ご家庭で音楽を愉しむのに、経済的負担はほとんどない時代がやってきた
ここ最近、自分で音楽の聴きかたが変わってきたな、と自覚しております。【♪ KechiKechi Classics ♪】 更新苦戦の一因かもしれません。もとより生来の三日坊主、短気なのは前提、体力の落ち方も激しく、体調もよろしくなかったし。
お仕事では段取り重視、合理化の権化みたいなオトコだから、パソコンやらネット世界とは相性良かったのかもしれません。パソコンも贅沢ではなく、日常になってしまってちょっと飽きてきたかな?いろいろと。
いくつか思いつくままに・・・
■ 音質を気にするようになった。
オーディオの世界には興味もないし、金を掛ければキリがないことも知っております。あんまり音質云々する資格はないことは前提。
著作隣接権の切れた「歴史的音源」は21世紀廉価盤の時代の先駆けとなって、ずいぶんたくさん、たっぷり入手したものだけれど、2009年初頭に(その類CDは)手持ち70〜80%を処分してしまいました。歴史的音源の音質水準も様々だから一様にコメントできないが、ま、いつでもネットで音源は拾えるし、もともと復刻水準の飽くなき向上など求める趣味もないし、一通り著名なものは聴いたかな、といった手応えもありました。トータル在庫減らして厳選して聴いていこう、そう考えるようになりました。
怪しげ無名音源(知名度は気にしないが!)も同様。1990年前後、当時のCD価格相場の1/3ほどで登場した「PILZ音源」(その後のデ・アゴスティーニとか)も、もう義理は充分果たした、といった感慨はあります。あれはおおよそ音質がよろしくないものでした。散々お世話になったVOX音源(今でも好きだけれど)も、主に音質問題が気になって処分済、ほぼ棚中在庫半減させております。
往年の英DECCA録音だって、1960年前後ものは劣化が進んでいいるものがある。そんなことを気にするようになりました。堕落ですかね。
■ 駅売海賊盤は歴史的役割を完全に終えた
著作隣接権の合間を縫って1990年頃登場した、「駅売海賊盤」にはずいぶんとお世話になりました。御大ヘルベルト・カラヤンの1960年代録音なんて、ほとんど”それ”で聴いたんじゃないか。ワタシは”日本一(唯一?)の駅売海賊盤評論家”としての自覚があるけれど、そんなもん何の自慢にもなりまへん!棚中在庫は(この文書執筆時点)おおよそ160枚、おそらくは最盛期の1/3程に縮小して、もうこれ以上売るに売れない!(それでも数十枚オークションで売れましたよ)打ち止めでございます。なんとなく、残ったのは厳選音源みたいな雰囲気になっております。どこかキリの良い時期にご近所図書館に寄付しましょうか。(岡山から尼崎転居時、売れそうもないPILZ音源を図書館にごっそり寄付した経験有)
最終的には21世紀に入って、往年の巨匠(カラヤンが代表例)ボックスものが@150〜200円ほどで日常販売される状況に至ったことにとどめを刺されたのでしょう。
■ もうプラケースはいやだ
一時ビニールケースに入れ替えて収納したことがあったが、音源の存在が棚中検索しにくくなること、処分するときに困ること、などの理由で止めてしまいました。プラケースはけっこう幅をとるし、割れたりするんですよね。一時、ダイソーなんかで3個100円也で購入していたけれど、最近は職場の古いCDROMを処分するときに、好きなだけ持って帰ることができます。(それもそろそろ限界だけれど)
かつての2枚組ほどの厚さのプラケースに、ムリヤリ5枚ほど収納しているのがあるでしょうが。あれが一番よろしくない。取り出しにくい、落としやすい、中ケースが破損しやすい、外ケースが割れても専用ものだから交換が利かない(クアドロマニア4枚組はずいぶんと工夫しているが、やはり同様の意味で扱いにくい)・・・シンプルな紙収納+紙ボックスがずいぶん増えてきて、あれが一番好きですね。ネットを拝見していたら「ビンボー臭くていけない」とのご意見有〜なるほど。そうかもしれない。でもね、BRILLIANTのBach 155枚セットが幅40cmでっせ。10枚組で3cm程度、ほんまに便利。有り難みは少々薄れてしまうが。
そもそも論だけれど、ネット時代になって音楽を聴くこと=CDを所有すること、ではなくなりつつあるんですね。NML辺りが代表例。嗚呼、あれが欲しい、と憧れているウチが華なんでしょう。なんでもそうだけれど。
■ 棚中在庫CDはほとんど存命演奏家、現役演奏家が少なくなった自覚有
こどもの頃(LP時代)はほとんどの著名指揮者が存命でした。1970年、バルビローリが来日直前に亡くなった、とか記憶鮮明ですもん。ジョージ・セルの日本ツアー・ラストは札幌で、ワタシ(中学生)はナマでジョージ・セルを聴いております。(会場に入るセルにほとんど1m以内に接近した)そしてクリーヴランドに帰って即逝去。1990年出張でイタリアに行った(バブル時代)とき、ミラノのリコルディでジュリーニにすれ違いましたし。ああ、そういえば昼食に入ったレストランにはホロヴィッツの食事風景写真(ごく最近の)が飾ってあったな。
もともと知名度など気にしないで音楽を聴いていた(評価の定まったものを避けてきた)ことはあるんだけれど、誰も彼も皆鬼籍に入っちゃったし、CDも安くなったことだし、虚心にいろいろ愉しみたいと考えております。もっと若い人を応援せんとあかんのやけどね、ほんまは。
■ ご家庭で音楽を愉しむのに、経済的負担はほとんどない時代がやってきた
オーディオやら、珍品稀少盤、バカ高い新譜にこだわらなければ、誰でも音楽をたっぷり堪能できる時代がやって参りました。i-Podでも良いですよ、データでも。問題は聴き手の感性やら慣れ、最小限の知識、なによりココロ安らかに音楽を聴くべき時間、精神の問題でしょう。
2008年末にBach 155枚ボックス、2009年に入ってグレン・グールド・オリジナル・ジャケット・コレクション(80枚組)、他、シャンドス30枚組、ついにはBeethoven 87枚到着・・・昨年来聴き続けている「Elgar30枚組」、「HMF50枚組」、Scarlatti「ソナタ全集36枚組」(ピーター・ヤン・ベルダー)連続して購入した辺りからおかしくなったのか。バイロイト33枚組はちゃんと聴いて、カラヤンDG38枚組ボックスを英国アマゾンから取り寄せたのが4月〜最近、ほとんどCDに食傷気味でほとんど"新しい音源入手"という行為は日常から消えました。今では月0〜1回(枚数もほんのちょっぴり)ペースに。小遣いが余ってしゃーない(冗談)。
一番最近の入手は2009年8月のジョージ・ショルティのMahler 全集(ロンドン響やコンセルトヘボウとの旧録音を含まない16枚組、旧西ドイツ製CDが3,150円!)入手がほぼラスト。
飽食も過ぎたね。ここまで行くと、物欲も萎えた、といった感じ。オークションで3年ほど在庫を整理してきたけど、2009年5月くらいから急激に売れなくなった件はなんども言及しました。おそらくは不況の深化、CDという媒体の商品寿命、そして上記激安ボックスの登場が折り重なった要因でしょう。そして、リサイクルの時代なんだけどね。さらにそれに、”物欲減退”が加わっているのか。
(2009年10月16日)