Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調
フリッチャイ/ベルリン・フィル(1949年)


Tchaikovsky 交響曲第5番ホ短調〜フリッチャイ/ベルリン・フィル(1949年) Tchaikovsky

交響曲第5番ホ短調作品64

ベルリン・フィルハーモニー(1949年)

R.Strauss

円舞曲「南国の薔薇」
円舞曲「ウィーン気質」

RIAS交響楽団ベルリン(1949年ライヴ)

以上 フェレンツ・フリッチャイ指揮

HISTORY 204569-308 The 20th Century Maestros40枚組5,990円のウチの一枚

 ”安く見掛ければ購入する”原則を貫い(た挙げ句、在庫をたくさん残し)てきたが、徐々にどんな音楽を所有しているかさえ失念する状態に至っております。音楽を粗末に聴いている自覚もあって、最近、”未聴音源消化”という安易な姿勢ではなく、たまたま取り出した音源に「!」的直感があれば、なんども繰り返して聴くようにしております。また、それはなんども繰り返して、味わうべき水準の演奏であることを意味しております。(そうでないものはもちろん有。その時点での耳の相性、水準、体調問題もあるが)

 フェレンツ・フリッチャイは、1963年わずか48歳で白血病に倒れた名匠であります。ちょうどこれから、本格的なステレオ録音が始まる真っ最中での逝去であり、カラヤン全盛期であったDGでは廉価盤LP音源として彼の録音が使われたためか、日本で本格的に彼の存在が見直されたのはCD時代以降でしょうか。この交響曲は、おそらくヘリオドールのLPから出ていた音源で、想像を絶する良好な音質と、燃えるような美しい入魂演奏にココロ奪われます。それこそ、なんどでも聴きたい!と思わせる魅力横溢。Tchaikovskyは苦手系・・・ワタシの戯れ言を嘲笑(あざわら)うが如く怒濤の説得力有。

 1949年のベルリン・フィル、これは1960年以降カラヤンの艶々した甘美なサウンドとは一線を画すもので、繊細緻密な集中力を前提として、苦み走って渋い、しかもカッチリ芯のある世界を誇りました。第1楽章冒頭クラリネットのほの暗く高貴な音色に、絶望的な弦が絡みます。(全曲に渡って泣きが存在する弦)露西亜方面の粘着質ではなく、あくまでストレートに、ウチに情熱を秘めながらテンポを煽って金管+ティンパニの爆発を誘います。その迫力のすさまじいこと、対比としての静謐さの優しいこと、刻々と変化する表情の豊かなこと。フルートさえ後年聴き慣れた華やかなものではない、地味に豊かに存在を主張します。

 第2楽章「アンダンテ」は延々と続くホルン・ソロが聴きものであります。(その前に登場する弦の嘆きも!)これは後に聴き慣れたザイフェルト辺りのサウンドに通じるような、やや地味で淡々とした味わいがありました。やがて弦が高揚しつつ、テンポと感興を高めながら絡み合います。これは、この演奏中何度も出現する表現だけれど、微妙に抑制と配慮が利いてワン・パターンにクサくならない。断固として叫び、燃え、そして優しい表情へと帰還する。テンポは揺れます。緩叙楽章でもリズムのキレ味を明快に感じさせる驚き。大きく清廉なる呼吸。

 第3楽章「ワルツ」〜澄ました表情、テンポは微妙に揺れるが、ここではむしろ個性を抑制してフィナーレへと備えております。木管の多彩なる表現は聴きものでして、当時のベルリン・フィルの優秀さを実感できるが、あくまで響きは華やかではない。流麗ではない。フィナーレは、抑制を前提とした微妙なるニュアンスの刻印で開始され、やがて満を持した叫びが待っておりました。

 ”叫び”は、各パート余裕の技量で支えられ、皮相に走らない。うるさくはない。木管の深さに聴き惚れ、弦の艶消しの奥行きに感じ入り、鈍く輝く金管の爆発には余力がたっぷりある。1949年のモノラル録音ではあるが、各パートの活躍が明確に理解できるんです。”白熱の演奏”〜と評しても間違いではないが、ワタシは一歩引いて全体バランスに配慮したフリッチャイのワザに共感します。ラスト、猛スピードで駆け上るが、あくまで爽やか。

 「南国の薔薇」「ウィーン気質」に於ける、溌剌としたリズム感、スピード感がなんと楽しい。白熱の雰囲気に拍手も盛大でしたよ。しばらくウィンナ・ワルツを聴いていなかったが、なんども聴きなおし、楽しみました。弦のポルタメントも味わい深い。

(2005年11月4日)


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written by wabisuke hayashi