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音楽日誌

猫ちゃんはなにを考えているの?(路上アート)

●2007年8月某日

日差しは最盛期の勢いを失っているが、湿度高くむしろ不快感強まっております。お仕事チョンボはフォローそのものは成り立っているが、休み明けで出てきたご担当がいろいろ激怒されて、性格的に正確几帳面なるな書式・実務を好む人なんです。ワタシは最低限実務で”最後、なんとかなりゃエエじゃん”的性向と真逆であって、逆鱗に触れている・・・ま、ワタシもさすがにヴェテランでして、いくらでもお詫びしまっせ。本日以降、”お詫び”フォローで忙しいな。相手が根負けして、おそらくは異動も近いだろうと予想して頑張ります。でも、ワタシが起こした失敗を減らすような仕組みを考えなくては。

サイトは定例更新済。久々数年ぶり、エア・チェック音源にて一本更新しました。音楽はほとんどまともに聴けていなくて、昨日通勤時に(こればっかり!の)Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜作曲者/コロムビア交響楽団(1960年ニューヨーク)・・・おそらくはニューヨークの録音用オーケストラ(オスカー・シュムスキー辺りが在籍した?)は技量的に万全であり、録音も良好です。リズム表現が洗練され(過ぎ)ないかわり、得も言われぬ味わい〜時に牧歌的とでも呼びたいような〜が存在して、感慨深いもの。昨日のブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団盤にて、管楽器の”艶”、”色気”、”味付け”など自発的色付けが少々気になったが、こちらコロムビア交響楽団はもっと指揮者(=作曲者)の指示に忠実であって、しかも無味乾燥に陥っているわけでもなし、まさにドキドキするような興奮が待っておりました。

さて、お仕事行ってきましょう。サイト用文書(「音楽日誌」含め)執筆は極めて困難になりつつあります。


●2007年8月某日

いろいろと泥縄式お仕事失敗フォローが、ぼちぼち本番を迎えつつあります。フォローになっているのか?火に油を濯ぐような結末に至っていないか?少々心配であります。五里霧中状態だけれど、転勤当座の意味合いとは大きく水準が異なることを自覚しましょう。いろいろ自ら仕掛け、全体が見えつつあり、過大なる宿題と+自分の注意散漫実力不足での失敗〜なんとかフォロー・・・の毎日也。つまり、走っている!ということだね。残暑続いて、未だ体調万全ではない。でも、休むような状態でもなし。

駅売海賊盤 FIC ANC-190 フィル・アップはデュ・プレのHaydn/中古@250Brahms ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調〜フランチェスカッティ(v)/フルニエ(vc)/ワルター/コロムビア交響楽団(1959年)・・・一般に敬遠しがちの浪漫派音楽だけれど、協奏曲は聴く機会は多いんです。しかし、個人的嗜好としてこの第1楽章の”大仰なる”感じが愉しめない。じつはこの演奏、若い頃にFMエア・チェックで馴染んでいて、この作品の刷り込みなんです。独奏者指揮者ともお気に入りであって、(駅売海賊盤ながら)音質だって充分瑞々しい。クリーゲル(vc)/カーラー(v)盤(1994年)若手演奏をそれなり、楽しんでいたことは記録に残っているが、第2楽章以降の悠々と優しい表現にさえ集中できないのは、もっぱら聴き手の責任なのでしょう。(途中で諦め)

Bruckner 交響曲第7番ホ長調〜カール・シューリヒト/レジデンティ管弦楽団(ハーグ・フィル1964年)・・・マズア盤を聴く前に比較として取り出しました。これは音質の不備乗り越え、稀有な魅力に溢れた演奏と確信しました。さらさらと音楽が流れているように見えて、旋律主張やフレージングに一切の曖昧さがない。細部にまで配慮が行き渡って、薄味上品淡彩だけれど旨味充分なる料理ということでしょう。第2楽章「アダージョ」は18:38(マズア盤は21:33)であって、さらさらと素っ気なく流れ、しかもオーケストラの響きは洗練されているとは言い難い・・・がその説得力たるや!(残念ながら今朝は途中まで)

では、なんとか本日もお仕事乗り切りましょう。


●2007年8月某日

珍しいことだけれど、昨夜は眠くて眠くて充分に睡眠時間が取れました。大きなトラブルあるワケじゃないが(小さなものだったら日常茶飯事だけれど)どうも精神的にしっかり前向きではない。”宿題消化”的、泥縄式お仕事ばかりのような気がする・・・

昨夜〜今朝に掛けて、Bruckner 交響曲第8番ハ短調(1978年ライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会)/第9番ニ短調(1975年ドレスデン・ルカ教会)〜クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団・・・「本場独逸・著名なる演奏者」という前提が脳裏にあるためか、どうしても評価が厳しくなります。前者は第5番と並んで大物作品だけれど、印象はほとんど変わらず。演奏時間81分に及んでCD一枚に収まらないが、フレージングの末尾、旋律の”留め”に甘さがあってテンションが維持できない。大きな呼吸がリズムになって、音楽が意味深く流れない。テンポ云々ではなく、”音楽が弱い”(薄い、軽量、平板な)印象有。各パートの響きの洗練問題は録音印象もあるのでしょう、ルカ教会での第9番にて改善が見られます。

第9番は時にテンポが揺れ、(マズアにしては)激昂爆発してしている感じはあるけれど、逆に落ち着きが不足するし、大音量のところで”意味深さ”を感じない。お気に入り作品ではあるし、途中で耳塞ぎ、コンポの電源を切りたくなるようなことはないけれど、最初っから最後まで物足りない・・・云々と比べて、というのは御法度だろうが、(しばらく聴いていない)ゲオルグ・ティントナー/アイルランド・ナショナル交響楽団による交響曲第8番(1887年版/1996年)のほうが、あきらかにオーケストラのメカニックに問題が多かった記憶もあります。それでも(版の珍しさもあって)”聴きどころ”があったような・・・?ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団との第9番(1997年)も同様。

但し、マズア全集の購入についてはこれで良かったのでしょう。Brucknerについて、少々敬遠気味で聴取機会も減っていましたから。「素直で真っ白な演奏」とのご推奨を信じてのオークション落札だったが、たしかにこの音楽に復帰するには良い物かも知れません。残りも死蔵させずに聴了できそうです。

お仕事は水面下で激動しております。直接自らの作業連続チョンボ発覚(+一応フォロー)、そして取引先も含めそもそも構造を変化させるお仕事も。なんかスッキリしないなぁ、諸作業は粛々と消化して、余裕を以て調整作業や政策立案、視察や交流をしたいが・・・来週より東京出張、再来週もう一回出張が決まっていて(これがいつものサイクル)、そのあとに取引先の要望で更に、東京首都圏の視察コーディネート引率が決まりました。9月は3週連続東京か。徐々に岡山時代のお仕事パターンに接近しつつあるような?

CONCERTHALLCHS CD0121出勤にStravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団(1963年)持参するが、なんと第2部途中で無情にも電池切れ・・・覚悟して聴いているせいか音質もそう苦にならず、クールで正確なリズムを刻もうとする指揮者に対して、フランスのオーケストラは(とくに管楽器)は”自分の色”(なま暖かい艶)を際立たせようとします。それをなんとか押さえ込もうとする葛藤が、妙にアツい雰囲気を孕んで緊張感を高めます。ま、ブーレーズも若かった(38歳!)ということですよ。最後までたどり着けなかったので、また再聴しましょう。

先日、BOOK・OFFでは収穫がいくつかありまして、「ヨーロッパ音楽夢街道〜ローマ」(harmonia mundi FRANCE KHM 100004)もその一枚也。

パレストリーナ モテトゥス「ガリラヤ人たちよ」/「ミサ曲ガリラヤ人たちよ」 〜 フィリップ・ヘレヴェッヘ/ヨーロッパ・ヴォーカル・アンサンブル
フレスコバルディ カンツォーナ・アラ・フランチェーゼ第5番「ラ・ベレロフォンテ」/トッカータ第11番 〜ルネ・サオルジャン(or)
マレンツィオ マドリガーレ「露にぬれた夜明け前に」(6声)/「静かにここにいておくれ」(5声)/ディンディア「私の命である瞳よ 」〜コンチェルト・ヴォカーレ/ネルソン(s)/ヤーコブス(ct)/クリスティ(or)/ユングヘーネル(テオルボ)
G・カプスベルガー 「トッカータ・アルペッジャータ」「コレンテ」「カブスベルガー」〜ポール・オデット(リュート)
ルイジ・ロッシ 5声のカンタータ「悔やむ罪人」〜クリスティー/レザール・フロリサン
カリッシーミ カンタータ「そのように望んだ」/二重唱「婦人との別れ」〜メロン(s)/ヤーコブス(ct)/コンチェルト・ヴォカーレ/ツヴィストラ(vc)/ユングヘーネル(テオルボ)
Corelli 教会コンチェルト ト短調 作品6-8「クリスマス協奏曲」〜アンサンブル415/室内ソナタ ト短調 作品4-2〜ロンドン・バロック
Handel 室内カンタータ「恋人は去った」〜ネルソン(s)/コンチェルト・ヴォカーレ/ヴィーラント・クイケン(vc)/クリスティ(cem)
ムファット 合奏協奏曲第3番イ長調「調和の捧げもの」 〜アンサンブル415
ざっとこんな収録・・・

どれも一流の演奏であり、録音。なによりこの類のCDで有り難いのは和訳+解説でして、レンブラント黄金時代の音楽(ムジカ・アンフィオン)と趣向は似るが、なんせあちらは言葉がさっぱりわからなかった。これで@250、ほか「ヴェニス」「ハンブルク」も購入しました。


●2007年8月某日

昨日は直接取引先への「説明会」(とやら)に伺うが、会場迄暑くてバテバテ。昼から戻ってミーティング、夜は新人君の歓迎会なので残業もできず、深酒もせず早々に帰宅するのはとにかくおツカレ気味のため。それでも食欲落ちたわけじゃなし、傍目には「元気そうですよ」と言われるし・・・体重増傾向を反省します。女房は(またまた介護で)不在〜シャワーあびて、音楽も聴かず早々に就寝、今朝も一時間早く起きて職場近くで朝食〜そのままお仕事フォローでした。

(ワン・パターンだけれど)Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」CD一枚到着。ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団(1963年)はLP以来待望の入手でした。オークション諸経費全部込みで1,300円ほど?はワタシにとっては超・贅沢行為であります。(10枚組ボックスが入手できることもある!価格也)例の如しの劣悪音質は承知の上、たった今久々の聴取中だけれど、即肺腑を抉(えぐ)られるような衝撃とは感じない・・・とにかく、どこかで心身共に調子を整えて音楽に対峙しなければ。

サイト用原稿を執筆するどころか、音楽に対してもざわざわとした心情ばかりで集中ままならず。残暑はしばらく続くのでしょうか。


●2007年8月某日

昨日はスポーツクラブへ出掛け、いったん帰宅した後、西宮のBOOK・OFFへ。ここのCD書籍とも品揃えはたいしたものです。クルマがない我が家としては、最寄りの駅から少々歩かなくっちゃ行けないのが(とくにこの猛暑では)たいへんだけれど。@250CD+新書少々購入しちゃいました。Haydn チェロ協奏曲第1番ハ長調〜ジャクリーヌ・デュ・プレ(vc)/バレンボイム/イギリス室内管弦楽団(1967年)・・・デュ・プレ22歳、当時夫君であったバレンボイム25歳、まさに若者による演奏。技量や躍動という点に於いて、既に完成されている立派なものでしょう。この作品が、雄弁な表現に似合っているかどうかは微妙であり、時代の制限があったと思います。ワタシには少々大柄過ぎ、と(作品的に)感じられました。

DG 447 343-2(しつこく)Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜フェレンツ・フリッチャイ/RIAS交響楽団((p)1953)・・・時代よりかなりマシな音質(打楽器の低音は良く出ている)ではあるが、求めて聴くべき音源なのか・・・(購入は10年以上前)オーケストラの技量は万全ではなく、切迫と緊張が伝わってくる迫力演奏ではあります。但し、余裕と色彩に欠け、堅苦しいのを越え、少々暑苦しい印象があります。つまり、好事家じゃないと楽しめないか。1947年版となっているのが、フリッチャイの作品に対する矜持だと思います。

(「ペトルーシュカ」飛ばし)ピアノと管弦楽団のためのムーヴメンツ〜マルグリット・ウェーバー(p)/フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団((p)1963)・・・これはステレオ録音。ぽつりぽつり途切れるソロに、旋律らしい旋律を感じることは出来ない。まさに”前衛的”であって、ワタシはこの作品もお気に入りです。題名だけで作品を思い出せず、初耳かな?と思ったら、即思い出しました。リヒテル(p)/ニコラエフスキ/モスクワ音楽院管弦楽団(1984年)の非情で強靱なタッチを。こちら音質も良好だし、作品的にも「堅苦しい」「暑苦しい」とは感じさせません。音と音の「間」に静謐さを感じました。

昨夜、テレビで待望の映画「蝉しぐれ」拝見。二時間にまとめるとああなるのか、といったところ。おふくとの「想い」に重点が置かれ、剣術修行がばっさり削られ(兵馬対決のみで代表させるのは乱暴)、与之助、逸平との篤い友情、藩内の権力争い、父君と住民との深い交流などすべてすっ飛ばされた印象です。それでも自害した親父殿をひとりで運ぶ絶望的な気分は(あれだけ時間を掛けても)原作ほどの重さを以て迫らない。「北の国から」に於いて、北海道の情景の細部描き込み、登場人物の心象風景描写のため、恐るべき「間」と「時間」を掛けていたことを(懐かしく)思い出しました。おそらくは限られた予算の範囲で、海坂(うなさか)藩の自然を精一杯描いたのだろうが、なんとも隔靴掻痒・・・原作からほど遠いか。

染五郎、木村佳乃は良かったですよ。映画は女性の観客が大多数だろうから、そこに焦点を当てたのは狙いとして良かったのでしょう。「ハゲタカ」では脇役の存在感が圧倒的であり、筋書きに大きな陰影を付けていたのに、ほとんど添え物とか、エピソードを代表させる程度の扱いは不満でした。


●2007年8月某日

貴重な日曜を充実して過ごしましょう。数日前オークション落札あったCDは「いつまでに連絡なき場合は削除とさせていただきます」と警告、次点の方を繰り上げたら即返答がありました。デスクトップ・パソコン用メモリは意外と高額落札されて送付済み。ヤープ・テル・リンデンのMozart 後期交響曲集6枚はついに入札なく終了(初期5枚分は早々に売れた)〜ちょっと間を空け、値下げして再出品しましょう。なんせ完全ダブり所有なので。

今朝の朝日新聞も楽しいですね。30年を迎える「100万回生きたねこ」・・・筋書きは初めて読みました。これは”詩”の世界であって、余計な飾りを削ぎ落として無限の想像と類推を広げるものなのでしょう。連載されている「朝日求人」のコラムは森永卓郎「仕事力〜君だけの豊かさを求めて」・・・仕事に多くの時間を費やすことが、一律の価値観ではない、ということ。ワタシは人並みにお仕事をこなしている(つもり?)だけれど、ホワイトカラーのお仕事合理化のためには”徹夜も辞さない”といった考えです。パフォーマンスで残業する、休日出勤する、そんなことは絶対にしません!苦労しているところを”見せる”ことが価値だ、みたいなものとは無縁。「トモセラピー」〜癌患者への福音として定着して下さるでしょうか・・・

RCA BVCC-5032Mussorgsky/Ravel 組曲「展覧会の絵」(ピアノ原曲も)はワタシのお気に入り作品だけれど、オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1973年)拝聴。ほんまは1966年CBS旧録音を(安く)探していたんだけれど、オークションにてRCA録音が先に入手出来。じつは後任であるリッカルド・ムーティが5年後1978年に同曲を録音しており、華やかな響きそのままにテンション高く、引き締まった集中力アンサンブルに感銘を受けておりました。これも昨日の「惑星」同様、抑制と余裕の表現であって、華やかに間違いはないが、むしろ弱音での嫋々たる表現に味有。


●2007年8月某日

せっかくのお休みをゆっくりしましょう。オークションはパソコン用メモリが売れて下さいました。本日送付。未着連絡解決せず。そして、落札されたCDは案の定(予想通り)連絡なし〜昼時点で返答なければ削除すると警告済。この方は、以前一ヶ月以上連絡がなくて、また次の入札をされたので「どーなっているの?」と問い合わせたら2件分一緒に入金があったのでした。

edel 0002832CCC昨夜、Rachmaninov パガニーニ変奏曲〜ペーター・レーゼル(p)/クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1980年)・・・ちょっと苦み走って濃厚端正なる演奏は相変わらず。この作品はもっと甘美でも良いのかな?第3番ほどの感銘ではないかも・・・と断言するのも尚早でして、再聴未だ也。問題はお次のTchaikovsky ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調〜ペーター・レーゼル(p)/マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1981年)・・・昨日の話題じゃないが、明らかにオーケストラの薄っぺらさに愕然。前者ザンデルリンクのオーケストラに続けるから、いっそう際立ってその対比が気になります。これもパウル・ゲルハルト教会の収録でして、録音印象だけではないと思うんだけれど・・・レーゼルのピアノもこの作品に似合っているか疑問あります。

Britten 鎮魂交響曲/4つの海の間奏曲/パッサカーリア/アメリカ序曲〜マイヤー・フレッドマン/ニュージーランド交響楽団(1994年)・・・NAXOSの英国音楽に対する執着は賞賛されるべきものであって、ニュージーランドのオーケストラが少々素朴に過ぎるとはいえ、音質状況の良いのはありがたいものです。先日のチェリビダッケ盤はさすがに少々聴き辛かったので。どれも意外と入手に手間が掛かりそうな選曲であり、「アメリカ序曲」はサイモン・ラトルが1981年、作曲から40年ぶりに初演した、と曰く付きのもの。ワタシは「4つの海の間奏曲」の爽快な旋律が大好きです。

昨夜NHKドラマ再放送「ハゲタカ」最終回拝見。全部は見ていないが、「白い巨塔」以来のハラにずしんと響く凄いドラマでした。所謂「村上ファンド」「ライブドア」事件に霊感を受けたのか、事件を予言したのかは知らぬが、単なる企業買収に留まらない当事者の苦渋や思いが迸った名作也。三葉銀行のエリートであった芝野健夫(柴田恭兵)はもちろんカッコ良い(病気は完全に治ったのかな?)が、ホライズン・インベストメントワークス・ジャパンの代表・鷲津政彦(大森南朋)のクールでありながら、揺れ動く心情を描いて秀逸演技でした。アイメトリクスが似合う。

大空電気の辣腕レンズ技術者・加藤幸夫(田中泯)の眼光鋭く、圧巻なる存在感。玩具メーカー「サンデートイズ」代表取締役社長である大河内瑞恵(冨士眞奈美)の アクの強さピカイチ!それに比して東洋テレビ経済部記者・三島由香(栗山千明)の演技はまだ未熟であって、それでも若手抜擢は良いことです。今更、黒木瞳でもないだろうし。IT企業「ハイパー・クリエーション」代表・西野治 (松田龍平)も同様。

こういったドラマは脇役が重要であって、自殺した町工場の社長・三島健一 (渡辺哲)、合理化の板挟みで自殺した「大空電機」情報端末部部長・牛島誠二(徳井優)、三島由香の上司・野中裕二(小市慢太郎)・・・皆エエ味出しておりました。DVDで再度しっかり見たいもの。

行方不明だった送付CDは発見されたそうです。よかった。

なんせ外は暑いので、終日家でゴロゴロ・・・二時間ドラマ再放送豪華二本立て(たまたま別局で連続していただけ)眺め、居眠りし・・・って、最近症状が酷いんです。ソファに斜めになりながら、音楽聴きつつ意識を失うなど日常茶飯事。集中して聴いたわけではないが、音楽も数本〜

Ravel バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)〜ピエール・モントゥー/ロンドン交響楽団(1959年)・・・その粋、洗練、優しさ、録音水準も含め、これほどの演奏は滅多に経験できない・・・(他、クリュイタンス、ミュンシュ〜回顧主義か)。先日、キンキンとした音質が耐えられなかったオーマンディだけれど、Holst 組曲「惑星」〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1975年)・・・先日入手したCDだけれど、聴くのがちょっと怖かったもの・・・オーマンディ76歳、奥行きたっぷりな録音に支えられ、魅力溢れるオーケストラは過剰に叫びすぎず、むしろ抑制を感じさせました。すっかり有名になった「木星」だって、繊細な味わいで聴かせます。驚きましたね。既に晩年の成熟に入っているのか。

Stravinsky ピアノと管楽器のための協奏曲〜フィリップ・アントルモン(p)/作曲者/コロムビア交響楽団(1964年ニューヨーク)・・・出足、ヘロヘロのアサンブルでスタートして、テンポ・アップするときりりとした推進力に変身して、輝かしい世界へ一気に変貌しました。楽しいですね。

夜、久々に女房と、ご近所寿司屋で旬のものを堪能しました。明日はスポーツクラブへ行きましょう。


●2007年8月某日

睡眠は浅いですね。本日は再び猛暑が戻るらしい。オークションは入札一件有。但し、ちょっと問題の方(数回お付き合い有)で返答確立50%ほど、評価もボロボロです。それと、わりとご近所に送付したメール便が「届いていない」との連絡があって、あわててヤマトさんに連絡しました。3度目。(いつもだけれど)お仕事テンション少々落ちております。サイト定例更新済。

昨夜、Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1975年)・・・「原典版」となっているが、ほとんどその辺りのことは知らぬ存ぜぬ状態です。問題は録音会場でして、第4/7/9番がドレスデン・ルカ教会(他はライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会)でして、シュターツカペレ・ドレスデンで馴染みの、何ともいえぬ深みのある音響を誇ります。これは先に聴いた第1/3番と印象がかなり異なっていて、個々のパートの音色響き色気に少々不満(例えばホルン)あるにせよ、瑞々しくも洗練されたアンサンブルで魅了させて下さいました。作品的にも自信があるのかな?ニューヨーク・フィルとの録音もあるんですよね(1993年未聴)。ベルリン・フィルとの1988年ライヴ(FMエア・チェック)も聴く機会を得、これはオーケストラの威力が圧巻だった記憶がある。

非常にクリアで軽快颯爽とした演奏であって、耳当たりがよろしい一方で、あまりに軽量でサラサラしすぎるか、と感じました。威圧感演奏を嫌うとは言いつつ、それは程度問題でして、第3楽章「スケルツォ」はあまりに流れすぎる。「素直で真っ白な演奏」というのはこのことを指すのか、と納得できます。もしかして、後期のスケールの大きい作品でこの個性が生きるのか、との予測もありました。

おっと、時間です。差し迫ったトラブルを乗り切りつつ、来週以降のスケジュールを調整しましょう。

”差し迫ったトラブル”無事ラッキーにも回避。完全にスッキリしたわけでもないが、とにかく一週間終了です。どーしてこんなにいつもいつも疲れているんだろう・・・それと、ちょうど一週間前に送ったメール便が(やはり)到着しておりません。ヤマトさんから返事も来ない。あ〜あ、とうとうアウトかな。

通勤音楽は、Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1976年)・・・ライプツィヒ・パウル・ゲルハルト教会での収録。第1/3番ほどの音質的な違和感ありません。オーケストラの弱さとか、アンサンブルの不備もほとんど感じさせない、全78分に及ぶ長大なる名曲〜一番好きな作品かも。1970年から20年間もシェフを務めたゲヴァントハウス管だけれど、相性は良くないんじゃないか、そんなことを感じました。線が細い、筆勢が足りず、留めが決まらない。墨痕鮮やかではない。悠然を目指したであろうテンポ設定は、緊張感が維持できず、変化に必然性を感じない。サラサラと流れてリズムにコシがない、呼吸は浅い。各パートに自発的な”歌”を求められない・・・悪い演奏とは思わないが、震えるような感動はやってこない。

フランツ・コンヴィチュニーによる1961年録音は、掛け値なし、保留条件なしに怒濤の説得力がありました。わずか十数年でこんなにオーケストラの音色って変わるものか・・・

昨夜、聴いた音楽の件追加。Ravel 「マ・メール・ロワ」/高貴で感傷的なワルツ(1961年)/Debussy 管弦楽のための映像〜「イベリア」(1963年)〜アンドレ・クリュイタンス/パリ音楽院管弦楽団・・・おそらくは1990年代初頭に購入した駅売海賊盤@1,000也。(EMI原盤)録音水準、アンサンブルの集中度、気品あるオーケストラの音色・・・どれもとっても香り立つような芸術であって、感動の質は時代を経ても色褪せず、揺るぎもなし。パリ音楽院管弦楽団やフランス系の指揮者には、ラフで緩い(薄い)響きを連想するが、ベルギー人であり、独逸物も得意としたクリュイタンスの精緻かつ暖かい統率力はピカイチです。この時代の管楽器には震いつきたくなるような色気がたっぷり!

蛇足ながら、「高貴で感傷的なワルツ」「高雅で感傷的なワルツ」という邦訳はいただけないなぁ。「上品でセンチメンタルなワルツ」でいかがか。


●2007年8月某日

昨夜はド残業となってしまい、同僚やら新人君と”ちょっとだけ・・・”(いつもの空しい決意)と安居酒屋に入ったら突然の土砂降り〜止むまで腰を落ち着けちゃったから帰宅はほぼ当日ギリギリ。白ワイン一本空けちゃったしなぁ、反省します。ちょっとお仕事上の悩ましいチョンボがあって、結果的に酒の力を借りて眠った、ということです。女房は父親介護で不在だったし、今朝はシャワーを浴び、頭痛止めを服用して早めに出勤、職場近くでしっかり朝食を摂りました。ま、見た目はフツウだけれど”それなり二日酔い”状態で、お取引先行事に途中から参加して、昼休みご担当と”チョンボ対策”協議。ま、冷静になれば然るべき道は拓けるということです。

例のパターンで(会場が自宅近所でもあったし)早々に帰宅。昼食もインド本場カレーを喰いすぎて、ま、こんな時はまず体調快復優先でダイエット二の次なんです。と、いうことで昨夜〜先ほどまで音楽受け付けず。昨日、朝の通勤時(この時は未だ正気であった)に聴いたのは・・・

CBS/SONY FDCA 338 /250円Rimsky-Korsakov 交響組曲「シェヘラザード」(1962年ブルシロウ(v))/「スペイン奇想曲」(1965年)/Sibelius 交響詩「フィンランディア」(1968年合唱なし)〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団

・・・エエですね。LP以来かなぁ、この演奏を聴いたのは。LP時代はやたらと高音が強調された刺激的な音質だった(マスタリングに慣れていなかったSONYの問題か)記憶があるが、このCDではそんなことはない。明るいサウンド、オーソドックスなクセのないストレート系表現だけれど、各パートが非常に優秀で惚れ惚れするような節回しで魅了します。録音も良好。(「音楽日誌」2006年8月)
その通り。(CBS/SONY FDCA 338 /250円)オーマンディのCBS旧録音は、かなりしっとりエエ感じに変貌していて、逆に相対的に新しいRCA録音が「キンキン刺激的」印象があるんです。ま、ワタシの安物オーディオの相性かも知れません。「スペクタキュラー・マーチ集」(1972/73年録音RCA BVCC-5096)は、「カルメン」「タンホイザー」から始まって、ラデツキー行進曲、最後は「星条旗よ、永遠なれ」で締め括られる壮絶12曲収録だけれど、ワタシは耐えきれずオークションへ出品してしまいました。

せっかくちょっと気温が下がってきたのに、この体調(自業自得)では聴くべき音楽の選定が必要です。慣れていても、ハードなのはダメ。


●2007年8月某日

猛暑といってもエアコン有、それでも睡眠不如意。どんよりカラダ゙重く、左足にも鈍い痛みが残ります。まだまだお仕事上思い悩むことは多くて、客観的には状況前進しているはずなんだけど、ある意味”悪慣れ”か。職場では”す〜いすい”と元気に見えるみたいだけれど、自分なりの理想の姿とはほど遠いんです。そんなもんかな?誰でも。目の前にある細かい作業や宿題を、粛々とかたづけることに腐心しましょう。そこから始めなくては。

Bruckner 交響曲第3番ニ短調(1889年版)〜クルト・マズア/ゲヴァントハウス管弦楽団(1978年)・・・昨夜の第1番に比べ、響きはかなり整理され、オーケストラの各パートにも時に耳を傾けるべき個性が見えております。音質も(同じ録音会場だけれど)それなりにクリア。しかし、この作品だと古今東西、著名な録音が残っているし(それらとの比較では)旋律表現全体構成上やや”弱い”・・・フレージング・ラストの”留め”が減衰するような印象有。ま、素直でそう悪い演奏ではありません。でも、震えるような感動演奏!ではないかも。

PHIPILS音源の海賊盤TX-013  2枚組420円昨日通勤移動中聴いた音楽は、Chopin 名曲集〜アダム・ハラシェヴィチ(p)(1967年)。若い頃ともかく、その後録音には恵まれない人だけれど、この35歳の録音は極上でした。暖かく、明快で自然なタッチ。表情豊かだけれど、妙なクセもなく気品が感じられます。著名な、誰でも知っている作品ばかり14曲収録されるが、オーソドックスにChopin を楽しむには良い一枚でしょう。例えば、ワルツ、ポロネーズ、マズルカ、ノクターン・・・同種の作品をまとめて録音し、CDで聴く、と言うスタイルより「雨だれ」で始まり「英雄ポロネーズ」で終わる〜そんな配列のほうが本来の演奏イメージにずっと近い。駅売海賊盤だけれど、音質も良好です。


●2007年8月某日

深刻な状況にあるわけでなし、本日午前中仕事の先行き段取りを付けて、昼から会議(打ち合わせ含む)三本のため取引先へ。緻密な資料準備は苦手だけれど、大筋を見切って出席者を厭きさせない(当初の目的に導く)のがワタシの役目であり、ここ数年の得意技なんです。でも、今朝はどうにも床を離れたくなかった・・・体調悪くはないが、(珍しく)寝坊したいような、そんな気分でした。つまりやる気が盛り上がっていない。

昨夜〜今朝に掛けての音楽。Mozart 交響曲第40番ト短調〜トスカニーニ/NBC交響楽団(1937年ライヴ)・・・相変わらずのよろしからぬ音質だけれど、それを乗り越えて、いつもながらの速いテンポ(これは数多く聴いていた中最速!)、筋肉質の体躯が躍動疾走する演奏であります。優しいニュアンスとの対比、叩き付けるようなメリハリ、ピタリと縦の線があった優秀なアンサンブル・・・これも偉大なる個性でしょう。以前はこんな演奏受け付けなかったな、と10年前に購入したRCA録音を棚中より取り出しました。

Mozart 交響曲第41番ト短調〜トスカニーニ/NBC交響楽団(1945/46年)・・・こちらRCAのスタジオ録音であって、音質的には”ややマシ”であっても乾いた印象は変わりません。これも超特急トスカニーニは変わらず、そのスピードと正確無比なるアンサンブル+歌を楽しみましょう。少なくとも先日悩ましい思いに至ったエルネスト・ブール盤より、ずっと晴れやかな気持ちで音楽に集中できました。(RCA BVCC-9912/当時は1,000円でも安く感じたものです・・・)

今朝、(Rachmaninov と間違って取り出した)Beethoven ピアノ協奏曲第3番ハ短調〜ペーター・レーゼル(p)/フロール/ベルリン交響楽団(1988年)・・・ソロ/オーケストラともに、とても地味な演奏でして、この作品だったらもっとガンガンものものしく演りまっせ!的イメージがあったが、これだったら素直に馴染みの旋律が耳馴染みます。たしかな技巧、重心は低いが、華やかさのないピアノ〜もう少し聴いてみよう、そう思わせる押しつけがましさのない世界でした。

午前中いったいなにをした?のか記憶もないまま、上司と取引先へ。自分の仕事のツメの甘さ、宿題山積(追加)、トラブル発生と重なって、連続会議、猛暑と相まって激ツカれ状態のまま早々に直帰しました。ま、なんとか乗り切った、ということか。明日こそ宿題をなんとかしないと。岡山時代のチームで頑張っていた派遣さんからメールが来て”辞める”とのこと。そうだろうなぁ、もう愚痴やお仕事改善の相談できる人(=ワタシ)もいないわけだし。若い者に電話してお別れ会の指示(他部署ながら)しました。岡山まで出張らないといけないな。ま、少々の出費より人間関係のほうが大切です!

RCA 82876-60395-2  9枚組(すべての経費込みオークションで)3,500円ほどか帰宅したら、この間オークション落札したCD(二件まとめて)到着。判断を誤ったか?(金額の多寡ではなく)クルト・マズアのBruckner 交響曲全集は1970年代の記録です。この人のBeethoven には失望したが、この時期のゲヴァントハウス管弦楽団ってどん底だったのか。伯林・こんの氏ご推奨でもあり、曰く「素直で真っ白な演奏」〜ほんまか。早速、交響曲第1番ハ短調(リンツ版/1977年録音)拝聴・・・

・・・ふむ。リズムにキレとノリが足りない。オーケストラのアンサンブルに自信がなさそう。弦、木管、金管に深い響きが期待できない。つまり(少なくともこの録音時点)上手いオーケストラではない。録音だっていまひとつ良好ではないせいか、響きが洗練されない〜それでもBeethoven やらMahler に感じた失望はありませんね。なるほど、流麗に過ぎず、煽らず、激昂せず、素直で作為的な表現ではない。世評はどうなのでしょうね(気にしたこもないが)、まだ全貌を聴き通さないとなんとも言えない・・・


●2007年8月某日

結局、家でゴロゴロしていただけだけれど、久々”しっかり休んだ!”実感あった休暇でした。当たり前だけれどほんのちょっと憂鬱、また宿題即仕切ばかりの毎日がやってきて、そのなかでささやかな楽しみや歓びを見出さないと。昨夜、NHK教育テレビ日曜フォーラム「職場を活性化させるには?」の論議が興味深く、つまり「IT時代」を迎えた人間関係はどうなっていくのか、という世代別のご意見拝聴。職場実例は、いわゆる超一流企業だから世間一般の実態を反映しておりません。ワタシは「ディジタル・デバイド」は深刻だと考えていて、それは本来の「格差」の意味だけではなくて、”使える条件”が整った人々でも”本来的な機能で、ほとんど使いこなせていない”という趣旨です。

印象に残った意見ふたつ。岡田斗司夫「地域国境問わず、作業分担合理化(低賃金!)が徹底したアニメ業界でさえ、ひとつのプロジェクトが終われば顔を合わせた”打ち上げ”が必須」、知的若手アイドル代表・真鍋かをりが「口べたで面と向かってはちゃんとお話しできない人も、メールだったら自分の考えをちゃんと伝えられる」・・・この意見はひとつの真理を両面から語っているだけなのでしょう。ワタシは「IT=ネットはチャンスだ」と考えております。メールやサイトで自分の弱点を(やや)隠すことはできても、人間的深み・魅力を偽造増量(賞味期限延長も!)することはできない、つまり神髄は畢竟「人間力」なのだ、と。(それにしても司会のNHK男性アナのオモロくないこと!)

Mozart ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491/Schumann 交響曲第4番ニ短調〜内田光子(p)/クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(2002年)・・・所謂「最後の演奏会」也。罰当たりなワタシはザンデルリンクを苦手としていて、すべて、あらゆる音楽が重量感盤石にガッチリ構成されちゃうのはいかがなものか、と。これは個人の嗜好だから、むしろ独墺系このような方向の演奏は日本では大絶賛でしょう。このMozart は深淵であり、巨魁、細部まで徹底して描き込まれた重量級であって、既にMozart ではなく”浪漫”であり”ザンデルリンク”そのものであります。内田光子のピアノの陰影の対比も指揮者に同化しており、有無を言わせぬ説得力有。

ワタシは浪漫派交響曲はほとんど聴かない(後期作品を除く)が、このSchumannの説得力も比類がない。巨大な伽藍建造物が寸分違わず構築されていくような感慨があって、無意味な揺れ微塵もなく、濃厚苦渋なる世界にわずかな甘美が滲み出て圧巻。ベルリン交響楽団(旧東)の実力はどのくらいですか?流麗なるベルリン・フィルとは異なる、いかにも独逸!苦み走った響きはその後数年、生き残っておりますか?日常聴きに堪えられる演奏ではないが、比類なき個性と存在感を持った一枚に間違いなし。

ほかレオニード・コーガン(v)の管弦楽を伴う作品集(1950/52/80/81年)、トスカニーニのCherbini 交響曲ニ長調(1952年)ほか興味深い聴取があったが、今朝は時間切れ。帰宅して続きが執筆できるかどうか、は微妙です。おそらくはムリ。

ぼろぼろ四苦八苦、机上阿鼻叫喚状態放置して帰宅いたしました。世間並みサラリーマン残業です。毎日毎日宿題溜まって、いつになったらすっきりできるのか。明日か明後日には一区切り漬けたいもの・・・久々のお仕事は疲れるなぁ!でも、ま、職場内人間関係良好也。自分のオークションは入札さっぱりだけれど、また数件落札〜ほとんどビョーキ(死語)ですな。あぶく銭貯める分だけ消費している計算か。

昨夜の音楽の件、Chausson 「詩曲」(パーヴェル・コーガン/ソヴィエット国立交響楽団1980年)/Sarasate「カルメン幻想曲」(ネボルシン/大交響楽団1950年)/Wieniawski「伝説」(ガウク/国立放送大交響楽団1952年)/Barberヴァイオリン協奏曲(パーヴェル・コーガン/ウクライナ交響楽団1981年)/Mozart アダージョ ホ長調K.261(パーヴェル・コーガン/モスクワ・フィル1981年)〜レオニード・コーガン(v)・・・すべてライヴ音源でして、作品も多様、収録年代もオーケストラも様々だけれど、硬質で骨太、モダーンで硬派な演奏スタイル、音質そこそこ(に良くない)なのも全部一緒なんです。素晴らしい技巧の連続だけれど、さらりと流れない、安易に流さない。甘くない。歯応えある演奏です。

HISTORY 205187-303  10枚組2,290円Beethoven 交響曲第8番ヘ長調(1939年)/ヴァイオリン協奏曲ニ長調(1940年)〜ハイフェッツ(v)/トスカニーニ/NBC交響楽団・・・怪しげ「HISTORY」レーベルのせいか、音質は乾き切って硬く残響も低音も壊滅状態だけれど、それでも溌剌とした躍動、メリハリ、歌はちゃんと聴き取れて価値ある演奏です。こんなBeeやんだったら、時々お付き合いしても大丈夫。Cherbini 交響曲ニ長調(1952年)は(ほんのちょっと)音質はマシ。この人はMozart /Beethoven の間、ほぼ同時期の人(1970〜1842年イタリア)でして、颯爽とカッコ良いHaydn風(いやMozart か)作品と聞こえます。おそらくはトスカニーニの演奏が陰影豊かで、ストレート、すこぶる生き生きとしていて、作品の価値を高めているのでしょう。

エエもん聴きましたね。トスカニーニは一般に乾いた音質で損をしているか、と思います。


●2007年8月某日

さて、夏休みも名残惜しくラスト。昨日、女房は父親介護に出掛けたので、昼から二時間ドラマ再放送眺めて(これはいつものパターン)夕方、ご近所古本屋2軒覗いて(この辺りには昔風のが数件残っているんです)藤沢周平を探したが、存在せず。代わりと言っちゃ失礼だけれど、これも気になっていた山本一力「蒼龍」(文春文庫)購入して、ちょっとだけ夕食代わりの居酒屋へ。泣けるなぁ、江戸の職人に設定を借りた、現代の物語そのものなのでしょう。山本さん自身の境遇を反映したとされる表題「蒼龍」は、とんでもない借金を背負った若い夫婦の一攫千金狙いの物語だけれど、日常腕の良い大工仕事の他に、焼き物のの絵付けデザインに挑戦する・・・でも、最後まで採用にならずに終わってます。それが余韻になっているのか。一本気な職人気質、幼子を抱え夫を励まし、堪え忍ぶ女房・・・こんなのって、若い人が見ても共感できるんですか?「節分かれ」は商売の矜持、みたいなものを誇り高く描いて、これは優れて現代的な課題でしょう。我が故郷・北海道の企業は、この筋が通せなくて次々とバカやって自滅しております。

もう休みは終わりだけれど、ちょっと失敗したかな、と思うこと〜それはパソコンでして、少々奮発してXP→VISTAに(それに相応しいマシン含め)変更すべきであったかな、と。がないほど、デスク・トップもノートも順調(現状安易)に動いております。日常使いになんら問題はない。むしろ、変更することによって旧式の周辺機器(ムリヤリXP認識させているスキャナとか、既に会社が消滅している激安3,000円無線LAN機器とか)が動かなくなる可能性があるんです。そのことを言い訳に、新しいことに着手できない。デスク・トップマシン(2年程前に女房が勤めていた会社で”廃棄”したものを修理)のメモリは768mb(CPUはP-4/2.4gh〜充分でございます!)であって、それは二世代くらい前のSDRAMなんです。(余っているメモリをあわててオークションに出品)1gbにすればより反応良くなりますか?ハードディスクはシリアルATAじゃないとダメ?

”現在のでも充分使える”からと言って、新しい技術に着手しないとボケるんです。仕様が二三世代進んじゃうと、次回購入時には「出来合」マシンしか買えなくなって、旧マシン部品は「外付けハード・ディスク」くらいにしか使えなくなる可能性も有。最近、目の覚めるような素晴らしい機能を持った”フリーソフト”にも出会っていない・・・知らず「時代遅れ」になる自分が怖い。マシンの使い方に発展がない。一年半ほど前に(かなり立派な)ノートパソコンを購入し(現在に至るまでまったく順調)、その数ヶ月後に女房用ノートパソコンを中古で購入〜メモリの追加、OS(XP)の導入、無線LANの設定以来なにもやっていない。ああ、出張用旧式VAIOはOS設定(Me)をなんどかやり直したが、出張そのものが激減してしまって使用機会がなくなっております。

数萬円の投資で知的刺激、ノーミソ前頭連合野活性化するのなら、安いものか。それとも単なる贅沢か。昨夜、酔った勢いで(また)CD落札しちゃいました(買うほうばかりで、ちっとも売れない)。〜今朝、喰いすぎでハラが出ている自覚あるので、これからスポーツクラブへ行きましょう。カラダ健全化への投資はムダになりません。暑さに負けられん。明日から、どよ〜んと重いお仕事待っておりますから。

聴いている音楽すべてに言及しているわけでもないし、”摘み聴き”、”聴き捨て”もあり、”失念”もあります。コメントしたいCDはパソコンの上に置いておくが、油断するといつまでも片付かない。棚中に戻すともう思い出さない・・・

Beethoven 「プロテウスの創造物」作品43〜ベイヌム/ロンドン・フィル(1952年)+Brahms 交響曲第1番ハ短調〜こちらはコンセルトヘボウ管弦楽団との(旧)録音を聴きました。ベイヌムはこれからステレオ録音が本格化する!直前に亡くなっていてLP時代は前任メンゲルベルクの圧倒的個性と、新進のハイティンクに挟まれ、注目度が低かったように思います。両曲とも骨太の推進力があって、モダーンで引き締まったロンドン・フィル、深みのある暖かいコンセルトヘボウの違いが愉しめる・・・というか、録音音質そのものがかなり違ってますね。Brahms は1958年ステレオ録音とあまり変わらず、ぐいぐいと燃えるような躍動がありました。モノラルだけれど、奥行きがちゃんとあって聴きやすい。

PHILIPS 464 950-2Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1955年)・・・

終楽章のティンパニの炸裂・テンポのタメ、揺れが個性的で決まっているが、全体としてはストレート系で粘着質の表現ではない。オーケストラの豊かな響き(リキみも威圧感も皆無)を生かして、ほとんど素朴、暖かく、骨太で推進力がある。テンポ設定も速めで、思わせぶりな「間」も存在しないが、瑣事こだわらず、といった侠気(おとこぎ)演奏です。エエ感じですな。「コンセルトヘボウの黄金期は1950年代」という説に一理有。 (「音楽日誌」2005年6月)
・・・なるほどね。快速の演奏だけれど、勢いは急いた印象にならない。貫禄充分也。
よーやくこの演奏の神髄が見えてきた感じ。やや速めのテンポ(72:28)、神経質神妙なる方向ではなく、粗野で燃えるようなな推進力を誇る迫力であります。”粗野”とはアンサンブルのことではなく、深みのあるオーケストラの響きを存分に駆使しつつ、”推進力が粗野”なんです。全体としてストレート系の表現(最終楽章に、一箇所”タメ”が素晴らしく効果的!)ながら、、モダーンかつ濃密骨太なるサウンド充満して、音質問題を忘れさせて下さいます。やはり(若き)ハイティンクとは貫禄の桁が違う! (「音楽日誌」2007年6月)
・・・なんや、最近も聴いているじゃないの。けっこう愛聴盤に至っているが、そのことも失念している・・・

苦手苦手と愚痴りながらも在庫がじわじわ増えていくBeethoven 。先日購入したボックスよりピアノ協奏曲第1/2番〜ペーター・レーゼル(p)/クラウス・ペーター・フロール/ベルリン交響楽団(1991年)・・・この人の演奏には(今のところ)ハズレがないんです。ジミでクール、重心は低いが重苦しくなく、明快なタッチだけれど、明るくはない。結論的にこの演奏はとても愉しめた、ということです。録音もエエですね。

録音で思い出した!Hindemith ピアノ協奏曲(1945年)〜ゲルハルト・プヒェルト(p)(1949年録音)/Britten 鎮魂交響曲 作品20(1946年録音)/Glie're コロラトゥーラ・ソプラノと管弦楽のための協奏曲(1946年録音)〜エルナ・ベルガー(s)/チェリビダッケ/ベルリン・フィルハーモニー ・・・悪戦苦闘しつつ聴いていましたね。XXCM(History)のチェリビダッケ10枚組のセットは一般に音質が厳しいんです。(オリジナルの状態は知らぬが)Hindemithは作品そのものが滅多に録音を見掛けなくて、それこそこのプヒェルト盤しかネットで探せません。驚くべき程硬派で難解無感情なる旋律を、いやらしいくらい明快強烈なタッチ(録音は良くない)で表現して下さいました。鎮魂交響曲も同様に重苦しく、Glie'reはじつはワタシのお気に入り作品であって、コロラトゥーラ・ソプラノをソロとした協奏曲!と言う着想そのものが凄い。

でも、やっぱり音質が厳しいとたいへんですな、とくにこの猛暑では。

行ってきました阪神尼崎(のスポーツクラブ)。バス往復400円、施設使用料が一回870円(法人契約)。毎度のことながら、しっかりたっぷり汗流して入る大浴場の快適さよ。いつもの先生が夏休みらしくて、別の先生の流儀が違うから半分以上付いていけないが、恥ずかしささておき、カラダを鍛えることが重要なんです。昼もがっちり「王将」で喰いました。猛暑中では、まずしっかり喰うこと優先でダイエットは後回しでしょう。昨夜の不摂生+今朝甘いパン3つもいただいたので1kg体重増へ。

KC-0003  100円だったか?Brahms 交響曲第3番ヘ長調/ハイドンの主題による変奏曲(1964年)〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィル・・・恥ずかしながらワタシの所有しているCDは筋金入りの駅売海賊盤であって、やや曖昧なる”いかにもLP板起こし”的音質です(時に音の揺れも有)。カラヤンは是々非々で聴いているけれど、これは立派な演奏ですねぇ。耳当たり良く、磨き上げられたオーケストラの美しさ(とくに弦と木管)と雄弁なるスケールを堪能させて下さいます。躍動とか歯切れ良さ、快活なる盛り上がりという点で難癖は付けられるが、ひとつの完成された世界に間違いなし。「ハイ・バリ」でこれほど立派な演奏はかつて聴いたことはない。あながち否定できず。


●2007年8月某日

昨日はあまりの猛暑に終日外出したくなかったが、夕食は本格インドカレーを喰いに武庫之荘方面へ。できたばかりで、ワタシらの転居と同時期ですな。各々野菜とチキンのカレーセットをナンと一緒にいただくが、深い味わいでおいしくいただきました。オークションは一件入札あって終了し、ヤープ・テル・リンデンのMozart は本日2週目ラストでとうとう入札なし。ちょっと間を置くかな?断続的に音楽を聴いているが、精神的に緩みきっているので、何を聴いたんだか記憶さえなし。いくつか思い出してみると・・・

Mozart 嬉遊曲第15番 変ロ長調K.287(271h)〜ヘルベルト・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー(1965年)・・・第2楽章変奏曲が天国的に美しい作品だけれど、カラヤンは流線型流麗華麗ムーディーに仕上げます。ベルリン・フィルの磨き上げられた弦(+ホルン2本)を駆使して、厚みも雰囲気もタップリ甘美に仕上げて、その完成度たるや驚異的・・・あとはこんなスタイルを許容できるか?聴き手の宿題でしょう。ワタシは、馴染みの(ふだんは飾らない、清楚な)女性に完璧メイク(厚化粧)で出会ったような、そんな印象を持ちました。立派な演奏だけれど、別な作品を聴くような感慨有。

CBS/SONY 30DC 788Respighi 交響詩「ローマの松」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1968年)・・・一年前2006年7月に中古500円で購入したもの(ちょっと贅沢)。1986年定価3,000円であって、20年を経てLP以来の再会した。これが凄い。この類の録音はたいてい自信満々で臨んでいて、事実素晴らしい成果を上げているのでしょう。CBS時代最末期の録音極上であり、LP時代のハイ上がりキンキン刺激的なもの(あれはSONYはんのマスタリングやカッティング技術の不備だったのか?)ではない、豊満かつストレートな表現、輝かしくオーケストラが鳴りきって息を飲むような成果を上げております。どうして発売当時話題にならなかったのか。独墺系中心称揚だった、当時の音楽評論家諸氏の評価は低かったと思います。信じられん!あまりに素晴らしさにお次の「噴水」(1968年)「祭り」(1960年)を続けて聴けません・・・

【♪ KechiKechi Classics ♪】はクラシック音楽の廉価盤CDのサイトであって、基本は贅沢しちゃいかん、ありがたく、大切に音楽を聴け!ということ(結果、けっこうな出費にはなっているが)だけれど、金額の多寡を問題にしているんじゃないんです。仮に壱万円超・贅沢CDを購入しても、とことん聴き込んで心底愉しめば”安い”ものだし、どれだけ激安CDを入手できても、粗雑な聴き方(または購入したっきり、聴いていない〜すみません!)だったら”高い”・・・ことある度、千度サイト上で書いてきたつもり。

最近、CD処分継続し(同時に購入もし)て、忘れていた懐かしいものが(整理進んだ)棚中より出現・・・Bartok「管弦楽のための協奏曲」〜ライナー/シカゴ交響楽団(1955年)は、おそらくは1990年頃中古2,000円ほどで購入(定価3,200円)したものであって、ワタシのCD生活最初期購入のもの(長い付き合い)となります。そういえば、ハイフェッツやルービンシュタイン、小澤征爾などRCAレーベルで「定価2,000円」購入けっこうしてますね。かつてのワタシのコメントには賛辞が不足しております。

正確無比なる技術、クールで隙のない集中力、圧巻強靱なるオーケストラの馬力、輝かしさ、ムダを削ぎ落とした表現〜それが結論として強烈な説得力を以て聴き手に迫るという事実。「展覧会の絵」含め、例えばクリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団の演奏には感銘を受けなかった〜「正確無比なる技術、クールで隙のない集中力、圧巻強靱なるオーケストラの馬力・・・」同条件が揃っても「強烈な説得力」に至らず、砂を噛むような空しさばかり・・・(あくまで個人の嗜好であります/CDは既に処分済)ライナーにはマジックがあるんです。

PHILIPS UCCP-9479(ああ、いろいろと思い出してきた)Brahms 交響曲第2番ニ長調〜ピエール・モントゥー/ロンドン交響楽団(1962年)久々再聴。以前、このサイトでも話題になった人気作品でした。”極め付き”として定評ある録音だけれど、(おそらくは数年間)ワタシは悩んでいたんです。で、発見はいろいろと・・・この国内盤は強奏で音が濁ります(おそらくはワタシのヘロ・オーディオの責任に非ず)。”枯れたような・・・”みたいな論評先入観(=間違い)があって、ようはするに数日前聴いたSibelius 同様、メリハリたっぷり躍動する、明快で若々しい演奏なんですね。

諄々とした地味渋系嗜好を強めていた(当時の)ワタシは、予想外の明るさに困惑していたのでしょう。Brahms としてワタシの理想とは異なるが、モントゥーの個性を愉しめる時期がやってきたかも知れません。


●2007年8月某日

よく眠れ、エエ具合の早朝起床也。体調良好。サイト定例更新済み、いつの間にか原稿在庫尽きてきたので補充必要です。昨日、Mahler 交響曲第1番ニ長調〜岩城宏之/札幌交響楽団(1988年11月15日北海道厚生年金会館ライヴ〜FM放送よりエア・チェックMD)を聴いたけれど、瑞々しいオーケストラの響き、ストレート系飾りの少ない推進力は記憶通り、なんとかサイト原稿にまとめようと考えるが、先入観というか、贔屓目が先に来てしまって、まともな文書になりません。

SONY 888697103112/9Stravinsky22枚は、かなり未聴部分に突入しております。三楽章の交響曲(コロムビア交響楽団1961年ハリウッド)/交響曲ハ調(CBC交響楽団1962年)/詩編交響曲(トロント・フェスティヴァル・シンガーズ/CBC交響楽団1963年)・・・「三楽章の交響曲」は若い頃からFM放送エア・チェック・カセットにて馴染みです。1939年(57歳)アメリカでの作品であり、既に「新古典派」の時代となっているが、かなり暴力的な原始主義時代の名残があってピアノの活躍も好ましい名曲。記憶よりずっと音質が鮮明で、オーケストラも上手い〜勢いと威圧だけではない味わいもたっぷり・・・

そういえばこの作品、演奏家クレジットなしPILZ盤を処分して以来持っていなかったかな?と、サイト内検索を掛けると、ユージン・グーセンス/ロンドン交響楽団(1958年?)、コンスタンティン・シルヴェストリ/フィルハーモニア管弦楽団(1960年)、ロジェストヴェンスキー/ロンドン交響楽団(1990年)を聴いておりますね。残りの2曲はCBC交響楽団(カナダ・トロント)との録音でして、これがLPオリジナルの収録となります。初耳。意外とちゃんとしたアンサンブルのオーケストラ(録音も悪くない)であり、なにより合唱の技量が凄い。「詩編交響曲」は1930年の大昔録音でも楽しめるが、ワタシには「声明」(しょうみょう)に聞こえるんです。非常に怪しく乾いた旋律が、極めて明快クリアに歌われて雰囲気で聴かせない。

さらにもう一枚、Stravinsky 交響曲 変ホ長調 作品1〜作曲者/コロムビア交響楽団(1966年ハリウッド)・・・正真正銘初耳4楽章40分の交響曲也。あまり録音も演奏機会もないですね。(ドラティ、プレトニョフ、アシュケナージの録音があるらしい)ロシアン・テイストのR.Strauss的味わいがあって、ま、師匠であるRimsky-Korsakov によう似ている・・・ということです。親しみやすい旋律連続で駄作とは言わないが、40分続けて聴くには少々根性必要でしょう。もしかして、構成力のある専門の指揮者なら印象一変なのかも知れません。

余白にリハーサル風景6件が収録され、「自演の録音はほんまはロバート・クラフトがほとんど指揮しているんだ」という噂を否定します。ま、下振りはしていたかも知れないが、ちゃんと解釈を伝えて練習しております。

神坂次郎「元禄御畳奉行の日記〜尾張藩士の見た浮き世」(中公新書)・・・増川宏一「伊予小松藩会所日記」(集英社新書)と並び、江戸時代のリアルな風俗を見るには最高の一冊!江戸・元禄期の尾張藩士・朝日文左衛門は酒好き遊び好きの(事実酒が原因と見られる病で亡くなっている/肝硬変か?45歳)俗っぽい下級武士だけれど、元祖”ヲタク”的マニアックな記録魔。88,863日間亡くなる前年まであらゆる世情をこと細かく、お上にとって不都合なことまで(例えば「生類あわれみの令」の実態)詳細漏らさず、所謂現在で言うところの週刊誌的野次馬根性抜群の興味を以て書き綴られ、それが現在まで保持された・・・驚異的な一冊!

当時でも名古屋は都会だったんでしょうね。旧い時代は皆素朴で、昔はよかった・・・的ステレオ・タイプ史観はありがちだけれど、国家神道だって明治辺りで出てきたものだし、(某ソーリが絶賛する)戦前の軍国主義・教育勅語だって、そんな歴史的なものではない。一方で日本人嗜好に変わりないものはちゃんとあって、例えば江戸時代・寺子屋の普及に見られる教育熱心さ、キーホルダー/ケータイ・ストラップ的細かいものも昔から人気があった。「御畳奉行」に出世した文左衛門の仕事ぶりは、まさに現在の公務員官僚(個々人を攻撃するものではありません/仕組みと趨勢のことです)に通じるものであって、天下太平の武士って、ほとんどまともに働いていないんですねぇ。

食生活、酒のことは頻繁に出ていて、酒席の失敗談(武士の魂・刀を忘れたり/文左衛門は鞘を残して、抜かれている)数限りなく出てきます。(二日酔いも日常茶飯事)畳奉行として京・大阪への買い付け出張は、アゴ足付きで連日接待漬け+芝居見物は武士にとって御法度だったらしいが、彼は大好きだったんですね。日記にはお仕事の話しはほとんどない。江戸時代の女は貞淑だったろうというのは大間違いでして、かなりの身分の武士の妻、藩主の母親も含め淫乱な事件は後を絶たなかったらしくて、乱れきっておりますね。嫁姑の激しい戦い(斬り合い殺し合い)は300年以上経った現在と変わらない。正妻妾の戦いは現在と仕組み文化が違うから一概に論じられない(当時は同居だったんだなぁ/世継ぎ第一主義だし)が、女性の悋気は今昔を問わないらしく、文左衛門の悩みの種だったらしい。

日本のシェイクスピア・近松門左衛門が流行れば、世の中一気に”心中ブーム”がやってくる。盗賊やらオカルトめいた噂話とか、日本人はそんなものが大好きなんです。当時はマスコミやら情報源が限られているから、逆に口コミで一気に広がったらしい。現在なら不確かな情報がオーヴァーフロウした結果、同じ結末に至ってますね。ちょうど「赤穂浪士」事件の真っ最中なんだけど、文左衛門の日記扱いは小さく、当時は話題になっていなかったらしい。後に講談とか、芝居とかで熟成され醸成されて現代迄のブームに至るわけです。

現代日本はどんどん悪くなっている・・・的論議には一見説得力はあるけれど、じつは凶悪犯罪は減っているらしいし、ネット上の出会い系サークルなどなくても怪しい男女関係はお江戸の昔からいっぱいあった、ということです。コ〜イ一冊也。


●2007年8月某日

昨夜は睡眠不如意。起き出して深夜のプロレス眺めたりで時間つぶしました。体調は悪くありません。売れ残ったオークションは全然入札がない。ヤープ・テル・リンデンのMozart 後期交響曲集は、まったく同じものが別途(高い価格で)入札されていて、一足違いでそちらの出品が早かったのか、それとも見落としか。上手くいきまへんな。値下げして再出品しましょうか。さて、きょうの休みはなにをしようかな。BOOK・OFFにて書籍を整理処分するか。きっと電車代で消えてしまうが。

昨夜、SONYCLASSICAL  SRCR1627  (1,000円の国内盤。1996年発売)Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団/パワー・ビッグス(or)(1962年)久々拝聴。RCAはSONYに吸収されたから、この旧録音は再び日の目を見ない可能性有。オン・マイクでデッドな音質が少々気になります。演奏そのものはパワーがあって、虚飾ない表現、骨太、まっすぐな推進力があって悪くない。こういった作品は、華やかで優秀なオーケストラが映えるのでしょう。”深遠なる精神性”みたいなものは求めていないと思います。このCDは20世紀末期、未だ「1,000円盤は安い!」と実感できた時代のもの。次のCDもそうです。

Mozart 交響曲第39/40/41番〜ヨゼフ・カイルベルト/バンベルク交響楽団(1960年)・・・(ベルリン・こんの氏による、偉大なる労作ディスコグラフィはこちら)たしか、1999年岡山に転居して、最初期に購入したCDの一枚也。今や貴重なる国内プレス盤(TELDEC WPCS-6060)。音質は時代相応であり、バンベルク交響楽団の田舎臭い、洗練されない響きもけっして嫌いではない。もちろんカイルベルトの手堅い、奇を衒わない、着実な表現だって立派だと思います。イメージとしては、いかにもオペラ一筋の人がコンサートを振った、そんな感じ。でもね、聴き手であるワタシはちょっと遠いところに行ってしまった・・・そんな感慨がありました。Mozart に求めるものはなんですか?飽きの来ないしっかりとした演奏に間違いはないが、”ドキドキ感”やら”発見!”が足りないか。これは聴き手の傲慢なのでしょう、おそらく。

バスにて塚口へ。書籍25冊処分410円也。バス代往復400円。CDも本も買っておりません。帰りは立花駅まで行って、数年ぶりにマクドナルド・ハンバーガー購入。ふだん、その類のものは食べる機会はなくて、たまにはエエかな、と。あとは自宅で涼んでおります。昔の時代劇を見たり、二時間ドラマの再放送眺めたり・・・ノンビリ。サイトもちょっとだけ更新しました。

(先日オークションにて入札した)Haydn 交響曲第92番ト長調「オックスフォード」/第91番 変ホ長調〜コリン・デイヴィス/コンセルトヘボウ管弦楽団(1983年)・・・この間、届いたCD中、唯一未聴だったもの。交響曲第94「驚愕」(1981年)/101番「時計」(1979年)には、時にちょっと愉しめない印象もあったが、こちら作品旋律的にも、ふっくらとした暖かいオーケストラの響きも極上と感じました。これは聴き手がリラックス・モードに入っているからですか?

待望の入手だった「モントゥー7枚組」(英DECCA 475 7798)中、LP以来、待望の再会だったSibelius 交響曲第2番ニ長調〜ピエール・モントゥー/ロンドン交響楽団(1958年)・・・”北欧の清涼”とかなんとか、ワタシもそんな方向が好みだけど、この演奏は緑豊かな、青葉茂り生命(いのち)萌ゆる演奏なんです。時代相応の劣化はあるけれど、分離の良い鮮明な録音と、鳴り切った金管の迫力が爽快!それは(例えばロジェストヴェンスキーのような)無遠慮に脂ぎったものではなく、どの旋律も明快に、朗々と歌うラテン系の明るい響き。痺れました。

映画化なる「HERO」の再放送見ました。女性軍には圧倒的にキムタク人気だろうし、自然体の演技も悪くないが、サイドを固める個性的俳優陣のクセが凄い!大塚寧々、阿部寛、勝村政信、小日向文世、八嶋智人、角野卓造、そして「あるよ!」のマスター田中要次・・・でも、堅物で融通利かない松たか子がとにかく可愛い!犯人役のりょうも素敵でした。


●2007年8月某日

昨夜はよく眠れました。お休みに向けて体調改善はありがたいことです。最近、休みに体調崩して、休み明けになんとか快復!みたいなパターンが多いので。本日、午前中お仕事終了を締め切り目標としたいが、”考えて(修正再)提案する”作業が付加されたので、大苦戦が予想されております。今朝も真夏日和也。

Mahler 交響曲第6番イ短調〜ミラン・ホルヴァート/フィルハーモニア・スラヴォニカ(録音年不明)・・・久々再聴しました。(但し途中まで)あちこちのサイトで話題になることもあって「フィルハーモニア・スラヴォニカ=スロヴェニア・フィル」というガセネタも発見いたしました。名前は似ているが、フィルハーモニア・スラヴォニカは匿名オーケストラであってことはそんな単純ではない。ワタシはホルヴァートの経歴と、整った線の細いアンサンブルから「オーストリア放送交響楽団」(現ウィーン放送交響楽団)と類推。低音と凄みに欠けるが、アンサンブルの集中力と親密さに於いて、看過できない立派な演奏と思います。

第1楽章のみ比較を〜ということで、ハルトムート・ヘンヒェン/オランダ・フィル(1989年)を・・・ホルヴァートに比べ、やや遅めのテンポで暗鬱な雰囲気は勝るでしょう。ライヴなのかな?アンサンブル的にぱっとしない、というか、ずばりオーケストラが上手くなくてあちこちのパートが自信なさげ、曖昧なフレーズが聴かれました。ティンパニが落ちている・・・との情報をいただいたけれど、少なくとも確信を持ったリズムの楔!ではない。

ま、昨日の「復活」といい、この「悲劇的」といい、こんな大曲が聴けるようになった、ということで精神的にはOKということでしょ。

”7枚組5,019円”(オークションで2枚計800円ほど既存ダブり分処分したが)とは少々贅沢な購入だった「ピエール・モントゥー7枚組」は、少々コンピレーションがムリムリであって、Brahms 「大学祝典序曲」(1958年)+Tchaikovsky バレエ音楽「眠れる森の美女」(抜粋1957年)とはねぇ・・・いくつかPHILIPSからの音源流用もあるんだから、どうせなら「白鳥の湖」(抜粋1962年)で一枚に仕上げればよいと思うのですが。いずれ、録音状態もロンドン交響楽団も絶好調で、これ以上の躍動と迫力、希望に溢れた「大学祝典序曲」はかつて聴いたことはない。こんなエレガントな「美女」にも出会ったことはない・・・

本日行った行為が、即結果として出るわけではない。たった今現在発生した事象は、じつは3ヶ月前の結末かも知れない。だから日々の”占い”などあてにならんのです。とにかく朝から集中して、昼時点で予定消化90%・・・やはり完了はムリ(残念)。昼食を新人君や上司と一緒に摂りつつ、次の目標を(フレックスのコア・タイムである)3時に設定〜無事に終了させました。これで(体感的に)一年の半分終了のケジメ。苦しかったな。疲れ果てた感じ。お隣の部局のお友達も誘って3時より飲みましょう、と職場を出るが、さすがこの時期に開いている店もなし(まだ明るい時間だし)。猛暑の中、新大阪まで歩いて二時間半ほどしっかり、楽しく飲みました。

嗚呼、これで一区切りだなぁ。転勤した当座はどうなることか?と思ったが、数ヶ月経てば自分の生活スタイル、お仕事スタイル、しっかり確立するものです。職場での確固たる位置付け、取引先との関係もそれなりに出来上がって、また幸せな毎日だと評価できるでしょう。体調かなり改善。でも、草臥れたなぁ、やっぱり年齢(とし)か。これから数日、お仕事のことは忘れてノンビリしましょう。女房はいろいろとたいへんになりつつある、両親のところに出掛けております。

Dclassics DCL 707222  300円帰宅して、Respighi 交響詩「ローマの松」「ローマの噴水」〜ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団・・・オーケストラのネーミングから類推して1960年代の録音だから、30歳台か。録音も含め、きわめて明晰、歯切れの良い演奏であって、次期巨匠として嘱望されたのでしょう。たしか、「ダフニス」全曲、「春の祭典」、「三角帽子」などの録音がEMIに残っているはず。いずれ管弦楽の華やかな効果が望まれる作品であり、華やかでオーケストラのコントロールに優れた演奏であります。誰も自宅にはいないので、思いっきりボリューム上げて聴きました。

フィル・アップは「鳥」〜ネヴィル・マリナー/アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ。1976年の録音か。1975年にロサンゼルス室内管弦楽団との「古代アリアとリュートのための舞曲とアリア」の録音があるけれど、音質的にもアンサンブルの集中力(ユーモラス、かつ快活!)としても、こちらのほうが上々の印象でした。


●2007年8月某日

夏らしい夏、続きます。体調未だ完璧ではなく、とにかく休むべき時期に至っているのだろうが、本日、もう一山商談有〜それを受けて内部資料完成させないと休めない・・・気になったまま放置している案件もあって、気付けば既に8月中旬だから待ったなし状態に至っております。

昨夜、Bach 「シャコンヌ」〜ナルシソ・イエペス(g)の抑制と静謐に深い感動を覚えました。ネットで関連記事を検索すると、若きイエペスがセゴヴィアの前で演奏して、クソミソに評されたとのこと。セゴヴィアの演奏(1947-49年)で比較対照してみるが、なるほど自由闊達、情熱的に揺れ動く演奏であって、これはこれで凄い説得力がありました。(音質も悪くない)これは音楽に対する基本姿勢の違いなのでしょう。”抑制と静謐(+正確)”vs”自由闊達、情熱”〜どちらも心底楽しんだけれど、前者への嗜好がいっそう強いと自覚しました。

YedangClassics YCC-0050購入数年に至る「YedangClassics」は未聴音源が多く、今朝、ボックスの背を眺めていたらBeethoven ヴァイオリン協奏曲ニ長調〜レオニード・コーガン(v)発見(未開封)。もしかしたら「BRILLIANT 93030/6」でダブったか?と一瞬不安に・・・録音が粗雑で楽しめなかった記憶があるが、そちらはロジェストヴェンスキー/ソヴィエット国立放送交響楽団(1970年ライヴ)でしたね。こちらパーヴェル・コーガン/ソヴィエット国立交響楽団(1980年)でして、別録音也。

やや乾いているが、バランス良い音質であり、亡くなる2年前ながら56歳の演奏は気力充実して、引き締まって緊張感ある音色が素晴らしい。甘美豊満ではなく、あくまでモダーンでスリムなヴァイオリン。それにしても、露西亜系の人々ってどーして長生きできないの?食生活とか、強い酒、ストレス問題ですか。ロストロポーヴィチが80歳迄頑張って下さったのは例外なのか?コーガンの死因は心臓麻痺だったそうです。

フィル・アップは(例の如く)ちょっとおかしくて、Tchaikovsky 「想い出」作品43第1番「瞑想」第2番「スケルツォ」第3番「メロディ」/憂鬱なセレナード 作品26/ワルツ-スケルツォ 作品34〜ヴィクトール・トレチャコフ(v)/マリス・ヤンソンス/ソヴィエット国立交響楽団(1981年)・・・共通項はヴァイオリンと管弦楽の作品、露西亜の演奏家ということだけであって、ちょっと神経質な音色、達者なトレチャコフの技巧で、チャイコフスキーの小品をまとめて聴けることは貴重だ、と考えておきましょう。

あちこちの星占いは、見る度に運勢が異なるが”良くはない”ことで共通(信じちゃいないが)していて、実際取引先連続商談ラストは少々苦戦也〜意欲テンション落ちてますよ。弱気になると星にも縋りたい・・・目標!明日午前中ですべての(当面の)宿題終了!だけれど、まずムリでしょう。とにかく、明日一日だ。嗚呼、怠い、休みたい。風邪がちゃんと治ってないのか。

DG 429042-2出勤、取引先移動中の音楽は、Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団/合唱団/エディット・マティス/ノーマン・プロクター(1969年)・・・痺れました。まだこんな音楽に執着あるから、精神的ダウンではないでしょ。数多いMahler 録音中、これほど虚飾ない、まっすぐストレート勝負の表現、厚みとコクのあるオーケストラが素直に聴き取れる演奏は稀有〜やれスケールが足りない、色気がない、面白みが足りない、地味、という評価も散見されるが、それは未だMahler を表層で聴いている証拠です。クサるほどMahler 体験を積んだ挙げ句、行き着く先はこれでっせ。

キラキラど派手な音質ではないが、テンション高く、しっとり中低音が充実して76分厭きさせない・・・旋律の節回しに余計な色付けがないからこそ、バイエルン放響の暖かさがくっきりと浮かび上がって、着物裏地の美しさ発見があちこち・・・”クサるほどMahler 体験を積んだ”とエラソーに書いちゃったが、第3/4/7/9番はナマ未体験でした。


●2007年8月某日

猛暑であり、夏ばてであり、世間では夏休みなのに、自分は宿題をこなしております(やる気も意欲も出ない)。昨日は、電動ねじ回し(電池式1,350円/特売980円でも見掛けた)を女房が勝手に姉のところに持ち出して、忘れ、ようやく帰ってきたら”ねじ回し部分紛失”が発覚して気分が悪い。いざ使おうと思ったら、ない/あると思ったら、ネジ回しがない・・・金額の多寡じゃないですよ、問題は。江口克彦「いい人生の生き方」(PHP新書)・・・ここ10年ほどの読書中、最悪の一冊也。キレイごとの親父的説教は、ワタシがもっとも嫌うパターンであります。自分の失敗談、生き生きとした実例皆無。”わかっちゃいるけど、やめられない”のが人間でしょうが。読み進むのが不快でしかたがない、破って捨てたいくらいだけれど、親から”活字は大切に”と躾られているので、BOOK・OFFにて処分しましょう。

宮本裕子「週1回やせ日ダイエット」(小学館文庫)・・・数々読んだ「ダイエットもの」中、最強の一冊也。ま、女性のリズム重視の解析であって、男性にも応用できるかな、といったところです。読者レビューには(例の如く)辛口評論が出ているけど、そのまままるのまま実践しようとするからダメなのであって、神髄は”ダイエットにリズム有”、”1kgずつ増え、1kgずつ痩せる”といったところなんでしょう。ワタシ個人は”痩せる”ことより、”ハラが出ないこと”、”体調を改善すること”に主眼があるから、腹筋+体操は毎朝起床時に実行しております。事実、この本を読んで(趣旨を汲み取って)1kg減りました。ほんまです。

Haydnのピアノ・ソナタ全集はワタシにとって最大の”宿題”のひとつだけれど、克服のキッカケがつかめそう・・・?先週購入したHaydn ピアノ・ソナタ第52番 変ホ長調/第48番ハ長調/幻想曲ハ長調/アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ ヘ短調/ピアノ・ソナタ第32番ホ短調〜ウィルヘルム・バックハウス(p)(1959年)+第23番ヘ長調〜ウラディミール・ホロヴィッツ(p)(1966年)・・・ちょっとムリムリな収録の駅売海賊盤(中古@250/英DECCAとCBSの音源流用)だけれど、現代ピアノは表現の幅が広いのでわかりやすい。

BRILLIANT 99671/5第52番 変ホ長調ソナタは1794年、Haydn62歳熟達した作品であって、憧れに充ちた優しくも快活なる旋律の名曲でした。バックハウスは重心低く、どっしりと芯のある推進力を誇って躍動があります。さっそくスタンリー・ホーホランド(fp)(2000年)にて比較・・・こちら頼りない、かそけきフォルテピアノだけれど、雅(みやび)な雰囲気と細部配慮豊かなニュアンスで聴かせます。第1楽章は繰り返しを実行しており、全曲でバックハウス14分ほどにたいして、ホーホランドは20分を越えました。

全集を順繰り、延々と聴いていると耳慣れぬフォルテピアノの響きばかり気になったが、個別の作品旋律が見えてくると、その味わい深さ限りなし。第49番ハ長調は小島芳子、第32番ホ短調バルト・ファン・オールトの担当であって、じっくり比較対照を楽しみましょう。

気分も重く、出掛けます。蝉が激しく鳴いております。

午前中、日常のお仕事。臨時収入(?)有。4月の東京会議出張交通費手当申請分、システム上保留になっていて上司に届いておらず、本日特別のはからいで決済され、明日ごっそり入金されます・・・って、使った分が戻っただけだけど。とにかく体調不良で、昼から早々に取引先へ〜約束時間よりずっと早いので床屋に寄り(10分のやつ)、所用+商談も早々に終え、追いすがるケータイをいくつか駅で下車しつつ返答対応すべてクリアし、辛くも帰宅いたしました。暑い。食欲、やや落ち程度だから、ほんまの”夏ばて”ではないでしょ。でも、酒は欲しくない感じ。

DECCA 475 7798/5,019円通勤+取引先移動中聴いた音楽は(しつこく/繰り返し)Stravinskyバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1911年版)/「春の祭典」〜ピエール・モントゥー/パリ音楽院管弦楽団(1956年)・・・音質かなり改善されていることは既に触れたが、イヤホンで確認すると奥行き、定位も明快さも(打楽器の迫力も!)そうとうなもの。一方で微妙なアンサンブルのズレ、細部リズムの緩さが散見されて、これはいかにも”時代”を感じさせます。かっちり・ピッタリ縦の線が合っていればすべてOK!みたいな安易な結論でもないし、ワタシはこの華やかな演奏が大好きです。「モントゥー/パリ音楽院の”春の祭典”をCDで欲しい」という動機から、既存所有分2枚処分して7枚ボックスを注文するという荒技を駆使したが、後悔ありません。

Dvora'k 交響曲第1番ハ短調「ズロニツェの鐘」/交響詩「野鳩」〜ズデニェク・コシュラー/スロヴァキア・フィル(1973-1980年)・・・23歳で作曲、1961年にようやく出版されたという不遇なる経緯の作品(と、いうことはノイマン/プラハ響のモノラル録音は楽譜正式出版前だったのか/初演は1935年)。我がトランジスタ・アンプとの相性か、最終楽章が喧しく感じないでもないが、作品/演奏/録音とも立派な、”習作”として済ませられない魅力を感じました。「泥臭い響きは録音のせいだけではないでしょ。作品的には全46分堂々とした、勇壮な曲想充ちて楽しく、スケールの大きな作品」(「音楽日誌」2007年5月)とのログが残っているが、「勇壮な曲想充ち」る第1楽章、オーボエ・ソロがじみじみ静かな第2楽章「アダージョ」。スケルツォである第3楽章は厳しく、もの悲しいリズムを刻み・・・終楽章の性格がよく定まらない。

ちょうどBrucknerの初期交響曲を聴いているような連想があって、あちこち馴染みの懐かしいエピソードに出会いながら、未整理な印象がつきまといました。でも、凡百の作品水準じゃないですよ。草の香りがするようなオーケストラの響きもエエ感じ。交響詩「野鳩」だったら作品的にずっと洗練されて、暗鬱なる世界を絶妙繊細に表現して下さいました。


●2007年8月某日

日常生活に不自由ない程度だけれど、左足の痛みちょっと復活。スポーツクラブはムリせんほうがエエか。昨夜はよく眠れました。今朝の朝日新聞(先週に続き)朝日求人欄の森永卓郎さん「仕事力〜会社はビジネススクールだ」・・・新人を採用すると30歳くらいになるまで、会社は赤字だ・・・本人は気付かないよなぁ、自分もそうだった。仕事の大局が読めると、ちゃんと休める、さっさと帰れる、遊びに行ける、休みを取ってもそうと気付かせない・・・ワタシが目指しているのはそういうことです。

昨日購入したCD(@250)は、結果としてマニアックでして、Bach イタリア協奏曲ヘ長調 BWV971(1965年)/フランス風序曲(パルティータ ロ短調)BWV831(1967年)〜グスタフ・レオンハルト(cem)・・・駅売海賊盤なんだけど、DHMの旧録音(1950年代にモノラル録音があるかも)でして、この時期としては珍しい古楽器のレプリカ使用。しかし、音質の肌理の粗さ故か?非常に強面謹厳実直な表現であって、これは”使用楽器”問題に留まらない、時代なのでしょう。Bach の鍵盤作品は、ピアノによる表現の幅の広いものを聴く機会が多いけれど、チェンバロだったらピーター・ヤン・ベルダー(1999年)を日常聴きしていて、そちらもっと自在で親密ですもの。

ArtHouse VXD-AH-971120 @250Brahms ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調/Beethoven ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調「クロツェル」/Hindemith ヴァイオリン・ソナタ第1番 変ホ長調〜イヴリー・ギトリス(v)/アナ=マリア・ヴェラ(p)(1996年)・・・碧南市エメラルド・ホールの録音であり、ギトリス76歳。自在なる個性派は、技巧の衰えがあると悲惨なんです。時に硬質な音色がないでもないが、全体として勝手気儘なテンポ揺れ動きに磨きが掛かっていて、往年の艶/説得力は未だ(この時点)健在なり。Brahms は、その昔シェリング/ルービンシュタイン(1960/61年)の端正真面目なCDで出会っていて、(当時)「なんて、オモロくない演奏なんだ?」と感じたものです。こちらの思わせぶりな、クサい演奏だったら作品印象一変!第4楽章の(勝手な?強調か)付点リズムはまるで”ジャズ”でした。「クロイツェル」第2楽章変奏曲に於ける変幻自在な”歌”の説得力にも比類がない。

今週、オークション入札で届いたSchubert 交響曲第9番ハ長調〜ブリュッヘン/18世紀管弦楽団(1992年)・・・第1楽章で止めました。同じく古楽器演奏であるマッケラス/啓蒙時代管弦楽団(1987年)がとても新鮮だったのに、こちらピン!と来ない(猛暑のせいですか?)この作品はとても難しくて、楽しく聴けるのは3回に1回くらいなんです。せっかくの出会いなので、また機会を改めて再挑戦いたしましょう。

この間の”発見”いくつか。

Malaysian Philiharmonic Orchestra 番号ありません@250東京・五反田BOOK・OFFにて@250購入した「MPO」サンプラーに感心しました。え?ミュンヘン・フィルじゃなくて、マレーシア・フィル、指揮はキース・ベイクルス(オランダの人)。残念ながら部分楽章寄せ集めでして、R.Strauss「イタリアより」〜「ナポリ人の生活」/Bach オーボエ協奏曲ヘ長調〜第1楽章「アレグロ」(サイモン・エムス(ob))/二台のヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第2楽章(ヨルゲンセン/プレイフェア(v))/ヴァイオリン協奏曲イ短調第3楽章(グンダーマン(v))/KRONMMER 管楽器のための組曲 変ロ長調〜第1/終楽章/Rimsky-Korsakov「シェヘラザード」〜第3楽章「若い王子と王女」(以上1999〜2000年録音)・・・政府のキモ入りで育成している団体だそうで、既にCDも数枚リリースされているし、どんなもんか、と。250円だし。

Bach の協奏曲はソロを担当している(おそらく)団員の実力を見せるためか?選曲はやや変則気味。結論的に洗練され、驚くべき程優秀なるアンサンブルということです。我ら日本民族もうかうかしていられませんぞ!と檄を飛ばそうと一瞬考えたが、スリーヴ内の写真見るとほとんど欧米出稼ぎのようで、亜細亜同朋の姿が見あたらない・・・ま、お手本を見せて徐々に地元若手を育成する高等戦術と見ました。まとまった作品が激安CDにて出ないものか。期待します。

オークションは、ヤープ・テル・リンデンのMozart 後期交響曲集6枚のみ売れ残っているが、他は無事嫁に出しました。で、”発見”とは、ピエール・モントゥーのStravinsky「ペトルーシュカ」(これは既にCDで持っていた)「春の祭典」(LP→MDで保存していて、CDは買う機会を得なかった)でして、念願の英DECCA録音7枚ボックス購入(それ故ダブり分を放出した/465 7798 5,019円也/一部PHILIPS音源含)の聴取成果であります。

LP→MD、正確には詰め込み廉価盤しかも中古LP→DAT→MDの「春の祭典」はもちろんだけれど、「ペトルーシュカ」(DECCA 421635-2)さえ、驚くほど音の解像度が改善されている!ということです。1956年でっせ、この時期(ステレオ初期)の英DECCAは”ボワンとした洞窟みたいな音”になっていることが多くて、これもその類かな?と信じておりました。ところがっ!

クリアで音の立ち上がり鮮度高く、各パート、ピアノ(ジュリウス・カッチェン)の存在感も明快に浮き立ちます。どんより茫洋とした印象一変!「春の祭典」評価もがらりと変わっちゃう。モントゥー自身は(当時の)パリ音楽院管弦楽団のアンサンブル水準に不満を持っていたらしいが、そのことは音質改善された組曲「火の鳥」(1919年版だけれど4管編成にて録音)で思い当たりますね。どうも、最初っから最後まで調子が出ていない。

Stravinsky絡みでもう一件、組曲「プルチネルラ」(1949年)〜ヘルベルト・ケーゲル/ドレスデン・フィル(1985年)・・・例の擬バロック的作品だけれど、思いっきり生々しく、怪しい力強さ、明快さを以て表現されておりました。お気に入り作品であり、LP時代いろいろ聴いてきた(はず)だけれど、これほどドキドキさせられたのは初体験。なんども聴いていたんですけどね。自演の洗礼が作品に対する思いを深めたのか?


●2007年8月某日

昨日は余裕のお仕事のハズが、いつもの結局四苦八苦的一日であり、それでもなんとか早々にお仕事終えて、”音楽親父”同士の酒。へろへろになって(ケーキまで買って)帰宅、テレビで映画を見ていたけれど、ほとんど眠ってしまって、風呂も入らずそのままダウン〜早朝入浴しました。エエ酒であった。体重増えておりません。本日はこれから取引先へ。できれば昼から演奏会に顔を出したいもの。

怒濤の如く、HMV、YAMACHIKU、オークション落札でCDが届いてようやく一区切り。エドゥアルド・ファン・ベイヌム6枚組セット(PHILIPS 4756353)よりBach 管弦楽組曲第1/3番(1955/56年)・・・先日聴いたクレンペラーの世界に近く、分厚く、豊かな世界が繰り広げられます。リズムは付点にハズまないが、大きく着実な”うねり”があって、なによりコンセルトヘボウが柔らかく、味わい深い響きで魅了します。昨今の古楽器研究の成果を否定しないが、音楽する悦びに劣るはずもない。子供の頃の感動が蘇ります。

一昨日の新幹線帰りの音楽続き〜J.Strauss 喜歌劇「こうもり」序曲/アンネン・ポルカ/皇帝円舞曲/トリッチ・トラッチ・ポルカ/美しく青きドナウ/ハンガリー万歳/ウィーンの森の物語/ラデツキー行進曲〜フェレンツ・フリッチャイ/ベルリン放送交響楽団(旧西1961年)・・・駅売海賊盤ながら待望の入手であったもの。一部旧録音を聴いていたけれど、リズム感の良さ、アンサンブルの愉悦に於いて秀でたウィンナ・ワルツであります。甘さ一辺倒に非ず。数年前、手持ちウィンナ・ワルツをまとめ聴き・記録した(@ABCDE)が、かなり処分しちゃったものもあるし、新しく購入したり、なにより聴き手の感性が変化しているので、補遺が必要でしょう。

RCA 74321987042 2枚組1,000円+諸費用にてオークション落札Barber メディアの瞑想と復讐の踊り作品23a〜ミュンシュ/ボストン交響楽団(1957年)/ヴァイオリン協奏曲(竹澤恭子(v)1994年)/カプリコーン協奏曲(バーグ(fl)/バウマン(ob)/スローター(tp)1995年)/チェロ協奏曲(イッサリース(vc)1994年)〜スラットキン/セントルイス交響楽団・・・ヴァイオリン協奏曲(これはとろりと甘美)以外は初耳作品であり、ミュンシュの録音も珍しい収録だけれど、作品の輝かしさ、セントルイス交響楽団のアンサンブルはまさに黄金時代か。アメリカの音楽といえば、Gershwin、Copland、Bernstein辺りが馴染みだけれど、いっそうセンスが都会的で、洗練され、味わいが異なります。Barberの作品はVOXのマニアックな演奏作品ばかり聴いてきて肌に合わないかな、と思っていたけれど、ちょっと興味が出てきました。

FRANCOIS Couperin 「王宮のコンセール」(コンセール第1〜4番)〜ムジカ・アド・レーヌム(2004年)・・・エエですね。先に言及した、クレンペラー/ベイヌムのバロックには装飾音が少ないんだけれど、冒頭のトラヴェルソから揺れ動く節回しというか典雅な雰囲気満載で、これこそがワタシの嗜好なのでしょう。練り上げられた古楽器の技量と、親密なアンサンブルにココロときめくばかり。録音も極上。

今朝、Haydn 交響曲第101/102番〜ギュンター・ヘルビッヒ/ドレスデン・フィル(1974年)・・・オーケストラの響きの洗練問題に保留を付けてきたが、それも含め耳慣れ、彼(か)の音楽に必須の真っ直ぐ正直なユーモアと、端正を感じるように。作品が素晴らしいですね。「時計」は馴染みだけれど、第102番 変ロ長調の立派な序奏〜快活な主部へ至る経過に躍動が爆発いたしました。アダージョのチェロの活躍も嬉しいですね。

午前中、新人君と取引先へ。望外に順調な雰囲気のもとに終了し、音楽会場である西宮北口へ向かうが、開演まで2時間以上あることを発見・・・既にかなりバテていたので断念し、早めの(涼み兼)昼食済ませ、偶然発見したBOOK・OFF(CD5枚購入税込1,000円也)〜帰宅しました。んもうクタクタ、人前ではシャキっとしていたけれど。

ぼんやり2時間ドラマ眺めながらノートパソコンを覗いたら、オークションにかなり入札あることを発見。昨夜終わっていたいた分の住所連絡入金もあり、まとめて入札して下さっている方はいつもの【♪ KechiKechi Classics ♪】読者と判明したので、その分を早期終了〜さっさと投函しちゃいました。ヤープ・テル・リンデンのMozart 後期交響曲集(6枚分)しぶとく入札ありませんな。大苦戦。

取引先往復聴いていたのはそれでして、Mozart 交響曲第31番ニ長調K.297「パリ」/第36番ハ長調K.425「リンツ」/第40番ト短調K.550(クラリネットなし)〜ヤープ・テル・リンデン/アムステルダム・モーツァルト・アカデミー(2002年)・・・練り上げられた弦、管の古雅で素朴な音色にクセがあり、響きは薄いし、洗練されないし、迫力足りない(弱い?)し、で、嫌う人もいるでしょうね。でもね、ワタシは散々聴いてきたお気に入り作品を、鮮度タップリの切り口にて見せつけられた思い。感動に充たされました。威圧感なく、等身大で語りかけるような落ち着いた呼吸。ムリのないテンポ設定・・・

ところで交響曲第40番ト短調K.550の初版「クラリネットなし」って、よほど集中しないと違いが理解できません。たしか、どうして違う版が存在するのか?もわからなかったはず。


●2007年8月某日

オークションの(第2次)締め切り迫るが、既にスリムパックで(再)購入済みのヤープ・テル・リンデンによる古楽器Mozart 後期交響曲集(6枚)、昨日届いていたモントゥー7枚組に含まれているStravinsky 「火の鳥」「ペトルーシュカ」にさっぱり入札ありません。人生、思惑通り上手くいきまへんなぁ。毎日のお仕事みたい。本日は、先行きいろいろ整理予定。明日、午前中(取引先直行で)休日出勤となります。体調かなり改善(のつもり)で、今朝サイト定例更新済み。

さて、新幹線復路の音楽の件。Sibelius 交響曲第2番ニ長調/ポヒョラの娘/吟遊詩人/大洋の女神〜ユッカ・ペッカ・サラステ/フィンランド放送交響楽団(1987/88年)・・・これは著名なライヴ録音ではなく、既に市場から消えている旧録音となります。交響曲のほうがやや音質的にも、オーケストラの厚みという点でも少々落ちるが、清潔清涼感+立派な盛り上がりある演奏と感じます。何故評価低く、即市場から消えたのか不明。FINLANDIAライヴ盤はずいぶんと早く廉価盤として出されたから、競争原理で破れただけか?交響詩のほうは低音豊かで、いっそう聴き応えがありました。

RCA 74321 886 842  2枚組1,000円+送料諸費用でオークション入札Prokofiev カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」〜フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団/合唱団/ロザリンド・エリアス(ms)(1959年)・・・ライナーは(世代のワリに)意外とステレオ録音を残していて、この存在は知らんかったなぁ。”1242年の氷上の戦いでドイツ騎士団を壊滅させたネフスキー大公の物語”だそうで、史実に基づいた映画音楽らしい。いや、ともかくアツい、勇壮果敢なる爆発連続!的40分ほどの作品であって、聴き手もテンション高くないと聴けまへん。管弦楽/合唱とも圧巻怒濤の迫力であって、(もちろん)言葉の意味など理解皆無だけれど、いつもは苦手意識のあるProkofievの硬質旋律も妙にフィットして、やっぱり合唱作品って楽しいなぁ、と感銘深いものでした。音質だって、想像よりずっとよろしい。

フィル・アップは「ロメオとジュリエット」(抜粋)でして、ストコフスキー/NBC交響楽団の団員(この表記は何を意味するのか不明/1954年録音)・・・この作品もそう真剣に聴いたことはなくて(全曲聴いたことはないと思う。もしかしたら抜粋もCDは所有していなかったかも)馴染みの旋律が出てきません。驚くべきことは音質でして、立派なステレオ録音也。RCAは我らがSONYはんに吸収されてしまったが、先進の歴史を持っているんです。

ここでお時間。本日は”音楽親父の集い”なので、ちょっと遅くなります。昼食からカロリー減らして臨みましょう。


●2007年8月某日

sevenseasレーベルの国内盤/大ベストセラーでした。収録は少々異なります在東京ホテル、これから終日会議対応で帰宅は遅くとなります。帰りの新幹線中退屈しないほどのCD(未聴分)と本は持参しているが、昨夜CD4枚購入したことは記述済み。悪名高(懐かし)き”駅売海賊盤”も含まれていて、しかも、1990年代初頭購入して(何故か?)処分した現物も再購入(@250だったし・・・)しました。Rodrigo アランフェス協奏曲(アタウルフォ・アルヘンタ/スペイン国立管弦楽団)/Vivaldi ギター協奏曲ニ長調(オドン・アロンソ/スペイン国立管弦楽団)/Bach 「シャコンヌ」〜ナルシソ・イエペス(g)・・・所謂「決定盤」也。(AVJAPAN AC-3023)

AVJAPAN AC-3023 @250/ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮となっているが、音源借用時の情報混乱ですイエペスが未だ6弦ギターで軽快に演奏していた頃のもので「1958年録音」との一般的情報だけれど、ほんまですか?(1959年情報は真っ赤なウソ)スペイン夭折の名指揮者・アルヘンタは1958年1月18日に事故(?)で亡くなっていて、ラスト録音なのか。ややギター・ソロの音像が大きすぎるが優秀な録音でして、アルヘンタのバックも軽快で爽やかです。ギターの個性を云々できるほど沢山聴いていないが、セゴヴィアのボックス・セットとの比較では、こちら緻密で正確、しかも全体構成がしっかりしている印象がありました。「シャコンヌ」の比較が可能だけれど、こちら(セゴヴィアより)テンポはやや遅く、淡々粛々として落ち着いた味わいのもの。(このCDではラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮となっているが、音源借用時の情報混乱です)

そういえば数日前、ネットの活用で話題となっていた自民党・小林議員、失職しそうですね。ネットでもなんでも使ったらよろしいが、金の問題はちゃんとしないと。結局、新しく見えて”金権体質”は変わらないということか。でも、その選挙区の次点は公明党だから、与党の議席数合計は変わらないけれど。

猛暑の中、元気に帰宅いたしました。新幹線中、過食せず、アルコールも嗜まず、音楽をたっぷり愉しみました。音楽の件さておき、藤沢周平「蝉しぐれ」(文春文庫)一気読了・・・1988年の著作也。日本人の含羞、奥床しさ、友愛、筋、義、誇り、某国のソーリじゃないがほんまの「美しい日本」とはこのこと指すんでしょう。じわじわ感動が押し寄せ、眼前に美しい自然、激しい斬り合いの情景が浮かびます。映画を見る前に原作を読んでおきたかったのは、自分なりの人物像を脳裏に焼き付けたいから。

この世界は隣国亜細亜、欧米の人々にも理解されるのでしょうか。


●2007年8月某日

エアコン(除湿のみでも効果有)を入れたままだと、夜半寒すぎて目が覚め、昨夜は止めて寝たが、暑くて途中覚醒〜扇風機をつけ放しにしたが、風の当たり具合が悪かったか?どうもカラダが怠い感じ。昨日夜、かなりの快復宣言した左足も今朝やや再悪化しております。ものごとは一直線に改善しないもの。とにかく、夕方新幹線予約時間までお仕事頑張って、東京へ。CDを購入する予定はありません。

CCC/EDEL 0002832CCCHMVでペーター・レーゼル(p)ボックス「ソロ13枚」「協奏曲10枚」特売で各々1,962円(税送料込)到着済み。既存所有ダブり3枚分は無事オークションで売れて下さいました。(「室内楽編」はダブりが過半に達するので諦め)この人の重心の低い、地味だけれど明快なピアノはお気に入りで、Rachmaninov ピアノ協奏曲第3番ニ短調(1978年→読み返すと溜息出るような、素っ気ないコメント・・・だけれど)は、この作品の魅力を教えて下さった感触があったものです。

で、今朝、Rachmaninov ピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調/第2番ハ短調〜ペーター・レーゼル(p)/クルト・ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1982/81年)拝聴。エエですね。先の第3番への感激と寸分違わない。「重心低く、地味、明快」三拍子揃って+ザンデルリンクのバックが漆黒の奥深さであり、”甘美”で済まされない苦みを添付してピアニストとの相性ぴたり!雰囲気で流さないピアノ、細部まできっちり表現して、結果盤石な技術的安定感だけではない、新鮮なRachmaninov が出来上がりました。方向としては露西亜ではなく、端正で真面目な独逸そのもの・・・著名な第2番第2楽章「アダージョ」の研ぎ澄まされた”くすんだ洗練”に、絶句すること必定・・・

出張準備しなくては。新幹線往復はじっくり読書+音楽が堪能できて良いものです。

在東京ホテル。考えてみれば今年3月に「異動になったから、もうこの定宿に来るのもラスト」と感慨深かったが、結局、同じ会議に毎月出席しております。今月は東京二度目だし、来月からもう一回(東京)会議対応増えます・・・う〜む。午前中、ほぼ予定通りの諸作業終えたが、肝心の商談約束(新人君の分もあるから)が取れません。お相手はお盆休み入るだろうし、困ったなぁ。内部準備+実務作業なんて、ほんまのお仕事じゃないんです。

とにかく昼から予約した新幹線の人となり、断続的に居眠りしつつ、音楽聴きつつ、(久々)パソコン雑誌熟読し、藤沢周平を読み掛け・・・シアワセ。夜、ホテル到着と同時にスポーツクラブのチケット(1,050円)購入、荷物を置いてそのまま出発。左足も体調も万全ではないので、自転車こぎ10分ほど〜すると「初心者向けエアロビクス」やるとのご案内有。いやぁ、キツかったですな。左足の負担も少々あったが、なにより風邪ぎみで息も絶え絶え・・・なんとか終えて体重量ったら、維持すべき体重+500gに至っていたけれど、こりゃ筋肉が落ちているだけでしょう。しっかり夕食(麻婆豆腐御飯)摂って、BOOK・OFFへ。流石大都会の書籍品揃えは素晴らしい。職場や自宅ご近所だったら毎日通いたいくらいだけれど、本は買いませんでした。

予定外にCD4枚(@250)買っちゃいました。たいしたものじゃないんだけれど、ちょっと懐かしさと珍しさ狙い。ムダ遣いかな。

今朝、出勤時から聴いていた音楽・・・Mozart セレナード第10番 変ロ長調K.361(370a) (370a)「グラン・パルティータ」 〜アレクサンダー・シュナイダー/ヨーロッパ室内管弦楽団(1985年)・・・いつ聴いても、素敵な作品だなぁ。手持ちは5種類かな?この作品に限り、演奏云々のコメント不能な無条件幸福状態也。第6楽章「アンダンテ」の変奏はSARIELIならずとも、誰でも、(もちろん)ワタシでも陶然といたします。

EMI CDE 7243 5 69027 2 5さて、新幹線に移動してもMozart !交響曲第40番ト短調/アイネ・クライネ・ナハトムジーク〜ウィリアム・スタインバーグ/ピッツバーグ交響楽団((c)1958)・・・これは今年大発見の一枚じゃないかな。所謂アメリカン物量派系演奏に非ず、オーソドックスでバランスよく、名前を伏せて聴けばこのオーケストラとは気付かないはず。フィル・アップはセレナータ・ノットゥルナ+序曲集〜コリン・デイヴィスの1960年頃の(子供の頃からの馴染みの)演奏です。若々しくて、溌剌として、録音も良好。

Bach /Busoni編でシャコンヌ ニ短調/トッカータとフーガ ニ短調BWV.565/トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調BWV.564/プレリュードとフーガ ニ長調BWV.532/プレリュードとフーガ 変ホ長調BWV.552〜マリア・ティーポ(p)(1986年)・・・エエですね。レーゼル盤や、ベネディッティ・ミケランジェリの「シャコンヌ」を愛聴してきたが、彼女のピアノにはリキみがないですね。オルガンの壮大な響きをピアノに置き換えると、どうしても強奏部分で叩き付けちゃったりすることもありがちだけれど、優しく淡々と弾き進む個性。


●2007年8月某日

諸作業、全体課題、ミーティング、新人への指導などで、当初予定の宿題遂行不可。昼からの会議中、体調悪く(主に頭痛)総務にて鎮痛剤をいただき、夜まで保たせるが、上司が新人君の歓迎を(個人的に)するという・・・痛風(左足痛)、夏ばて状態のワタシだけれど、知らぬ顔も出来ず梅酒ちびちびでお付き合い、遅く帰宅〜本日こそ(一日遅れて)お仕事勝負!やります。つい最近まで「な〜んもデケんおっさん」状態から、職場での信頼も篤く、いろいろなお仕事回ってくるような役回りになったことを幸いと思いましょう。評価としては「凄く仕事が出来て、現状打破の気風に溢れ、言動がわかりやすく明快で、人が悪い!」と。チクショウめ。

中島らもに「西方冗土」という名著があって、そのなかの「方言」に「間(まん)の悪い」というのがありました。先日、取引先との会議で、まさに「また、間(まん)の悪いにことに・・・」という生粋の大阪?神戸?言葉を(ようやく)聞けて嬉しくなったものだけれど、帰宅したらCD2箇所より大量到着。まとめてどっと来るなよ。それなりの順番も考えていたのに。それに音楽に集中できるほど体調よろしくないし。

SONY 88697103112-13昨日一昨日、息も絶え絶え(ちょっぴり)聴いた音楽の(ちょろり)コメント〜Stravinsky自演集 デュオ・コンチェルタント(シゲティ(v)1945年)/セレナード イ調(作曲者(p)1934年)/2台ピアノのためのソナタ(+ソウリマ・ストラヴィンスキー(p)1938年)/ラグ・ミュージック(作曲者(p)1934年)/2台ピアノのためのソナタ(アーサー・ゴールド/ロバート・フィズダーレ(p)1961年)/ピアノ・ソナタ(チャールズ・ローゼン(p)1960年)・・・数曲はフランスEMI録音別CDで所有ダブり・・・ワタシはこの辺りの作品も大好きで、甘美からほど遠く、乾いて非情な”ぼやき漫才”を聴いているかのような感慨有。EMI盤での「デュオ・コンチェルタント」はドゥシュキン(v)担当だったが、シゲティの硬質な非・美音はこんな作品にぴたり!ですな。どんどん要らぬものを削ぎ落として、辿り着いた世界かな、と感じます。

通勤にて、Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団(2006年?)・・・先日、ネット・ダウンロードしたmp3音源也。これは久々に聴いたような気がする”オーソドックスな「英雄」”であって、昨今のさっぱり贅肉を削ぎ落とした世界とは異なって、旧守なスタイルに依りながらも、古臭いとは感じさせない。躍動があり、重心も低く、テンポは馴染みの中庸であり、やや古風な響きではあるけれど、現代ドイツ(ベルリン)にて、このような直球スタイルで勝負できるというのは素晴らしい。第4楽章の変奏曲は、子供の頃に出会った感激が蘇りました。

さて、なんとか、本日も乗り切ります!

乗り切ったのか?宿題一杯残っちゃったのか?もう記憶もないほど、いっぱいいっぱい。でも、たいしたド・残業していない・・・って、そんな体力気力残ってないですよ。とにかく、ここまでやった、こなした(つもり/明日、机上の阿鼻叫喚魑魅魍魎を片づけたら、奥底から見てはならぬものが・・・!)ので疲れ果てて帰宅。前任者の矛盾一気に明らかになりつつあり、上司と善後策逐次協議しております。左足67%ほどの快復、体調は70%でしょう。帰宅したら(間の悪いことに)CD到着・・・じわじわ注文したり、(オークションにて)落札したはずなのに、到着遅れたりして結局一気に(偶然)まとめて来ちゃうんです。明日東京だけれど、戻ったらもうひとくくり到着するでしょう。贅沢な悩みだ。

オークションは、少しずつ入札あるけれど、肝心な”どーしても売れて欲しいもの”(=完全ダブり分)が後回しとなってますね。

出勤には珍しくCDプレーヤー持参。Stravinsky バレエ組曲「ペトルーシュカ」(1947年版/1960年録音)/組曲「プルチネルラ」(1965年)/組曲「火の鳥」(1945年版/1967年)〜作曲者/コロムビア交響楽団(ハリウッド)・・・おそらく「ペトルーシュカ」はかつて聴いた数多い演奏中、有数の跳躍と推進力を誇って、しかも、どことなく田舎臭い味わいがたまらない。ラスト部分は演奏されず「仮装した人々 Les deguises 」で終了。「プルチネルラ」は歌が入らない版であって、躍動する素朴がありました。(一見”ヘタウマ”風コントラバスの妙技!)珍しい版である「火の鳥」は、楽器編成は著名なる1919年版と変わらない(2管編成)らしいが、作曲者の意図なのか、美しく溶け合ったサウンドの秘密が解きほぐされ、わかりやすく分解されたような、各パートの役割が明瞭に表示されました。ラスト「終曲の賛歌」が短く区切られた旋律となるが、ワタシはこれも悪くないと思います。

いやぁ、とくにかく新鮮!発見が一杯の自作自演ですな。思い立って(これも珍しい版である)組曲「火の鳥」(1911年版)〜ピエール・ブーレーズ/BBC交響楽団(1967年)久々に再聴。これは恐るべきリズムの洗練と、なんとなくユル目のオーケストラ(キレがよろしくない)を叱咤激励して引き締めていくブーレーズの名人芸が楽しめます。編成としては1910年全曲と同じ4管編成で厚みがあります。但し「カスチェイの凶暴な踊り」で終わってしまうのは物足りない感じ。(じつはブーレーズの全曲録音は聴いたことはない。1911年版はほかにロジェストヴェンスキー盤有)

DeutscheSchallplatten TKCC-70273/オークションにて3枚諸経費全部込み1,100円程か本日到着のCD(のウチの一枚)はHaydn 交響曲第98/99番〜ギュンター・ヘルビッヒ/ドレスデン・フィル(1975年)であって、(これで第96〜104番迄揃い)残りは第93/94番/95番の一枚となりました。ま、先日「粗野で無骨、硬質で不器用な響きのオーケストラ」と書いたけれど、まさにその通りでして、少々響きが濁って喧しい感じはありますね。ドレスデン・ルカ教会は名録音を生むスタジオとして有名だけれど、シュターツカペレ・ドレスデンの渋いブルー系の響きはやはりオーケストラの個性なのでしょう。ドレスデン・フィルは豊かな残響の中から、洗練されないサウンドが時に響き渡りました。(オーディオとの相性があるのかも)ずいぶんと大柄な印象は作品の個性なのか、ヘルビッヒの表現なのか。それでもHaydnは前向きに明るく、ユーモラスで楽しいな。


●2007年8月某日

左足もそうだけれど、体調ヒジョーに悪く、夏風邪?おそらく熱があって、盛夏の窓風邪が涼しく感じる(寒気がする)・・・せっかくの休みだったのに、動けないし、気分悪いし・・・最悪。ツマらんね。こんなんでは音楽だってまともに楽しめず。本に集中することもままならず。オークションは思うように入札なく、Yahoo!の星占いは最悪であり(あまり信じたことも、当たった試しもないが)、今週の始まりであります。

未だ痛む左足引きずって、さて出勤、意気高く!〜ありません。


●2007年8月某日

昨夜から左足再び悪化、定例のスポーツクラブはアウトとなりました。スポーツクラブどころか、歩くのも困難に〜困ったなぁ。明日からのお仕事、そして東京出張もあるのに。この間の酒、美食のツケが一気にやってきちゃった感じ。反省してます。親父も尿酸値が少々高いらしいから、遺伝的な体質+不摂生なのでしょう。病にはいろいろあって、ワタシはあちこち興味はあるけれど、主に”癌”と”鬱”の書籍を良く読みます。「朝、新聞の記事に興味が持てなくなったら危うい」との話題を拝見したことがあるが、今朝、朝日新聞は熟読するに値する興味深い記事多数有。

「朝日求人」の「仕事力」コラムは毎回興味津々だけれど、今回ご担当は(同世代)森永卓郎さんです。曰く「営業こそ要」と。「頭でわかっているのと、肌で感じて理解していくのとでは、臨機応変の力の付き方が雲泥の差」「人間は・・・受け入れる人、聞いてくれる人に会いたくなる」「隙とか弱み、許容量のある人」「怒られても、怒られても聞き続けることを学ぶ」〜至言。

「ケータイが変える(わる)選択の時〜議員の「右腕」フル回転」・・・先の参院選で大苦戦の自民党だったが、神奈川選挙区で当選を果たした小林温議員(43歳・・・若いなぁ)のケータイメールが一日30〜40通、その活用が当選の力になっているらしい。ワタシは「メール」もホームページもブログも、Eメールだって使い方次第だと思うが、現行の公選法ではメールやホームページの更新(かなりグレイゾーンでやっているみたいだけれど)は禁止なんです。でも、本格的に取り締まりを遣りだしたら、キリはないだろうね。

「B級グルメ〜街に活気」・・・エエですねぇ。こんな明るい話題。「窓際OL斎藤由香さん」登場!〜こりゃ読んでみなくっちゃ。この人も(ワタシ同様)お仕事楽しんでますね。「耐震偽装越えV字復活〜不動産シノケン業績最高に」・・・新聞報道の価値はここに有。”マンション、あわてて買(え)わなくてよかった”、”姉歯はズラだ”みたいな話題は一年も経てば忘れられるが、問題は”その後”なんです。姉歯さん、どうやって暮らしているんだろう?(唐突だけれど)田代まさしは?(この人も同世代)・・・この辺りは週刊誌ネタとなります。

DeutscheSchallplatten TKCC-15038昨夜、Wagner 交響曲ハ長調〜ハインツ・レーグナー/ベルリン放送交響楽団(旧東1978年)・・・19歳の作品であり、1833年のゲヴァントハウス管弦楽団の定期演奏会で取り上げられているんですね。数年前購入時には、オフ・マイク残響過多の音質に様子が掴めなかったが、再聴してみると、けっこうガッチリとした構成の硬派の浪漫派大交響曲でした。けっしてつまらん習作に非ず。Beethoven の続編というか、明るい発展系といった雰囲気。第3楽章スケルツォ楽章は、Schubert ハ長調交響曲にそっくり!時代はMendelssohn だったんですね、演奏は拒否された(それどころかスコア紛失!)らしいが。

Bach 「フーガの技法」〜ヘリベルト・ブロイヤー/ベルリン・バッハ・アカデミー(2000年)・・・これはBach 演奏の多様性を具現化した一枚であって、ライプツィヒ・バロック・ソリスデン(ブロックフローテ/ヴィオラ・ダ・ガンバ)+ベルリン管楽四重奏団(オーボエ/クラリネット/ホルン/ファゴット)+ライプツィヒ弦楽四重奏団(弦楽4部)+アンサンブルW(ピアノ2台+ヴァイヴ+ベース)+オルガンと指揮(ヘリベルト・ブロイヤー)・・・問題は「アンサンブルW」でして、いわゆるジャズ=ジョン・ルイスの「平均律」を連想させるものが挟まる、ということです。Bach ラストの名作は、熟練した作曲技法の頂点として、既に楽器指定さえ存在しない、といった凄い世界だけれど、ここまで許容して包み込んでしまうのが偉大さでしょう。

個人的には弦楽4部、乃至オルガンによる色彩の付加のない演奏を好むが、(時にありがちな)管楽器付加への違和感もなく、ジャズは全曲を楽しく聴かせるに充分なる効果を上げております。終曲は、未完のまま、そのまま演奏。(ARTENOVA 74321 74465 2)


●2007年8月某日

昨夜は体調いまひとつで早々に就寝、眠り浅く断続的に目が覚めました。早朝に床を抜け出して、今回オークション(数少ない)落札CDの梱包など。オークションの売れ筋はわからないですね。”知名度低い実力派”というのは、価格が安くても動きにくいのか。でも、時にとてつもなくマニアックな人気を呼んで、CD一枚4,000円以上!で落札されることもあるんです。(もともと@300以下出品)偶然締め切り直前のHaydnを発見して入札しちゃうから、収支当然赤字です。落札したものは、なかなか届かず。ワタシはできるだけ早く送付するよう心掛けていて、それは当たり前の礼儀だと思うんですが・・・

DeutscheSchallplatten TKCC-70272その(入札した)Haydn関連で、交響曲第96番ニ長調「奇跡」/第97番ハ長調/第100番ト長調「軍隊」〜ギュンター・ヘルビッヒ/ドレスデン・フィル(1974年)・・・最近、愛しのヴォルガング連続聴きは、エルネスト・ブールで躓いちゃって、Haydnにてリハビリのつもり。粗野で無骨、硬質で不器用な響きのオーケストラはケーゲルで馴染みでしょう。ヘルビッヒは端正で地味な表現が一般受けするとは思えないが、ワタシは大好きなんです。Haydnにはピタリと合っちゃう。今回の入札で第96〜104番迄のCDが計4枚揃いました。

コリン・デイヴィスやフランス・ブリュッヘンの録音を摘み聴きしつつ、サイト用原稿ぼちぼち執筆。更に個人的Haydnのリファレンスである、アダム・フィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団による交響曲第13〜16番(BRILLIANT 99925/4 1991年録音/ライナー・ホーネック)・・・明るく上機嫌なる作品と、躍動する現代楽器の清潔な響きが快感です。そういえば、前回更新が2002年だからずいぶんと間が空いて、真面目に聴いていない・・・たしか、新しい録音になるほど有名でないコンサートマスターが担当していて、逆にアダム・フィッシャーの表現が熟練してくる記憶がありました。

DOCUMENTS 223603/10ようやく左足癒えて、この間運動不足を実感していたので、炎天下40分以上精力的に歩いてBOOK・OFFへ。CDは基本価格@1,350では話しにならず、出物もなし。書籍は数冊購入。帰りはバスで戻りました。引き続きHaydn交響曲を中心に楽しんで、サイト用原稿へ。苦手のBeethoven ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」〜バックハウス(p)/シューリヒト/スイス・イタリア語放送管弦楽団(1961年ライヴ)・・・バックハウスのソロは”剛毅”ではなく、”リリカル”に聞こえて(いつになく)抵抗感が少なく感じました。シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル(1959年)も比較してみたけれど、昨日の第3番(1957年)に対する”音質が大味で気に喰わない”といった反発はなく、ライヴよりバランスの取れた音質を楽しみました。やはり、体調問題か(本質問題ではないが、意外と細部のテクニックが甘い?)。

女房は、母親が腰を痛めたとかで戻らず。この場を借りて言い訳しておくが、オークションに出したBrahms 交響曲第1番ハ短調〜ベイヌム/コンセルトヘボウ管弦楽団(1958年)は、読者からのいただきものであって、本来出品すべきものではありません。但し、この度ボックスを購入して音源ダブったので、多くの人々にできるだけ安く譲ろう(無料というわけにもいかず)と出品いたしました。棚中に死蔵しては、もったいないからね。


●2007年8月某日

さて、本日はどうなるのか。この間、取引先ご担当からの宿題を数多く郵送しており、そろそろその反応が返ってきそうな・・・自分の宿題は本日午前で終了予定(新人君分の代替分は月曜日予定)、昼から売り場現場回り(これはどーしても!行かんとあかんのです)の予定だけれど、なんせ毎日”即答”、”即実施”要望が矢のように降ってくるし、一昨日からのヴェテラン引退を受けて、新人君は未だ名刺交換程度だし、ぼちぼちワタシに(その縄張り分の)お鉢が回って来つつ有・・・左足かなり軽快。暑いからといって、安易にビールを喫するのはあきまへんな。(ワタシはビール党ではないし)この間の美食連続、体重増が主たる要因でしょう。

「音楽日誌」を振り返ると、(いつものことながら)Beethoven /Schubert はとても少ない、Brahms に至ってはほぼ姿を現さない、Schumann/Mendelssohnも同様、やはり偏った音楽の聴き方をしていると見るべきでしょう。EMI HS-2088Beethoven 三重協奏曲ハ長調 作品56は、1969年カラヤン/ベルリン・フィル/オイストラフ(v)/ロストロポーヴィチ(vc)/リヒテル(p)という凄い顔ぶれ録音登場で、一気知名度を上げたが、ワタシはこの作品を意外と気に入っております。このCD(EMI HS-2088)は、おそらくは購入3年以上経って棚中に眠っていたけれど、ようやく聴取へ。

あまり知名度高くない演奏で楽しんできた反動か、カラヤンのバックが素晴らしくシンフォニックに構成され、驚くほど立派でした。著名三巨匠のソロに文句はないが、この作品に”巨匠”が必要かどうかは微妙なところ。いずれ、平易で明るい作品を堪能いたしました。

Faure ピアノ四重奏曲第1番ハ短調 作品15〜ジャン・ユボー(p)/レイモン・ガロア・モンブラン(v)/コレット・リキアン(v)/アンドレ・ナヴァラ(vc)(1969年)・・・Faure(とくに室内楽)はお気に入り作品であって、演奏家問わず愛聴しております。BRILLIANTの室内楽5枚組だって、少々演奏の質にバラ付きがあっても充分楽しめます・・・が、フランスの名手達の録音はひと味違って、優雅な余裕を感じました。粋というか、リキみがないというか。(弦楽四重奏曲ホ短調含め)一枚購入してしまったが、ERATOの全集は機会があれば入手したいな、と考えております。

では、行ってきます。

朝、出勤直前、テレビの星占いでは「トラブルの連続に当初予定はすべてアウト」とのこと。いやな予感ありつつ、粛々とお仕事こなしつつ、ほぼ予定通り午前中+αにて資料出来、定例の報告書も来週の出張申請も済ませて職場を出て、現場売り場回りへ。ところが、事務所出た途端に雨なんですよね。不自由な左足励まして地下鉄駅まで駆け込んで、ま、通り雨だ、と信じて予定地まで到着。無事、予定をクリアできて、ついでにご近所BOOK・OFFにて新書三冊購入(CDは狙いのものはなかった)〜そのままバスにて早々に帰宅しました。あまり体調よろしくないんです。うたた寝して風邪でもひいたか。

体調よろしくないと、音楽の聴き方には気を付けないと。中学生時代、クナッパーブッシュ/ミュンヘン・フィルの「ローエングリン」/「オランダ人」序曲(17cmLP)聴いた時にたまたま腹痛であり、爾来、その作品を聴くたび腹痛がやってくる・・・って、ほんまです。Beethoven 交響曲第7/8番〜デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団(1997年)を随分久々聴いたけれど、軽快軽妙なリズム、自在な旋律処理、威圧のなさに感心しつつ、とうとう最後まで浮き立つような感銘はやってきません。

Beethoven ピアノ協奏曲第3番ハ短調〜バックハウス(p)/シュミット・イッセルシュテット/ウィーン・フィル(1957年)・・・購入は2005年3月だけれど、初耳・・・いえいえ、LP時代からお気に入りでした。したボックスを放置していたもの。これは音質が大味で気に喰わないが、いかにも”ベーゼンドルファー”的柔和な音色は素敵です。立派な演奏だなぁ、とは思うが圧巻の感動に出会えない。

口直し(と言っては失礼ながら)Bach イタリア協奏曲/イギリス組曲第3番ト短調〜スヴャトスラフ・リヒテル(p)(1948年)・・・ほら、なにが録音だ。重心の低い、硬質なタッチが快感であって、多少の体調の悪さなんのその。少々、浪漫濃厚に振ったBach も悪くない、どころか深い音楽への悦び、たっぷり伝わりました。


●2007年8月某日

今朝、起きたら左足いっそう悪化していて、歩行困難状態です。都会としては通勤経路至近とはいえ、かなり歩くし、階段も(たくさん)ありますからね、困った。これが岡山時代だったら、ほとんど歩かなかったり、場合によっては公私クルマで送ってもらったり、でクリア出来たんだけれど。ま、とにかく、ゆっくり出掛けるしかないでしょ。

出張用書籍は本棚に未読のものを発見〜竹内薫「99.9%は仮説〜思い込みで判断しないための考え方」(光文社新書)・・・冒頭に「飛行機が何故飛ぶのかわかっていない」話題から説き起こして、ガリレオ・ガリレイの大苦難も、すべて仮説と仮説のぶつかり合いである、とのこと。科学者の隠蔽体質や、都合の悪いデータを切り捨てる姿勢は、最近発覚(少々旧聞では水俣病、ごく最近では柏崎原発事故)したものではなくて、大昔からあるみたいです。”仮説”を共有できなければ、会話や理解は成り立たない〜ワタシの営業って、”いかにも、ああそうか”と思わせることで成り立っているのでしょう。”理詰めで、資料膨大作戦で”と思っている連中も存在するけど、大間違い。歴史的な”誤り”(ロボトミー手術)とか、見聞としては興味深いものが多いが、ややまとまった印象を欠くような感じ。

篠田達明「モナ・リザは高脂血症だった〜肖像画29枚のカルテ」(新潮社新書)・・・こりゃ、オモロいでっせぇ。オランダの巨星・レンブラントの名作「バテシバ」(ルーヴル美術館)は、28歳の若き愛人をモデルにした、とされているが、その詳細描写により、乳ガンの所見がわかるそうです。(実際に彼女は数年後に亡くなっている)フィレンツェ・ウフィッツィ美術館にて現物拝見したボッティチェルリ「ヴィーナスの誕生」では、当時の女性の外反母趾が観察されるとのこと。

藤原道長が糖尿病であった、との知識はあったが、文献からの引用は初めて知りました。「この世をば・・・」の絶頂期の歌を詠んだときには、既に網膜剥離(眼底出血?)が起こっていたんですね。江戸時代”入れ歯”の精密技術にも少々驚きです。ま、「見立て」(それこそ”仮説”)なんだろうが、ちょっと手応えある一冊でした。

やはり、読書+音楽タップリ(+ビール/これが余計だった!)愉しめるのが”新幹線出張”の良いところでしょう。(来週も東京)音楽はたくさん聴きましたよ。Mozart 交響曲第40番ト短調/第41番〜ハンス・グラーフ/ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団(1988年)・・・地味で華のないオーケストラ、飾りの少ない表現〜これが結局聴き手を(いつまでも)飽きさせないのでしょう。期せずして両作品の性格分けが明瞭になっていて、「ト短調は浪漫に/ハ長調は勇壮雄大に」なんてステレオ・タイプでもない、誠実なる姿勢が作品の味わいをそのまま表出するんです。座右に置くべき全集として相応しい存在也。

EMI TOCEー3296・97 2枚組1,300円Bach 管弦楽組曲第3番ニ長調/第4番ニ長調〜オットー・クレンペラー/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)・・・既に地上から消えてしまった、驚異的に立派な、巨魁なる演奏!ゆったりとしたテンポ、ハズむような付点リズムも存在しない代わり、ゆったりとした深い呼吸とうねり、盤石の躍動が存在します。トランペットが朗々と明るく、雄弁だけれど、装飾音というか、節回しもなし。先日、サーストン・ダートで聴いたときに、ティンパニが三連符の連続でリズムを刻んでいたけれど、こちら馴染みのトレモロ連続、いったい楽譜はどうなっているのか。

Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調「オルガン付き」〜ジョルジュ・プレートル/パリ音楽院管弦楽団/モーリス・デュリュフレ(or)(1964年)・・・さすがに鮮度は落ちているが、豊かな残響と広がりを誇ってこの作品に相応しい瑞々しさたっぷり!この人は多分に”雰囲気で聴かせる”ことが多くて、ここでは成功しております。つまりややラフで、流れが良くて、華やかさがある・・・こんな作品、精緻アンサンブルで神経質に集中しても仕方がないじゃないか。プレートル40歳の録音、80歳過ぎて現役とは立派。

D.Scarlatti ソナタ集11曲分/Mozart 交響曲第20番ニ短調K.466〜クララ・ハスキル(p)/ヘンリー・スヴォボダ/ヴィンタートゥーア交響楽団(1950年)・・・ワタシはScarlattiのソナタ集を愛していて、1980年代にFMで特集された放送をカセット20本ほどに収録して楽しんだものです。(今は昔)チェンバロの古雅な響きも悪くないが、やはりピアノによる細かい表情付けが映える。ハスキルのニュアンス豊かな珠玉の表現は、ホロヴィッツの双璧でしょう。珠玉とは「真珠と宝石」=小さくて価値のあるものであって、夢見るような小品が懐かしく、奥床しく響き渡りました。

Mozart だって同様。もう少し音の状態の整った録音は存在する(マルケヴィッチ/ラムルー管弦楽団)が、ピアノの抑制された悲劇表現に不満なし。胸が痛むような誠実で浪漫、繊細なるピアノです。

・・・残りは帰宅してから。本日、新人君との本格的出会い〜自らの(激しい)実務(提案書作りをこなしつつ、面倒を見て、他の諸作業フォロー入り・・・大丈夫か?

新人君はどう感じたろうか。ワタシは予定作業消化するのにアップアップ状態・・・なんとかなるでしょうか、この先。台風が接近していて、異様に暑い一日でありました。左足症状はそれなりに軽快へ。

さて、昨日聴いた音楽は新幹線帰り・・・Elgar 「エニグマ」変奏曲(ロンドン交響楽団1970年)/Holst組曲「惑星」(ロンドン・フィル1978年)〜エイドリア・ボウルトの指揮で。纏綿とした歌に腰が据わり、貫禄はまさに横綱相撲也。わずかの疑念も迷いもなし。両作品とも馴染みだけれど、ボウルトのマジックに掛かると別種・各上の音楽に聞こえます。大爆発は喧しくなく、弱音はあくまで深淵であります。もう一発、Elgar 交響曲第1番 変イ長調/弦楽セレナード ホ短調(1976年)/夜の歌/朝の歌(1967年)〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル・・・こちらも同様。端正で骨太、息の長い旋律が揺れると、辺りが黄昏るんです。

こりゃ若者の音楽ではないな。ボウルトに限り、”EMIの録音は云々〜”と言う気も起こらない。先日聴いたばかりの、ジェームス・ロッホランには申し訳ないが、この演奏は別格です。やはり、英国の誇りはあるのでしょう。こんな音楽をベルリン・フィルで聴きたいとは思わない。(「惑星」はあるけどね。コリン・デイヴィスの立派な録音が)

週末にオークションの第1次締め切りが到来するが、入札状況は芳しくありません。


●2007年8月某日

8月と言えば”夏休み”〜子供の頃の、あのウキウキとした笑顔はどこに消えたのでしょう。学生時代、若い頃にはそんな感触が残っていた記憶はあるけれど、いまだったら毎日が苦しいばかり・・・いえいえ、いつも毎日夏休みみたいなもんでしょ、はやっさんは、とよく言われるけれど。睡眠不如意、しかも、新幹線に間に合わない夢を見ました。これから東京日帰り。

ネットよりダウンロードした「ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団」mp3音源をCDRに焼いてみました。CD4〜5枚分くらい入れて、収納に1/3ほど未だ余裕有。R.Strauss 「アルプス交響曲」を、ちょっとだけポータブルCDプレーヤーのしっかりとしたイヤホンにて音質確認。「頼りない」とか「線が細い」音質というのは、メモリー・オーディオのイヤホン性能のイメージだったみたい。但し、いかにも”情報が足りない”(実際、工夫してデータ量を削減しているわけだけど)感じがあって、肌理の粗さはオーケストラの個性だけではないように類推しました。これはDVDで出ているものと同じ音源でしょう。文句を言えばキリはないが、この程度の音質のCDだって存在しますよ。でも、(とくにクラシック音楽に於いて)音質の劣化は致命的だと思います。

数日前聴いた音楽の落ち穂拾い・・・Handel 組曲「水上の音楽」〜チャールス・マッケラス/プラハ室内管弦楽団(1977年頃)・・・マッケラスの大ファンだし、溌剌とした躍動、名手ティルシャル(hr)も参加するオーケストラの調子だって悪いはずがない。なのに、この音質はなんだ。数日前、響きの濁り云々に言及したエルネスト・ブール/南西ドイツ交響楽団のMozart 交響曲同様の印象(しかも、続けて聴いた)となります。ちょっと前曲聴き通すのに根性必要でした。(EMI CDE 767774 2)

久々の新幹線往復なので、持参CD選定を行いましょう。ところが、読むべき書籍が切れております。転居後、BOOK・OFFが(通勤経路含め)至近に存在しないので、補充怠っておりました。仮にあったとしても、現在の状況では通勤途中に寄ったりできないか。

日帰りはツラいなぁ。こんな余裕のない東京往復も久々というか、初めてかも。帰り、弁当にビール飲んだら死んだように眠ってしまって、気付いたら新大阪到着直前でした。(左足が痛いのは”痛風”再発?)自宅までの在来線は「35分遅れ」との表示〜事故でもあったのか。たっぷり音楽聴いて、本も読めたけど、飛行機とどちらが良いのかビミョーなところ・・・ま、不労所得(バブル収入)はちょっぴりあったけど。ちょうど先週オークション落札したCD代くらいか。出品のほうは全然入札が入りません。

往復聴いた音楽の件は明日、ぼちぼちと。お仕事は苦しい状態です。

 

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi