Rimsky-Korsakov 交響組曲「シェヘラザード」
(コンスタンティン・シルヴェストリ/
ボーンマス交響楽団/ジェラルド・ジャーヴィス(v))


EMI
Mussorgsky

交響詩「禿山の一夜」(1968年)

Rimsky-Korsakov

交響組曲「シェヘラザード」作品35(1966年)

以上 ボーンマス交響楽団/ジェラルド・ジャーヴィス(v)

Stravinsky

交響詩「ナイチンゲールの歌」

フィルハーモニア管弦楽団(1960年)

コンスタンティン・シルヴェストリ

EMI(現Werner) 7233472

 前回拝聴が2002年、なんと20年以上ぶりの再会。Constantin Silvestri(1913ー1969羅馬尼亜→英国)の音源は基本パブリック・ドメインに至ってほとんど自由に聴けるようになったのに、ここしばらく縁遠くなっておりました。現代の感覚だとまだまだ働き盛りな年齢なのに残念な寿命でした。ボーンマス交響楽団音楽監督在任は1961ー1969年、この辺りの録音はどれも個性的に印象深いもの。久々の拝聴はとくに「禿山」「シェヘラザード」の音質が明快なこと、そして記憶通り隈取りメリハリはっきりとした、明晰にわかりやすい演奏に感銘を深くいただきました。

 交響詩「禿山の一夜」は速めのテンポに前のめり、ごりごり荒削りな推進力、効果的なテンポの揺れもツボにはまってヴィヴィッド、ノリノリに元気いっぱい。小学生時代より聴き馴染んだ作品はいつになく新鮮に響きました(通俗名曲!?=死語)。ボーンマス交響楽団は色気と艶に少々足りぬけれど骨太サウンド、なかなかパワフルなアンサンブルを聴かせてくださいます。(10:10)

 色彩豊かなオーケストレーション、魅惑のオリエンタルな旋律が溢れる「シェヘラザード」も同様に力強い、泥臭い演奏。二管編成だけど、多種多様な打楽器に+ハープ、そしてセクシーなヴァイオリン・ソロも大活躍、当時のコンマスは日本でもお馴染み名手Gerald Jarvis(1930-1996英国)。古今東西多種多様な録音が揃う名曲中の名曲、これは自分にとって作品の刷り込みとなっている演奏です。音質はかなり良好。

 第1楽章「海とシンドバッドの船」冒頭の金管から英国らしからぬ?力強い押出し(シャリアール王の主題)泣ける、しっとりとしたヴァイオリン・ソロの対比が物語の始まりに誘います(シェヘラザード王妃の主題)。海の主題・船の主題は大海のうねりを表現して賑々しく高揚、爽快なスケール。弦も管も朗々と力強く鳴り切って、上手いですね。(10:31)

 第2楽章「カランダール王子の物語」冒頭は例の物哀しいシェヘラザード王妃の主題よりスタート。これは絶品のヴァイオリン・ソロにハープが妖しく絡みます。ファゴット・ソロの3/8拍子旋律は「諸国行脚の苦行僧・カランダール」なんだそう。この達観したように寂しげな旋律は木管、弦に引き継がれて、リズムと激情を増しつつ変容して盛り上がります。ていねいな組み立てはシルヴェストリのコントロールでしょう。中間部の金管、低弦の緊張感ある爆発の対比、追い込みもおみごと。この辺り、やや乾いたサウンドに当時のボーンマス交響楽団の実力はたいしたものです。(11:54)

 第3楽章「若い王子と王女」Rimsky-Korasakovのメロディー・メーカーとしての実力顕著、弦に歌われる絶品の懐かしい主題は優しく、寂しく、落ち着いて甘い緩徐楽章。木管の細かい音形による合いの手も効果的です。中間部は小太鼓の軽快なリズムに乗って、クラリネットが舞曲風に歌います。自在なテンポの揺れ、詠嘆は絶品の表現、決まっております。ラスト辺りヴァイオリン・ソロが懐かしく回帰してたっぷりルバート、ゴージャスかつ静謐デリケートに終了。(10:55)

 第4楽章「バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲」はちょっと怒りを感じさせる「シャリアール王の主題」から始まって、それを諫める「シェヘラザード王妃の主題」(ヴァイオリン・ソロ)にも緊張感が漂います。そして「バグダッドの祭り」が細かい音形に疾走して、この辺り金管(タンギング?)はかなりの技量必須なはず、これもらくらくとクリアして前楽章の主題も回帰しつつ熱気と緊張は高まります。テンポもアップしてクライマックスの場面は船の難破へ、やがて荒波は治まって静かな海へ、そして「シェヘラザード王妃の主題」が静かにしっとり回帰、これは物語の終わりを意味しているのでしょう。(12:18)名曲。

 交響詩「ナイチンゲールの歌」はフィルハーモニア管弦楽団に替わりました。StravinskyはRimsky-Korsakovの弟子筋だから、正しい配列でしょう。これもかなり良好な現役音質。二管編成、もともとオペラからの再編成は「序奏」「中国の宮殿の祭」「二羽のうぐいす(本物のうぐいすと機械仕掛けのうぐいす)」「中国の皇帝の病気と回復」の三部からなる作品。いかにも中華風の旋律は素っ頓狂にヒステリックにデフォルメされて色彩豊かな喧しい、元気な作品。この作品も大好き。不器用に骨太なボーンマス交響楽団より、しっとりとしたサウンドに器用なオーケストラですよ。「機械仕掛けのうぐいす」って、設定は日本製なんですよね。トランペットで啼いておりました。(2:42-3:47-3:38-13:29)

(2023年8月5日)

Borodin

交響詩「中央アジアの高原にて」

Glinka

「ルスランとリュドミュラ」序曲/フィルハーモニア管弦楽団が追加されました→2002年再聴。

 相変わらず自分の好みがどんどん変わっていくようで、以前の文書を見るのもいやになっちゃう。なにもわかっちゃない、と思います。まず、あまり録音がよろしくない。曇りがち。でも、そこは致命的な弱点ではなくて、けっこう(いや、もの凄く)楽しめる演奏と思いました。

 これ、やっぱり演歌ですね。テンポがクサいくらい揺れて、タメがあって、鼻歌のように流して〜って、なんでもあり。この名曲のエキゾチックな旋律に焦点を当てて、もうとことん喉を回して歌ってやろう、と決意を固めた演奏です。ま、いろいろとやりかたもあろうが、これがワタシの生きる道、思い切って行きまっせぇ〜風な演奏。

 これでいいんです。けっこうホロリと来ちゃいます。オーケストラの響きは、英国にしては異色でしょうか。肌理がザラリとしていて、シルヴェストリの個性でしょうが骨太。野太いダミ声おじさんの演歌か。岡千秋とか、ピンカラ兄弟、殿様キングスとか。それはそれなりにキマっている歌ってあるでしょ?

   「カレンダー王子の物語」における、しみじみとした歌い口。これはジャーヴィスのヴァイオリンが上品で涙モンだし、オーボエの楚々とした表現も、金管の荒々しい大爆発と対比されて聴きもの。「若きプリンスとプリンセス」の甘い旋律(弦)も、どうも表現がクサい〜クサ過ぎて、決まりすぎて、快感へと至ります。

 木管の細かいオブリガートなんか、流し気味なんですけどね。そのラフさがなんとも言えない説得力を伴う。そして、フィナーレにおける圧倒的なスピード・アップは怒濤の興奮。粗削りで、リミッターのないグイグイとした勢いは、先日感動したチェリビダッケ/シュトゥットガルト放響(1975年)とは対局にある演奏だけれど、これはこれで「いかにも」といった快感がありました。

 「禿げ山」「中央アジア」は、ここ最近(個人的に)見直しているんです。これはある意味、哲学的な作品だと。どんな演奏でも楽しめる。先入観を滅却して、西欧の洗練されたとものは一線を画した、田舎臭い旋律を純粋に楽しみましょう。そういった意味ではシルヴェストリはベストの人選なんです。

 「禿げ山」の怒濤のラッシュ、「中央アジア」に於ける、とことんワン・パターン旋律への執着。これに感動できるようになれば「クラシック音楽通」。この2曲は音質も良好でした。「ルスラン」は、オーケストラの響きが軽快でボーンマス響との対比が楽しめます。

(2002年6月6日)


 ボーンマス管はシルヴェストリが当時主席指揮者を務めた手兵。日本でもお馴染みのジャーヴィスはコンマスで、ヴァイオリンの美しさはピカイチです。

 「この曲になにを求めるか」は難しい。リムスキー・コルサコフは「管弦楽の大家」で、効果的にオーケストラを鳴らすことにかけては職人だったんでしょう?ロシア風にカロリー高く、いかにもクドく表現して欲しいようにも思うし、「オーケストレーションの魔術」をクールに聴かせて欲しい気もします。

 骨太な旋律の歌わせ方、叩き付けるようなリズム、演歌並みの音のツブシ、その対局にあるやさしい抑えたところの美しさ。ボーンマス響は洗練された響きではありませんが、その泥臭さがかえってこの曲の一面を強調して、面白いこと限りない。

 よく鳴るオーケストラだと思います。各パートはそんなに上手いとは思いませんが、旋律の味わいにピタリとハマっている。(第2楽章「カレンダー王子の物語」冒頭には泣けます。続くオーボエ・ソロもチェロも絶品)つまり、これはシルヴェストリの指示。クサイ旋律を、とことんクサく演奏してくれればいうことなし。金管の荒々しい爆発と、ジャーヴィスのヴァイオリンの楚々とした歌の対比の妙。テンポのゆれもかなりあり、スケールも大きい。

 でも、美しくないなぁ。オーケストラが全力で爆発すると著しく音が濁る。静かだと良いんですけどねぇ。もう少し時期的には後だけど、ベルグルンドとの録音ではこんなにガサツではない。最後まで聴くと少々聴き疲れしました。(ワタシも年齢か?)

 かつて学校で聴いた残りの2曲は、つまらない曲と思っていて、めったに聴くこともありません。でもね、最近メンゲルベルク/コンセルトヘボウの「中央アジア」(1941年)聴きまして、これがもう最高。なんの工夫もないような旋律だけど、けっこうジ〜ンと来ちゃうんですよ。あらためてシルヴェストリを聴くと、けっこう堪能しました。バカにしたもんじゃありません。

 もともと、ボロディンのワン・パターンの節回しは好みだったんです。この演奏は「シェヘラザード」より良いかも知れない。シミジミと年の瀬を感じました。でも、「禿げ山」はストコフスキー以外は認めたくない。素晴らしくオーケストラはよく鳴っているけれど。(この2曲なぜか音質良好)

(2000年12月30日再聴。改訂)


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written by wabisuke hayashi