駅売名曲海賊盤余話■第10集■ウィルヘルム・ケンプのBeethoven
駅売名曲海賊盤情報(手持ち集成)■第1集■ 凝りもせず、こんな話題でお茶濁しております。駅売海賊盤はかなり処分していて、正規盤が激安値崩れしたこともあって再購入していることは、なんどか言及しました。CDは正規盤でさえ、オークションの動きが鈍くなった手応えがあって、処分もそろそろ限界、いったんオークションは中止したくらい。ざっと現残在庫160枚程、最盛期の1/3以下程度迄こぎ着けました。どうやら世間では”データ・ダウンロード”の時代になったらしく、駅売海賊音源(著作隣接権切れ音源)だって、データにしちゃえばミソもクソもいっしょ、みたいな今日この頃ではあります。「駅売海賊盤は歴史的役割を完全に終えた」と先日書いたばかり。それでもしつこく・・・(じつはかなり以前の書きかけ原稿が残っていた) ”苦手”と(罰当たりにも)公言しているBeethoven のピアノ協奏曲全集、往年の名匠ウィルヘルム・ケンプ(1895〜1991年)の関連話題少々。既に若い音楽愛好家には過去の人となったろうが、我らポスト団塊の世代には巨大なる存在だったんです。苦手作品でも歴史の荒波越え、”名曲”との評価定まった音楽に対する敬意は失いません。2009年、87枚組巨大ボックス入手とともに、ちょっとBeeやんへの接し方も(ちょっぴり)変化してはいるんだけれど。 偶然なんだけど、ケンプのBeethoven (DGステレオ録音)が駅売海賊盤で6枚入手できました。6年ほど掛けてぼちぼち(偶然)〜すべてBOOK・OFF@250入手だから計1,500円(税込)也。もともと集める気なんて全然なかったんですよ。出会いの妙ですな。集めることより、ちゃんと聴いて楽しむことが大切なのは前提の、当たり前のお話し。もちろんオークションでも買い手は付かないのは想像できるから、処分など考えておりません。
Beethoven ようワカラんが、カラヤン時代のベルリン・フィルに、フェルディナント・ライトナー(1912-1996年)という、ずいぶんと渋い、地味な名指揮者が登場しております。この当時は”伴奏指揮者”といった(あまりよろしからぬ)概念があったのか?御大カラヤンが出張る迄もない、それともケンプとの相性問題だったのか。 これがベルリン・フィルの豊艶華やかなるサウンド+引き締まった抑制+深みを与えて、盤石の伴奏であります。これは第1番〜第5番迄バラ付きなく、すべて共通していて、録音だってとてもよろしい(駅売海賊盤でも理解可能)。「皇帝」のコメントに言い尽くされているんだけれど、ぎらぎらした迫力や威圧感ではない、もっと枯れて優しい味わいで端正、この時点、テクニック的な劣化もそう気にならない(と、個人的にはそう信じちゃう)。スタインウエイ(だと思う)の音色がとてもリリカルに響いて暖かい、瑞々しい。細部まで明晰、生真面目な表現で、弾き流しはないんです。所謂、”独逸的”と言っちゃマズいか。 ま、基本あまり聴く機会の少ない(なのにやたらと棚中在庫が貯まる)Beeやんのピアノ協奏曲だけれど、この一文執筆にあたり”連続ちょろ聴き”した結果は、ピアノ協奏曲第3番ハ短調の知情意バランスの取れた表現に説得力を感じました。全体に抑制されているんだけれど、第1楽章のカデンツァ(ケンプ自作)はそうとうの迫力!雄弁。彼(か)の緊迫感漂う第3楽章「ロンド・アレグロ」はずいぶんとクールであって、けっして走らない。第4番ト長調に至ると、作品そのものが明るいものだから、ややウキウキ度が高まって終楽章「ロンド・ヴィヴァーチェ」には華やかなる雰囲気が高まります。ちょっとアツい情感も走ります。 情けないことにBeeやんのピアノ・ソナタも聴く機会は滅多にない・・・相対的に位置お気に入りの第32番ハ短調は既に言及済。じつは次点が「ハンマークラヴィーア」でして、クソ長い(40分程)旅路もそう気にならない。ま、冒頭の(例の如し大見得Beeやん)ぶちかましには少々引くんだけれど、あとはけっこう諄々と美しい旋律が続いて、強弱のメリハリ、強面と優しさの対比が飽きさせない。ここでケンプはちょっと「叩いて」いる感じはあって、これは録音の加減か?それとも駅売海賊盤故の復刻不備か。(他の作品ではそう感じない) 工事現場のドリルを連想させる「ワルトシュタイン」は、エエ感じに抑制が利いております。「熱情」最終楽章怒濤のラッシュも幾分冷静であります。細部にこだわっているのか、テクニックが足りないのか、ここはもっとイっちゃっても良いんだけれど。「悲愴」はエエ感じにバランスよく、「月光」の幻想はケンプの個性にぴたり!の静謐さが漂いました・・・嗚呼、Beeやん連続聴き!にて、すっかり食傷いたしました。失礼。 (2009年10月30日)
|