Mussorgsky 組曲「展覧会の絵」
Bartok「管弦楽のための協奏曲」(フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団)


RCA  R32C-1003 Mussorgsky/Ravel 編

組曲「展覧会の絵」

Bartok

管弦楽のための協奏曲

フリッツ・ライナー/シカゴ交響楽団

RCA R32C-1003 1957/55年録音  2,000円で購入(???)

 【♪ KechiKechi Classics ♪】は廉価盤クラシックCD専門サイトだけれど、21世紀も数年進んできて、廉価盤は珍しくもなんでもなくなりました。それどころか、”盤”ではなく”データ”に移行しつつある今日この頃、音楽ファンの皆様いかがお過ごしでしょうか。2006年頃より”怒濤のCD処分”(転居で更に加速/収納場所の問題)開始したが、得意の連続購入ワザ炸裂して結果”総量抑制計画”に変更、それも計画達成は少々怪しい・・・このサイト中に更新済みの音源も、随分と日本中各所音楽ファンのところに嫁に行きました。元気でやっておるだろうか?

 ワタシが最初に購入した”CD”は、モントゥー/北ドイツ放響の「幻想」でした。(愚かにも処分済/探しております!)次がこの「展覧会の絵/管弦楽のための協奏曲」じゃなかったか。ワタシの人生変転とともにあちこち転居、未だに元気で棚中に鎮座しておりました。そろそろ”CD劣化”が話題となってワタシも数件経験済(涙)だけれど、この一枚は健在〜1987年Made in Japan 定価3,200円也。記憶では2,000円にて格安(!)入手したのは1991年頃か。ものは大切にしましょうね。現在に至っても、両作品へのワタシの嗜好は微動だにせず。好っきやねん。50年余年前驚異の録音水準は、現在の耳にも新鮮です。

 結論的に、「展覧会の絵」では失望するようなヘロ演奏には出会ったことはありません。それでもこのライナー盤の、ジャケ写真そのまま不機嫌な表情でクールに、厳格精密に、正確に重いリズムを刻んでいく凄みには特異な価値有。名手ハーセスのトランペットを先頭に各パートの美しさも極上でして、後年ショルティ時代以降とは味わいが異なる(もっと金属的になった?陰影に足りない?)ような印象があります。アンサンブルの集中力、弱音での繊細なニュアンス(木管も美しい)にも文句なし。基本ストレート系、オーヴァーなテンポ変化を伴わない表現だけれど、粛々と聴き手に切迫感を強いる大説得力演奏であります。

 ワタシはアンセルメのややラフで軽快、明るい響きも(モノラル録音も)大好きですよ。でも、スイスロマンド管弦楽団に「バーバ・ヤーガの小屋」のティンパニの切れ、ハラにずしんと響く強烈な迫力、そして強靱なる金管(余裕綽々)との対話は期待できないでしょう。弱音の対比で音楽の姿が不明瞭にならぬのは、力量あるオーケストラの証明であります。「キーウの大門」の朗々粛々たる歩みのスケールに身を委ねたい・・・強烈であり爽快。痺れました。

 華麗なる加齢を重ねる今日この頃、たっぷり収録は嬉しいが、心身共に”もう一曲”続けてはなかなか聴けまへん。ましてBartokは厳しい音楽なんです。音質は「展覧会の絵」よりやや落ち、とはいっても文句ない鮮度、なんせ太古1955年でっせ。左右の分離を強調しているのは時代なのか、それとも作品特性を意識したものか。これもオーケストラが滅茶苦茶上手い。管楽器群のソロは自慢げに、存分に腕を振るうんです。アンサンブルには寸分の乱れもなく、縦の線がピタリと合う。が、けっこう(時に)テンポは疾走してアツい演奏に至ります。引き締まったサウンドはクールじゃない。

 聴き手は気楽なものだけれど、第2楽章「対の遊び」辺り、剽軽なるリズムに乗って、あちこち各パートの出番はいかにも難物っぽい。いつもは不機嫌厳格冷酷なるライナーは、ここではノリノリの軽快なるリズム感を保持して、しかもオーケストラ・コントロールに優れます。巧まざるユーモア有。第1楽章「序章」/第3楽章「エレジー」に於ける爆発の迫力切迫感に文句はないでしょう。第4楽章「中断された間奏曲」のとぼけた味わいにも、賑々しいアツさがちゃんと存在します。嗚呼、金管が上手いなぁ。

 終楽章怒濤の弦のアンサンブルこそ、シカゴ響の腕の見せどころでしょう。この推進力+熱狂は並のものではない。表現は要らぬテンポの揺れを伴わない。アンサンブルを美しく整えることのみを先行させず、ヴィヴィッドな躍動と旋律共感が前面の素晴らしき芸術でした。

 久々に”感動した”!

(2008年5月23日)

 1987年発売。おそらくもっとも最初期に購入したCDで、定価3,200円を中古で2,000円(記憶曖昧)にて入手。ま、当時はワタシも若かったし、大切に聴いたもんです。「弾丸ライナー」は好きでっせ。シカゴ響はマルティノン迄ですよ。(なんて勝手な!)ショルティはまだ聴く機会はあるが、バレンボイムでは話しになりません。ま、うんと安くCDが出てくれれば聴いてあげてもよろしいが。

 まずこの録音年代の旧さに驚くが、信じられないほどの良好な音質であって、意外と最近の「ヘロ録音」に出会うと怒りを禁じ得ません。(「ツァラ」なんて1954年録音!)ライナーの意地悪そうで陰険な目つきがたまらない。この小柄な爺さんがクセもんなんです。いや、もう完璧なアンサンブル。これほど明快で、ピタリと息のあった演奏は滅多にございません。

 ワタシはここ最近、常々申し上げているが、なるべく自然体でオーケストラの各パートが自発的な工夫をした結果、豊かな奥行きあるアンサンブルが生まれる〜そんなタイプを好んでおります。なにも、ピタリと縦線を合わせる必要もないし、「ただ上手いだけ」の心籠もらぬ演奏もご遠慮申し上げます。でもね、この演奏、並じゃない。俳句の世界で「五七五の定型にはまるからこそ、逆に無限の広がりができる」なんて言うじゃありませんか。

 ギリギリとオーケストラを締め上げた極限の状態で、追いつめられ鳴りきった音楽。ムダをすべてそぎ落とした美。そして〜ここからが重要なんだけど〜ドホナーニ/クリーヴランド管による1985年の録音があるでしょ?これも凄いんです。メカニック的には負けていない・・・・でもね〜「味」がない。ワケワカラン話しで恐縮だけれど、ライナー/シカゴ響にはちゃんと”味”がある。

 ワタシ、音楽は究極「味」だと思います。カラヤン/ベルリン・フィルの全盛期の演奏が、すべてカレー味の料理になってしまっても、それはひとつの個性ある「味」(好き嫌いは別として)です。技術的には問題が多かったといわれるアンセルメの「展覧会の絵」には、芳醇な香りがありました。テクニックは”味”を生かすためにある。


 Bartokは彼のおクニものです。おクニもの論議はさておき、これにも強烈な「味」がありますね。ま、現代に近い音楽で、しかも母国ハンガリーの色合いをタップリ持った曲だし、カッチリとした技術で集中してくれると、その色もちゃんと出るもんです。並の集中力じゃない。

 「展覧会の絵」も「オーケストラ・コン」も、これが標準と思います。適正なテンポ、細部まで明快で精緻な仕上げ、圧倒的な管弦楽の物量。セル/クリーヴランド管でもそう思ったが、これは「正しい演奏」なんです。名曲を正しい姿で青少年に、そして中年の疲れたおじさんに伝えてくれる。ん、これぞ正統派!王道!

 音楽は多種多様に、幅広く聴くべきとは思うが、演奏・録音とも極上の世界に浸ると「2,000円も高くないか」と迷います。但し、高い値段で買ったものがすべて「極上」とは限らないのはあたりまえの真理。KechiKechi理論は全面的に正しい。(2002年7年12日)


Bartok

管弦楽のための協奏曲

ライナー/ピッツバーグ交響楽団

History 204560-308 1946年録音  The 20th Century Maestros 40枚組5,990円で購入したウチの一枚

 ライナーの旧録音で、音質的に考えるとムリして買うような音源じゃありません。初演が1944年だから、できたてのホヤホヤの頃の録音。でも驚くべき完成度。7年後の「貫禄」にやや及ばないかわり、前のめりのアツさ、みたいのがあって楽しめますね。ピッツバーグ響は非常に優秀。


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written by wabisuke hayashi