MAHLER 交響曲第7番ホ短調
(ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団 1969年)
MAHLER
交響曲第7番ホ短調
ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団
PHILIPS 442 050-2 1969年録音 10枚組3,050円(中古)にて購入したウチの一枚
個人的感傷になるが、まだ外資系の大型ショップ登場以前の1970年代、(売れていたのか、評価はどうだったのかはともかく)LPで「ハイティンク指揮全集物」をしばしば見掛けたものです。CD10枚組と、LP10枚組とではその迫力、圧倒的存在感、重量感の桁が(もちろん価格も)違いました。オーディオ装置も音楽媒体も、時代はコンパクト化に進む(行き着く先はデータ・ダウンロードか)が、音楽の価値とは無関係とはいえ、この価格には一種感慨がありました。
中古とはいえ、正規PHILIPS全集がこの価格(たしか、一割引だったような記憶も有。1980年代CD一枚分の価格)。その後、ライヴ(クリスマス・マチネ)選集が出たり、ベルリン・フィルとの新録音が出たり、評価的には芳しくないのかも知れません。しかし、ワタシにはこの第7番に少々思い入れがある。故・柴田南雄先生の「グスタフ・マーラー」(岩波新書)〜これほどの名著は滅多にない〜もともと、FM放送原稿を本にまとめた(逆かな?)もので、ワタシは当時(1980年代)せっせとタイマーを駆使しつつエア・チェック(カセットの絵柄まで記憶している)したものです。
ハイティンク全集中、第7番を聴いていると記憶が蘇ってきました。そう、柴田先生はFM放送で第7番の第2/3/4楽章を取り上げ、それはこのハイティンク/コンセルトヘボウ管の演奏であった(但し、1982年の再録音だと思うが)、と。おそらくその時点では、マズア/ゲヴァントハウスのCDを所有しており、この作品には歯が立たなかったはず。で、柴田先生の解説共々、この作品に目覚めました。爾来、ワタシのお気に入り作品に。すっかり失念していたが、個人的MAHLER受容原点みたいな音源(旧録音だが)なんです。(日本では不人気作品でして、1937年プリングスハイム本邦初演以来、再演はナント1974年渡辺暁雄/東京都響であった!とは)
ワタシはロスバウト/ベルリン放響(旧西 1952年)をこの作品の「勝手に個人的標準」にしておりました。曰く「深い溜息のような美しい音楽」「夜の濃密な闇を感じさせる」と。ま、妖しい演奏ということです。それに比して、ハイティンク盤のなんと素直で、清潔、まっとうで、そして美しい演奏であることか。おとなしい。穏健派。(でも、マズア盤とは個性の方向が異なります)少々地味ながら、自然体の録音状態も好ましい。
第1楽章。冒頭テノール・ホルンの安易で気怠い響きが、一種熱病のような妖しい雰囲気を醸し出す・・・はずだが、ハイティンク盤ではずいぶん真っ正直で、「妖しさ」は存在しない。この楽章、ワタシは初耳だと思います。(FMでは放送しなかったから。いやあれは再録音だったか)ハイティンクは「正統的MAHLER交響曲」としてのまとまりを付けようとしているのか。正直、面白みがない、というか、フツウに立派でていねいな仕上げの演奏か。オケの技量になんらの問題はないが。(この部分、全曲通して聴くと評価が変わります)
第2/4楽章が「セレナーデ(ナハト・ムジーク)」(これが「夜の歌」の副題へとつながる)になっていて、「窓辺で愛を歌う」ということでギター、マンドリンも入ります。(SCHOENBERGの「セレナーデ」にもギター、マンドリンは入ることを連想)第3楽章には「影のように」という発想表題が付きます。柴田先生は、この中3楽章が白眉だと明言されておりました。いつものMAHLERとは異なる、室内楽的な静かな音楽です。
第2楽章の、すっとぼけたようなホルン(良い音色だ)が始まると記憶が蘇ります。いえいえ、CD時代になって細部まで神経の行き届いた、オケの名人芸各パートがいっそう良く理解できますね。MAHLERって、大編成・大音響!というイメージがあるが、これはずいぶんと静かな世界。様々な楽器が、短いエピソードを小声で語り継ぐような味わいがあって、それはすべて溶け合って極上に美しい。
第3楽章は、速めのテンポで不安を煽る「流した」演奏。(演奏的に「適当に流した」ものではない)弦の動きは不気味な風のようであり、刻々と表情が微妙に揺れ動いて、集中力さえあればコンセルトヘボウの美しさをとことん堪能できます。第4楽章の牧歌的な旋律(陰が存在するが)の練り上げられた歌。エキセントリックな表現とは無縁(どうして爆演系ばかりもてはやされるのか?)な、シミジミ味わい深いオケの技量は、こんなところで実感できました。
終楽章は一生懸命盛り上げちゃうと、音楽のノーテンキさが露呈されます。これまでしっとりと黄昏ていた心象が台無しに。ハイティンクは相当に抑制を利かせ、淡々粛々と端正に仕上げていて、上品さを失いません。それでも、音楽はじょじょに熱気を帯び、自然体での盛り上がりに不足はない。つまり、この作品・交響曲としてのまとまりというか、トータルの味わいはちゃんと計算されているんです。
そうなると、「フツウに立派でていねいな仕上げの」第1楽章も、そういった構成の意図であったか、と納得できます。事実、全曲が終了して再聴すると、第1楽章もずいぶんと楽しめました。(2004年7月23日)