Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」
(ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団1963年)


CONCERTHALLSOCIETY  C.H.S.0121 Stravinsky

バレエ音楽「春の祭典」
4つのエチュード

ピエール・ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団(以上1963年録音)

カンタータ「結婚」

ピエール・ブーレーズ/パリ・オペラ座管弦楽団

CONCERTHALLSOCIETY C.H.S.0121 (オークション@1,000落札+諸経費にて入手)

 下の駄文はこのサイト初期、20世紀中に書いたものだから、おそらくは8年越しの贅沢で入手したCD〜べつに入手困難だった、ということでもなく、国内盤で出ていたし、現在でも入手可能かも知れない。CD購入にはきっかけ(言い訳?ワタシの場合、@1,000以上の出費は「清水の舞台」行為)が必要でして、2007年大物作曲者自演集成22枚(SONY)入手、そして1956年のピエール・モントゥー/パリ音楽院管弦楽団(LP以来の)再会が、思わぬ感動の成果を上げたことによりました。

 上記2種の入手には「予想外の良質な音!」と言う余禄もありました。しかし、こちら悪名高き「コンサートホール録音」〜しかも日本語解説も床しい国内盤(?だと思う)正規原盤の由来やマスタリング改善もそう期待できない・・・少々そんな心配もないではなかった。その辺りの経緯は既に「近況2007年9月」にて記述済み。

 ここ最近、このブーレーズ盤に限らず「春の祭典」ばかり幾度聴いたことでしょう。移り気な自分には稀有なる事象、その度に新たな発見を繰り返すばかり。それは作曲者自演の姿が大きな影響を与えておりました。コロムビア交響楽団(1960年ニューヨーク)は優秀な技量を誇りつつ、どことなく牧歌的で機能一辺倒ではない味わい有。これこそが”正統”なのでしょう。

 管楽器を中心にフランス国立放送管弦楽団は名手を揃えていただろうし、各自”自分(フランス)の色”を出そうとしていたことでしょう。冒頭のファゴットから”鼻声”は聴き慣れたものとは違っております。ブーレーズは(当時)そんな”自分(フランス)の色”を嫌って、その後イギリスやらアメリカのオーケストラで録音をするようになったとのこと。ブーレーズ当時39歳、”色”を抑制させ、正確なリズムとバランスを旨とし、その徹底のためオーケストラと対峙した結果、異様にアツい演奏に仕上がっております。オーケストラは機能的に超・優秀、とというワケでもないが、デフォルメせず(雰囲気で聴かせない)細部明快な演奏に仕上がっております。  

幾度聴いて飽きぬ演奏。どんより曇った音質も苦になりません。作曲者のどことなく牧歌的な演奏を標準とするならば、都会的に洗練され、シャープな切れ味と爆発を旨とする素晴らしき世界だと思います。要らぬマネはするな!と、ばかりオーケストラをコントロールするブーレーズに、管楽器の名手達が”自分の色”を賢明に表出(しようと)するスリリングな演奏!彼の数種の録音中、もっともアツいものを感じされる出来でしょう。続く、カンタータ「結婚」の無機的かつ粗野で原始的な旋律、リズムも大好きです。(両方ともLP時代からお気に入りでした。」より)
 後年の録音に至るほど穏健になる・・・というのは、巨匠となったブーレーズは自分好みの優秀なオーケストラを選べるようになったし、オーケストラ・コントロールの熟練もあったのでしょう。アンサンブルが整っている、オーケストラが上手い、指揮者の指示が徹底している〜ことだけが理想的な演奏を実現するわけではない。アツき”対立”もまた良いではないか。優秀録音とは言いかねるが、それでも作品演奏を堪能するに不足はない、と断言いたしましょう。

 +「4つのエチュード」がLPオリジナル収録となります。わずか10分ほどの”調子外れの村祭りの笛”的、牧歌的作品。とても楽しく、緻密な演奏であります。「怒りの日」の旋律も(怪しく)登場。

 カンタータ「結婚」は、もともと別なLP(やはりコンサート・ホール・レーベル)に収録されていたものでして、ワタシはちゃんと(かつて)所有しておりました。ピアノ4台+打楽器+声楽というとてつもない編成であって、粗野で原始なリズムと叫びが魅力的な作品。複雑なる変拍子+声楽と器楽各パートが異なるリズムを刻んで絡み合うところなどドキドキもの。作曲者の自演も味わい深いもの(1959年ステレオ録音も)だけれど、緊張感切迫感に於いて、この演奏の”正確さ+熱”は稀有な価値でしょう。

 所謂旋律らしい旋律もないけれど、わかりやすく明快な姿で作品を堪能できました。音質云々は気になりませんでした。

(2007年11月2日)

コンサートホールのLP(中古300円ほどで購入)よりDATに録音→更にMDへ

 1963年のこの録音→クリーヴランド管(1969年)→クリーヴランド管(1991年)→LSO(1995年ブーレーズ・フェスティヴァル・ライヴ。DATで録音)都合4種の録音で、親しんできた「春祭」。1969年録音のLPが出たとき、数ヶ月分のお小遣いをためたけど電車賃に足りなくて、延々とレコード屋さんまで歩いて買いに行った少年時代の思い出。複雑な変拍子、不協和音の激しい騒音。きのうまで「ペール・ギュント」や「アイネ・ク」を聴いていたような、子供が聴くような音楽ではなかったはずなのに、どこでこの曲と演奏の存在を知ったのでしょう。

 でもブーレーズの演奏はじつに明快で、わかりやすかった。この曲に対して、なんの違和感もありませんでした。同時期に、メータ/ロス・フィルの録音が話題となったり(FMで聴いたはず)、カラヤンのLP(旧録音)は音楽室にあって勝手に聴いたりしたけど、ブーレーズの演奏が別格に美しかった。

 ブーレーズは(どこかの解説で読んだ記憶有)「音符を取り出して、すべてきれいに洗濯して清めてから再構成した」ようなアンサンブルの精密さ。テンポやバランスの理詰めの説得力。絶対に濁らない響き。

 1963年のフランス国立放送管弦楽団とのLPは、その後知ったもので、社会人になってから購入したもの。ブーレーズ4種の録音で「春祭」を楽しんできましたが、あまり違わないと思うのです。この旧い録音はダントツで音が悪い。が、演奏の質的には既に完成されています。オーケストラの音色や技量が違うだけで、どれも同じといえば同じ。(違うといえば違う)聴いた印象は異なります。

 最近の録音を聴くと、ブーレーズはかなりオーケストラに任せるようなところがあると思うのです。「牧神」は、FM放送でウィーン・フィル、ベルリン・フィル、LSO、CDでクリーヴランド管の演奏を聴きましたが、各々違う。ベルリン・フィルとの演奏なんてぞっとするくらいセクシーな音色なんです。マーラーの交響曲第6番は、オーソドックスで普通の演奏(それも悪くない。聴き込むと味わいは深い)でしたし、ま、ブーレーズも70過ぎましたからね。しかたがないでしょ。

 この「春祭」は、オーケストラがクリーヴランドより機能的ではないですし(冒頭ファゴットの鼻声なんか素敵な音色)、全体に温度が高くって、ブーレーズにしては濃厚で、オーケストラを強引に統率している雰囲気有。まだ壮年期バリバリの「反逆者」時代で、オーケストラに任せる、なんてとんでもない、といった感じ。

 1969年の録音にもその名残は充分あって、クールだけど問題意識の鋭利な表出は感じます。これが、同じオーケストラでも1991年の録音になると「貫禄」に変わっている。時代や、聴き手であるワタシの感性の変化もあるでしょう?でも、いま聴いてもそう思う。

 わたしはこの一番旧い録音が好きですね。聴いていてゾクゾクっと興奮します。音は悪いけど問題意識の嵐に出会います。ちょっと高いけど国内盤でも現役のはず。


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written by wabisuke hayashi