2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
秋は深まって本日10月終了。土曜の立ち仕事の疲れか、昨日は終日引き隠るのもあかんな、と夕方ディスカウント・ストアへお気に入りヨーグルト入手へ、今朝女房殿が400g→380gへ容量減を発見、6-7年前は450gだった記憶もあって実質値上げ続いております。月曜の朝刊は新しいニュースは少ないので、癌治療の現状とか日本シリーズの分析など。読者投稿はいつも興味深く、ひと世代前の投稿を集めた「ひととき」の書籍発行があったらしく(孫引きご容赦)曰く当時39歳は高齢であったとのこと。なにかの記事で「現在の年齢はかつての八掛け」とあって、そうだったら自分は48歳前かよ。30年ほど前、親父の還暦祝いに生まれたばかりの息子を連れて定山渓温泉に行った記憶も鮮明、自分がそんな年齢に至ったことも感銘深いものです。
今週もなんとか乗り切りましょう。中日は祝日でしたっけ。
Beethoven 交響曲第4番 変ロ長調(1975年)/第5番ハ短調(1970年)〜カール・ベーム/ウィーン・フィル・・・「英雄」から連続聴き。CD時代突入以降、ずっと避けてきた音源は若い頃の刷り込み絶大、音質もさほどに非ず、演奏だってウィーン・フィルの甘美豊満サウンドに非ず、質実にオーソドックス手堅い(枯れた)演奏は妙に心に染みるものです。切れ味リズムとか、悠々とスケール大きく歌うとか、極端なテンポ設定とか動き、そんなものとは無縁の表現は、細部馴染んだ作品旋律を素のまま表出している感じ。意外な満足度でした。
Beethoven ピアノ協奏曲第1番ハ長調〜クラウディオ・アラウ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1958年)・・・懐古的な音源連続、アラウのステレオによる最初の録音もパブリック・ドメインに至りました。広がり鮮度は不足しても、充分現役で作品を堪能できる音質水準、表層を撫でぬしっかりと地に脚ついた重心の低い技巧、上機嫌に明るいBeeやん25歳、青春の作品を落ち着いて表現して下さいました。かつて苦手系作品だったものも素直に拝聴できるようになりました。
Bach ゴールドベルク変奏曲〜エフゲニー・コロリオフ(p)(1999年)・・・Evgeni Koroliov(1949ー)は現代を代表するBach弾きでしょう。これはすべての繰り返し実行、ゆったりと落ち着いたテンポ、計85分に至る長旅です。表現的にはて奇矯さを狙わぬ、各変奏曲の性格をていねいに描き分けて、嗚呼、エエもん聴いた満足感に溢れるもの。来日時にはスタインウエイを使ったらしいけど、この使用楽器はなんでしょう。キラキラしたところのない質実な音色であります。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
日常休みグセ、サボりグセが付いて、ようやくの日曜にほっとしております。昨日土曜は爽やかな秋の気候、行事対応は大きなトラブルもなく(けっこう愉しく)対応完了、来週の反省をいくつか教訓としました。日本シリーズはファイターズ勝利(ほとんど見ていないけど)カープは残念なことに黒田再登板ならず。地方球団が競うことは素晴らしい。
ONKYO CDプレイヤー/iPodドッグ到着して、さっそく朝食時に活用しております。これはBoseのWaveに似て、ちょっとサイズが大きいもの。操作性に難有(ボタンがわかりにくい)既に製造中止になっております。これがけっこうエエ音で鳴るんです。
Haydn 交響曲第99番 変ホ長調/交響曲第100番ト長調「軍隊」〜アンタル・ドラティ/フィルハーモニア・フンガリカ(1971/72年)・・・ 史上初のHaydn交響曲全集録音に敬意を評して(わずか2年間で録音)今は亡きフィルハーモニア・フンガリカを久々拝聴しました(2001年解散)。ここ10年ほどアダム・フィッシャーの瑞々しく躍動するHaydnを聴く機会は多いけれど、こちら端正な構築が明晰(音質印象も有)もともと自分の刷り込み的にはこちらかな?と思います。交響曲第99番 変ホ長調は第1楽章「AdagioーVivace assai」冒頭から構えが大きく、テンション高く硬派に疾走して、巧まざるユーモアも感じさせます。初のクラリネット入りとか。「軍隊」は第2楽章「Allegretto」は思いっきり優雅、ラストトランペットとティンパニが「軍隊」をイメージさせるもの。「トルコ軍楽」の打楽器(トライアングル、シンバル、バスドラム)は終楽章にも登場して(Wikiより)愉しさ限りなし。
Bach ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調/第6番 変ロ長調〜カール・ハース/ロンドン・バロック・アンサンブル(1952年)Jean Pougnet(v)/Georges Tessier(v)/ Emmanuel Hurwitz(v)/Anthony Pini(vc)/Frederick Riddle(v)/Richard Adeney(fl)・・・ネットから精力的に音源入手を始めたのが2011年頃?歴史的録音はいくらでも探せるのでCDはほとんど処分してしまいました。無料でいろいろ聴けるのが嬉しくて、こんな英国往年の名手を揃えた音源も自主CDにしたもの。音質はかなり良心的、ゆったりとマイルドなテンポ設定、急がぬテンポ設定、優雅に歌うソロ、先鋭な古楽器に鳴れた耳にはこんな昔の風情も悪くないもの。チェンバロは最近聴かなくなった、金属的によう鳴る豪華な音色です。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日は午前中なにかと忙しく、昼から若い相棒はお休み(休日出勤の代休)自ら運転して取引先へ商談、寒いやら眠いやら・・・夜、神戸より来客有、まったく別なお仕事の世界を伺うのは新鮮なものです。とくに男社会は自らの狭い概念にアタマ固くなりがち、普遍的な共通概念、別な世界の思わぬ切り口、価値観を謙虚に学ばなくては。最寄りの駅側、いつもの居酒屋でお付き合いいただいて帰宅したらONKYO CDプレイヤー/iPodドッグ無事到着。思ったよりずっと状態は良好、リモコンなしは前機のものが残っていて問題なし。日常使う物がお釈迦になって、そのまま生活を縮小するというのも潔いけれど(断捨離)ムリのない範囲で維持する、切り捨てないのも大切なことでしょう。
本日はこれより取引先行事対応(来週連続)週末土曜が潰れるのは生活リズム的にナニだけど、そんな贅沢云ってられません。世の中にはもっとキツい、お仕事されている方がたくさんいらっしゃいます。
Beethoven 交響曲第3番 変ホ長調「英雄」〜カール・ベーム/ウィーン・フィル(1972年)・・・youtubeに出ているんですね、こんな音源も。LP時代に所有していたBeeやんの交響曲全集はフルトヴェングラーの(伊太利亜オーケストラを含む)怪しげなもの+このカール・ベーム(1894-1981)でした。つまり若い頃の標準というか、リファレンスというか、幾種も自在に聴けるような贅沢は当時ムリだったんです。やがて幾星霜、CD総廉価時代〜古楽器全盛〜ネットやデータ拝聴の時代に至って、カール・ベーム拝聴機会はほとんどなくなりました。Bergのオペラくらいかなぁ、食指が伸びるのは(バイロイトの「リング」を聴いていたっけ)。日本では未だ根強いファンも多いらしく、偶数交響曲がとくによろしいとのこと、天邪鬼な自分は第3番「英雄」から二十数年ぶりに聴いてみましたよ。
音質は(自分の縄張り外を前提として)時代相応、第1楽章 「Allegro con brio」から過不足のない中庸バランス、大時代風異形な風情に非ず、フツウな演奏も意外なほど悪くないもの。第2楽章 「Marcia funebre: Adagio assai」も深刻さを強調しない淡々とした風情(ホルンはエエ音で鳴っておりまんな)第3楽章「Scherzo: Allegro vivace」昨今21世紀の演奏は疾走するようなテンション必須、78歳の老巨匠はずいぶんと頑張っておりますよ。終楽章「Finale: Allegro molto」の変奏曲はお気に入りの部分、優雅な弦の出足、まったり保守的に急がぬ足取りは堂々として、美しい演奏と感じました。いろいろ過激なのを聴いてきて、嗜好も一周回ったかな?全体として枯れた(元気が足りない)風情が漂うのも事実。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
さてようやく週末の金曜日へ、但し、明日は休日出勤で取引先の行事対応、来週も同様です。昨日、夜音楽を聴いていたら左脚に痙攣発症!これがなかなか治まらぬどころか、別な筋肉も攣りそうに・・・女房殿に頼み込んで両足のマッサージ、一晩寝たら両足の疲労感はそれなりに快復しております。脚が攣るというのは、ミネラル不足、冷え、筋肉疲労、そして華麗なる加齢とか。本来、週末金曜夜はスポーツクラブで引き締めたいところだけど、本日知人が神戸より来訪、ちょうどよろしくムリせずお休みしましょう。夜はよう眠れました。左奥歯下が微妙に痛くて、歯科医に通わなくっちゃ。いつもよりいっそう入念に磨いております。
一ヶ月ほど前故障廃棄したONKYO CDプレイヤー/iPodドッグ、結論的にオークションにて激安入手(Tポイントも活用して送料込1,300円ほど)本日夜到着予定です。さて、ちゃんと使える水準なのか、キカイは当たり外れなので博打みたいなもの。日頃節約を趣味と自慢していたら「意欲の後退」と厳しく指摘されしまったので、反省しての再入手でした。
Mozart 交響曲第32番ト長調 K.318/第30番ニ長調 K.202/第33番変ロ長調 K.319/第31番ニ長調 K.297「パリ」〜コリン・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデン(1981ー1991年)・・・DECCAのロゴが気に喰わなくて、ネット上よりPHILIPSデザインを探しました。かつてMozart指揮者と呼ばれたColin Davis(1927-2013)、オーケストラとの相性もよろしくブルー系のサウンドをしっかり活かした中庸穏健表現はバランスのよろしいもの。いずれこの辺り珠玉の作品は無条件幸福に愛するもの、音質含めて文句ない出来、特別に重すぎとか、躍動に足りぬとも思えぬけれど、あまりにフツウやなぁ、不遜だけど。彼のBeethovenにもそれは感じました。集中できんかったのは、これを聴いている最中に脚が攣ったからか。
Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜ピエール・ブーレーズ/クリーヴランド管弦楽団(1991年)・・・月に一回は聴きたいお気に入り作品。現役のドゥダメルのライヴも立派だったけれど、こちら知的なバランス、細部描き込みの徹底、洗練されたサウンド、1969年録音に比べて丸くなった、穏健になったとの声もあるけれど、三種のセッション録音はどれも甲乙付けがたい魅力と個性と思います。浪漫の残滓とか、力みとか、ムダをぜ〜んぶ流して、最低限のエキスが過不足なく鳴り渡る・・・上手いオーケストラでっせぇ、下品に騒がしいわけでもなし、ここぞと云ったキモで爆発するところもニクいものです。完成度最高。
では、行ってきます。どんより曇って、昼から雨らしい。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
今朝の朝日新聞は充実して、論壇時評の津田大介さん「電通過労死 見えぬ核心」〜キモは長時間労働(のみ)に非ず、セクハラパワハラ、ネット広告担当という仕事の特性にあると。それを長時間労働に矮小化させるマスコミもよろしくない。小熊英二さんの「世襲化と格差」〜自民党を支えた地域組織が崩壊し、基盤は世襲された議員(首相)になってしまった。日本の高い教育水準はかつての年功序列制度の家計に支えられ(=自分だってそうだ)それが崩壊してしまえば、教育格差は進むばかり・・・受益者負担、自業自得、●×のひとつ覚えみたいに大声で叫ぶ人が(地域でも)目立つ今日このごろであります。
こちら両脚痙攣の心配しつつスポーツクラブへ。違和感相当、おそるおそるエアロバイク「弱」設定30分(ほとんど心拍数は上がらない/脚膝の調子を見るのみ)ステアマスターわずか10分〜本日はこれで終了、一瞬そう考えて”逃げたらアカン”。初心者エアロビクス45分へ突入、事前に念入りにストレッチして臨みました。それでも、両脚筋肉重く、速攻で攣りそうな感じ。インストラクターのお兄さんはハロウィン仮装、Xファイルの宇宙人になりきって、こちらヒヤヒヤしつつ辛くもラストまでクリアしました。筋肉痛は続いても、痙攣はなし。
本日はここで時間切れ。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
お仕事はそれとなく充実?若い相方は時節的にお仕事ピークに至って、来年度はそれも自分が担当する可能性が高いので、緊張して見守っております。昨夜は睡眠不如意、年に数回、脚が攣ることはあって、主に夏場とか酒を呑んだ夜とか(助言によると)水分不足が要因かもとのこと、ここ数日連続発生して難儀しております。昨夜、夜音楽を聴いていたら右脚付け根辺り痙攣が・・・更に睡眠時に左脚付け根にも・・・七転八倒、しばらく膝を抱えて激痛に身動きできぬほど。もしかして食生活に問題あるのか、+思いつくのは「ステアマスター」でっせ。10月に入ってから週2−3回やってますから。筋肉が衰えているところに、急激な運動を付加したからかも。それでも本日水曜夜、先週マシン・トレーニングのみで退散した初心者エアロビクスは強行するつもり。
Bloch ヘブライ狂詩曲「シェロモ」/Bruch 「コル・ニドライ」/Schumann チェロ協奏曲イ短調(エリアフ・インバル/モンテカルロ・フィル/1970年)/Tchaikovsky ロココの主題による変奏曲(アレクサンダー・ギブソン/ロンドン・フィル/1971年)〜クリスティーヌ・ワレフスカ(vc)・・・Christina Walevska(1945-)はピアティゴルスキーの弟子筋らしい。素敵なロングブーツの彼女もやがて結婚して、演奏活動はセーブしていたらしい。2013年に来日、PHILIPSの録音が復活している由。当時20歳代とは思えぬ骨太、色気のある音色、たしかな技巧とスケールに驚きました。Bloch/Bruchはチェロに欠かせない名曲だけど、少々濃厚にアクが強すぎる作品旋律は好みじゃありません。Schumannの気紛れかつ上品な旋律の美しいこと!フィッツェンハーゲン版の「ロココ変奏曲」もしっとり落ち着いて暖かい旋律+ラスト辺り凄いテクニック要求に感銘深いもの。
Mozart 交響曲第40番ト短調K.550〜コレギウム・アウレウム(1972年)・・・古楽器が未だ一般的ではなかった頃、典雅素朴な味わいのコレギウム・アウレウムはたいへんな人気でした。残響豊かな瑞々しい音質+鳴りきったオーケストラにもモダーン楽器によるスケール大きな演奏に耳慣れた聴衆(≒ワシ)にも違和感はありませんでした。やがて幾星霜(40年以上)指揮者を置かないスタイルは、細かいテンポの変化を伴わない穏健表現、古楽器と呼ぶには少々甘美に過ぎる豊満サウンド、リズムの甘さ、音質も雰囲気はあるけど・・・といったところ。それでも昔の恋人は懐かしい・・・そんな感じ。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
いや増す秋の風情〜じゃないんだよなぁ、曇ってどんより薄ら寒いのみ。暑い時期に予約していた熊本の蜜柑、札幌の両親に届いたとのこと。いつもは自分で先に注文して味見したり、かなり自信のあるやつを送っていたけれど、なんせ親父が危うい超高齢者ですから。早生蜜柑に限らず、柑橘類には当たり外れはあるし、ことしは天候不順、それでもとても甘いとの婆さんからの電話有、気を遣ったウソでもないらしいから”当たり”なんでしょう。札幌は雪らしい。
こちらやや体調不安は恒例夜のエアロバイク+ステアマスターでクリアしました。お仕事は大きめのチョンボ有、基本のミスは相手側(連絡漏れ)とはいえ、もう少し慎重に流れを読めば防げたんじゃないかと反省しきり、現在次善の策を準備中です。取引先から筋は通っても、少々ご無体なデータ要望有、なんとか切り抜けて送付、自分のAccessデータベースに取り込んだところで大きなミス発見(数件データずれ)修正しつつ再度データ・インポート〜エラー発生!これがクリアできません。ネットでトラブル案件解決を検索しても、意味が理解できない。一旦アタマを冷やして仕切りなおし、本日朝一番でなんとかしましょう。日常作業に支障ありますので。
Mahler 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ミヒャエル・ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(2003年)・・・昨日の続き。硬質怜悧に整ったサウンド、飾りの少ない旋律表現、やや素っ気なくも揺れの少ないテンポ設定は辛口、これが作品風情に似合って最高。粗野でもエッチでもない。奥行き空間、各パートの定位をしっかり認識させる音質最高、ここぞ!というところの低音の迫力もおみごとでした。我が小さなディジタル・アンプはあまりに音源の素の姿モロだから、相性が難しいかも。著名な第4楽章「Adagietto」は楚々としてクール、抑制が床しいもの。巨大な作品に集中できました。こりゃヴェリ・ベストかも。
今朝は、懐かしいクラウディオ・シモーネの甘く、しっとりとしたVivaldiなど。では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
実質上の10月ラストウィーク、流石に薄ら寒く、日差しも弱い感じ。薄着で過ごしたら、ちょいと咽に違和感有、久々吸入器を取り出しました。精力的に出掛ける女房殿を尻目に、引き隠って読書(時代小説中心)、テレビドラマ、掃除、料理、そして音楽など。(スポーツクラブ会員の契約上)土曜昼のショート・エアロに行けなくなったのはリズム的によろしくない感じ。月曜夜は週末に緩んだ身体に喝を入れましょう。
田部井淳子さん、平幹二朗さん逝去、テレビでお馴染みの人やったなぁ、充実した人生が羨ましい。合掌。
Haydn 交響曲第43番 変ホ長調「マーキュリー」/第44番ホ短調「悲しみ」(1994年)/第45番 嬰ヘ短調「告別」(1988年)〜アダム・フィッシャー/オーストリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団・・・2002年に入手した全集、当時はHaydn交響曲全集を入手するなど大胆極まりない贅沢、Bachのカンタータ全集もそうだったけれど、入手するだけで積年の夢が叶った!深い感慨があったものです。それから十余年、時代は遷ろい(+華麗なる加齢に)所有することに意味を感じなくなりました。閑話休題(それはさておき)、棚中生き残ったアダム・フィッシャー全集中の「疾風怒濤時代」交響曲、短調を多用して劇的、「告別」の終楽章「Finale, Presto-Adagio」は有名な舞台より一人去り、二人去り・・・は有名でしょう。いずれもやや速めのテンポにニュアンス豊かな推進力、ていねいな仕上げに驚かされます。ここ最近、古楽器を中心に聴いていたので、モダーン楽器の説得力、ひびきの厚みを堪能いたしました。上手いオーケストラですね。彼のMozartもそうだけど、現役では一番お気に入りの指揮者の一人。
Mahler 交響曲第1番ニ長調〜ミヒャエル・ギーレン/バーデン・バーデン南西ドイツ放送交響楽団(2002年)・・・演奏機会の多いMahlerはライヴのネット音源も多く拝聴可能です。ちょいと食傷気味というか、粗製濫造というか、ちゃんと仕上げのよろしい音源で聴きたいもの(そんな思いを深める今日この頃)。Michael Gielen(1927ー)も高齢だからもう引退したのかな?怜悧に余情を削ぎ落とした表現イメージもあるけれど、一連のMahlerは基本さっぱり飾り少ないのは前提として、歌も風格もある立派な完成度。青春の胸の痛みを連想させる第1番に、不足を感じさせぬ充実した演奏でした。(今朝は交響曲第5番 嬰ハ短調/2003年を拝聴中)音質良好。
では、行ってきます。今週は取引先訪問連続+週末行事対応も有。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日朝一番で馴染みの床屋へ、残念二番手だったけれど「刈り上げてソフトモヒカン」の指示せずとも黙って刈り上げていくオヤジ。人生で出来上がりに文句などつけた記憶もないけど、先月に続いて基本指示の後半を忘れているらしく「刈り上げ」のみ(≒ボウズ)になっちまって、これはこれで爽やかでしょう。徒歩片道15分ほど、床屋側の焼きたてパン屋閉店は先月のこと(残念)帰りルートを変えたら愛用のラーメン屋本日閉店!とのこと。残念、ちょっと場所が悪かったかな?なんせご近所激戦地ですし。
日曜の朝日新聞は読み応えたっぷり、書評もオモロくて、自分は基本文庫新書しか読まぬので(しかもBOOK・OFF@108)世間様の興味はどの辺りにあるのか、昔の著作はけっこう読んでいたりして、興味は尽きません。亜米利加大統領選に関連して、あれほど叩かれ、資質を問われてもトランプの支持がなぜシブトイのか分析、富の偏在、格差、日本以上に地元志向が強いから、産業衰退して寂れた街になってしまった故郷に耐えられんのですね。「一期だけでもトランプに」といった現状打破の思いなのでしょう。
他、ドローンを使った土木建築物の点検技法(活用工夫が凄い!)中古のiPodを多用して工場ラインの異常点検とか。リニア新幹線の是非さておき(そもそも世界一の新幹線が既にあるのに、人口減の時代に需要があるの?)世界を凌駕する技術の開発意欲は必要なのかも。油断すれば家電やらケータイになっちまいますから。ま、安倍ちゃんは土建屋発想(山を崩して需要を作ること)なんだろうけど。
そういえば10年ほど前?四国の製紙業工場を見学した時に、昔懐かしい「98ノート」でラインを組んでいることに驚きました。団塊の世代と思しき会長は「中古でたっぷりマシン集めてありまっせ」〜でも、これって技術ワザの継承ができるんでしょうか。数カ月前、似たような記事をどこかで読んだから、若い頃身に付けたノウハウを活かしているんやろなぁ、魂は大切にしたいですよ。
昼から「マンション一棟まるまる光ネット無料」の工事来訪。Yahoo!Wifiの導入に失敗、多大な解約料支払ってAir導入済(2年契約)〜もう半年早く入れてくれよ!2ヶ月前に予告してくれよ!その工事中に女房殿が事務所より業務用パソコン(NEC VesaPro VY21ME-6/Windows10/メモリ4gb)持ち込み、起動しないらしい。堅牢な和製パソコンはメンテナンス3度目?”触るものはすべて破壊”するマジック・ハンド団塊の世代オヤジ(頭髪方面不如意)がいるんです。たしか2年前初めて持ち込まれた時には、ありとあらゆる(要らぬ)ソフト(ツールバーとか)が入って、オススメされたものはすべてOK!〜とうとうにっちもさっちもいかぬ!しかも、動かなくなったら電源を切る!荒業に閉口したもの。なんせ、テレビ映り悪かったら斜めから叩く!世代ですから。当時内部クリーニングに苦労しましよ。なるほど、電源を入れるとくるくると渦模様が巻いて、いつまでも起動しない・・・
女房殿に「中の必要なデータは抜き出して、無料のLinux入れる?OfficeはMS互換のWPSで」「どうしてもWindowsじゃないとダメだったら、7マシン中古弐萬圓ほど出せば実用的なマシンが手に入る」選択肢メールを出しておきました。念のため電源を切って、再度立ち上げると辛くも起動、最初の読み込み部分のファイルが怪しいか、それともHDDそのものが草臥れているのか・・・乱暴に使って4-5年は経っておりますから。まずウィルス、スパイウェアチェック、レジストリのクリーナー、ファイルエラーの修復、ジャンクファイル除去、要らぬ(絶対使わぬと予想される)ソフトの削除、スタートアップの整理、ドライバのアップデート、そしてWindows10のアップデート・・・(これが数時間)デフラクにて仕上げ〜まずまずの状態に復旧いたしました。余計な出費はなくて済んだけど、半日潰れたワタシの休みを返して!(趣味だけど)
Brahms 交響曲第3番ヘ長調〜クラウディオ・アバド/シュターツカペレ・ドレスデン(1972年)・・・Claudio Abbado(1933-2014)39歳、イケ面やなぁ、当時。ほら、やっぱり表現が若々しく前のめりじゃん。音質もイマイチだし、ドレスデンの木目なブルー系のサウンドを活かしていると思えぬけど、気力体力溢れる若手はちょっと走り過ぎがよろしいでしょう。老成して立派な演奏はいくらでもありまっせ。若手に期待するのは活力+将来性です。ドゥダメルどーする?
Giornovichi ヴァイオリン協奏曲第6番ヘ長調/第2番ニ長調/第10番ヘ長調〜クルト・ザスマンスハウス(v)/スターリング室内管弦楽団(1996年)・・・サイト内検索によると2002年に入手したCD。当時は新しい音楽との出会いに意欲満々でした。Giovanni Mane Giornovichi(1747-1804)は名前的にイタリアの人でしょうか、Haydn(1732-)、Mozart(1756-)だから、同時代の名ヴァイオリニストだったらしい。これがなんとも平穏安寧なサウンド、旋律の連続に眠くなるほど。スターリング室内管弦楽団はシンシナティにある若手育成の団体なのか。陰影とか迫力不足(低音が弱いのはもともとそういう作品なのかも)師匠であるザスマンスハウス+三人ほど若い女流がソロを取っているらしく、どれも素直に美しいサウンドであります。音楽史の中に埋もれた存在になってしまったのも、ちょいと個性不足な作品故仕方がないのかな?
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
なんや冴えない一週間を終え、昨日昼からノンビリ、テレビ眺めて居眠りとか、読書しつつ音楽聴いて居眠りとか。こちらはちょっぴりだったけれど、鳥取県を中心に地震連続に驚きました。夜、スポーツクラブへ。ステアマスターを先に15分やると心拍数が上がって、あとのエアロバイクの負荷が自動的に軽くなりすぎるので、順番を逆にして消費カロリーを上げました。今週は3回通って身体には良いことでしょう。
Bach クリスマス・オラトリオ BWV.248より第6部 「顕現節」〜カール・リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団 /合唱団/ミュンヘン少年合唱団/グンドゥラ・ヤノヴィッツ/クリスタ・ルートヴィヒ/フリッツ・ヴンダーリヒ/フランツ・クラス(1965年)+マニフィカト BWV.243〜ヘルタ・テッパー/マリア・シュターダー/エルンスト・ヘフリガー/ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1961年)・・・ここ十数年古楽器を拝聴する機会が多かったし、あまりに世評高過ぎなリヒターは(意味もなく)やや敬遠気味でした。峻厳というか、堅苦しくて立派なのは勘弁してね、といったところ。これが喜びに充ちてトランペット大活躍!(歌い手含め)生真面目けっこうじゃないの、作品そのものの真摯な愉悦がしっかり伝わる驚き。散々古楽器を聴いてきて、モダーン楽器や朗々とした声楽も、一周回って妙に最近新鮮に感じる今日このごろであります。収録の関係でそのまま「マニフィカト」へ突入、Charpentierの妖しくも静かに揺れるのも素敵だけど、破顔一笑みたいなBachの明るい作品最高。これも少々硬派な演奏+声楽の表情が雄弁なんだけど、音質含めて至福なひとときを保証して下さいました。
Mendelssohn 劇付随音楽「真夏の夜の夢」より序曲/スケルツォ/夜想曲/結婚行進曲〜ジョージ・セル/コンセルトヘボウ管弦楽団(1957年)・・・これは一連のコンセルトヘボウとの録音として以前より聴いていたもの。ニューヨーク・フィルとかクリーヴランド管弦楽団とも録音があるから、ジョージ・セルのお気に入り作品だったのでしょう。序曲の冒頭からアンサンブルの縦線の合い方は驚異的、これも早めのテンポで推進力が凄い!もの。オーケストラの充実ぶりも文句ないけど、絶妙な間とか明朗な歌、余裕に於いてクレンペラーに一日の長があると感じました。
Brahms 交響曲第4番ホ短調〜グスターボ・ドゥダメル/ロサンゼルス・フィル(2012年)・・・これもライヴなんだけど、幾度かの演奏の編集らしい(それはそれで録音を残すといった意味で正しいと思います)。昔馴染みの名曲を聴いて嘆息、遅めのテンポにしっかりとバランスの取れた、完成度の高い演奏・・・先日拝聴分とほとんど同じ感慨となりました。Gustavo Adolfo Dudamel Ramirez(1981年-)この録音時点31歳でっせ。どうしてこんな落ち着いて、まとまりの良い演奏をするのか。若さの発露にやり過ぎ!な表現を求めたいところ。嗚呼、新世代の切り口は新鮮やなぁ、とか、全然感じませんもの。例えばマイケル・ティルソン・トーマスのデビュー録音(Tchaikovsky 交響曲1番ト短調「冬の日の幻想」)は選曲も切り口も衝撃でしたよ。次世代の担う才能は若年寄にならぬことを祈るばかり。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
眠りも浅く、小さなトラブルを抱えつつ、基本ヒマな一週間も週末へ、月末休日出勤の代休を半分ずつ消化すべく昼からお休みです。商品トラブルの実務処理を別組織(子会社)に依頼して、連続ミス(失念、現物紛失連絡漏れ、放置)3回目発生、久々激怒しました(反省)。若い頃のように声を荒げるわけじゃないけど、失敗チョンボは自分でもあること、指摘されたら速攻でフォローしましょうよ、まずお詫びしましょうよ。ご迷惑をお掛けした取引先にお詫びに伺った帰り、BOOK・OFFに寄ったのが運の尽き。@108書籍数冊入手、一応CDコーナーを眺めるのは習慣、じつはもう2年ほどCDは購入していなくて、新規音源入手はデータばかりなんです。「Gerge Szell/Elegance and Finesse」(10CD/Membran Wallet 233362)500円(税込)発見、いくつか正規盤とダブリ所有、全部パブリックドメインだから過半はなんらかの形で拝聴済、保有しているもの。それでも欲しかった!数年ぶり”CDを買う興奮”が蘇りました。幻想(ほんの思い込み)なんだけど。
Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」〜ジョージ・セル/クリーヴランド管弦楽団(1958年)・・・コレちゃんとSONYの正規盤持ってますよ。おそらくはLP板起こし、贅沢収録39:38のみは潔いもの。先日、世評高いイシュトヴァン・ケルテスに集中できなかった曰くつきの作品也。第1楽章「Adagio - Allegro molto」提示部繰り返しをしているものって、意外と少ないんですね。できれば素敵な、わくわくする旋律は繰り返し堪能したいもの。ジョージ・セルは例の如し、硬質なサウンドに縦線がぴたり!合って緊密なアンサンブルに尋常ならざる集中力であります。シカゴやフィラデルフィアみたいにゴージャス華やかなサウンドじゃないけど、上手いオーケストラやなぁ。表現的には速めのテンポに颯爽とした(ドライな)推進力、要らぬ飾り少ないトスカニーニ系のイメージ、初めてFMから聴いたのは1970年頃と思うけど、こんなんでしたっけ?音質にもほとんど不満を感じさせない。これはこれで高い完成度に感服。
Purcell 劇音楽「偽りの結婚」 Z. 605 - 男は女のために/少女と楽しむウォルター卿 Z. 273 /To thee, to thee and to a maid, Z. 283/ねえジョン、お願いだから喧嘩を止めて/三たびもジュリアを誘いたれど Z. 265/When the cock begins to crow/Under this stone lies Gabriel John, Z. 286〜デラー・コンソート(途中迄)・・・アルフレッド・デラー(Alfred Deller, 1912ー1979)のVanguard録音全部CD34枚分拝聴可能です。カストラートが絶滅して、カウンターテナーとしてデラーが出現する・・・現在の古楽隆盛の礎を築いた人なのでしょう。ここ最近の洗練され、スムースな歌唱のイメージからちょっぴり離れた濃密な表情でしょうか。これは第1集「民謡とバラード集」より Henry Purcell (1659-1695)の愉しい民謡風アカペラ、短い作品連続、声の遊戯であります。英語だからなんとなく雰囲気もわかって、親しみやすい旋律は至福のひと時・・・
では、行ってまいります。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
先々週の行事+出張、来週以降の行事商談連続の合間、エアポケットのように平穏な一週間に退屈しております(本日も継続予定)。お仕事不如意な人に申し訳ないね、こんなんじゃ。気持ちが緩んで体調もイマイチ、定例水曜夜の初級エアロ・ビクスは前半ステア・マスター+エアロ・バイク終了時点でお休みを決意、あまりムリせんときましょう。小一時間のスポーツクラブでもしっかり汗を流しましたし。
Mussorgsky 交響詩「禿山の一夜」/歌劇「ホヴァーンシチナ」より前奏曲「モスクワ川の夜明け」/(オスコルコフ編)組曲「展覧会の絵」〜ロシアン・ブラス(2004年)・・・誇り高きロシアン・ブラスの伝統を引き継ぐ超絶技巧団体の演奏也。五人の奏者が眼前に浮かび上がるリアルな音質、誰でも知っている「禿山」冒頭の弦による細かい音形がそのまま金管のタンギング(?)に置き換えて、もう出足から仰け反っちまいます。とにかく上手い、馴染みの「展覧会の絵」はニュアンス表情の変化、色彩の妙に惚れ惚れすること必定。但し刷り込みはRavel編故クライマックスでの打楽器のダメ押し、迫力が欲しいところ。いずれ吹奏楽ファンなら垂涎ものの一枚也。
Bach ファンタジーとフーガ ハ短調 BWV537/ファンタジーとフーガ ト短調 BWV542/ファンタジー ハ短調 BWV562/ファンタジー ト長調 BWV572/フーガ ト短調 BWV578/カンツォーナ ニ短調 BWV588/アラブレーヴェ ニ長調 BWV589/パストラーレ ヘ長調 BWV590〜ヘルムート・ヴァルヒャ(or)(1950-52年)・・・ド・シロウトにはどれも聴いても同じ(ように素晴らしい感銘がある)一連のシリーズ元締め、Helmut Walcha(1907-1991)の旧全集10枚組であります。モノラルでも鮮明な音質、オルガンは設置場所(教会やホール)そのものが鳴動する空気感必須、旋律に馴染みがなくてもどれも神々しいサウンドに深い感銘有、ましてや(小)フーガ ト短調 BWV578はストコフスキーの編曲によって広く知られ、思わぬところで旧知の人と出会った気分。Bachのオルガン作品はカンタータ同様、一生掛けて聴くべき膨大な名作の海、今月だけでも Bernard Foccroulle (1953-)、ヴェルナー・ヤコブ(Werner Jacob、1938-)と聴いてきて、贅沢三昧な環境(身分?)を感慨深く受けと止めております。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
こどもの一日が長く、濃密なのは新しい発見があるから、つまり、日々あっという間に過ぎ去るのはな〜んの発見もないということか。一週間のお仕事ピークであるはずの火曜も営業データ処理最短時間を更新しました。それなり作業手順の工夫や、データのやり取り、Accessを使っての照合合理化を進めて4年目、お仕事に悪慣れして、鮮度を失っております。若く優秀な相棒もしっかりしていて、こんな裾野のお仕事(守備範囲)じゃなくメジャー昇格を推薦してあります。(おそらく通ることでしょう)2013年春異動、懲役4年名古屋より出所だったはずが、思わぬ継続雇用の流れ、女房殿のお仕事都合もあって人生フル・マラソンのゴール(お仕事引退)はかなり先に伸びました。
ま、ほんまのフル・マラソンは人生の終着点、ほんの一区切りということでっせ。それなり人様の役に立つよう日々工夫しなくっちゃ。睡眠不如意でも体調はさほど悪くありません。昨日昼はけっこう暑かったですね。
Satie 3つの夜想曲 第1番/第2番/第3番 /第4の夜想曲/第5の夜想曲/バラ十字教団の最初の思想/バラ十字教団の鐘 教団の歌、導師の歌、大修道士の歌/パンタグリュエルの幼年時代の夢想/貧しき者の夢想/2つの夜の夢/天国の英雄的な門への前奏曲/オジーヴ 1.2.3.4/サラバンド 1.2.3〜クラーラ・ケルメンディ(p)(1992年)・・・クラーラ・ケルメンディはハンガリーの女流らしいけど詳細情報を探せません。NAXOSのCDを最初に買ったのは彼女の選集、その数年後に別途CD4枚分の録音があったことを初めて知りました。全曲録音予定途中挫折でもしたのかな?これがさらりと小粋なテイスト、洗練されたタッチ、例の如し奇矯な題名、変幻自在の旋律風情は静謐、美しく響いて、やや精神的に落ち込んだ聴き手にぴったりであります。
せっかくなので昔の音源(選集)も聴いてみました。
Satie (犬のような)ぶよぶよした本当の前奏曲/童話音楽の献立/絵に描いたようなこどもらしさ/でぶっちょ木製人形へのスケットとからかい/あらゆる意味にでっち上げられた終章/自動記述/乾からびた胎児/3つのジムノペディ/パッサカリア/1906-13年の間の6つの小品/ラグ=タイム・バラード〜クラーラ・ケルメンディ(p)(1989年)・・・これがSatieとの出会い。その後アルド・チッコリーニとか種々たくさん出会いがあって、もっと表情豊かに描き込んだものに比べ、こちらさらりと抑制が利いた表現が好ましいのは、若いころの刷り込みか。
他、Ravel クープランの墓/サラバンド/舞曲/逝ける女王のためのパヴァーヌ/マ・メール・ロワ〜ヒュー・ウルフ/セント・ポール室内管弦楽団(1991年)・・・オーケストラ・セント・ルークスが聖ルカ管弦楽団、こちらミネソタの聖パウロ室内管弦楽団は教会がスポンサーなのかな?(ご指摘いただきました。たんなる州都の名前だそう)引き締まったサウンド集中したアンサンブル、お仏蘭西の色気で聴かせる方向じゃなくても、Ravelの緻密な世界はしっかり聴き応えありました。
では行ってきます。
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愛用のブラウザは現在Chrome、フォント指定は「極大」にしております。かなり大きめ、横長のディスプレイを使ってこれがちょうどよろしい。どのくらい読者がいらっしゃるのかさっぱりわからぬけれど、おそらく「極大」で見ている人は少なくて、きっと自分がイメージしている姿とは違うんでしょうね。自分がブログを嫌うのは、デザイン定型が強制的(ま【♪ KechiKechi Classics ♪】にデザインらしいデザインがないのはさておき)文書の横幅表示が狭いこと、フォントが小さいことです(他データは自分で管理したい意味も)。こちら幸い老眼に非ず、小さい字は苦にしないけれど、とても気になります。
【♪ KechiKechi Classics ♪】は小さい字表示だと、ディスプレイ横長いっぱいに長い文書が並ぶんやろなぁ、スマホやらタブレットさておき。試しに幅94%→88%にしてみました。ほんの気まぐれの改善のつもり。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
いつものように一週間が始まり、いろいろやっているつもりでも基本お仕事ヒマ、歴代担当はこれで満杯だったらしいし、いろいろ新しい切り口を作っていることは周りも上司も承知の上、それもヒマなのは要らぬ儀礼的な会議がほとんどないからでしょう。4年経って、取引先ご担当とも”ツーカー”(死語?)状態に至っているのも大きいと思います。肘脚の怠さ鈍い痛みは常態化して、眠り浅いのも同様、これが華麗なる加齢なのか、せめて月曜夜から小一時間ステア・マスター(わずか)15分+エアロ・バイク30分=しっかり汗を流してきました。今年の夏は体調大崩れせずに、これで乗り切った感じ。
Grofe 組曲「グランド・キャニオン」(日の出/赤い砂漠/山道を行く/日没/豪雨)/組曲「ミシシッピー」(河の父/ハッスティーヴン・クレオバリー・フィン/オールド・スティーヴン・クレオバリール・デイズ/懺悔火曜日(マルディ・グラ)/以上1958年)/Victor Herbert チェロ協奏曲第2番ホ短調(1957年)〜ハワード・ハンソン/イーストマン・ロチェスター管弦楽団/ジョルジュ・ミケル(vc)・・・数日前、ドゥダメルの2014年ライヴに嘆息したけれど、こちらほぼ60年前、録音芸術の矜持を実感できる素晴らしい遺産であります。ハワード・ハンソン(Howard Harold Hanson, 1896-1981)は往年の亜米利加作曲家兼指揮者、オーケストラはロチェスター・フィル(Rochester Philharmonic Orchestra)のことらしい。大スポンサーであったKodakが潰れてからきっと苦戦なんやろなぁ。「グランド・キャニオン」を聴くと遠いこども時代に見たはずのディズニー映画を連想します。Mercuryのワン・ポイント録音でしたっけ?これは強烈、細部明晰な各パートの分離、奥行き、定位の確かなことに驚かされました。所謂西部劇風平易かつ勇壮な旋律、リアルな自然描写、ロバのノンビリとした足音(この辺りルロイ・アンダーソンを連想させる)はユーモラス。オーケストラも自信にあふれて金管は壮大に鳴り響くけど、独墺系の深遠な響きに非ず、もっと明るく歯切れよいもの。
Victor Herbert( 1859-1924) チェロ協奏曲は初耳、Dvora'kがインスパイアされたのはこれですか?意外と硬派な歯応えある作品、ジョルジュ・ミケルは調べが付きませんでした。他、Manfreniniの合奏協奏曲集 作品3など拝聴。では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
薄ら寒い秋の雨、一週間の始まりは憂鬱です。気持ちを引き締めていきまっしょい。昨日夜、辛くも定例週末【♪ KechiKechi Classics ♪】更新、溢れかえる膨大な音源から”コレをしっかり聴こうかな”と選択して、いざ音楽が流れてみると・・・どーも思っていた印象と異なって愉しめない・・・そんなことが2件連続して執筆意欲萎えました。誰が見ているの?的場末のサイト、自分のケジメ、生活のリズムとして続けている行為(趣味)だから、もっと気軽に考えましょう。新潟知事選、当初の政府与党圧勝の予測外れて、原発再稼動反対派の米山さん圧勝、連合に配慮して推薦できなかった民進党情けないっすよ。来週の衆院2補選は自民党圧勝の予想、ここ最近事前調査の精度が上がって(結果が見えて)オモロない感じ。
昨日はご近所、お気に入りのディスカウントストアにて買い物、あとは読書三昧+夕食の調理など。演奏会は行かず仕舞い。
Wagner 楽劇「ラインの黄金」〜 ルドルフ・ケンペ/コヴェント・ガーデン ・ロイヤル・オペラ・ハウス/ジョーン・サザーランド(ヴォークリンデ)/ウネ・ハーレ(ヴェルグンデ)/マージョリー・トーマス(フローシルデ)/オタカール・クラウス(アルベリヒ)/ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィチ(フリッカ)/ハンス・ホッター(ヴォータン)/エリザベート・リンダーマイアー(フライア)他(1957年ライヴ)・・・先日ちょろ聴きして不遜な感想を抱いたもの。問題は音質のみ(世評では)なんせこの時期既に英DECCAは凄い録音してましたし。ちょいとボリュームを上げてしっかり聴いたら、歌い手は圧巻の熱気、オーケストラの響きはクリアで洗練されております。音質云々はさほど気にならない、というか、これはちゃんとした音質で聴きたかった!という願いなんやろなぁ、そのくらいアツい演奏でした。「ラインの黄金」はCD2枚分、自分みたいな根性なしでも聴き通せます。管弦楽作品に馴染んでいるから、主旋律は理解できますし。
Wagner 楽劇「ラインの黄金」〜マレク・ヤノフスキ/シュターツカペレ・ドレスデン/テオ・アダム (ヴォータン)/イヴォンヌ・ミントン (フリッカ)/マリタ・ナピアー(フライア)/エバーハルト・ビュヒナー(フロー)/カール・ハインツ・シュトリツェク(ドンナー)/ペーター・シュライヤー(ローゲ)/クリスチュアン・フォーゲル (ミーメ)/オルトルン・ヴェンケル(エルダ)/ジークムント・ニムスゲルン (アルベリヒ)/ローランド・ブラハト(ファゾルト)/マッティ・サルミネン(ファフナー)/ルチア・ポップ(ヴォークリンデ)/ウタ・プリーヴ(ヴェルグンデ)/ハンナ・シュヴァルツ(フロースヒルデ) (1980年)・・・だったら佳き音質にて、と後半半分のみ聴いてみたもの。金管が奥まって響かず、管弦楽伴奏がおとなしくて様子が全然見えぬというか、別作品を聴くかのような”クールに整った”演奏也。歌い手中心ですか?(スター勢揃い)音質もよさ気なような、全然あかんような?不思議なディジタル録音であります。ド・シロウトには理解ムツかしいのか、あらゆる「リング」に精通して行き着くべき達観した完成度なのか、ワタシにはようわかりません。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
せっかくの土曜も無為無策、というかパソコン・オーディオ部屋(北側)のパソコン周りの大掃除実施。ノートパソコン本体キーボード隙間の清掃、外付けキーボードやらディスプレイも全部外して机もひっくり返しました。丸五年稼働している我が家のノートパソコンはまったく現役、機能だけでなくデザイン的にも問題なし、買い替えの予定はありません。時代は次々と新しい物が出現する!状態じゃないのですね。自分の縄張り外だけど、スマホだって似たようなもんじゃないか。大切なのはソフトとネットワークのみ(+デザイン、それに使い勝手か)。
夕方女房殿ご帰還、久々馴染みの爺婆の居酒屋にて酒やや多め、そのままBOOK・OFFに寄って切れていた書籍類仕入れました。本日、名古屋市内で演奏会(Mozart)有、どーしょーかなぁ、めんどいなぁ、出掛けるのは。
Mendelssohn 劇付随音楽「真夏の夜の夢」(序曲/スケルツォ/妖精たちの行進/妖精の歌/間奏曲/夜想曲/結婚行進曲/葬送行進曲/無骨者の舞踏/終曲)/交響曲第4番「イタリア」〜オーットー・クレンペラー/フィルハーモニア管弦楽団/ヘザー・ハーパー(s)/ジャネット・ベイカー(ms)(1960年)・・・以前からのお気に入り音源、但し駅売海賊盤より収録の盛りが多いもの。驚いたのは音質の良さ、いつもながら感心したのは、ゆったり目のテンポは古色蒼然とした風情に非ず、しっかりとしたリズムを刻んで重心の低いサウンドはむしろ明晰、重苦しくないもの。楚々と甘美なヴァイオリン協奏曲ホ短調、希望と憧憬が吹き上がるような八重奏曲 変ホ長調は大好きだけど、交響曲は敬遠気味だったMendelssohn、クレンペラー盤石の演奏に目覚めたことを思い出しました。往年の女声も理想的、「真夏の夜」のメルヘン、しっかり感じ取りました。交響曲はクレンペラーから一歩も外に出ていないかも・・・ああ、ペーター・マークを聴いていたっけ。いずれ昔の思い出ばかりじゃあきまへんな。
今朝、Dvora'k 交響曲第9番ホ短調「新世界より」/Smetana 歌劇「売られた花嫁」*より「序曲」「ポルカ」「フリアント」〜イシュトヴァン・ケルテス/ウィーン・フィル(1960年)/イスラエル・フィル*(1962年)・・・ネットを眺めていると「新世界だったらコレ!」という圧倒的支持率らしい。世間様に水を差すようだけど、CD入手四半世紀、ヴィヴィッドな躍動、21世紀に現役な音質は前提として、そんなに大騒ぎするような演奏なの?もしかしたら駅売海賊盤(おそらく当時、問答無用に激安だった1,000円也)の音質問題か、おそらく手練のオーディオ・ファンはSACDにて聴いているのでしょう。こちら貧者のオーディオでも盤石のスケールに悠々と歌うウィーン・フィルの艶やかな響き、ニュアンスたっぷりな「タメ」表現に、小学生時代バーンスタインの粗っぽい演奏に心躍らせた感動は蘇りません。嗜好も変わっちまったな。「売られた花嫁」(イスラエル・フィル)のほうは文句なしのエネルギッシュな推進力でした。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
朝一番、データにて音楽拝聴しつつ「音楽日誌」執筆中(EditHTML=1999年最終更新ソフトにて)フリーズ(涙)にっちもさっちもいかぬのは数日前と同じ症状。レジストリとかジャンク・ファイルの削除、デフラグとか基本メンテナンスはマメにしているけれど、なんせ購入丸5年目のACER Aspire AS5750(Windows10/メモリ6gb)、おそらくは愛用のソフトが相性悪くて不調に至るのでしょう。標準ブラウザはKinza、ここ数年使ってきたけど最近妙に起動が遅い、そして重い・・・サイト内検索を掛けると10回に1回はブラウザが落ちます(アイコンのデザインも嫌い)。そこで(オモロないけど)Chromeに戻しました。起動速いっすね。元よりメール・アドレスで同期させているのであっという間に同じ環境になりますし。これでしばらく様子を見ましょう。
昨日金曜の午前中、集中的にお仕事を消化して、昼からお休みというのは一日得した気分。いろいろお仕事荒業を使った挙句、幸い(これはナニ?といった他部署からの苦情、問い合わせ)ケータイが自宅まで追い掛けるといったこともなし、切れていた目薬を買いにいったり(ドライアイなので)パソコンに貯まった音源データ焼いたり、テレビを眺めたり、音楽聴いたり・・・夜はスポーツクラブでステアマスター(15分/数年ぶり。これがキツい!)+エアロバイク(強設定30分)=しっかり汗をかいてきました。
Bach ミサ曲ロ短調 BWV232〜ジョシュア・リフキン/バッハ・アンサンブル/ジュディス・ネルソン(s)/ジュリアンヌ・ベアード(s)/ジェフリー・ドゥーリー(ct)/ドリュー・ミンター(ct)/フランク・ホフマイスター(t)/エドムンド・ブラウンレス(t)/ヤン・オパラッハ (b)/アンドルー・ウォーカー・シュルツェ(b) (1981/82年)・・・OVPP(One Voice per Part/各声部一人)の先駆けとして、初めてFMで聴いた時の衝撃!もともと力強く、明るい?巨魁な作品が大好きだったけれど、すっきりスリムな引き締まったサウンド、親密な緊張感にすっかり痺れて「古楽派」へと一気に進んだひとつの契機でした。やがて幾星霜
「感心するけど感動しない」といったネット記事を拝見して、なんと失礼なコメントと思っておりました。いくらディジタル録音とは云え既に35年前、この間の古楽演奏技術は飛躍的に進んでおります。バッハ・アンサンブルやら声楽の表情が少々手探りというか、表現として熟成が足りないように感じます。前半戦、あれぇこんなんだっけ?といった物足りなさを感じ、やがてシンプル素直、クリアな世界に馴染みました・・・でもね、その後、作品解釈の趣旨(OVPP)を活かした録音も次々と登場しました。いくつか聴いていて、もっとヴィヴィッド、大胆な解釈が標準になっているのかも。
Beethoven 交響曲第6番ヘ長調「田園」/Stravinsky バレエ音楽「春の祭典」〜グスターボ・ドゥダメル/バイエルン放送交響楽団(2014年ライヴ)・・・これはネットから入手した音源、調べてみると高価CDRで通販されているんですね。これにはいろいろ考えさせられることが・・・某ブログにCDが売れなくなって商売にならず、ちゃんとした完成度の高いセッション録音は滅多になくなった、メジャーレーベルも含め安易な質の低いライヴ録音ばかり出るようになった由。ましてや放送音源がネットに流出したものなんて、素のまま、大昔のブート・レグに比べればずいぶんと音質は良好だけれど、クーベリック時代が懐かしいバイエルン放送交響楽団(もう気分はほとんどオールド・ファン)もイメージにある分厚くも暖かい響きに非ず、すっきりとしつつ乾いた印象なのは音質問題なのでしょう。名曲「田園」はあまりに著名であるが故にいっそう難曲、颯爽と速めのテンポは一貫して第1楽章「Allegro ma non troppo(田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め)」は妙にこじんまりして流したような?未だコンサートの興が乗っていない感じ。やがて、しっとりとした歌心を感じさせ盛り上がりも”上手い”演奏に至るけれど、鮮度を感じないのは聴き手が不遜だからでしょう。
「春の祭典」はドゥダメルの十八番(おはこ)自信と熱気溢れてオーケストラも優秀、これも日常な”上手い”名曲。ブーレーズ(いずれの録音も)緻密知的な演奏の衝撃、アンセルメのへろへろ、冷や冷やな危うさ、いずれでもない当たり前な演奏に感じました。演奏会は演奏会として完結すべきものかも。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
さて、あっという間の週末金曜。月末に休日出勤の行事対応があるので、ニ週連続で金曜昼から代休としました。
昨日は若き上司と積年の大きな課題(矛盾)と、来期以降のヴェテランの使い方(=ワシ)と若く優秀な相棒のメジャー・チームへの異動をお願いしました(将来の出世のため)。我が職場は世代の切れ目なく次々と人材が育成され、お慈悲で継続雇用人材なんて本来必要のないもの(実際そのような人も有)幸い、自分は当たり前に戦力にカウントされ、職場全体に関わる某案件は自分にここ数年任され、司令塔風に。メインのお仕事含め同じ人が長く続けること、作業工程的に誰のチェックも入らぬのは(悪意がなくても)腐敗とまでは云わぬにせよ、よろしからぬ状況を生み出すのは当たり前。現状4年同じ仕事を続けたし、替えていただいてけっこう(なんでもやりまっせ)超・合理化残業なしでクリアできるシステム手順も、いったんバラしても構わないと上申しておきました。来期2017年度以降はお金じゃないよ、愉しみ+遣り甲斐でお仕事させていただきましょう・・・って、自分のサラリーマン人生って常にそうだったような?出世のために自分を殺す!なんて考えたことは一度もなかったような気もしますよ。
全国で話題の地方議員の政務調査費、今朝の朝日新聞によると岐阜県、名古屋市とも領収書なしで通るらしい。これじゃあきまへんで、税金ですから。昨夜は睡眠不如意+挙句左ふくらはぎ痙攣でまともに眠れず。
Milhaud エクスの謝肉祭 作品83b/バラード 作品61/5つの練習曲 作品63/ピアノ協奏曲第1番 作品127/田園幻想曲 作品188〜ミヒャエル・コルスティック(p)/アラン・フランシス/ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル(2005ー2006年)・・・お仏蘭西の小粋な、破天荒に綺羅びやかな作品を独逸のピアニスト、オーケストラが演っております。アラン・フランシス(Alun Francis, 1943-)はウェールズ出身でしたっけ、いずれかなりかっちりとした曖昧さのない仕上げ、作品の全貌をあますところなく、しっかり聴かせてくださいました。バラードとか田園幻想曲は静謐、気紛れで素敵な作品やなぁ、「エクスの謝肉祭」は以前ミシェル・ベロフ(p)/ジョルジュ・プレートルで聴いていて、こちら少々表情が硬いというか真面目な感じ。音質極上。
Brahms クラリネット五重奏曲ロ短調 作品115〜カール・ライスター(cl)/ブランディス四重奏団(1996年)・・・ライスターにはこの作品録音7種あるんだそう。幾度聴いても泣けまんなぁ、この鬱蒼と寂しげな作品旋律。ライスターのクラリネットは素直な音色、高音から低音までスムースな完璧コントロール、微に入り細を穿つ入念なニュアンス・・・文句ありません。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
先週外出が多く、月曜祝日、少しずつお仕事はずれ込んで、未だ少々残務有。いずれたいした物量に非ず、屁みたいなもの。昨夜は定例水曜夜のスポーツクラブ、しっかりエアロバイク(強設定)45分+初級エアロビクス45分、キツかったなぁ、んもうヘロヘロ。更に金曜夜、ちょっぴり汗を流しにいくつもり、これで体調を整えましょう。ご夫婦で参加されている方、もう1ヶ月継続していて、控え目に後方に配置、エエ感じです。東京では停電でタイヘンだったらしいですね。事故だったらしいけど、テロリストにヒントを与えたかも。ライフライン問題は都市機能を一気に麻痺させていまうから怖い。
退職者説明会も終わり、時期的にも上司と具体的な来期のお願いをすべき頃となりました。本日午前中打ち合わせ、ここ数ヶ月暖めていた腹案を相談いたしましょう。もちろん自分の身の振り方も。
Memories From My Childhood: PerlmanよりViotti ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調〜イツァーク・パールマン(v)/ローレンス・フォスター/ジュリアード管弦楽団(1998年)・・・写真を見て、てっきりこどもの頃の録音かと思ったら、ヴァイオリンを習うこども向けの作品集でした。昨夜は時間もなくて一曲のみ拝聴。第2楽章「Adagio」の典雅な歌は懐かしいNHK-FMの音楽番組のテーマでした。LP時代はラウテンバッヒャー(コロムビア・ダイヤモンド1000シリーズ)CD時代はアッカルドの若い録音を愛聴(駅売海賊盤は珍しく棚中現役)。若いころの刷り込み影響は甚大、終楽章「Agitato Assai」の目まぐるしい、快活な音形に痺れましたよ。パールマンは久々だけど、端正ていねいに演奏しておりました。
では、行ってきます。毎日涼しいですね。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
空気はすっかり秋。しかし、この辺りには素敵な紅葉など見当たらなくて、京都が恋しいところです。夕食に熱いうどんなど喰ったら汗をかいて、薄い布団と併せ、風邪が心配、本日夜定例スポーツクラブでしっかり汗を流しておきましょう。昨日久々の出勤は、ミーティングがあったり、外出して取引先の会議(儀礼)出席したり、やはり残務はクリアできず。ま、今週もヒマなのでゆっくりクリアいたしましょう。今朝の朝日新聞トップ、地方議会事務局が「政務費閲覧請求きてますよ」と議員に伝えて修正を促したり、請求者の名前団体を教えたり(これを圧力と呼ぶ)〜なに考えてんだか?悪しき慣習は狭い世界で長年生きていると、それが当たり前になっちまう(身近にいくらでも見当たりますよ)・・・怖いものです。自民党の白紙請求書は安倍ちゃん「違法ではないが、止めさせる」とのこと。常識の世界でしょ。
Copland 「アパラチアの春」(1961年)/「ロデオ」(1960年)/「ビリー・ザ・キッド」(1959年)/「市民のためのファンファーレ」(1966年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック・・・Coplandはどれを聴いても市民の健全な暮らし、細やかな家族の幸せを連想させるような、素敵な作品ばかり。とくに「アパラチアの春」の安寧は泣けるほど美しい。代表作ばかり集めて、エネルギッシュな壮年のバーンスタインが溌剌と演奏しております。ややオーケストラが粗い感じだけど、亜米利加音楽を緻密精緻、独逸伝統風分厚い響きに演っても仕方がないでしょ。明るい希望に充ちた作品であり、演奏であります。音質もずいぶんと良好。
Gershwin ラプソディ・イン・ブルー〜アンドレ・ワッツ(1976年)・・・「by George!」という(素敵な)アルバムはSONY12枚組で復活しております。これはピアノ・ソロ版。意外とおとなしいというか落ち着いて、フツウというか、溌剌ノリノリ+超絶技巧!に非ず、予想違い。ネットから入手した違法音源の音質問題もあるのか、仕切り直しましょう。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
季節は完全な秋、出勤には上着が必要でしょう。久々に完全無為無策、引き隠りな3連休は読書三昧(正確には初日半分は東京より戻り)買い物らしい買い物もなし(至近なコンビニにパンを・・・くらい)冷蔵庫冷凍食品の在庫もかなり減りました。ほんまは昨日月曜スポーツクラブで汗を流す予定だったのに残念祝日、10月からの契約で平日夜のみの会員になっておりました。体調はどんより重い感じ。金曜の夕方迄メールは確認しているけど、職場には5日ほど出ていなくていろいろ溜まっているやろなぁ。本日お仕事復活は優先順位を付けて、全部はクリアできぬ予定、というかムリしません。
Vaughan Williams トマス・タリスの主題による幻想曲(1975年)/ロンドン交響曲(第2番)(1971年)〜エイドリアン・ボウルト/ロンドン・フィル・・・鬱陶しいというか、激昂しない(美しい)旋律リズムを時々聴きたくなる・・・「タリス」幻想曲は著名な「グリーンスリーヴズ」をそのまま長く延長したような魅力溢れる作品、「ロンドン交響曲」は両端楽章に遠くからビッグ・ベンの鐘の音が響いて、これまたしっとり落ち着いた風情の作品です。英国作品は新旧種々音源を集めて、やはりエイドリアン・ボウルトが一番落ち着いて、安心して聴ける貫禄演奏かと。音質もかつての記憶と異なって、充分手応えのあるもの。オーディオ環境のせいかも。
Chopin ピアノ協奏曲第1番ホ短調/第2番ヘ短調〜エリザベス・ソンバート(p)/ピエール・ヴァレット/ロイヤル・フィル((c)2015)・・・これは新しい録音みたいですね。Elizabeth Sombart(1958年ー仏蘭西)はブロンドのヴェテランらしい。技術的に不足はなし、どこと云って瑕疵のない演奏を昨夜来拝聴して、悪くないんやけどなぁ、といったところか。燃えるような情熱演奏に非ず(その表現方向が好みでもない)しっとりとバランスよろしく、デリケートなニュアンスにも欠けない。しかし、より水際立った個性を求めたいところ。両作品とも終楽章は民族的なリズム、ここをよりいっそうヴィヴィッドに躍動させて欲しい・・・
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
今朝は15度Cで寒いほど。せっかくの三連休も前日に東京で遊んだ疲れ、昨日は朝から鬱蒼と雨模様、ご当地の警固祭りとやら、あちこち火縄銃発砲しつつ街を巡るといった趣向も音を聴いたのみ。撃ち手の一人が左手を怪我したらしい。新潟知事選はエエ勝負、福岡東京の衆院補選も話題だけれど、亜米利加はトランプさん自滅の流れらしい。世界一の大国を率いるには少々品が足りない人かも。(ここまで音楽拝聴しつつ数行執筆、ノートパソコンACER Aspire AS5750が突然落ちてしまいました。動きそのものは軽快)
静かに読書などして過ごしたけど、和田はつ子「料理人季蔵捕物控」(ハルキ文庫)順不同に読み進めてちょっと失敗、「ゆず女房」の河豚毒事件を堪能しつつ、次に「料理侍」に進んだのが失敗、武藤多聞の正体が先に明らかとなって、まだ様子の見えぬ彼の登場が後になってしまいました。残り在庫「大江戸料理競べ」「涼み菓子」のみとなったので、買いに行きましょう。ダブらぬようメモをしておかなくっちゃ。他、硬派な新書も幾冊か読了。
ネットで調べ物をしていて、同じような経験に感心したもの。Marc-Aantoine Charpentier (マルカントワーヌ・シャルパンティエ/1643-1704)「聖女チェチーリアの殉教」「放蕩息子」「マニフィカトH.73」〜ウィリアム・クリスティー/レザール・フロリサン(1979年)・・・マニフィカトH.73というのが名曲なんです。若い頃FMエアチェックして日々痺れて聴いていた8:43、ゆったりとした三拍子のリズム、シンプルな旋律の繰り返し、フラウト・トラヴェルソ、フルート・アベック(縦笛)、ヴィオール、バス・ヴィオール、テオルボ、クラヴサンのバックにして、ドミニク・ヴィス(ct)、ミシェル・ラプレニー(t)、フィリップ・カンター(b)三人の声が絡んでその表情は妖しくも揺れて、豊かなこと!この作品、こんな名曲なのに他の録音を探せません。(H.72はエルヴェ・ニケのがNAXOSより出ている)CDをみつけたのは2003年夏、記憶を頼りに1,000円中古偶然入手、ビンゴ!(死語)でした。Les Arts Florissants(花咲ける芸術)って、なんて美しい言葉なんでしょう。
Bach (復活祭)カンタータ第6番「われらと共に留まりたまえ」/第66番「喜べ、汝ら心たちよ」〜ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ/ベルナルダ・フィンク(a)/スティーヴ・ダブスリム(t)/ジュリアン・クラークソン(b)以上第6番/マイケル・チャンス(ct)/マーク・パドモア(t)/ディードリヒ・ヘンシェル(b)以上第66番(1999年)・・・DGとの録音が途中没ったもの。Bachのカンタータの全集じゃ商売にならんと判断したものか。ホグウッドのHaydn交響曲全集とか、ハイティンク/ベルリン・フィルのMahler全集、同じくDGによるトン・コープマンによるBachオルガン作品全集、みな途中頓挫しております。立派なのはガーディナーは別途自力でライヴ全集を敢行したことでしょう。オルガンと同じような結末にて恐縮、ワタシ如き不信心なものがキリスト教の行事、独逸の節季と結びついた経緯など知識皆無、美しい旋律と心洗われるような声楽、洗練された古楽器を堪能したのみ。先月聴いたアーノンクールに比べると時代の差か、ずいぶんとスリムにスムースな世界が広がっておりました。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
一昨日夜、わざわざ栃木群馬辺りから二時間も掛けて渋谷迄呑みにきた諸先輩に感謝(もちろん多く支払ってくださって)出来の悪い”永遠の後輩”(=ワシ)のことを嬉しそうにボロカスに云っておりました。本人らは40年前に戻って、周りから冷静に見れば喧しいハゲ親父の集まりなんやろなぁ。退職者説明会にはほとんど知った顔ばかり、18歳からの朋友も一緒に参加、さっさと終えて呑み会の時間迄お茶しておりました。各駅停車往復こだまは時間たっぷり、のんびり読書などしておりました。
山本一力「菜種晴れ」(中公文庫)・・・今年3月に入手し、最初の方、幕末の江戸時代房州勝山よりわずか5歳、親戚筋に跡継ぎとしてもらわれていく場面が、あまりにかわいそう!読み進められなくなっていたもの。ゆったり東京まで各駅停車のこだま中でしっかり読了いたしました。例によって微に入り細を穿つ人物描写、菜の花の栽培、船便、油商売、天ぷらの絶妙な揚げ方、主人公やら育ての両親、お師匠様である太郎の粋な人柄・・・眼前に浮かびます。しかしねぇ、あまりに艱難辛苦連続、天変地異は非情、せっかくの愉しい場面も長くは続かない、つぎつぎと悲劇が二三(ふみ)を襲って、それでも健気に、まっすぐ前を向いて生きていく・・・素晴らしい時代小説なんだけど、二三ちゃんをもっと幸せにしてやってくれよ。
和田はつ子「料理人季蔵捕物控」(ハルキ文庫)「冬うどん」「おとぎ菓子」「お宝食積」「春恋魚」「祝い飯」・・・ここしばらく読み進めていたもの。前月「雛の寿司」「悲桜餅」「旅うなぎ」を順繰りに読んで、あとはBOOK・OFFにて@108ごっそり入手、順不同に読み進めているもの。山本一力さんのように「微に入り細を穿つ」・・・とは言えぬけれど、武士崩れの料理人・季蔵 と塩梅屋の一人娘・おき玖との微妙な関係、じょじょに周辺人物にも馴染み、個性が浮かび上がって、凝った料理、旬の風情に似合っていかにも美味しそう。ただし、筋立ての展開、結末がちょいと安易かも・・・でも気軽に愉しめますよ。すいすい読めます。ものによっては一冊で一編の長編(中編)になっているものもあります。安里英晴さんのイラストも味わい深い和風なタッチ。
R.Strauss 交響詩「英雄の生涯」〜ズービン・メータ/ロサンゼルス・フィル(1967年)・・・一年前聴いた国内盤(POCL-9436)の曇った音質に驚いたのは、たまたま持っていたCDが不良だったのか(処分済)。ようやくちゃんとした?データを入手、往年の英DECCAの音質を堪能いたしました。31歳、逡巡のない若い勢いは爽快。「オーケストラの技量、細部のツメの甘さ、間とかタメが足りない〜」なんて、かつての悪印象は一掃され、オーケストラも朗々と鳴りきって未来の巨匠は前向きな希望に溢れておりました。
R.Strauss メタモルフォーゼン〜クラウス・テンシュテット/ニューヨーク・フィル(1983年ライヴ)・・・これはネットから入手した怪しげ放送録音?刷り込みはオットー・クレンペラー(1961年)、こちら前のめりのアツい風情に充ちて、別な作品を聴くかのよう。諦念や諦観に非ず、思いっきり煩悩と苦渋が表出されて、聴き手の胸を焦がしました。音質は意外と良好。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
台風は過ぎ去って、天気は上々、朝晩はすっかり秋風情でも昼間は30度Cに届く季節の変わり目です。愛知県に転居して3年半ほど、今年は春に刈谷、夏に安城と順調に東進、昨日は午前中岡崎(美しい街ですね)昼から豊橋迄、最東端に到達、同じ話を計4回繰り返して、微妙に言い回しや省略、ネタを付け加えて乗り切りました。帰りは名古屋に車で送ってもらって途中大渋滞!帰宅は少々遅れました。これにて依頼された案件、お役御免。本日はこれより朝一番より東京本丸へ、退職者説明会となります。往復こだま+宿泊料込みで節約、夜は学生時代の同輩先輩と酒。途中、業務用パソコン持参して最低限のお仕事クリアの予定。
Bach 幻想曲ハ長調BWV.570/コラール・パルティータ 「ようこそ、慈悲あつきイエスよ」 BWV.768/レグレンツィの主題によるフーガ ハ短調BWV.574/コラール・パルティータ 「われらキリスト者 」 BWV.710/トリオ・ソナタ第4番 ホ短調BWV.528/コラール「おお、罪なき神の子羊」/「キリストは死の絆につかせたまえり」BWV.718/「小さな和声の迷宮 」BWV 591/コラール「いと高きにいます神にのみ栄光あれ」 BWV. 711/トッカータ、アダージョとフーガ BWV.564〜ヴェルナー・ヤコブ(or)・・・これって先日のベルナール・フォクルールとまったく同じ。ド・シロウトにはどれも聴いても同じ(ように素晴らしい感銘がある)。神々しい残響に身を委ね、静かに感銘を噛み締めておりました。幾種も音源を集める意味ねぇな、きっと。
では、行ってきます。帰宅は明日の昼頃か。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日は2日分のデータ処理をこなして、それでも余裕、まだまだいけまっせ。歴代のご担当はいったいなにをやっていたの?ちょっと訝るくらい、実務作業の合理化を進めております。情勢状況は悪化し、実務処理をお願いしていたヴェテラン・パートさんはとうに引退しました(補充なし)。もちろん熟練や慣れもあるけど、不断の工夫改善でしょう(時代はネット、コンピュター活用でっせ)。お仕事の守備範囲はむしろ広がって、願わくば職場全体に佳き影響を与える存在になりたいもの。台風18号は国内外に深刻な影響を与えて太平洋側に過ぎ去り、こちらなんということもない、というか、昨夜もほとんど雨は降っておりません。次の台風がもう南方に発生しているらしい。
昨夜は定例のスポーツクラブ、体調がよろしくなくて疲労感半端に非ず、左膝に微妙に違和感があって、幾度入念にストレッチして初級エアロビクスに臨みました。今月の新しい動きはジミだけど、心肺負荷はけっこうなものでした。男性参加は自分含め2名、そりゃ女性のほうが元気で長生きしますって。これより愛知県東部、岡崎へ初訪問。一昨日の講演行脚の続き。
Bartok ピアノ協奏曲第1番/第2番/第3番〜ジャン=エフラム・バヴゼ/ジェナンドレア・ノセダ/BBCフィル(2009/10年)・・・Jean-Effam Bavouzet(1962-)は現在もっとも旬なピアニストのひとり。20世紀の名作協奏曲はゲーザ・アンダになるのかな?一般的には。でも半世紀以上前、いくら演奏音質とも立派でも現役世代をちゃんと聴かなくっちゃ・・・と、ここまで書いて【♪ KechiKechi Classics ♪】 にコメントを発見!(2014年7月)曰く「”優雅な旋律”を感じさせる、美しい、洗練された演奏」ピアノは打楽器としてではなく「旋律を奏でるソロとして際立って」いると。技術的洗練は当たり前、音質も極めてクリア、BBCフィルのサウンドも同様。晦渋難解粗野な作品イメージ一掃、21世紀に美しく響き渡りました。
では、行ってきます。初訪問の街に会場まで迷わぬか、心配です。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
予定通り昨日は早出、急ぎの用事+データ事前処理こなして市内の取引先行事へ、午前の部午後の部対応。数百人の前で講演(みたいなもの)は名古屋方面異動後初めて、数年前までは大小取り混ぜて幾度対応していたものでした。幸い腕(話芸)は落ちていなくて、居眠りなどさせず大受け。同じ話しを二本(明後日更に二本)なんだけど、午前中の反省やら聴衆のウケ(眼の色やら動作)を測りながら微妙に修正、ネタも一部変えました。なんせ若い頃から幾十年、やってましたから。できればまったりとした落語名人の間に学びたい・・・けど、まずまずの成果でしょう。お恥ずかしいけれど、今回初めてパワーポイントで資料作成(会場に装置はなくて印刷)、難しい効果は使えないけどカンタンなもんですね。
いつもは事務所に引き隠り状態なので、ケータイはよう鳴りましたよ。名古屋市役所県庁の側、産業なんとかという巨大なビル二つ、空き家になって7年?は不気味、歴史あるエリアみたいですね。フィリピンかインドネシア?辺りの若い外人さんが自転車に乗っているのを多く見掛けました。お昼をご馳走になって文句云うたら罰当たるけど、あまり美味しなかったなぁ。台風18号接近中、またまた九州は大荒れらしい。こちらは昼から雨とのこと。本日は昨日溜めた定例データ処理一気に処理しなくっちゃ。
週末に入手した巨大音源データ合計8gbほど?ようやくネット・ストレージからダウンロード出来。ノートパソコンACER Aspire AS5750、女房殿が使っているeMachines E732ZもようやくWiondows10のアップデート完了、見た目は起動画面(ワタシのはスティーヴ・ジョブズ)そのままログイン窓が出現します(以前はWindows10の共通青い窓デザイン)。内部的にはいろいろあるんやろなぁ、セキュリティとか。起動時間42秒は変わらず、但し、妙にいろいろ挙動不審(とくにネット接続が遅い感じ)来月で入手まる5年、いよいよ寿命接近中か・・・ちょいと不安です。
Vaughan Williams グリーンスリーヴスの主題による幻想曲/舞い上がるひばり*/イギリス民謡組曲/Warlock 弦楽のためのセレナード/キャプリオル組曲/Butterworth シュロップシャーの若者/2つのイギリス田園詩曲/青柳の堤〜ネヴィル・マリナー/ジ・アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ/アイオナ・ブラウン(v)*(1967ー1980年)・・・追悼(Neville Marriner、1924年-2016年10月2日)。たしかロンドン交響楽団の第2ヴァイオリン奏者、ピエール・モントゥーに指揮を学んだはず。この室内オーケストラは1959年創立らしいから半世紀以上のお付き合い。若い頃FMから流れたTchaikovsky 弦楽セレナーデ、フィレンツェの思い出(英ARGO/1968年)の記憶も鮮明です。一番の衝撃はBachのブランデンブルク協奏曲(サーストン・ダート版/1971年)かなぁ、やがて著名なソロを集めた再録音、EMIへの再々録音、どんどんつまらなくなりました。彼の膨大な録音はほんの一部しか聴いていないけど、新しくなればなるほどオモロない・・・EMI録音はとくにそんな感じ。Mozartの交響曲はPHILIPSのほうがずっとよろしい。どれもヴィヴィッドな躍動とバランス感覚に溢れます。
この英国名曲集録音とも長いお付き合い、ボウルトとかバルビローリ、ビーチャム、往年の英国巨匠の刷り込み影響が大きくて、こちら小編成に親密、さりげない響きと素直な表現が床しい演奏であります。RVW辺りはかなり有名でも、他日本ではとんと人気は出ない(演奏機会も少ない)ジミな作風、この辺りの嗜好を決めた一枚なのでしょう。「舞い上がるひばり」(「揚げひばり」は季語らしいけど、あまり佳き訳とは思えない)のヴァイオリン・ソロはいかにも内省的、Butterworth(1885-1916)の旋律は痺れるほど静謐に美しい・・・
Pierne 大聖堂ー前奏曲/Rabaud ロシア民謡によるディヴェルティメント 作品2/行列・夜想曲/歌劇「カイロの靴直しマルーフ」舞曲/エクローグ(牧歌)作品7〜ピエール・デルヴォー/ロワール・フィル(1975/79年)・・・・・・このCD3枚組も入手幾十年。稀に聴いて未だ作品旋律が身についておりません。Pierre Dervaux(1917-1992)は往年の仏蘭西の名匠、いくつか聴いた彼の録音はどれも粋な雰囲気に溢れたもの。アンリ・ラボー(Henri Rabaud, 1873-1949)、ガブリエル・ピエルネ(Henri Constant Gabriel Pierne, 1863-1937)いずれも日本での人気はさっぱり、音質アンサンブルとも大騒ぎするほどのものじゃないけど、ツボを押さえて、なんとなくいつもと違う雰囲気旋律を楽しんだ程度でした。
では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
台風迫っております。今日一日天気は保つらしい。今朝はいつもより更に30分早く出て、最低限のデータ処理をして若き相棒に引き継がないとお仕事になりません。そのまま名古屋中心部に終日出掛けます。昨夜は午後7時からのナイト会員、スポーツクラブでエアロ・バイク40分(「強」設定)ちゃんとビール中ジョッキ一杯分(相当)汗に流しました。+「バトルミックス45」(外から)見学、いつも水曜夜に一緒になる(自分よりかなり)お姉さんが参加していて、もしかして毎日夜、元気に通っているのかも。すごいですね。二週間後にはトライしてみましょう。格闘技みたいなアクションでした。
夜8時からちゃんと音楽を聴くべき時間を確保したけれど、土日に確保した音源、ネットストレージからのダウンロードが上手くいかず、精神的に集中できません。Bach ピアノ協奏曲第1番二短調BWV1052〜ミシェル・ダルベルト(p)/ジャン=ピエール・ヴァレーズ/アンサンブル・オルケストラル・ド・パリ(1980年台?)・・・なんかフツウやな、先日のグールドみたいなクールな感興を感じ取れません。
ネヴィル・マリナー追悼、昔馴染みの「グリーンスリーヴズ」(1972年)を聴いたら、なんや音質がぱっとしない・・・別途、音源選定しなおしましょう。他、J.C.Bach シンフォニアニ長調 作品6-1/第2番ニ長調 作品6-2〜デイヴォッド・ジンマン/オランダ室内管弦楽団(1976年)の軽快溌剌な音楽など、ちょっぴり。では、行ってきます。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
持病の鼻炎?悪化して夜眠れず、体調よろしくなく終日ぼんやり、夕方女房殿と散歩がてら大型温泉風施設へ。昨日は気温は高く、あいかわらず湿度も高いので帰り道中汗だく、混んでましたよ。高いのにね、一回700円でしたっけ。若い人、小さいこどもが多いのがこの辺りの特徴です。ヲタク趣味であるDVDに保存した音源の点検を始めたのが運の尽き、一枚不良を発見、もう一枚はラベル(内容明細)と実際が異なるものを発見、その音源を再度ネットで検索(可能なものは)ダウンロードしたり、救出できる圧縮ファイルを抜き出したり・・・女房殿マシンeMachines E732Z(Windows10/64bit/メモリ4gb)のアップデートはうまくいかず、ようやく更新プログラムを(一晩掛けて)ダウンロードしたところ、未だ実行できておりません。
不健康やな!土曜昼のエアロビクスは利用できなくなって、体調維持が難しいもの。金曜夜の工夫をいたしましょう。当面、本日月曜夜のマシンでもやって汗を流しましょうか。今週は名古屋市内2箇所、愛知県下2箇所、2日分計4箇所お勉強会というか講演対応、金曜は東京本丸にて「退職者説明会」があって、そのまま学生時代の諸先輩+同輩と呑み会です。
ネヴィル・マリナー逝去、92歳。親父世代だったんやなぁ、帰宅してから追悼音源を選定いたしましょう。
Bach チェンバロ協奏曲(フルート、ヴァイオリンのための三重協奏曲)イ短調 BWV1044/第2番ホ長調BWV 1053 /第3番ニ長調BWV 1054/第4番イ長調BWV1055〜グスタフ・レオンハルト(cem)/レオンハルト・コンソート/フランス・ブリュッヘン(ft)/マリー・レオンハルト(v)(1967年)・・・1967年!半世紀前でっせ。3枚分の録音は一部LP時代に聴いておりました。チェンバロも古楽器オーケストラも朗々と、がっちり鳴り響いて、名手ブリュッヘン(当時33歳の若手)も清楚控え目な響きに非ず、華やかなヴィヴラートも色気ありますよ。マリーは奥様とのこと。往年の巨匠(1912-2012)には申し訳ないけど、レオンハルトはどーも堅苦しいというか、生真面目、バロックの愉悦に欠けるような印象が拭えません。(著名な「ゴールドベルク変奏曲」然り)ここでも緊密な緊張感、集中力あるアンサンブルに敬意を評しつつ、ちょいと立派過ぎ、大仰なんじゃないの?そんな感じ。ホ長調協奏曲BWV1053にはゆったりと牧歌的な余裕を感じましたよ。音質はやや肌理は粗いけど、現役でしょう。
では、行ってきます。一週間乗り切りましょう。
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大型台風接近しているとのこと、突然激しい雨が降ったり、天候は不安定です。週末東京は大丈夫でしょうか。
眠れぬ深夜に音量低く聴いた音楽の件、追加。Wagner 楽劇「神々の黄昏」(第1幕のみ)〜ルドルフ・ケンペ/コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラハウス/ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ)/ヴォルフガング・ウィントガッセン(ジークフリート)他(1957年ライヴ)・・・なんせ「リング」は大物、いくつか歴史的音源も含め入手済。このケンペ盤は音質問題がネックとの噂、ご遠慮しておりました。(パブリック・ドメインだし)二ルソンとかヴィットガッセン辺り、この時期出ずっぱりやったんやな。既にショルティの凄い録音が始まっていた頃、それと比べるとたしかに少々苦しい音質、でもね。若い頃、劣悪音質なフルトヴェングラー(それもさらに怪しい激安盤)を聴いていたことを思えばさしたることもなし。歌い手たちの若々しい声、燃えるようなテンション、アッチェランドは一聴の価値有。でもド・シロウト(=ワシ)は圧巻の音響の渦で音楽を愉しみたい・・・
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
昨日土曜はいつもどおり(定時より一時間早く)出勤、午前中狙いの宿題をこなし、トラブルというか電話そのものがまったく来なくて静謐な留守番はぼんやり。昼からもう一人に頼んで辞去いたしました。昼からぼんやり二時間ドラマ(再放送)を眺めて居眠り、目覚めると別なドラマになっておりました。夕方お仕事から戻った女房殿に誘われて、最寄りの駅迄散歩がてら久々、富山料理の店へ。いつもはお客でいっぱいなのに珍しく空いていたな、こんな日もあるのか。鮮度の良い魚を贅沢に堪能しました。昨日より、土曜昼のスポーツクラブは(契約上)休止、平日夜のみだから月曜夜に通いましょう。体調はあまりよろしくありません。
今朝、ノートパソコンACER Aspire AS5750(Windows10/メモリ6gb)に電源を入れたら延々とアップデート?小一時間くらい。あわてて女房殿が使っているeMachines E732Z(Windows10/64bit/メモリ4gb)のアップデートを確認しました。放置しておけば、いざ使うときに爆発しますから。
Bach ピアノ協奏曲第1番二短調BWV1052(アーネスト・マクミラン/トロント交響楽団1955年)/Brahms ピアノ五重奏曲ヘ短調 作品34(モントリオール弦楽四重奏団1957年)〜グレン・グールド(p)・・・記憶では5年以上前?ネットより音源入手して自主CDにしたもの。前者はちゃんとしたステレオ録音(1957年バーンスタイン)もあるのにわざわざ怪しげぱっとせん音質で聴かんでも、と云ったところか。Bachも我らがヴォルグガングと並んで無条件幸福な作品揃い、その中でもちょいと、やや苦手系大柄な作品(浪漫派の作曲家に称揚されたらしい)音質云々は即忘れて、淡々とした明晰、デリケートなタッチに心奪われました。BrahmsはCBCの放送用音源か、第1楽章「Allegro non troppo」はロシアの民謡「走れトロイカ」に似た憂愁な旋律にて開始、全4楽章40分に迫る大曲であります。グールドは意外とBrahmsを得意として、重量感や浪漫の濃さを強調しないノリがリズミカル、朝から一気呵成にCD(R)一枚分しっかり堪能いたしました。
2016年10月某日/●サラリーマン生活土俵際な日々
今年は厳しい夏だったけれど、先月今月と台風大雨天変地異連続、すっかり秋風情となりました。今朝も涼しさを通り越して薄ら寒いどんより曇空。これより珍しく土曜出勤となります。世間は都政の話題(含む五輪施設)一色、あとは成果の出ない垂れ流し日銀政策でしょうか(ツケが怖い)。経済というのは先行き希望とか気分的要素も大きいけれど、なんといっても可処分所得が減る(給与が上がらない+負担増)というのが根本でしょう。団塊の世代が介護対象となる2025年問題に向け、福祉切り捨て方向一辺倒というのはあまりに策がないんじゃないの?若い世代にも心理的不安を煽ることでしょう。自分は既に引退気分、これじゃいかんですよ。
稼働二日目の象印 食器洗い乾燥機 BW-GB60(2008年製中古)3,510円也(送料込/激安)順調です。女房殿は価格を知って驚いておりました。
Bach 前奏曲とフーガ 変ホ長調 「聖アン」 BWV 552/永遠の父なる神よ BWV 669/すべての世の慰めなるキリストよ BWV 670/聖霊なる神よ BWV 671/永遠の父なる神よ BWV 672/すべての世の慰めなるキリストよ BWV 673/聖霊なる神よ BWV 674/いと高きところにいます神にのみ栄光あれ BWV 675/いと高きところにいます神にのみ栄光あれ BWV 676/「いと高きところにいます神にのみ栄光あれ」によるフゲッタ BWV 677 /これぞ聖なる十戒 BWV 678/われらみな唯一なる神を信ず BWV 680/天にいますわれらの父よ BWV 682/「これぞ聖なる十戒」によるフゲッタ BWV 679/「われらみな唯一なる神を信ず」によるフゲッタ BWV 681/天にいますわれらの父よ BWV 683/われらの主キリスト、ヨルダン川に来り BWV 684 /深き苦しみの淵より、われ汝に呼ばわる BWV 686/われらの救い主なるイエス・キリスト BWV 688〜ベルナール・フォクルール(or)(1982-97年)・・・ Bernard Foccroulle (1953-)による全集より。冒頭の「聖アン」はStravinskyも編曲してよう知った旋律だし、他、どれも聴いても勇壮、ふつふつと宗教的畏敬の念湧き出て名曲!感銘深い世界であります。この全集はCD16枚分、座右に置いて相応しい価値に間違いないけど、LP時代ヴァルター・クラフト全集以来、CD時代に至っても”ちゃんと全部聴いた!”といった手応えがありません。つまり、どれも聴いても同じ(ように素晴らしい感銘がある)ということ。教会の豊かな残響に充ちて、響きは淡彩、旋律和声は多彩、偶然かも知れないけどBachのオルガンを聴いて失望した記憶一切なし、これもその例外ではありませんでした。
CDではヘルムート・ヴァルヒャの旧全集10枚組のみ棚中に常備(これで充分じゃないか)+別格で「フーガの技法」(1956年)は幾度聴いて、知的感興を呼び起こされるものです。