2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
寒いですね、こちらは寒くても知れているけれど、北国雪国はタイヘンなのは北海道出身である自分は身体で知っているつもり。下の孫もとうとう発熱、息子一家まるごとインフルエンザに罹患してしまいました。
医療現場からのリアルなコロナ感染の報告を拝見いたしました。いくつか気になったのは
今流行っているコロナは、症状が軽い方が多い
自覚症状が出る前日から感染力があることが知られて・・・無症状のコロナウィルス拡散者がそこここに存在していると考えたほうがいい
コロナワクチン、感染予防は完全ではありませんが、重症化予防には有効
そして
新形コロナは、残念ながら私たちの生活の中に定着してしまった
インフルエンザみたいな存在にになったのかな?人混み閉塞空間にはマスク必須と自覚いたしました。外歩きとか、空気の流れの良い開かれたトレーニングルーム辺りは未だ大丈夫なのか?自分の体調が怪しかったら、ひとさまに感染さぬようにマスクは礼儀でしょう。
関東のほうでいきなり道路陥没、老朽化した下水道は全国にあるそうだから、人ごとじゃないっすよ。これからあちこち出てくるはず。周りの住民の生活にも大きな影響が出ているそうです。人口の多いところはもちろんだけど、過疎化が進む地方はもっとタイヘンと思います。
1月ラストを迎えて体調はぎりぎり土俵際徳俵状態。それでも生活のリズムを崩さず(我流だけど)ストレッチ、YouTube鍛錬はちょっと心肺を鍛えるものを実施して、
市立体育館を目指して途上ゴミ拾いの功徳もいつも通り。トレーニングルームは空いていて常連メンバーも人数落ち、マッチョなバーベル組も不在、なんか利用者は減っていて、ゆる筋トレもエアロバイクも速攻消化できました。オモロない日々繰り返しだけど、健康体力維持には大切なルーティンの積み重ねであり生活リズム。女房殿は昼過ぎに戻って、市立体育館へ。ちゃんと鍛えてから夕方、また婆さんのところへ戻っていきました。今朝の体重は68.05kg+450g、危険水域のまま1月終了。ナッツを喰い過ぎました。
Lutoslawski 交響曲第1番(ワルシャワ・フィル/1959年ライヴ)/Shostakovich 交響曲第5番ニ短調 作品47「革命」(チェコ・フィル/1961年ライヴ)〜レオポルド・ストコフスキー・・・これは何故か?かなり以前より馴染の音源。入手困難音源かも
Lutoslawski 交響曲第1番は1948年初演。ピッコロ2/フルート1本というのは三管編成と呼んでも良いのでしょうか。弦、金管の他、ティンパニ/ドラム/シンバル/シロフォン+ピアノ/ハープが入る編成。調性表記はありません。音質はかなり良好。
第1楽章「Allegro giusto」いきなりの管楽器によるヒステリックな絶叫から始まる、強烈な緊張感と爆発。明るいのか苦しみなのか?ようワカラんけど、カッコ良い暴力的疾走が続いて息も付かせぬほど。(4:17)
第2楽章「Poco adagio」暗鬱な弦からホルンが暗く、低くうねうね、足取り重く歌い続けます。苦しげな不協和音も不気味に叫んで、やがて美しい緩徐楽章。(9:11)
第3楽章「Allegro misterioso」不気味に暗闇を蠢くような始まりはドデカフォニーなんだそう。これもスケルツォなんやろなぁ。時に金管の合いの手がけっこう衝撃。(3:56)
第4楽章「Allegro vivace」モウレツに細かい音型が上下に乱舞するフィナーレの始まり。ここも第1楽章に負けぬヒステリックな疾走。金管辺り相当の難しい技巧を要求されそうな音型だけど、ワルシャワ・フィルは母国の作曲家の誇りを掛けて立派に疾走して、これはけっこうな名曲との手応え充分でした。ラスト打楽器の強烈な追い込みのうちに全曲を終了します。(5:47/拍手込)
Shostakovichは怪しい?と思っていたらYouTubeに動画が出現しておりました。ほんまにストコフスキーの演奏だったのですね。音質はいかにも放送音源から抜き出した風、あまりよろしくない薄い響き。同時期のニューヨーク・スタジアム交響楽団との録音にも似て、意外とオーソドックスと云うか、期待ほどにオモロない演奏と感じました。音質印象もあるのかも。勝手な自分の嗜好だけれど、第7番以上につまらぬ作品と感じてしまいます。
第1楽章「Moderato」は抑制したはじまり。やがて危機感を増して疾走、爆発するクライマックスもさっぱりと、流した感じでした。(15:17)
第2楽章「Allegretto」はスーモラスなスケルツォはレントラー。ここは速めのテンポにヴィヴィッドな躍動がありました。(5:10)
第3楽章「Largo」緩徐楽章は金管抜き、弦は8部に分かれている哀切の変奏曲。ここの弦の歌わせ方、扱いも美味いと思います。途中から参入するハープに乗ったフルートも美しいところ。(12:52)
第4楽章「Allegro non troppo」風雲急を告げるフィナーレの始まり。テンポは中庸、常に八分ほどの力の入れ方に緊張感とテンションが足りんように感じます。途中からのテンポ・アップもちょっと流したような印象、クライマックスへの持っていき方も型どおりと云うか、なんというか・・・(10:01/拍手有)
Shostakovich ピアノ協奏曲第1番ハ短調/第2番ヘ長調/2台のピアノのためのコンチェルティーノ イ短調〜アレクサンドル・トラーゼ(p)/パーヴォ・ヤルヴィ/フランクフルト放送交響楽団/ユルゲン・エレンゾーン (tp)/ゲオルゲ・ヴァチナーゼ(p)(2010年)・・・Alexander Toradze(1952-2022卓爾治亜)による目も覚めるような技巧と表情の豊かさ+緩急自在のテンポ変化はかつて聴いたことのない豊かな表現。ヴィヴィッドな推進力と、例えば第2番第2楽章「Andate」の極端な弱音と抑制の効果は絶大でした。パーヴォ・ヤルヴィの伴奏も入念に音質極上、軽妙に才気煥発、魅惑の名曲はいつも以上に新鮮に響きました。(6:35-9:13-1:51-6:49/6:52-8:25-5:16)第2番とコンチェルティーノは息子のマキシムのための作品とのこと。単一楽章「Adagio-Allegretto/Adajio-Allegro/Adagio-Allegretto」怪しい暗さと快活な疾走が繰り返されるオモロい作品でした。(11:34)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
森永卓郎さん(67歳)同世代のあまりにも早い逝去は残念無念。最期まで充実した活動をされ、いくつか書籍も出版、逝去前日迄ラジオ番組に出演されていたそう。その情熱には心打たれます。自らの事務所を主催している大物フリーアナウンサーがパワハラ・セクハラ?から無期限活動停止とのこと。時代ですかね、名だたる大企業による製造物の不正な数値操作が明るみに出た時、それは最近発生したことなのか、昔からあったことが表に出ただけなのか、そんなことを疑問に思ったけれど、どうやら後者が色濃い感じ。フジテレビ問題もそうだけど、こうして”悪しき昭和”は消えていくのか、一方で例のフジテレビのマラソン会見では質問者の人権意識の低さ(=フジテレビ同様)感想や自説の述べるだけ、野次怒号=ジャーナリズムの質の低下を嘆く声もあったようです。(会見は見ていないけど)「水に落ちた犬を叩け」風潮を感じました。ただ目立ちたいだけなのか。
スマホの動きが妙に重く、そういえば手帳型スマホケースを付けてから、なんか平たいところに置いたら自動でチェック再起動、みたいな機能が作動しなくなっておりました。コンピューターというのは「困ったときの再起動」が基本、無事ちゃんと動くように快復。まる4年経ったけれどまだまだ使うつもりです。
ここしばらく深夜途中覚醒が常態化して、前夜は恒例左膝裏の痙攣に苦しんで目覚めました。しっかり鍛えているつもりでも華麗なる加齢症状なのでしょう。我流ストレッチ+YouTubeはいつものスワイショウ済ませて、業務スーパーへウォーキング。いくつか常用している調味料など食材が切れ掛けだったので、ちょうどよい運動となりました。今朝の体重は67.6kg▲350g2日間で辛くも1kg減らしました。
Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(2010年全曲版)〜デニス・ラッセル・デイヴィス/バーゼル交響楽団(2014年)・・・
Dennis Russell Davies(1944ー亜米利加)のStravinskyは先に「春の祭典」を聴いておりました。三大バレエは奥様である滑川真希さんとのピアノ四手版と併せて全部録音して残念、世間ではほぼ話題になりませんでした。驚くべきはバーゼル交響楽団のアンサンブルの緻密な精度、指揮者の統率による各パートのバランス、解像度の高さ、充分な低音含めリアルな音質の成果もあるでしょう。この作品はメルヘンに美しい夢見るような旋律連続、激昂したり走ったりしない一貫して冷静知的にクール、過不足のないリズム感、色彩にも不足はないサウンドと聴きました。詳細なIndexも特筆すべき配慮でしょう。
Introduction - Scene 1: Night. Kastchei's Enchanted Garden(5:11)Scene 1: The Firebird enters, pursued by Ivan Tsarevich(2:19)The Firebird's Dance(1:32)Ivan Tsarevich captures the Firebird(0:50)The Firebird begs to be released(6:00)Entrance of the Thirteen Enchanted Princesses(2:37)The Princesses play with the golden apples (Scherzo)(2:29)Ivan Tsarevich appears(1:23)The Princesses' Khorovod (Round Dance)(4:22)Daybreak(1:25)Ivan Tsarevich, entering Kastchei's palac(0:05)Magic Carillon - Appearance of Kastchei's Guardian Monsters - Capture of Ivan Tsarevich(1:25)Infernal Dance of Kastchei and his subjects under the Firebird's magic spell(4:52)The Firebird's Lullaby(2:44)Kastchei awakens(1:14)Kastchei's death - Profonds tenebres(1:32)Scene 2: Kastchei's spell is broken, his palace disappears, and the Petrified Knights return to life. General Thanksgiving(3:28)
Glazunov 交響曲第1番ホ長調「スラヴ」(1989年)/交響的絵画「クレムリン」(1990年)〜エフゲニー・スヴェトラーノフ/ソヴィエット国立交響楽団・・・Glazunov(1865-1936露西亜)はNAXOSからまとめて出ているモスクワ交響楽団辺りの録音をいくつか聴いて、どれもぴん! ときませんでした。旋律に馴染んでいるのはヴァイオリン協奏曲?あとバレエ音楽「四季」くらいか。露西亜の怪しげなサイトよりスヴェトラーノフの音源がまとめてごっそり入手出来、これも人生の巡り合わせ、順繰り聴き進めております。音質はまずまず。パワフルなオーケストラのサウンドを堪能できました。交響曲第1番ホ長調は16歳の作品とか、1882年初演。古典的二管編成に+ティンパニ、シンバル、トライアングル。所謂浪漫派オーソドックスな交響曲っぽいイメージ。期待通りの骨太重量級の演奏でした。
第1楽章「Allegro」シンプルな旋律が符点のリズムに優等生的穏健に、闊達な明るい始まり。Schumannの「ライン」を連想しました。(10:52)
第2楽章「Scherzo. Allegro」波蘭民謡の影響があって「イーゴリ公」に似ているとのこと。なるほどオリエンタルな旋律風情や細かいリズムが躍動して楽しいスケルツォでした。(4:54)
第3楽章「Adagio」ファゴット先頭に静かな木管から始まって、やがて切々と、優しく静かに泣く弦と名残惜しい木管の絡み、遠いホルンが魅惑の緩徐楽章。ちょっと素直に過ぎるけどね。ソヴィエット国立交響楽団はなかなかのデリケートな洗練サウンドでした。(11:21)
第4楽章「Finale. Allegro」ここも快活な波蘭民謡風とのこと。細かい音型が疾走して愉しげ、よくできているんだけど、この旋律も型どおりな優等生っぽい。例えばShostakovichの交響曲第1番は今聴いても天衣無縫な天才を感じさせますよ。(9:03)
「クレムリン」は1890年の作品。編成など調べがつかなかったけれど「壮大なクレムリン宮殿の俗から聖に至る事象を見事に音楽化した」とのこと。
「Folk Festivity(Popular Festival)」(Allegro)は勇壮に堂々、カッコよいワクワクするような風情。緩急陰影は前曲から長足の進歩を感じさせる躍動。(9:11)「At the Monastery(In the Cloister/回廊にて)」(Andante)シンプルに静謐な弦は中世の幽玄を感じさせる弦と金管。(10:58)「Meeting and Entrance of the Prince」(Moderato)細かい音型がそっと歌い始めて、いかにも露西亜風快活な締め括りを感じさせる爆発がやってきます。分厚い金管の炸裂も爽快、エピソードは次々と、多彩に変化して飽きさせぬ壮麗な風情でした。(9:19)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
寒いですね。寒気がして夜中に一度目覚めました。風邪が悪化したかも知れない、そんな不安を抱えつつ朝を迎えて
幸い咽に違和感はありません。若干の体調不良は洗濯(フロの残り湯バケツ汲み出し運動)ストレッチ、そしてワン・パターンなYouTubeスワイショウにて体調を整えました。市立体育館目指してゴミ拾いの功徳を積みつつトレーニングルームへ。朝一番は空いて、ゆる筋トレMy Menu+エアロバイク15分済ませてしっかり鍛えてさっさと帰宅いたしました。女房殿が婆さん宅より余って持ち帰った野菜を利用して、圧力鍋に大根など炊いておきました。なんとか体調は維持したいもの。今朝の体重は67.95kg▲700g。ここから更に戻したいもの。
大阪市路上喫煙禁止へ、加熱式たばこ含む。
「4月には大阪府の受動喫煙防止条例が全面施行される。客席面積が30平方メートルを超える飲食店は、専用の喫煙室を設けるなどの対策をしない限り、原則禁煙となる」そう。タバコが吸える小さな呑み屋は流行るかも。いつも呑んでいる爺友は喫煙者だけど、自分は生涯無煙、これは佳きことですよ。罰則規定はあるのか、やがて我が街の路上喫煙はどうなるのか、注目しております。ま、ここ数年路上喫煙は一般に減ってますけど、完全駆逐していただきたい。路上の吸い殻ゴミは多過ぎます。ちょっと昔の二時間ドラマ再放送をみると、あちこち平気ですぱすぱ煙を上げている場面があって、イライラしますよ。
Rchmaninov ヴォカリーズ/ピアノ協奏曲第3番ニ短調/Tchaikovsky 組曲第3番ト長調〜ニコライ・ルガンスキー(p)/アレクサンドル・ヴェルデニコフ/バーミンガム・シティ交響楽団(2015年ライヴ)・・・露西亜の怪しげなサイトより種々ライヴ音源を入手して、挙げ句音質水準にガッカリして80%くらい廃棄。これは珍しく良好な(おそらくは)放送音源。Nikolai Lugansky(1972年-露西亜)は旬の現役ピアニスト。Aleksandr Vedernikov(1964ー2020露西亜)は残念、コロナに倒れたそう。ちょうどアンドリス・ネルソンスがラスト辺りのオーケストラはなかなか優秀でした。
絶品の憂愁漂う「ヴォカリーズ」から始まって(6:43)ニ短調協奏曲はルガンスキーの十八番(2012年シカゴ・ライヴも聴いておりました)濃厚な甘い旋律が延々と続く難曲は、彼の手に掛かれば余裕。前のめりにならず、汗水も感じさせぬ詩心たっぷりに流れよろしく、一気呵成にラスト迄聴かせてくださって、これは文句なしでしょう。(43:29)アンコールはデリケートな哀しみを湛えて、自分の知識では作品が特定できぬピアノ・ソロ。(4:30)
Tchaikovsky 組曲第3番ト長調は三管編成。初耳でしたっけ、この作品。例の如くメロディメーカーの面目躍如、憂愁たっぷりな優しい旋律が続いてヴェデルニコフの腕はたしかでした。「エレジー」(Elegie)「憂鬱なワルツ」(Valse melancolique)「スケルツォ」(Scherzo)は細かい音型がユーモラスにデリケート「主題と変奏曲」(Tema con variazioni)は優雅に晴れやかにスケールの大きな変奏曲でした。(40:40/拍手有)
Prokofiev 交響曲第1番ニ長調「古典」(1961年)/第5番 変ロ長調(1964年)〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団・・・2015年来の再聴。硬派かつ暴力的、時に晦渋なProkofiev中この2曲はわかりやすい平易な風情がお気に入り作品、かつての印象は古典的に小ぶりな「古典」はそれなり、第5番のアンサンブルはヘロヘロの演奏にガッカリ〜久々の手応えは如何、音質かなり良好なのはさすが英DECCA。
ニ長調交響曲は古典的二管編成+ティンパニ3。ちょっぴりアンサンブルがユルいのも味わいのうち、古典的衣装を纏ってモダーンな風情の作品、明るい響きに快活な風情を堪能できました。第1楽章「Allegro」(4:49)第2楽章「Larghetto」(4:23)第3楽章「Gavotte: Non troppo allegro」(1:30)第4楽章「Finale: Molto vivace」(4:11)
変ロ長調交響曲は意外と扱いが難しい?平易に雄大な作品。三管編成に+打楽器8種+ハープ+ピアノ迄入るけっこうな編成。こちらはかつての印象をかなり変えました。
第1楽章「Andante」雄大なる夜明けのような始まりは、明るく腰の軽い響き。打楽器がクリアに活躍して微妙にユルい、怠い風情も味わいのうちでしょう。(11:53)
第2楽章「Allegro marcato」ユーモラスなスケルツォ楽章も軽妙、スイス・ロマンド管弦楽団は技術的にはちょっと厳しく頼りないけれど、芯のない軽快なるリズムにノリも感じさせました。(7:58)
第3楽章「Adagio」ここの弦も響きが薄く、深遠なはずの緩徐楽章も不機嫌に素っ気なく頼りない感じ。中盤の重い足取りは神妙でした。(12:07)
第4楽章「Allegro giocoso」爽やかな第1楽章の再現から、細かい音型に軽快なフィナーレが疾走します。各種打楽器が大活躍して映えるフィナーレはヘロヘロとは感じなかったけれど、ちょっと元気や爆発がもの足りない・・・けど、これはこれでマイルドなProkofievなのかも。(9:42)
フィル・アップはRachmaninov 交響詩「死の島」(パリ音楽院管弦楽団/1954年)1909年の作品、三管編成+ハープ。時代を勘案するとずいぶんと濃密甘美な浪漫風作品。「不安にうねる波と舟の漕ぎ手の動きが描写されている」そう(Wikiによる)劇的に情感が迫り上がって「怒りの日」旋律登場。この時期にしてかなり良質なステレオ録音、このオーケストラもスイス・ロマンドに負けぬ腰のない響き、明るく薄い金管でした。(19:23)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
終日曇ってちょっぴり雨予報、冷えてますね。息子一家からの緊急呼び出しに構えていたら、なんと両親とも発熱、いまのところ無事なのは下の孫(3歳)のみ、これでは出勤はできないでしょう。しばらく出番はなさそうです。自分も鼻水が気になって、肩が凝っているのは風邪なのか?それともDr.Stretchの名残か。女房殿は婆さんの介護を弟と交代してゆっくり就寝出来、また出掛けていきました。朝ストレッチ+YouTubeスワイショウを済ませて掛かり付けクリニックへ、尿酸対策の処方は2ヶ月一回、前回同様ちょっと血圧が高いのが気になりました。体重増の影響もあると自覚しております。そこは二階隔離場所があって医師に伺うと「コロナが多い」とのこと。まずまず空いていて、隣の薬局では楽天PAYが使えることを発見、小さい医院は現金のみだけど、薬局はけっこういけるみたい。食材買い足して帰宅、それなりのウォーキング済ませてどうも寒気がする。今朝の体重は68.65kg+750g最悪、夕食抑制すべきだったと反省しても遅い。
フジテレビ会見にて社長会長退任との報道。事前予想通り。もちろん生放送はいっさい見ておりません。
次の記事への印象は「取れない葡萄は酸っぱい」感慨と理解してほしいけれど
四千頭身・後藤、ブレイク当時は「調子に乗ってた」 タワマンへの憧れ「もうありません」
一過性のブームに乗って売れたお笑い芸人がタワマンを退去したとのこと。18階の景色にもすぐ飽きて、カーテンを閉めていたそう。あまりテレビを見ないのでなんとも云えぬけれど、時々見かける番組に、そのお笑いトリオはそんなにオモロいの?シロウト臭い芸を不思議に眺めてましたもん。
いくらびっくりするほど儲かっても、いつまでその人気が続くか保証はない。翌年に税金がごっそり掛かるし、収入があるうちに貯めておくとか、リスクの少ない投資運用するとか、そんな考えにはならんのやろうな、芸人さんだし。自分で自分の実力、社会の趨勢や嗜好を見極めるには若過ぎたのか。別にもとに戻っただけ、博打や投資で大失敗したわけじゃないから、ここからまた生活や芸風を立て直したらよろしいかと。場末の引退爺(=ワシ)より要らぬ心配でした。
R.Strauss 交響詩「ドン・キホーテ」/交響詩「死と変容」〜ジェームズ・レヴァイン/メトロポリタン管弦楽団/ジェリー・グロスマン(vc)/マイケル・ウズニアン(va)(1995年)・・・幾度も聴いているお気に入りの演奏。晩節を汚したJames Levine(1943-2021亜米利加)の素晴らしい記録。1975-2016年迄実質メトロポリタン歌劇場のトップを務めて、オーケストラを一流の響きに育て上げました。これはリアルな音質とオーケストラの優秀さを証明するヴィヴィッドにキレのある演奏。ネットを探ってもほとんど言及は探せぬ忘れられた?不思議な音源でした。
「ドン・キホーテ」は二人のソロも団員でしょう。三管編成に7種の打楽器+ウィンドマシーン+ハープ。ユーモラスに多彩な名曲ですよ。第2変奏「Der Kampf gegen die Hammelherde」羊は金管楽器のフラッター奏法、第3変奏「Gesprache zwischen Ritter und Knappe」のしみじみとした詠嘆、黄昏風景みたいな奥行きは絶品!第7変奏「Der Ritt durch die Luft」の空中騎行(ウインドマシン)もそれを想像させるほどのリアル。第10変奏「Zweikampf mit dem Ritter〜」決闘のトランペットも爽快。
序奏(6:09)主題(2:05)第1変奏(2:41)第2変奏(1:51)第3変奏(7:50)第4変奏(2:00)第5変奏(4:12)第6変奏(1:11)第7変奏(1:06)第8変奏(1:51)第9変奏(1:09)第10変奏(4:34)終曲「ドン・キホーテの死」(5:21)
交響詩「死と変容」は1890年初演作曲者26歳の作品。三管編成+ティンパニ/タムタム/ハープ2台、若い頃からこんな老熟した諦念の作品を書いていたのですね。静謐と死との戦いの対比も爽快なキレ味、美しい響きでした。(26:57)
J.StraussU ワルツ「美しく青きドナウ」/ポルカ「iの上の点」/喜歌劇「こうもり」序曲/皇帝円舞曲/喜歌劇「ジプシー男爵」より「入場行進曲」/喜歌劇「クルマバ草」より「カドリーユ」〜ヨゼフ・クリップス/ウィーン・フェスティヴァル管弦楽団(1962年)・・・これがJosef Krips(1902-1974墺太利)の一番最後のウィンナ・ワルツ集録音。LP時代から馴染の懐かしい録音でした。オーケストラの実態は?フォルクスオーパーなのか、ウィーン交響楽団なのか、トーンキュンストラーなのか不明です。音質がよろしくないのは往年のコンサートホール・レーベルのイメージ通り。「iの上の点」というオモロい題名のポルカには記憶なし、珍しい収録でしょう。誰でも知っている「美しく青きドナウ」の力みのない優雅な風情と小粋なリズム感、「こうもり」序曲のウキウキ湧き上がるような勢い、名残惜しい節回し、豊かな表情、どれも極東ド・シロウトがイメージするところの本場もん!絶品!音質さえガマンできれば至福の時を過ごせます。(9:30-5:20-8:21-9:57-2:53-9:26)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
例の長野駅前3人殺傷事件犯人が捕まったとのこと。まずはひと安心だけど、他の類似事件同様、その動機や社会的背景の分析が欲しいところ。ある日故もなく、突然生命が中断される不条理には怒りを覚えます。岐阜の“刺傷事件”は自傷行為 「本当は自分で刺しました」だったんだそう。お騒がせなことですよ。
上の孫5歳がインフルエンザに寝込んで、親(息子夫婦)はタイヘンやなぁ、お仕事は交互に休むのか。下の孫3歳にもじき伝染ることでしょう。もしお呼びが掛かれば婆さん(95歳)介護との関係で爺(=ワシ)出番となります。あまり役に立たんけど。
「さいたま市に住むトルコの少数民族・クルド人の小学6年生の女子児童が在留資格を失ったことで、2024年9月公立小学校から除籍されていた」との報道。教育委員会は謝罪の記者会見を開いたとのことだけど、この先生たちは血も涙もないのでしょうか。クルド人問題詳細はあまりよく理解していないけれど、少なくとも小学6年生に罪はないのは当たり前、ちゃんと復学できたのか、中学校はどうなるのか、両親の生活の心配、他類似の話題はないものか。お役所仕事?狭い価値観に凝り固まった非常識非人道的行為には怒りを覚えます。
昨日日曜も深夜途中覚醒して二度寝、朝一番なんちゃってストレッチ+YouTube鍛錬は「自宅でできる飛ばない有酸素運動!立ったままできる10分間のダイエットエクササイズ」実施して市立体育館へ。日曜常連が揃って、例のジャージの上から短パン!個性的ファッションな人生の先輩、トレッドミルで衝撃強く足踏み=正しくない走法なんやけど、それに耐えられる膝が羨ましい。一人中年新人参入、筋トレ・マシンをいろいろ試して各々2−3回で終了、結局トレッドミルに落ち着いておりました。自分はいつもどおりのゆる筋トレ+エアロバイク15分。そう云えばDr.Stretch後、左肩奥の微妙な違和感は消えました。今朝の体重は67.9kg▲250g。唐揚げが喰いたくなって、自家製でポテトフライも一緒に揚げて大量に喰ったことを反省しつつ、なんとか辛くもちょっぴり減りました。
Bach ゴールドベルク変奏曲BWV 988〜ヘルムート・ヴァルヒャ(cem)(1961年)・・・24年ぶり?の拝聴。自分がこども時代はカール・リヒターと並んで鉄板の存在でした。当時からグレン・グールドは話題になっていたけどね。自分にとってのこの名曲との出会いはLP時代、目が不自由な鍵盤の名手Helmut Walcha(1907-1991独逸)によるもの。60数年を経、現役リアルな音質と迫力に驚かされます。冒頭「アリア」の落ち着いた美しさ、変幻自在な変奏曲はお気に入り中のお気に入り、ステキな作品ですよ。
これはモダーン?チェンバロによる演奏。ネットに情報を探って勝手に引用すると「旧東ドイツのAmmer社製(アンマー・チェンバロ)。この楽器は、Neupert等より、弦の張力が弱く、モダン・チェンバロとしては、ヒストリカル・チェンバロに近い楽器」なんだそう。なるほど。実演を聴くとずいぶんと音量が小さく、録音だけではその実像をなかなか伺い知れぬもの。ここでも堂々たる風情に美しく「鳴る」チェンバロ印象は変わらぬけれど、無遠慮金属的にバリバリ!パワーに非ず、各変奏曲の豊かな表情付け、微細な音色やタッチの変化が美しくも大きな演奏でした。この作品はピアノによる微細なニュアンスの変化を楽しみたいけれど、こちら時代錯誤的に非ず、21世紀に現役と聴きました。大きな大きなゴールドベルク変奏曲、堪能いたしました。(3:20-3:26-2:19-1:40-1:33-2:33-2:16-1:32-2:17-2:48-5:15-2:30-2:13-2:38-2:13-1:48-1:43)
Brahms ピアノ協奏曲第1番ニ短調/Schumann 序奏と協奏的アレグロ ニ短調 作品13〜イェネー・ヤンドー(p)/アントニー・ヴィト/ポーランド放送交響楽団(1996年)・・・Brahmsはいつもそうなんだけれど、古典的二管編成+ティンパニ、それがとっても荘厳立派な堂々たる響きを実現している作品。両方ともピアノ協奏曲はお気に入りです。NAXOSに大量の録音を残したJando Jeno"(1952ー2023洪牙利)は質実着実なテクニックと表現を旨として、名曲を堪能させてくださいました。ポーランド放送交響楽団は素朴、厚みが足りないけれど、ソロのテイストに似合ってなんとも渋い。ほんまに地味な演奏でした。音質もさほどに悪くはないけれど、微妙にショボく乾いた感じ。
第1楽章「Maestoso」その重厚感に威圧さえ覚える始まり。オーケストラはローカルにごりごり鳴らぬのも親しみ有、ソロも鋭角な鮮やかさ際立たぬジミな力感に誠実、しみじみと滋味深い。(22:44)
第2楽章「Adagio」湧き上がる静かな情感、緩徐楽章は傑作ですよ。呟くようなピアノに弦は控えめに寄り添って、やがて力強く高揚、ここは旋律風情とソロ・オーケストラの素朴な風情が似合って感動的でしょう。(13:22)
第3楽章「Rondo, Allegro non troppo」ソロと管弦楽の緊張感漂う遣り取りは感動的なフィナーれは怒涛のごとく切迫する始まり、ここはなんともオーケストラの響きが薄く、パワー不足。色気も艶も陰影も足りない。ソロは噛み締めるように着実な歩み、誠実なテクニックに、デーハーなクライマックスを目指さない。(12:50)
Schumann「Introduction and Concert-Allegro」はやや珍しい作品。当時、NAXOSは著名な作品に+珍しい関連作品を組み合わせていたものです。「夕焼け小焼け」を連想させる旋律、浪漫に劇的風情を抑制気味に歌って、ちょっと元気が足りない。(14:42)(このあと、同じ指揮者オーケストラによるMahler 交響曲第10番「Adagietto」を聴いたけれど、けっこうデリケートな洗練もあって、これは音質イメージもあると気付きました)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
呑んだ翌日の土曜もいつもと変わりなし。体調はまずまず、食材は足りているので買い物に出ることも必要なし。尿酸の服薬がそろそろ切れそうだけど、月曜でも間に合います。女房殿は相変わらず婆さんのところに泊まり連続。自分はいつものストレッチを実施したけれど、早田ひな似のお姉さんにがっつり伸ばしていただいた経験後、あれは”なんちゃってストレッチ”であったと自覚。できるところ迄ムリなく・・・なんて屁の突っ張りにもらなん!全身あちこち筋肉痛継続中、これが消えたらせっかくの柔軟性も消えてしまうのか。YouTubeエアロビクスはボクササイズ、これはけっこう効きました。昼過ぎに女房殿は戻ってきて市立体育館へ、洗濯物を置いてまた婆さんの介護に戻りました。今朝の体重は68.15kg+300g餃子喰ったからなぁ、かなり。
年初新年会、爺友と呑んだ時に「2025年の目標は?」そう問われて「オシャレ」と答えたら速攻「ムリ」と遮られたもの。毎日拝見する同世代の女性ブログは「オシャレ」だと思います。おカネがあるから、生活に余裕があるから、みたいな言い種は粋じゃない、やはり日々の心掛けや興味なのだろうと思います。当該のログは出会ったご高齢の女性の靴への興味、それは常にファッションに気を付けているからだと思います。日々愛用する食材や家具や調理器具、それにまつわる思い出思い入れ、長く愛用したクルマ(ベンツのカブリオレ)そんな積み重ねが「オシャレ」として身に付いていくのでしょう。
時々、出先でステキな服装に身を包んだ人生の先輩に出会うこともあって、こちら手袋は「金の粒納豆」軍手ですもん(お仕事現役時代、職場備品を偶然持ち帰った)。そんな「実用と節約一辺倒」の積み重ねが自分の個性を形作っていると思います。隔日に通うトレーニングルームにはジャージの下とトレーナー(夏は短パン+Tシャツ)他の常連メンバーも個性は違っても似たようなもの。前居住地のスポーツクラブはお仕事現役世代、とくに女性は色彩豊かなステキなウェアを身に着けておりました。(高級住宅街が多かった)それでもそのすべてが「オシャレ」とは感じなくて、各々積み上げ、身につけた歴史があるのでしょう。自分のトレーニング・ウェアはずっと変わりません。
Mozart ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280/第9番ニ長調K.311/第11番イ長調K.331/第12番ヘ長調K.332〜アルド・チッコリーニ(p)(1953年)・・・名手Aldo Ciccolini(1925-2015伊太利亜)は若い頃にMozartのソナタ過半を録音して、全曲に至っていないのは残念でした。音質はモノラルでもかなり良好。しっとりと清潔なタッチに心持ち速めのテンポ、著名なイ長調ソナタK.331「トルコ行進曲」を初めてとして、どれも愉悦に沸き立つような名曲中の名曲ばかり。(4:21-6:25-4:06/4:24-6:04-5:38/8:57-3:12-2:32/4:33-4:29-4:29)
入手した音源には続いてD.Scarlattiの珠玉のソナタがフィル・アップ(1950年)。ト長調K.259(4:26)ニ長調K.64(1:56)ニ短調K.1(1:56)ニ長調K.492(3:30)イ長調K.268(4:30)こちらはバロック風情に非ず清潔な浪漫が香りました。流れのよろしい速いテンポも魅力的。こちらも音質は悪くない。
Shostakovich 交響曲第4番ハ短調〜ヴァシリー・シナイスキー/BBCフィル(2000年ライヴ)・・・フルート4本+ピッコロ2本は何管編成と呼ぶのか。ティンパニ二人に打楽器11種にハープ2台というトンデモ編成の大曲。マンチェスターのオーケストラは時に技術的云々指摘も時々あるみたいだけれど、お気に入りです。日本でもお馴染みVassily Sinaisky(1947-ソヴィエット露西亜)は烏克蘭系の人らしくて、その言動/発言からか最近の動静が伺えません。これは良質のライヴ音源でした。才気煥発な第1番、大胆なる作曲技法さておき機会音楽的な第2番第3番を経、この第4番はのちのShostakovichの交響曲の方向性を暗示させるような不遇の傑作(作曲は1935/6年初演は1961年)。BBCフィルのアンサンブルは好調と感じます。自分はこんな苦渋に充ちて、鬱々と重苦しい作品を好んで聴くようになるとは・・・わからんものですよ。
第1楽章「Allegretto poco Moderato - Presto」重苦しい行進曲風始まりも分厚い響きに明快な足取り、響きはクリアに充実して暗鬱さを強調しない。軽妙なノリさえ感じさせるもの。「Presto」弦の急激なパッセージ、そして打楽器の追い込みの切迫感もみごとなアンサンブル、おそらくこの部分にもっと桁外れのパワーと狂気を求める方がいらっしゃるのでしょう。そして冒頭の歩みが戻って、静かなヴァイオリン・ソロが出現、暗いファゴットと伴に減衰するように終了。(27:02)
第2楽章「Moderato con moto」途方に暮れたような弦の歩み。心持ち速めのテンポに、けっこうなキレと明快なリズムを感じさせました。途中の打楽器、ティンパニの参入は衝撃的なアクセント。(8:53)
第3楽章「Largo - Allegro」絶望的に重い足取り(葬送行進曲)にファゴットの嘆きからスタート。それはやがて雄弁な爆発へと成長して、重苦しい歩みに危機感は深まって・・・やがて突然曲調が変わってテンポ・アップ、それはやはり重量級に苦渋な絶叫のまま、脈絡なく音楽は熱を加えて疾走絶叫、打楽器やチューバの重さは衝撃的でしょう。時に楚々としてユーモラスな木管や弦、剽軽な金管も垣間見えて、自由自在奔放につかみどころなく次々と姿を変える変奏曲?かなり難解に前衛的な音楽でしょう。やがて乱暴なティンパニから金管が絶叫しつつ怪しい盛り上がりから、じょじょに力を失って消えゆくようにチェレスタが呟いて全曲を閉じました。(28:26/盛大なる拍手入)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
今度は岐阜で路上殺人未遂、刺されたとか。日本はどうなっとんのか。昨日朝も早朝覚醒だけど、途中覚醒と云うほどに非ず。あまりに世捨て人みたいになるのも不本意なので朝食時には必ずワイド・ショウを眺めます。いつもは爽やか誠実な安住さんとステキに可愛らしい江藤さんの「ザ・タイム」、ちょっぴり「めざましテレビ」(フジ系)に寄り道してみたのはAC ジャパン=CM抜けを確認してみたかったから。悲惨な事件の続報やら地震報道ばかり、スポーツはさておき、芸能エンタメ・ニュースに元気がないのはあたりまえ。朝一番に洗濯してストレッチ+YouTubeちょっぴり鍛錬、そして市立体育館を目指すのもいつもどおり。そして食間服用ラストのガスピタンに願いを込めつつ梅田Dr.Stretch目指しました。
コミュニティバスの都合で早めに梅田に到着。受付は北口榛花似のガッチリとした女性。配慮いただいて時間前に開始、担当は早田ひな似の若い女性、一時間たっぷり、がっつり上半身両腕肩甲骨付近、下半身膝腰、首までしっかり伸ばしていただいて難行苦行(涙)上半身はそうとうに硬く、巻き肩もあるそう。一番の懸案であった放屁は幸いガマンできました。しっかり腕肩胸も腰も脚も伸びて、緩んでこれで3,500円也(税抜/お試し価格)せっかくあちこち伸ばしてもらったけれど、1週間弱しか保たないとのこと。でも、次にオススメいただいたコースは@壱萬圓弱也(富裕層向けか)庶民には手が届きそうにありません。いかに我流のストレッチが虚しいものだったか! 実感いたしました。専門家の指導は貴重です。微妙な左半身の鈍い違和感はとにかく消えました。今朝身体中あちこち筋肉痛。
いつもの場所で爺友と待ち合わせ。例のバカ息子は33歳(赤ちゃんの頃からの顔見知り)新しいお嫁さん候補は35歳初婚姉さん女房。写真を見せていただいて、しっとり落ち着いた美しい女性でした。彼は神戸大学病院の帰り、眼瞼下垂手術のあとの点検+前立腺の検査もしてもらったそう。処方いただいた服薬はバイアクラに似た効用があるらしくて、その成果を自慢しておりました。時間が早かったせいか金曜夕方前の梅田駅前ビル地下の居酒屋は空いて、けっこう呑みましたよ。今朝の体重は67.75kgほぼ変わらない。
Stravinsky バレエ音楽「ミューズを率いるアポロ」(1947年改訂版)/弦楽のための協奏曲ニ調「バーゼル協奏曲」/Prokofiev 束の間の幻影 作品22(arr. Barshai/Balashov for orchestra)〜ユーリ・バシュメット/モスクワ・ソロイスツ(2006年)・・・Yuri Bashmet(1953-露西亜)はヴィオラの名人であり、彼の率いるアンサンブルには特異に冷徹に洗練されたアンサンブルを感じさせます。Moscow Soloistsは1986年創立、烏克蘭侵攻以降は海外での活躍は難しくなっていることでしょう。
Apollon Musageteは1928年初演、弦楽のみ。アルカイックに静謐、破壊的な不協和音も存在しない優雅、激昂や情感の高まりのないシンプルに落ち着いた音楽。艷やかにしっとり色気のあるサウンドが響きました。音質デリケートに極上。
Tableau 1 Prologue アポロの誕生(4:35)/Tableau 2 アポロのヴァリアシオン(2:23)/パ・ダクシオン(アポロと3人のミューズ)(4:02)/カリオペの踊り(1:41)/ポリヒムニアの踊り(1:08)/テルプシコールの踊り(1:51)/アポロのヴァリアシオン(2:42)/パ・ド・ドゥ(アポロとテルプシコール)(3:08)/コーダ(アポロとミューズの踊り)(3:21)/アポテオーズ(4:07)
バーゼル協奏曲は1947年現代音楽の擁護者Paul Sacher(1906-1999瑞西)により初演。新古典的というか、バロックの衣を付けた弦楽のための合奏協奏曲は硬派端正。馴染の三大バレエを思い出せば、ずいぶんとジミと云うか切り詰められ乾いたムダのないサウンド、微妙な変拍子がカッコよい作品です。
第1楽章「Vivace」(5:45)第2楽章「Arioso」(2:54)第3楽章「Rondo」(3:20)
Prokofievのオリジナルはピアノ小品集。もともとRudolf Barshai(1924-2010露西亜→以色列/もともとヴィオリスト)が弦楽作品にかなり編曲して録音も存在、未編曲分をRoman Balashov(この人もヴィオリスト/モスクワ・ソロイスツの中心メンバーとのこと)が編曲されたものだそう。おそらく管弦楽版全曲は初録音、そして唯一無二。デリケートにユーモラス、時に快活(Feroce-Inquieto辺り)儚い珠玉の旋律連続であり、緻密に静謐な演奏でした。
Lentamente(1:41)Andante(1:50)Allegretto(1:10)Animato(0:59)Molto giocoso(0.25)Con eleganza(0:39)Pittoresco(1:52)Commodo(1:48)Allegretto tranquillo(1:15)Ridicolosamente(1:02)Con vivacita(1:25)Assai moderato(1:26)Allegretto(0:52)Feroce(0.56)Inquieto(1:00)Dolente(2:46)Poetico, andantino(1:04)Con una dolce lentezza(0:45) Presto agitatissimo e molto accentuato(0:44)Lento irrealmente(3:02)
Bartok 舞踏組曲/二つの肖像/ルーマニア民俗舞曲〜エルネト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団/ローランド・フェニヴス(v)(1964年)・・・アンセルメにはちょっと珍しそうな?演目。これが強靭なリズムや強面野蛮に非ず、ヤワいひびきがなんとも味わい深く、Bartokに意外な魅力を醸し出しておりました。音質はかなり良好。
舞踏組曲は1923年初演、二管編成だけど8種の打楽器+ハープ、ピアノ、チェレスタ迄入って、泥臭い民族的旋律リズムが躍動する名曲。日本の村祭りみたい?ある種のユーモアさえ感じさせる名曲連続。例の腰の軽い響き、各パートは明晰に分離して低音も効果的、微妙にユルいリズム感、強面のBartokは硬派に非ず、いつになく味わい系演奏でした。
第1舞曲「Moderato」(3:44)第2舞曲「Allegro molto」(2:33)第3舞曲「Allegro vivace」(3:06)第4舞曲「Molto tranquillo」(3:33)第5舞曲「Comodo」(0:53)「終曲 Allegro」(4:08)
「二つの肖像」も二管編成、6種の打楽器+ハープ2台。第1曲「理想的なもの」のヴァイオリン・ソロはとても線が細い、Lorand Fenyves(1918-2004洪牙利→加奈陀)は当時のコンマスですかね、シェエラザードのソロも執っておりました。題名通りの高貴な音楽が高揚します。(10:24)第2曲「醜いもの」は躍動するリズム。アンセルメは野蛮を強調しておりません。(2:20)
「ルーマニア民俗舞曲」オリジナルはピアノ作品(2015年)「大改造!!劇的ビフォーアフター」の音楽ですよ。ここの管弦楽版には弦とフルート、オーボエ?、編曲はいろいろあるそう。フィールド・ワークから採譜した民謡からの再編らしく、これもなんとも哀愁ローカルに泥臭い、まったりとしたリズムとエネルギーを感じさせる名曲。
棒踊り(1:31)/帯踊り(ブラウル舞曲/0:26)/踏み踊り(0:56)/角笛の踊り(ブチュム舞曲/1:30)/ルーマニア風ポルカ(0:30)/速い踊り(マルンツェル舞曲)Allegro(0:15)Piu allegro(0:40)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
暖かい好天が続きます。連続して深夜に覚醒して二度寝できないのがツラいもの。ま、ヒマなので昼寝して補っておきましょう。体調は悪くない。微妙に風邪症状、洟水はやや続いているのでクスリを服用継続、おとなしく引き隠って快復に務めておりました。いつも通りストレッチもYouTubeエアロビクスもサボらず実施いたしました。昼前に女房殿洗濯もの大量に持参して帰宅、体調を整えに市立体育館へ出掛けました。本日これより二日間服用ガスピタン効果を願って昼からDr.Stratchへ一時間の本格的施術(?)経由爺友と安酒予定。できちゃった(授かり)婚した挙げ句あっという間に離婚したバカ息子が再婚したい、新しい彼女と先日対面したはず、その報告を愉しみに伺いましょう。今朝の体重は67.70kg+50g。
世情に疎い自分でも話は耳に届いて、9,000万不祥事もみ消し某大物人気芸能人は引退とのこと。これもある種の隠蔽、一般人にはもう事実確認はできない。自業自得だけど、つい昨日までの華やかな栄光は虚しく消えました。次はフジテレビ社長更迭?編成部長、アナウンス部長も責任は免れぬはず。別に目新しい情報も驚きもない、あらかじめ予想された流れでしょう。ジャニーズ問題が明るみに出ていたのに、漫然と番組を継続させたのは意識的な隠蔽そのものと感じます。
朝、スマートウォッチが振動してなんの知らせ?それはバッテリー残量が15%を切ったとのこと。続いて昨年末に入手した(なんちゃって)PHILIPS風激安人民中国製シェーバーにてヒゲを剃っていたら途中バッテリー切れ。もちろん4年目を迎えつつあるスマホは一日一回充電が必要。
そういえば日常愛用する周辺機器はいつのまにか乾電池からUSB充電に変わったなぁ、そんな感慨がありました。滅多に出番はなくなったけれどデジカメもそう。便利といえば便利かも。残りは各種リモコンくらい、ガステーブルも乾電池でしたっけ。
Bach 「音楽の捧げもの」BWV1079/カノン BWV.1072-78、1086/「ゴールドベルク・カノン」1087〜ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(v)/マルティン・ヨップ(v)/カール・カイザー(fl)/エッケハルト・ウェーバー(gamba)/ミヒャエル・ベーリンガー(cem/fp)((p)(c)1999)・・・フリードリヒ大王のテーマによるリチェルカーレやカノン、そしてトリオ・ソナタを含むほとんど究極の名曲。演奏順は確定しておらず、そして後年現代に至る迄数々の編曲が存在します。一番好きな作品は?そう問われると迷うけれど、この「トリオ・ソナタ」Largoが始まったら心臓はきゅーっと締め付けられるよう気持ち、Allegroのほの暗い躍動に胸はざわつきます。
Gottfried von der Goltz(1964-独逸)先頭に古楽器の名手たちは颯爽としたリズム感と、飾りの少ないストレートな表現と滋味深い音色に充たされて間然とするところがない 。音質極上。フルートはノン・ヴィヴラートの太い存在感、通奏低音鍵盤はフォルテ・ピアノ(三声のリチェルカーレとトリオ・ソナタ)とチェンバロを使い分けております。フィル・アップも配慮ある関連作品が続きました。カノン BWV.1072-78は主に弦のみの演奏+1075/1086はチェンバロのみ。1076はピチカート+チェンバロ。
Ricercar a 3(5:03)/Canon perpetuus super Thema Regium(1:07)/ Canon 1. a 2 cancrizans(0:43)/Canon 2. a 2 Violin: in unisono(1:05)/Canon 3. a 2 per Motum contrarium(0:43)/Canon 4. a 2 per Augmentationem, contrario Motu(1:52)/Canon 5. a 2 per Tonos(2:46)/ Fuga canonica in Epidiapente/ Ricercar a 6(6:38)/Quaerendo Invenietis: Canon a 2(1:06)/ Canon a 4(2:17)/ Sonata Sopr' Il Soggetto Reale a Traversa, Violin e Continuo: Largo(5:33)/Sonata Sopr' Il Soggetto Reale a Traversa, Violin e Continuo: Allegro(5:38)/ Sonata Sopr' Il Soggetto Reale a Traversa, Violin e Continuo: Andante(3:22)/Sonata Sopr' Il Soggetto Reale a Traversa, Violin e Continuo: Allegro(2:51)/Canon perpetuus(2:07)
Kanon zu acht Stimmen, BWV 1072(1:53)/Kanon zu vier Stimmen, BWV 1073(0:53)/Kanon zu vier Stimmen, BWV 1074(1:13)/Kanon zu zwei Stimmen, BWV 1075(0:20)/Kanon zu sechs Stimmen, BWV 1076(1:00)/Kanon zu vier Stimmen und Bass, BWV 1077(0:40)/Kanon zu seiben Stimmen und Basso ostinato, BWV 1078(1:38)/Kanon zu zwei Stimmen, BWV 1086(0:43)/14 Canons on the first eight fundamental notes of the aria from the Goldberg Variation, BWV 1087(0:20-0:18-0:19-0:14-0:18-0:19-0:42-0:41-0:20-0:42-0:41-0:33-0:46)
Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調(1972年)/Mendelssohn ヴァイオリン協奏曲ホ短調(1973年)〜ナタン・ミルシティン(v)/クラウディオ・アバド/ウィーン・フィル・・・なんという落ち着いて上品な音色、フレージング。露西亜の泥臭くも魅惑の旋律溢れるTchaikovskyはいつになく端正に響いて、逆にそのアクのなさ、スムースな流れが不満との声もあったようです。Nathan Milstein(1904ー1992烏克蘭→亜米利加)は技巧に優れてもその音色は渋く、表情もジミめ。アバドの伴奏もソロに寄り添ってハデなものに非ず。(17:04-6:15-6:04)哀愁のMendelssohnも美しいけれど艶消しの音色、生真面目に引き締まった表現でした。(11:30-7:48-6:31)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
女房殿はしばらく婆さん宅に泊まりの予定、昼に洗濯物を持ち込んだり、食材調達したり、夕食も必要ないので手抜きになりがちです。前夜途中覚醒して洟水継続中、微妙な風邪継続中に悪化はしておりません。朝はいつもどおりの洗濯、ストレッチ、YouTube脱力「スワイショウ」(こればっか)済ませて市立体育館へ。年明けずっと朝一番は空いていて、但しマッチョなバーベル連が増えておりました。いつも通りの筋トレ+エアロバイクは待ち時間が一切ないので順調に、あっという間に終わりました。
帰宅途中、ドラッグストアに寄ったのは明日に迫ったDr.Stretchお試し時に心配な頻発する盛大な「屁」対策。肉をあまり喰わぬせいか臭いはほぼ皆無、一時間ガマンできる自信はありません。節約生活中だけど「ガスピタン」(18錠/紅麹事件でミソを付けた小林製薬)入手、さて成果は速攻でしょうか。(ネット情報を探ると「服用後しばらくはおならが多くなることがあります」とのこと。大丈夫か?)今朝の体重は67.65kg▲400g、久々の67kg台、苦戦中です。
長野にて三人無差別死傷事件、三人被害。またまた、といった感じ。日本は最近どうも怪しい。イチローさん日米野球殿堂入り。極めた人は凄いですねぇ、自分にはもの凄く縁の薄い話題だけれど。
今更自分が云々することでもないけれど、フジテレビからCM大手がつぎつぎ撤退とのこと。単独提供企業は番組自体が消えているそう。テレビはほとんど見ないし、どのチャンネルがフジテレビなのかもわからない・・・けど、きっとACジャパンの差し替えCMがいっぱいあるのがそれなんでしょう。これから春の新番組に向けての制作本番、宣伝に入るのに経営的には大損失でしょうね。外資に買い取られるかも、円安だし。テレビ業界は先行き暗いなぁ、悪行はいつか必ず露見するということか、知らんけど。こんなヘンな悪しき昭和?っぽい「不適切にもほどがある」不快な体質はフジテレビだけじゃない、そんな声もあるそう。庶民の夢をぶち壊すような、虚像が顕(あらわ)になったような気持ちです。
Debussy 前奏曲集第1巻(1961年)/第2巻(1962年)/喜びの島(1960年)〜ヴェルナー・ハース(p)・・・Werner Haas(1931〜1976独逸)はギーゼキングの弟子なんだそう。これはLP時代以来久々の再聴と記憶します。音質はかなり自然に良好、こんな昔の録音とは知りませんでした。第1巻は濃厚濃密極まりないアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、第2巻だったら硬質なタッチに強い集中力と浪漫を感じさせるスヴィアトスラフ・リヒテルに印象深い感銘をいただいた記憶も鮮明でした。独墺系の話法とはまったく異なる世界、初演は1910-13年頃だからそろそろStravinskyとかSho"nberg辺りが出現する時代、これはアルカイックに静謐、自在に揺れて気紛れに夢見るような天才の旋律が続いて陶然とする名曲中の名曲。安定した技巧を前提に、ハースの表現は抑制が効いて力んだ激昂皆無、淡々とクールに旋律を囁いて曖昧さや情念みたいなもの、感情の起伏から遠く、呟くようにデリケートなタッチが続きました。
「デルフの舞姫」(3:23)「帆」(2:55)「野を渡る風」(2:01)「夕べの大気にただよう音と香り」(3:35)「アナカプリの丘」(2:55)「雪の上の足跡」(3:41)「西風の見たもの」*ここはかなり激しいタッチ(2:55)「亜麻色の髪の乙女」有名な甘い旋律(2:38)「さえぎられたセレナード」(2:12)「沈める寺」(6:46)「パックの踊り」(2:23)「ミンストレル」(2:08)
「霧」(2:45)「枯葉」(3:00)「ヴィーノの門」(2:57)「妖精たちはあでやかな踊り子」(2:44)「ヒースの荒野」(2:42)「奇人ラヴィーヌ将軍」(2:22)「月の光が降り注ぐテラス」(4:02)「水の精(オンディーヌ)」(2:44)「ピクウィック殿をたたえて」(2:13)「カノープ」(3:03)「交代する三度」(2:27)「花火」(3:48)
「喜びの島」は華やかに、素晴らしく流麗な技巧(5:14)
Stravinsky バレエ音楽「火の鳥」(1910年版)/バレエ音楽「カルタ遊び」〜エサ・ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団(1988年)・・・2015年来の再聴。Esa-Pekka Salonen(1958-芬蘭土)は現在サンフランシスコ交響楽団の音楽監督、これはのちに首席指揮者となるフィルハーモニア管弦楽団との緻密な記録でした。(在任2008-2021年)わずか30歳若手時代の記録。音質繊細に極上。夢見るようなメルヘンに美しい旋律横溢する「火の鳥」は1910年初演版。四管編成+打楽器は9種+チェレスタ+ピアノ+ハープ3台、更に7人の金管+鐘のバンダが必要な大掛かりなもの。細身に引き締まったサウンドは色彩豊かに繊細、リズムはスマートに重くならぬ粋な演奏でした。サロネンはこんな若い頃からキレのある演奏をしていたのですね。
導入部(2:59)カスチェイの魔法の庭園(1:40)イワンに追われた火の鳥の出現(2:14) 火の鳥の踊り(1:23)イワンに捕らえられた火の鳥(0:53)火の鳥の嘆願(6:02)魔法にかけられた13人の王女たちの出現(2:21)金のリンゴと戯れる王女たち(2:16)イワン王子の突然の出現(1:06)王女たちのロンド(4:51)夜明け(1:24)魔法のカリヨン、カスチェイの番兵の怪物たちの登場、イワンの捕獲(1:16)不死の魔王カスチェイの登場(1:09)カスチェイとイワンの対話(1:07) 王女たちのとりなし(1:10)火の鳥の出現(0:32)火の鳥の魔法にかかったカスチェイの手下たちの踊り(0:44)カスチェイ一党の凶悪な踊り(4:22)火の鳥の子守歌(2:44)カスチェイの目覚め(1:07)カスチェイの死、深い闇(1:19)カスチェイの城と魔法の消滅、石にされていた騎士たちの復活、大団円(3:07)
「Jeu de Cartes」は1937年初演。乾いて快活な旋律とリズムがとてもわかりやすい作品。二管編成+ティンパニ3+大太鼓という小さめの編成でした。各々の楽章始まりの(無遠慮な?)序奏(Introduction)がポーカーのカード配りを表しているのですね。ここが軽快にキレのよろしいサウンド、あとは爽やかに緻密。第1ラウンド(5:23)第2ラウンド(9:19)第3ラウンド(7:41)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
前夜、女房殿が婆さんのところに泊まりとは認識していなくて、耳鼻科から戻って遅れ馳せ夕食を簡単に仕上げて待っておりました。ま、処方されたクスリ服用して、風呂入って音楽聞いてYouTube眺めて・・・大人しく引き隠り中。フツウに眠って朝、体調は悪化しておりません。いつもの朝食メニューは同じ、洗濯済ませてストレッチ、そして連続YouTubeスワイショウ実施、身体には脱力が重要なんです。明後日Dr.Stretchお試し利用一時間予約したけれど、悩みは頻繁に放出する「屁」のこと、ムリしてこらえれば力を抜いて身を委ねることになりません。若い女性が担当だったらどうしよう・・・今朝の体重は68.05kg辛くも現状維持、高め安定中。
前日耳鼻科の帰りに野菜は仕入れてあるので(相変わらず激高)風邪症状もあるし買い物の必要はないけれど、自分用のシャンプーと入浴剤が切れ掛け、のど飴も買い忘れております。これから市立体育館の帰りに買ってこようかな?
台湾南部で大きな地震、国内では日産が数百人リストラとか。誹謗中傷に耐えかねて辞職した前兵庫県議員が自ら生命を断ったとか「逮捕されるのが怖くて自ら命を絶った」との誤情報拡散。県警トップが「そんな事実はない」と異例の会見もあって、日本人は空気とか流れに弱いから、亜米利加辺りに比べても影響されやすいのかも。ネット上のフェイク情報は時に生命も奪うのですね。他、若い母親が赤ちゃんを殺害する哀しい事件連続、日本はこの先どうなるのかな。初任給がぐっと上がるのはほんの一部の特権階級のみかも。
場末の引退爺(=ワシ)が云々呟いても無力やけど。
Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ハース版)〜朝比奈隆/大阪フィルハーモニー(1975年聖フローリアン大聖堂ライヴ)・・・2014年来の再聴。HDDお釈迦事件(2024年7月)に失った朝比奈隆の音源は、なぜかHDD一時蘇って無事レスキューできました。マスタリングも新たに2021年にCD/LP再発売されたらしいけれど、自分が所有する音源は(おそらく)昔のままでしょう。それでも残響7秒ライヴにはさほどに不満を感じない。著名な録音のためユーザーのレビューも多く、オモロいものでは
このCDに向かない人:
・オケの細かいミスが許せない人
・指揮者やオーケストラのブランドが気になる人
・決定版と言われているCD以外聴かない人
・・・なるほどねぇ。同じ1975年阿蘭陀ライヴは冒頭一発目のホルンからミスっているらしくて、それ故「評価最低」とのコメントもありました。「ブランド」「決定版」は逆の意味もありそうで、朝比奈隆(1908-2001日本)を神格化するほど称揚したり、彼の演奏を「決定版」とされる方も存在するでしょう。自分は細かいミスより、流れとかライヴならではの感興を重要と感じる方。しかも知名度の低いもの/世評の低いものを好んで求めるのは若い頃からの性癖でした。(朝比奈隆は昔からのほうが人気あったけれど)前回拝聴のコメントは
慌てず騒がず、当時68歳の朝比奈さんは気力体力充分、ひたすらその残響に身を委ねて作為のない、ムリのない表現、流れは作品の美しさを際立たせ、静謐な緊張感は最後まで途切れない・・・冷静に聴けば弦は薄いし、金管は引っ込み気味、しかもミスタッチばかり・・・
Bruckner交響曲中、ひときわ美しい旋律連続する名曲。10年経ってもその荘厳な感銘を新たに受け止めました。
第1楽章「Allegro moderato」どの楽章もイン・テンポが基調。始まりは遅めのテンポに、深い呼吸のような旋律は慈しむように悠々たる弦の始まりは朴訥誠実、颯爽とカッコ良くはない。けれど湧き上がるような旋律への敬意を感じさせて、管楽器は際立たず遠い。それも効果的と感じます。弦が薄いとか、金管は自信なさげとの指摘はできるかも知れないけれど、作品旋律の美しさはたっぷり引き出されていると受け取りました。(22:58)
第2楽章「Adagio: Sehr feierlich und sehr langsam」寄せては返す静かな波のような感動的に美しい、この作品の白眉。クライマックスに打楽器が入らぬハース版がすっかりお気に入りとなりました。「ブランドが気になる人」にとってはホルンやフルートの音色がベルリン・フィルの色気じゃない!かも知れないけれど、たっぷり誠実に感銘をいただきました。噂の鐘は収録されません。(25:38)
第3楽章「Scherzo: Sehr schnell」Brucknerのキモはスケルツォ。ここのテンポは中庸、リズムに力みなく質実、力強い推進力。トランペット、ホルンの音色も魅力的と感じるけどなぁ。トリオの優雅な風情も文句なしでしょう。弦も木管も誠実。(9:40)
第4楽章「Finale: Bewegt, doch nicht schnell」明るいフィナーレはさらりと開始して、やがてテンポは沈静化、鈍重さも力みも感じさせない。金管にはちょっと疲れが見られるようです。弦もちょっと薄い。それでもコーダに入る前の抑制部分は美しいと感じます。やがて噛み締めるようにテンポをちょっと落として、堂々たるフィナーレを迎えました。(15:24/やや間があって盛大なる拍手1分以上込)
Beethoven ピアノ協奏曲第3番ハ短調/第4番ト長調〜イェフィム・ブロンフマン(p)/デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(2004年)・・・4年ぶり拝聴には多くの発見がありました。旧来のBeeやん表現にありがちの重厚長大に非ずYefim Bronfman(1958-ウズベキスタン?→以色列)は落ち着いてデリケートに軽快なタッチ、ジンマンの伴奏は細身にクリアな響きにスッキリ爽やか。ソロと伴奏のバランスよろしく録音も自然な感じ。
ハ短調協奏曲は古典的二管編成+ティンパニ。
第1楽章「Allegro con brio」はMozartのハ短調協奏曲K. 491によく似ております。決然とした始まりは深刻な劇性を強調せぬ、抑制が感じられます。ティンパニの使い方が革新的なんだそう。(18:29)
第2楽章「Largo」決然とした歩みがいかにもBeeやんらしい、鎮静し落ち着いた絶品の緩徐楽章。(4:30)
第3楽章「Molto allegro」風雲急を告げる力強いトルコ風リズムに始まる魅惑のフィナーレ。ここのピアノにも叩きつけるような力み皆無、頬笑みを浮かべて流れるように親密に締めくくりました。(9:52)
ト長調協奏曲は意外にもフルート一本、トランペットとティンパニは第3楽章「Rondo Vivace」迄登場せず、第2楽章「Andante con moto」は弦のみの伴奏、Wikiによると当時未だピアノの音量は小さく、なんとかソロの旋律を工夫して、その存在感をオーケストラに負けぬよう工夫したBeeやんの労作とのこと。
第1楽章「Allegro moderato」いきなりの静かなピアノ・ソロの語り掛けより開始。オーケストラはそれに静かに答えて、激しいBeeやん!風イメージ一変な、穏健な安らぎに充ちた対話が続きました。ブロンフマンのピアノはそっとデリケートに抑制が効いております。カデンツァは作曲者のもの?自信はありません。(18:19)
第2楽章「Aandante cpn moto」弾むような弦はリズミカル、静かにピアノは沈静化しております。途中ピアノの動きはかなり自由自在。(4:30)
第3楽章「Rondo Vivace」抑えた音量にリズミカルに弦、そしてピアノが力みなく走り出して、やがて力強い疾走が始まりました。(9:52)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
トランプさん正式就任。さて、世界にどんな影響があるのでしょうか。好天に気温は10度C以上となり、比較的温かい日々が続いております。佐々木朗希はドジャース入り、身体の線が細いように感じるし、メンタルにはきっといろいろ課題がありそう。来シーズンの活躍を愉しみにして待ちましょう。引退爺である自分はいつも通りの生活、首から足先迄左側にちょっぴり違和感が続いて、きっと腰とか骨盤とかその辺りがやや不調と類推。YouTubeでよく見掛ける整体とかストレッチとか興味はあるけれど、ピンキリらしいのと経済的負担の心配もあります。数日後に梅田にて爺友との酒席があるので、その前にDr.Stretchのお試し予約してみました。半日ほど待って時間の確定メールが到着。ネットに情報を探ると、運動経験があって身体の仕組みをそれなりに知っている人、脱力できてトレーナーに身体を委ねられる人が向いているんだそう。さて、どうなることでしょう。
朝一番に洗濯してからストレッチ、そしてYouTubeエアロビクス短いのを消化して市立体育館へ、途中ちょっぴりゴミ拾いも変わらぬ生活。月曜朝一番のトレーニングルームは空いていて、順繰りゆる筋トレ+エアロバイク15分もいつも通り。夕方、ようやく予約の取れた耳鼻科診療、そしてお薬処方をいただきました。洟水がひどく、医師の診断は風邪をひいている、咽に軽い炎症があるとのこと。熱も不快感倦怠感もないけれど、本日は暖かくしてゆっくり身体を休めましょう。今朝の体重は68.05kg運動して、かなり歩いてもほぼ変わらない。
Stravinsky ピアノと管楽器のための協奏曲/エボニー協奏曲/管楽器のためのサンフォニー(1920年原典版)/管楽八重奏曲〜エド・デ・ワールト/オランダ管楽アンサンブル/テオ・ブラインス(p)/ゲオルグ・ピーターソン(cl)(1975年リリース)・・・既に引退したEdo de Waart(1941-阿蘭陀)が未だ若手だった頃の意欲的録音。Mozartの録音も新鮮でしたね。音質上々、メンバーはコンセルトヘボウ中心でしょうか、上手いものです。この辺りの乾いたユーモア、みたいな作品は大好き。
Theo Bruins(1929-1993)は阿蘭陀のピアニスト。ピアノと管楽器のための協奏曲は弦楽群れを欠く四管編成+ティンパニ+コントラバス。1924年初演、この時期特有のムダのない平易に乾いた旋律、ピアノは有機的に浮き立って暴力的な破壊的風情は見えません。 Largo - Allegro - Piu mosso - Maestoso (Largo con principo)(7:24)/Largo(6:46)/Allegro(5:07)
エボニー協奏曲は1945年初演されたジャズ・コンチェルト・グロッソ。ジャズバンド管楽器群に+ピアノ、ハープ、ギター、コントラバス、タムタム、シンバル、大太鼓が加わって小粋に賑やかな作品はお気に入り。George Pieterson (1942-2016阿蘭陀)は1975-2004年コンセルトヘボウ管弦楽団の首席。彼がクレジットされているけれど、クラリネットが突出して活躍するわけでもない。 「Allegro moderato」は5本のトランペットがノリノリのリズムを刻みます。(3:24)「Andante」ここはサキソフォーンの物憂い風情が活躍(2:23)「Moderato」に至ってクラリネットが前面、Wikiには中国風旋律?と書いてあるけれど、なんともジャズの風情が漂って、それはStravinsky風情にたっぷり味付けされて新鮮でした。(3:43)
管楽器のためのサンフォニーは1921年初演、大失敗だったとのこと。改訂版は1948年初演、ここでの収録はオリジナルだそう。三管編成の管楽器のみ、打楽器はありません。素っ頓狂な木管の高音、自在な各パートのアンサンブルの絡み、乾いた情感に荘厳な緊張感もあって現代では演奏会でもよく取り上げられようになりました。(9:06)
管楽八重奏曲の編成はフルート/クラリネット/ファゴット2/トランペット2/トロンボーン2、1923年初演。「Sinfonia: Lento - Allegro moderato」はちょっぴりユーモラスな風情に始まって、ノーテンキに元気な行進曲風に至ります。破壊的に前衛の欠片もなし。(4:05)「Tema con variazioni」神妙暗鬱な始まりから、「怒りの日」みたいな?旋律が繰り返されて、軽妙なリズムやテンポの変化が愉しめます。(7:52)「Finale」は平明な明るい淡々としたフィナーレ。(3:41)
Debussy 神秘劇「聖セバスチャンの殉教」(Inghelbrecht編オラトリオ版)〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団/シュザンヌ・ダンコ(s)/マリー=リーズ・ド・モンモラン(ms)/ナンシー・ウー(con)/トゥール・ド・ペイルス合唱団(1954年)・・・1911年に初演に失敗し、宗教的な反発もあり、オリジナルはあまりに長くて(5時間?)アンゲルブレシュトの短縮オラトリオ版含めて録音や演奏機会も少ない作品。これはさらに語りを抜いて、音楽部分のみ録音されたもの。四管編成+合唱+声楽ソロ+ティンパニ、チェレスタ、シンバル、大太鼓、タムタム+ハープ3台という大掛かりな作品。神秘的な旋律と自己陶酔に充ちたデリケートな声楽が延々と続く大曲でした。歌劇「ペレアスとメリサンド」もそうなんだけど、旋律のメリハリが少なく、静謐かつちょっぴり官能的な微妙な風情が続きます。大爆発やら絶叫皆無。もちろん言葉の壁はあって、仮にそれが理解できても宗教的なバックボーンがわからないから意味はありません。これはかなり鮮明なステレオ録音。金管の甘い響きと仏蘭西語の風情がなんとも妖しい感銘を受けました。
第1幕「ユリの庭 (La Cour de Lys)」まるでオルガンのようなオーケストラ響きに、木管の掛け合いが幻想的に美しい。スイス・ロマンド管弦楽団は腰のない頼りなさ気な響きに雰囲気たっぷり。女声ソロから始まる声明(しょうみょう)風詠唱もセクシーな仏蘭西語の響きでした。なんとも遣る瀬ない、曖昧な旋律連続も天才の産物でしょう。(15:19)
第2幕「魔法の部屋 (La Chambre Magique)」は静謐かつ低音蠢く不安にな管弦楽に始まりました。やがて明るくも儚い木管に乗ってソプラノが切々と歌う・・・(9:59)
第3幕「異教の神の宗教会議 (Le Concile des Faux Dieux)」は勇壮な管楽器+ティンパニのファンファーレより始まりました。キレのある響きじゃないけど、なんとも雰囲気たっぷり。あとはアルカイックな合唱が続いて、それは荘厳な会議の始まりのよう。管弦楽は呟くように絶望的に続いて、あとは重苦しい内容を連想させる合唱+ソプラノがその結末を伝えます。セバスティアンは処刑を言い渡される。(11:57)
第4幕「傷ついた月桂樹 (Le Laurier Blesse)」とっても不安なオーボエの旋律が始まって、遠いホルンが絡みます。なんとも不安定に寂しい弦が囁いて、合唱のやり取りも不安が増殖中。この辺り、なんとも華や起伏を感じられない旋律もDebussyの個性ですよ。縛り付けられたセバスティアン処刑されました。(8:08)
第5幕「天国 (Le Paradis)」不安な地響きのような管弦楽から、男声合唱開始。やがて女声合唱はまるで天上の安らぎのように歌って、明るく決然とした風情にオーケストラも参入して。セバスティアンの魂は天国へ、ハレルヤの歌に締め括り。(7:17)
入手した音源のフィル・アップはHonegger クリスマス・カンタータ〜エルネスト・アンセルメ/スイス・ロマンド管弦楽団/ピエール・モレ (br)/ローザンヌ青年合唱団/ローザンヌ放送合唱団/ヴィラモン大学小合唱団(1961年)・・・作曲者晩年1953年初演の作品。バリトン独唱、児童合唱(ユニゾン)混声合唱+二管編成+ハープ+オルガンの編成。Wikiによると完全な全合奏で響く部分は一度もないそう。初耳だったけど、凄い名曲!感銘を受けました。先のDebussyよりずっとわかりやすい、情感の高まりを感じさせます。
「暗黒の時代」オルガンの不協和音から低弦ピチカートに乗って、暗鬱だけどわかりやすい合唱旋律が粛々と歩みました。(10:05)「キリスト生誕」荘厳なバリトン・ソロがオルガンに乗せて歌います。続く合唱には控えめな喜びが溢れ、やがて「きよしこの夜」が流れるところは感動的。(6:03)「賛歌」はバリトンが朗々と歌い始め、淡い感動に包まれて合唱がそれを包みこんで、やがて金管を皮切りにリズミカルにテンポ変化、Bach カンタータ140番「目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ」のコラールがトランペットに歌われて、その歓喜はいや増すばかり。(7:18)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
俄独身な昨日日曜も快晴。朝早く起き出して生活リズムはいつもどおり、ヘルシー朝食、洗濯、ストレッチにYouTubeボクササイズは短かったので、「40代からの四股踏みトレーニング!たった3分で股関節の柔軟性を高めて下半身から引き締めるダイエット!お尻、脚やせ、動ける体、疲れない体」も加えました。あとは終日引き隠り+居眠り。外は暖かったらしいけど、わかりません。ここしばらく女房殿不在の夕食は手抜きの極み。前夜は日付管理の問題もあって麻婆豆腐を作って、前回女房殿には甜麺醤(?)中心の甘い「素」が不評、別なコクのあるものを入手済、玉ねぎを加えたのも大成功に美味しくいただいたけれど、喰ったのは自分のみ(午前中戻ってきた女房殿が残りを無事完食)。本日はこれからトレーニングルームへ通って、夕方ようやく予約の取れた耳鼻科に通いましょう。今朝の体重は68.1kg+250g、身体を動かしていないからね。
毎日拝見するブログに名言いただきました。
トシをとるほど、決断力が衰え、反比例して自尊心が肥大し、「頭を下げて年下の人々に頼み、仕事内容を伝え、自分が退く」という行為ができなくなる。身近にもそんな実例はいくつか経験して、さっさとお仕事引退した自分は賢明な判断だったのでしょう。もちろん年齢を重ねても謙虚な方はたくさんいらっしゃいます。
Stravisnky バレエ組曲「プルチネルラ」/バレエ音楽「妖精の口づけ」(ディヴェルティメント)〜アンドレ・ヴァンデルノート/フィルハーモニア管弦楽団(1961年)・・・Andre Vandernoot(1927-1991白耳義)は1960年前後EMIにMozartの交響曲や協奏曲伴奏に注目すべき録音を残して、やがて話題に上らなくなりました。これは30歳代勢いのある若手時代の記録。音質は上々、フィルハーモニア管弦楽団はヴィヴィッドなアンサンブルを聴かせてくださいました。
「プルチネルラ」は1920年初演、組曲版には声楽がなく、二管編成+弦楽+独奏弦五部という面白い編成。Domenico Gallo(1730ー1768伊太利亜)やGiovanni Battista Pergolesi(1710-1736伊太利亜)他、伊太利亜バロックの旋律からの換骨奪胎作品、擬バロック風情の楽しい作品はメリハリしっかり表現されました。Sinfonia-Serenata-Scherzino - Allegro - Andantino-Tarantella-Toccata-Gavotta con due variazioni-Vivo-Minuetto - Finale(21:12)
「妖精の口づけ」は1928年初演。三管編成+ティンパニ+バスドラム+ハープ。Tchaikovskyのピアノ小品から断片的な引用をして作品に仕上げているんだそう。これは1934年に組曲版として仕上げたもの。他、ヴァイオリンとピアノ版が存在します。なかなか官能的にセクシーな旋律連続ですよ。これもたっぷり雰囲気豊かでした。第1楽章「Sinfonia」第2楽章「Danses suisses」第3楽章「Scherzo」第4楽章「Pas de deux: Adagio-Variation-Coda」(26:28)
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜クラウス・テンシュテット/ロンドン・フィル(1978年)・・・昔散々聴いた馴染みの全集より久々の拝聴。オーケストラの響きの薄さやEMI録音への不満、云々条件乗り越えて(自分はさほどに気にならない)ひとつひとつのフレージングに悲痛な魂を込めた、劇的表現に胸を打たれました。
第1楽章「Trauemarsch. In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.(正確な速さで。厳粛に。葬列のように)」この葬送行進曲の神妙な足取り、粘着質リズムの重さの説得力。途中からの金管の絶叫、途方に暮れた力の抜き方、雄弁なタメの効果的なこと!(13:44)
第2楽章「Sturmisch bewegt. Mit grosster Vehemenz. (嵐のような荒々しい動きをもって。最大の激烈さをもって)」この荒々しさも微妙に懐疑的な粘性を感じさせて、その怪しさがいかにもMahlerらしい。表情は絶望的に暗い。しかしオーケストラの響きにはちょっぴり重厚さが足りないと感じます。(15:09)
第3楽章「Scherzo. Kraftig, nicht zu schnell.(力強く、速すぎずに)」冒頭のホルン・ソロから全編大活躍! 明るい風情のスケルツォ。金管楽器の掛け合いはクリアに明晰、パワーも充分なのにどこか微妙に冷めている情感有。(18:05)
第4楽章「Adagietto. Sehr langsam. (非常に遅く)」ここが一番人気、弦とハープによる官能の緩徐楽章。弦の集中力、入念な細部描き込みにエッチな風情はたっぷりでした。(11:55)
第5楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso(アレグロ・楽しげに)」穏健に優しい表現に始まるフィナーレ。オーケストラは良く鳴って金管も弦も爽やかクリアに美しいけれど、ノーテンキに溌溂とした風情に非ず、どこか一歩引いたバランス表現に響きます。全編通して、作品の本質を付いた怪しい完成度と捉えました。(16:17)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
女房殿不在、土曜の朝もいつも通り、と云うか異常に速く目覚めてしまって二度寝もできない睡眠不足。ヘルシー朝食にストレッチ+YouTubeスワイショウ(こればっか)実施、好天の寒空に市立体育館を目指しました。途中、大阪産業大学では共通テスト始まっておりました。大雪などの影響がないように祈って、これから一番寒い時期、風邪やインフルエンザ、コロナには充分気を付けて本番に臨んで欲しいもの。若者の健闘を心より祈る。トレーニングルームは空いていて順調に我流メニュー消化出来。帰宅したら女房殿が掃除しておりました。フロの残り湯使って洗濯しましたよ。入れ替わりに女房殿は市立体育館へ。そして婆さんの介護に向かいました。腰痛は骨に異常はない、ってヤブ医者の診立てだったみたい。別な医院では圧迫骨折との診断、入院はできないそう。
すっかり忘れていたけれど、10日ほど前お仕事引退ちょうど三年経ちました。有給休暇をまるまる全部消化して(正確には一日残)最終出勤としたので、それからのカウント、三年間みごとにな〜んもせず、無為無策に遊んで暮らしましたよ。時に通風の発作に苦しんだり風邪ひいたり、小さなことは色々あったけれど、無事ここ迄到達、日々意識して身体を鍛えてきた成果でしょう。昨年辺りから体重増というか、復活が気になって次回の健康診断はちょっと心配です。腸の調子と自己診断しております(屁が多い/まったく臭くないけど)。今朝の体重は67.85kg▲500g。
世の中の動きはようやくコロナの恐怖から解放されても、じっさいの罹患数やお亡くなりになる方は減っていない、むしろ増えて+そこにインフルエンザとか別途流行り病が加わりました。円安と物価高継続中、後者は世界的な動きらしい。露西亜の烏克蘭侵攻、以色列のガザ殲滅、ほかあちこち戦禍の火種は広がって、日本の治安も危ういと感じております。世界はよろしい方向に・・・なんて、とてもだけれどそうは思えない・・・場末市井の引退爺(=ワシ)は自らの無力を痛感しつつ、安閑と日々に変わらぬ生活は続きます。
Bach フーガの技法 BWV.1080〜クリストフ・シュリューエン/ザルツブルク・チェンバー・ソロイスツ(弦楽合奏版/2019年)・・・もう楽器指定もない大Bachのラスト作品。シンプル知的な短い旋律(音型)の変容変遷が淡々と3声/4声の絡み合いに表現され発展、それが芸術作品として聴手に感動を与える奇跡。Wikiによると出版された楽譜は30部ほどしか売れずやがて忘れられ、19世紀浪漫時代の著名な作曲家によって復興再認識がされたとのこと。ここでは色彩のない弦楽合奏版、チェンバロなども入っておりません。演奏スタイルは古楽器云々に非ず、一貫してイン・テンポ(なのはあたりまえ)モダーン楽器によるしっとりとした風情に粛々としたもの。Christoph Schlu"renの詳細情報はあまり良くわかりません。
ラストのコントラプンクトゥス XIVは未完のまま(突然の中断は初耳より異様に寂しい感動を呼ぶ)その後に楽譜出版時に一緒に入っていたコラール「われ汝の御座の前に進み出て」が収録され、これはオルガンのイメージがあるけれど、これはこれで妙に決まった締め括りを感じさせるもの。名残惜しく、敬虔に平明な落ち着きを感じさせる旋律でした。なぜそのあとにコントラプンクトゥス XIIが収録されるのか?その意味合いや演奏意図がしっかり理解できておりません。(拡大及び反行形によるカノンの初期稿とか。鏡像フーガとは楽譜逆から演奏しても可能なんだそう)そのあとに未完のコントラプンクトゥス XIVの補筆完成版や自在にインスパイアされた作品が収録され、それはおそらく学術的に大きな意味合いがあると想像しても、理解は追いつきません。
コントラプンクトゥス XIV/Hermann Pillney(1896-1980墺太利)完成版は遅いテンポ、しっとりじっくりと腰を落ち着けた重厚荘厳なもの。途切れる寸前のB-A-CーH旋律は自然に流れ、隔靴掻痒や喪失のショックから救ってくださるオーソドックスな結末。Schumannの「Mit sanften Stimmen」とは「優しい声で」の意。みごとに浪漫の清明かつ甘い哀しみが広がりました。
コントラプンクトゥス XIV/Donald Francis Tovey(1875-1940英国)完成版はPillney版より少人数?(自信はない)まったりとした歩みは同様、詳細楽譜のことはまったく理解していないド・シロウト耳には響きがクリアに感じて、高音域が多用され情感豊かに響きました。こちらのほうがまとまりは良い締め括り。Reinhard Schwarz-Schilling「練習曲」これは例のB-A-CーH旋律辺りが崩れて別物に、哀しい風情のみ引きずりました。コントラプンクトゥス XIV/Kalevi Aho(1949-芬蘭土)完成版。さすがにこの部分4回目の拝聴には根性が必要。有名な現代作曲家だからさぞや!との期待虚しく、オーソドックスな完成版に不協和音などは登場しないけれど、熱気や悲哀の高まりを感じさせる高揚がありました。
CD1/コントラプンクトゥス I 4声(3:54)/コントラプンクトゥス II 4声(4:18)/コントラプンクトゥス III 4声(5:38)/コントラプンクトゥス IV 4声(4:25)/コントラプンクトゥス V 4声(5:57)/コントラプンクトゥス VI フランス風のスタイルによる4声(2:37)/コントラプンクトゥス VII 拡大と縮小による4声(4:25)/コントラプンクトゥス VIII 3声(5:57)/コントラプンクトゥス IX 12度の転回対位法による4声(2:37)/コントラプンクトゥス X 10度の二重対位法による4声(4:25)/コントラプンクトゥス XI 4声(6:48)/コントラプンクトゥス XIV 3つの主題による4声のフーガ(未完成/12:58)/コラール「われ汝の御座の前に進み出て」(3:42)
CD2/コントラプンクトゥス XII 鏡像フーガ、正立4声(2:39)/コントラプンクトゥス XII 鏡像フーガ、倒立4声(2:31)/コントラプンクトゥス XIV 3つの主題による4声のフーガ(Hermann Pillney 1845年完成版/2019年改訂/19:41)/Schumann Bachの名による6つのフーガ 「Mit sanften Stimmen」ト短調 作品6の3(Dan Turcanu 編曲版/4:56)/コントラプンクトゥス XIV 3つの主題による4声のフーガ(Donald Francis Tovey 1931年完成版/17:52)/Reinhard Schwarz-Schilling(1904-1985独逸)B-A-C-Hによる練習曲 3声(1985年/3:55)/コントラプンクトゥス XIV 3つの主題による4声のフーガ(Kalevi Aho 2011/2012年完成版/18:08)
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ピエール・モントゥー/パリ交響楽団(1929年)・・・暴力的なカッコ良いリズムを誇る20世紀音楽の最高峰作品、初演後13年、驚異の太古録音は予想外に良好な音質。英Pearl復刻CDは相当のスクラッチノイズらしいとの情報があったけれど、自分が入手した音源はそんなことはない。(Disque Gramophone W1008-11より復刻とのこと)専門筋の方によるとほぼ初演版、作曲者は実演を経て次々と細かいところの改定を繰り返したそうで、これはあちこち違っている・・・らしいけど残念、こちらネコにコンバンハ状態のド・シロウト、概ね、だいたいアバウトに聴いているのでその辺りの違いはほぼ理解できていない。 Orchestre symphonique de Parisは1928年から1938年迄存在したオーケストラとのこと。さすが初演者の貫禄、この時期にして技術やリズムの破綻を感じさせぬ、しっかりとした演奏は資料的価値を凌駕していると感じました。(32:20)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
週末を迎えて、女房殿は婆さんの体調様子見に前日泊まって朝一番、洗濯物を抱えてご帰宅。通院付き添いのため、また出掛けてそのまま昼からこども食堂のボランティアへ。無為無策引き隠りな自分とは大違いの立派な社会貢献ですよ。前夜シャワーのみで済ませたのでフロの残り湯はないからバケツ汲み出し作業はなし、全自動洗濯はなんでもせんで楽勝、ベランダに干しただけ。ストレッチはいつもどおり、YouTubeエアロビクスはちょっぴり舶来別嬪さんのを試して(気に喰わず)中断、短いスワイショウ実施。それからウォーキング兼ねて激安美容院へ980円カット。久々北川景子似(マスク眼鏡越し)のお姉さんが担当、ところが・・・眼鏡と髪型が激変して残念、北川景子印象からかなり隔たってほとんど別人に・・・閑話休題(それはさておき)開店と同時に気持ちよろしく短くカットしていただきました。
夕方、LINEが届いて婆さん圧迫骨折の疑い。また、泊まるとの連絡有。今朝の体重は68.35kg+300g最悪。
某大物有名タレントの不祥事もみ消し事件から苦境に〜そんな話題にはまったく興味はありません。自分の縄張り外。もっと不適切な時代だった昭和からの悪しき黒風習はずっと隠されてきたんやろなぁ、そんな想像を巡らせております。(女子アナ上納とか身の毛もよだつ)ネットニュースは「水に落ちた犬を叩け」状態、別に養護するつもりもないけれど、多種多様沢山の関連記事が連続しているように見えて、試しに読んでみても、なんら新しい事実関係の発見や分析もなし、同じ内容を繰り返しているだけ。世間や海外、株主の反応やスポンサーの対応を眺めて、徐々に語気を強めて、これは時間のムダですよ・・・
このネタをメモして4-5日、一気に切り捨てモードなんだそう。ちょっと興味深かったのは、既に収録済番組に当事者分のみ巧妙にカットしてちゃんと番組に仕上げる超絶テクニック(見ていないけど)。作成現場は大混乱でしょう。いずれテレビ業界はかなり末期的な様相を呈していると痛感いたします。なにか別途大きな社会的危機や事件を覆い隠す、興味を逸らすような意図でもあるのか?そんなゲスなことも考えてしまうほど。でも、もうちょっとしたらそんな話題も忘れられますよ、きっと。使い捨ての時代ですから。
Stravinsky バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック(1969年)・・・2011年来の再聴。「春の祭典」3度、「火の鳥」は短い1919年版のみ録音、このPetrouchkaも比較的編成の小さな?三管編成の1947年版しか録音しておりません。音質はまずまず、遊園地の喧騒と活気をを感じさせる華やかな名曲は、それに相応しいヴィヴィッドに賑やかな演奏を愉しみました。しかし・・・
前にも書いているけれど、当時のニューヨーク・フィルはなんとも粗い。管楽器の技量は時に疑問を感じさせるし、アンサンブルは緻密さを欠いて時に響きは濁りがち。ま、音楽は嗜好品ですよ。こんな熱気とパワーを愛する方はたくさんいらっしゃるでしょう。自分はシャルル・デュトワの洗練されてクールに整ったStravinskyがお気に入りだけど、なにも残らない、まったくオモロない〜そんなコメントを伺ったこともありました。
第1部 謝肉祭の市「導入 - 群集」(5:15)「人形使いの見世物小屋」(2:05)「ロシアの踊り」(2:51)「第2部 ペトルーシュカの部屋」(4:24)第3部 ムーア人の部屋「ムーア人の部屋」(2:38)「バレリーナの踊り」(0:44)「ワルツ(バレリーナとムーア人の踊り)」(3:20)第4部 謝肉祭の市(夕景)(1:04)「乳母の踊り」(2:40)「熊を連れた農夫の踊り」(1:22)「行商人と二人のジプシー娘」(1:08)「馭者と馬丁たちの踊り」(2:07)「仮装した人々」(1:30)「格闘(ペトルーシュカとムーア人の喧嘩)」(0:45)「終景」「ペトルーシュカの死」(0:49)「警官と人形使い」(1:19)「ペトルーシュカの亡霊」(0:52)
Prokofiev 交響曲第3番ハ短調(1975年ライヴ)/Shostakovich 交響曲第9番 変ホ長調(1980年ライヴ)〜キリル・コンドラシン/コンセルトヘボウ管弦楽団・・・これはAmazonによると廃盤超希少的存在なんだそう。Kirill Kondrashin(1914-1981露西亜)は西側に亡命してこれから、という時期に寿命が尽きたのが残念、数多く出ていたライヴ音源も最近見掛けなくなりました。
Prokofievは歌劇「炎の天使」(1927年)の素材を流用した交響曲とのこと。初演は1929年ピエール・モントゥーによるもの。三管編成+8種の打楽器+ハープ2台というけっこうな大掛かりな編成に激しく硬派な作品でした。コンセルトヘボウのパワーと重量感が文句なし、発揮された凄いライヴでした。
第1楽章「Moderato」はヒステリックに悲痛な叫びから、不協和音中心の深刻かつ寂しげに、いかにも物語風旋律が続いて、やがて激しく賑やかに疾走します。(12:06)
第2楽章「Andante」静かに落ち着いて荘厳な緩徐楽章。ここも妙に腹に一物あるような怪しさが漂う。(6:27)
第3楽章「Allegro agitato」は弦楽4部を3部に分けて計13声部なんだとか。怪しい緊張感に包まれたスケルツォは、金管の絶叫にティンパニのド迫力。無機的な爆発と絶望的な優しさが交差して、切迫したトランペットも存在感が凄い。ものすごくカッコ良い楽章ですね。(7:37)
第4楽章「Andante mosso」絶望的に暗い、重苦しい足取りから始まるフィナーレ。やがてそれは怒りの大進撃となって破壊的に重苦しい。Prokofievの交響曲は終楽章がけっこう短く終わりますよね。(6:04/拍手込)
Shostakovichもフルート2本+ピッコロだから似たような三管編成。ティンパニ+7種の打楽器、一連の作品に比べずいぶんと小ぶり軽妙に感じます。シニカルな味わいはたっぷり、あちこち。初演は1945年エフゲニー・ムラヴィンスキー(彼の録音は残っていない)当時の政府関係者にはボロカスに叩かれたらしい。音楽の価値を権力が決めるなんて笑止千万でっせ。洗練された響きに、コンドラシンはあまり力みなく、さらりと仕上げておりました。
第1楽章「Allegro」ノーテンキな金管と忙しないピッコロの合いの手がなんとも、人を喰ったように軽快にステップする明るい?始まり。(5:21)
第2楽章「Moderato - Adagio」はクラリネットによる虚無的なソロが延々と続く静謐な緩徐楽章。それはフルートや弦の絶望的な歩みに続きました。(7:04)
第3楽章「Presro」は剽軽な細かい音型による木管、弦の疾走+思いっきり俗っぽいトランペット・ソロが勇壮!これはオモロいけどあっという間に終わって・・・(2:55)
第4楽章「Largo」大仰な金管のファンファーレ(+ファゴットの詠嘆)は実質上最終楽章への序奏(3:07)
第5楽章「Allegretto」そのファゴットが静かに怪しく継続しつつ、妙に心情風景の読めないユーモラス?暗い?旋律が徐々に姿を表して、モウレツなテンポ・アップ!無遠慮なオーケストラ総動員にいったん落ち着いて、再びの疾走からあっけなく全曲を締め括りました。(6:51/拍手込)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
そう云えば本日阪神大震災30年、世代は一回りしました。たしか6,000人以上亡くなったはず。自分は当時お隣大阪から幾度神戸に通ったものです(遠い目)当時小学生だった息子も、もうじき40歳。
前日名古屋にてがっつり呑んで帰宅したら、女房殿は婆さんの調子よろしくなく不在。ゆっくり、もう少しで契約解除されるNetflixのドラマを遅く迄眺めておりました。体調は悪くない。朝いつもどおりのストレッチ、YouTubeスワイショウ連続、そして寒いけど市立体育館目指して道中ゴミ拾いも寸分違わぬ生活リズム。ゆる筋トレ+エアロバイク15分も強度は最低のレベル1、ほぼ同時に開始したお隣さんはレベル10、汗水流してしっかり鍛えてました。自分は軽い有酸素運動+せいぜい膝を回す程度、別な運動です。それでもお隣の消費Calを確認すると自分の1.5倍ほど。さほどに変わりません。今朝の体重は68.05kg+300g戻って、そんなに喰ったか?
前日、在来線から新大阪に移動中、お隣のご老人のバッグから華麗なる着信音が・・・なかなか出る気配もなく周りからの強い視線を浴びてようやく通話開始。しばらく会話した挙げ句、いま電車だから掛け直す・・・そのマナーはあきまへんで。車中マスク率は30%ほど?東京行きの新幹線のぞみは空いていて自由席に余裕で座れました。インバウンドの姿も少ない、コンピューターを駆使するサラリーマンが目立ちます。家を出る前ちょろっと眺めたワイドショウに、新幹線での窃盗が増えているとの話題が心配でした。
名古屋に到着して、新幹線出口前の銀時計前に待ち合わせ。その辺りはさすがにインバウンド団体さんが多かったなぁ、亜細亜系の方はなんとなくわかりますよ、中国の方?韓国の若い女性はちょっと難しいな、化粧や髪型個性がやや雰囲気違うかも。んなこと云いつつ、太った泥臭い風情+日本ではあまり見ない髪型に、嗚呼中国のお父さんね、そう確信していたら合流した人々と笑顔でNative日本語の挨拶〜その人は日本人みたいでした。
Mahler 交響曲第3番ニ短調(2002年)/亡き子を偲ぶ歌(2001年)〜マイケル・ティルソン・トーマス/サンフランシスコ交響楽団/合唱団女性メンバー/パシフィック少年合唱団/サンフランシスコ少女合唱団/ミシェル・デ・ヤング(ms)・・・Michael Tilson Thomas(1944-亜米利加)は闘病中。自分にとっては永遠の若手指揮者なイメージも80歳を超えました。このオーケストラは歴代佳きシェフを揃えて、MTTは四半世紀に及んでサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を務めておりました。(在任1995-2020年)このMahler全集録音は大きな成果でしょう。デイヴィス・ホールの音響も優秀。これはロンドン交響楽団1987年以来の再録音。ウキウキするような旋律連続、自分にとって一番お気に入り作品も、そのギネス級長さ故に拝聴機会はあまり多くありません。ちょっと聴き始めるのに根性が必要だけど、音が鳴り始めればステキな旋律リズム連続、一気呵成に快い時間が過ごせる名曲。四管編成にティンパニ3台*2人+打楽器は他10種ほど、鐘は4乃至6必要+ハープ2台=長いし大きいし・・・演奏もタイヘンですよ。軽快に明るいキレのある金管が魅力的。
第1楽章「力強く、決然と (Kraftig. Entschieden.)」30分を超える長丁場も、わかりやすい旋律と沸き立つような感興の連続に飽きさせぬワクワク連続!冒頭ホルン8本によるわかりやすい、ぶちかまし旋律はBrahms 交響曲第1番ハ短調終楽章や「大学祝典序曲」にインスパイアされたものらしい。誰が云ったか?「メーデーの行進」とは言い得て妙、賑やかに大人数の行進は祝祭的風情に充ちて愉しげ、テンポもあまり動かさずクールに過不足のない力感に、洗練された響きが続きました。オーケストラのパワーも余裕。(36:16)
第2楽章「きわめて穏やかに (Tempo di Menuetto. Sehr masig. Ja nicht eilen!)」落ち着いて穏やかな楽章。多彩優雅な旋律とオーケストレーションは入念に描き込んでデリケート。テンポは揺れ動いてもそれは自己陶酔に非ず、クールな佇まいを崩さない。(10:10)
第3楽章「急がずに (Comodo. Scherzando. Ohne Hast.)」ここはハ短調にちょっと不安な始まり。スケルツォらしいユーモラスな木管のリズムと不安な気持ちが交互に出現します。一貫して音量は控えめにそっとしたした足取り、そして爽やかに決然とした金管の爆発もやってくる・・・中間部は牧歌的なポストホルンの遠い響きも魅惑(ここ大好き)。ホルンの静かな合奏も文句なし。(19:02)
第4楽章「きわめてゆるやかに、神秘的に 一貫してppp(ピアニッシシモ)で (Sehr langsam. Misterioso. Durchaus ppp.)」神秘的なホルンや牧歌的に静謐なオーボエに乗って、女声ソロが深い思索のように歌います。この楽章も魅惑のデリカシー。細部迄クリアな響き、こんなところにオーケストラの技量ははっきり出ると感じます。(10:26)
第5楽章「快活なテンポで、大胆な表出で (Lustig im Tempo und keck im Ausdruck.)」ここは天使の歌声、全曲の白眉と思います。ちょっとしっとり過ぎて、少年合唱の無垢さはちょっぴり足りぬ神妙さ。(4:25)
第6楽章「ゆるやかに、安らぎに満ちて、感情を込めて (Langsam. Ruhevoll. Empfunden.)」ここは人生を振り返って、万感胸に迫る長大なる変奏曲。自分の葬式に流して欲しい音楽候補No.1。極端に抑制した弱音を駆使してていねいに、慈しむように描き込んで基本姿勢はクール。一貫して熱狂的な入れ込みや情念の高ぶりは感じられぬ表現が続きました。金管のパワーと深み、弦の清涼な響き、サンフランシスコ交響楽団は一流の技量を証明しております。(26:32)
「亡き子を偲ぶ歌」はMichelle De Young(1968-亜米利加)はメトロポリタンを皮切りに全世界の一流オペラで活躍した人とのこと。現在はコロラド州ボルダー交響楽団の指揮者としてデビューしているらしい。歌曲には言葉の壁があるけれどMahlerは別格。こどもを失った哀しみ嘆きが静かに伝わるしっとりとした深みのある声。「いま晴れやかに陽が昇る」(6:14)「なぜそんなに暗い眼差しだったのか、今にしてよくわかる」(5:02)「きみのお母さんが戸口から入ってくるとき」(4:54)「いつも思う。子供たちはちょっと出かけただけなのだと」(3:19)「こんな嵐のときに」(7:17)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
ぐずぐずしている間に耳鼻科の予約を失念して前夜鼻詰まり痰の絡みに深夜覚醒、二度寝も叶わず睡眠不足のまま名古屋に出掛けました。その前に洗濯、ストレッチ、YouTubeスワイショウはいつもどおり、最寄りの駅迄2kmしっかりウォーキングいたしました。新大阪経由名古屋迄、あっという間、先輩が準備していた店は趣のあるところだろたけれど、寒くて寒くて・・・小一時間くらい呑んでけっこうな金額、次の寿司屋を目指しました。もうことしで50年の付き合いになる先輩三人(もう一人は体調不良に欠席/岐阜や奥三河からわざわざ集合)馬鹿話、思い出話、家庭の事情など忌憚のない話題に花が咲きました。奥様を21年も介護継続したり、交通事故で来週膝の靭帯修復手術を待っていたり、いろいろ事情を抱えております。夕方さっさと大阪に戻って、けっこう呑んだので最寄りの駅からタクシーで帰宅しました。こんな散財も元気なうちですよ。次回は大阪かな?今朝の体重は67.75kg▲300g。
【三菱UFJ貸金庫盗難事件】犯人の女性逮捕。投資失敗や博打に負けてサラ金に手を出していたそう。享楽の消費に非ず(元はそうだけど)借金の穴埋め自転車操業だったんですね。総額17億円?もう金銭感覚完全に麻痺して、いつか必ず発覚する犯罪に手を染めてしまったのか。目標の半分も前売り券が売れていない大阪万博〜そしてカジノですか?そんなバクチの街作って、仮に賑わっても仕方がないじゃん。社会とこどもの未来に佳き影響はないでしょう。(孟母三遷の教え)前居住地であった長久手は愛・地球博跡地にジブリ公園とやら、大成功しているみたい。あそこは高級車外車、坂と若い人、こどもが多い街でした。
カルフォルニア州の山火事は大きな被害(正直なところどうもリアルにぴん!と来ない)大谷翔平の家も燃えたとか。家が燃えても財産たっぷりの富裕層さておき、そこそこの生活にすべてを失った方の絶望はいかばかりでしょう。気になるのはトランプさんが「知事が無能だから」〜陰謀論ってなんでも有、言ったもん勝ち。前々回選挙で負けたら「票が盗まれた」と騒げばOK、挙げ句ほんまに大統領に返り咲いたから「有罪だけど処罰されず」、ほかの裁判も自らの恩赦連発なのでしょう。隣国の大混乱も含め、なんかとっても不安な世情が続きます。自分はノーテンキに旧友と酒なんか呑んでいるけど。
Beethoven 荘厳ミサ曲ニ長調 作品123〜オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/合唱団/エリザベート・ゼーダーシュトレーム(s)/マルガ・ヘフゲン(a)/ヴァルデマール・クメント(t)/マルッティ・タルヴェラ(b)(1965年)・・・声楽陣+二管編成+ティンパニ+オルガンの編成。Beeやんの宗教的作品だから当たり前に硬派・生真面目な声楽作品、だけど第九/第4楽章より好きですよ、こんな長丁場でも。作品との出会いはカール・ベーム/ベルリン・フィル(1955年)Benedictusに於ける高貴なヴァイオリン・ソロには一発に痺れた記憶もありました。音質はかなり良好。ヴァイオリンは対向配置。仰ぎ見るように巨魁、そして辛口に引き締まって、声楽陣も充実して最高の演奏。言葉はわからないけれど、宗教的儀礼の典礼文、敬虔な気分はしっかり受け止めてOtto Klemperer(1885ー1973独逸)の統率を堪能いたしました。
Kyrie(9:26)/Gloria(5:22-5:22-5:42)/Credo(4:17)/Credo: Et incarnatus es(5:17)/Credo: Et resurrexit(11:06)/Sanctus(5:30-10:19)/Agnus Dei: Agnus Dei(6:04)/Agnus Dei: Dona nobis pacem(9:10)
Beethoven 交響曲第5番ハ短調/第4番 変ロ長調〜ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィル(1982-83年)・・・一時話題となっていた日本でもお馴染みHerbert Kegel(1920-1990独逸)。ドレスデン・フィル首席在任は1977-1986年。セッション録音によるBeethoven交響曲全集は高品質オーディオになって印象一変した!とのこと。残念ながら自分の聴いたものは昔ながらの(おそらく)Capriccio音源、かつてのイメージ通りの地味なサウンド、各パートの分離や解像度はなかなかだけど高音の伸びが足りない。古典時代のエース級名曲2曲、基本は地味に洗練されぬサウンド、イン・テンポを基調に手堅い演奏でした。
例の「運命の動機」が印象的に硬派なハ短調交響曲は第1楽章「Allegro con brio」から手堅く、しっかりとリズムを刻んで不機嫌な始まり。提示部繰り返し有。(7:18)第2楽章「Andante con moto」各パートのバランスもよろしく、オーソドックスな歩みなんだけど、なんせオーケストラの響きがジミでした。(10:24)第3楽章「Allegro」ここの怪しい風情はなかなかエエ感じ。象のダンスは溌溂としたリズムに、相変わらずサウンドはクリアではない感じ。(4:59)第4楽章「Allegro」パワフルに精一杯の爆発も曇った響き。運命との戦いから勝利へ!みたいな熱狂に非ず、鳴らないオーケストラに感じるのは音質印象でしょうか。繰り返しはなし。(8:45)
カルロス・クライバー(1982年ライヴ)以来一躍人気作品に至った力強く明るい変ロ長調交響曲は第1楽章「Adagio - Allegro vivace」神妙な序奏から、主部への疾走はアクセントしっかり、パワフル重量級に根性入ったもの。前曲よりこちらのほうが残響豊かに音質はよろしい感じ。オーケストラの暗い響きは筋金入りでした。(11:57)第2楽章「Adagio」は着実な歩みとスウィングを感じさせる緩徐楽章。木管の色気のない音色はいかにもこのオーケストラらしい。(10:34)第3楽章「Allegro molto e vivace」ここも噛み締めるように、頑固なリズムを刻んで重量級。テンポは遅め。(6:16)第4楽章「Allegro ma non troppo」ここもテンポは遅め、明晰なフレージングは流麗に非ず、例の快速難所なファゴットも不器用に着実に乗り切りました。堂々たるスケールも響きは濁りがち・・・そんな印象なのは音質印象なのでしょうか。(7:04)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
これから新幹線に乗って名古屋へ。近いもんですよ。帰りは遅くなります。昨日も好天、いつもどおりの洗濯(かなり大量)ストレッチ、そして最近お気に入りのYouTubeスワイショウ実施してから市立体育館を目指しました。途中、コンビニ袋を拾ったので運動公園に散らばったゴミをしっかり回収、トレーニング・ルームは常連メンバーに空いていて、マッチョなバーベルチームは不在。ゆる筋トレ後、15分のエアロバイクの最中、思いついてスマホに「万代」のアプリを入れるべく四苦八苦、どれがほんまもんの「ダウンロード」なのかにわからぬ広告だらけ。帰り利用頻度の高いそのスーパーに寄ったら・・・ポイントは現金じゃないといただけぬそう。残念、いつも楽天PAYを使うので意味はなかったのですね。アプリは即削除しました。今朝の体重は68.05kg▲400g依然高水準。
前夜宮崎県で最大震度5弱を観測。長い揺れであったとのこと。こちらでは気付きませんでした。被害はどうだったのでしょう。体感、あちこち地震発生頻度は上がっていませんか?油断できませんよ。昨夜にも余震があったそう。
東京女子医大元理事長・岩本絹子容疑者(78)背任容疑で逮捕 「一強体制」きっかけは2014年の医療事故か・・・この報道。この大学病院の悪い噂はかなり以前から聴いていて、かつての日大みたいな状況だったのですね。こんな高齢で最近迄トップを続けるのが異様だし(取り巻きもいたのでしょう)金の亡者のみならず、日常運営のパワハラっぽい言動も相当だったらしくて、”女性版プーチン/まるで北朝鮮”?などという記事もありました。創業者一族の人、狭い象牙の塔内に独自の風潮文化が悪い方に熟成固定されたのですね。教育者として、医者としてあるまじき〜なんて紋切り型に言い切るほど内情詳細を知る材料もありません。この大学、病院の先行きがどうなるのか。現在入院、通院したり、学んでいる学生は?こうして日本の医療は劣化していく・・・他、就活生性的暴行のNEC社員逮捕の話題は不快。表に出ない被害はたくさんあるんじゃないの?日本の先行きはどうも怪しい。
Debussy 管弦楽のための映像/牧神の午後への前奏曲/交響的素描「海」〜レナード・バーンスタイン/聖チェチーリア音楽院管弦楽団(1989年ライヴ)・・・最晩年の珍しい顔合わせ。ちょっと肌理が粗いけれど自分の甘い評価では音質上々、オーケストラはかなり好調、色彩もあります。バーンスタインは細部入念な描き込み、想像通り雰囲気たっぷりに粘着質な重量級表現は決まって、ま、小粋にデリケートなお仏蘭西イメージとはずいぶん違うけれど、それは好き好き。
「管弦楽のための映像」は四管編成中心に多種多様な楽器が使用されておりました。ジーグ(Gigues/スコットランド)はやや神妙に重みを感じさせる始まり。(8:35)イベリア(Iberia)これは西班牙を題材に取ったもの。リズミカルにカスタネットも響く「街の道と田舎の道」は悠々たるスケール。バーンスタインの自在なコントロールには微妙に骨太なアクを感じます。(7:18)「夜の薫り」気怠くも夜の湿度を感じさせるところ、ここもかなり濃密な表現(8:49)「祭りの日の朝」湧き上がる晴れやかな情感とパワフルな熱気、のんびりとしてトランペットは雄弁、打楽器はリアルに浮き立ちます。賑やかに熱狂的なラストでした。(4:14)「春のロンド」(Rondes de printemps/仏蘭西)は自在にユーモラスな明るい風情。ここも表情豊かに骨太、賑やかでした。(8:15)
「牧神の午後」も雰囲気たっぷりに濃密、微妙に粘着質なのも作品風情に似合って官能的。(11:43)著名な「海」は三管編成の実質上交響曲。第1楽章「海上の夜明けから真昼まで」はたっぷり濃密に揺れ動く詠嘆表現にヴァイオリン・ソロもいつになくセクシー。(9:48)第2楽章「波の戯れ」はスケルツォ。儚いイメージの楽章だけど、ここもしっかりアクセントと重量を感じさせて、エネルギーに満ち溢れました。(7:30)第3楽章「風と海の対話」事件を予感させる深刻な始まりは巨大に雄弁。サウンドは充実してしっかりとした縁取り、淡い風情とは無縁でした。(9:16)
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ヘルマン・シェルヘン/フランス国立放送管弦楽団(1965年ライヴ)・・・第4楽章「Adagietto」が官能的に人気な作品、音質は鑑賞に差し支えないステレオ。快速、第3楽章ばっさりカットが有名な(通常より10分以上短い/あっと云う間に終わる)ほとんど常軌を逸した熱血演奏。これほどオモロい演奏にはなかなか出会えません。アンサンブルはナニだけどヴィヴィッド、ある意味最高の熱気爆発!個性的。
第1楽章「Trauemarsch. In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.(正確な速さで。厳粛に。葬列のように)」冒頭のトランペットから、なにをこんなに焦って急ぐのか、これだけ走れば汗みどろですよ。(10:43)
第2楽章「Sturmisch bewegt. Mit grosster Vehemenz. (嵐のような荒々しい動きをもって。最大の激烈さをもって)」叩きつけるようなヤケクソ風快速出足から、入念にテンポを落としてその対比も強烈に燃えるよう。そしてまた疾走に戻る・・・(13:21)
第3楽章「Scherzo. Kraftig, nicht zu schnell.(力強く、速すぎずに)」信じられますか、このタイミング。快速疾走+無慈悲な大幅なカット。なにかの間違いじゃないのか。バーンスタイン旧録音は17:44ですよ。(5:43)
第4楽章「Adagietto. Sehr langsam. (非常に遅く)」ここは特別に速いこともない、むしろ入念な揺れ動く表現はやや遅めのテンポにたっぷり歌って充分セクシー、シェルヘンはこの楽章が白眉と認識したのでしょう。(13:05)
第5楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso(アレグロ・楽しげに)」は、また元の快速に戻って、異様に追い詰められたような疾走と熱気にアンサンブルはがたがた、途中極端なテンポ・ダウンの対比も恐るべき表現意欲。(10:15/熱狂的な喝采とブーイング)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
明日、酔狂にも名古屋にて諸先輩と昼酒、昨年はバスを予約したけれど安易に新幹線にしましょう。きっとナントカ割引みたいのが手を尽くせばあるのかも知れんけど、そんな工夫努力尽力する意欲もありません。些少の節約云々のためにノーミソのエネルギーを費やすことに耐えられない・・・これは華麗なる加齢の証拠でしょう。そんな手間隙や工程を愉しめなくなりました。名古屋近郊に9年も住んだのに、呑み屋会場の場所がわからない。名古屋駅のミッドランド云々側に待ち合わせ、というのも理解不能。新幹線出口銀の時計お迎えをお願いしました。そろそろ耳鼻科の予約が必要、年末に行くはずだった歯の定期ケアも口中洗浄液が効果好調なので先延ばし、油断は禁物です。朝一番いつもの洗濯、そしてストレッチ+YouTubeエアロビクスはシンプルなもの15分ほど「正月太り解消」実施。あとは引き隠り、食材は前日仕入れておりました。サラダ用野菜のみ体育館に出掛ける女房殿にお願い。今朝の体重は68.45kg+100g減る気配もない最悪事態。
「伊豆半島の南部で唯一分娩を取り扱う静岡県下田市の臼井医院は2025年1月に出産を予定している妊婦をもって対応を終了する」との記事。20年の間に八割分娩取り扱いが減ってしまったとのこと。これはリアルな世情反映ですね。この地域はもう若い御夫婦は転入できない。現在妊娠していたり、これから予定されている人たちはちょっと遠い医院へ出掛けたり、転居を余儀なくされるでしょう。やれ村興し町興しって、これは根幹に関わる重大問題。だからといって自分もなんの妙案も浮かばず、暗鬱たる気持ちに至りました。行政も後手後手に回ったのか。
こんな事例はおそらく全国各地にあって、頼みの産婆さんはもう消えたのでしょう。若い人はそんな言葉も存在も知らぬかも。
Mussorgsky 歌劇「ホヴァンシチーナ」序曲/Tchaikovsky ヴァイオリン協奏曲ニ長調/Dvora'k 交響曲第7番ニ短調〜カルロ・マリア・ジュリーニ/鄭 京和(v)/ベルリン・フィル(1973年ライヴ)・・・これは放送音源らしい。やや曇ってまずまずの音質。この時期のベルリン・フィルには名人がゴロゴロ揃っておりました。Carlo Maria Giulini(1914-2005伊太利亜)も未だ50歳代、ウィーン交響楽団の首席を務めていた頃の記録。隅から隅まで堂々たるまったりとして彼の余裕の表現が堪能できる記録。抑制と静かな落ち着きを感じさせる「ホヴァンシチーナ」序曲(6:28拍手有)。TchaikovskyはKyung-Wha Chung(1948-韓国)当時新進気鋭、彼女も70歳超えたんやなぁ(感慨無量)これは未だ25歳の若手時代の記録。音色に派手さはないけれど第1楽章「 Allegro moderato」から馴染みの露西亜風クサイ旋律はたっぷり細部入念に泥臭さ皆無に情熱的かつ表情豊かに爽やかな歌、なんせジュリーニの腰を据えた伴奏が立派!けっして前のめりにならない(19:41)第2楽章「Canzonetta: Andante」は落ち着いて切々たる節回し(7:29)第3楽章「Finale: Allegro vivacissimo」重心の低いオーケストラは魅惑のサウンドは情熱的な若さに疾走するヴァイオリンを余裕に包み込みました。(10:27/盛大なる喝采有)
第8番第9番に比べ人気イマイチなDvora'kも民族的旋律たっぷりに魅惑の作品。ジュリーニの大きな表現に作品そのものを見直しました。
第1楽章「Allegro ma non troppo」暗い激情を感じさせる始まりは、たっぷり重量感と厚みのあるサウンドに滔々と歌ってスケールが大きい。ベルリン・フィルのセクシーなサウンドに乗って、いつになく情熱を感じさせるテンポ・アップもある入念表現。これはもうほとんどBrahmsの世界ですよ。(12:03)
第2楽章「Poco adagio」爽やかに歌う懐かしい緩徐楽章も、まったり朗々切々と歌って粛々。途中のホルン+それに絡み合う木管も夢見るように美しく、そして劇的な詠嘆はとてつもなく大きい。(10:50)
第3楽章「Scherzo: Vivace」ここはDvora’k魅惑の泣ける6/4拍子。こんな楚々と美しいスケルツォを書けるのは彼だけでしょう。いつになく重量級のサウンドに、決然たるリズムのキレは驚くべきもの。(8:09)
第4楽章「Finale: Allegro」嘆きの呻きから始まる劇的フィナーレの始まり。堂々たる表現は盤石に重心低く、ひたすら高揚する気品のある優雅な表現に打ちのめされました。ラスト圧巻のアッチェレランドとタメもみごとに決まりました。(9:52/熱狂的な拍手有)
Shostakovish 交響曲第1番ヘ短調〜マキシム・ショスタコーヴィチ/プラハ交響楽団(1992年)・・・Maxim Shostakovich(1938-露西亜→亜米利加)の演奏は昨年2024年末に聴いてかなりガッカリ
若き日、栴檀は双葉より芳しい交響曲第1番ヘ短調はステキな才気知った走った作品だけれど、そんな風から遠いぱっとしない感じの演奏。
そんなかなり手抜きコメントを反省して再聴いたしました。
ぱっとしない、と云うのは言い過ぎ、剽軽にユーモラスな第1楽章「Allegretto」出足まずまず(8:22)静謐から一転激しいリズムも刻む第2楽章「Allegro」はスケルツォですか?ここもさほどに悪くはないノリノリ。(4:40)第3楽章「Lento」怪しい、重い足取りの緩徐楽章はほんのちょっぴりユルい感じ(9:37)小太鼓が切迫して第4楽章「Allegro molto」へ。幻想的な弦の歌から、風雲急を告げるクラリネット、ピアノ、アンサンブルやリズムはちょっと乱れます。(10:04)でも、けっこうパワフルだし、まずまずなんじゃないの?
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
本日にて連休終了な成人の日。毎朝寒いですねぇ。ま、北海道出身の自分としては屁みたいな気温だけれど、冬の厳しさを知っているから二度と寒いところには住みたくありません。夜ちょっと降ったのかな?市立体育館に出発するときには地面が濡れておりました。いつものセルフ・ストレッチ+最近連続なYouTubeスワイショウを済ませて、いつものユル筋トレ+エアロバイク15分消化、日曜のトレーニングルームは空いておりました。。帰り水筒の栓が緩んでオシリびしょ濡れ二度目。なんとかガマンして帰り、スーパーに食材買物に寄りました。野菜は超絶高いっすねぇ、どうしても購入控えめになりがち。しっかり鍛えて帰宅後、昼飯を喰い過ぎました。最悪の68.35kg+400g。
毎日拝見するWebLog(簡易ホームページ)は10個ほど、そのうちほぼ毎日更新されているのは半分ほど。大きな病を得て入院や手術されている方もいらっしゃるので、気になって必ず眺めるようにしております。もしかして更新頻度を自分でコントロールされているのかも。我が「音楽日誌」を毎日更新するのは、一度サボってしまうと自分の性格上そのままグズグズと崩れてしまうから、特別な意味はありません。感心するのは、数日更新されていない方の再開記録を確認すると、お休みしている間全力で遊んでいるのですね。優先順位が遊びにあって、ブログ更新に非ず、これは立派な矜持だと思います。できれば自分をそんなふうに全力で人生をエンジョイしたいと思います。
Saint-Sa”ens 交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」/交響詩「オンファールの糸車」/交響詩「死の舞踏」〜ジャン・マルティノン/フランス国立放送管弦楽団/マリー=クレール・アラン(or)(1970年)・・・廉価盤LP/CDが懐かしい旧録音。1975年のEMI再録音の陰に隠れて、しかもCDは第2部に2小節分の編集ミス欠損が存在するのだそう。これはLP復刻音源なのでその辺りは大丈夫と思われます(・・・自信ないけど)。当時昔拝聴のの記憶は消えて、自分が入手した音源のせいかも知れないけれど、殺伐として散漫な音質、やがてオルガンの響きに負けない金管の迫力!みたいな演奏がその後数多く出現、こちら腰の軽いサウンドに低音も弱い。小粋な雰囲気、会場の奥行き感もあるけれど、妙に芯のない乾いたサウンドなのは音質のせいか、オーケストラの個性なのか。1886年初演は大成功。古典的風情にかっちりと堂々たる名曲は三管編成+ティンパニ3+打楽器2+ピアノにオルガンという大編成。
第1楽章第1部「Adagio - Allegro moderato」は神妙に怪しい緊張感(10:00)第2部「Poco adagio」は陶酔深遠な緩徐楽章(9:57)第2楽章第1部「Allegro moderato - Presto - Allegro moderato - Presto - Allegro moderato」は風雲急を告げる緊迫感が続き(7:33)第2部「Maestoso - Allegro - Piu allegro - Molto allegro - Pesante」オルガンの「ド・ミ・ソ」和音が圧巻の威力にダメ押し、バロック風情から圧巻のフィナーレに盛り上がる(7:47)傑作交響曲は流れよろしく勢いもあって、一気呵成に聴かせる演奏。音質云々乗り越えて好きな演奏、オルガンも名人でした。交響詩も雰囲気たっぷり、とくに「死の舞踏」のアツい疾走には感心いたしました。(7:38/6:51)
Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調(ノヴァーク版)〜アイヴァー・ボルトン/ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦楽団(2008年ライヴ)・・・以前にも聴いて爽やかですっきりと見通しのよろしい演奏だけど、オーケストラのサウンドにどうも色気とパワーが足りないように感じておりました。音楽は嗜好品だから好き嫌いも人それぞれ、これぞ真のBruckner! 楽譜の強弱指定に忠実な理想の演奏、返す刀で朝比奈隆の記録をボロカスに切って捨てるコメントをネットに拝見したけれど、贔屓の引き倒しはあかんでしょう。但し、彼の全集はどれもデザインがショボいというのは意見が一致いたしました。二管編成+ティンパニ、シンバルは1888年改訂版に追加されここでは存在しません(しかも三管編成に)。やはり結論的に同じ印象、飾りは少ないバランスに、力みない素直な爽やかサウンド、劇的な金管の押し出しパワーとか厚み、メリハリとか陰影、特異な個性や色に不足して(冒頭のホルンの音色など)ちょっとおとなし目の演奏かなと感じました。すべての交響曲中、ひときわ明るくわかりやすい作品風情を味わうには充分な演奏かと。こんな素直に流れのよろしい表現を求める方もいらっしゃると思います。音質は自然に良質なもの。
第1楽章「Bewegt, nicht zu schnell」(19:54)/第2楽章「Andante quasi Allegretto」(15:23)/第3楽章「Scherzo. Bewegt - Trio. Nicht zu schnell, Keinesfells schleppend」(10:15)/第4楽章「Finale:Bewegt, nicht zu schnell」(21:33)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
今朝も寒いですね。微妙に頭痛など有。週末連休を迎えて、女房殿も婆さんのところに泊まりから通い介護に変わって、久々朝いっしょにYouTubeエアロビクスを実施しました。そして市立体育館へ出掛けて(激混みとの報告)自分は引き隠り(また菓子を喫してしまった)野菜が足りていないんやけど、在庫で料理をなんとかひねり出しました。前夜TVerにて新春スペシャルドラマ「朝顔」拝見。人生の終りが近いじいじ(時任三郎)は回想にしか登場せず、つぐみちゃんはすっかり大きくなって、妹もできました。犯罪も事件もあるんやけど、善人ばかり登場して正月らしい心安らぐ名作でした。ちなみに散々ドラマ見倒したNetflixは一ヶ月にて解約しました。連ドラが連続再生! 病みつきになって生活リズム破綻し掛けていたので。今朝の体重は67.95kg▲100g高め安定中。
この間、トランプさん圧勝とか兵庫県知事再当選など、マスコミ事前の報道とはかなり異なった結果が出ることが続きました。世捨て人引退身分な自分が最近心配しているのは烏克蘭のこと。できれば理不尽な露西亜の侵攻を耐え抜いて勝利して欲しいという気持ちは変わりません。露西亜軍の苦戦が幾度繰り返し報道され、派兵された北朝鮮兵士全滅! みたいな話題があるけれど、戦争はリアルに続いております。露西亜は資源国であり体力があるし、人口も多いから粘り強く攻撃は継続して、烏克蘭にも脱走兵は多いらしい。ゼレンスキーさんの支持率も下がり気味、政府内に腐敗も有、女性やこどもが多く国外に避難して、人口減は顕著とのこと。インフラも多く破壊され、日常生活も苦しいことでしょう。支援する欧州でも「支援疲れ」から政変が相次いだり、トドメはトランプさん登場でしょう。自分も含めて油断すると「自分が信じたい情報しか見ない」ことになりがち、しかし現実はリアルですよ。結末は安易に予想できない。さて、どうなることでしょう。不安です。
R.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜ゲンナジ・ロジェストヴェンスキー/ソヴィエット国立交響楽団(1969年モスクワ音楽院大ホール・ライヴ)・・・これはちょっとネット情報を探ってもなかなか出現しない、ちょっと珍しい音源かも。おそらくLP復刻音源。Gennady Rozhdestvensky(1931ー2018露西亜)38歳の記録。オーケストラは(通称)モスクワ放送交響楽団という情報?も一部存在します。四管編成にティンパニ先頭に打楽器6種+ハープ2台という大編成。例の強烈な金管パワーににマイクが耐えきれずちょっと音が割れるけれど、概ね良好な音質にやかましいほど暴力的な演奏。期待通りのパワフルな押し出し、輝かしく表情豊かに大仰な詠嘆が堪能できる記録でした。Des Helden Walstatt (英雄の戦場)辺りの大爆発は強烈なド迫力。Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)へ向かう静かな対比も効果的。忘れ去られるにはもったいない記録でした。
Der Held (英雄)Des Helden Widersacher (英雄の敵)Des Helden Gefahrtin (英雄の伴侶)Des Helden Walstatt (英雄の戦場)/Des Helden Friedenswerke (英雄の業績)/Des Helden Weltflucht und Vollendung der Wissenschaft (英雄の隠遁と完成)合計41:05拍手有。
ussorgsky/Rimsky-Korsakov 編 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」第1幕第2場「戴冠式の場」/第2幕「最高の権力を手にして」/終結部「時計の場」/第4幕「ボリスの死」(ジョージ・ロンドン(b:ボリス)/ハワード・フリード(t:シェイスキー)/ミルドレッド・アレン(ms:フョードル)/スタンリー・コルク(t:フルショーフ)/トーマス・シッパーズ/コロムビア交響楽団/合唱団(1961年ニューヨーク録音)/Mussorgsky/Ravel 編 組曲「展覧会の絵」(ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団/1966年)・・・2015年来の再聴。George London(1920-1985亜米利加)この人は残念、47歳で発声障害を発症してキャリアを断念したんだそう。ショルティのリングに於けるヴォータンとか忘れられないなぁ。ここでのボリスも当たり役、圧巻の重量級神々しい存在感にThomas Schippers(1930ー1977亜米利加)のオーケストラ(東海岸録音用)も合唱も抜群に上手い。抜粋は残念だけど、エキゾチックな旋律サウンド、リアルなオペラの臨場感を堪能できて、音質も極上。
Prologue, Scene 2- Prince Shuiski- Long live Tsar(1:53)Even as glory to the radiant sun(2:49)My soul is torn with anguish(3:17)Glory(1:28)Boris' Monologue from Act II- I have attained(6:01)Dialogue and Hallucination Scene from Act II- What(1:02)Mighty lord(5:53)It is not death that is hard to bear(1:45)God, how stifling it's become(3:45)Bori's Farewell to his Son and Death of Boris from(6:34)Listen_ It's ringing- The funeral bell is ringing(4:11)
Eugen Ormandy(1899-1985洪牙利→亜米利加)の「展覧会の絵」はこれが3度目?1973年録音もあるけれど、音質やテンション含めてこれが最高の完成度でしょう。淡々とした中庸のイン・テンポを基調に語り口の上手さ、フィラデルフィア管弦楽団は圧倒的に華やか、輝かしい響きに充たされて、力みのない緊張感継続。パワフルだけど余裕と自信を感じさせてアンサンブルも音質も極上でした。たっぷり瑞々しい弦、管楽器の微細なニュアンス連続に名人の集まりを実感、打楽器はデフォルメしたように突出せず、トランペットはGilbert Johnson(1927-2002亜米利加)ですか?艶のある音色はフィラデルフィアの象徴のような感じ。ラスト「キーウの大門」の打楽器はズレていない楽譜採用。
Promenade(1:33)Gnomus(2:37)Promenade(0:55)Il vecchio castello(4:32)Promenade(0:31)Tuileries(1:01)Bydlo(2:16)Promenade(0:42)Ballet des petits poussins dans leurs coques(1:14)Samuel Goldenburg and Schmuyle(2:21)Limoges- le marche(1:26)Catacombae(1:41)Cum mortuis in lingua morta(1:43)Hoy of Baba Yaga(3:44)La grande porte de Kiev(4:52)
ついでにMussorgsky/Ravel 編 組曲「展覧会の絵」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1953年)も拝聴・・・LP復刻音質はやや心許ないけれど、まずまずの解像度。オーケストラの上手さは変わらぬけれど、さきにぴかぴかの1966年録音を聴いてしまったし、ま、これは資料的な存在でしょう。(30:31)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
全国的に冷えて大雪、交通にもあちこち影響が出ているそう。本日よりまた連休らしいけど、厳しい寒さは続きそうです。こちらは佳き天気が続いて、なんせ引退身分なのでいつもの生活になんの変化もありません。朝一番に洗濯(けっこう大量)ストレッチ+ここ最近お気に入りのYouTube「スワイショウ」済ませて、市立体育館を目指しました。途中しっかりゴミ拾いの功徳を積んで、トレーニングルームは常連メンバー少数+中年男女各々一人ずつ新顔登場。女性はマシンの使い方に戸惑って、ガタイのよろしい中年男性はバンダナを巻いてスマホケースにはベンツのロゴ。この方のマシンの扱いが乱暴粗雑、マルチプレスの座席調整やらバーの高さ調整を蹴飛ばしたりやたらとうるさい! マシンの使用音が喧しいのは初心者の証拠ですよ。幸い使用時間は短くて、自分は無音に高さ調整して、いつもどおりのゆる筋トレ+エアロバイク15分完了。体調を整えました。帰りスーパーには寄らず。要らぬ菓子など買ってしまいそうなので。
昼前に女房殿ごっそり洗濯物持参してご帰還。久々あちこち掃除をしてくれて、前日自分が調理したものと洗濯済のものを持参して婆さんのところに戻りました。介護+粗食連続になにか美味いもんを喰いたいとの要望、最寄りの駅に待ち合わせて、いつもの梅田駅前ビル地下ダンジョンを目指したものです。時間が早かったせいか、空いてましたよ。焼き鳥中心にビールとちょっぴり熱燗など、しっかり往復マスク装着したのは流行りのインフルエンザ対策。女房殿はようやく久々自宅に休めました。自分は体重増止まらずとうとう68.05kg+150g(涙)
「【三菱UFJ貸金庫盗難事件】まだ逮捕されていない犯人の女性行員、どこにいて、銀行は何をしているのか」そんな記事拝見。貸金庫に預けるような資産財産とはまったく無縁なので、ちょっとぴん! とこない事件だけど、銀行や顧客から被害届が出されていない段階で警察は動きようがないらしい。銀行内部で座敷牢みたいなところに幽閉され、時間を掛けて実態の調査を進めているのだそう。自殺の可能性もあって、しっかり監視付きチームを組んでいるのでしょうね。全貌が明らかになったところで正式に被害届が出され、逮捕の流れらしい。いつかは発覚する犯罪、彼女は毎日薄氷を踏むように思い悩んでいたのでしょうか。いくら大金を入手して、いろいろ使ってもそれがシアワセとは思えない。やがてその経緯や真実が明らかになるのを待ちましょう。
こちらスケールがぐっと小さい市井の引退身分、自分で稼いだカネしか身につかない、そんな経験則と云うか、親からの教育でした。シアワセは身の丈に似合った些細な日常の中にある・・・
Wagner 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲/歌劇「さまよえるオランダ人」序曲/ジークフリート牧歌/歌劇「ローエングリン」より第1幕への前奏曲/第3幕への前奏曲〜ジュゼッペ・シノーポリ/ニューヨーク・フィル(1985年)・・・Giuseppe Sinopoli(1946-2001伊太利亜)そのうねうねとした歌と緻密な表現が大好き、残念な寿命だったけれどニューヨーク・フィルとは管弦楽効果の映える録音をいくつか(たしかCD5枚分)残してくださいました。いつのまにかこの録音も40年前、大編成による豊かな響き、しっとり歌ってデリケートな「ジークフリート牧歌」は揺れ動いて感動的、弦を先頭にみごとなアンサンブルでした。(19:33)。しかし・・・期待のワクワクするように巨大な「マイスタージンガー」は嚠喨たるホルンの雄弁は期待通りでも、金管全体としてどうも響きは明るく刺激的に奥行きが足らず、弦にも深み渋み、洗練が足りない。(ように感じるのは録音のせい?)(10:52)劇的な「オランダ人」も似たような手応え。(11:32)「ローエングリン」第1幕への前奏曲は弦の弱音に清涼な緊張感があり、粛々と情感が高まって最高。元気よろしい第3幕への前奏曲は、弦の高音の刺激が気になるけれど、金管の押し出しは圧巻!(10:02/3:21)いくつかリスナーのコメントをネットに探っても、そんな音質サウンド評価は見当たらないので、自分のオーディオ環境やらカンチガイ耳の可能性も高い。
Bartok 管弦楽のための協奏曲〜レオポルド・ストコフスキー/ヒューストン交響楽団(1960年)・・・音質は21世紀に現役水準、財政豊かだった当時のヒューストン交響楽団の優秀さを証明した記録。当時、このオーケストラはフェレンツ・フリッチャイ(1954-1954)/トーマス・ビーチャム(1954-1955)/レオポルド・ストコフスキー(1955-1961)/ジョン・バルビローリ(1961-1967)話題の大物ばかり首席に据えて、アンドレ・プレヴィン(1967-1969)は就任当時38歳クラシック界に転身したばかり、話題の人選が続いたようです。
Bartok最大のヒット曲は最晩年のわかりやすい作風。三管編成+ティンパニ+打楽器6種+ハープ2台の編成。
第1楽章「Introduzione」(序章)は心持ち速めのテンポに颯爽とした推進に始まりました。緊張感漂うかっちりとしたアンサンブル、テンションの高い集中力は当時のオーケストラの技量を物語ります。ラストの金管もなかなかのパワフルぶり。(8:58)
第2楽章「Presentando le coppie」(対の提示)小太鼓のリズムが印象的に小粋な楽章だけど、その小太鼓がずしりと存在感たっぷり(音が低い)。剽軽な管楽器アンサンブル、その合いの手の弦の緊張感もなかなか、ここもテンポは勢いある速めでした。ちょっと遠い金管、華やかなハープなど、いかにも「協奏曲」と題する所以が理解できる各パートが次々活躍して、その存在感はリアルに浮き上がる優秀録音。(5:52)
第3楽章「Elegia」(悲歌)は「夜の歌」。暗鬱な弦の始まりは予想外にしっとりと洗練されております。やがて幻想的な木管が登場して、オーケストラはテンション高い絶叫へ。各パートのクリアな浮き立たせ方は上々、ストコフスキーは聴かせ上手ですよ。(6:37)
第4楽章「Intermezzo interrotto」(中断された間奏曲)ここも微妙にユーモラスなテイスト。Shostakovichの「レニングラード」(クラリネット)引用とトロンボーンの「ブーイング」木管楽器の「嘲笑」が印象的。(3:56)
第5楽章「Finale」(終曲)ここのアンサンブルはオーケストラの腕の見せ所、ここの緊張感と集中力、ラストに向けてのアツいラッシュは聴きものでした。(8:58)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
全国的に寒さ募って、こちらでもちょっぴり雪が予報されました。(外出していないのでわからない)腰を痛めた婆さん(95歳になりました)のところは自転車で15分ほど、女房殿は行ったりきたり泊まり込みが続いて、昼前に一旦帰宅(洗濯物持参)市立体育館トレーニングルームへ。介護も体力勝負ですから。独りだとどうしても食生活が安易手抜きになって、前日のようにかっぱえびせん一気袋喰い! みたいな愚挙抑えきれず、栄養バランスはよろしくない。外食に出掛ける元気も意欲も(カネも)ありません。昨夜はちゃんとヘルシー料理作りましたよ。フロも入って(ここ数日シャワーで済ませた)それはあたりまえ。ストレッチは継続中、買い物外出予定もなかったのでしっかりYouTubeエアロビクスは舶来別嬪さんの指導を受けました(たしか二度目)。最近お気に入りの「スワイショウ」も短いのを実施追加しておきました。あとは引き隠り。今朝の体重は67.9kg+200g、食事は抑制したつもりでも身体を動かしていないから増えるのですね。
某著名な大物売れ筋芸能人の不祥事が明るみに出て、一気にTV番組から消えつつあるそう。虚業ですよ、華やかに見えても一寸先は闇。自分はほとんどテレビは見ないので生活に影響もなし、その経緯もほぼ理解しておりません。受験予備校「ニチガク」突然閉鎖。若い人は減っているからなぁ。せめて受験シーズンが終わる迄保たせられなかったのか、受験生は悲惨です。
毎日拝見する開業医のブログ、餅を喉に詰まらせた時の対応詳細言及して「知識は、時に命を救います。無能な有資格者は、罪深い罪人です」う〜む。自分みたいな無能な無資格者はなんとか知識を付けるしかないということですね。インフルエンザは猛威を振るい、タミフルのジェネリックを製造する沢井製薬は製造追いつかず欠品状態、出荷停止とのこと。ウチの孫含めて、まずお幼いこどもたちが心配だけど、数多いインバウンドが罹患する可能性も高いでしょう。この寒さにとっても薄着な方も見掛けるし、マスクの習慣もあまりないように伺えます。その治療体制はどうなっているでしょうか。どこかで「絶対に患者を断らない」医院、そんな記事を拝見した記憶はあるけれど。
R.Strauss 交響詩「ドン・ファン」/交響詩「英雄の生涯」〜ジュゼッペ・シノーポリ/シュターツカペレ・ドレスデン/カイ・フォーグラー(v)(1991年)・・・ルカ教会は極上の残響。ドレスデンのオーケストラは木目のクールなサウンドが魅力。両作品ともいつもの溌剌ノリノリ颯爽とはちょっと風情が違う。「ドン・ファン」はユーモラスに非ず、神妙なテイスト。たっぷりと歌って勢いに流さず、慌てぬ落ち着きと後半に向けての高揚感はたっぷり。「ドン・ファンのテーマ」のホルンの音色には痺れますよ。(19:03)
「英雄の生涯」はいくらでも煽ってテンション高く、カッコよく表現可能な”大きな”作品。オーケストラは艶消しの渋いサウンド、前のめりに颯爽と〜から程遠い、やや重くじっくり構えて落ち着いた風情、しっかり間を取って噛み締めるように走らぬ演奏でした。響きはジミだけど全曲聴き通してしっとり耳に優しい、しみじみとした情感漂って深い感銘を受けました。英雄(Der Held/4:19)英雄の敵(Des Helden Widersacher/3:32)英雄の妻(Des Helden Gefahrtin/13:43)英雄の戦場(Des Helden Walstatt/7:28)英雄の業績(Des Helden Friedenswerke/6:38)英雄の引退と完成(Des Helden Weltflucht und Vollendung/12:25)
Bach 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調BWV1001/第2番イ短調BWV1003/第3番ハ長調BWV1005〜フェリックス・アーヨ(v)(1974-75年)・・・「イ・ムジチの四季」に有名な名手Felix Ayo(1933ー2023西班牙)のBach。伊太利亜の眩しい陽光を感じさせるカリッとした歯切れのよろしい音色は、アナログ録音は最盛期に残響豊か、明快な音質に記録されております。とても明るく中低音充実して、背筋が伸びて美しい細部迄明快なBach、決然と曖昧さない音色、ボウイングに作品旋律がとてもわかりやすい。ヴァイオリン一挺から巨大な宇宙空間を作り出す奇跡的名曲、幾度聴いても頭が下げて聴き入るばかり。
第1番ト短調BWV1001「Adagio」はたっぷり哀愁の詠嘆は凛として(4:37)「Fugue」はもの哀しい旋律が粛々、リズミカルに追いかけます(5:51)「Siciliana」はゆったりと落ち着いて表情豊かにデリケートな詠唱(4:04)「Presto」は決然としたフィナーレ、目まぐるしい音型が変幻自在な劇性を感じさせるところ。テクニックのキレに些かの曖昧さもありません。(2:55)
第2番イ短調BWV1003「Grave」は控えめに抑制した哀歌(4:24)「Fuga」決然と雄弁、劇的旋律が繰り返し追いかけて、ここは長い楽章。締め括りがコッコ良いですよ(8:20)「Andante」低音部がリズムを刻んで、気分が落ち着いた歌が静謐(5:56)「Allegro」風雲急を告げる劇的旋律は表情が多彩、この辺りBachはメロディーメーカーの面目躍如、どうしてヴァイオリン一挺からこんなドラマが生まれるのか。スムースな技巧の冴えが聴かれます。(7:30)
第3番ハ長調BWV1005「Adagio」深呼吸するような落ち着いた始まり。延々と静かな歌が続きます。(5:29)「Fugue」ここは有名な旋律。重音を上手く扱って、アクセント明確に決然とした旋律が姿を変えつつ次々と追いかけました。ここも長いですね。(11:50)「Largo」落ち着いて清明な精神を感じさせるところ。(4:01)「Allegro assai」破顔一笑、明るく躍動するフィナーレ。(3:59)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
連続独り暮らしの朝を迎えて、食事洗濯には不自由はないけれど、掃除と洗濯物を畳んで収納(+家計のカネ管理)は女房殿任せ、生活のリズムはあまり変わりません。前夜はだらだらNetflixドラマを眺めてしまってフロも入らず就寝、早朝頭が痒くて目覚めて慌ててシャワーを浴びたものです。いつもヘルシー朝食終えて、洗濯物は少なく、ストレッチはしっかり。YouTubeはすっかり気に入った「スワイショウ」短いのを実施。好天だけど、かなり気温は下がる中、市立体育館へ出掛けてしっかり鍛えてきました。トレーニングルームはずいぶん空いていて、常連メンバー+学生さんが三人ほど。それでもマルチプレスは独占されて使えませんでした。今朝の体重は67.7kg+250g、せっかくの鍛錬もかっぱえびせんに負けました。
全国あちこちで大雪、チベットでは大きな地震があったそう。
「解体キングダム」バブル時代に建築されたビルを解体するドキュメント。長崎の「ビルの中を路面電車が通過する」難工事。番組中「建築するときには取り壊すことは考えていないでしょう」との言葉、この番組は幾度拝見してお気に入りだけれど、日本の隠れた技術No.1はあちこちあるのでしょう。釣り道具や裁縫編み物道具も世界No.1という話題は伺いました。路面電車は現役で動いたまま、失敗やミスは許されぬその考え抜かれたデリケートな重機の扱い、入念なる工事工程計画。そういえば重機も世界No.1、廃車になったものが中東や阿弗利加に輸出され「◯◯建設」「云々工務店」塗装はそのままのほうが信頼が高いんだそう。なんと!日本のこども用漢字ドリルは中国で大人気なんだとか。(しっかりとした装幀の美しさ、こどもの興味を惹く内容の工夫/漢字の微妙な違いなんのその)
レポーターの田中道子さんは、プレバトの激しい反応と気の強い性格がお気に入り。一級建築士。作業服+ヘルメットからでもその美貌は隠しきれません。
Prokofiev 交響曲第1番ハ長調「古典」(ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団/1972年)/交響曲第5番 変ロ長調(エーリヒ・ラインスドルフ/ボストン交響楽団/1963年)・・・Prokofievの交響曲中もっとも大衆的にわかりやすい2曲を集めたもの。
二管編成+ティンパニ、古典的な風情に小粋にユーモラスな風情が漂うハ長調交響曲はオーマンディがフィラデルフィアを退任する頃の演奏。たっぷり優雅に瑞々しいけれど、サウンドに芯が定まらずなんとなくユルい感じ。現役音源を探すと1961年旧録音ばかり、こちらRCA再録音はなかなか登場しません。(3:55-3:22-1:42-4:02)ラインスドルフは逆に何故か第1番のみ録音がないのですね。
カッコよい変ロ長調交響曲は三管編成+8種の打楽器+ハープにピアノまで入ります。これはクールに引き締まって辛口の演奏。音質も良好。Erich Leinsdorf(1912-1993墺太利→亜米利加)の人気はいまいちだったけれど、パワフルなオーケストラを率いて実力派の人ですよ。
第1楽章「Andante」冒頭は爽やかな夜明けを連想させて、悠々とスケールの大きな始まり、ゾクゾクするようなボストン交響楽団の木管の色気、遠くデリケートな金管はやがて輝かしく、シルクのような弦の参入にも魅了されます。(14:37)
第2楽章「Allegro marcato」木管や弦、そしてピアノ、打楽器が剽軽に快活にノリノリなスケルツォ楽章。後半に入ってのテンポ・ダウン重い足取りからの復活もオモロい熱狂でした。(8:18)
第3楽章「Adagio」なんとなく不機嫌に重い、途方に暮れた足取りの緩徐楽章。途中、弦と木管が感情の高まりを表現して、打楽器も華々しく参入。そしてまた重い足取りが戻ります。(12:12)
第4楽章「Allegro giocoso」第1楽章が回帰するように神妙に爽やかなフィナーレの始まり。そしてヴィオラの曇った伴奏に乗ってホルン、そしてクラリネットが軽妙に歌いだして疾走いたします。その風情はなんともユーモラスに躍動して、サウンドは引き締まって足取りは軽快そのもの。それが種々多様な打楽器が茶々入れて賑やかに大騒ぎ、とても明るく楽しい締め括りでした。(9:29)
R.Strauss 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」/歌劇「サロメ」より「七つのヴェールの踊り」/「ドン・ファン」〜レオポルド・ストコフスキー/ニューヨーク・スタジアム交響楽団(1958年)・・・2015年来の再聴。音質は現役水準。オーケストラはニューヨーク・フィルの別名とか、ミトロプーロス時代のオーケストラは優秀と感じます。華やかな押し出し、パワフルな金管、骨太な弦による自信に溢れたサウンド。ユーモラスに闊達な「ティル」(14:37)妖しいサウンドも賑やかにデーハーな「ヴェール」(9:09)力強い推進力漲(みなぎ)る「ドン・ファン」の表情は豊かにアツく前のめりにノリノリ、ホルンによる「ドン・ファンのテーマ」は期待通りの雄弁ダメ押し。ジェームス・チャンバースですか?録音の加減かも。(16:03)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
昨日は雨は上がって好天に気温も上がりました。女房殿不在でも朝の生活は変わらず、ストレッチもいつもどおり、YouTube鍛錬は「1回で体が全て整う!最強ストレッチスワイショウ」がすっかり気に入って、同じものを繰り返し。筋トレは筋肉に負荷を掛けるもの、ストレッチは筋肉を伸ばしたり関節の可動域を広げるもの、この「スワイショウ」は脱力させて緩めるんです。なかなかエエ感じ。朝一番に女房殿は洗濯物を抱えて一旦帰宅、すぐに戻っていきました。腰を痛めた婆さんがどうしてもご近所馴染の医院じゃないとイヤということで、前日昼から大きな病院には行かなかったとのこと。たまごやヨーグルト用の牛乳が切れていたので、ウォーキング兼ねて業務スーパーへ。これで1日分の身体を動かす目標は達成できました。(←スマホアプリによる結果)幸い婆さんの腰痛は骨に異常なく、一時帰宅した女房殿は市立体育館へ出掛けて体調整えて、再び付き添いとなりました。今朝の体重は67.45kg▲150gちょっぴり減ったのみ。
毎日拝見する医師のブログ情報。「フルロナ」とはインフルエンザと新型コロナの同時感染、昨今のような流行時には3%ほど出現するとのこと。抗コロナ薬(ゾコーバ)は「高いから要らない」(自己負担壱萬五阡圓ほど)高い割に効果が少ないという情報も手伝って、希望されない方もいらっしゃるそう。症状には個人差があって、罹患しても元気な若い方もいらっしゃいますからね。なんとか医院のお世話にならぬよう気を付けて寒い時期を乗り切りたいもの。受験生を抱える親御さんは心配な日々でしょう。そう云えば先日の我ら爺友三人組集合時、全員不織布マスク姿。お仕事現役最終盤はコロナ蔓延、マスクの効果は熟知して、人混みに出掛けるときにはちゃんと着用しております。最盛期には会食時一口喰うごとにマスクせよ、という指示もありましたっけ。だれがそんなことするかよ。
Liszt 葬送/婚礼/物思いに沈む人/ペトラルカのソネット第104番/タランテラ/Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」/Rachmaninov 前奏曲 変ロ短調 作品32-2/Beethoven トルコ行進曲〜ラザール・ベルマン(p)(2001年洪牙利Vigadoライヴ)・・・Lazar Berman(1930ー2005露西亜)は往年の(見た目)剛直なピアニスト、西側での録音もけっこうありました。これは珍しいBartok Radio放送ライヴ音源、CDにはなっていないでしょう。音質は良好。容姿は剛直、たしかに曖昧さのない力強いタッチだけれど、いくつか拝聴した演奏は思いの外デリケートなものでした。
不遜にも自分はLisztを苦手として、拝聴機会は極端に少ないもの。70歳過ぎての実演にテクニックの衰えはあまり感じさせず、明晰なタッチに深みを感じさせ、力まかせに非ず陰影ニュアンス豊かに重心低く、テクニック披瀝の権化みたいなLisztは思索的知的に響きました。聴き込んでいないので作品旋律には馴染んでいないけれど、表層を流した?かつての先入観とは異なって、目眩く自在な浪漫を感じさせるもの。(12:49-8:42-3:53-6:17-9:30)
セッション録音も存在する「展覧会の絵」はリヒテルとの出会い以来、若い頃からのお気に入り作品。泥臭い露西亜風旋律が多彩に続く魅惑の作品でした。静謐部分に思わぬデリケートなニュアンスが込められた表現。プロムナードを初めてとして勇壮な部分に力みや硬さは感じられぬ滋味、表情豊かに慌てずじっくり腰を据えたピアノ。「テュイルリーの庭」の軽妙さと「ビドロ」重苦しい足取りと減衰の対比、「リモージュの市場」の喧騒もあまりテンポを上げない。「バーバ・ヤガー」辺りはちょっと疲れが出てテクニック的に厳しい?「キーウの大門」は落ち着いたクライマックスにわずかなミスタッチもリアルでした。(33:14)
アンコールは静謐に甘く、哀しいRachmaninov(4:46)ラスト剽軽に軽快なトルコ行進曲にて演奏会の締め括り。(3:03/すべて盛大なる拍手込)
Shostakovich 交響曲第13番 変ロ短調「バービィ・ヤール」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団/フィラデルフィア・メンデルスゾーン・クラブ合唱団(バス合唱)/トム・クラウゼ(br)(1970年)・・・旧ソヴィエットから楽譜と原詩を持ち出して西側初演を果たしたオーマンディの録音。LP復刻音源を拝聴いたしました。いつものノーテンキに明るい風情とは一転、ゴージャスなサウンドを活かして、硬派な音楽を立派に硬派のまま響かせて悪くないんじゃないのかな。作品をあまり聴き込んでいないのでようわかりません。Tom Krause(1934ー2013芬蘭土)はかなり雄弁、いつもの露西亜本場のひたすら暗鬱なバスとは一味違う。あとはこの暗鬱な作品を堪能したのみ、音質はまずまずというか、この時期のRCAの録音はいまいちな場合が多い。
三管編成+ティンパニ+12種の打楽器+チェレスタ+ハープ2台+ピアノがいかにも、そして男声低音ソロ+低音合唱団というモノクロっぽい編成。Evgeny Evtushenko(1933ー2017露西亜)による詩が全曲に使われております。幾度鐘が鳴って、それはのど自慢大会に無情な「カネひとつ」に響きます。
第1楽章「バービィ・ヤール」(Adagio)烏克蘭の首都キーウのそばにある渓谷にて1941年ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺に触れつつ、継続する「反ユダヤ主義」を糾弾する重苦しい楽章。バリトンによる重苦しいソロが延々と続いて雄弁、Shostakovich難物な第1楽章は解像度高く、わかりやすい演奏。修正前のオリジナル詩使用。(16:46)
第2楽章「ユーモア」(Allegretto)はスケルツォですか?朗々高らかなバリトン・ソロと男声合唱がリズミカルに呼応してヤケクソ的に元気よろしく躍動、たしかに妙にユーモラスかも。Bartokの旋律が引用されているそう。(ニ台ピアノと打楽器のためのソナタ第3楽章)「どんな権力者、支配者もユーモアを手なずけることはできなかった」というシニカルな内容なんだそう。(8:34)
第3楽章「商店で」(Adagio)寒風の中ペリメニ(餃子)を買うための女性たちの行列を女神と讃える緩徐楽章。怪しい蠢くような弦とバス・クラリネットに男声ソロも抑制して、男声合唱も静かに嘆き。絶望的な風情は変わらない。
第4楽章「恐怖」(Largo)スターリンの粛清は終わったけれど、偽善や虚偽というあらたな「恐怖」が生まれている。男声ソロにチューバが重く静かに響きます。
第5楽章「立身出世」(Allegretto)ガリレオ・ガリレイが地動説を曲げず「正しいことをして偉大になることこそ真の出世だ」それはシェークスピア、パスツール、ニュートン、そしてトルストイと続き、御用作家であったアレクセイ・トルストイに非ずレフ・トルストイであると(この人も反ユダヤ主義だったらしいけど)。途中要所要所でのとぼけたファゴット、そしてラストこの楽章冒頭の妖精の囁きのようなチェレスタや弦が美しい。(第3/4/5楽章計35:27)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
昨日は朝から冷たい雨模様、もちろん洗濯物は室内干しでした。ストレッチしっかり、そしてYouTube鍛錬は「1回で体が全て整う!最強ストレッチスワイショウ」シンプルな身体の力を抜いて振り回すような所作なんやけど、これがなかなかよろしい。それから冷たい雨風を傘で凌ぎつつ、途中のゴミ拾いは最小限に市立体育館へ。トレーニングルームは常連メンバー最小限に空いて、いつもどおりの筋トレ、エアロバイクをこなしました。本日以降は好天が続くそうです。昼から婆さん(そろそろ95歳)のところに出掛けた女房殿、婆さんは腰が痛くて歩けないとの連絡有、一晩泊まって朝一番通院だそう。今朝の体重は67.6kg▲600g。昼に団子を喰い過ぎた自覚有(在庫消化)それでも夕食抑制でなんとか減らせました。そういえば年明けて市立体育館のアルバイト募集継続中、なかなか人は集まらないのか。時給1,170円でしたっけ。
「“日本一家賃が安い町”のアパートは空室だらけ…それなりに栄えていても人の気配がない“ちぐはぐさ”の理由」そんな記事を拝見。大分県杵築市はかつて企業城下町。それは撤退すれば悲惨な情景に至る・・・全国あちこちにそんな光景は広がっているのでしょう。その真逆が熊本県菊陽町か。息子一家が昨年2024年転職転居前に住んでいたところ、例の半導体メーカー誘致の関係で地代家賃が異様に上がってしまって、息子の前職場のお店も採算が成り立たず撤退したそう。ほか、いくつかのチェーン店も同様、短期的には逆に住みにくくなったり中長期的には杵築市の二の前になる可能性もある・・・悩ましいですね。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル(1958年)・・・この時期にして驚異的な音質、そして快速パワフルな熱血演奏。Adrian Boult(1889ー1983英国、ボールトに非ず)はこの時期69歳の若さ! どこかで「大カンチガイ浪漫」と書かれた記憶もあるけれど、ある意味それは当たっていて、燃えるような確信に充ちたストレートな疾走には躊躇い逡巡とは無縁、一切迷いのない大躍進が続きました。こどもの頃から大好きな作品、青春の憧憬に溢れた胸の痛み・・・とは無縁な”これでいいのだ!”的一本道演奏、久々文句ない感銘をいただきました。
第1楽章「Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut - Im Anfang sehr gemachlich(ゆるやかに、重々しく)」デリケートな抑制より、確信に充ちた旋律表現に曖昧さはない。テンポは速めに提示部繰り返し有、これはこれで青春のエネルギー爆発、まさに「漢(おとこ)」といった筋骨隆々たる表現に、ラストはいや増すアッチェレランドに爆発して終了。(14:30)
第2楽章「Kraftig bewegt, doch nicht zu schnell」まさに指示通りの「力強く運動」する表現。ここもテンポは速く、ティンパニのアクセント強烈。熱気は増量中。(5:54)
第3楽章「Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen(緩慢でなく、荘重に威厳をもって)」哀愁を帯びた葬送行進曲の足取りもしっかり、抑制とか陰影とは無縁の骨太緩徐楽章。(9:07)
第4楽章「Sturmisch bewegt(嵐のように運動して)」例えばBeethovenの交響曲第5番ハ短調の終楽章風、運命に打ち勝って勝利へ!そんな風情に似て、最後までパワーも落ちず、息も上がらず疾走が続きました。こんな迷いのない演奏も久々、というか初体験かも。幾度も聴いていたはずだけど。(16:57)
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜レナード・バーンスタイン/ニューヨ-ク・フィルハーモニック(1963年)・・・2007年来の再聴。自分にとってこの作品受容の原点のひとつ(懐かしい駅売海賊盤)世評高い、Leonard Bernstein(1918-1990亜米利加)45歳壮年の記録。自分のオーディオ環境はもちろん、現在所有している音源のマスタリング云々もほぼ理解不能、ましてや高品質音源環境とは無縁だから確信はないけれど、かなりの音質水準じゃないのか?そんな類推も可能だけど、自分にはちょっと鮮度は落ちて響きます。もう60年以上前の録音ですもんね。悪くないけど、音質は今一歩な鮮度が欲しかったところ。高品質オーディオ環境だと印象は異なるのでしょうか。
第1楽章「Trauemarsch. In gemessenem Schritt. Streng. Wie ein Kondukt.(正確な速さで。厳粛に。葬列のように)」どなたか指摘せんのか?冒頭のトランペットがなぜこんなに自信なさげなのか。前のめりに熱気に充ちた粗いアンサンブル、この微妙に粘着質表現を称賛する人は多いのでしょう。(12:31)
第2楽章「Sturmisch bewegt. Mit grosster Vehemenz. (嵐のような荒々しい動きをもって。最大の激烈さをもって)」表題指示通りの揺れ動いて入魂の「嵐のような荒々しい最大の激烈」表現。ニューヨーク・フィルはパワーたっぷりだけど、アンサンブルは粗いと感じます。(14:20)
第3楽章「Scherzo. Kraftig, nicht zu schnell.(力強く、速すぎずに)」James Chambers(1920-1989亜米利加)のソロがあまりにも豪快。重量級パワーにテンポは頻繁に揺れて緩急表情は豊か、オーケストラを煽って微妙にリズムの齟齬を感じつつ、これはたっぷりの粘着質表現。(17:44)
第4楽章「Adagietto. Sehr langsam. (非常に遅く)」弦とハープによる溜息のような官能の緩徐楽章は全曲の白眉。じっくり入念に情感を込めて揺れ動く、微に入り細を穿つ濃厚な表現。これは最高の「Adagietto」との称賛に異論はない。ファンの方には申し訳ないけれど、ニューヨーク・フィルの弦は万全ではないかな・・・音質印象もあるかも知れません。(11:00)
第5楽章「Rondo-Finale. Allegro giocoso(アレグロ・楽しげに)」バーンスタインらしい明るく、パワフルなフィナーレ。落ち着かぬ前のめりの勢いに乗って、熱とテンポを加えて、若いパワーと粗さが目立つと感じました。(13:47)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
本日より現役世代はお仕事開始、久々の雨模様。自分は年中正月休み盆休みですよ。昨日日曜は引き続き好天、まずまず温かい気候でした。酒を呑んだ夜なのによく眠れ、翌朝にほぼ残っていないのは意外、それなりに呑んだつもりなんやけどな。いつも通りの洗濯は大量、ストレッチはしっかり、YouTube鍛錬はオーソドックスにシンプルな15分を消化したけれど、それはAIによるもの、なんかとっても不気味に味気ない感じ。そして年末に切れていた胡麻油デカボトルを入手に業務スーパーへ、なんと2,000円超え!3年前転居してきた頃は980円くらい?徐々に上がってとうとう倍ですよ。往復3.11kmのウォーキング、合計で1日分の必要運動量をクリアできました。今朝の体重は68.2kg+300g。昼に大量の残飯整理強行した結末。これはヤバい。
前日爺友との新年会に出掛けると・・・やたらと外国人さんと出会う。コミュニティ・バスには越南の若いカップル、最寄りの駅では中国人母(ちょっと年配)と大きな息子の会話、エスカレーターでもやたらと声が大きい。電車に乗ったら荷物とともに優先席を独占するおそらく韓国のイケメン若者、スマホの音も大きいのはいただけない。我が街には観光地らしきものはないし、あるのは中小工場ばかり(FUNAIは倒産しました)そこに働いているのか。そして到着したJR北新地、駅前ビル地下は日本の若者に溢れて、いつもは人気のない店も満員、正月休みラストの土曜ですから。大阪に帰省していた人も多かったのかも。
一軒目の居酒屋を出て、精算している最中自分はトイレへ。そこも若者が多くてちょっぴり列ができておりました。戻って「若い人が多いね、若いって良いね」と話していたら、席空きを待っていた若いカップルが大笑い。「こいつ50年前はモテた話を一時間続けるんだよ、ハゲのクセに」すると爺友もハゲ隠しの毛糸の帽子を取って惜しげもなく披露、それが大受け!握手してお別れしたものです。
Berio シンフォニア(8人の声と管弦楽のための/1968)/エクフラシス(管弦楽のためのコンティヌオU/1996)〜ペーター・エトヴェシュ/エーテボリ交響楽団/ロンドン・ヴォイシズ/アン・デ・レナイス(s)/ウェンディ・ニーパー(s)/ジュディス・リース(ms)/キャロル・カニング(ms)/フィリップ・シェフィールド(t)/マイケル・ロビンソン(t)/マーク・ウィリアムズ(br語り)/パトリック・アーダー・ウォルター(b)/合唱指揮 テリー・エドワーズ/ペール・エノクソン(v)(2004年)・・・Peter Eo"tvo"s(1944-2024洪牙利)は昨年亡くなった現代音楽のスペシャリストでした。音質極上。オーケストラも好調です。
Sinfoniaは1968/69年の作品。8人の声楽、三管編成、三人の打楽器奏者が21種の楽器を操り、ハープ、ピアノに電子ピアノ電子オルガン迄必要な編成。第3楽章「In ruhig fliessender Bewegung(穏やかに流れる動きで)」はMahlerの交響曲第2番ニ短調第3楽章の見事なコラージュ、R.Strauss「薔薇の騎士」も登場します。自在にフクザツな声楽はスウィングル・シンガーズの演奏でお馴染み、いったい楽譜はどうなっとんのか!いつも不思議に思っていたけれど、London Voicesでも変わらず(当たり前)好き勝手に歌い語っているように見えて、ちゃんと指示があるのですね。但し、ノリノリのスウィング感にはちょっぴり足りない。他の楽章もデリケートかつ衝撃的にキレッキレのサウンド、自在に会話するような声楽が続いて破壊的な喧騒雑音とは無縁。
第1楽章「生のものと火を通したもの」(仏蘭西語/6:01)第2楽章「キング牧師」(4:44)そして第3楽章「In ruhig fliessender Bewegung」(11:31)第4楽章「(第1楽章抜粋)」(3:16)第5楽章「(第1-4楽章再編制)」(6:52)
「Ekphrasis」とは「絵画や彫刻といった視覚芸術を文章で描写する行為」という意味なんだそう。65人のオーケストラのためのサウンドスケープ?〜との情報もなんの説明になっておりません。緊張感の高い、神秘的な混沌の波が幾度も繰り返されるような研ぎ澄まされた、冷たく美しい音楽。(18:23)
Sibelius 交響曲第1番ホ短調(1996年)/交響曲第4番イ短調(1997年)〜オスモ・ヴァンスカ/ラハティ交響楽団・・・瑞典BISはSibeliusの交響曲を定期的に録音して、この前はNeeme Jarvi(第7番/第2番)このあとはOkko Kamu、そしてサントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali)が一番新しいはず。ラハティとは芬蘭土にある12万ほどの都市なんだそう。Osmo Vanska(1953ー芬蘭土)は1985年より首席客演、1988年より音楽監督(-2010年?)この時期に有名となって三度来日して話題になっておりました。北欧の清涼なサウンドが堪能できるSibeliusは大好きですよ。
初期の作品である交響曲第1番ホ短調は1899年初演、二管編成だけど+ハープ、4種の打楽器がけっこうな迫力に鳴っている浪漫情緒漂う劇的名曲。Tchaikovskyの影響を受けているとのこと。
第1楽章「Andante, ma non troppo: Allegro energico」詠嘆に雄弁な始まりはけっこうな快速。録音のマジック?との声もあったラハティ交響楽団は意外なほどパワフルな勢いを感じさせて、アンサンブルも立派と聴きました。(9:51)
第2楽章「Andante (ma non troppo lento)」シミジミと懐かしい穏健な旋律が続くデリケートな緩徐楽章。Sibelius
に独墺系分厚い響きは必要ないでしょう。旋律の歌わせ方も大仰な節回しを伴わぬもの。(8:58)
第3楽章「Scherzo: Allegro」さっぱりとした語り口に颯爽、ここもテンポは熱狂的に速めでした。この辺りの激しいリズム、ティンパニの呼応はBrucknerの影響とのこと(Wikiによる)。牧歌的なトリオもリズミカルに軽快。(4:30)
第4楽章「Finale (Quasi una Fantasia) - Andante - Allegro molto」幻想曲風にという指示、弦による詠嘆の始まりから木管が静かにそれを受けて、ここも熱気に充ちて速いテンポに疾走します。クライマックスに向けて詠嘆の節回しは劇的な爆発。金管も誠実に精一杯の演奏でしょう。(12:09)
交響曲第4番イ短調は前曲とは一転、鬱々と内省的な個性溢れる作品。これも二管編成+ティンパニ、最終楽章にグロッケン(Glocken)登場、チューブラーベルに替わることもあるけれど、ここではグロッケンシュピール(鉄筋)使用。
第1楽章「Tempo molto moderato, quasi adagio」暗鬱に蠢くようにゆっくりとした始まり、チェロによる暗い主題も印象的。暗い波がゆっくり上下するような風情にやがて悲痛な金管と弦が叫びます。掴みどころのないうねうねした難解な楽章。(11:40)
第2楽章「Allegro molto vivace」スケルツォ楽章だけど、さらさらと安寧の軽い息抜きのような風情を感じさせるところ。途中不安げな暗転もありました。(4:38)
第3楽章「Il tempo largo」沈思黙考する静かな、そして相変わらず暗い楽章。テンポは遅く、細部描きこみは入念にいっそう内省的な緩徐楽章。ここがこの交響曲のクライマックスなのでしょう。かなり難解な風情にラストには悲痛な金管の叫びがありました。(14:04)
第4楽章「Allegro」ちょっぴり明るい軽妙な始まり、チェロのソロに金管が呼応して、グロッケンも登場。明るいような寂しいような微妙な疾走が続きます。金管の動きがリアルに聴こえる優秀録音。(9:41)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
こちらは好天、北や東日本では大雪だったそうですね。昨日土曜、ごみ収集は変則に回収がありました。朝一番の洗濯物は少なく、ストレッチ、YouTubeエアロビクス短いのを済ませて2025年営業再開した市立体育館を目指しました。往復4km、途中ゴミ拾いの功徳を積んで両手両腕両肘にいっぱい空き缶珈琲ビール酎ハイ挟んでバス停のゴミ箱へ。体育館は中学生の卓球?その父兄に溢れて、トレーニングルームはほぼ常連メンバー、マッチョなバーベルメンバーも復活しておりました。新メンバーは出現しなかったなぁ、残念。筋トレ+エアロバイク15分はいつもどおり、一週間ぶりのせいか身体は引き締まった手応え、快い全身疲労感はしっかりありました。
エアロバイク中、スマートウォッチにLINEの着信有。正月に息子より転居先地元の酒(五合瓶)もらったけれど残念、自分は家呑みする風習はないので爺友に「要らんか?」と連絡していた流れ、急に集合となりました。やつらは3歳下だけれど、話が回りくどくよりいっそう説教臭くなってあきまへん(おたがいさま)。梅田駅前ビル地下は未だ正月休み中の土曜の夜は激混み!若い人たちでいっぱいでした。今年の抱負はと問われて「ことしはオシャレに」と決意を述べたら、絶対ムリ!と罵倒されました。今朝の体重は67.9kgほぼ変わらず。
お仕事引退してから購入したのが自家製ヨーグルト製造機、これは佳き買い物でした。無糖のヨーグルトは前居住地のご近所に売っていたホリ乳業のがお気に入りでした。あれがマイルドで一番美味しかった。転居後、最寄りの駅から自宅より反対側の京阪百貨店にあるのを発見したけれど、毎度買いに行くのにはちょっと遠い。それに(昨今あたりまえに)高い!一週間に一度通う業務スーパーにホリ乳業の定番があったけれど、それは一番安いもの=生乳原料に非ず。安いけれど脱脂粉乳を多く使って、いかにも不味い。ヨーグルトの味・質は生乳100%+種菌の種類個性によって決まります。しかし種菌は同じかも、そう類推して牛乳から自分で作るようになりました。結果この2−3年週に一回以上、ほぼ失敗なく活用してきました。40度C設定8時間、牛乳パックのまま完了。
とろとろタイプが好きなので、種菌を少なめにすると良いけれど、すると保存した種菌を残して余らせて腐ってしまう。稀に保存種菌の発酵が進みすぎて酸味が過ぎる〜それも喰えないワケじゃない。時々ちょうど牛乳在庫が切れて仕方がなく女房殿愛用の豆乳から仕上げても、それなりに美味しいもの。ほんまにそれが腸内環境に良いのか、健康に効くのかはさておき、納豆とともに愛用している発酵食であります。
Mussorgsyky 組曲「展覧会の絵」/Ravel編 管弦楽版〜アルカディ・セヴィドフ(p)/ザムエル・フリードマン/ロシア・フィル(1996年)・・・20世紀ラスト辺り衝撃の廉価盤シリーズとして登場したArte Novaの一枚。誰れでも知っている泥臭い多彩な旋律とリズムの陰影が素晴らしい名曲は音質良好。Arkady SevidovはBeethovenの協奏曲全曲とかTchaikovskyも録音しているけれど、詳細情報は不明、おそらく露西亜のピアニスト。Samuel Freedman(1940-露西亜→以色列)はソヴィエット時代が終わってから露西亜でも活動してロシア・フィルは録音用オーケストラ。NAXOSにも録音があります。これは音質も意外と良好、想像以上に立派に整ったな演奏・・・というのは事実なんやけど、オリジナル・ピアノ版は整った技巧に優等生的と云うか、小さくまとまって平板な表現、だけど作品を堪能するには充分なのかも。(1:21-2:22-0:50-4:36-0:27-1:06-2:37-0:38-1:11-2:17-1:20-1:26-2:22-2:10-3:40-4:44)管弦楽版の方も予想外に整ったアンサンブルに各パートの色彩も悪くない・・・けど、テンションのメリハリと云うか、爆発というか個性が弱い感じ。ま、印象に残らぬ、オモロないフツウの演奏かも。ラスト「キーウの大門」の大太鼓がずれる版を採用。(1:44-2:44-0:56-4:37-0:39-1:06-3:19-0:44-1:15-2:08-1:30-2:17-2:26-3:15-6:07)
Mahler 交響曲交響曲「大地の歌」〜ルドルフ・ケンペ/BBC交響楽団/ジャネット・ベイカー(ms)/ルドヴィク・スピース(t)(1975年ライヴ)・・・音質の評判はよろしくないけれど、オン・マイクにかなりリアルな音質にさほどの不足はありません。三管編成+ティンパニはじめ打楽器は7種+ハープ2台、チェレスタ、マンドリン迄入って、いよいよ新ウィーン楽派を連想させる楽器群に中国風オリエンタルな諦念旋律が魅惑の作品。声楽には言葉の壁はあるけれどMahlerはまったく問題にせず、しっかり諦念の風情はしっかり受け止めました。Rudolf Kempe(1910-1976独逸)亡くなる前年とはもったいない年齢、充実した統率にBBC交響楽団は重心の低いアンサンブルでした。ベイカーは42歳文句なしの貫禄と円熟、Ludovic Spiess(1938-2006羅馬尼亜)はオペラ方面に経験と知識が薄い自分にとって初耳テナー、テンション高く輝かしい声、管弦楽とのバランスとの関係か、ちょっぴり表現が硬く感じて評判はよろしくないようです。
第1楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」はホルンの豪快な叫びに乗せて、かなり酒には強そうな清潔なテナーが溌溂と歌って、パワフルなオリエンタルな哀愁が漂います。(8:05)
第2楽章「秋に寂しき者」言葉は理解できなくても、題名と旋律で秋の寂寥がちゃんと伝わるアルトの深い、強い声。ここもホルン、そしてオーボエが切々と歌います。(10:30)
第3楽章「青春について」東洋風音階が朗らかに躍動するユーモラスな楽章。テナーはちょっと力みが目立ちます。(3:20)
第4楽章「美について」アルトのゆったり落ち着いた声と朗らかな曲想がマッチして、途中の疾走のパワフルなオーケストラとの掛け合い対比も見事なもの(7:08)
第5楽章「春に酔える者」ここも明るくユーモラスやなぁ、小鳥の啼き声(オーボエ)とテナーの掛け合いに注目したいところ。テンション高いテナーを、存在感たっぷりなホルン先頭に管弦楽がみごとに支えます。木管やヴァイオリン・ソロもデリケート。(4:42)
第6楽章「告別」ホルンと木管、ゆらゆら揺れる弦による静謐な嘆きに乗ってアルトは延々たる深い詠唱。オリエンタルな魅惑の旋律横溢、30分を超えてここが全曲中の白眉。ジャネット・ベイカーの名残惜しい告別は絶品、ケンペのオーケストラは入念な表情付け、各パートの分離も明快にしっかり支えました。(31:43/拍手込み)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
正月三ヶ日、体重増の日々が終わって本日より市立体育館トレーニング再開。好天が続きます。昨日無事女房殿も婆さんのところから戻って、日常生活が戻って・・・というか、年末年始も日常生活でした。息子が現居住地辺りの地酒をプレゼントしてくれて、でも自宅で呑む習慣がないので爺友にプレゼントしましょう。朝一番の洗濯はたっぷり、ストレッチは入念+YouTube鍛錬は20分ほど実施、夕食用の食材追加+ウォーキングがてらご近所スーパーに買い出しに出掛けました。ゴロゴロして菓子喰っていたら最悪の体重増に至りますから。微妙な風邪?洟水が多い感じ。本日これより一週間ぶりの筋トレ+エアロバイク再開。今朝の体重は67.95▲350g、高め安定中。
駅伝は青学圧勝、事前予測どおり。
「喪え喪えきゅん」でおいしく、65歳超の「冥土喫茶」が話題。群馬桐生駅近所にてそんな素晴らしい取り組みが話題となっているらしい。なんか振り切っているというか、天晴!爽快ですらある話題に新年早々衝撃を受けました。店内に「三途の川」トイレは極楽浄土、認知症予防の紙芝居やメーカーの協力で棺桶に入る体験!などのイベントなどがあるらしい。興味はあるけれど、自分は行きなくないなぁ、ちょっとご遠慮。微妙に正月らしいめでたい?記事なんでしょう。
ネットの記事はなるべく真に受けぬようにしているけれど、自分の縄張り外である芸能記事、例えば
「フワちゃん改心してない? 今度はステラおばさん誤爆≠ナTV復帰遠のく」や立川志らくのコメントが出たり(←どうでもよい記事/意味もわからない)〜女房殿によると自分はずいぶん以前から「この人はやがて消える」と予言していたそう(記憶なし)この間2024年芸能人不祥事連続して、それが話題になるのもせいぜい一ヶ月ほど、やがて雲散霧消、どんな結果になったって、そんなのあったっけ?状態へ至るのでしょう。
この類の記事は観測気球、ちょっと話題にして世間の反応を見るため提灯記事。不祥事の有無さておき栄枯盛衰があるのが芸能界、すっかり忘れられたタレントの小さな記事が唐突に出現して、これも同じ狙いでしょう。渡部建の不祥事発覚は2020年、4年ほど話題が継続しているのは奥様が偉いのかな。いずれ引退爺(=ワシ)はこの辺り、芸能事情に疎いから若い女性アイドルグループは日韓問わずすべて同じ、可愛らしいお嬢さんにしか見えません。さきほどのフワちゃんもそうだけど、この人一時の勢いに売れているけれど、どうしてかなぁ?なんてぼんやり感じた人は消えていく予感はほぼ当たっている・・・努力して売れ続けている人が貴重なんでしょう。
Bach ブランデンブルク協奏曲第1番ヘ長調BWV1046/第4番ト長調BWV1049/第6番 変ロ長調BWV1051〜バーゼル・スコラ・カントルーム/アウグスト・ヴェンツィンガー(gamba)/エドゥアルド・ミュラー(cem)/グスタフ・シェック(rec)/ヘルムート・ヴィンシャーマン(ob)/ワルター・ケーギ(v) (1953年)・・・August Wenzinger(1905ー1996瑞西)は古楽器演奏の草分け、ホーレンシュタイン(1954年)辺りと双璧の存在と思われます。LP/CD時代にこれを求めて叶わず、ネット時代に至ってようやく拝聴、初めて聴いたときにはかなりガッカリ、リズムが大味に緻密さを欠くと感じたもの。もう70年前の録音だし、バロック音楽の演奏スタイルや古楽器演奏のスキルもぐっと上がりました。もちろん肌理の粗いオン・マイクな音質問題もありました。久々の拝聴は・・・
時代を勘案すればそれは重厚長大な巨匠が生きていた頃、これはこれでけっこう”濃い”存在感でした。協奏曲第1番ヘ長調BWV1046からなんとも優雅な素朴に暖かい風情も悪くない。Walter Ka"gi(?-瑞西)のヴァイオリンにはしっとりヴィヴラートが掛かっているし、Edoardo Mu”ller(1912-1983瑞西)のチェンバロの音色もやや金属的。管楽器群の様子は音だけではわからぬけど、ホルンもオーボエもよく歌ってますよ。。但し、リズムにはキレが足りぬかも・・・第4楽章のテンポの動きは闊達、そしてちょっと雄弁。音質も記憶以上に分離はよろしいもの。(4:13-3:52-4:52-7:52)
第4番ト長調BWV1049は当時、音量バランスなどからフルートが多く使われていた頃。第1楽章「Allegro」は清潔に闊達なリコーダーは新鮮ですよ。ヴィオリン・ソロは骨太な響きに流麗ではない存在感。第2楽章「Andante」はかなり深刻な表情にちょっと時代を感じさせます。第3楽章「Presto」はどっしりと重心が低く、勢い有。(7:49-4:01-5:21)
第6番 変ロ長調BWV1051はヴァイオリンを欠く編成、おそらく御大ヴェンツィンガーがガンバ担当でしょう。これがなんともユルいというか、粗野に優雅な表情。第2楽章「Adagio ma non tanto」はたっぷり歌って豊かな表情、ここは一番好きなところでした。(7:29-5:15-6:10)
ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第1番ト長調BWV1027も収録(アウグルト・ヴェンツィンガー(gamba)/フリッツ・ノイマイヤー(cem)/1951年)こちらのほうが古楽器らしい?素直な美しい音色、そして旋律。チェンバロはちょっと金属的な音色だけど雄弁でした。(4:16-3:56-2:42-3:25)
Berlioz 幻想交響曲〜ジョン・バルビローリ/ハレ管弦楽団(1959年)・・・1830年の革新的デーハーな作品。各楽章詳細な意図を記したプログラムも存在します。二管編成だけど、ティンパニ4台+打楽器4種+ハープ4台、舞台裏演奏、特殊楽器も加わるそうな。22年前に聴いていて記憶は雲散霧消、安易なコメントも恥ずかしい。あまりぱっとしないステレオ初期録音は(テープヒスを消したのか、高音が伸びないけど)まずまず聴きやすいバランス。オーケストラの技量(金管のパワー)はイマイチでもバルビローリの統率に熱気を感じさせる演奏でした。1947年モノラル録音もあるそう。
第1楽章「夢、情熱」じっくり構えて揺れ動く入念な始まり。颯爽として、クライマックスへの追い込みもけっこうカッコ良い表現ですよ。提示部繰り返しはなし。(13:54)
第2楽章「舞踏会」小粋な風情に「間」をたっぷりとってバルビローリ特有のあざとい表現。(6:24)
第3楽章「野の風景」若い頃はこの静かに落ち着いて、心のさざなみが揺れる情感は理解できんかったなぁ、いまじゃかなりお気に入りですよ。この辺りバルビローリの表情付け濃厚にわかりやすい。(16:32)
第4楽章「断頭台への行進」遅めのテンポにハレ管は精一杯の力演!徐々に熱を高めて、管楽器のキレや鳴り、迫力にはちょっと(かなり)足りないけれど、努力賞ものでしょう。(4:54)
第5楽章「魔女の夜宴の夢」打楽器の迫力、スウィングする明晰かつ決然としたなフレージング、ハレ管渾身の力演継続中。でも金管のパワーはもうちょっと欲しい・・・「怒りの日」の鐘にはピアノを重ねて特異なもの(じつは作曲者のコメントもあるとの情報有)。(10:31)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
正月の風物詩・箱根駅伝は青学往路制覇。五区上り坂で逆転しました。ちょっぴり暖かい好天が続いて、なにごともない・・・昨日書いたけれど、初日の出眺めた帰りバイク絡みの死亡事故などは発生しているみたい。お節の食中毒はあるそうで、味付け的に昔より日持ちしないのと、暖房が完備された要因なんだそう。自分は即日食い切りましたよ、さっさと。朝一番にいつもと変わらぬヘルシー朝食、洗濯を済ませてストレッチ、そしてYouTubeエアロビクスはオーソドックスに20分やや長いもの実施。ご近所スーパーになんか美味いもんでも〜ちょっぴり考えたけれど、結果的に引き隠ってじっとしておりました。68.3kg+500g菓子喰いつつもうNetflix中毒ですよ。市立体育館は明日よりオープン、本日節制してちょっとでも減らさないとヤバい。典型的な正月太り。
2025年は昭和100年だったんですね。亡き親父がもし健在だったら100歳だったのか、自分も爺になっちまってそりゃ世代交代しますよ、昭和世代だから。元日の年賀状配達は前年比66%(三年で半減らしい)料金値上げ(これは最終的なキッカケでしょう)とSNS普及要因とのこと。高齢化と時代の流れと思うなぁ、年賀状は残したい日本の大切な伝統風習と思うけれど、そう云う自分だってとっくに賀状仕舞ってますから。若い人は端っから出していなくて、我ら世代はお仕事引退して”もう良いかな”なんて、そんなふうに生活の縮小を考えております。それでもいくつか年賀状は届いて、LINEが通じているメンバーにはそれで挨拶を済ませました。
1月2日の朝、いつも定例拝見するブログがアクセスできない。goo(NTT)の提供するシステムがサイバー攻撃とか、そこが配信するニュースも見られません。(その後、復旧とのお知らせも未だブログは読めない)テレビはリアルタイムには見ていなくて、それは時間の拘束がいやだから。例えば元日SP「相棒」はTVerを使って翌日拝見いたしました。ネット記事には芸能事務所やテレビ局、制作会社の経営不振と先行き見通しの暗さが分析されておりました。一家に一台、家族みんなお茶の間に集まって、コタツに温まってみかんなどいただきつつ、テレビを眺める〜そんな風景も消えつつあるのかも。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」(1969年)/序曲「オテロ」(1970年)/劇的序曲「フス教徒」(1971年)〜ヴィトルド・ロヴィツキ/ロンドン交響楽団・・・2016年拝聴。中低音充実してキンキラしない魅惑のPHILIPS音質良好。誰でも知っている心躍る旋律続く名曲は古典的二管編成+ティンパニ、トライアングル、シンバル入り。Witold Rowicki(1914ー1989波蘭)が西側に客演して全集録音したもの。第1楽章「Adagio-Allegro molt」第1楽章提示部繰り返し有。速めのテンポ、前のめりなアツい躍動、思いっきりヴィヴィッドなテンション高い演奏に久々、ラストのアッチェレランド決まって”心躍る”演奏也。(11:33)著名な第2楽章「Largo」はサラリと流れよく、しみじみ懐かしい風情に溢れました。ホルンは深みのある響き、以前木管の音色にやや不満を感じる・・・と書いたけれど、別に不満はない。但し、プレヴィン以降のスーパー・オーケストラではない感じ。(11:34)第3楽章「Scherzo. Molto vivace」は風雲急を告げる緊張感ただようスケルツォ。金管のパワフルな爆発に不満はありません。ノンビリとしたトリオや次楽章に、金管と打楽器の有機的な掛け合いの緊張感、魅力を初めて知りました。(757)終楽章「Allegro con fuoco」序奏のタメ表現がこれほど決まるのも久々、あとは第1主題の緊張感最高!弦はテンション高く維持して快速、ホルンの厚み先頭に金管はアツく鳴りきって文句なしの感動!のうちに全曲を締め括りました。(10:56)
序曲「オテロ」静謐荘厳な始まりはデリケート、やがて悲劇的な物語を予感させる陰影豊かにパワフルな作品。(14:26)劇的序曲「フス教徒」も深遠に抑制された始まり。快活な躍動に至って劇的。(15:01)
Vivaldi ヴァイオリン協奏曲集「調和の霊感」作品3/1-6〜アルベルト・マルティーニ(v)/フィラルモニチ・ボローニャ(2012 Release)・・・先日クリストファー・ホグウッドのバロック名曲を聴いて、Vivaldiが聴きたくなりました。廉価盤CDに多く登場していて自分にとっては馴染みのモダーン楽器アンサンブル。ところが調査してみると録音情報とか、Alberto Martini もFilarmonici di Bolognaもまったく詳細情報を探せない。別途NAXOSへの録音は以前聴いていてAccademia I FilarmoniciとI Filarmonici di Bolognaは別団体なのか、それもよくわかりません。TactusにVivaldiの著名な作品は録音して、音質良好、ヴァイオリン・ソロも優雅に端正オーソドックスな演奏はあまりに常識的と云えば常識的、ニコラウス・アーノンクール辺りメリハリたっぷりな古楽器演奏を経験したあとは少々オモロない?あまりにオーソドックスに穏健、衝撃に不足する・・・そんな罰当たりな感慨ちょっぴり。ソロも多様に変化に富んで躍動、誰でも知っていて、Bachも編曲している名曲中の名曲、自分の刷り込みはネヴィル・マリナー(1972年)中古LPを入手した懐かしい記憶も鮮明。こちら申し訳ないけれど華麗なる加齢に集中力が続かず、嗚呼みごとに艷やかなソロやなぁ、優雅に歌う快活なアンサンブル、みずみずしくも残響豊かな音質もリアルに良好・・・でも、ちょっと聴き続けると途中でちょっぴり飽きて・・・嗜好の変化かも。いえいえステキなバロック音楽をたっぷり堪能いたしました。
Concerto for 4 Violins in D(2:51-2:39-2:19)/Concerto Grosso in G Minor(1:50-2:27-2:42-2:33)/Violin Concerto in G(2:11-2:14-2:18)/Concerto for 4 Violins in E Minor(2:08-2:24-0:33-1:49)/Concerto for 2 Violins in A Major(2:42-2:04-2:33)/Violin Concerto in A Minor(3:04-2:27-2:25)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
能登半島地震から一年。その後水害もあって、復興はまだまだ。ことしはなにごともない平和な元旦だったのでしょう。
昨日書いた通り鼻詰まり痰が絡んで途中覚醒、テレビを付けたらふだん絶対に見ない恋愛もの連ドラ「アイのない恋人たち」一気再放送、これがけっこうオモロい。30歳絡みの高校時代の同級生男親友3人+女性4人でしたっけ?なかなか上手くいかぬ、すれ違いの微妙な感じは今も昔も変わらぬ気持ちの動きでしょう。佐々木希がずいぶんと演技上手に育ったと思います。結局二度寝できず。朝食はいつものヘルシーなもの+珈琲。ストレッチ+YouTubeボクササイズ済ませて、地元の小さな神社に初詣兼ウォーキング往復3.8kmほど、前年の御札を納めて、新しいのを買ってきました。お賽銭は財布を膨らませている、出番が少なくなった小銭一掃、一円五円玉は両替に経費が掛かって赤字になるそうですね。申し訳ない。家族や自分の健康など、ご利益がちゃんとありますように。
昼は自分で雑煮、夕食は鍋を作ったりしてちゃんとした食生活を過ごしております。夕方女房殿は一旦戻って、再び婆さんのところへ。ご近所親戚が集まって、自分はご遠慮しております。今朝の体重は67.8kgほぼ変わらず高め安定。昼の菓子一気喰いが悔やまれます。
【♪ KechiKechi Classics ♪】は今どき時代遅れ甚だしい化石化した手打ちHTMLホームページ。もうブログ(簡易ホームページ)も廃れ気味だけれど、稀に音楽オーディオ関係の記事に検索の結果自分のと類似の手打ちホームページが出現することもあります。ところが・・・「更新12月1日」〜これがどこをどうひっくり返っても何年か?わからない。2024年最近のことなのか、2004年20年前のことなのか・・・内容を読んでも類推不可、書式の定まったブログだったら自動でタイミングが表示されるけれど、手打ちHTMLだったらどうしようもない。せっかくの興味深い記事なのに、ちょっと困りました。
ブログの記事にも似たような事例はあって「昨年云々」の記事が出現したら、情報鮮度は確認が必要。自分は(例)昨年2023年と書くように心掛けているつもり。音楽コメントの「何年ぶりの拝聴」は時間の隔たりなので具体的に書かないことも多くて、それは私的なことなの気にしないでも大丈夫。ま、自分の文書もワケわからんこともいっぱいあるし、気を付けなければ。誰がどのくらい見てくれているのかもさっぱりわからない。ちなみに自分がブログを好まないのは字が小さいのと、文書保存が担保できないから。
Bach カンタータ「ああ、婚礼に赴く今、われは見る」BWV 162*トランペットが思いっきりジミに素朴な音色(3:57)/カンタータ「何ゆえに悲しむや、わが心よ」BWV 138よりアリア「愛する神よ、あなたのみ手の中あります」*ヴァイオリン・オブリガートが親密に見事なテクニック(4:29)/カンタータ「わが心に憂い多かりき」BWV 21 「シンフォニア」*オーボエが切々としっとりと嘆く器楽作品(2:58)/ヨハネ受難曲 BWV 245より 第2部 アリオーソ「とくと見つめよ、わが魂よ」*ここはチェンバロから始まる、ゆったり敬虔なアリア(2:22)/カンタータ「我は満ち足れリ」 BWV 82*5曲。粗野な音色のオーボエがバリトンの嘆きに呼応して始まります。暖かいオルガンも落ち着いて包み込むよう。第3曲「まどろめ、疲れた目よ」安寧の風情が一番の聴きものでしょう。ここは優しく控えめなヴァイオリンがオブリガート。ラスト「私は私の死を喜び迎えよう」はなかなか劇的。(7:16-1:10-9:10-0:52-3:12)/カンタータ「主は我らを思いたもう」 BWV 196「シンフォニア」*これは弦のみによる弾むようなシンフォニア。(1:40)/カンタータ「見よ、われらエルサレムに向かう」BWV 159より IV. Aria「すべては終わった」 V. Chorale「 わたしには喜びそのもの」*冒頭のオーボエがしみじみと歌って、圧巻のバリトンを支えます。コラールの痺れるようなOVPP(One Voice per Part/各声部一人)(5:42-1:12)/カンタータ「心も魂も乱れはて」BWV 35 第2部「シンフォニア」*チェンバロ(オルガン)協奏曲ニ短調 BWV 1059として流用されたもの(またはその逆?)ここではオーボエも加わって、これは名曲ですよ。(3:37)/カンタータ「われ喜びて十字架をになわん」BWV 56*5曲。あいかわらず雄弁なバリトンのスケールは大きいもの。第3曲「ついに ついに わが 枷(かせ)は解けて 離れ去らん」の明るい表情と躍動、オーボエ・オブリガートが聴きもの。ラストのコラール「来たり みちびけわが 小舟の 舵(かじ)を」も絶品。(6:00-1:41-6:20-1:22-1:27)〜デイヴィッド・グレコ(br)/ユリア・フレダースドルフ/ヴァン・ディーメンズ・バンド/ヤス・モイスィオ(ob)他・・・David Greco (br)は濠太剌利出身の現役、バロック中心にSchubertの録音もあります。新しい録音と思うけれど、詳細情報は探せません。いかにもモダーンな詠嘆な表情を強調しない、端正に落ち着いた声が続きました。例の如く言葉の壁や宗教的素養は薄いので、敬虔な男声の風情と少人数の古楽器の見事なアンサンブル、直接音中心にリアルな音質を堪能いたしました。
Haydn 交響曲第94番ト長調「驚愕」/Edmund Angerer おもちゃの交響曲〜クルト・グラウンケ/グラウンケ交響楽団(1965年)・・・Kurt Graunke Symphony Orchestraは現在でもオペレッタとかオペラ・アリアの伴奏に見掛けるけれど、ミュンヘン交響楽団の前身なんだそう。Kurt Graunke (1915-2005独逸)が創立、彼の珍しいLP復刻音源を拝聴いたしました。朗々堂々たる構えの立派なHaydn、これが当時のスタイル、時代の証言でしょう・・・だけど音質がよろしくないのが残念。全体に大味大仰、楽しみにしていた第2楽章「Andante」の強弱対比(驚愕!たる所以)もいまいちな印象でした。(27:02)
大昔はHaydn、L.Mozart作?などと云われた名曲「おもちゃの交響曲」は軽快なアンサンブルに+数種のおもちゃの超絶技巧アンサンブル。カラヤンも録音しておりました。(1957年)楽譜の指定はどうなっているでしょうね、おもちゃは超絶技巧!おもちゃのトランペットのリズム感よろしく、小鳥の笛がとてもにぎやかでした。こちらのほうが音質はよろしい。(9:30)
2025年1月某日/●隠居生活もやや馴染みつつある日々
元旦は鼻詰まりひどく咳き込んで途中覚醒、散々な始まりです。冬のどんより曇り空。大晦日に枚方などで火事、日本海側では大雪だそう。こちら昨日(去年)も相変わらずの日常なのに、2025年新年という気分一新に至るのは人智なのでしょう。前日も早く眠くなって早々に就寝、早朝いつも通りに目覚めた大晦日、朝一番の洗濯はちょっぴり。
全国あちこちに見掛ける「Dr.stretch」。利用したことはないけれど、前夜偶然動画を拝見。いつも通り朝のストレッチを実施して、それは所詮我流だから不十分だけど、腕肩腰骨盤やら股関節を動かして、それなりに意味のある動きだったと自覚しました。一時間3,300円ほど、左膝古傷もあるし、左肩もちょっぴり不安、いちど梅田に出掛けた時に試してみようかな?整体は当たりハズレがあるそうだし、こちらのほうが科学的な意味合いに信頼を感じました。YouTubeエアロビクスは18分間のしっかりしたものを実施。年末正月も日々の生活リズムを崩したくない。今朝の体重は67.85kg+550gからスタート。手羽先の唐揚げがよろしくなかったのか。
大晦日の売り場を眺めたい気持ちあったし軽いウォーキングがてら、一番近いスーパーに出掛けて、寿司など入手。帰り一年最後のゴミ拾い/功徳を積みました。独り用お節は婆さんのところから女房殿が昼頃届けてくれて、お返しに入手したばかりの生牡蠣調理したものを持っていってもらいました。悩ましいのはビールを喫するのか、自宅在庫には大吟醸のカップ酒(いただきもの/製造年月日は2023年5月/風味は少々落ちても害はないと判断済)そして自家製カリン酒は未だ若い一ヶ月もの。自分には晩酌どころか自宅で呑む習慣もほとんどなくて、酒は美味しい料理を活かすために少々、親しい友人と語らうものといった意味と考えております。(結局ビールは買いませんでした/酒もなし)夕方早々にさっさとお節を済ませました。紅白歌合戦はもう数十年見ていない、格闘技の中継もないみたい。必殺Netflix「深夜食堂」にて乗り切りました。
初詣はどうするか、悩んでいるところです。
Mozart 交響曲第40番ト短調K.550/交響曲第41番ハ長調K.551〜ヤープ・テル・リンデン/アムステルダム・モーツァルト・アカデミー(2001/2002年)・・・2008年来の再聴。これは自分にとっては希少なCD在庫(全集)CDプレーヤーの稼働も年に数回〜閑話休題(それはさておき)古楽器によるこの全集はチェロの名手Jaap ter Linden(1947-阿蘭陀)が指揮したもの、アンサンブルは録音用でしょうか。堂々たる古典派のラストを飾る名曲だけど、なんと穏健マイルドにおとなしい、デリケートな演奏でしょうか。
ト短調交響曲K.550はクラリネット2本入りの版、フルートは1本、ティンパニはありません。いかにも小編成に金管はホルン2本のみだから鋭く輝くようなサウンドは存在せず、泣ける旋律、劇的な交響曲は粛々淡々として、速めのテンポに極端なアクセントも疾走も控えめな表現が続きました。これはこれで稀有な個性、けっこう好きです。第1楽章「Molt allegro」(提示部繰り返し/7:30)第2楽章「Andante」(3:49)第3楽章「Menuetto」(3:49)第4楽章「Allegro assai」(6:54)
ハ長調交響曲K.551にはトランペット2本にティンパニが加わって、ぐっと躍動とキレ、スケールが加わった作品。ノンヴィヴラートの弦が涼やかに歌って、トランペットとティンパニがリズムに躍動を加えてスケールが大きい。基本は穏健路線だけれど、前作品よりかなり加熱された演奏、テンポは中庸。第1楽章「Allegro vivace」(提示部繰り返し/1151)第2楽章「Andante cantabile」(10:14)第3楽章「Menuetto」(4:24)第4楽章「Molto allegro」(9:02)
カスタマーレビューにはこの時期にしては音質に鮮明さを欠く、との評価もあったけれど、解像度に優れ(ト短調交響曲ではフルート、ホルンもクラリネットもよく分離して聴こえる)全体に各パート溶け合った狙いのサウンド作りと理解しました。
Ravel ピアノ協奏曲ト長調(アルトゥール・ベネデッティ・ミケランジェリ(p)/ロンドン交響楽団/1982年)/ボレロ(シュトゥットガルト放送交響楽団/1980年)/ラ・ヴァルス(イタリア放送ミラノ交響楽団/1969年)/スペイン狂詩曲(ロンドン交響楽団/1979年)・・・もちろんいずれもライヴ。ミケランジェリの協奏曲は絶品!音質も良好、たっぷりと濃厚濃密曖昧さのないタッチに千変万化するニュアンス、もちろんチェリビダッケの伴奏も完璧に緻密。ま、たいていの演奏に満足できる軽妙ユーモラスな名曲だけど、この大きさ、重さ濃さが場違いにならぬ確信に打ちのめされました。(8:59-9:21-4:28熱狂的な拍手込み)「ボレロ」は大味にオンマイクだけど音質まずまず。各パートしっかり腰を据えて、噛み締めるように曖昧さのないリズムと、表情豊かな存在感はリアルでした。サキソフォーンがミスってますか?予想通りの大仰に雄弁パワフルな完成度。(16:25)
「ラ・ヴァルス」は音質状態はかなりよろしくない(伊太利亜の怪しいライヴにはほぼ例外はない)入念な細部描き込みと大仰な表情、テンポの落とし方、ラストの熱狂も彼らしい風情でした。(13:55)
「スペイン狂詩曲」は相性のよろしかったロンドン交響楽団。音質はかなり良好。陶酔の表情に充ちた「夜への前奏曲」。「マラゲーニャ」はたっぷり緻密にイヤらしい。「ハバネラ」も陶酔の静謐が続きます。「祭り」もかっちりとしたアンサンブルに曖昧さなく、流麗な表現でした。(19:24/盛大なる拍手入り)各々他の音源に聴けるものと同じと思います。