Presto - Piu Presto」寂しげに清涼な空気と、雄弁に過ぎぬ緊張感を湛えて、アンサンブルは予想外に緊密でした。(12:06)
第2楽章「Andante mosso, quasi allegretto - Poco a poco stretto - Tranquillo - Poco a poco stretto - Ritenuto al tempo I 」はピチカートに提示されるシンプルな主題がしっとり静かに、時に雄弁に力強く変奏される緩徐楽章。淡々として寂寥を感じさせるSibeliusの個性が際立つところ。ラスト力を失って、テンポダウンの風情も絶品。(8:25)
第3楽章「Allegro molto - Misterioso - Un pochettino largamente - Largamente assai - Un pochettino stretto」地の底からエネルギーが湧き出るような弦の細かい音型にスタート。やがてホルンのシンプルな音型の繰り返しに熱を帯びて、 しみじみとした風情に落ち着く最終盤の抑制、タメからのクライマックスも感動的でした。(8:16/熱狂的なフライング・ブラヴォー有にも納得)
ついでにShostakovich 交響曲第1番ヘ短調〜ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ロイヤル・フィル(1970年ライヴ)も拝聴しました。こちらオフマイクっぽい、ちょっと曖昧な音質。とれは特別にどうのといった印象ある演奏でもありませんでした。(9:08-4:46-8:36-9:39)

EMI TOCE14268Bach ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調BWV1050/第6番 変ロ長調BWV1051/管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1966〜ネヴィル・マリナー/ジ・アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ(1984-86年録音)・・・たしか三度録音したブランデンブルク協奏曲三度目のEMI録音。録音時、時代は既に古楽器主流に至っておりました。これはEMIによる録音、新旧PHILIPSよりいっそう忘れられた存在に至って、あちこち探してもソロの名前もほとんど探せない。バランスの取れた大人しい表現にオフ・マイクっぽく、悪くはないけれど特別に音質の改善も感じられません。1971年録音のヴィヴィッドな意欲もすっかり薄れ、別稿へのトライヤルも消えました。
(自らのサイトにかつて調査したソロ・メンバーがありました)George Malcolm (cem)/ John Constable (cem)(第4番)/Nicholas Hill (hr)/ Timothy Brown (hr)/Caroline Marwood (ob)/ Celia Nicklin(ob)(第2番も)/George Caird(ob)/Catherine Latham (Recorder) /Philip Pickett (Recorder)(第2番も)/Mark Bennett(tp)/Alan Loveday (v)(第1番)/ Iona Brown (v)(第4番) /Kenneth Sillito (v)(第5番)
第5番ニ長調BWV1050はすっきり小さくまとまってマイルド過ぎ。リズムは軽妙にヴィヴィッドだけれど、枯れた風情さえ感じさせて、ちょっと弱い感じ。全曲中の白眉である第1楽章「Allegro」のチェンバロ・カデンツァ(George Malcolm/1917-1997英国)も淡々としておりました。(10:22-5:44-5:16)
ヴァイオリンを編成に欠く第6番 変ロ長調BWV1051。これも淡い風情に大人しい角の取れた表現。第2楽章「Adagio」は通奏低音オルガンの存在感際立って、これは初めての美しい経験でした。(6:23-6:07-6:02)
管弦楽組曲第1番ハ長調BWV1966のほうは音質かなり改善。第1楽章のフランス風序曲はかっちりとした几帳面に堅苦しいリズムを刻んで、これはこれで端正なメリハリ味わいも悪くないと拝聴いたしました。(6:39-2:05-3:58-1:33-3:31-3:19-3:16)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日朝ほんのちょっぴり踵の痛みに目覚めて靴擦れ?いえいえ、これはもしかして・・・痛風?の初期症状か、ニ年ぶりの。ちゃんと毎朝「フェブキソ」を服用してここ一年は症状はまったく出ておりませんでした。もしかしてここ数週間の左膝、左腰の鈍い痛みも痛風症状だった可能性もないでもない(あくまでシロウト判断)隔日ゆる筋トレも尿酸値を上げるし、一昨日の酒が症状発症の銃爪になったのかも。月2-3回の酒でも体質的に影響は出るのかも。朝一番のストレッチと短いYouTubeエアロビクスこなして例の大腸がん検診用ブツ二日分、ご近所クリニックへ持参。ついでに業務スーパーに食材買い足して、往復3.3kmのウォーキング。左膝に違和感はあるけれど、歩行に問題はありません。1日分の必要運動量を充足いたしました。

昨日は終日曇り空、週末の朝は小雨模様、これより上がるそう。今朝の体重は67.15kg+200g。幸い痛風症状?っぽいのは悪化しておりません。

ライフリーも似合う男」 
ぺこりーのさんは自分と同い齢だから、とうとう来たか・・・他人事に思えせん。そんなこともユーモラスに語って動画にする姿勢に感服いたします。脊柱菅狭窄症の手術をされ、その関連の頻尿はあり得るそう。 3歳下の爺友も頻尿らしく、但し一度眠れば朝まで大丈夫らしいけれど、自分も似たような感じ。 現在左腰から左膝に鈍い痛み継続して、もともと左膝に不備を抱えて+華麗なる加齢にあちこちガタが来ているけれど、幸い熱を持ったり腫れたりはしておりません。なんとかストレッチと筋トレで克服できぬものか、そんな悪あがきをしております。

BBC LegendsElgar 序奏とアレグロ/交響曲第1番 変イ長調〜ジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団(1970年ライヴ)・・・1962年フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音があって、こちらJohn Barbirolli(1899-1970英国)7月亡くなる5日前のライヴ。まったりとして悠々たる語り口は変わらず、但し、こちらはライヴだから最終楽章あたりの感興の盛り上がりはさすがにアツいもの。音質もよろしく、1943-1970年常任指揮者を務めたハレ管は絶好調でしょう。(1956年録音も存在します)
序奏とアレグロは弦楽四重奏と弦楽というバロック時代の合奏協奏曲風、ト短調の劇的詠嘆から始まって、懐かしくも感極まるト長調に至ります。分厚い弦、清楚に名残惜しい弦楽四重奏が呼応する対比表現は濃密でした。(14:23)
交響曲第1番 変イ長調は三管編成+ティンパニ、小太鼓、大太鼓、シンバル、ハープ2台が入る大きなもの。1908年初演、時代を考えるとかなり保守的な作風だけど、大人気だったらしい。フクザツに巨大化したBrahmsみたいな風情を感じさせました。
第1楽章「Andante. Nobilmente e semplice-Allegro」遠雷のようなティンパニに始まり、力強く眩く悠揚たる歩みの序奏が全合奏に成長して、やがて第1主題はがらり雰囲気を変えて劇的情熱的に登場。金管の咆哮は迫力たっぷり、ヴァイオリン・ソロも歌う弦の優しい対比も際立って、やがて第1主題や冒頭の歩みが堂々と雄弁に回帰して終了。粘着質に、しつこい楽章をとことん突き詰めた演奏。(20:56)
第2楽章「Allegro molto」これはスケルツォ?カッコよい推進力と決然とした風情に疾走する行進曲。打楽器のアクセント効果的。中間部は木管や弦による癒やしが対比されました。ラスト力尽きて静かに終了。(7:02)
第3楽章「Adagio-Molto espressivo e sostenuto」諦観と安寧、静謐が支配する美しい緩徐楽章。第2楽章冒頭の勇壮な旋律と同じとは気付きませんでした。弦が懐かしく纏綿としみじみ歌って、この辺りバルビローリの真骨頂でしょう。最終盤には第1楽章冒頭の序奏旋律が顔を出します。(12:27)
第4楽章「Lento-Allegro-Grandioso」バスクラリネットによる不穏な始まり、重い足取りに始まるフィナーレ。ここにもちょっぴり第1楽章序奏旋律が顔を出して、やがて緊張感高まって颯爽として、金管の呼応も華やかにテンポ・アップして決然。そして輝かしく第1楽章序奏旋律が回帰してクライマックスへ。大好きな作品です。(12:26)
旧Pyeレーベル録音1956年録音も拝聴)表現的にはこれも変わらぬ雄弁な演奏でした。音質はまずまずのステレオ、50歳代だからテンションの高さ、熱、迫力はこちらのほうが上かも。テンポもほぼ変わらず、終楽章がちょっと遅いくらい。(20:13-7:00-12:22-13:05)

Decca ND 647Mozart クラリネット協奏曲イ長調K.662(ジェルヴァーズ・ド・ペイエ(cl))/ファゴット協奏曲 変ホ長調K.191(アンリ・ヘラールツ(fg))〜アンソニー・コリンズ/ロンドン交響楽団(1954年)・・・大好きな作品はネットに音源を見掛けたらあと先考えず入手、ここ最近あまりに厳しい音質(+あまりに情けない演奏)は廃棄整理しておりました。これは懐かしい疑似ステレオLP音源、Mozart最高の名曲のひとつであるクラリネット協奏曲を聴き始めたら、案の定ちょっと曇った音が流れて・・・それはすぐに忘れて名手Gervase de Peyer(1926-2017英国)甘く素直、夢見るように浮き立つ音色に聴き惚れました。精神が沈静化するMozart晩年の清明な諦観漂うクラリネットの名曲、この魅力に競うのはクラリネット五重奏曲イ長調K.581くらいでしょう。軽妙な愉悦に充ちた躍動が疾走しました。(Allegro-Adagio-Rondo: Allegro/27:48)
Henri Helaerts(1907-2002白耳義)は初耳、1929-1977年迄長くスイス・ロマンド管弦楽団に在籍したそう。所謂仏蘭西風鼻声のバソンは軽妙、そして絶妙のユーモラス。アンセルメ時代のスイス・ロマンド管弦楽団の管楽器は時に調子外れの情けない(でも味のある)演奏が散見されたけれど、ファゴット協奏曲 変ホ長調は第1楽章「Allegro」からさすが首席クラスはスムースに小粋にユーモラスなな風情たっぷり。第2楽章「Andante」のしっとり落ち着いたデリケートな風情最高。第3楽章「Andante ma adagio-Rondo: Tempo di menuetto」は優雅な落ちついたもの。(18:33)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日も26度C、本日から週末は雨模様らしい。酒を呑んだ夜も良く眠れ、朝の体調にも影響なし、ムリしてたくさん呑むような年齢でもありません。朝一番の洗濯(フロの残り湯バケツ汲み鍛錬)ストレッチ、そしてYouTube15分動き続けるお気に入りエアロビクス実施して、市立体育館を目指しました。往復短パンTシャツでもよろしい気候に至っております。健康診断絡み大腸がん検査にナニをニ回に分けて保存そして提出必要。「便の入れ過ぎ注意」あんな細い入口にどうやっててんこ盛りに溢れるくらい入れることが可能なのか。おそらくそんな人が実際に存在するのでしょう。自分は毎朝快便。今朝の体重は66.95kg▲250g。ようやく、辛くも66kg台突入へ。

餃子の無人販売店で料金箱ごと持ち去る事件有、日本人の良心に頼った商売は成り立たんのでしょうか。いくつか黙って餃子を持ち帰ったり、セルフレジを誤魔化すなんてまだ可愛いほうですよ。犯人を早く捕まえて欲しい。chocoZAPも係員不在だから窃盗が発生しているそう。埼玉にて小学生4人ひき逃げ、生命には別状ないらしいけど、なぜ逃げるかなぁ、どうせ早々に捕まるのに。こんなニュースばかり、気は滅入ります。

GoogleKeepの文字サイズが突然小さくなった件、ありがたくもメールにて助言有。なんということもない、「Ctrlキーを押しながら、マウスのホイールを回すと文字が大小する」〜どうも慣れぬスマホ操作した時にやっちまったらしい。コンピューターでその行為を試したら戻りました。感謝。

Capitol Records P8223 Khachatruian バレエ音楽「ガイーヌ」(抜粋)/バレエ組曲「仮面舞踏会」〜フェビアン・セヴィツキー/インディアナポリス交響楽団(1953年リリース)・・・Fabien Sevitzky(1981-1967亜米利加)はセルゲイ・クーセヴィツキーの息子。音質も良好だし、意外にもオーケストラは明るくよく鳴り切ってアンサンブルも思いの外優秀。金管など色気のある骨太サウンドを聴かせてくださいました。野趣と泥臭い、激しいリズム連続、魅惑のクサい旋律は痛快に表現されてけっこうな迫力でした。
Gayne Ballet 「Introduction And Dance Of The Rose Maidens」イントロダクションのホルンはスケールが大きい。(4:44)「Awakening And Dance Of Ayshe」(6:55)「Dance Of The Mountaineers」(1:39)「Lullaby」(5:16)「Sabre Dance」(2:28)「Armen's Variation」(1:52)「Dance Of The Young Mountaineers」(3:25)「Lesginka」(3:10)
レトロっぽい官能的に悩ましい旋律たっぷりなMasquerade Suiteも濃厚な表情でした。
「Waltz」(4:11)「Nocturne」(4:17)「Mazurka」(2:19)「Romance」(3:27)「Galop」(2:36)
どちらとも大好きな作品です。

ALT443Shostakovich 交響曲第5番イ短調〜マリス・ヤンソンス/レニングラード・フィル(1986/10/19サントリーホール・ライヴ)・・・ムラヴィンスキーの来日がアウトになって、急遽当時若手だったマリス・ヤンソンス当時43歳が代理を務めた公演の記録とのこと。オーケストラの優秀さ、アンサンブルの精緻なこと、若い推進力に魅了されます。自分が聴いたのはVHS録画からの音源だから万全のものではないかも知れないけれど、かなり良好。若い頃Shostakovichはこればかり聴いて、やがて食傷気味に至った「革命」交響曲。LP時代中古に贖(あがな)ったコンドラシン全集は第5番のみ盤面に使用感がありましたっけ。かなり幅広く普及した現代でもShostakovichの一番人気なんでしょうか。
フルート二本+ピッコロは拡張された二管編成ですか?8種の打楽器にピアノ、チェレスタ、ハープも入ります。これはオスロ・フィルとのセッション録音の2年前、泥臭いソヴィエット風に非ず、爽やかに勢いのある演奏に作品そのものを見直しました。
第1楽章「Moderato」大仰な詠嘆は速めのテンポとテンションを上げてスタイリッシュな始まり。オーケストラには厚みと迫力があって、金管の刻みなどモウレツに上手い、カッコよい演奏。露西亜のパワーを感じさせるけれど、表現は意外とモダーンにすっきり感のあるもの。(13:43)
第2楽章「Allegretto」はキレのあるリズムに快活ユーモラス、大げさに賑やかな3/4拍子のスケルツォ。ファゴットの超絶技巧に痺れました。ここが一番好き。(4:51)
第3楽章「Largo」は金管なし。哀切に表情豊か、爽やかさも感じさせる緩徐楽章。(11:43)
第4楽章「Allegro non troppo」風雲急を告げる危機的な始まりはじっくり腰を据えて、すぐ快速テンポ・アップして緊張感を高めます。かなりテンポが動いても弦の縦線はぴたりと合って、金管は壮麗なヴィヴラートたっぷりに強烈。ホルンの朗々たるソロに聴き惚れました。打楽器のリズムも決まって、レニングラード・フィルのパワーに圧倒されるフィナーレ。ヤワな演奏だったら、あざとさが目立って聴いていられないけれど納得できるフィナーレでした。(11:23/拍手大喝采2分ほど含む)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日はいつもどおり早朝覚醒。但し、朝食抜き、洗濯も休みの番なのでヒマだから音楽を聴いて健康診断の時間迄時間をつぶしました。女房殿は婆さん宅に泊まって不在、ストレッチ、YouTubeエアロビクスはいつもどおり、意外と空腹に悩まされるということもないものですね。ストレッチ時に左膝の痛み有、途中マッサージをしたらかなり軽快いたしました。そして好天の道中はかなりきつい日差しに気温は上がって最高28度C、ご近所クリニックへ。時間は30-40分ほど、やはり血圧が高かった。帰り業務スーパーにちょっぴり食材買い足し、先日入荷していたコメはほぼ売り切れ状態でした。さて次回通院時の検査結果発表はいかがでしょうか。

ラマダン開け、昼から北新地梅田駅前ビル地下激安居酒屋街に出掛けて、爺友とバカ話し。新しい発見や発展性のない話題、年寄りの繰り言合戦して、早々に帰宅いたしました。ボケ防止にもなりません。今朝の体重は67.2kgほぼ変わらず。

杉本さん渾身の指揮に感動」そんな記事を拝見。1999年から7年間お仕事の関係で岡山市にお世話になりました。その時期には岡山交響楽団の演奏会には欠かさず参加して、やがてご招待いただいたり、時々マンション迄クルマでお迎えに来ていただいたり、団員の方とは数人親しくお話しをさせていただいたものです。当時は生演奏拝聴に熱心でしたよ。アマチュアを凌駕する指揮者である杉本さんももう80歳かぁ(遠い目)娘さんは著名なピアニストと結婚され、紹介されたこともありましたっけ。もう覚えていないやろなぁ、20年以上経って自分もお仕事引退の身分に至っております。岡山交響楽団のみならず、プロオケである岡山フィル、ほかいくつかアマチュアのアンサンブルの演奏会にも通った記憶もありました。最近の自分の意欲減退はなんたること!ちょっと情けなさを自覚しております。

NAXOS 8.570871-72Grieg 劇音楽「ペール・ギュント」(全曲)〜ビャルテ・エンゲセト/マルメ交響楽団/アンネ・マリット・ヤコブセン(女優)/ハンス・ヤコプ・サント(俳優)/イーサ・ゲーリケ(s)/イェルムン・ラーシェン(ハルダンゲル・フィドル)(2007年)・・・小学校時代から馴染みの魅惑の旋律のオリジナル版、CD2枚分の長丁場だから壱枚目、第1幕〜第4幕迄聴いたところ。Bjarte Engeset(1958-諾威)はNAXOSにCD8枚分のGriegの管弦楽作品を録音しておりました。これとか「真夏の夜の夢」「アルルの女」は演奏会用の組曲と抜粋がよく聴かれ、どうしても劇全体を通すと言葉の壁があったり、聴手の緊張感が続かなかったりして、途中で飽きる〜なんてことはありがち。かなり以前にカール・エリアスベルク/ソヴィエット国立交響楽団(1958年ライヴ)による「ペール・ギュント」全曲聴いて、まったく歯が立たなかった記憶もありました。(再確認したら硬い露西亜語上演の違和感と劣悪音質。音楽自体もかなり様子が違うのが要因だったみたい)ところが今回拝聴は・・・
浮き立つような 第1幕/前奏曲「婚礼の場にて」から北欧の清涼かつローカル馴染みの旋律が続いて、サウンドは清潔そのもの。音質も極上。(5:10)途中俳優さんの台詞はさっぱりわからんけど「Halling」(1:14)「The Wedding at Hegstad」(2:16)はフィドルのいかにもローカルな泥臭い音色が愉しい。第2幕/前奏曲(馴染みの組曲に聴かれるもの)はしみじみ(4:17)「Peer Gynt and the Herd-Girls」の掛け合いは賑やかにユーモラス(3:44)・・・ま、ところどころ切り取っても意味はないけれど、組曲に収録されなかった泥臭くもステキな旋律が出現して飽きないものです。
有名な「In the Hall of the Mountain King」は合唱入りでテンポ・アップの興奮!(2:49)続く「Dance of the Mountain King's Daughter」も妖しげにオリエンタルな魅力(1:42)寂しい「Prelude to the Death of Ase」は第3幕の前奏曲だったんですね。(3:55)そしていちばん人気の爽やかな「朝」は第4幕前奏曲(4:13)有名な「Anitra's Dance」(3:27)の前には、剽軽に躍動する「Arabian Dance」の合唱とソプラノ・ソロが入ってこれもよく知られておりました。(4:46)そして第4幕ラス前に「Solveig's Song」の切々と清楚なソプラノに哀しみが染みる・・・(2:03)

Mercury SR 90164Grieg 劇音楽「ペール・ギュント」第1組曲/交響的舞曲/二つの悲しい旋律〜ジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団(1957年)・・・これは現在Wener(旧EMI)以前はVanguardから出たような記憶もあって、じつはMercury録音だったのか?(真偽不明)低音もしっかり、この時期にしてかなりリアルな音質でしたよ。その昔、とっても怪しい韓国製のCDを持っていた記憶もありました。音質はもっと悪かったはずだけどなぁ、不思議です。ハレ管は絶好調でしょう。
「ペール・ギュント」は誰でも知っている文科省推薦。たしか1968年にLP1枚分の抜粋録音があって、それとは別物。「朝」は爽やかに「オーセの死」はしっとり哀しみに濡れ「アニトラの踊り」はセクシーに妖しい風情たっぷり、ラストのテンポ・アップと迫力もなかなか効果的。(14:49)
「交響的舞曲」はもともとピアノ連弾作品だったそう。管弦楽版は1898年完成。民族的な旋律を取り入れた管弦楽組曲は優しく親しみやすい多彩な名曲。フルート2本(+ピッコロ)の二管編成+ティンパニ、トライアングル、ハープ、編成は小さめでした。
明るく懐かしい躍動からちょっと哀愁の中間部を挟んで劇的な「Allegro moderato e marcato - Vivace - Piu lento - Tempo I - Vivace - Tempo I - Presto」(ト長調)
「Allegretto grazioso - Piu mosso - Tempo I」(イ長調)はオーボエが牧歌的に歌う安らぎの緩徐楽章。この辺りしみじみとした節回しはバルビローリの真骨頂でしょう。中間部の不安な暗転の描き分けも秀逸。
「Allegro giocoso」(ニ長調)賑やかなリズムも決然として楽しげに、バルビローリはじつに上手い。
「Andante - Allegro molto e risoluto - Piu tranquillo - Tempo I - Presto」(イ短調)風雲急を告げる緊張感と不安湛えて疾走するラストへ。打楽器の迫力たっぷり劇的に盛り上げて、中間部には静謐穏健な風情が戻ってしっとり歌います。劇的な締め括りもみごとに決まりました。(29:49) 「胸の痛手」「春」は弦楽のみ、但し最大9声部に至るそう。こんな雄弁に濃厚、寄せては返す泣き表現はバルビローリの真骨頂でしょう。(7:35)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

今朝は朝食抜き、しかも健康診断の予約は10時半。ことしは血圧が引っ掛かると予想しております。朝食抜きの食生活は自分にはつらくて耐えられません。ラマダン開けなので、昼から爺友と昼から呑みに行きましょう。昨日朝は洗濯、ストレッチ、YouTubeエアロビクスから市立体育館へ出けけてしっかり鍛えました。なぜか現役世代が多くて、若い女性も二人(珍しく)参加しておりました。左膝腰にハリと痛みを感じつつ、トレーニングに影響はありません。今朝の体重は67.25kg▲150gほど。クリニックでの計量はどうなるでしょうか。

こんどは日産が内外7工場閉鎖、追加リストラ壱萬人累計弐萬人整理。これもトランプ・ショックの対策の一環でしょうか。その前から売れていなかったらしいけど。YouTube動画には「トランプ不況深刻」「亜米利加はもうダメ」「支持率急落!」そんなのがいっぱい出てくるけれど、ほんまのところはどうなのでしょう。ま、中国の悲惨な不動産不況(乱立する幽霊マンション)地方財政破綻の動画もいっぱい出て「露西亜軍また敗退!」というのも散々見たけれど、実際には戦争はしぶとく続いているから、ああいうのは真に受けないほうがよろしいのでしょう。兵庫県知事選挙では「ネットに真実を知った」多くの人が影響を受けたみたい。

テレビドラマはほとんど見なくなって、ニ時間ドラマもマンネリから視聴率を稼げず新作もほぼ絶滅状態、再放送はさすがに三度四度目辺りに至って食傷気味。通常のドラマはたいていオモロくない。自分が新しいものを受け入れなくなったノーミソの退化もあるのでしょう。そのなかで11年ぶりの「続・続・最後から二番目の恋」は見逃せぬ魅力有。世代的に近いし、ドラマだから色々エピソードや登場人物の個性誇張はあるけれど殺人事件や暴力の場面もなくて、魅力溢れる等身大のキャラクターに役者は似合って日常生活生活中心。インタビューによるとワン・シーン一発撮り、緊張感あるワン・テイクなんだそう。千秋と和平のしょうもない言い争いに突入する場面もごくごく自然に、その高い演技力が伺えます。但し、浜崎あゆみの主題歌は昔から好みから外れて残念。それにしても、ほんまにスポンサーCM入りませんね。

それとドラマ拝聴のスタイルの変遷もあって、放映時間を待つのではなくて、翌日以降TVerにてゆっくり、必要なら幾度も確認して味わうように。ネット時代前は再放送を待つか、ビデオ録画でしたもんね。自分はまったく見ていないけれどNHK朝ドラ「あんぱん」は評判よろしいのに、視聴率は伸びていないとのこと。これは「朝の決まった時間にドラマを見る」生活習慣そのものが変わってしまった結果と思います。じょじょにテレビ中心の生活は消えているのかも。

ARPCD0557Mahler 交響曲第3番ニ長調〜ヤッシャ・ホーレンシュタイン/ロンドン交響楽団/合唱団/ハイゲート・スクール合唱団/オーピントン・ジュニア・シンガーズ/ヘレン・ワッツ(a)(1961年ライヴ)・・・Jascha Horenstein(1898-1973烏克蘭→亜米利加)によるモノラルのライヴ音源だけれど音質は鮮明、広がりはないけれど奥行き空間に不足はない、打楽器の存在感もリアル。うかつにも1970年のセッション録音とその存在を混同して、再生して初めて別音源であることに気付いて、21世紀に現役の価値を維持していると感じました。四管編成+ティンパニ二人各々3台、ほか打楽器は10種、さらに鐘(4乃至6)ハープ2台。アルト独唱に女声合唱、児童合唱という巨大編成、ギネス級長大なる作品。全体に中庸のテンポ、長大に美しい作品はわかりやすく、完成度は高い演奏でした。長時間もあっという間に過ぎ去ります。
第1楽章「Kra"ftig. Entschieden」この楽章だけで30分を超える「メーデーの行進」。テンポは中庸、沸き立つような祝祭的気分にノリノリ、冒頭のホルン斉奏からスケールの大きくノビノビとした風情に、打楽器のメリハリしっかりした存在感も充分際立ちました。これを聴く限り、モントゥー時代のロンドン交響楽団は弦も管も鳴り切って、ライヴでこれだけのアンサンブルは優秀。(30:35/ここで大喝采有)
第2楽章「Tempo Di Menuetto. Sehr Ma"sig」はたっぷり名残惜しく優雅に流れるように歌う弦。これがメヌエットねぇ、時代は変わりました。中間部の軽妙なテンポ・アップもヴィヴィッド。(8:40)
第3楽章「Comodo. Scherzando」剽軽かつ安寧、雄弁なスケルツォ。中間部のポストホルンのソロは牧歌的に心安らぐところ。賑やかに爆発するホルンは腕の見せ所なのでしょう。どの楽章もステキだけれど、こはは時に情感の陰影、打楽器も多彩な魅力を感じさせました。(16:10)
第4楽章「Sehr Langsam. Misterioso」は沈溺する弦の洗練、オーボエもホルンも名人、Helen Watts(1927ー2009威勒士出身)は文句ない貫禄。ヴァイオリン・ソロも郷愁の歌に寄り添って静謐が続きました。(8:55)
第5楽章「Lustig Im Tempo Und Keck Im Ausdruck」そっとデリケートに可憐な児童合唱による天使の詩(+女声合唱とソロ)長すぎる作品だけど、ここだけでも聴いていただきたいもの。冒頭は鐘ですかね。(4:04)
第6楽章「Adagio」しみじみ人生を振り返って、万感胸に迫る静謐と諦観漂う感動的な変奏曲。ロンドン交響楽団の弦の洗練はおみごと、やがてティンパニに乗せて金管が激昂する場面へ、テンポの動きにムリはありません。眩い光りに包まれた人生のラストを連想させて、長い旅を終えました。幾度云うけれど自分の葬式音楽候補No.1。(21:09/大喝采有)

仏EMI CTRE6128Borodin 歌劇「イーゴリ公」より「序曲」「前奏曲/だったん人の行進」「だったん人の踊り」/Mussorgsky 交響詩「禿山の一夜」/Rimsky-Korasakov 序曲「ロシアの復活祭」〜ロヴロ・フォン・マタチッチ/フィルハーモニア管弦楽団(1958年)・・・日本でも愛されたLovro von Matacic(1899-1985克羅地亜)が「シェエラザード」と同時期にフィルハーモニア管弦楽団と録音した露西亜もの。とっても昔馴染みだけど、久々に聴いてみたら音質がとてもよろしいことに驚きました。フィルハーモニア管弦楽団のアンサンブルも優れて軽快爽快クリアな響き、アンサンブルの仕上げもていねい。
歌劇「イーゴリ公」はマタチッチが得意としたオペラ、ウィーンの歌劇場にも登場しておりました。ここでは合唱が入らぬから画竜点睛を欠く感じはするけれど、例の泥臭い露西亜風オリエンタルな旋律は勢いたっぷり、ノリノリに表現されてオーケストラの響きは清潔に明るいもの。(10:04-4:59-14:16)
「禿山」は自在にテンポを動かしてたっぷりいやらしく、怪奇に仕上げてくださって、堂々たる重量感とカッコよい圧巻の推進力。おそらくは今まで聴いたなかでは最高の出来。(11:10)
「ロシアの復活祭」は吉幾三「酒よ」風荘厳な旋律に始まって、メリハリある符点のリズムがカッコ良い作品であり、打楽器も迫力たっぷりに骨太、豪快な演奏でした。ラスト鐘が鳴り響いて倍速にテンポ・ダウンも最高でした。(15:22)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日朝は地面が濡れて、ちょっと降っていたみたいですね。洟水痰の絡みに苦戦して睡眠不如意だけど、ストレッチ、短いYouTubeエアロビクス済ませて耳鼻科の予約時間を待ちました。耳鼻科では予約時間より15分待たされただけ、医者の診立てでは黄砂の影響らしい、鼻咽の症状は前回より改善しているとのこと。いつもどおりの抗生剤と去痰剤+漢方薬を処方いただきました。往復3.86kmのウォーキングとなりました。明日、朝飯抜いて健康診断。最近左膝腰の鈍い痛みが気になって継続中。今朝の体重は67.4kgほぼ変わらず。眠り浅く、お仕事現役時代の妙な、思うようにならぬ夢にうなされました。

千葉の路上年配女性襲撃、行橋市の傷害致死の容疑者は両方ともすぐ捕まったのはよろしいけど(前者は15歳!)その前にそんな物騒な事件が起きない社会を願いたいもの。お隣・門真市に本社のある天下のPanasonicが壱萬人削減との報道、これは従業員の5%なんだそう。これじゃ気持ち的に景気が良くなるはずもない。大企業は給料上がっていたんじゃないの?

自家製ヨーグルトは牛乳2Lパック仕込んで一週間弱に消化するくらいのペース。先日、生協の注文を一週間休んで、ご近所のスーパーに牛乳を買って、その時やや安い成分無調整に非ず「調整乳」を試しに買ったのは数十円ケチったから。種菌にするヨーグルトはDanon Bioだからいつもと変わらず、結果、できあがりがどうもいまいち。酸味がちょっぴり強くて、いつものマイルド感が足りない。これは乳酸菌の相性なのか。昨日、いつもの生協牛乳に戻して納得の味になるか確認したら上出来OK、やはり安い牛乳がよろしくなかった。Amazonで一番安かったヨーグルトメーカーを入手して3年、けっこう大活躍しております。

NAXOS 8.550411Janacek ラシュスコ舞曲 /狂詩曲「タラス・ブーリバ」/シンフォニエッタ〜オンドレイ・レナールト/スロヴァキア放送交響楽団(1990年)・・・日本でもお馴染みOndrej Lenard(1942-斯拉仏克)がブラティスラヴァの放送オーケストラを振ったNAXOSの初期録音。CDが発売されて即買った記憶があって、当時は新しい音楽への意欲に溢れておりました。休みや仕事終わりに安いCDを求めて探しておりました。それから30年一世代回って再会、当時のイメージはアンサンブルはかなりヘロヘロだったはず。ひさびさの拝聴はスロヴァキア放送交響楽団が器用な技巧ではないけれど、ちょっと泥(どん)臭い響きとリズム感は作品に似合って、音質もやや大味っぽけれどけれど悪くない。
ラシュスコとはモラヴィア地方の北東端の地域だそう。Dvora'kのスラヴ舞曲によく似た泥臭くローカルなリズムと時に哀愁の旋律も懐かしい連続。ちょっともっさりとして、颯爽とカッコ良くスリムじゃない雰囲気がなかなか味わい深くけっこう楽しい。
Starodavny(Old-Time Dance/昔の踊り/5:59)Pozehnany(Blessed/祝福の踊り/2:16)Dymak(Blacksmith's Dance/ふいご/2:12)Starodavny(Old-Time Dance/昔の踊り/4:26)Celadensky(From Celadra/チェラデンスキー/1:55)Pilky (Saw Dance/のこぎり/2:40)
狂詩曲「タラス・ブーリバ」は小説「隊長ブーリバ」(Nikolai Gogol)に基づく標題音楽なんだそう。コサックと波蘭の戦いなんだとか(?)舞台は烏克蘭。話は逸れるけれど露西亜の烏克蘭侵攻は、当時はいっしょだった歴史感が根底にあるのかも。ちがったらすみません。フルート二本+ピッコロ(二管編成?)+打楽器は5種、チューブラーベルやオルガン、ハープも入ります。悪くない演奏と思うけどなぁ。
「The Death of Andrei(アンドレイの死)」は、コサックの首領タラス・ブーリバの次男アンドレイは敵軍の将軍令嬢と恋に落ちて裏切りの果て、投降そして死。愛の場面は甘く、オルガンの響きも荘厳。(9:19)
「The Death of Ostap(オスタップの死)」長男のオスタップは敵軍の捕虜となり拷問の果て処刑されます。暗い無感情な行進曲風?マズルカのリズムは波蘭軍の勝利、オスタップの断末魔は甲高いクラリネットによって再現される(Wikiによる)そう。(5:26)
「The Prophecy and Death of Taras Bulba(タラス・ブーリバの予言と死)」コサック軍は復讐に燃えて戦いに挑むけれど、タラス・ブーリバは捕まって火炙りに。その時に挑発的な予言を口走る・・・ラストは晴れやかな希望に充ちた金管と鐘、打楽器に安らかに終わります。ここが「シンフォニエッタ」にとても似ている。(9:53)
Janacekの作品中いちばん有名と思われる「シンフォニエッタ」は堂々たる四管編成。魅惑の非西欧風旋律とリズムが続く名曲。これも意外とエエ感じの味わいある演奏と受け止めました。鄙びた風情はあまりカッコ良くないけどね。
「Allegretto(ファンファーレ)」ここがいちばん有名な金管とティンパニによるカッコ良いファンファーレ。あまり上手くはない金管とちょっとリズムが甘いティンパニだけど、作品を堪能するのには不足はないでしょう。(2:18)
「Andante(シュピルベルク城)」不安げなスケルツォ風。くるくる回るような木管旋律の緊張感と低音管楽器が活躍します。(5:41)
「Moderato(ブルノの王妃の修道院)」たっぷり甘く弦が歌う始まりは緩徐楽章風。やがてイングリッシュ・ホルンやクラリネットがハープに乗って静かに歌い、金管が目覚めるように参入、木管の甲高い合いの手も印象的。泥臭い金管の歌もわかりやすい旋律でした。(4:57)
「Allegretto(古城に至る道)」堂々たるトランペットがちょっとユーモラスに歩みだして、それに弦が絡んで勇壮な風景を描き出します。(2:39)
「Allegro(ブルノ旧市庁舎)」木管の静かな始まりに、弦が幻想的に絡んで緊張感を高めます。木管の細かい素っ頓狂な音型はJanacekの個性、やがて金管が力強く参入して冒頭「ファンファーレ」が回帰します。もうちょっとテンションは欲しいけれど、そう悪い演奏ではないでしょう。(6:34)

TeldecShostakovich 交響曲第1番ヘ短調/交響曲第9番 変ホ長調〜ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ/ワシントン・ナショナル交響楽団(1993年)・・・前任アンタル・ドラティに鍛えられたナショナル交響楽団は1977年Mstislav Rostropovich(1927-2007阿塞拜疆)が音楽監督に就任、1994年迄長期継続していたのは意外でした。これはその時期の代表的な録音。全集録音はロンドン交響楽団と分担して、ちゃんと全部聴けておりません。こちらのオーケストラのほうが細身のサウンドに、指揮者の意向はストレートに反映して緊張感が高いと感じました。
交響曲第1番ヘ短調は作曲者20歳の才気煥発な作品にはピアノが活躍して、前向きの若い意欲漲(みなぎ)る名曲。二管編成だけど7種の打楽器にピアノが大活躍して「ペトルーシュカ」の影響が大きい作品なんだとか。音質良好。
第1楽章「Allegretto」人を喰ったようにとぼけてユーモラスに気紛れな始まり。引き締まって乾いた響き、緊張感と勢いたっぷりに疾走して、可愛らしく終了。冒頭クラリネットは「ティル・オイレンシュピーゲル」の影響を受けているとのこと(Wikiより)(8:12)
第2楽章「Allegro」ここはスケルツォでしょうか。焦ったような快速テンポにごりごり疾走して、ピアノも参入、金管も打楽器も切れ味抜群!(4:43)
第3楽章「Lento」哀愁漂ってオーボエがしっとり歌って始まる緩徐楽章。途中チェロのソロは「ジークフリート」の影響とか(Wikiより)。情感がもりもり高揚するところの大仰な表情は、いかにもロストロポーヴィチらしい。安寧の雰囲気もあり、晩年ほどの重苦しい暗鬱に至りません。(8:39)アタッカで
第4楽章「Allegro molto」へ。小太鼓の導入から短調の旋律が続くけれど、悲惨な暗さはなくて元気な勢いを感じさせる風情と演奏表現。やがて印象的なティンパニのソロから神妙静謐なチェロ・ソロへ、トランペットに導かれてラストへ熱を加え、華やかな締め括りを迎えました。(9:31)よほどのことがないと、たいてい楽しめる第1番はこれがヴェリ・ベストのテンションでした。
交響曲第9番 変ホ長調は1945年の作品。これも二管編成+6種の打楽器だから編成は小さめ、とってもお気楽風ユーモラスな作品。
第1楽章「Allegro」戦争が終わった祝祭的な気分を表している?とか(Wikiより)軽やかにスキップするような弦と木管に始まって、やがて金管も賑やかに加わってちょっぴり影も指すけれど、基本ヴィヴィッドなノーテンキに俗っぽい風情が楽しげに・・・どこかシニカル。(5:57)
第2楽章「Moderato」クラリネットのソロが無感情な旋律を奏でて、やがて木管群が静かに絡み合う緩徐楽章。途中に弦の不安なつぶやきが挟まります。この辺りの虚無感は「戦争が終わった祝祭的な気分」とは言い切れぬ不気味な静謐が感じられました。(8:41)
第3楽章「Presto」は短いスケルツォ。冒頭のユーモラスにフクザツな旋律のクラリネットは超絶技巧要求なんだそう。快活な緊張感が続いて、やがってとっても安易なスペクタクルっぽい金管がやってきて、その対比はとてもオモロいもの。この辺りのアンサンブルはナショナル交響楽団の技量を証明しております。(2:52)
第4楽章「Largo」この大仰な金管ファンファーレは終楽章への序奏。ファゴットのソロはとっても不安げ。(3:16)
第5楽章「Allegretto」ファゴットの重い足取りだけど(ここもとても俗っぽい)ユーモラスな始まりから、その旋律は弦に受け継がれ、微妙にシニカルに不安な風情が抑制されて疾走します。それは徐々にエネルギーとテンポを上げて、冒頭旋律が大仰に、そしてノーテンキなトランペットが参入。テンポの動き、指揮者の意に沿ったアンサンブルの集中力、なかなか立派なフィナーレでした。(6:24)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日日曜も気持ちの良い春真っ盛りの天候でした。ここしばらく洟水痰の絡みに苦しめられて睡眠不如意、本日これからようやく耳鼻科の予約が取れてクスリを処方いただきます。朝いつも通りのストレッチとオーソドックスなYoutube鍛錬済ませて市立体育館へ。途中の春空も爽快だけど運動公園はけっこうなゴミ、それを拾っていたら散歩の爺さんが「(ゴミを捨てたやつは)とんでもないやつらや」「ごくろうさん」との言葉も心がこもっていない。到着したら市民体育大会開会式とやら、老若男女に混み合っておりました。トレーニングルームは休日お仕事現役メンバー中心、それもハードなバーベルメンバー多数、エリアは3つしかないし、ダンベルエリア2箇所含めても数人溢れます。するとハイプーリー(背筋鍛錬)を代替する人が出現、自分の負荷はせいぜい40kgだけど90-100kgにじっくり鍛えて15分以上、次の人も待っているから自分はそれを断念いたしました。シャワーを浴びて気分は爽快、帰宅してから洗濯実施。すぐ乾きますので。今朝の体重は67.5kg+400g、思うように減りません。

こんどは東京にてニ階に兄のご遺体を三年ほど放置のニュース。お役所からの「生活保護の本人確認ができない」との通報によって発覚したとのこと・・・絶句。千葉では路上にて年配女性が襲われお亡くなりになって、福岡県では若い男が男性を殴って傷害致死〜こんなニュースいつまで続くのか。
暗く遣り切れないニュースばかりなので、明るいニュースを探しました。2025年1月、ちょっと前の記事だけど青森にて焼肉店未払い43,450円也→SNSで「お客様、お支払い忘れています」呼びかけたら、翌日「誰かが払っていると思った」と無事支払いに来訪したとのこと。日本も捨てたもんじゃないですね。
SVリーグSTINGS愛知は主力選手ごっそり抜けて、これからチームの補強はどうするのか。関田、村山、宮浦、小川など。SVリーグはプロ野球とは違って次、どこに行くかは退団時に発表されないから、これから先に注目しましょう。

CAvi-musicSchubert 交響曲第1番ニ長調〜アダム・フィッシャー/デュッセルドルフ交響楽団(2022年)を偶然聴き出したら・・・浪漫派の交響曲はやや苦手系だから拝聴機会が少ないと自覚して、恥ずかしながら自分のノーミソ中にはMendelssonの交響曲第1番ハ短調と記憶入れ替わって、あっと驚きました。作品旋律にほとんど記憶さえない。これは爽やかに素直な古典的風情を湛えた清々しい作品でした。Schubertの交響曲は著名な第8番第9番ばかり、稀に明朗な第5番 変ロ長調、劇的な第4番ハ短調を聴くくらい、第1番ニ長調/第2番 変ロ長調はもしかしてちゃんと聴いていなかった?そんな迂闊なことを自覚いたしました。Schubert16歳、1813年の作品はフルートが一本しかない古典的な編成+ティンパニ。「一般公開での初演は、シューベルトの死後52年を経過してから」とのこと。(Wikiによる)デリケートにスッキリとしたアンサンブルでした。音録りがオフ・マイクっぽいせいか、力強さに足りぬのが気になります。
第1楽章「Adagio - Allegro vivace」堂々たる序奏から、ヴィヴィッド軽快に疾走する主部は溌溂として表情明るく元気よろしいもの。Beethovenの初期交響曲に風情は似ていると感じます。再現部に序奏が再び登場。(11:17)
第2楽章「Andante」はトランペット、ティンパニ抜きの軽妙な緩徐楽章。陰影も優雅な転調にはSchubertの個性が既に感じられます。ここは清潔にていねいなサウンド仕上げ。(5:27)
第3楽章「Menuetto: Allegretto」HaydnやMozartスタイルのメヌエット配置だけど、実質上のスケルツォ。ユーモラスに素朴な3/4拍子をしっかり刻んで、トリオも優雅に歌ってステキ。(3:58)
第4楽章「Allegro vivace」は上機嫌に笑顔を湛えて、一点の曇りもなくノリノリに疾走するフィナーレでした。(5:52)
収録メインは懐かしい、わかりやすい馴染みの旋律が続く不朽の名曲Dvora'k 交響曲第9番 ホ短調「新世界より」〜アダム・フィッシャー/デュッセルドルフ交響楽団(2021年)・・・初演は1893年だから20世紀はすぐそこ、Mahlerの交響曲第1番初稿の初演は3年後でした。古典的二管編成+ティンパニにトライアングル、シンバルが加わります。かっちり整って、ていねい生真面目なアンサンブルに、テンポは中庸。オーケストラの響きはやや薄めに淡く、色気や剛直さは少々足らぬジミな感じ。
第1楽章「Adagio - Allegro molto」憧憬に充ちて心浮き立つような始まりは提示部繰り返し有。ティンパニ躍動してその活躍際立つ推進力はあるけれど、ちょっと大人しい。フルートの音色はずいぶんと暗く感じます。(12:46)
第2楽章「Largo」著名なイングリッシュ・ホルンのソロはしみじみ懐かしい。著名な旋律はさらりとやや速めのテンポにさっぱり、スッキリ軽快でした。フルートの印象は前楽章と変わらない。(11:29)
第3楽章「Scherzo: Molto vivace」スケルツォは歯切れのよいリズムを刻んでノリは感じられるけれど、賑やかさにはちょぴり足りない。(8:22)
第4楽章「Allegro con fuoco」速めのテンポに颯爽と若々しい推進力を感じさせるフィナーレ。フレージングはあくまでスッキリ爽やか、粘着質表現とは無縁でした。金管の音色が素直過ぎて、ちょっとつまらない。ここもティンパニは八面六臂の大活躍に存在は際立ちました。(12:01)

Dynamic CDS8012Mozart アダージョとフーガ ハ短調 K.546/協奏交響曲 変ホ長調 K.364/交響曲第27番ト長調 K.199 (161b) 〜マッシモ・ベッリ/フェルッチョ・ブゾーニ室内管弦楽団/アレッサンドロ・ミラーニ(v)/ルカ・ラニエーリ(va)(2002年)・・・Ferruccio Busoni Chamber Orchestraは1965年に創立された伊太利亜トリエステのモダーン楽器団体らしい。Massimo Belli(1948-伊太利亜)も初耳指揮者。すこぶるヴィヴィッドに瑞々しいアンサンブル、適度な残響に極上の音質に支えられてMozartの愉悦が疾走します。
アダージョとフーガは弦楽合奏版、Shostakovichの交響曲第5番第1楽章冒頭にクリソツな始まり、巨匠時代の大仰に深刻な表情に非ず、充実のバランス演奏。(6:35)
協奏交響曲 変ホ長調のソロは団員でしょうか。ヴァイオリンとヴィオラが優雅に歌い交わす至福の名曲、たっぷり骨太な音色に線の細さや神経質を感じさせない。快い熱に充たされてノリノリの演奏でした。Allegro maestoso(13:21)Andante(10:37)Presto(6:36)
交響曲第27番ト長調はザルツブルグ時代の作品。2fl/2hr/弦楽5部の編成。華やかに躍動し、陰影豊かに疾走する名曲(我らがヴォルフガングに駄作なし)
第1楽章「Allegro」から小編成のアンサンブルは力みのない快活な響き。(6:42)第2楽章「Andante grazioso」はHaydn風ノンビリ牧歌的雰囲気満載+彼らしい暗転が彩りを添えます。(8:16)第3楽章「Presto」は浮き立つような歩みに、リズム感と慌てぬスウィング感が快いもの。(5:53)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

母の日だけど、残念。もう北海道の母は6年前にあちらの世界に引っ越してしまいました。どうも父の日は影が薄い感じ。

比較的ご近所大阪市城東区で水道管が破裂し道路に水が溢れているとの報道。まさに全国各地時限爆弾状態、昔の水道管の寿命は一気にやってくるのですね。ほか、習志野にて45歳無職の男性が妹と母親を殺害の容疑、愛知県田原市にて16歳の孫が70歳代の祖父母殺害の疑いとか、家庭の闇を感じさせる殺人事件あちこち、そんな悲惨なニュースが連日連続して、どれがどれやらもうわからんくらい。気分的に遣り切れません。

昨日土曜は終日曇り空。こちらいつもどおりの洗濯、ストレッチ、YouTubeエアロビクス済ませて、皮膚科のクスリが切れそうだったので久々に通院、ついでに特定健診の予約も済ませたのは往復3.6kmのウォーキングを兼ねてのこと。いきつけのクリニックはご高齢者に溢れて混んでいたけれど、それは内科だったのですね。幸い皮膚科の方は一番乗りできました。ついでに業務スーパーに食材買い足しに寄って、値下がり気味の野菜を入手。たまたま入荷タイミングの関係か、比較的安めのコメも輸入米も在庫はありました。でも、やっぱり高い。今朝の体重は67.1kgけっこう喰っても変わらず。よかった。

Google Keepは日々活用して「音楽日誌」のネタを貯めております。スマホ連携だけど、主にコンピューターにて利用〜ある日・・・なにをやっちまったのか?文字サイズが全部小さくなって、その戻し方がわからない。右上歯車マークにもそんなものは出現しない。困りました。ネットを探ってもそれらしい改善情報は探せず「文字サイズは変えられません」とのみ。いえいえ、ある日突然文字サイズは小さくなったんですけど。ま、べつにさしたる不自由もないけれど。
先月末ネットより契約したSBI新生銀行の口座開設申し込み、先にパスワードが届き、昨日書留でカードが届きました。なんやら電話にてパスワードの変更をせよとの指示、無事完了して、ネット上の口座パスワードも設定できました。これから別途仮に預けている雀の涙、なけなしの貯金をそちらに移すつもり。

ML 4045R.Strauss 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」/歌劇「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」/楽劇「薔薇の騎士」より第2幕のワルツの場面〜アルトゥール・ロジンスキー/クリーヴランド管弦楽団(1940/42年)・・・Artur Rodzinski(1892-1958墺太利?波蘭?→亜米利加?)は華麗な経歴、ロサンゼルス・フィル(1929-1933)クリーヴランド管弦楽団(1933-1943)ニューヨーク・フィル(1943-1947)シカゴ交響楽団(1947-1948)の音楽監督を歴任、なかなかの苛烈な性格、厳しい指導だったとのこと。このクリーヴランド管弦楽団との関係が一番長続きしたみたい。米コロムビアにかなりの録音を残してCD13枚分にまとめられました。時代が時代だし、ジョージ・セルの前〜そんな逡巡しつつ、ようやく聴いてみたら音質かなり明快、但し、デッドに奥行きは足りぬ感じ。オーケストラの技量はこの時点、既にかなり高い水準に驚きました。これは聴いておいて損はない、資料的価値を凌駕するオモロい、怒れる演奏でした。
「ティル・オイレンシュピーゲル」から快速テンポにテンション高い推進力。当時亜米利加を席巻していたトスカニーニを連想させる、硬質にかっちりとしたアンサンブルとテンション。ユーモラスな余裕にはちょいと足らぬ感じでした。(13:18)
「7つのヴェールの踊り」は劇的な打楽器のアクセント(7:57)「薔薇の騎士」ワルツはちょっと優雅さには足りぬけれど、いずれ速めのテンポに前のめりにたっぷり、辛口に歌ってオーケストラの統率、アンサンブルは優秀でした。(7:29)

NAXOS 8.553001Delius 夜想曲「パリ、大都会の歌」/「ブリッグの定期市」(イギリス狂詩曲)/交響詩「おとぎ話」 (むかしある時)/歌劇「イルメリン」前奏曲/歌劇「コアンガ」 第2幕より「ラ・カリンダ」(E. Fenbyによる管弦楽編)〜マイヤー・フレッドマン/ニュージーランド交響楽団(1994年)・・・20年ぶりの拝聴。Myer Fredman(1932-2014英国→濠太剌利?)はオペラ畑の人らしい。たしか20年ほど前?中古CDを入手して歯が立たなくて、作品やら演奏の様子はまったく理解できなかった記憶も鮮明、こうして久々の邂逅に開眼いたしました。その後英国音楽を聴き込んだ成果でしょうか。奥行き空間豊かな残響や、しっかりとした低音も効いた優秀録音であること、ニュージーランド交響楽団は細みだけど素朴誠実清潔な響き、作品の落ち着いた魅力を伝えてくださいました。
夜想曲「パリ、大都会の歌」は1901年初演。三管編成+7種の打楽器にハープニ台が加わる大編成。「パリのアメリカ人」ならぬ「英国人」、慌てぬ風情に都会の喧騒も優雅に、後半に向けてのホルンを先頭とした金管の迫力、打楽器のアクセントも劇的、やがてオーボエやフルートが静かに沈静化していく、けっこうな大作でした。(23:12)
「ブリッグの定期市」はPercy Graingerが採譜した民謡に霊感を受けた作品。以前この作品/泣ける歌詞に言及したCD音源は既に手許にありません)これも三管編成+ハープ、初演は1907年。懐かしく遠くを見るようなフルート、ハープの静かな語りかけよりスタートして、切ない民謡主題はオーボエが歌います。デリケートな弦は幻想的、冷涼な高原に遠く視界が広がって薄靄が掛かる〜そんな風情に英国紳士は激昂しないけれど、圧巻の情感の爆発がラストに広がる幻想曲でした。(15:53)
交響詩「おとぎ話」はフルート二本+ピッコロによる拡張された(そんな理解でよろしいのか不安)二管編成+5種の打楽器、ハープ、チェレスタ。サリュソフォーンってなんでしょ。初演は1919年だからずいぶんと保守的なこれも静謐に落ち着いて英国風ユーモアとメルヘンを感じさせる作品(旋律はかなりフクザツ)。やがてグロッケンシュピールとシロフォン、金管の大仰に打楽器が絡んで冒険活劇な爆発もあります。団員による掛け声も入りました。(15:37)
歌劇「イルメリン」前奏曲。この歌劇は1890-92年だから初期作品。シンプルに落ちついた安寧の旋律が静かにつぶやきました。(5:12)
ラスト「ラ・カリンダ」は18世紀亜米利加のルイジアンナの舞台にした歌劇「コアンガ」より。これも懐かしく小粋な風情に充ちてステキな作品でした。(3:51)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

週末に至りました。昨日は夕方より雨、今朝はもう上がっているようです。
立川市の小学校襲撃事件はショッキングだけれど、ことの経緯がさっぱり見えてこない。学校側と女性のトラブル?その小学校に通っているお母さんなのか、危うい男性二人を動員して(しかも飲酒状態)小学校2年生の前で暴力を振るうほどの怒りだったのか、それで問題は解決するのか、結果やこどもへの影響は考えなかったのか。とってもヤバい人、行為なのは間違いないけれど、表面的な報道だけではその経緯は理解できません。背景にはイジメを巡る対応問題があったらしいけれど、続報を待ちたいところ。日本の治安はほんまに危うい。

自民党の西田昌司参院議員は、沖縄のひめゆりの塔「歴史の書き換え」発言撤回は残念。自分が正しいと思うならとことん参議院選挙迄声高に主張を貫いて、国民の審判を受けてほしかった。京都選挙区でしたっけ。
万博はGW中、想定より苦戦の来客だったらしい。自分には縁はないけれど、予約システムもなかなか難物とのこと。これから猛暑の季節が迫って、大きな事故がないことを祈りましょう。

こちらはいつもと変わらぬ生活、ストレッチと10分間動き続ける馴染のYouTubeエアロビクス済ませて市立体育館へ。途中のゴミ拾いもいつもどおり、朝一番のトレーニングルームは常連メンバー+若いバーベルチーム数人、それなり混み合って、順番を調整しつついつもの鍛錬をすべてこなしました。体調はよろしいのに、いつもと同じ負荷のハイプーリーがいつになく重く感じます。今朝の体重は67.1kg▲550g。

ブログ「クラシックおっかけ日記」に「知識で楽しむ、感性で楽しむ」という記事があって、曰く

日本にはクラシック音楽は「教養」として伝わったこともあり、音楽そのものよりも付加情報に影響される人が多いような気がする」「どう感じたのかという主観を語る人は少ない」
と。21世紀に入って、知名度や評判、著名評論家の権威のみで音楽を楽しむ人は減っているとは思います。自戒して、もとよりこちら情報知識薄き市井のド・シロウトは音楽を愉しんで、「どう感じたのかという主観を語」っていきたい、そんな決意を新たにしました。

Urania WS121.181Mussorgsky/Ravel編 組曲「展覧会の絵」(1959年ライヴ)/Franck 交響曲二短調(1962年ライヴ)〜セルジウ・チェリビダッケ/RAIイタリア放送トリノ交響楽団・・・Sergiu Celibidache(1912-1996羅馬尼亜)47歳不遇時代のライヴ。露西亜の泥臭い旋律とRavelの色彩豊かにゴージャスな「展覧会の絵」は毎月必ず聴くお気に入り作品。幾種もライヴ音源は存在して、これは2021年に拝聴して当時の印象は

入念なる細部の彫琢はいつも通り、テンポは晩年より速く、テンション高いアツい集中力は壮年の気力体力でしょう。オーケストラの各パート微妙に上手くないけれど(トランペット・ソロとか)ほとんど不満を感じさせぬ完成度、音質は伊太利亜怪しげライヴにしては良心的なほう
かなりデッドに残響や奥行き不足だけれど、音質は悪くないモノラル録音でした。テンポは晩年に比べて中庸だけど、各絵画は細部とことん曖昧さなく表情豊かに描き込んで、決然としたキレ、たっぷりと間を取ってに慌てた感じはありません。かつて「微妙に上手くない」そう書いたけれど、チェリビダッケの猛訓練にアンサンブルはかなりかっちりと整って、但し、各パートの個性発揮とか色気、重みには少々足りない感じ。でもラスト、クライマックスに向けての追い込み、賑やかな説得力は文句なし!たっぷり興奮とカタルシスいただきました。(1:46-4:03-5:08-1:08-3:15-1:23-2:28-1:16-2:57-2:23-3:36-5:52/熱狂的な拍手有)
Franckは二管編成、仏蘭西には珍しい交響曲。作品的には鬱陶しく感じて好みじゃないので、拝聴機会は少なくて久々の拝聴。こちら音質はやや曇りがちのモノラル。
第1楽章「Lento - Allegro non troppo」胸に隠した欲望が幾度せり上がって、魔法のような転調は揺れ動いてテンション高く雄弁とメリハリ、仕上げは入念に緊張感を湛えて緻密でした。(17:58)
第2楽章「Allegretto」3/4拍子による落ち着いた緩徐楽章。ここも寄せては返す情感雄弁な統率だけど、ホルンの音色は微妙にツマらない。(10:33)
第3楽章「Allegro non troppo」追い込まれたような弦の始まりから、第1楽章が変形されて疾走。ここはカッコよいですよ。金管が牧歌的に響くのは音質の問題ですか?テンポの大仰な揺れも晴れやかに説得力充分、細部旋律もなじみなんやけど、どうも好きになれん作品。すんまへん。(10:25)

RCO Live  RCO 06004Sibelius 交響曲第7番ハ長調(ユージン・オーマンディ/1969年ライヴ)/Shostakovich 交響曲第4番ハ短調(キリル・コンドラシン/1971年ライヴ)〜コンセルトヘボウ管弦楽団・・・貴重なコンセルトヘボウの一連のライヴ音源。音質はかなり良好。Eugene Ormandy(1899ー1985洪牙利→亜米利加)は十八番Sibeliusでコンセルトヘボウに客演していたのですね。二管編成+ティンパニによる単一楽章、幽玄な上昇音階から始まるムダを削ぎ落として冷涼な風情漂う幻想曲風の名曲。フィラデルフィア管弦楽団じゃなくても、弦の表情ニュアンス入念にストレートな表現はもちろん、優雅なサウンドもたっぷり豊かに、パワフルに鳴り響く「オーマンディ・トーン」は変わらんのですね。たしか、ロンドン交響楽団との録音にも似たような記憶もありました。浮き立つような、力強いライヴの感興に興奮いたしました。最近あまり聴いていなかったけれど、いままで聴いた交響曲第7番のヴェリ・ベスト。(20:55/拍手有)
ShostakovichもKirill Kondrashin(1914ー1981露西亜)の十八番。四管編成+ティンパニ奏者二人+11種の打楽器+ハープニ台、巨魁に怪しい交響曲第4番は初演担当(1961年)でした。モスクワ・フィルとの旧録音はしばらく聴いていなくて、記憶から遠くなりました。こちらコンセルトヘボウが圧巻の技量でした。
第1楽章「Allegretto Poco Moderato - Presto」例の不機嫌に重苦しい歩みは、自分のイメージからは比較的速いテンポに始まりました。激昂する熱気、圧巻の技量を誇るコンセルトヘボウの分厚い響きと迫力、緊張感。骨太の進撃は続いて狂気の「Presto」へ突入、ここの弦のザラリとした疾走は圧巻、金管打楽器と引き継がれていや増すテンポと暴力に打ちのめされました。それはやがて鎮まって冒頭に似た旋律風情が戻って、やがて切ないヴァイオリン・ソロに力を失って、微妙に絶望的な心情を感じさせるファゴット登場して静かに終了いたしました。この楽章は多彩に濃密な内容満載。ここすっかりお気に入りでした。(24:45)
第2楽章「Moderato Con Moto」途方に暮れた弦から始まるスケルツォ。この怪しい旋律が自在に変奏され、静かだけれどコンドラシンのリズム感、メリハリしっかり曖昧さなく緊張感が続くもの。フルート、ホルンの静寂もさすがコンセルトヘボウの実力を感じさせて、ティンパニの楔も衝撃的でした。(8:19)
第3楽章「Largo. Allegro」ここは無定見な組曲風とのこと。ファゴットによるシニカルかつユーモラス、そして絶望的な葬送行進曲に暗く始まるフィナーレ。色彩を加える木管、弦から金管の叫びもオーケストラの実力を感じさせる爆発、静謐な歩みもリズムをしっかり感じさせて瞬時も弛緩させない。やがて怒りの破壊的なテンポ・アップはカッコよろしく、打楽器と金管の掛け合いは、いや増す切迫感に熱気を加えました。時に優しく、緊張感ある弦やユーモラスなファゴットも再び登場して疾走、リズムは自在に変化して情感の機微(絶望なのか安寧なのか)は読み取りにくいもの。打楽器や管楽器のソロは壮絶な爆発もカッコよく、やがて徐々に力を失って沈静化した遠いホルン、ラストは神秘的なチェレスタに幕を閉じました。(25:09/盛大なる拍手有)これも最近聴いた中でのヴェリ・ベスト。


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

昨日は好天、本日明日と雨予報と聞いていたので、シーツ含めてしっかり洗濯。ストレッチとYouTube鍛錬済ませて、食材は足りていたけれど、あまりの陽気と運動を兼ねてご近所スーパーに向かいました。(往復2.49km)お気に入り「クインシー」という柔らかいパンの発売日だったので、カロリーオーバー覚悟の上で入手。コメ値上げ続伸中、棚は品薄状態が続いて、下がる気配もなし。政府の大作は後手に回って、しかも効果は上げていない。これは致命的な失政・痛手になりますよ。茨城では連続コメ泥棒に泣いている被害者も出ております。皆が苦しんでいるそこに付け込む罪人に天罰あれ。今朝の体重は67.65kgやや増え状態。

KDDI、NTTもケータイ料金値上げの流れ、なにもかも値上がっているからなぁ、仕方がないのかも知れないけれど、なんか残念。自分のToneMobile、女房殿の楽天モバイルとも激安、そのうち上がるのか、WifiのNEURO光は既にごっそり値上がりしております。

東京地下的にて無差別?切りつけ事件も怖いけど、幼いこども二人自転車に載せての自動車事故(高松)お母さんが亡くなったのは痛恨。運転者側も二十歳の若い女性とか、これからの人生はどうなるのでしょう。せっかくの爽やかな春の日に鬱々とした事件ばかり続いております。

Seraphim S-60283R.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(1971年)/交響詩「死と変容」(1970年)/歌劇「ばらの騎士」より第2幕と第3幕のワルツ(1973年)〜ルドルフ・ケンペ/シュターツカペレ・ドレスデン・・・Rudolf Kempe(1910-1976独逸)晩年のR.Strauss管弦楽録音はLP時代より高品質音源が出ていて、SACDも発売されたそう。自分が聴いたのはBrilliant盤、派手さのない厚みと奥行き、ほぼ音質に不満を感じさせず、むしろキンキラしないドレスデンの艶消し質実な響きは耳にマイルド、重心は低いもの。
「ツァラトゥストラ」にトラック分けないのには閉口するけれど、続けて集中して一気に聴けばよろしいだけ。スペクタクルにゴージャスな作品は慌てず、走らず、煽らず、パワーと迫力にも不足しないけれど金管の刺激的な絶叫皆無。オーケストラの涼やかなブルー系木質の響きに魅了されるオトナの演奏でした。(開始部/歓喜と情熱について/科学について/病より癒えゆく者/33:12)
交響詩「死と変容」もおそらく高音の劣化があるのだろうけれど、弱音に音圧は弱くならず、各パートの分離も良好。静かに粛々とした始まりから衝撃のティンパニ一閃!その存在感もリアル、緊張感切迫感を高める死との戦いも雄弁でした。これもオーケストラの響きそのものが魅惑。音質にはちょっぴり劣化した部分がありました。(22:32) 「ばらの騎士」ワルツは優雅な懐古趣味。自在なテンポの揺れ、軽妙なテイストに充ちておりました。豪快なホルンが素晴らしい。(17:46)

EMI 5626482Shostakovich ピアノ協奏曲第1番ハ短調/ピアノ協奏曲第2番ヘ長調〜ドミトリー・ショスタコーヴィチ(p)/アンドレ・クリュイタンス/フランス国立放送管弦楽団/リュドヴィク・ヴァイヤン (tp)(1958年)・・・この時期にしてなぜかモノラル録音だけれど、音質は鮮明。ユーモラスに楽しい作品ですよねぇ。Shostakovichが苦手だった時代よりMyお気に入り作品でした。思いっきり冴え冴え、ヴィヴィッドな作曲者自身のピアノが堪能できました。
第1番ハ短調は速いテンポに自在なラプソディック、ノリノリのトランペットとの掛け合いがスリリングに興奮を呼ぶもの。
第1楽章「Allegro moderato - Allegro vivace - Moderato」ちょっぴりうつむき加減の始まり、ピアノは明瞭明快に疾走してトランペットと快活に掛け合いました。(6:02)
第2楽章「Lento」緩徐楽章は俗っぽい哀愁風情もステキ、後半にトランペットが静かに参入、それは細身の仏蘭西風音色でした。(7:46)
第3楽章「Moderato」は終楽章への序奏と云うか導入準備、これは交響曲第9番にも見られた手法でした。(1:47)
第4楽章「Allegro con brio - Presto - Allegretto poco moderato - Allegro con brio」満を持して軽快に疾走するフィナーレへ。トランペットの合いの手も軽妙溌溂というかノーテンキ、ソロと伴奏は元気いっぱいに応答してノリノリ快速に楽しい締め括りでした。名曲。(6:25)
ピアノ協奏曲第2番ヘ長調はちょっと都会的な作品風情。やはり速めのテンポは熱気を孕んで、分厚い響きにパワフルに疾走します。たしか作曲者息子のための作品。
第1楽章「Allegro」ちょっととぼけて小粋な始まり。こんなに元気のよろしい、熱のこもった演奏はめったに経験できません。(6:31)
第2楽章「Andante」予想外に露西亜伝統風に落ち着いた、しっとりとした緩徐楽章。(5:33)
第3楽章「Allegro」軽妙洒脱なソロに始まって、変則的なリズムがティンパニに乗せて躍動するフィナーレでした。(5:26)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

世間様はお仕事学校再開した昨日、GW開けは爽やかな好天。朝一番からご近所の工事作業の方々は働き出して、ご近所の外環通りも渋滞中、運動公園メイン・グランドにはいつものグランド・ゴルフの方々が集っておりました。朝一番に洗濯して、ストレッチ、そしてYouTubeエアロビクスはちょっと激しいのを15分こなしてから市立体育館を目指しました。寒くもなく暑くもないちょうどよろしい季節に至って、トレーニングルームへ一番乗り、三々五々到着したのはいつもの常連メンバー(≒爺婆/含む自分)数人、当たり前だけれど現役世代は遅れて学生一人のみ、空いていたのでしっかり我流メニューをこなしました。今朝の体重は67.6kg+150g残念。

GW開けには退職代行大流行とのこと。数年前よりそんな噂は聞いていて、辞めることさえできない怖〜いブラック企業対策なのか。そう思っていたけれど、そうでもなくて流行りになっているようですね。それに最低限しか働かぬ「静かな退職」というのも初めて聴きました・・・世も末でっせ。
のファンでもなんでもないけれど、2026年にラストツァー、そして活動終了との報道。人気に陰りが出て内部不仲から活動中止、ひどいのは不祥事や犯罪発覚というパターンが続く芸能界、オリジナル・メンバー各々活躍して、けじめを付けるために再集合は立派なもんですよ。若かったアイドルも皆中年になって、早晩頭髪方面も不如意になってくることでしょう・・・ってファンに殴られそう。

PASC257Bruckner 交響曲第6番イ長調(Haas版)(第2-4楽章のみ/1943年11月13-16日/フィルハーモニー、ベルリン・ライヴ)/交響曲第7番ホ短調より第2楽章「Adagio」(1942年4月7日/テレフンケン・スタジオ)〜ウィルヘルム・フィルトヴェングラー/ベルリン・フィル・・・凄いのを聴いてしまいました。音質演奏とも驚異の、奇跡の記録。この人は天才的自在な解釈に旋律リズムは伸び縮み、それが劇的な効果を生み出して凄い説得力。一瞬たりとも弛緩した瞬間は見出だせない。硬派Brucknerファンからは酷評されてきた(らしい)Wilhelm Furtwa"ngler(1886-1954独逸)だけど、遇の音も出ぬほど打ちのめされました。これは作品より指揮者の個性を堪能すべき記録だけれど、作品のイメージを魅力たっぷり変えてしまったのも事実。
拝聴機会の少ない第6番は残念、第1楽章が抜けていても、作品そのものを見直すようなアツい説得力、幾度も聴き返しました。
第2楽章「Adagio. Sehr feierlich(きわめて荘重に)」作曲者指示通り、これ以上の「荘重」はなかなか聴けない。「第1主題はオーボエによるエレジー、第2主題は弦楽による慰め、第3主題は葬送行進曲風」(Wikiより)とか、音質条件乗り越え、滔々と歌う深遠な詠嘆と、情感の高揚に心打たれる弦のデリケートな説得力、壮絶な金管の叫び。作品の魅力に目覚めました。(16:20)
第3楽章「Scherzo: Nicht schnell - Trio: Langsam」速めのテンポにスウィングするリズム、キレのある金管、木管ともヴィヴィッドにノリノリなスケルツォ。中間部のホルンはノビノビとして第5番の旋律も垣間見えます。(7:42)
第4楽章「Finale: Bewegt, doch nicht zu schnell」不安げな弦から、圧倒的パワーに金管が叩きつけるように一気に爆発するの始まり。弦による陶酔の緩和を挟みつつ、熱狂的な高揚が息も吐かせぬ緊張感が怒涛のごとくテンポ・アップ、パワフル快速に疾走して興奮の渦に叩き込まれました。(12:22)
第7番第2楽章「Adagio」はセッション録音とのこと。こちらはいっそう音質状態は良好。ヒトラーの死を知らせるラジオ放送に使われた音源らしい。魂込めてたっぷりの泣きは押したりは引いたり、うねるような流れはまさに天才のワザ、クライマックスには打楽器が入りました。(22:43)

DG UCCG-3508Bach カンタータ「満ち足れる愉悦、健やかなる繁栄 」(第197番「神はわれらの確き望みなり」第8曲)/「われはわれを囲める悩みの中にも満ち足れリ 」(第58番「ああ神よ、いかに多き胸の悩み」第3曲)/広き大地の蔵せる富も宝も (第204番「われはおのがうちに満ち足れり」第4曲)/「われは御神の恵みに依り頼む」 (第97番「わがなす すべての業に」第4曲)/「かかる時にもまた祈り求めよ」(第115番「備えて怠るな、わが霊よ」第4曲)/「イエスこそ、わが呼びまつる」(第171番「神よ、汝の誉れはその御名のごとく」第4曲)「祝福あれ、主の御名により来たる者に」「われら汝を頌めまつる」 (「ミサ曲ロ短調」第23曲/第5(6)曲)/「春のそよ風のほほを撫でゆき」 (第202番「退け、もの悲しき影たち」第5曲)/「力なき、弱き声といえども」 (第36番「喜び勇みて羽ばたき昇れ」第7曲)/「神はこの地上の息ある」 (第187番「彼らみな汝を待ち望む」第5曲)/「われは喜びをもてわが乏しき糧を食し」(第84番「われはわが命運に満ち足れり」第3曲)/「われイエスをわが味方となしえなば」(第105番「主よ、汝の下僕の審きに拘らい給うなかれ」第5曲)〜カスリーン・バトル(s)/イツァーク・パールマン(v)/ジョン・ネルソン/聖ルカ管弦楽団(1989/90年)・・・バブル時代懐かしい当時大人気だったKathleen Battle(1948-亜米利加)の清楚マイルドな美声+パールマンによるしっとりオブリガートが絡む作品を集めたもの。この人は声量が足りないとか、売れてからタカビーになった、みたいな週刊誌的噂ばかり、オペラ・ハウスから締め出されても、別途活躍の話題も伺いました。もう年齢も年齢だし声楽は肉体労働、もう引退状態かもしれません。
Bachは大好き、延々と安寧の旋律+耳あたり良きサウンドが続いて、なかなか雰囲気たっぷり。これはあくまでバトルの美声+ヴァイオリンを堪能すべきCD。結論的に似たような雰囲気にメリハリ足りなくて(不遜にも)”飽きる”ということ〜カンタータや宗教作品はちゃんと全曲を拝聴して、序奏とかコラール、他の声楽ソロ、伴奏など組み合わせて一連の流れになっているもの。同じような色合い、味わいの作品ばかり並ぶと変化に乏しくて、いくら美味(名曲)でも同じネタの寿司ばかり喰っている感じ。悪くないんだけどなぁ、難しいもんですね。(3:16-3:46-4:06-5:21-7:07-4:12-4:15-4:42-2:38-6:46-3:24-4:59-5:30)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

横須賀で酒呑んだ挙げ句クルマ8台と衝突、同乗者は逃げたとか、日本人の民度下がってますね。京都でもポルシェが市バスに正面衝突とか、信じられない。
GW開けました。息子夫婦はお仕事再開、孫二人も保育所に通います。世の中一斉にお仕事再開、昨日は小雨模様だったけれど天候は回復するとのこと。前夜相変わらずの洟水痰の絡みに苦しんで睡眠不如意、女房殿が残した去痰剤を譲ってもらったけれど効果はあまり感じられず、耳鼻科を予約したけれど空きは来週月曜、中途半端な予約時間は一時間以上の遅れを覚悟する必要があります。朝一番のストレッチ、軽いYouTubeエアロビクス実施、ここしばらく左腰左膝辺り鈍い痛みが継続して、日常生活や歩行、運動に支障はないけれど、この先心配です。整形外科はどうも信頼できない。なんとか自己鍛錬でなんとかできないか、ちょっぴり悩んでおります。小雨模様なので洗濯は一日お休み。今朝の体重は67.45kg▲100g、終日引き隠ったワリに増えておりません。

人さまのことを云々できる立場じゃもちろんないけど、音楽ユーザーレビューへ頻繁に投稿される方の文書が読むに耐えないものがある・・・分節全てに読点が入るんです。ま、こんな感じ。

人さまの、ことを、云々、できる、立場じゃ、もちろん、ないけど・・・
日本語は融通無礙に柔軟な変化を続け、オノマトペは2,000以上?あるとか(記憶曖昧)毎年「流行語大賞」が発表されるけれど、そのなかで定着するのはほんのわずか。現在「チョベリバ」なんて使う人はまず存在しない完全死語。自分がいつも例に引く「ブッチホン」に至っては当時の小渕首相への忖度でしょう。「忖度」は昔の難しい使われぬ言葉だったけれど、ここ数年一気に復活したのも皮肉なものでした。

もうほとんど手書き行為がなくなって、文書はコンピューターばかり、ノーミソ活性化にもよろしくないとは理解していて、漢字が書けなくなっている自覚があります。読めるけどね、かなり。そんなことを前提に、正しい日本語の使い方についてもっと話題にならんかな、そんなことを願います。

情けは人の為ならず
これは「他の方に情を掛けることは、その人のためにならない」まるで自助努力を推奨するかのように解釈される方が過半を超えたとの調査もありました。いまさらだけど、本来の意味は「他に方に情を掛けることは、巡り巡って自分のため」ということ。

ま、自分も誤字脱字、意味の繋がらぬ文脈、日々発見してご指摘を受けたり、数年年後に偶然みつけて冷や汗な毎日ですよ。エエ加減な指運を身に着けてしまって+華麗なる加齢にタイピングミスも頻発、それに気付かずに一気に文書の流れを作るから、ヘンな結末に至る(あとで気付いて赤面の至り)〜気をつけます。朝、突然無線キーボードが動かなくなって・・・それは電池切れでした。

ChandosTchaikovsky 交響曲第1番ト短調「冬の日の幻想」〜マリス・ヤンソンス/オスロ・フィル(1985年)・・・オスロ・フィル時代(1979-2002)の世評高い全集録音らしいけれど、前回拝聴時にも「サウンドにかっちりとした芯が足りぬ」と感じておりました。EMIやChandosにこの組み合わせの録音を多く残して、一躍Mariss Jansons(1943-2019拉脱維亜)の名を挙げたけれど、正直なところ自分が聴いた範疇では(申し訳ないけど)どの録音もいまいちオーケストラの非力が気になります。世評を鵜呑みにはしないけれど、世間一般の音楽愛好家の声は軽視すべきでもなく、自分の嗜好や聴き取り能力を疑って、時期を改めての再聴は必要なのでしょう。
この懐かしい旋律溢れる名曲は作曲者26歳の魅惑の若い作品。二管編成だけどティンパニ+終楽章にはシンバル、大太鼓、そしてチューバ参入。昔からのChandosサウンドのイメージは残響過多、ここでもサウンドの芯がいまいち決まらない感じ。低音が足りないのは音質問題なのか、オーケストラの個性なのか。自分の嗜好からはちょっと離れた記録でした。
第1楽章「冬の旅の幻想(Allegro tranquillo - Poco piu animato)」ト短調の寂しげな始まりだけど、懐かしい旋律と軽快なリズムが魅惑の始まり。40歳そこそこのヤンソンス率いるオーケストラは重くならない爽やかな勢い、淡いサウンドにはやや散漫さと弱さを感じました。アンサンブルは優秀。(11:52)
第2楽章「陰気な土地、霧の土地(Adagio cantabile ma non tanto - Pochissimo piu mosso)」題名通りの「陰気」に非ず、霧は薄く清涼にデリケートな風情の緩徐楽章。歌い交わす木管は魅惑の切ない旋律でした。優しい弦の旋律も素直にすっきりとした節回し。ヤンソンスは旧ソヴィエットに学んだけれど、それらしい濃厚な表情ではない儚さを感じさせます。途中際立つホルンの音色にもいま一歩剛直な太さが足りない。上手いけどね。(11:32)
第3楽章「Scherzo. Allegro scherzando giocoso」囁くように不安なスケルツォが走ります。ここはオーケストラの個性に似合って、中間のワルツ含めて淡い情景、Tchaikovskyらしい甘い旋律がステキなところ。(7:36)
第4楽章「Finale. Andante lugubre - Allegro moderato - Allegro maestoso - Allegro vivo - Piu animato」不安げに憂愁な始まりは懐かしい民謡風旋律、ここの表情も重苦しくない。そして明るいく疾走して、この楽章にはシンバル、大太鼓、そしてチューバが加わって音に厚みが加わります。ここのエネルギーの炸裂が今一歩、トロイカ風進行(←ド・シロウトには自信はない表現)も軽妙な勢い、パワーで押し切る表現に非ず。やがて鎮静場面での”弱さ”も感じて、クライマックスの大爆発も乾いた響きに、カタルシスにちょっと足りないフィナーレでした。(12:44)

ConcertHall SMS-23781Bach ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調 BWV1046/第2番ヘ長調 BWV1047/第3番ト長調 BWV1048/第4番ト長調 BWV1049/第5番ニ長調 BWV1050/第6番 ロ長調 BWV1051〜カール・シューリヒト/チューリヒ・バロック・アンサンブル(1966年)・・・これはCarl Schuricht(1880ー1967独逸)ラストの録音とか、自分が聴いたのはイアン・ジョーンズによるマスタリング。高品質CDが出ているようだけど、聴いたことはありません。記憶通りのかなり曇った音質〜だけど、軽妙にデリケートなノリに身を任せているうちにそれは気にならなくなりました。当時未だ大柄重厚なバロック演奏は主流、でもこの演奏は現在の耳に聴いてもほとんど違和感はない、基本中庸のイン・テンポに爽やかな演奏でした。以下、ソロのクレジットをいちおう載せてお茶濁し。
第1番 ヘ長調BWV1046は錚々たるメンバーを揃えて自在なオーボエの装飾音が愉悦に充ちておりました。Brenton Langbein(1928-1993濠太剌利)は瑞西に活躍したヴァイオリニストとのこと。(4:23-4:37-4:56-8:08)
ハインツ・ホリガー/アンドレ・ラウル/ミッシェル・ピゲ(ob)/ウェルナー・シュペート/ゲルハルト・シュルント(hr)/ブレントン・ラングバイン(v)/マンフレート・ザックス(fg)

第2番 ヘ長調 BWV1047はRaymond Meylan(1924-2022仏蘭西)、著名なMaurice Andre(1933ー2012)も仏蘭西の人、明るくスムース細身な音色と技巧を駆使して軽妙な流れでした。ここはリコーダーではなくフルート採用。(5:23-4:12-2:55)
モーリス・アンドレ(tp)/レイモンド・メイラン(fl)/ハインツ・ホリガー(ob)/ブレントン・ラングバイン(v)

第3番 ト長調 BWV1048は闊達だけど、肩の力が抜けた合奏協奏曲。第2楽章はシンプルな和音のみ。(6:13-0:21-3:28)
第4番 ト長調 BWV1049はフルートに非ず清涼な響きのリコーダー使用。(7:03-3:32-5:13)
ミッシェル・ピゲ/クリスティアン・ランゲ(rec)/ブレントン・ラングバイン(v)

第5番 ニ長調 BWV1050(1001-546-511)ソロはもちろん、通奏低音としてのチェンバロがヴィヴィッドに自在な動きが効果的でした。(10:01-5:46-5:11)
レイモンド・メイラン(fl)/ブレントン・ラングバイン(v)/クリスティアーヌ・ジャコテ(cem)

第6番 変ロ長調 BWV1051はヴァイオリンを欠いてジミな響きの作品だけど、しみじみ歌う演奏でした。(7:07-5:49-5:59)
マックス・レシュエール/ジャン=ミッシェル・アヨ(va)/ハンネローレ・ミュラー/ベッティーナ・ベンツィガー(gamba)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

本日ほんまにGWラストは雨模様、帰りの高速道路は大渋滞予測、最長40kmとか。もう難行苦行の世界ですよ。旅行に出たのは全世帯の20%(情報の出どころは未確認)とにかく大多数の人々は自宅ご近所に過ごしたのですね。これも高齢化と格差の反映でしょうか。前日連続でひどい痰の絡みに連続途中覚醒、二度寝もあまりできぬ睡眠不如意。でも好天に気持ち良い朝、洗濯物もよく干せました。ストレッチと軽いYouTube体操済ませて市立体育館へ、やはり運動公園は誰も使っておりません。トレーニングルームは空いていたけれど、珍しくいつもは満杯のトレッドミルは誰も使っていない。新顔二人がマシンを長く使ってなかなか譲ってくださらない。なんとか順番を変更して、いつもの我流鍛錬メニューをクリアできました。帰り、スーパーに寄って自家製ヨーグルト用の牛乳と種菌用ヨーグルトを入手して帰宅、おコメ売り場に在庫は切れておりました。

世間がお仕事や学業に戻る時期を狙って、我ら引退世代はそろそろ遊びに出ることにいたしましょう。今朝の体重は67.55kg▲600g。
SVリーグ・チャンピオン・シップはサントリー・サンバーズ大阪が圧勝。橋藍が緩急取り混ぜて上手いし、アラインも好調、ムセルスキーが高い!Stings愛知を応援していたけれど、エース宮浦は抑えられた感じ。デファルコもルカレッリも関田も村山も、リベロの小川も頑張ったんやけどなぁ、サンバースのディフェンスは完璧でした。残念。SVリーグは観客動員大幅増に成功したけれど、男子が圧倒的人気、女子は観客数では見劣りして伸びていないそう。
ラスベガスでの井上尚弥vs ラモン・カルデナス戦は見ていないけれど、2ラウンドにダウンを喫して、8ラウンドにTKO逆転勝利、これからYouTubeでの分析を愉しみにしておきましょう。

井川遥 自身のブランド「今夏で休止」
ファッションにはまったく縁も興味もない自分、もちろん大人の洗練カジュアル服「loin.」(ロワン)という名前も初めて伺いました。この女優さんは大好きだけど、記事へのコメントがあまりに的確かつ辛辣、寸鉄人を刺す、先人の言葉通り。
ファッション業界で働いてますが、芸能人がブランド立ち上げ又はディレクション→休止=ほぼ100%売れなくて採算取れなかったのが答えです。
瞬時にして納得。強気の価格は高過ぎて庶民には手が出ないらしい。不況だし世の中甘くないですよ。演技と経営能力は別もの、そんな当たり前の声もありました。但し「演技もたいしたことはない」「旬は過ぎた」みたいな悪意を感じさせる悪ノリ罵倒、水に落ちた犬を叩け(某隣国のことわざ/日本的感性に非ず)的風潮に乗った言動はあきまへんで。

DECCA GA 1584/86Ravel ピアノ協奏曲ト長調(1949年)/バレエ組曲「ダフニスとクロエ」第1番/第2番/ボレロ(1946年)〜シャルル・ミュンシュ/パリ音楽院管弦楽団/ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー(p)・・・Charles Munch(1891-1968仏蘭西)は1950年代RCA録音以降のものが有名、これは得意のレパートリー。この太古録音は好事家の世界に近いでしょうか。音質は想像よりずっと良好、けっして資料的価値に非ず、ちゃんと作品の演奏のニュアンスが聴き取れる水準でした。ミュンシュの熱血ぶりはこの頃から変わらない。
ピアノ協奏曲のNicole Henriot-Schweitzer(1925-2001仏蘭西)は当時若手。金管が思いっきり大仰に表情豊かに、ピアノ・ソロはかなり自在に揺れて微妙に好き勝手に、伴奏とは息が合っていない感じもオモロくて、剽軽ユーモラスな作品風情に似合っておりました。(8:12-9:14-4:13)
「ダフニス」は色彩豊かに細かい音型が散りばめられた作品だから、できれば音質状態のよろしいもので聴きたいもの。しかも残念、第1組曲「Interlude」が抜けているのはSP収録の都合でしょう。それでも管楽器のセクシーな色合いなどはっきり理解できてメリハリもあってなかなか愉しめる演奏でした。第1組曲「夜想曲/Nocturne」(4:18)「戦いの踊り/Danse guerriere」(4:11)/第2組曲「夜明け/Lever du Joir」(4:30)「Pantomaim/パントマイム」(7:28)「Danse generale/全員の踊り」(3:33)
Boreloは意外にも遅めのイン・テンポにちょっと怠いほどに着実な歩みから始まって、各管楽器の音色はたっぷり濃厚セクシーでした。10分くらいからギヤが上がって熱が加わるのがはっきりわかって最終盤に向けて盛り上がる、アツい演奏でした。(16:55)

DECCA UCCD5222Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン」〜シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団/ピーター・ハーフォード(or)(1982年)・・・数年前に拝聴して、極上の音質、洗練されたバランス・サウンド。ムリのない角の取れたマイルド表現、適度な緊張感と端正なリズム感は雑味なくスッキリ、耳辺りよろしいと感じておりました。白熱した情熱!高揚!(シャルル・ミュンシュ辺り)パワフルに劇的な爆発とメリハリを求めるのなら、音楽の嗜好や個性方向は違うのでしょう。古典的端正な佇まいにわかりやすい旋律、ダメ押しのオルガン「ドミソ」和音圧巻の効果。作品との出会いはLP時代、師匠筋に当たるエルネスト・アンセルメ(1962年)。それもステキな演奏だから、比べるのもなんやけど、オーケストラの技量やアンサンブルの精度は比べ物にならぬほど緻密でした。
第1楽章第1部「Adagio - Allegro moderato」深刻になり過ぎぬ抑制されスムースな細かいリズム。(10:20)
第2部「Poco adagio」瞑想的なアダージョ。オルガンの存在も際立ちます。(9:31)
第2楽章第1部「Allegro moderato - Presto - Allegro moderato - Presto - Allegro moderato」あくまで軽い快速テンポ、カッコ良い弦の疾走。ピアノの色彩、木管の素直な響きも魅惑でした。(6:51)
第2部「Maestoso - Allegro - Piu allegro - Molto allegro - Pesante」圧巻のオルガン「ドミソ」和音。堂々たる歩みに金管の響きは分厚く響かず、低音を強調せず重厚さや暑苦しさを伴わない。(7:44)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

GWもそろそろ終わりが迫って、学校のある人、お仕事現役世代はゲンナリされていることでしょう。自分はそんな思いも既に懐かしく、思い出に至っております。こちらはトラック交通の要所、準工場地帯だから連休中はいつもより静か、団地のいっせい水道工事?建設中の産業大学の新施設作業員もお休みです。前夜はひどい洟水と痰の絡みに途中覚醒、小一時間ほど起き出して二度寝、朝寝坊しました。好天に空気は乾燥して爽快、いつものストレッチはやや手抜き、YouTubeエアロビクスもごくごく軽く短いもの実施。女房殿は50年来の先輩が大阪に出てきているとのこと、嬉しそうに出掛けていきました。自分はウォーキング兼、先日入手しそこねたグラノーラ増量用オートミール入手目指して業務スーパーへ(これがないとグラノーラが甘過ぎる)。4種あったものは一番高い加奈陀産のみ入荷、グレードは高いのかも知れないけれど(粒揃いとか大きさとか)g単価はいつもの2倍ほど、値上げしたのか知れません。他、愛用する黒こしょうとかニンニクなど入手して、往復2.9kmほど中程度の運動量になったけれど、今朝の体重は68.15kg+450g。夕食喰い過ぎました。

川崎ストーカー殺人事件容疑者逮捕。迅速な対応はよろしいけれど、若い命を事前になんとか救えなかったものでしょうか。容疑者の将来にも暗雲が立ち込めて、どんな経緯があったにせよ、こんな生命を軽んずる風潮をなんとか変えたいもの。亜米利加に出掛ける経済的余裕があるのだから、生活に切羽詰まったわけでもないのでしょう。連休中、日本には生活苦にまともに食べられない、哀しいこどもはたくさん存在しますよ。広末涼子は病から芸能生活休止とか、一斉を風靡した人気者がトラブルで芸能界から離れる事象が目立つような気がします。
中国が尖閣諸島にヘリで領海侵犯、抗議したら逆ギレとか、困ったお隣さん。

DECCA 458 605-2Ravel バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)〜シャルル・デュトワ/モントリオール交響楽団/合唱団(1980年)・・・Charles Dutoit(1936-瑞西)音楽監督時代(1978-2002年)一躍名を挙げたモントリール交響楽団、その嚆矢となった著名な録音。ディジタル初期の録音はオーディオに造詣の深い方にはいろいろ突っ込みはあるらしいけど、たっぷりとした残響と奥行き、低音、キレのある明晰な解像度は45年経っても現役と聴きました。(自分が聴いた音源では高音はややヒスっぽいけれど、さしたる問題ではない)
フルート二本+ピッコロは拡張された二管編成?14種の打楽器、ハープ2台、合唱は混声4部、そしてバンダという大掛かりなもの。まるで宝石を撒き散らしたような輝かしい、細かい音型はデリケートに、浮き立つように続きました。木管を先頭に柔らかく瑞々しいマイルドな響き、声楽とのバランス、軽妙なリズム感、この時期既に「本国よりよりも仏蘭西風」と評されたモントリオール交響楽団のアンサンブルは一流でした。当時44歳のデュトワに若いヴィヴィッドな勢いと疾走も感じさせます。ハードな作品も含めて「どれも同じ」との厳しい評価もあるようだけど、自分はその耳あたりのよろしい洗練された、素直な表現、サウンドとリズムを気に入っております。(8:15-3:27-1:55-3:37-4:02-5:07/2:50-4:24-5:47-6:08-6:59-3:30)

懐かしいコンサート・ホールのLPMozart 交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」〜カール・シューリヒト/パリ・オペラ座管弦楽団(1964年)・・・ScribendumのBOX復刻時に切り捨てられた勇壮明朗なハ長調の交響曲、Carl Schuricht(1880ー1967独逸)の貴重な音源。LP時代からのお付き合い、前回拝聴は2021年、その前2002年にも聴いた記録が残っておりました。
巨匠・最晩年にこんな重要な作品をマイナーレーベル劣悪音質+(オペラには縁の薄かった)歌劇場のオーケストラで録音とは、不思議なものですよ。さらさらと流れるようにデリケート、明るく天衣無縫なハ長調交響曲は枯れた味わいにさらりと疾走して、この演奏がこの作品の刷り込みでした。曇って強奏に音が割れる音質も歴史的音源と思えば我慢できる。詠嘆とは無縁に素っ気ないフレージング、軽いサウンドにノリノリの快い熱気と勢いを感じさせる快速演奏。誰の演奏家わからん!そんな優等生が増えた現在には貴重な個性でしょう。第1楽章「Adagio - Allegro spiritoso」(6:45)第2楽章「Andante」(7:03)第3楽章「Menuetto」(3:23)第4楽章「Presto」(7:46)
VIRTUOSO 94008? 4枚組1,790円 ついでにMozart セレナード ニ長調K.250/248b「ハフナー」〜カール・シューリヒト/シュトゥットガルト南ドイツ放送交響楽団(1959年ライヴ)・・・これもついでに拝聴。モノラルでも先のステレオ録音と遜色ないでしょう。さすがにオーケストラの水準はこちらのほうが高い。第1楽章「Allegro maestoso - Allegro molto」暴騰は超鈍足にスタート、一気にスピード・アップしして、以降飄々と風通しが良くて爽やかにノリノリはいつもの風情。第2第3第4楽章がヴァイオリン協奏曲、誰のソロかはわからぬけれど、気品のある美しい音色でした。先日、カール・ミュンヒンガーのちょっと生真面目な演奏を愉しんだけれど(音質は良好)こちらのほうがずっと軽さと勢いのあるサウンド、ネットを調べてみたけれど、意外と入手困難な音源みたいですね。(LPは探せました)第1楽章「Allegro maestoso - Allegro molto」(6:52)第2楽章「Andante」(9:32)第3楽章「Menuetto」(4:29)第4楽章「Rondo: Allegro」(6:41)第5楽章「Menuetto galante」(6:33)第6楽章「Andante」(7:51)第7楽章「Menuetto」(6:04)第8楽章「Adagio - Allegro assai」(9:19)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

せっかくのGW。前日こちらの雨はたいしたことはなくてすぐ止んだけれど、関東地方は大雨、一時JRも運休したらしいですね。昨日土曜は爽快な気候、洗濯も気持ちよろしく、ストレッチ、シンプルなYouTubeエアロビクス済ませて市立体育館へ。途中の運動公園はどの団体も使っておらず、親子一組キャッチボールしていたのみ。市立体育館は「大東市卓球連盟」大会とか、老男女に非ず老(中)男女に溢れておりました。トレーニングルームは休日祝日メンバー+若い人数人、若い女性が一人マシンを使って、自分もワケもなく、いつも以上に力が入ります。しっかり鍛えて帰り、美しからぬ疎水沿い裏抜け道に青梅が生って、昨年は全滅していたけれど、今年は大丈夫。数個拝借してきました。市役所より年一回の「特定健診」案内が届きました。連休明けに予約しましょう。今朝の体重は67.7kg+200g。減る気配がない。

昼からSVリーグ男子決勝戦第1戦は女性人気No.1イケメン橋藍擁するサントリー・サンバース大阪vs Stings愛知。痺れるようなフル・セット攻防、チャレンジに二転三転してジュース連続! 自分は宮浦と関田のファンなのでスティングを応援していたけれど惜敗いたしました。次は勝つぞ!
夕方より女子決勝第2戦(第1戦を見逃しました/マーヴェラス圧勝とのこと)林琴奈擁する大阪マーヴェラスvs NECレッドロケッツ川崎にはステキな佐藤淑乃復調して、強力な和田由紀子の大ファンだけどフル出場はしておりません。マーヴェラスには高さがあり(箕輪幸とリセ・ファンヘッケ)林琴奈はもちろんだけど(日本代表落ち残念)キャプテンである田中瑞稀が要所要所じつに上手い。レッドロケッツも善戦したけれど、ことごとく粘り強く拾われて3-0圧勝いたしました。大阪マーヴェラスは通常リーグ戦と決勝シリーズW優勝いたしました。6-7月のネーションズ・リーグが愉しみです。

【♪ KechiKechi Classics ♪】定例更新して、ついでに久々Top Page もちょっぴり整理しました。なんせHTML知識は最低限というかエエ加減、いくつか余計なタグを抜いても表示は変わりません。いちおう形だけカウンターを付けているけれど、気づけば表示されていない。契約元にアクセスして編集しようと思ったら、あまりに昔過ぎて登録名やパスワード失念。ま、あまり気にしていないけど。

DECCA UCCD-52040Shostakovich 交響曲第1番ヘ短調/Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ジョージ・ショルティ/コンセルトヘボウ管弦楽団(1991年ライヴ)・・・某ユーザーレビューに

アムコンがド下手。よくショルティがリリースを許したんだ?と考えさせられる。絶対に買わない方が良いと思う
これはネットにみつけた某コメント。そもそも「アムコン」と云ったクサい訳知り顔言い種が鼻に付いて、「ド下手」に至ってはほとんど悪意としか思えない。この人は友達おらんやろなぁ・・・ネットの情報は鵜呑みにしない、そんな評価をみつけるほど聴きたくなる! 生来の天邪鬼性格だから、さっそく自分の耳でしっかり確認いたしました。
交響曲第1番ヘ短調は栴檀は双葉より芳しいShostakovich20歳の作品。二管編成だけど、7種の打楽器+ピアノというのが新鮮な響き。妖しい魅力満載な名曲はGeorg Solti(1912-1997洪牙利→英国)によって、ユーモアをちょっと抜き過ぎた、例の如く辛口硬派無機的な表現でした。息苦しい表現の好き嫌いさておき「ド下手」なんてとんでもない!細部いささかの曖昧さもないアンサンブルに、余裕のない緊張感が続きました。
第1楽章「Allegretto - Allegro non troppo」(7:57)第2楽章「Allegro」(4:29)第3楽章「Lento」(7:27)第4楽章「Allegro molto」(9:03/拍手有)
20世紀の古典「春の祭典」は1974年以来の再録音。「ド下手」の方は、聴き続けるのが耐え難ほどヨレヨレのアンサンブル、ズレまくりのリズム崩壊、ミスタッチ、パート抜け落ちだらけの演奏を聴いたことがないのでしょう。(そんな演奏でも時代の危うさを感じ取れることもある)英DECCAのマルチマイク録音は、ふだんなら埋もれる内声部の各パート(とくに木管、そして打楽器)かなり浮き立って存在感はリアル、79歳ショルティの硬質に堅苦しいリズムは健在でした。コンセルトヘボウ管弦楽団はもちろん「ド下手」なはずもないけれど、Shostakovich同様どうにも息苦しい緊張感に暴力的快感や爽快なスケールに足らぬ演奏と受け止めました。(3:26-3:21-1:20-3:09-1:54-1:02-1:12/4:19-3:25-1:32-0:40-3:37-5:18)

Herbert von Karajan(1908-1989墺太利)Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」/Vaughan Williams トーマス・タリスの主題による幻想曲〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル(1953年ライヴ)・・・フルトヴェングラーとの確執から13年ぶりにベルリン・フィルに登場した著名なライヴ。幾種かCD化されたようだけれど、最近発売されたBerlin Phil自主レーベル音源を拝聴できました。世間の声はいろいろ真反対のご意見百家争鳴、音楽は嗜好品だからそれでよろしいんです。

フルトヴェングラー時代のベルリンフィルの重厚な響きとシリアスな表現力を活かしつつ,主情的な表現を排した格調のある演奏をつくり出しており,この時期の両者のいいとこ取りの,まさに一期一会的名演
アンサンブルをまとめきれずに乱れがあり集中力も希薄だ。音楽的内容も浅く薄っぺらでフルトヴェングラー50年代の至高の演奏・芸術の足元にも及ばない
カラヤンのこの演奏はまさに精神的にも技術的にも前任者のそれを上回る
英雄はそれほど個性豊かな演奏とは思えない
Herbert von Karajan(1908-1989墺太利)現役時代は自分も若くて反権力意識が強かったから、その世評絶賛に反発しておりました。LPやCDが高かくて手が出なかったのが正直なところ。「棺を蓋いて事定まる」先人の言葉通り、彼の逝去後一世代回って一歩引いて貴重な過去の記録を心安らかに聴けるようになりました。
音質はまずまず時代相応、過去の怪しい音源からは格段に改善さているらしい。フルトヴェングラーの魂込めた濃厚なテンポの揺れを期待すれば「音楽的内容も浅く薄っぺら」に感じられるかも知れないし、未だ19世紀生まれの巨匠世代がゴロゴロしていた時代、颯爽と速めのテンポにベルリン・フィルをドライブして「主情的な表現を排した格調のある演奏」そう捉えることも可能。古豪メンバーとの久々の顔合わせに、リハーサルも充分に時間を取れなかった可能性もあって「アンサンブルをまとめきれずに乱れがあ」るのも事実かも。後年のベルリン・フィルとの蜜月時代のアンサンブルやカラヤン色満載な演奏と比較するのも無粋でしょう。(それが「それほど個性豊かな演奏とは思えない」という所以か)結論的には最初の声の評価印象に近く、但し「一期一会的名演」というのはちょっと持ち上げ過ぎかと。45歳、これからの指揮者が精一杯の統率を見せた貴重な記録、速めのテンポに颯爽とした表現、サウンドは後年ほど洗練されないけれど重心は低い。但し、カラヤンらしい流麗スムースな流れには未だ至らぬ興味深い「英雄」でした。(14:30-17:21-5:49-12:38)
トーマス・タリス幻想曲はベルリン・フィルには珍しいレパートリー、たっぷり濃厚な表情にベルリン・フィルの弦が甘く歌うもの。(13:15)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

せっかくのGWも昨日朝からしとしと雨模様、昼には上がりました。朝食時、季節のレッド・キウイが切れそうなことに気付いて、前日スーパーに寄ったときにキウイがセール、買うかどうか逡巡して遣り過したことを後悔。昼から運動がてらスーパーに出掛けて、1日分の運動量に達しました。前夜女房殿が婆さん(95歳)のところに泊まったのは、朝一番デイサービスに送り出さぬと勝手にキャンセルしてしまうから。付き添っていないと食事をまともに摂らず、せっかく電子レンジに温めた惣菜もそのままになっているそう。今朝の体重は67.5kg+100g。

東京の若い男が大阪迄やってきて小学生を無差別に轢いたり、川崎のストーカーは若い女性を殺めて海外逃亡?とか。宮内庁の職員が天皇さんの生活費を横領したり、なんか世も末な感じの事件が続きます。

ストレッチもYouTube鍛錬もいつも通り、毎朝食後はしばらく音楽を聴いているけど、ここでの音源選定がポイント。作品そのものがその時の気分感情と合わなかったり、演奏表現や音質にガッカリすることもあって、そうなったら一日気分はどんより。逆にビンゴ!もあって、思わぬ発見があればその日は気分的に快調です。
山田和樹がベルリン・ドイツ交響楽団のシェフに就任する。任期は2026/27シーズンから3年間。山田はバーミンガム市響やモンテカルロの監督も務めているから、3つの楽団を掛け持ちすることになる、とのこと。

EMI LPBruckner 交響曲第9番ニ短調〜オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1970年)・・・なぜか拝聴機会はほとんどなかったOtto Klemperer(1885-1973独逸)のBruckner録音。世評もけっこう高いようだし、ようやく重い腰を上げて聴いてみたら・・・かなりガッカリ。どんよりとして高音も低音も伸びない、悪い時のEMI録音の典型(ハイグレードなオーディオじゃないから自信はない)これはたまたま自分が入手した音源問題もあるのでしょうか。LP復刻音源をみつけて再トライしたらちょっぴりマシ、ボリュームを上げてニ度聴いて、ようやくクレンペラーの意図がちょっと見えてきた感じ。
第1楽章「Feierlich, misterioso(荘重に、神秘的に)」漆黒の海岸を連想させる始まりから、アクセントしっかり堂々たる腰を据えた緊張感、高揚する場面に走らぬのも好みの表現でした。オーケストラの個性がBrucknerに似合っていないのか、それともよろしからぬ音質印象なのか金管に深みと重み、キレが足りない、ちょっぴりサウンドの線が細い印象有。(26:43)
第2楽章「Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell(スケルツォ。軽く、快活に - トリオ、急速に)」スケルツォがBrucknerのキモ。勢いも緊張感もあって、トリオの木管など美しい場面にあちこち出会えるけれど、低音不足やオーケストラの個性?壮絶なリズムのメリハリに足りない感じ。(11:23)
第3楽章「Adagio. Langsam, feierlich(アダージョ。遅く、荘重に)」終楽章に至っていっそう募る音質への不満。魂籠もった終楽章はデリケートな歩みに、サウンドに潤いや深み、もう少し重量感は欲しいところ。なんとも頼りない細い薄い響きに、圧巻の金管クライマックスにもいまいち神聖な感銘にいま一歩。 (27:12)残念。残りEMIステレオ録音に残された第4番第5番第6番第8番はどうなのか。

Eurodisc OQ-7238-KOrff カルミナ・ブラーナ〜クルト・アイヒホルン/ミュンヘン放送管弦楽団/バイエルン放送合唱団/テルツ少年合唱団/ルチア・ポップ(s)/ヨーン・ヴァン・ケステレン(t)/ヘルマン・プライ(br)(1973年)・・・言語などまったく理解できなくても、血湧き肉躍る原始のエネルギーが爆発する名曲はお気に入り。作品との出会いはレオポルド・ストコフスキー(専門筋からの評判はよろしくないらしい)音質も細かい、多種多様な打楽器のパート迄良く聴き取れるもの。オイゲン・ヨッフム+フィッシャー=ディースカウによるパワフルな演奏が長く極め付きとされ、それに異論はありません。こちらも音質良好、オーケストラの迫力は充分。Kurt Eichhorn(1908-1994独逸)はOrffのスペシャリスト、ヴィヴィッドなリズム感、プライの入れ込んだパフォーマンスに不満はありません。(2:35-2:48-3:56-1:57-2:58-1:45-3:21-3:22-4:42-0:54-2:21-3:09-1:44-3:11-2:59-2:20-2:05-2:02-0:52-0:58-2:12-2:20-0:42-1:44-2:36)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

今朝は小雨だけれど好天のGWが続いて、自分の生活は日々変わり映えせず続きます。ようやくスギ花粉は治まってきて、未だ痰の絡みはあるけれど、ちょうど過ごしやすい季節がやってきております。いつもどおりの朝一番ストレッチ、カンタンかつシンプルなYouTubeエアロビクス実施してから市立体育館へ向かいました。途中の運動公園は若者たちの宴のあと、ビニール袋ごといくつも打ち捨てられてペットボトル空き缶も大量、ちゃんと拾って大学バス停前のゴミ箱へ〜しっかり分別していたら、その横自転車に巨大ビニール袋空き缶回収括り付けた爺さん待機、生活掛かっているんですね。そして2025年60回目のトレーニングルームはいつもの高齢常連数人+学生2−3人、自分はいつもどおりの我流メニューこなして帰り、スーパーとダイソー(「エアコン隙間らくらくお掃除」入手)に寄りました。洗濯は帰宅してから実施。今朝の体重は67.4kg▲250g思うように減りません。

京都中心部にて水道管破裂。60年前のものらしい。続く時は続くのですね、似たような事件は。水が溢れてクルマがずいぶんとお釈迦になったらしい。補償はされるのでしょうか?6,500戸の水道に影響が出たそう。全国どこにでもあり得る災難ですよ。八潮陥没事故から3か月、ようやく運転手の姿を確認したとのこと。このあとの続報を待ちましょう。(朝一番ご遺体を地上搬出との報道有/このあと御遺族への補償責任はどうなるのでしょうか)
話変わって衛生管理に問題を起こした「すき家」CM復活してますね。これからの営業成績、機会があればオペレーション、衛生改善にも注目。ねずみだGだ、そんなセンショーナルな話題ばかりじゃなくて、ジミなリカバリーが大切です。

今月末に愛知岐阜の大学の先輩が大阪にやってきて昼呑み、一人交通事故で右膝の靭帯を切って再建手術済、リハビリ中だから新大阪よりあまり遠くに移動できません。ま、元職場の近くなので土地勘はあって、狙いの店に電話したら昼はランチメニューのみ、場所取りもできません。ま、別な店を速攻探せましたよ。呑み放題5,000円也予約して案内したら「呑み放題じゃなく、美味い酒・・・」なんてワガママ爺さんが曰(のたま)う。世代的には量より質に至りました。ま、カネはある人だから別途美味しいのを頼んだら良いんです。

DGStravinsky ピアノと管楽器のための協奏曲(トーマス・シャーマン/ベルリン・フィル/1957年)/セレナード イ調(1961年)/協奏的二重奏曲(ヴォルフガング・シュナイダーハン(v)/1957年)/Debussy 子供の領分(1952年)/ヴァイオリン・ソナタ ト短調(ヴォルフガング・シュナイダーハン(v)/1957年)〜カール・ゼーマン(p)・・・Carl Seeman(1910-1983独逸)の録音はほぼモノラル時期が多く、これはステレオ?全体として音質はやや曇りがち。
協奏曲は1924年初演。管楽器+ティンパニ、コントラバスの伴奏。硬質に乾いた知的作品風情、甘さの欠片もないけれど破壊的な晦渋に非ず。なんとなく怠いはじまりから、変拍子にリリカルな不協和音、ノリノリのユーモアを感じさせる時にジャズ・テイストなわかりやすい作品。オーケストラはほんまベルリン・フィル?訝(いぶか)るほどに自信なさげなアンサンブルなのは作品に不慣れだったから?ゼーマンのソロは重心低く、しっとり安定した技巧でした。第1楽章「Largo - Allegro - Piu mosso - Maestoso」(7:56)第2楽章「Largo - Piu mosso - Tempo Primo」(8:23)第3楽章「Allegro - Agitato - Lento - Stringendo」(5:26)
セレナーデはピアノ・ソロ作品(1924年)なんと、SP片面に収まるように意図された作品なんだそう。賛歌(Hymne/3:25)ロマンツァ(Romanza/3:05)ロンドレット(Rondoletto/2:47)カデンツァ(Cadenza Finala/3:13)これも淡々として、どこかセレナーデ風?硬質に乾いた知的作品。一連の新ウィーン楽派作品に比べてずっと平易にわかりやすい。
duo concertantは1932年初演(サミュエル・ドゥシュキン)。これは平易に親しみやすい風情の作品でした。ここから名手Wolfgang Schneiderhan(1915ー2002墺太利)登場。怪しい「カンティレーナ」 (Cantilene/3:01)/軽妙な牧歌であるエクローグ 1 (Eglogue I/2:24)/エクローグ 2 (Eglogue II/339)/明るく躍動するジグ (Gigue/430)/「ディテュランボスとはギリシャの神であり、自然と人生における春と蘇りの象徴であるディオニュソスの祭典から発生した合唱輪舞の歌」とのこと。荘厳に明朗な歌に締めくくられました。(Dithyrambe/2:46)
Debussyは快活ユーモラス、こどもへの慈愛の視線に充ちた作品は大好き。これも重心低く、タッチはマイルドに落ち着いた生真面目な風情でした。グラドゥス・アド・パルナッスム博士(2:32)象の子守歌(3:52)人形へのセレナード(2:51)雪は踊っている(2:52)小さな羊飼い(2:18)ゴリウォーグのケークウォーク(2:31
ラスト、ヴァイオリン・ソナタは1917年Debussyのラスト作品。例の妖しくも儚い旋律はデリケート、シュナイダーハンの音色は端正に品があって、官能性を強調しないもの。第1楽章「Allegro vivo」(5:00)第2楽章 Intermede. Fantasque et leger(間奏曲 幻想的かつ軽快に/3:58)第3楽章 Finale. Tres anime(終曲 きわめて活発に/4:05)

fontana LPChopin 練習曲 作品10/作品25〜ヴェルナー・ハース(p)(1959年)・・・じつは某珍しい歴史的演奏家の音源LP3枚分をネットより入手して、ノクターンとかマズルカを聴き出したけれど、音質云々に非ず、どうも詩情と云うか優雅な気分に乗り切れなくて処分したもの。Chopinってけっこう難しくて、相性はあると思います。Debussy辺り高評価なWerner Haas(1931ー1976独逸)によるChopin録音を知ったのは初めて、LP復刻音源は極めて良好な音質(高品質LPも出たことがあるそう)。暖かいタッチ、無機的メカニカルにならぬ、曖昧さのないテクニックは細部明晰、流し表現は皆無。馴染みのChopinの甘い旋律が際立ちました。(作品10/27:45/作品25/29:40)


2025年5月某日/ 隠居生活もやや馴染みつつある日々

GW真っ最中の好天。朝音楽を聴きつつストレッチ最中、外を眺めたらこども達、中高生が通学姿、 ああ学校はあるんやなぁ、当たり前のことに気付きました。朝、洗濯してびっくり! 洗濯槽のカビ大量発生、ここのところの陽気に一気に成長して限界点を超えたものか、前回処理をしてから半年は経っていたと記憶します。女房殿が洗濯槽クリーナーを入手していたことを知らずに液体漂白剤にて処理(途中で混ぜられない/混ぜるな危険)それでもけっこう、それなりに落ちるもの。これも季節の到来なのでしょう。

昨日朝、ストレッチ、軽いYouTube鍛錬済ませて業務スーパーに向かったのは、グラノーラ増量用のオートミールが切れていたため。ところが4種ほどあった定番が消えている(残念)相変わらずコメは品薄(買えないことない・・・程度)野菜はやや価格落ち着いて、驚いたのは激安いなり寿司・・・値段は1.5倍しかもメーカーが変わって、これは原料の値上げモロ影響なのでしょう。往復3.3kmの軽いウォーキングでした。体重は67.65kgほぼ変わらず、食事を抑制したつもりでもほとんど減らない。
先日、加利福尼亜米(カルローズ)入手は2回目、前回は興味本位、今回はトランプさんへの忖度に非ず、たまたま店にそれしかなかったから。我が家は老夫婦のみだからあまりご飯は必要なくて、ニ合炊けば二日保ちます。残りご飯はダイソーの容器に冷蔵保存してレンチン、まずまずの風味。やれ味が云々とか硬いとか文句を云えばキリはない、いちおう昆布の切れ端を入れて炊飯は工夫しております。話題の夢グループ脂ぎった社長の「土鍋炊飯器壱萬圓!」CMに心動くけれど、残念ネットでの評判はいまいちらしい。いまのが未だ動く現役だから寿命尽きる迄使い切りましょう。

若い女性が自宅出産して赤ちゃんを放置の報道はあまりに哀しく、これはもちろん親になる自覚と男(父親)の責任、貧困が根底にあるのでしょう。世の中にはこどもができなくて嘆いている方も多く存在して、知り合いにも数人身近にその話題を伺っておりました。春の陽気だけど、あいかわらず鬱々としたニュースばかり、心は沈みます。

BBCL4243Mahler 交響曲「大地の歌」〜レイモンド・レパード/BBCノーザン交響楽団/ジャネット・ベイカー(ms)/ジョン・ミッチソン(t)(1977年ライヴ)・・・前回拝聴は2012年。BBC Radio ClassicsのCDを以前持っていたような?音質はままずまず。三管編成(ピッコロも入る)ティンバニ先頭に七種の打楽器(銅鑼も)ハープニ台にマンドリン、チェレスタも入る大編成の東洋的音階と諦念溢れる名曲はちょっと角が取れたような?クリアにスッキリとして、濃厚濃密浪漫なスタイルとはちょっと異なる響きでした。オーケストラも声楽も好調。メディアのレビューを探ると

マーラーの毒というか脂を全部拭ってしまった,とってもきれいな演奏。どこまでも澄み切っていて本当にきれい。悪くはないが,あとに何も残らない
ま、散々な言い種だけど、21世紀にはむしろ、こういったスッキリとした表現が主流になったように感じます。作品旋律の魅力を充分堪能して、そんな酷評されるべき記録ではないと受け止めました。Raymond Leppard(1928-2019英国)は音楽史的な演奏家として記憶していて、BBCノーザン管弦楽団(現BBCフィルハーモニック/1973-1980首席在任)インディアナポリス交響楽団の音楽監督にも歴任したとのこと。Mahlerには必須のJanet Baker(1933-英国)には幾種もの「大地の歌」録音が存在して、その深みのある声質に魅了されました。John Mitchinson(1932ー2021英国)かなり雄弁に朗々とした歌。 (8:07-10:06-3:25-7:23-4:42-31:33拍手有)
フィル・アップはBrahms アルト・ラプソディ(ジャネット・ベイカー(ms)/エイドリアン・ボウルト/BBC交響楽団/1968年ライヴ)こちらはモノラル。ベイカーの深みのある声を相変わらず堪能いたしました。(13:51拍手有)

BR Classics 900182R.Strauss 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」/ブルレスケ〜マリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団/ダニール・トリフォノフ(p)(2017年ライヴ)・・・以前に2007年ライヴを聴いていた記録が残って、その音源は既に手許にありません。以前「モウレツに上手いオーケストラに華やかな作品が映える演奏」「懐かしいクーベリック時代を思い出せばローカル色は薄れたかも」そして「わかりやすい」と聴いておりました。
Mariss Jansons(1943-2019拉脱維亜)は残念な突然の逝去だったけれど、R.Straussを得意として数多くの録音が残って、たしか来日公演でもこの作品を取り上げたはず。近現代オーケストラの効果を堪能させてくださる四管編成+オルガンの重低音はオーディオの実力が問われて、我が貧者の環境ではなんとも自信がない。金管華やかな作品はオーケストラの質実な響き、煽ったり、ギラギラと力付くではない落ち着いた表現。バイエルンは余裕のパワーでしょう。個人的にちょっと苦手な作品は色々お勉強になりました。(1:30-3:26-2:03-2:24-2:28-4:04-5:17-8:15-5:18拍手有)
Daniil Trifonov(1991-露西亜)は剽軽に気紛れな作品をしっとり、デリケート優雅に表現しております。(26:04)

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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