春を告げる桜花
牧 洋子さんは開高 健の奥様で詩人。2000年に残念ながら亡くなったそうです。サントリーで知り合ったのかな?彼女の「おかず咄」(新潮文庫)は、その関西方面(のみではないが)の食に関する深い造詣、科学的分析(彼女はサントリーで、いわゆるバイ・テクの研究をしていた)には驚くばかり。いえ、内容はもちろんだけれど、美しい日本語の究極みたいなものを感じてしまって、その感動故、一気には読み進めず、少し読んでは本を閉じて噛みしめ、反芻し・・・を繰り返しました。
食通とは厳密にいって、どういう意味なのでしょうか。うまいもの、ほんとうにうまいものであって、世評とか、おあしのかかるのといった、よけいなものにわずらわされないで、純粋に舌で感じとられるうまいものを識別できる能力をもっている人。いや、単に能力があっても、その美味をこよなく愛する情熱がなくては、食通という称号をさしあげるわけにはいかないのではないでしょうか。
まるで「食通」を「素敵な音楽を聴きわけるチカラ」と置き換えても、そのまま通用するような金言でしょう。ワタシはこのサイトの原点を、忘れてはいけないのでした。
3月の末、ワタシは山口に出張し、維新公園で桜が一気に春を呼ぶのを目撃しました。ちょうど一年前、同じ場所、快晴の春爛漫に桜は満開で散りかけだったことを思い出します。ことしは、なんやら風が冷たく、早朝タクシーで会場に駆けつけると、ほんのちょっと遠慮がちに花はほころびかけ・・・・・
毎年、花見の季節は年度末やら、新しい体制の新年度で仕事に追われ、ここ数年、桜のことなど忘れていたでしょうか。儚くも潔い桜花に思い至らぬなど、日本人として風上にも置けぬ、まさに心が滅ぶとはこのことか。もやもやとした不安の毎日、市井の小人(しょうにん)であるワタシは、些事再々の日常に押し流され、大切なことを忘れていたのでしょう。
昼過ぎに維新公園の会場を辞去するときには、桜は七分に咲き誇って、暖春の訪れを告げておりました。大きな行事のお手伝いに行った担当場所では、アルバイトの女子大生がちょうど息子と同世代か、二人とも緊張故表情が硬かったが、若く、肌も瞳も澄んで美しいこと、時より見せる微笑みが春の目覚めに相応しい清潔感有。
18年間、常に一緒に生活していた息子が今週広島へと引っ越します。一人っ子で甘やかし放題ではありましたが、一人暮らしをしたい、と早くから言っていたし、それは彼のためには大切なことなのでしょう。女房は心中複雑なる思いでいっぱいのはず。これからは夫婦二人の日常となります。常に側にいて、思いをかけるべき存在の喪失〜ワタシは彼と同じく18歳の時、札幌から京都へ出てきましたが、今頃になって両親の気持ちも理解できるのも人生の機微でしょうか。
いずれこどもは一人立ちしなければいけません。息子は大学で、先日のアルバイト女学生のような彼女ができれば素晴らしいことでしょう。若さの可能性に賭けるしかない。息子には息子の人生があり、ワタシにはワタシの道もある。
帰りの新幹線ではほとんど眠ってはいたけれど、牧 洋子さんによる珠玉の日本語を堪能しておりました。そのとき、音楽は聴いておりません。アメリカのイラク侵攻を苦々しく思いつつ。(2003年4月1日)
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