音楽日誌
2005年4月18日高知道のサービス・エリアにて
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2005年5月某日


完治とは言い難いが、5月も終わりだし、真面目なサラリーマンは出勤いたしましょう。寒暖の差、ムリムリな出張スケジュールが連続していた(好きで行ったわけではないが、二日おいて東京へ、とか)ということもあります。

「贅沢三昧 Mahler 黎明編」の続編をぼちぼち執筆していて、(休み利用して)Mahler 在庫確認中です。これはBeethoven とは異なって、はっきりワタシの好みでちゃんと聴いているし、CDも膨大!で、Mahler 交響曲5番 嬰ハ短調〜シュウォーツ/ロンドン交響楽団(1959年)を久々に確認。このサイト初期から掲載しているが、手放しの評価ですね。今となっては入手困難なる一枚か。英国穏健派の味わいを堪能しました。(少々加筆、未更新)

Mahler 「大地の歌」〜ワルター/ニューヨーク・フィル/ヘフリガー/ミラー(1960年) SONY (28DC 5055)は、中古500円Mahler 「大地の歌」〜ワルター/ニューヨーク・フィル/ヘフリガー/ミラー(1960年)を。LP時代の在庫はすべてCDで回復したい!という基本的姿勢があるけれど、なぜかこれだけ入手が遅れて昨年2004年11月500円でようやく再会できた演奏です。明快でふくよかな余裕のオーケストラ、ヘフリガーの生真面目一方な歌唱が個性的で、録音も鮮明。LP処分時、こんなCDいつでも買えるわい!と、タカを括っていたけれど、10年掛かるとはねぇ・・・人生ワカらんもんです。(価格に厳しいからです)

今朝、手持ちMahler 全集では一番聴いていない(そのあまりの悲劇的表現に胸が痛む故)テンシュテット/ロンドン・フィルで、交響曲第9番ニ長調(1979年)より第1楽章のみ。ああ、思い出した。一回聴いて全編旋律が泣いていて〜それはバルビローリの”泣き”ではなくて、もっと”慟哭”とか”絶叫”に近いようであって、安易な聴き手を許さない・・・厳しい姿勢に打たれたものです。

では、行ってきます。(文句言われるだろうなぁ、みんなに)

いざ出勤してみると、数人風邪にやられていて大流行状態。このクソ暑いのにカーキ色のトレーナーしっかり上に着込んで、ネクタイも締めて全然暑くない・・・というのが異様な風体であり、症状(寒気が・・・)です。お仕事は淡々粛々と消化され、なんらの問題もなし。明日、更に資料精査付加し、内部打ち合わせの予定。まだ本調子じゃないので、早々に帰宅・・・ノートパソコンからFDで中途半端原稿データ移したら、完成稿を誤って上書きしてしまってパーにしました・・・。

先日のBruckner 交響曲第4番〜ベーム/ウィーン・フィルのご意見集中もなかなかだったが、Franck 交響曲ニ短調も凄い書き込みです。先日購入したモントゥー/シカゴ交響楽団(1959年)には驚くほど感動したが「フルトヴェングラーはどうしたっ!」との書き込みが。これもなにかの縁でしょうなぁ、久々、ウィーン・フィルとの1945年録音を取り出しました。(記憶だけで「絶対勘弁せんけんね」的透徹した境地!〜みたいなエエ加減なことばかり書いちゃ叱られる)

怪しげ復刻気味の激安Historyレーベル故か、音質あまりよろしくないが、鬼神のような集中力とむせ返るような幻想性に溢れ、ズズ暗い演奏でした。でも、これほんま「1945年1月28日」録音?DG正規復刻では「1月29日」だし、かつて「1月28日」として出されたLPが、1953年英DECCA録音(未聴)の焼き直しであった、という事件もあったそうですね。こうして「苦手Franck 」を何度も聴いていくと、徐々になにか見えてくるものが・・・ほんまです。

5月はこうして暮れていく・・・

2005年5月某日


また、新しい一週間の始まりに少々憂鬱、しかも風邪が治らない。本日、東京本部から親しいやつが(お仕事で)出てくる記憶はあるが、例の如しで一週間の予定やら、お仕事締め切りを自覚していません。ちょっと(愛用の超・整理)手帳を開いてみましょう・・・後半に大切な内部打ち合わせ、高知(お客同行)、週末広島店回りがある、あとは来週に大きな会議があって、大筋出来上がっているから、この詳細準備仕上げか。できれば本日休んで、風邪完治させたいが・・・

昨夜から今朝に掛けてシュナーベル(p)聴いてます。この人、1951年に亡くなっているが、かなり系統的に録音が残っていて、History10枚組*2巻で入手済み。(ダブり入手も数曲有)Mozart ピアノ協奏曲第20番ニ短調(ススキンド/フィルハーモニア管1948年)/第21番ハ長調(サージェント/ロンドン交響楽団1937年)/Brahms ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調(ボウルト/BBC交響楽団1935年)・・・音質は想像よりずっと良好だし、巨匠世代の巨大なる前時代性〜みたいなものは微塵も感じさせない、オーソドックスでしっかりした演奏でした。

技術的に安定しているが、技術のキレが前面に出るものでもなく、テンポもほとんど揺れない。激昂しない。甘く歌わない。しっかりと音に”芯”を感じさせ、ジワジワと聴き手を説得していく・・・そんな演奏でした。

朝、出勤すべく準備をしていたけれど、どうしても体調が優れない。ここでムリして出ていっても、週末の絶対に抜けられない出張(お客同行)に影響が出ても仕方がないので、断腸の思いでお休み(どーせ内部会議だし)・・・ほんまは絶好調でサボるのが幸せなんですけどね・・・コタツ(季節的にただのテーブルだけれど)上のノートパソコンで遊びつつ、ボンヤリじっとしております。

外では30度を超えたらしいし、銃器をもった外国人がご近所をうろついていたらしい(ニュースで見た)が、寒気はするし、終日ソファ辺りでじっとしていて身動き取れず。ほとんど音楽は聴いていなくて、聴いても集中できる状態ではない・・・ちょっとだけStravinsky 「春の祭典」・・・久々にMD取り出して、ブーレーズ/フランス国立放送管弦楽団(1963年)そして、ついでと言っちゃなんだけどモントゥー/パリ音楽院管弦楽団(1956年)〜これは両方とも、昔から大お気に入り演奏でして、LP処分時に保存したもの。

いや、もう昔の感動そのまま。基本ブーレーズの正確かつヴィヴィッドなリズムが好みだけれど、良からぬ音質含め妙に生々しい臨場感があって、ノーミソあくまでクールなのにカラダはアツいよ!的興奮があります。モントゥーは「火の鳥」「ペトルーシュカ」(パリ音楽院/ボストン響両方とも)CDで入手したのに、なぜかこれだけ入手しておりません。(ボストン響ライヴはちゃんとある)

この時期英DECCA特有の「ボワンとした洞穴のような」音質ではあるけれど、時代の危うさと不安を感じさせるようなアンサンブルの乱れもあって、昨今の優秀なるメカニックでは表現できないであろう味わい有。オーケストラの各パートは美しく、上品でもあり、録音の良し悪し条件を越えて新鮮な印象を持ちました。

2005年5月某日


すっかり風邪症状(微熱倦怠感咽の痛み)で寝込んでおります。せっかく切符をゆずっていただいた、倉敷管弦楽団演奏会の演奏会も行くこと不可で残念。これは自然の摂理なんですね。風邪で死ぬことはないから、なにせずにじっとしておれ、快復に努めよ、といった精神的疲労のシグナルか。実際、普段不眠症気味なのに、昨日昼からずっと眠いこと、よく眠れること。

音楽に集中できないが、ぼんやり聴いてます。Mahler 交響曲第1番ニ長調〜アブラヴァネル/ユタ交響楽団(1974年)を。ここ最近、数回聴いているが、いつも様子がわからない。どんな演奏だったか全然記憶がない・・・ウチに終わってしまうのが情けない。体調が体調なので、せめて快活な曲を・・・Bach ブランデンブルク協奏曲第2/3/4/5番(1984年)/2つのヴァイオリン協奏曲ニ短調(1989年)〜イ・ムジチの演奏にて。(ヴァイオリン・ソロは誰かわからない。ネットで調べても・・・フェデリコ・アゴスティー二/アントニオ・ペレスらしい)

これも、ああ馴染みの作品、明朗だねぇ・・・というだけで、ぼんやりしっ放し。Mahler 交響曲第4番ト長調〜ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団/アメリンク(1967年)を。これはLP時代からお気に入りでした。ケの響きを生かして、何の変哲もないような表現だけれど、ひたすらキモチが良い。ハイティンクは年齢を重ねるごとに深みを増しているように見えるが、若い頃の虚飾ない、一見平凡な表現にも味わいが隠れている・・・

特異、異形な世界ばかりを”個性的”として称揚する風潮は、まだ跋扈しておりますか?

2005年5月某日


昨日(岡山県)玉野〜児島〜高松(2ヶ所)〜徳島(3ヶ所)訪問へ。少々クルマでは不安な道案内であったが、なんとか時間通り到着、ラスト商談こなして徳島泊は珍しい出張パターン。チーム3人での移動だけれど、ホテル予約が遅れて少々不本意なところに宿泊〜もともと徳島は少々ホテル相場が高めなのと、設備サービスも遅れているところもあります。それでも”観光地”として喰っていけるのだね。夜は、阿波尾鶏やら海の幸、徳島ラーメンなど堪能。今朝、早々に帰岡しました。

頭痛があって心配だったが、なんのことはない夜半に咽が痛くなって、風邪気味だったんですね。たいしたことはない。おとなしくしておきます。出張にCD持参せず、ホテルにはネット環境もなし。ちなみにウォシュレットもない。

帰宅して、Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界から」〜ケンペ/ベルリン・フィル(1957年)を。翌年1958年には御大カラヤンが同オーケストラ、同作品を同じレーベルで録音するが、剛毅な時代でしたね。後者のやる気満々の覇気に溢れた勢いに比べ、上品で静謐、抑制した味わいがあって美しい演奏でした。録音も良好。引き続き、Gounod バレエ音楽「ファウスト」(1962年)/Herold歌劇「ザンパ」序曲(1960年)/Saint-Sae"ns歌劇「サムソンとデリラ」より、バッカナール(1961年)/THOMA歌劇「ミニヨン」〜ガヴォット(1960年)/MASSET 序曲「フェードル」(1962年)/Auber 歌劇「王冠とダイアモンド」序曲(1960年)〜パレー/デトロイト響を・・・

1960年前後一連のMERCURY録音のなかでも、この組み合わせは飛び抜けて優秀なるアンサンブルと、深く繊細な味わいがあると思います。(もちろん音質も)誰でも聴いたことがある洒脱なる旋律ばかり勢揃い。例えば「トロイ人の娘たちの踊り」などいくらでもしっとり、優雅に歌えそうなものだけれど、ずいぶんと素っ気ない・・・が、これはこれで飾らない優しさみたいなものがあって、絶妙なる表現。この時期のデトロイト交響楽団には「自動車の街」とは思えぬ、粋な味わいがありました。

2005年5月某日


丑三つ時に地震があって目覚めてしまいました。というか、昨日は珍しく頭脳系労働で(性に合わない)資料作りが思いの外コンパクトにまとまって充実(我ながら良い出来)早々に業務終了〜(職場即側)スポーツクラブへ。小一時間ばかりマシンを使って、よく眠れるかと思いきやどうもウツラウツラ状態・・・使い慣れないノーミソ酷使したせいか。本日、香川県経由徳島行き出張。

トレッド・ミル+自転車こぎ+通勤行き帰りで聴いたの音楽は、ADAM バレエ音楽「ジゼル」全曲より後半〜フィストラーリ/ロンドン交響楽団(1959年)。MERCURY録音は(背景にノイズが乗ってはいるが)まったく見事でした。オーケストラのしっとりとした味わい、わかりやすく親しみやすい演奏で「ジゼル」ってこんなに楽しい作品でしたっけ?というくらい瑞々しい。(同じ組合わせの「ガイーヌ」〜LP時代は愛聴盤だったなぁ)

MERCURY 434 365-2引き続き収録されるのがJ.Strauss(ドラティ編)「卒業記念舞踏会」〜ドラティ/ミネアポリス交響楽団(1957年)でして、珍しい草稿を元にドラティが馴染みの「加速度円舞曲」「常動曲」など組み合わせて、一本のバレエ音楽に仕上げた(26:31)とのこと。初演は1940年シドニーにて。楽しい作品だけれど、演奏的には少々潤いに欠け、仕上げは少々粗く落ち着かない。もっと優雅、ゴージャスであって欲しかった。同時録音で、Offenbach「パリの喜び」(ロザンタール編)〜こちらは大衆的な作品のせいか、元気も勢いもあってヨロしいじゃないですか。

「MERCURY」+「ドラティ/ミネアポリス交響楽団」といえば伝説的名録音である「1812年」(1958年)を思い出します。そこでも少々オーケストラの弱さというか、音色が浅く感じたものだけれど、同様の印象でした。

2005年5月某日


昨日の健康診断では「やや血圧が高い・・・」〜小さい頃から正常血圧、いえいえむしろ低血圧だったのに少々ショック、そういえば最近頭痛が多かったような・・・最低血圧は正常だし、一過性のものかも知れないが、急に体調悪いような気分に囚われております。これからはスポーツ(カラダを動かすこと)を意識しましょう。

あちこち「ブログ」が盛んでよろしい傾向だけれど、「ログ」とは「記録、日誌」のことだから「音楽日誌」も「MUSIC LOG」か。「クラシック音楽のひとりごと」愛媛県伊予西条にお住まいされる、おそらく御同輩のブログだけれど、なかなか表現が的確。曰くブレンデルのMozart の件〜「だいたい音が綺麗で、その演奏は正統的、格調高く分かりやすい。・・・『純白』ではなく、やや肌色の混じったような白さ。透明でも大理石の白でもないんだけれど、その白さに引き込まれてゆくような優しい白さというか。。『学究的』なんて批評もよく見るが、ボクのような素人には、曲の全体的な構造を分かりやすく提示してくれる素晴らしいピアニストだと思う」〜なるほど、あまりたくさん聴いていないけど、その通りだと思います。ブログはあちこちリンクとかトラックバックして下さるので、新しい出会いが素晴らしい。

先々日出張音楽の続き・・・五反田BOOK・OFFでCD入手(また、懲りずに!)というのも、「出物」を見掛けて逡巡するでしょ?で、購入断念して、次回売れていたら当然執着も後悔もなし。ところが、次回訪問でまだある・・・それを凌いで、更に第3回目に出会うともう「家に連れて帰らないと・・・」という機運高まってサイフを開けますね。「○×のCDを**円で買いました」みたいなことをサイト上でいちいち報告する趣味はなくて、ちゃんと聴いてからコメントを、というのが自分の原則だけれどちょっとだけご報告。(全部ではない)

1990年代後半、「怪しげライヴ音源てんこ盛り」で楽しませて下さった「LIVE CLASSICS」〜このシリーズは一部異様に音質が悪かったり、演奏家表記がいい加減、というか、そもそも間違っているもの(←エエ加減コメントさておき)もありまして、かなり博打的購入となります。でも、見かけると欲しい衝動が沸き上がっちゃう。例えば、Mozart レクイエム K.626〜ムーティ/ベルリン・フィル(合唱表記なし1987年2月14日ライヴ)・・・有名なるスタジオ録音と同じ日付か。音質はどんよりしたモノラルっぽいもので、ラストには拍手も入るが、おおいに怪しい。

もしかして正規音源をむりやり音質落として、どこかの拍手くっつけたんじゃないか。ウワサのエリク・エリクソン率いるスウェーデン勢の合唱団(と類推される)は、驚くべき正確なアンサンブルと集中力と表現の深さで、かつてない感動には間違いなし。こりゃEMI盤をちゃんと探さないと。これ2枚組1,000円、もう一枚がコロネーション・ミサK.317〜カラヤン/ベルリン・フィル(1986年)でして、ほんまのザルツブルク・ライヴみたいです。まぁまぁの”聴ける”音質。(別な意味で)ウワサのウィーン楽友協会合唱団を心配しました。ありがたいことに「合唱実演は中学生以来」というワタシには、そう酷いものとは聞こえず、けっこうゆったり楽しめましたよ。

同シリーズもう2枚分はWagner管弦楽作品集でして、お目当ては「ジークフリート牧歌」〜ラインスドルフ/バイエルン放響(1975年)。少々音が荒れるところもあるけれど、シミジミ期待通りのエエ音でオーケストラは鳴っておりました。

2005年5月某日


当初予定では本日、山口への(会議出席の)出張だったが、お相手(ワタシのご担当)と話しを合わせてキャンセル〜午前中自主休業、昼からちょっとだけ残務処理出勤、即健康診断(ご近所医療機関)へ。お仕事はやればキリがないが、当面の(めまぐるしい)諸トラブル消化に悩まされ続けた昨年度から考えたら夢のよう・・・朝食が胃袋から下に落ち着いたら、ご近所カルく走って参ります。良い天気故。

今回の出張はCD、書籍とも忘れず持参しました・・・(但し、ラスト1時間半電池が切れた・・・予備のも。残念)別役実「満ち足りた人生」(白水Uブックス)〜反語とシニカルに充ちた、ニヤリとする一冊。曰く「読書のいいところは、何もしていないように見えて、その実、何もしていないように見えない、という点にある。そして、更にいいところは、何もしていないように見えないにもかかわらず、その実、何もしていないという点にある」・・・いや、もう最高!自分の姿を等身大で見ているようでもあり、「読書」を「仕事」に置き換えてもいいじゃないか。

平岩正樹「がんで死ぬのはもったいない」(講談社新書)〜これこそ、今まで読んだ(一般庶民向け医療もの中)最新鋭であり、白眉であり、多くの人々が読むべき最高峰の一冊か。日本には腫瘍専門医が50人ほどしかいない=抗ガン剤を正しく使える医者はほとんど存在しないこと。「告知」をしなければ、正しい治療はできないこと(20世紀には、必ず治る早期胃ガン患者と、不治の「胃潰瘍患者」しか存在しなかった、と)、副作用の激しい抗ガン剤は使うべきではない、抗ガン剤の効き方、使い方は患者・病気の質により千差万別であり、慎重に見極めながら(ひとがいずれ亡くなる、ということは真理であるにせよ)充実した生をともに戦うという医者の姿勢問題、まともに効かない「抗ガン剤」が(日本だけで!)大手を振って使われ、日本で未承認の効く「真の抗ガン剤」が認可されていない(例が多い)こと(そりゃそうだ、患者から声を上げていないし、告知されなれば絶対にそんなことはあり得ない)。

平岩先生の医療は数回テレビで拝見しました。承認されていないクスリは病院負担で使っているんですね。(保険適用外の未承認薬のみを患者負担させることは、「混合医療」として違法となる。実際、それで結果として摘発された病院もある・・・その時、なぜ患者が病院擁護の声を上げなかったのか?と、文中にある)近藤誠(「患者よ、ガンと闘うな」の著書)先生(ワタシも共感するところが多い)とは全面論争しているが、近藤先生は、日本の絶望的に医療状況の現状をわかりやすく”総論”し、平岩先生は真正面から闘いを挑んでいるように思えます。「必ず治る」なんて言ってませんよ。でも「姑息延命」ではなく、充実した生活を少しでも保証できる「治療」を彼は実戦してます。それにしても、酷い名人”外科医”っているんだな、手術中にガン細胞撒き散らすような。

鈴木眞哉「謎とき日本合戦史」(講談社新書)〜これね、日本古来からの”戦い方”を検証して、じつは説得力ある反戦書籍なんです。「日本の戦法を質的に変えた」とされる「長篠の合戦」に於ける「信長の鉄砲部隊」も「武田騎馬部隊」もウソ、有名なる「川中島の合戦」もほとんどウソっぱち、戦国時代は領地の農民動員だったから兵士をムダに消費するような考えは全然なくて(だって領地が立ちいかなくなる)、「白兵主義」(つまり兵士一人一人が真正面で切り結ぶ)というのは、近代国家が成立した明治以降(具体的には「日露戦争」以降。つまり人命がカンタン消費できるようになった)であって、それまでは、鉄砲以前は弓矢で、言うまでもなく鉄砲だって遠方から射掛けているに過ぎない。(大昔から)

歴史的に「刀で戦った、それが効果的であった」事例など存在しない。平和な江戸時代に、講談で広まったのと、武士の嗜みとして重視されたということらしい。やっぱり物量主義、圧倒的火力なんですよ、戦争は。「いえいえ国民一人一人が大和魂で!」理論の行き着く先は「竹槍でB29と戦う」+「神風特攻隊」でっせ。明治から現在まで、お役所は人命やら、税金やらムダ使いする体質は変わってません。

出張移動中音楽続編、Mahler 交響曲第8番 変ホ長調〜アブラヴァネル/ユタ交響楽団/ユタ大学合唱団/クレイダー/オウエン/クリステンセン(s)ウィリアスム/クラインマン(a)コーク(t)クラットウォーシー(br)スミス(b)(1963年)〜全体75:26だから遅いテンポでははないが、妙にゆったりと余裕というか、無駄に絶叫しない演奏でもあります。細部わかりやすく、また全体像というか”なるほど交響曲”と納得できるような構成も明快。オーケストラはユルいというか、例えばホルンは技術的にどうのといった問題はないが、茫洋として(言っちゃ失礼だけれど)間の抜けたようなスケールを感じて楽しい。こんな親しげな演奏で出会っていれば「千人の交響曲」も、最初っからもっと親しくなれていたような気がしますね。

Mahler 交響曲第7番ホ短調〜ハラース/ポーランド国立放響(1994年)・・・かつてこの作品を好んで聴いていた時期があるが、少々(自分にとって)混迷気味か。明快で真っ当、録音も良いが、オーケストラがチカラ(色気)不足?やっぱり基準はロスバウトの妖しい演奏なのか、けっしてヘロ演奏でも何ともないが、この作品ってもっと”無頼”ですか?引き続きBartok 管弦楽のための協奏曲〜カラヤン/ベルリン・フィル(1974年ライヴ)を。

これは驚くべき壮大猛烈で熱気ノリノリ演奏でして、腕利き団員が”我も我も”と全面に出てきて、珍しくカラヤンが燃えに燃えた演奏であります。時に、手慣れて雑に流した演奏に感じることもある名人集団だけれど、ここでの肌理の粗さ(録音のイメージもあるのだろうか)はかえって臨場感と真実味を倍増させました。いつもいつも聴くような演奏ではないが、一期一会的凄演。同時に「弦楽器と打楽器、チェレスタのための音楽」〜ブーレーズ/BBC交響楽団(1971年)が収録され、1967年のスタジオ録音とは緊張感と緻密なリズムに同質性を感じるが、こちらアンサンブルが甘い、というか、細部かなり弾けていないのがわかります。それに(録音のせいかもしれないが)いかにもオーケストラが鳴っていないのも残念。スタジオ録音は「録音のマジック」?それとも練習の成果ですか?

2005年5月某日


週始めからの東京出張はツラいもんでんな。五反田駅に着いたとたんドシャ降りでして、十数メートル先のホテルに行けない。 泣く泣く400円の傘購入〜一時間ほどで雨は止み、挙げ句帰りの新幹線に忘れ・・・ま、そんなこともあります。(って、以前にもまったく同じ記憶有)ホテル契約のスポーツクラブがビジターで1,050円・・・靴もTシャツも貸して下さるということで、ほんのちょっと行ってみました。驚くのは人数の多さ(混雑)と、若い人が多いこと、ロッカーとシャワーまでやや距離があって、完全丸裸で歩んでいる人も多い!都会の人はようわかりまへん。

嗚呼!酒ばっかり飲んでいるよりずっとgood!出勤時から出張移動時間中いっぱい音楽聴きましたよ。全部一気に書けないが、まずSibelius 交響曲第2番ニ長調〜オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1972年)から・・・これは何度聴いても感銘が深い。「北欧の清涼なる・・・」などという戯言も、「亜米利加の明るい響きが・・・」云々、有無も言わさぬジンワリ系圧倒的説得力。オーソドックスで充実した響き、細部一切忽(ゆるが)せにせず、安易に流さず、かといっておカタいものでもなく、もちろん豊かであって、しかもムダがなく自然体。先日?状態だった、「悲しきワルツ」「トゥオネラの白鳥」「ポヒョラの娘」にも同様の感動を与えて下さいました。

本日はここまで。

2005年5月某日


昨日、もう一本思いつきで更新したが、6月「近況」用原稿として取っておくべきだったか?後悔先に立たず。ま、ネタというほどのネタでもなし、いくらでも虚心に駄文くらい書けますよ。昨夜(貴重なる)メールをいただき、「ブッシュ・グラインドホーンのフィガロの結婚は、HISTORYのモーツァルト40枚BOX(Mozart Delux)に 含まれると思いますよ。たしかこのCD 林さんに薦められて買った記憶がある」とのこと。親しい人とはいえ、読者から「ダブり買い」を指摘されるとは・・・トホホというか、ありがたいと言うべきか・・・。

でも、今回は〜「ドン・ジョヴァンニ」と「コジ」はフリッツ・ブッシュだけれど、「フィガロ」は1942年ザルツブルク音楽祭のクレメンス・クラウス(ドイツ語)なんです。エーリヒ・クンツのまことに立派なフィガロ、スザンナはイルマ・バイルケ、伯爵はハンス・ホッターです。少々残響過多でヨロシからぬ音質だけれど、快速のテンポでグイグイと熱気を感じる演奏・・・とお返事しておきました。前回、クナッパーツブッシュの「パルシファル」(1951年)4枚分まるまるダブりましたからね、嗚呼情けない。

昨日の駅売海賊盤の流れだけれど、CD棚の「駅売海賊盤コーナー」を整理整頓〜レーベル(?)別に。例えば「エコー・インダストリー」は60枚ほど・・・ということに気付きました。次に多いのは「FIC」でして、30数枚・・・その中に、フリードリヒ・グルダ1967年のAMADEO録音のBeethoven ピアノ・ソナタが2枚ありまして、世評高く有名な録音であります。快速、華やかで親しい表情を見せる「ワルトシュタイン」そして大曲「ハンマークラヴィーア」は、「890円」との値札も残っているから(高い!)、既に10数年前大阪・京橋で購入したものと思われます。

(で、ここからが大ボケ)そのまえに第26番変ホ長調「告別」が収録され、この演奏だけちょっとテイストが違うな、とタマに聴くたび思ってきたんですよ。ちょっと重いというか、勢いがないというか。昨日大発見!これだけバックハウス(1962年)なんですね(英DECCA録音)、ちがうのも当たり前か・・・って、ちゃんと確認しろよ!10年以上も。いやぁ、CDの解説やら奥付は(録音情報確認以外)ほとんど見ませんからね。ましてや駅売海賊盤だし。情けない。

肌寒いブルー・マンディ、しかも会議連続の定例月曜日、早々に乗り切って夕方から東京入り(連続)。

2005年5月某日


けっこうなお湿りですな。昨夜から今朝に掛けてMozart 「フィガロの結婚」全曲(2種)連続して聴いてました。先日、「ドン・ジョヴァンニ」がとてもよかったので、フリッツ・ブッシュ/グラインドボーン音楽祭のCD(1935年)買ってきたばかり。これが期待よりどうも楽しめない。ライヴじゃないからかな?オーケストラの集中力はともかく、歌い手のほうがスタイルの旧さを感じちゃって、深夜まで頑張って最後まで聴いたけれど「?」状態続きましたね。しかも(大好きな)第4幕バルバリーナのカヴァティーナ「なくしてしまった」が省略されている!

NOTA BLU 93.5140-1/2  1955年エクサン・プロヴァンス音楽祭ライヴ録音 で、今朝ハンス・ロスバウト/エクサン・プロヴァンス音楽祭ライヴ(1955年。唯一持っていた怪しげ全曲CDで、あまりヨロしからぬ音質)を確認したら、いやもうこれノリノリの快速躍動感で、歌い手がナミダもんに味があって、最高!かなり以前にサイト掲載していたけれど、加筆しちゃいました。(「なくしてしまった」も収録。未更新。「ドン・ジョヴァンニ」も欲しいな)

Franck 交響曲ニ短調〜モントゥー/シカゴ交響楽団(1961年)は激演!明るい!アツいよ!エレガンス!けっこう感動しちゃって、読者の皆様のBBS書き込みまとめてサイト更新(手間要らずでラクラク)。Haydn 交響曲第96/97/100番〜ヘルビッヒ/ドレスデン・フィル(1974年)聴きました。

最近、純真無垢なHaydnがココロにじんわり染みるんです。ドレスデン・フィルって粗野で洗練されないカタさがあって、エエ感じですよね。ウィーン・フィルの美しいHaydnも素敵だけれど、こちら「独逸の田舎」風で味わい深い。

明日も東京です。

2005年5月某日


週末休み。これから待望のスポーツクラブへ行って参ります。(無事新規法人契約完了)正直に書くけどバブル収入発生のため、昨日深夜すべてCD通販に費やしました。つまり、東京まで正規運賃で出張請求(実際それで行くつもりであった)のあとに、フィックス(キャンセル不可)の格安航空券「なんとか引き取ってちょうだい!」との申し出があったので壱万円差額不正取得!(所詮言い訳だけれど、いくらでもサービス労働しているでしょ?勘弁してよ)いまや出張経費はオン・ライン決済でして「入金手続き」が超・メンドーなんです!こういうのは即使ってしまうに限る。もっと若くて元気だったら全部飲んで消化!だけれど、中年おじさん疲れているし・・・ということで、一気にバブル崩壊させました。(来月早々にCDは到着するが)

Mahler 「大地の歌」〜コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団/ノーマン/ヴィッカース(1981年)を。ワタシのは(西)独逸製輸入盤だけれど、最近国内廉価盤で復活してますよね。かなり以前のものだと思うが、プラ・ケースが頑丈でやや重みもある。最近のは華奢で即ヒビが入りますもんね。閑話休題(それはさておき)これは録音極上。ロンドン響の清廉でやや色気ある響きを捉えて余すところがない。歌い手はヴィッカースがやや前時代Wagner的英雄唱法、ノーマンの知的で太い声質もMahler には少々違和感あるか?と想像したが、そうでもない。穏健派Mahler ではなく、充分緊張と集中力ある正統派でして、しかもクールにアンサンブルが整っております。ディジタル以降のMahler 録音としては出色の完成度か。

Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ミトロプーロス/ミネアポリス交響楽団(1940年)・・・これはCBS正規盤ではなく件のHISTORY10枚組(XXCM)収録だけれどから音質云々できない(あまりヨロしからぬが、オリジナルはもっと良好なのでは?)が、メリハリはっきりして引き締まった集中力+優雅な歌が素晴らしい。第2楽章なんて、もう大爆発!続くRavel 「クープランの墓」(1941年)は残響なさすぎ。

昨日の深夜煮詰まって聴いていたMozart の件は、スポーツ後に。

行ってまいりました、二ヶ月ぶりのコナミ・スポーツ・クラブ。まだエアロ・ビクスに復帰する自信はなくて、自転車こぎはDvora'k 交響曲第5番ヘ長調〜コシュラー/スロヴァキア・フィル(1973〜80年録音)分・・・40分弱でへろへろ(この作品、平易な旋律が懐かしくて楽しいなぁ。地味で洗練されないオーケストラの響きもエエ感じ)・・・次、第7番ニ短調に入ってトレッド・ミルに移ったが、5分で気分悪くなってヤンピ!なっさけない。ま、良き気分転換です。これから続けます。しばらく。

きょうは女房クルマを使うということで、バスで移動・・・Schubert 即興曲 作品90/142〜マルティン・ヴァン・ホエク(1954年ロッテルダム生まれのピアニスト。2000年録音)を大部分聴きました。(目の前でバスが行ってしまって待ち時間が長かった)かなり雄弁、大柄で浪漫的な表情、時に美しく、時に不自然なテンポ変動もあってクセもの演奏っぽい。この作品は難物か、淡々となにごともなかったような、そんな表現が理想なのか。

Mozart の交響曲やピアノ協奏曲の全集を所有すること・・・LP時代はほんまにたいへんなことでした。ベーム/ベルリン・フィルの全集を入手したときには、神々しくありがたい、ある種の感慨を覚えたものでした。やがて時代はCD時代へと移り、LPが贅沢な存在として自分の生活に似つかわしくないと最終判断して最終処分したのは1994年頃だったでしょうか。ワタシはレコ芸の「譲るLPなんでも@600」と掲載したら、連日のように電話が鳴ったものです。(メールなど存在しない頃)記憶はないが、ベーム全集も、そうしてどこかの音楽愛好家にもらわれていったはず。

ラインスドルフ全集は「どうしても必要なもの」として、大枚8,000円はたいて集めたものです。(この時点、もっとも価格の安い全集CDだった)どんなにガサツな演奏であっても、ワタシにはグッと来るものがあるんです。昨夜は、交響曲第32〜35番迄一枚分楽しみました。どんな演奏であれ、天才Mozart の魅力に間違いも支障もあるはずはない。アレッサンドロ・アリゴーニ全集だって同様、価格相場が1/4ほどに下がっても、その高貴なる存在になんらの変化も揺るぎもなし。常に座右にあるべきものなんです。

・・・そんなことを静謐なる深夜に考えておりました。

2005年5月某日


あまりにお仕事宿題溜まりすぎると、ボーゼンとしてなにも手が付かない。どーでも良い出張精算なんかしたり、放っておいても全然かまわないサンプルの点検したり、本能的に困難でメンドーなことを避けているのか?なんやかんや電話応対なんかして、メール送りまくっているウチに、いつの間にか(本能で)会議の資料は完成し、トラブルは解決させ、メーカーさんは商談に来ちゃうし・・・で、もう東京行きの時間じゃないの。

今回は(所用で行けなくなった奴の)航空券を買い取ってあげたので、行き帰り空の便だから音楽聴けず、しかもレコード屋に寄る時間も全然なし。で、最近出張にいつも忘れてしまう本三冊持参〜二日間で完読・・・とはいっても、)安本美典「新盤 卑弥呼の謎」(講談社新書)の残り読了が含まれますが。いや、もう旧来の”あたりまえ”を完膚無きまでに、科学的に分析して説得して、つまり「卑弥呼は天照大神である」という結論はピタリ!記紀の時代設定に符合する・・・

元気が出ないときには椎名誠に限る〜「ひるめしのもんだい」(「新宿赤マント」より)〜もうずいぶん以前に読んだものでして、ところがほとんど内容に記憶がない。独特のぎくしゃくした、飾りのない文体が快感・・・もう20年は元気もらってますね。存分に楽しんで・・・帰りに読了した 頼藤和寛「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」(文春新書)〜これがじつに、絶望的にヤバい一冊でしたね。

1947年生まれの医師が52歳で直腸ガンの手術。その直後の著作で、前半の病状の発生から手術、快復の様子は粛々として乾いた事実が、やや硬直した文体で語られます。後半は哲学的というか、(ワタシも大好きな近藤誠さんの著作にも言及され)”ガンになるか否かは紙一重、理由も定かではない”、”ひとはいずれにせよ死ぬ”とか、民間療法のことなど、かなり勢いある筆致で、この類の本としては異色な味わいがあります。

で、あとがきも読んで、現在も活躍されているとばかり思ったら、奥付に(表紙裏にも)「2001年4月8日逝去」と。結局、術後2年で完治せず他界されたわけね。少々愕然。(疲れ果てて帰宅後に執筆)

2005年5月某日


今朝はちょっとゆっくり〜あとでスポーツ・クラブの契約(法人契約の方法が変わったため)してこようかな?昨夜、しつこくStravinsky 「春の祭典」〜カラヤン/ベルリン・フィル(1975/77年)を聴いちゃいました。かなり酷いコメントを(以前)付けたが、求めるもの・好み(リズムの先鋭なる切れ味)からいうと正反対でして、ムーディーでカドが取れちゃって、耳当たりよく、まったりとしたカレー味(これはものの例えです)であり、オーケストラは抜群に上手い。「細部雑で、流したような・・・」とは言い難くて、これはこれですべてわかりやすく”カラヤン色に染めちゃうぞ!”的決意に溢れて、ひとつの世界ではないのか。(旧録音も含め、ちゃんと聴きなおさないと)

Mussorgsky「展覧会の絵」〜バイロン・ジャニス(p)(1961年)を。協奏曲に於ける鮮やかで輝かしいテクニックの披露から想像すると、ずっとバランス良く安定していて、しかも手慣れた印象はありません。スタジオ録音のせいか、激昂したノリではなく余裕が感じられる(もちろん素晴らしき技巧)演奏・・・おまけにChopin の練習曲ヘ長調/ワルツ イ短調(1962年)が収録され、繊細で入念な余韻を感じさせます。さらにRavel 管弦楽曲版〜ドラティ/ミネアポリス交響楽団(1959年)が収録され、こちらはLP時代からお気に入りでした。 434 346-2)

昨今の名録音/演奏犇(ひし)めく中で存在を主張するには少々ジミな演奏ですか?超弩級のオーケストラの輝きとか、爆演系大噴火金管炸裂!的演奏でもなく、しっかりと作品の様子を過不足なく表現しているものでして、悪くないと感じました。録音も含めて。今朝、Bach ヴァイオリン協奏曲集〜ブラッハー(v)/ミュラー・ブリュール/ケルン室内管(1998年)・・・お恥ずかしいが、ボックス購入以来一枚のみ未開封だったもの。

ワタシはLP時代、オーリアコンブ/トゥールーズ交響楽団(という表記だった。コロムビア・ダイアモンド1000シリーズ)を愛聴したが、CD時代にはオイストラフ盤一枚で満足したものです。ブラッハーのソロには艶と切れ味たっぷりだし、現代楽器ながら古楽器奏法の影響を受けたオーケストラのリズム感、集中力、ノリにも文句なし。でもさ、(思い出の)オーリアコンブ盤、そしてオイストラフ盤ののんびり、まったりした世界からずいぶんと遠方に来てしまったような感慨もあって、少々呆然としました。

2005年5月某日


昨日の朝、松山のホテルではしょうもないこと↓を書いてしまいました・・・昨夜遅く帰宅。入浴して早々に眠ってしまいました。今朝、いつもより早く出て広島まで行かなければならない(それでも都会の人の日常出勤よりずっと遅いが)が、諸問題対応+通常商談2発こなして山口へ移動(これは夕方)〜更に宇部まで所用で足を伸ばさなければいけないが、泊まるかどうか(岡山まで戻れるか)がビミョーな判断。明日は東京(前泊)だし、できれば帰宅したいが・・・

きょうは新幹線移動で時間もタップリだし、CD持参しましょう。今朝、Rimsky-Korsakov「皇帝の花嫁」序曲/セルビアの主題による幻想曲/交響曲第1番ホ短調〜バット/フィルハーモニア管(1997年)を聴いてみるが、二日酔い気味(体力消耗+太り過ぎ)のせいかまったく集中できません。Holst 組曲「惑星」〜カラヤン/ウィーン・フィル(1961年)を再度確認・・・数日前に「?」状態だったので。ああ、なるほど。大柄で自信満々のカラヤン節炸裂、オーケストラも録音も(やや不自然ではあるが)美しい・・・でもさ、これ英国音楽の抑制とか含羞とか、そんな雰囲気ではなくて、良くできたヴィルティオーゾ作品的扱いか。

ワタシには細部が少々雑な印象にも聞こえます。(駅売海賊盤は、時に原盤の印象を変えてしまうようなこともあり得るでしょうか)

朝一番の広島から全開(お詫び)状態で、大汗かきました。夕方、山口までの移動は雨模様だし、蒸し暑くて不快だし・・・ほんまに心身共に苦しく・・・これから宇部まで行かなくっちゃいけないのかよ!と思ったら、お客様がクルマで送って下さって、挙げ句ラスト新山口駅まで。いやぁ、助かりました。思ったよりずっと早く帰宅できました。カラダは疲れているが、精神的にはテンション高いのか、大曲を楽しめる心境ではあります。

まずBruckner 交響曲第8番ハ短調〜ヨッフム/シュターツカペレ・ドレスデン(1976年)から。世評高い録音だけれど、この濁り気味の音質はどうにかならないでしょうか。しかしドレスデンの金管が、地味に深遠に響き渡って魅力爆発!に間違いはない。ヨッフムは常に激昂しているようであり、感じ入っているようであり、これは聴き手が昂揚しないと付いていけない。ちょっと”高度成長時代”的演奏かな?(本日に限って)ワタシはずいぶんと興奮し、楽しめました。

「オーケストラの魅力」ならば、ハイティンク/コンセルトヘボウのライヴが文句なし。Bruckner 交響曲第7番ホ長調(1972年)は、一見な〜んもしていないようだけれど、ホルン極上の厚み深み、木目の質感を感じさせる(これがほんまの)木管楽器、弦の微細なる奥行き・・・ある意味(先ほどの)ヨッフムとは対極にあるような表現であり、ジワジワ滲み出てくるような味わいに満たされます。録音はけっして極上とは言いかねるが・・・そんな問題ではない。そして聴衆の暖かい拍手。全集(旧録音)が欲しい!(あと3,000円ほど負けてくださらぬか)

UCCP-9479Brahms 交響曲第2番ニ長調/大学祝典序曲(ロンドン交響楽団1962年)/Schubert 交響曲第8番ロ短調「未完成」(コンセルトヘボウ管 1963年)〜これも圧倒的好評を以て語られる一枚だけれど、ワタシは少々「?」状態から抜け出せておりません。いえいえ、全然ダメ、なんて思いませんよ。でもさ、ロンドン交響楽団って、もっと色気のある豊かな響きで鳴っていませんでしたか?この時期。そんな期待から不満少々。たしかにあちこち沢山聴いてきたこの作品中出色の味わい・・・でしょう、きっと。でも音質問題(国内盤 UCCP-9479)なのか、たんなるワタシの耳の貧しさか。「未完成」はいっそう音質に問題有、と感じましたが、ヘロ・オーディオ故(2,080円のポータブルCDプレーヤー)ですか?

シューラ・チェルカスキー出張ラストはシューラ・チェルカスキー(p)でMussorgsky「展覧会の絵」/Schubert ピアノ・ソナタ イ長調 作品120・D664/Bernstein「ピアノのためのタッチ」他(1987年)。骨太であって、響きに余裕と余韻があって、指は器用に回らないし、テンポ・アップが無理な部分もあるけれど、もうこれは圧倒的な存在感でしたね。「展覧会の絵」はリヒテルの驚くべき集中力(1958年)に心酔しているが、こちらもっとまったりして悠々と楽しい感じ。

明日、東京です。前夜遅く入って、翌日遅くに自宅に戻るパターン。

2005年5月某日


(在松山での朝)毎月曜のミーティングでは予算実績数値進捗を提出するが、見込そうとうに悪い。これは一過性ではなく、構造的な問題(内部問題ではなく、お客自身の、市場の)と理解していて、とくに昨年後半馬車馬のように”当面の数値取得”に激走した(正直ここ数年間)が、将来への種まきができなかった・・・今年は視点視野を大きく持って、日常余裕でお仕事したいですね。

チームや職場の若い人たちをきっちりと、厳しく育てること(きのうもかなり説教しました。商品の見方、とかね)、見て見ぬフリしていた細かい管理問題課題の調整(お客様と)をていねいに、そして上司+お隣の部署のエラいさんと壱時間ほど”大所高所”状況情勢の分析・・・ここで更に詳細資料(部外秘)入手し、お取り引きお客様の親しい、ココロあるお友達(いっぱいいるんです)と情報交換(飲み会ですな)のネタ(自分なりの解析です)約束を・・・他、6月に向けて詳細スケジュール調整に苦慮し、まだ矛盾解決できず。

少々、予定より遅れて松山へクルマで出発。ホテルに入ったのは夜8時半くらいですね。チームのメンバーとホテルお隣の飲み屋で遅い夕食(自腹)しました。おいしかったですよ。これから午前中ご当地お客と商談2件+管理系調整聞き取り1件、マネージャーと前回宿題調整1件。高松へ移動して商談1件〜夕方岡山に戻って、お取引先実力者と”情報交換”(当然自腹)・・・音楽とは無縁の生活であります。

ホテルで朝食摂りながら、産経新聞〜けっこう”右より”の主張頻出でオモロいでんすよね。出張したら必ずこの新聞を熟読します。自分の思想やら考えに違和感があっても、多種多様な意見が自由に開陳できる社会であってほしい。JR西日本が「事件のことは何も言うな」みたいな誓約書を書かせていた件、再び、三度、いやそれ以上に唖然。「内部告発」やら「コンプライアンス」(法令遵守)なんて、絵に描いた餅でんな。

2005年5月某日


今朝の朝日新聞にはこれといった興味ある記事はなかったが、「もったいない」という言葉について・・・これは英訳できないそうですね。「未だ使えるのに無駄にしてしまう」という意味だけではなく、自分にとって望外の様子である、嬉しい、ありがたい、というニュアンスが含まれます。これも失いたくない、美しい日本語。(すでに10年以上前の書籍だけれど)安本美典「新盤 卑弥呼の謎」(講談社新書)〜これは科学的な文献分析、事実を以て事象を分析する姿勢の大切さ、津田左右吉以来の「記紀の記述はすべていい加減だ」(これさえ江戸時代の山片蟠桃の考えそのままであって、しかもそのコメントがない)という説の機械的適用の跋扈であり、「一般常識の非常識」に支配されている点が多い・・・なるほど。

「コントラバスの光と影」〜フィンランドのコントラバス奏者ヨルマ・カトラマによる一枚(1989年)は、驚くほど流麗な技術であり、いっぽうでチェロにはない無骨さ、素朴さを失わない魅力に溢れておりました。深夜にココロを落ち着かせるためにピタリ!でしょうか。有名なるSibelius 「悲しきワルツ」はいっそう暗鬱であり、オクターブ低い「白鳥の湖」は森奥深い泉の長老の神のようでもあり、「熊蜂の飛行」の超絶技巧には仰け反ります。(こんなCDが@250中古処分とは!”もったいない”)

昨日の岡響演奏会の予習復習兼ねて、Tchaikovsky 交響曲第4番ヘ短調(1966年)/交響曲6番ロ短調「悲愴」(1964年)〜カラヤン/ベルリン・フィルを。例の如しで”駅売海賊盤”故の音質印象問題あるのかも知れないが、まったくツマらない。語り口巧みで、オーケストラの厚みスケール圧倒的だけれど、手慣れて”雑”な印象ありますね。1940年代戦後すぐのウィーン・フィルとの「悲愴」はとても新鮮でしたが。

昨日の「春の祭典」再評価の件もあるから、安易な結論は出すべきでもないが、Holst 組曲「惑星」〜カラヤン/ウィーン・フィル(1961年)も同様(・・・駅売海賊盤であることも)でして、かつての印象では「もっと繊細で美しかった・・・」はず。これは、ブルーマンディ目前である聴き手の精神状況を反映しているのかも知れません。今週もお仕事メニュー目白押しか。松山へ、高松へ、広島へ、山口へ、東京へ。

2005年5月某日


朝日新聞日曜書評欄は楽しみのひとつで、ここに世情やら知的興味をかき立ててくださる(ノーミソ活性化)ヒントがありますね。著者に会いたい〜『「かまやつ女」の時代』三浦展(あつし)さん登場。ワタシと同年代。「かまやつ女」命名の件は、興味があればネットで検索でもして下さい。彼(か)の「かまやつひろし」から出目しておるのですが、ご本人は与り知らぬこと。コレ先月読んで感銘を受けた勢古浩爾「こういう男になりたい」(ちくま新書)に一脈通じているようであり、「自分らしさ」(ここでは自分探し)の虚構性というか、まやかしの件。

勢古さんは男性を、三浦さんは女性を題材としているが、本質同じでしょ、きっと。(三浦さんの本はまだ読んでないが)「自分を探すな、仕事を探せ」(「仕事をしなければ、自分はみつからない」(晶文社)という書籍もある)〜名言ですな。ここ最近気付いたけれど、若いウチから自分の個性とか適正、夢に向けて明確に邁進できること(ほんの一部才能のある人だけだ)は別格なんでしょう。たいていは「働きながら、ブツクサ言いながら、走りながら、泣きながら、時に笑いながら」〜ああ、こんなことだったら自分はできるのかも、って、ワタシ22歳から働いているヴェテランでっせ。

「向き不向き」なんて、そんな贅沢なこと言えるのは一握りの裕福階層(=幸せとは限らない)だけですよ。しかも、「中年哀しみ組」のワタシだって「次はなににチャンレンジしたろうか」と虎視眈々チャンスを伺っております。「ワタシって、●×なヒトじゃないですか」って、背筋が寒くなるような言い訳しないでいただきたい!(と、じょじょに説教臭く激高しつつある中年の独言)

昨夜、Tchaikovsky バレエ音楽「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「くるみ割り人形」抜粋〜オーマンディ/フィラデルフィア管(1961/3年)を聴いて、ちょっとだけコメントして更新・・・というほどのことでもないが、あまりリキまず、ココロ安らかに音楽は楽しみたいですね。そこそこの演奏であれば、なんでも!的作品もあります。同時にちょっとだけ触れている、カラヤン/ウィーン・フィル(1960年代前半)とか、ストコフスキー/ニュー・フィルハーモニア管による「白鳥の湖」抜粋(1965年)もすべて楽しく聴きました。(ぜ〜んぶ駅売海賊盤)ストコフスキー盤は、既に(ちょっとだけ)サイトに載せているが再コメントしたいほど、表現が多彩・オーバーでウキウキ。

ちょっとワケあってカラヤンのStravinsky 「春の祭典」(1975/77年)を確認しようとして、ああその前に「プルチネルラ」全曲も聴きたい・・・と棚探索したらステファン(スティーヴン?)・ザンデルリンク/ボーンマス・シンフォニエッタ(1993年NAXOS)のが出て参りました。かなり以前に購入したもので「元気ないな、ぱっとせんな」という記憶有〜いえいえ、とんでもない。ちょっとクールで端正、歌い手もバロック唱法みたいで新鮮です。(テナーはボストリッジですな。この録音はデビュー前年だ)

件のカラヤンは、既にサイトでちょろっと触れたが「それなりに上手い演奏、といったところで、精密なるこだわり、とか、荒々しい原始の激しいリズムでもない。フツウのやる気なし演奏か?なんかスカスカみたいな印象も有」・・・(これをクソミソという)と。じつは昨日、同録音を駅売海賊盤で入手(「アポロ」を聴いてみたかったのと、正規盤との音質の違い〜海賊盤ってそんなに違うの?〜先日のベームBrucknerご指摘・ショックもあって)したので再聴。

結論的にワタシの耳(+ワタシのオーディオ機器)は安上がりでして、正規盤がより解像度が上がっていて見通しの良さはあるけれど、駅売海賊盤(CC-1069)だって全体の雰囲気というか、トータル暖かい音質でなかなか楽しめます。演奏の印象一変!でして、かなり入念なるこだわりと、オーケストラの上手さ前面、考え抜かれた表現で悪くないように(きょうは)聞こえちゃう・・・

昼から岡山交響楽団の演奏会に行ってまいりました。Tchaikovskyはナマに限りまんな。金管と打楽器の迫力、各パートにちゃんと見せ場があって、演奏映えするというか、効果的な作品作りですね。岡響の迫力はほんまに素晴らしい。

あっという間に、また苦しい来週が始まります。

2005年5月某日


週末を迎え、精神的な緊張感は途切れているがお仕事です。ここ最近の気温の低さはいったいどういうことでしょう?それなのに、出勤して即エアコン入れるバカは「冷やすこと=空気清浄化」とカンチガイしているらしい。窓を開けろ。週末の新聞は楽しみで、いくつか注目の(明るい記事)熟読。テレビだと「これでもか!」的同じニュース(しかも陰惨なものばかり)各局流して横並びになっちゃうから、見るに耐えません。

「高卒就職94%」(このまま順調にいってくれ!冷静に経済情勢分析必要だけれど)「失明後23年目で医師国家試験に合格〜大里さん」(限られた条件の中で無限の可能性を・・・実感です)「戦後60年を生きる〜漢字こそ東洋平和の要〜白川静の心(下)情熱」(我が母校の先生は95歳。具体的明確な平和への主張が読みとれる。感銘)「ライオンズ西口、ジャイアンツをノーヒット・ノーラン寸前」(ジャイアンツが負ければ言うことなし)そして「みんなのクラシック祭〜ラ・フォル・ジュルネ東京上陸」〜GW前半に東京で開催された音楽祭は30万人の盛況。「演奏会経験2回以下」が約半数という、クラシック音楽の裾野を広げた圧倒的成功を記事にしていただいたこと。将来に対する明るい希望・可能性。

Tre'sor FTS 0105-3なにごとも発想と工夫と情熱と粘り強さですな。今朝聴いたのは、Beethoven 「エグモント序曲」/Mozart 交響曲第35番「ハフナー」/Beethoven 交響曲第7番/Mendelssohn 「スケルツォ」〜「真夏の夜の夢」より以上、シューリヒト/ウィーン・フィル〜1956年1月26日ザルツブルク・ライヴで、その圧倒的成功によりウィーン・フィルとの密接な関係が確立した伝説的演奏会ライヴ。英DECCAの「ハフナー」交響曲録音はこれがキッカケだったと類推されます。数年前に購入したTre'sor FTS 0105-3(3枚組1,990円)でして、正直ちゃんと聴いていないから、こんな貴重な音源だった、と昨日気付きました。いっきに沢山購入するから、聴き流しになっちゃう。

ややデッドなモノラル録音だけれど、テンションの高さ、歯切れの良いフレージング、明快なる表情、爽やかな歌い口は魅力充分。軽妙軽薄ではなく、低音がくっきりと響いて軽快であり、しっかりとした主張を感じさせます。これほど自由な躍動感!聴衆の興奮が想像できました。

やや早めに出勤し、そこはかとなく諸作業こなして早々にクルマで出発。岡山県南部へ。一年ぶりのお客様と雑談風打ち合わせ、売り場で(ワケあって)点検諸作業〜途中パートさんなんかに声掛けられたりしながら、粛々と小一時間。けっこう疲れました。しかも、これ実際上ボランティアというか、いえいえちゃんとウチのお仕事なんですけど、誰もやらないので上司と相談の上、訪問したわけでした。その後、瀬戸内の美しい海岸を眺めつつ、岡山市内に戻りつつ2件お客訪問。ま、気持ちよいドライブでした。

今度こそCDプレーヤーの付いた社用車で、ひとりだったし、ガンガン大音量で音楽聴きました。Mahler 交響曲第2番ハ短調「復活」〜シューリヒト/ヘッセン放送交響楽団/合唱団/フランクフルト・ジング・アカデミー/ピュエツ/ヘフゲン(1960年)から。モノラルだけれど、分離の良いたいへん聴きやすい音質でした。峻厳なる集中力、迫力があってリズムのキレもあるけれど、重くならない(のはいつものスタイル)。第2楽章って、フツウ聴き流してしまうような静かな楽章かも知れないが、極上に清涼で美しい。こんな美しい「復活」は初体験かも。

シューリヒトってなんとなくサラサラ、速いテンポで流れてしまうようなイメージがあるけれど、終楽章なんてけっこうゆったりめでして、入念な表現ですよ。でも、煽ったり、朗々と節回しで歌ったり・・・ということはないから軽快なる味わいは失わない。声楽陣は充実してます。大規模な作品だけれど、響きあくまでクリア、見通しよくて爽やか・・・

次に収録されたのが、Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜シューリヒト/ベルリン・フィル(1964年)、これもモノラル録音で「復活」より濁りはあるが、低音豊かで厚み迫力充分・・・って、これはオーケストラの実力じゃないですか?時既に帝王カラヤン時代、フルートの美しさは極上で、ほの暗いセクシー・ヴィヴラートは各所で際だった存在です。オーケストラが極上なんです。全体にたしかに見通しの良い”シューリヒト”的表現に間違いはないが、想像を超える濃厚な語り口頻出であって、その説得力には比類がない。

ワタシはBeethovenを特別に愛聴する習慣はない罰当たり者だけど、この「英雄」には痺れました。ぐいぐい魅せられる演奏。

2005年5月某日


爽やかなる天候(朝晩寒いくらい)だし、お仕事も(実績数値ともかく)順調ではない、とは言い難いが、どうも些細なる(ほんま些細なる)トラブルの積み重ねが気になる心象状況です。それでも歩みは止めない、走り続ける中で克服しないと。タカラとトミーが合併へ・・・玩具業界の再編続くが、子供の減少による市場縮小+「趣味嗜好の多様化」によって、避けられない状態であるとのこと。前者はわかっていることだけれど、後者はすべてのことに共通していて、クラシック(CD)業界なんてモロなんじゃないの?

昨夜聴いた、Rimsky-Korsakov「シェヘラザード」〜ケンペ/ロイヤル・フィル(1967年)は、誠実でしっかりした語り口が清潔でした。1960年前後EMIはこの作品をステレオでいくつ録音しているのか?記憶にあるだけでも、マタチッチ/フィルハーモニア管弦楽団(1958年)、シルヴェストリ/ボーンマス交響楽団(1966年)、それにビーチャム/ロイヤル・フィル(1957年)が存在して、贅沢というか売れたんでしょうね、当時はそれでも。それにライヴァル各社から続々新録音が出たはずだし、現在の「趣味嗜好の多様化」+及びクラシックCD業界では「懐古趣味」の跋扈(原価が掛かる新録音に積極的にならない業界の「復刻」戦略)状況からは信じられない盛況でした。

本日もお仕事追われ気味、連休どっぷり休みのツケか週末も休めず。

ありがたいことに本日も多忙であり、肉体系労働(多数お願い事現場直接荷物送付作業)、地元取引先としっかりご商談、さらについでに直接担当でない人とも(真剣な)雑談、戻って上司と面談(で煙に巻き)、更にあちこち情報メール発信(これは日常)、諸定例作業処理多数、(お詫び)内容日程調整(他出張用件)すり合わせ・・・いちおう当面のことは処理したかな・・・と思って帰宅すべくバスに乗ったら、頼まれた用件を思い出して・・・ま、明日も出勤だし、ちょっと朝に処理して即出掛けましょう。(終日外出用件有。ま、ドライブですな)

昨日クソミソに書いたSaint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ放送管(1973年録音、だそうです)を通勤用CDとして(けっこう、意外と)集中したが、ちょっとだけ見直しました。ヴォリューム調整の問題か、少々の音の割れも気にせず聴いているとそれなりの迫力も勢いもあって、感動しないこともない。この作品って「古典的」でもあり「Bach 的」でもあって、けっこう厳格ですよね。でも、やっぱり録音が良くない、オーケストラがヘロい、表現に腰が入っていない・・・って昨日と印象同じか。トライアングルとかピアノはよく聞こえますよ。でも、やっぱオルガンが・・・しょぼしょぼ。

Brahms 交響曲第4番ホ短調〜シュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放響(1960年頃の録音)・・・こちらはずいぶんとマシな音質だけれど、どんよりしているのはオーケストラの響きの問題か。しかし、金管の鈍く輝く音色ってやっぱりすんごい魅力〜「オーソドックスで粛々中庸」な表現に間違いはないが、中低音に重心があって軽率に薄っぺらく光らないサウンドそのものが魅力でしょうか。随分楽しめました。一日で音楽の感じ方がこれほど変わるなんて、やっぱり体調問題かな。

帰宅してBruckner 交響曲第7番ホ長調 〜スクロヴァチェフスキ/ザールブリュッケン放送交響楽団(1991年)を。かつてのコメント表現が稚拙なのは、5年も前だから仕方がないでしょ。つまりずいぶんと聴いていないことになります。繊細で息を潜めるように美しい。細部末端まで意志が感じられて叫ばない、静かでモダーン、洗練されたBruckner。でも、この緊張感はなんたる魅力でしょうか。金管が鳴り渡っても、威圧感は微塵も存在しない。鈍重さは感じられない。クール。新時代の表現か。

旋律の歌い回しのクセとか、煽りとか、アッチェランド、ルバートの類は皆無。音の重なりは完全に溶け合って、さっぱり薄味過ぎますか?コクが足りませんか?オーケストラがそういう音なんですけどね。

2005年5月某日


昨日、ホテル迄の途中BOOK・OFFにて、Beethoven 交響曲第7番イ長調〜フルトヴェングラー/ウィーン・フィル(1950年録音。国内盤ブライトクランク @250)購入。帰宅して確認しないと確実なことは言えないが、おそらくは(少なくともCD時代になってからは)初耳音源でしょう。有名なスタジオ録音であり、熱狂的な集中力に支持も高いはずだけれど、ワタシは意外なる均整の取れた、バランスの良い演奏だと感じました。もちろん凡百の水準ではないにせよ、一期一会的大爆裂!ではなのではないか。(帰宅後在庫確認したら1954年ザルツブルク・ライヴでした)

反発もそう感じないが、ココロから楽しめた、ということでもなし。(日本の大多数のファンのみなさんに申し訳ない)音質はまぁまぁか。引き続きホテルにて(ポータブルCDプレーヤーで昨日購入の)Saint-Sae"ns 交響曲第3番ハ短調〜ルイ・ド・フロマン/ルクセンブルグ放送管・・・1960年代のVOX録音のはず(カタログで「トゥランガリラ交響曲」との組み合わせを知ったが入手できなかった)。

STRADIVARI SCD-6106広がりの狭いステレオ、鳴らない、痩せてスケール感のないオーケストラ、旋律の歌わせかたも素っ気ない〜これは予想通りでした。でも、妙にエッチな金管のヴィヴラートとか、そんな楽しみもあります。オルガンにはまったく迫力なく、ティンパニの響きは少々(いえかなり)お下品です・・・大失敗。引き続き、Brahms 交響曲第4番ホ短調(シュミット・イッセルシュテット/北ドイツ放響)が収録されるけれど、まだ聴いておりません。これって、SCRIBENDUMで復活した全集と同じ音源ですか?(STRADIVARI SCD-6106)

帰宅後、調べてみたらこの第4番のみ別音源でして、1960年頃のVOX録音でした。演奏はオーソドックスで粛々中庸なも の、音質もそこそこに聴きやすいものでしたね。(どうやら珍しい音源らしい・・・猫に小判状態か?)

・・・ところで・・・昨日、高知BOOK・OFFでたいへんな書籍を目撃!カール・マルクス「資本論」全巻(新日本出版社)〜1,300円!美麗箱入。状態良好。買うか?人類の英知、ノーミソの鍛錬に・・・いえいえ、絶対に読まんね・・・でも、1,300円!でっせぇ・・・で、結局買いませんでした。荷物になるし、持って帰ってもきっと単なる場所ふさぎと「見栄陳列(やがてゴミ)」になるに違いないし。

2005年5月某日


スポーツ・クラブの法人契約しようと思ったら、健康保険証がない・・・先日更新したばかりなのに、エラいこっちゃ!再発行してもらわないと。どこにしまい込んだんだろうか。本日夕方より高知〜明日帰り高松寄り。諸作業遅れ気味なので、きょうはお仕事踏ん張らないと。

(BBS同時進行)Brucknerはほんま難物でして、自分としての評価(好み)ここ数年変転混迷を深め、混沌に至っております。(きっかけはティントナー全集か。昨年〜悩んだ末〜すべて売り払いました)今朝は、Bruckner 交響曲第5番 変ロ長調〜マタチッチ/チェコ・フィル(1970年)・・・これはまず録音が極上であること、オーケストラは骨太く、粗野で生成の味わいがあって快く、あくまで剛直であって流麗に流れないこと。ホルンの豊かなヴィヴラートを伴った奥深さ(ティルシャルですか?)を先頭に、鋭角に薄っぺらく響かない(喧しくない)金管の質感、ザラリとした滋味深い弦。

いや、もう最高です。エエもんに出会いました。

それなりに集中したお仕事して、昼休みもちゃんと取って夕方から高知へ。その昼休みは、一ヶ月ぶりに駅前Groovin'へ。数枚、めぼしい(安物)CDみつけてクルマ移動中に楽しもうと思ったら、旧い方のCDプレーヤーが付いていないクルマしか残っていませんでした。

高知で夕方、取引先訪問。終了後チームで、お楽しみ高知のおいしい料理(こんなカツオ喰ったことがない)堪能・・・いつものパターンです。終了後いつものホテルでノートパソコンを取り出すが、光学マウスの動きが実用にならず(USBカードバスの電圧不足だと思う)ストレスは溜まります。ま、ポインティング・デバイスで使えますけど。

2005年5月某日


やはり精神の緊張状況が連休中とは違って、それなりに引き締まっております。爽やかな季節だけど、朝晩は冷えることもある・・・職場で即エアコン入れるアホがいて、まず窓を開けろよ!と言いたい。ワタシの席はエアコン直撃なんです。ま、ほとんど外出・出張しているが。

昨日のBruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1966年)は、結果的に最後まで聴き通しました。正直、この作品はBruckner中でも少々苦手の作品だったが、これだけ続けて聴いても(意外と)聴き飽きません。ラインスドルフの表現は不思議というか、緻密でもないし、茫洋としたスケール感を誇るわけでもない、旋律をアツく煽るわけでもなく、テンポを大仰に揺らせるわけでもない。少々素っ気ないが、流れは良くて、オーケストラの威力は充分だと思います。大掴みのような、ちょっとシニカルなクセを感じる演奏か?(ミュンシュ完全燃焼系の後任としては人気出なかったかも)

今朝、Rachmaninov ピアノ協奏曲第1番(1990年)/第4番(1991年)〜ポストニコーヴァ(p)/ロジェストヴェンスキー/モスクワ音楽院管弦楽団にて。著名なる残り3曲に比べて聴く機会の少ない作品だけれど、もしかしてちゃんとした音質(ライヴ収録だけれど)で聴いたのは初めてかも(前回、購入時に聴いているが)。明晰で腕が立って、存分に濃厚、雄弁、これほどわかりやすい演奏は滅多にありませんね。ご夫婦演奏の伴奏を務めるオーケストラは、あまり既存音源では登場機会の少ない団体だけれど、YedangClassicsでは数回聴けます。ちゃんとした(それなりの)実力有。

SCHOENBerg ペレアスとメリサンド 作品5〜バルビローリ/ハレ管弦楽団(1968年ライヴ)を。前年ニュー・フィルハーモニア管弦楽団とスタジオ録音(未聴。ぜひ聴いてみたい)をしているから、その流れなんでしょうか。作品的には「浄められた夜」的官能性に溢れたもので、彼の個性に似合って粘着質かつ甘美な破壊もありますね。(音質はイマイチ)ま、この作品はカラヤンの1974年録音という極め付きがあって、そちらは音質的にも整っているから有利でしょうか。

ちょっと来客があって飲んできました。でも、9時までには自宅に戻ったのは健康的というか、地方都市の良いところというか・・・通勤で聴いたのはRachmaninov ピアノ協奏曲第3番〜ワイセンベルク(p)/プレートル/シカゴ交響楽団(1968年)。甘さもなにもない、浪漫的の欠片もない、冷酷な勢いある演奏だけれど、緻密とは言い難い、かなりザッハリッヒでクールな演奏でしょうか。速めのテンポ、バックもかってに演奏しているような・・・でも充分スリリングで楽しめました。

今朝、Rachmaninov ピアノ協奏曲第1番/4番〜、「もしかしてちゃんとした音質で聴いたのは初めてかも」というのは大嘘で、アシュケナージ盤を聴いておりましたね。でも、ポストニコーヴァは充分新鮮でしたよ。

2005年5月某日


さて、休みが終わると体調が回復する、といった悪癖はなんとかならんか?良い天気、空気は爽やか。きっと職場机の上、メール受信箱はスモーキー・マウンテン状態(ケムリが出ているか)でしょうなぁ。恐ろしい。

Bruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ベーム/ウィーン・フィル(1973年)の件、順調にBBS上でコメントが増えております。どうも旗色がよろしくない。今朝から少々ヘヴィだけれど、同作品をハイティンク/ウィーン・フィル(1985年)にて。ははぁ、なるほど。音録りの思想が違うんだね。全体サウンドが溶け合っていてまろやか、英DECCAのほうは個々の楽器の集積体に聞こえます。リズムはさすがにハイティンクのほうがしっかりして、アンサンブルの完成度が高い。まだ、ベームへのコメントできず!もう少しお勉強しましょう。(既存Brucknerサイト原稿は全部削除したいくらい)

昨日夕方、「オレンジデイズ」再放送にココロときめきます。美男美女裕福学生のお伽噺だけれど、そんな生活とは無縁だった中年おじさん(=大昔の学生)の琴線ぶるぶる震わせて、青春世代のエッセンスが感じられるんでしょうか。柴咲コウって、もう抜群のタイプ。歌も上手いよね。

案の定、GW中の数値が良くなくて展望は暗い。ずいぶんと長く職場を空けていたワリには「想定の範囲内」の作業量でして、順調にお仕事諸実務消化なんのその〜早々にクリアしました。むしろ、連休前に仕込んでいたことが、いくつか形になっていたりして・・・ラッキー。通勤でBruckner 交響曲第4番 変ホ長調はレーグナー/ベルリン放送響(1983/4年)を確認するが、これは筋肉質で均整の取れた素晴らしい推進力演奏でした。快速、アクセントがしっかりして、高いテンションが維持されるが、急いた落ち着かなさは感じさせない。金管は爽快に全力で叫ぶが、ヒステリックにならない。アポロ的演奏の典型か。(p)1986 \3,200との表示も感慨深いですな。(中古500円にて購入)

(BBSと同時進行だけれど)ベーム/ウィーン・フィルの件、エコーインダストリーの海賊盤は「完全に板起こしでピッチも怪しかった」とのこと。う〜む、そうかぁ。ふだん、あまり音質を気にしない方でして、こんなもんか、と思っていたけれどやはり正規盤は意識しておかないと。それと第1楽章をちょっとだけ再確認すると、やはり”緩い”といった印象が・・・これはレーグナーを聴いた直後だったせいと思います。ウィンナ・ホルンは得難い魅力に間違いないが。

引き続き、ラインスドルフ/ボストン交響楽団(1966年)を(全曲聴いたワケではない)。これはずいぶんと素っ気ない、こだわりなくサラリとした演奏でして、それでも勢いはあって、オーケストラの威力充分。流したようであって、じつはそう細部は雑でもない・・・CD化されてませんか?これも海賊盤CDで云々しちゃマズいか。ボストン響は深みのある、良い音で鳴ってますよ。

今朝の朝日新聞「幸せ大国をめざして」〜橘京大教授「平均年収の半分以下の割合(貧困率)が全体の15%」(どんな統計方法なのか。でも妙に説得力有)いまや日本は不平等度が大きな国となった。フリーターに仕事を与え、不平等をなくす方向であるべき・・・でも終身雇用はもうムリだ、との主張。 「バブル崩壊後の就職抑制時代がフリーターを生み出した」(要約すると当たり前だけれど、じつはこれは深い意味がある。「働かなくても喰っていけるからフリーターが増える」という誤った理論の反証)

人事コンサルタントの柳下さんは成果主義を「もし、総人件費の抑制を狙って導入する経営者がいるとすれば、『うちの社員は成果を上げるはずがない』と考えていることになる」(ノーテンキなご意見だ。ワタシの狭い範囲でのお付き合いのある経営者〜ほとんど中小だけれど〜賃金抑制しか考えていませんよ。でも、これは原点に還った重要な指摘でもある)ところが、この方は実践的でして「常にリターンマッチができる仕組みを作らないと」「むしろ成果主義のほうが終身雇用を維持しやすい」と。

長い目で見れば、非正規社員の待遇は改善され、非正規社員と同じ仕事をしている正規社員の待遇はこれ以上あがらない、と。とても厳しいご指摘だけれど、きっと現実でしょう。ワタシは「リターンマッチ」(敗者復活戦とも言う。この言葉は大好き)がポイントだと思います。(今朝執筆分に加筆)

2005年5月某日


さて、明日より怒濤のお仕事日々復活へ。ちゃんとお仕事がある、ということを感謝しなくては。この先スケジュールやら宿題やら、まったくノーミソから抜け落ちております。正しい。これで良いんです。

昨日、BBS絡みでFranck 交響曲ニ短調を数種確認〜(例の如しで)ワタシはこの作品を少々苦手としております。「独逸的要素を無視すべきではない」とのご教授もあり、クルト・ザンデルリンク/シュターツカペレ・ドレスデン(1994年)で確認・・・なるほど〜「彼はあらゆる作品を『立派な独墺風交響曲』に仕上げて下さって、時に閉口するが、なるほどFranck はええでんな。ナント全曲40分。慌てず騒がず、じっくり、開き直るように重厚に、丁寧に、きっちりとジミに大きく仕上げて下さって、こりゃピタリ!なのか?大カンチガイ演奏なのか?」(ワタシの書き込み)。

オーケストラの滋味深い、奥行き深い響きがほとんど至高の世界でした。非常に据わりの良い演奏だと思います。基本、暗鬱で辛気くさい作品とは思うが、崇高で立派な作品へと一変。引き続き、Mahler さすらう若者の歌(3曲)〜プライ(t)/ザンデルリンク/ベルリン放送交響楽団(1961年)が収録されました。プライの甘やかでややノンビリ声質はともかく、ザンデルリンクの茫洋としたスケール感・・・って、なに演奏しても一緒じゃないの?と、言いつつ楽しみました。(そういえばMahler の声楽作品は、系統的に揃えていないな)

Franck は引き続き、朝比奈 隆/北ドイツ放送交響楽団(1966年)へ。既にかなり以前サイトに掲載してますね。(記憶薄い)基本、重厚で遅いテンポ(ザンデルリンクよりまだ遅い)が、意外と表情付けが多彩かつ劇的であって、鈍重さを感じさせない。交響曲ニ短調だけでCD一枚は贅沢だけど、最近のワタシの集中力なら、このほうが望ましいか。

靴の底がイカれているとの女房の指摘に、靴屋さんへ。選定時間わずか5分で2足購入。夕食材購入して、女房はゆっくり自分の服を選びに再出発で、ワタシは昼寝がてらゆっくり音楽聴きました。本日はずいぶんと体調マシか。Stravinsky「春の祭典」〜ショルティ/シカゴ交響楽団(1974年)・・・たしかに抜群の技量と運動性能を誇るオーケストラではあるが〜「ブーレーズ(3種有)こそワタシのお気に入りだけれど、ショルティ盤はそれと似て、じつはまったく異なります」と更新当時のワタシは曖昧なことを書いております。

なんだろう?サウンドは都会的なのに、表現的にどうもカタいというか、微妙なギクシャク感有。それに(エエ加減な感触だけれど)知的ではない、つまりは体育会系〜これは彼のMahler にも感じたことでした。(それにしても駅売海賊盤ばかりだ。ショルティの特別なファンではなかったので、正規CD購入の機会を得ませんでした。ゴメン)ま、好き嫌いの世界ですな。これはこれで充分楽しみました。

ベルリンこんの氏が、日記でBruckner 交響曲第4番 変ホ長調〜ベーム/ウィーン・フィル(1973年)の演奏に厳しい評価を下しております。

「これは本当に名盤?やっぱり、巷間評価が高かったり、なんとか賞ををとったものとかは、実際にこの耳で聞かないと駄目だ。ブルックナーは雰囲気の音楽じゃない。正直言ってベームの云いたいことがさっぱり分からん。縦の線はいつものウィーン・フィルの如くあっていないし、どうせあわせるきがなかったのであろう。管楽器も魅力に欠けるし、Tuttiでの五月蠅さ、またSofiensaalでのDeccaの音創りの酷さは昔からである。有名だからといってこの盤を買うと、ブルックナーが嫌いになってしまうのでは?」
この件に付き、BBSでご意見募集中だからワタシのご意見は当面差し控えなくてはいけないが、「この作品になにを求めるか」だね、焦点は。もちろん世評は高いものだけれど、音質に関してはそう悪いものとは感じませんでした。但し、ワタシのCDは(毎度お馴染み)駅売海賊盤で所有です!サウンド爽快。 

嗚呼、明日から本格社会復帰だ。

2005年5月某日


ずっと風邪気味なのか、体調が優れません。(ずっと微熱有)結局、本日は当初予定通り休み。昨年だったらお仕事心配で(何度もヤミで)職場に行っていた(早朝とか、夜遅くとか)が、もう今年は開き直ってます。明らかに精神衛生上、現在の方が正しい。きょうは良い天気になるみたいですよ。

昨日持参CD追加。Hummel 七重奏曲ニ短調 作品74〜ナッシュ・アンサンブル(1981年)は、劇的勇壮な旋律で始まります。まるで、どこかで聴き馴染んだような親しげな味わいも有。弦はヴァイオリンを欠き、ピアノが大活躍、フルート、オーボエ、ホルンが活躍するという珍しい編成はまるで、ちょっとした協奏曲風スケールを感じさせました。こんな楽しい作品が無名だなんて!もったいない。続いて収録されるBerwald  七重奏曲 変ロ長調(同じくナッシュ・アンサンブル)には作品に記憶がある。

そうか、アリオン管楽五重奏団/シェイン弦楽四重奏団のNAXOS盤だ。「Schubert に似ているし、Mozart 風でもある」・・・うん、そんな感じ。「Brahms の寂寥感も有」なるほど。こちらのほうが旋律に哀愁の色濃いし、Hummelより20年ほど時代が下るからですか?これも(知名度別にして)素晴らしき名曲。ナッシュ・アンサンブルの仕上げ入念で、NAXOS盤よりいっそう感銘が深いと思います。(BRILLIANT 92294/3)

5月近況にて少々乱暴なコメントを付けた小菅優嬢のCD(ram 50081 2000年録音)を再聴。Liszt 「ヴェネチアとナポリ」は極上に繊細な表現で、技巧が優れているだけではなくて(皮相な表現に流れない。むしろしっかりと落ち着いた)怜悧な知性と清潔感がありました。Schumann 「アレグロ 変ロ短調 作品8」/幻想曲 作品17の尋常ならざる集中力にも驚かさせるが、やはりもう少し余裕や”甘美な表現”を求めたい、という期待は年齢的に考えてムリでしょう。音色の深さ、表現の入念さ、表情の多彩さ、細部の仕上げの徹底・・・これからが楽しみな若手登場です。なんども味わい、聴きたい一枚。

先日、他BBSでちょっと話題にしたRavel 「古風なメヌエット」「逝ける女王のパヴァーヌ」〜スクロヴァチェフスキ/ミネソタ管弦楽団(1974年)を久々に。うむ、なんてこったい、記憶にある精緻な集中力ではない、ジミでぱっとしない音楽に感じられるのはワタシの体調問題か。引き続き収録される弦楽四重奏曲〜新ハンガリー弦楽四重奏団(1977年)は(ダブり所有)は逆に”ずいぶん硬質でおカタい”演奏、との記憶だったのが、集中力がむしろ快感に感じられる不思議さ。いやはや、記憶やらイメージってあてになりまへんな。

引き続きRoussel/Franck 辺りの管弦楽聴こう、とCDをプレーヤーに仕込んだら・・・いきなり「フィンランディア」が!おお!前回聴いたときに、バルビローリ全集から一枚間違って収納したのだね。ちゃんとクリュイタンス/パリ音楽院管で「バッカスとアリアーヌ」第2組曲(1963年)発見しました。こんなウキウキ多彩で華やかな作品でしたっけ?もっと暴力的で激しい辛口音楽だった記憶(誰の演奏だ?)が・・・ホルンのトロトロ甘美な音色、フルートはセクシーで深い、全体として上品で洗練されて優雅、しかも充実したアンサンブル、録音も良好でした。

同じCDにFranck 「呪われた狩人」「アイオリスの人々」「ジン」(チッコリーニ(p))「贖罪」が収録され、オーケストラはベルギー国立管(1962年)へ。お国ものとしてオーケストラは熱演だけれど、少々アンサンブルに緻密さを欠きますか。でも、聴く機会の少ない、Franck の管弦楽作品をまとめてくださって感謝感謝の一枚でしょう。チッコリーニのピアノは響きがカルく、これぞ粋な・・・といった素晴らしいものでした。

2005年5月某日


スケジュール調整に失敗して、連休明けの諸実務消化すべきが、一日広島行き。数日前に行ったばかりなのに。今朝、定例サイト更新日だけれど、手持ち原稿在庫に4年前のBach カンタータを発見〜内容薄きことを自覚しつつ更新しました。長いインターヴァルで聴いているが、あまりに”素朴で弱い”演奏か・・・それでも、聴き進むに連れてココロが洗われるような感慨が押し寄せました。全部、ちゃんと集中して聴き通せるような量ではないが、全集購入に後悔はありません。唯一、後年スリムボックスが発売され、収納場所的にそちらが望ましい、ということのみです。

昨日のクナッパーツブッシュのBrucknerもそうだけれど、詳細演奏アリナーゼするような技量実力学力もないし、所詮ホンワカとした”感想文サイト”に過ぎない自覚はあって、やはりあくまで自分の楽しみのため=より集中して音楽を聴くためのサイトでありたい(いえ、でしかない)、と思います。クリップスの素晴らしきBeethoven 交響曲全集は第3/8/4/7番を再度聴き直して、かつての原稿に蛇足追加作業。そんなことをしていないと、ゆるゆるの”音楽生活”になってしまって、結果的にせっかくの大量手持ち音源を楽しめないんです。

さて、気持ちを引き締めていきまっしょい。

行って参りました広島市内・呉・東広島ぐるり一周。成果はありましたね。期待以上の売り場の出来。胆嚢取ったばかりの取引先ご担当順当な回復で、ラスト7時に訪問終了後、小一時間ほど”全快祝い”しました。遅くに帰岡・・・体調イマイチだし、疲れました。(ま、久々のお仕事で5件程ケータイに連絡有〜たいしたことはない)

移動中聴いた音楽、まずMahler 交響曲第1番イ長調〜スヴェトラーノフ/ロシア国立交響楽団(1992年)を。これで先週BOOK・OFFにて入手したシリーズ全曲中6曲すべて拝聴しました。想像以上の洗練、繊細なアンサンブル。ある意味期待外れでしょうか、最終楽章の金管・打楽器の地響きは予想通りだけれど、むしろ木管群の金属的硬質な色合いが異様でなんとも言えぬ味わいを楽しめました。

録音極上。これは存在感のある全集みたいですね。全集ボックスで購入すべきだったかな?(今朝の続編として)Bach カンタータ「神なしたもう御業こそいと善けれ」BWV100、「われ世を去るは汝らのためなり」BWV108、「天より雨下り、雪落ちて」BWV18〜リューシンク/オランダ・バッハ・コレギウム(2000年)を。旋律の美しさ、声楽ソロに絡み合う(例えば)ヴァイオリン、オーボエのオブリガートのあまりに見事な融合。至福なひととき。

但し、声楽ソロの技量に比べ、リューシンクの表現がやや凡庸であること、古楽器の技術的な問題もないではないが、素朴な味わいには好意を感じます。録音が平板で、奥行きが足りない。声楽ソロがあまりに前面に出ていて、奥行き距離感が足りません。それでも格安で、人類の至宝Bach カンタータが座右でいつでも確認できる、という喜びに変わりはありません。

 

2005年5月某日


いよいよGWもラスト。無為無策で過ごしたような気もして、これから猛暑季節を迎えます。

  今朝、最後まで(再)聴き残していた、Beethoven 交響曲第7番イ長調〜クリップス/ロンドン交響楽団(1960年)を。あくまで純・個人的な嗜好だけれど、第5番より以上に威圧を感じてしまって、聴く機会が少ない作品なんです。クリップスを聴いていると「チカラ強さってどういうことなんだろう?」との考えに至って、メリハリ、優しさ、自然体の穏健表現を前提に、要所要所のツボをしっかり押さえていただければ、過不足ない迫力・説得力が生まれる・・・そんな思いが沸き上がりました。

以前所有していたFatBoy盤による第3/4/7/8番を既にサイトに掲載しているが、これをなんとか書き換えようと思いばかりが先走って、遅々として筆(実際はキーボードのタイピングだけれど)は進まない。Beethoven はほんまやっかいですな、自分にとって。Prokofiev ヴァイオリン・ソナタ第1/2番〜スターン(v)/ザーキン(p)(1953年)・・・こんなジミな作品(録音も?)@250じゃなかったら買う機会ないですよね。

まず音質良好なこと。ザーキンのピアノが安定していて、気まぐれでシニカル、乾いたヴァイオリンの旋律を支えます。スターンのヴァイオリンは、いままで聴く機会がほとんどなくて、たしかな技巧ではあるがメカニックが前面に出ない、豊かな暖かさが感じられました。引き続き、Sibelius 今月再度「歴史的情景」作品25/66+「エン・サガ」作品9〜ヤルヴィ/エーテボリ交響楽団(1985年)を。

嗚呼、きょうは子供の日だね。世界のこどもたちに永遠の幸せを。今年、BOOK・OFFにて集中的に入手したSibelius シリーズだけれど、やや粗野でザラリとしたテイストが気持ち良い。ワタシはBEETHOVENBRAHMSより、Sibelius が肌に合うということなんです。寂しげで途切れ途切れ、勇壮に盛り上がらない旋律が好き。

 

JR西日本はとことんバッカだねぇ。事故の真っ最中にボウリング大会+飲み会か。ごていねいに結果を壁に貼りだしたそうだし。ウランをバケツで汲む事件と変わらない。つまり、およそ常識では考えられない行為が日常化してしまうこと。日本は大丈夫ですか?明日、広島まで新幹線で行くけど、昨年だったか”運転中にケータイ・メール”事件もあったし。

明日よりの仕事再開を控え、どうも体調がヨロシくありません。微熱があるような気もする。Bruckner 交響曲第8番ハ短調〜クナッパーツブッシュ/ベルリン・フィル(1951年 aura盤)を確認するが、ミュヘン・フィル(1963年)とずいぶん印象が異なって、さっぱりと聴きやすい(テンポも速め)し、オーケストラも優秀・・・こりゃ、一発サイト用の原稿にでも、と思ったが、ネット検索したら、この録音を微に入り細を穿つような記事があって(すべてのCD復刻を取り上げ、スコアまで準備しておりました)ワタシの”ホンワカ”とした感想文など意味ねえぇなぁ、とつくづく落ち込みましたね。

引き続き、これはずっと自分にとっての宿題だったSibelius 交響曲第6/7番〜ザンデルリンク/ベルリン交響楽団(1974年)を。嗚呼、ていねいで腰のしっかりとした演奏だ。オーケストラのジミな響きも好みだし、誠実な表現はたしかに世評高いだけのことはある・・・でも、この違和感はなんだろう?立派すぎ、構築しすぎ、語りすぎ、骨太すぎ・・・Sibelius の響き(自分にとって。先入観か)ではない、といった思いが沸き上がりました。

2005年5月某日


昨夜は久々家族で楽しく飲んで、でも”とことん飲む”みたいな風習はないので、一通りおいしいお魚を食べてしまったらもう終了。早々にホテルに戻って(女房大浴場満喫)あまりよく眠れず、今朝、朝食後、息子は現地に置いて、渋滞前にさっさと帰宅しました。スーパー軽セルボ・ノンターボ・NO・DOHC絶好調で、午前中には自宅到着。出掛けに「ダニ・アース・レッド」を仕込んで(意外と趣味なんです。息子マンションにも)きたので、掃除とソファ・カバー類洗濯。良い天気だからあっという間に乾いちゃう。

断続的に居眠りしつつ、【♪ KechiKechi Classics ♪】中、昔の原稿をさらに少しずつ手直し続行、というか文書に手を加えたワケじゃなくて、タグを全部大文字に変更したり、タイトルをわかりやすく揃えたり・・・その程度です。読者にはわからない。ほんま”をたく”趣味ですな。息子から奪い返したノートパソコン用メモリは相性悪く動作せず、残念。

クルマ移動中は「コンスタンティン・シルヴェストリの10枚組ボックス」(DClassics DB 707432)結果的にほとんど全部聴きました。(含む出発前、帰宅後)例えば「シェヘラザード」「Ravel /Debussy」を既にサイトに載せているが、かなり印象を変えましたね。まず、録音が濁りがち(全10枚にはモノラル録音も含まれるし、オーケストラやら録音時期・会場も異なって一律に論じられないが)との印象は間違い。数日前聴いたパイタ/モスクワ新ロシア管弦楽団のCDも「クルマのCDプレーヤーでは妙に新鮮」な印象を得たが、もしかしたらそんな相性もあるのか?と、帰宅後再度「シェヘラザード」を確認したが、これは決して悪い音質ではない。

オーケストラの充実というか、「若い王子と王女」はシミジミ歌って美しく、ラスト「バグダッドの祭り〜海〜青銅の騎士ののある岩での難破〜終曲」に於ける金管の圧倒的技量と迫力・輝き・集中力・・・なぜそんなことに(かつては)気付かなかったのか。昨日途中となった、Franck 交響曲ニ短調(フィルハーモニア管1960年)は辛気臭くもったい付け、まとまりも達成感もない(と、ふだんは感じる←勝手な印象でございます)第1楽章を、意外と繊細微妙慎重なるニュアンス+大爆発で乗り切って、うむうむ、これなら最後までいけそうだわい、と。それにしてもFranck の音楽は、じつにエッチだ。オーケストラはとても清楚で美しい。そして充分にアツい。

妙に抑制が利いた第2楽章「アレグレット」は、やがてホルンやら木管、そして弦が存分に歌って説得力があり、満を持して終楽章が(出足はちょっとだけ油断させておいて)思いっきり金管を爆発させ〜シルヴェストリはフィルハーモニア管と相性良いですか?Stravinsky「ナイチンゲールの歌」(1960年)、Liszt「前奏曲」(1957年、ほか数曲Liszt録音も収録有)などは、透明感とチカラ強さがバランスして、聴き応えがありました。

2005年5月某日


さて、これから広島へドライブ。連休中の渋滞混雑が予想されるので、はやめに出発しましょう。

昨日音楽聴取コメント追加分。Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1969年)。一昨年2003年に図書館で借りて聴いていて、今年BOOK・OFFで購入したもの。「ずいぶんと醒めた印象の演奏で、いつもながらの『横流れ』重視(つまり、時に縦線が合わない)のまったり、ゆったり風情だけれど、『泣き』がない。例の如しのMahler 的甘い旋律を、ていねいに、慈しむように表現したらこうなった、風演奏で、これはこれで個性的です。NPOはまったく明快。清潔。清廉。潔白。期待の『アダージエット』〜極限に抑えた表情はひとつの理想です。耳元で控えめな愛を、息も絶え絶え囁くような世界」・・・いや、このコメント以上付け加えることもありません。(そういえば、更新当時「あれはあれで”泣き”なんです」との異論反論がメールで来ていたっけ)

まったく日本では人気がないコンスタンティン・シルヴェストリの10枚組ボックス(ワタシは2001年に5,239円税込で購入しているが、2年後くらいには1,990円で在庫処分を目撃!残念!)から、小品集を”つまみ聴き”しました。HUNPERDINCK「ヘンゼルとグレーテル」序曲(フィルハーモニア管1959年)、Brahms ハンガリー舞曲第5/6番(パリ音楽院管1962年)、Dvora'k「謝肉祭」序曲(ロンドン・フィル 1961年)、Dukas「魔法使いの弟子」/Saint-Sae"ns「死の舞踏」(1967年ボーンマス響。「魔法使い」には1957年パリ音楽院との旧録音も別途収録)などなど、ばらばら。

まず、録音が予想外に良好なこと(実際はバラツキがあるが、平均すると、ということで)。オーケストラの色合いが各々個性的(例えば、パリ音楽院は華やかで明るい)、音楽のフレームが明確(少々強面)で、メリハリ強烈で、わかりやすい演奏ということです。このあとに、Franck 交響曲ニ短調(フィルハーモニア管1960年)を聴き始め(第1楽章で時間切れ)たが、ワタシはこの作品は混沌と辛気臭くて好きではないが、ちょっと印象変えるかも、といった手応えを感じたものです。

朝、早めに自宅を出発し、通常2時間半くらいで息子のワン・ルーム・マンション到着のところ、途中事故渋滞+やや連休渋滞+なんども休憩もあって3時間半で到着。予想通りの超絶汚れ具合・・・ではなくて、”彼なりにはかたづけたつもり”的汚染状況は、女房掃除やる気充分でちゃくちゃくと使命遂行。ナント!新しいデスク・トップPCが一台(どこにカネがあんねん!)+友達から譲られたマシンが一台・・・昨年、買ってやった中古ノートも無事稼働しておりました。2穴のUSBカード、ミニ光学マウス+ノート用SO-DIMM64mbメモリ(もともとこちらから送ったもの)を譲り受けちゃいました。

高速道路二つ分移動しようかと思ったけど、さっき入り口迄の対向車線はもんの凄く混んでましたから、(当てにならぬ)息子の誘導で広島市内へ移動。有料道路も利用したらあっというまに到着・・・ホテルは「フラワー・フェスティヴァル」のメイン会場前で賑やかなこと・・・夕方から家族三人で贅沢にも飲み屋に行きます。移動中聴いた音楽は、明日無事自宅迄到着できたら書くことにしましょう。

2005年5月某日


上司のお言葉に甘え、本日も休み。(そのかわり昨日ちょっとだけ職場に出掛けて、実績資料を出力しておいた。休日出勤の代休もあるし)運動不足気味で、スポーツクラブに行きたいが、コナミスポーツと健保組合の契約方法が4月から変わっているらしくて、その内容を(当該部署に)確認するヒマがなくて残念賞。

先日来、「板起こしCD」(=LPよりそのままCD化すること)が話題になっていて、原テープが劣化していたり、歴史的音源(SP復刻)ではあり得る方法だと思います。ところが、時にそれがあまりに粗雑な作業だったりするからいけない。正真正銘の海賊盤だったりすると道義的(著作権的にも?)な問題も出ます。「駅売海賊盤」の類は、ほとんどが「CDコピー」と想像される「優秀な品質」だけれど、なかには(その時点)正規CD化されていない音源もあったから「板起こし」は存在するのでしょう。<The Great Karajan's Collection>のシリーズが(音質のバラツキから)「板起こし」と類推されます。

aura AUR 261-2 このCDに要注意で、昨日、久々に聴いたBach 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ/パルティータ全曲〜ハイフェッツ(p)は正真正銘1952年RCA録音だけれど、「板起こし」であることが判明しましたね。(aura AUR 261-2)なんどか聴いていたつもりだけれど、「摘み聴き」状態だったので一部初耳トラブルが・・・イ短調ソナタBWV 1003の第1楽章3分の少々前時点で一ヶ所「針飛び」がするんです。てっきりCDトラブルだと思って、盤面を調べたが、カウントも正確、つまりは「音源そのものが針飛びしている」状態みたい。驚きました。auraの歴史的録音(放送用音源以外)は皆「板起こし」なのかな?(あちこち針音もあります)

そのトラブル以外は音質的にはまったく問題がなくて、晦渋、渋面にならずのびのび、こだわりのないBach が存分に楽しめました。速めのテンポで、勢いと明るさに充ちた、素晴らしき技巧のヴァイオリン。今朝、「シャコンヌ」再聴して感涙にむせんでおりました。古楽奏法がなんだ!(それにしても粗雑なCD編集だ。一枚目は1曲1トラック、二枚目は各楽章毎トラック割り。しかも各冒頭で音が途切れる)

(いつものように)早朝覚醒〜Bartok 歌劇「青髭公の城」〜フェレチーク/ハンガリー国立歌劇場管弦楽団/合唱団/ネステレンコ(b)オブラツソーヴァ(ms)(ハンガリー語による。(p)1981だけれど、ディジタル収録だからその辺りの録音でしょう)を。既に10年ほど前に$4.99で個人輸入したもの。全曲で1トラックという恐るべき!摘み聴きは絶対に許されない!音楽鳴り出したら最後まで一気65分聴けよ!的CD。ネット検索しても斉諧生さんのサイトにしか登場しない、貴重盤でしょうか。(HUNGAROTON HCD 12254-2)

もとより原語は理解不能だけれど、筋は何となく知っている(原作は著名な童話作家シャルル・ペロー。但し、筋が少々違うらしいが)し、なにより音楽が美しい。怜悧、妖しい魅力に溢れた官能的かつ静謐な旋律。二人の登場人物による対話で音楽は進んでいくが、オーケストラは洗練されクリアであり、歌い手は緻密な集中力を誇って説得力が深い。ディジタル初期とは思えぬ、奥行きと清涼感ある音質も魅力でした。

いやぁ、無為無策に一日が過ぎていくことぉ、速いよ。昼から数日後に閉店する倉敷三越に行ってみるが、もの凄い混みようで駐車場がどこにもありません。あとでテレビを見ていたら八代亜紀さんの絵の展示会やっていて、ご本人もいらっしゃっていたらしい。女房と気持ちよい天気の中、ドライブのみしてきました。明日はクルマで、広島県山中の息子のところに寄って大掃除〜広島へおいしいものを食べに行って来ます。

ぼんやりMahler 聴いてました。スヴェトラーノフ/ロシア国立響で、まず交響曲第5番 嬰ハ短調(1995年)より。先に第3/7番聴いてましたが、意外とまとも、というか、骨太だけれど繊細さもある美しい演奏、といった印象でしたね。この第5番もその通りでして、ややタメのある旋律の歌わせ方が個性的だけれど、洗練に不足はないし、なによりチカラ強くて楽しめました。期待の「アダージエット」もけっして泥臭くはない。そして重すぎない。

  SAISON RUUSE RUS 288 135 美しいジャケット絵で、ウワサの第6番イ短調(1990年)は・・・これがまったく期待通りの爆演系で凄い=素晴らしいもんでしたね。第1楽章の重量感は想定の範囲内だったが、第2楽章「スケルツォ」の快速切迫感(結果として第1楽章と似た感じに陥りやすいマンネリを回避)、揺れ動くテンポと怪しげなるオーケストラの絶叫、第3楽章「アンダンテ・モデラート」の濃厚なる静謐さ。最終楽章は、鳴りきった金管の(エキセントリックな)煽り頻出で、打楽器群のタメと、アクセント充分なるアクの強い表現大爆発に満足・・・両曲とも音質極上でした。(ジャケット絵の花畑が美しい)

コレ、全集中、最初の録音(1990年)なんですね。(ラストは1996年)やはり徐々にまともというか、バランス感覚を重視するように変化していったのでしょうか・・・って、ワタシはほとんどスヴェトラーノフの録音を聴いていないので、なんとも言えぬが。先日発売されたVENEZIAレーベル12枚組(8,000円くらいか)は購入しておりません。

ドライブのお供は、R.Strauss「英雄の生涯」〜バルビローリ/ロンドン交響楽団(1969年)を。なんと50:34。恐るべきスロウ・テンポで、じっくりか噛みしめるように語り口が落ち着いて、幅が広い。緩いですか?いえいえ細部迄こだわって、とことん味付けして歌ってるんです。慌てない、騒がない。叫ばない。だけれど、弱い音楽ではない。充分濃い個性的味わいに痺れました。

2005年5月某日


休みはいいなぁ、どうして年々苦しくなってくるんだろう。買い物に行ったり、音楽聴いたり、ノートパソコンのセッティングをしたり、テレビを見たり、本を読んだり・・・のんびりしたもんです。今朝はどんより曇っているが。

昨日(相変わらず懲りずに)クルマで20分ほどのBOOK・OFF(徒歩10分ではないほうの)へ行って、あぶく銭(バブル・マネーに非ず。少々前から気になっている在庫CDがあったので)消化。さっそく、Tchaikovsky 「ロメオとジュリエット」+交響曲第4番ヘ短調+「イタリア奇想曲」〜カルロス・パイタ/モスクワ新ロシア管弦楽団(1994年)を確認。

パイタはLP時代より「名前だけお馴染み」状態で、実際聴いたのは初めてでした。録音明快、素性不明なるオーケストラ(ロシアにはありがちの現象だ)ではあるが、素晴らしく洗練され、よく鳴るオーケストラで気持ち良いっすよ。所謂”暑苦しい爆演系”かな、と想像したが、異形なる泥臭い表現ではなく、ひたすら爽快に爆発する!といった表現がとてもわかりやすい。やや苦手なTchaikovskyをここまでウキウキ楽しませて下さって、感謝感謝の500円でした。

VOXBOXの2枚組、Mahler 交響曲第7番〜ロスバウト/ベルリン放響(1952年)は、このサイトごく初期から掲載してお気に入りだけれど、先日ちょろ聴きして「おお、なんとオーケストラがヘロい!」ことを発見。いえいえ、音質も悪くないし、怪しい雰囲気満載のお気に入り演奏に間違いはないが、真面目に集中して加筆原稿を仕上げました。(オーケストラの実体は?RIAS響の表記間違いか?)

引き続きBruckner 交響曲第4番〜クレンペラー/ウィーン交響楽団(1951年)を。これは史上最速驚異の燃えるBrucknerでして、あっと驚くこと必定。オーケストラは(珍しくと言っちゃ失礼だけれど、当時の世情を考えても)絶好調でして、先の「ベルリン放響」とは大違いのテンション高いアンサンブルでした。

クリップス/ロンドン響のBeethoven 交響曲全集中「英雄」の件。trijata39さんのブログで「なんでCDなのにこんなに音程が揺れるでござるかな」との指摘を読んで、「嗚呼、もっとちゃんと聴かないといけないな。気付かなかった」との自覚もあって、数回目、こんどはポータブルのCDプレーヤー/ヘッドホンで集中確認。結論的に音程の揺れは存在しません。(ワタシが音痴なだけの可能性も高い)偶然、ご本人からBBSへの書き込みもあり、「中古にてバラで集めた」とのこと。

ワタシのは全集ボックス(EVC/9010/14)(p)(c)1994でして、「SBMでリマスターした」(?)とのこと。別マスターでしょうか。演奏は言うまでもなく、どこにもムリもない端正で上品なもの。「EVERESTなら」といった音質への期待はあったが、そこそこの聴きやすいものでした。

ズボンを購入して、水を1ケース買って、ぼんやり(居眠りしつつ)音楽聴いて、これが休日です。夕方、女房殿大阪より帰還。【♪ KechiKechi Classics ♪】の初期に更新した(ヘンな様式の)ファイルを延々と微調整更新(自己満足の世界)したり、テレビで映画見たり・・・贅沢な時間の使い方。

クリップス/ロンドン響のBeethoven 交響曲全集中に”音の揺れがある”件〜それは第2番であるとのこと。(ECV9011)なるほど、たしかに静かな出足が揺れてます。気持ち悪い。でも、ま、全体として素敵な演奏だからいいじゃないの。

 

【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi