Brahms ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77
(ナタン・ミルシテイン(v)/オイゲン・ヨッフム/ウィーン・フィル)


DG GCP-1023 Brahms

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品77

ナタン・ミルシテイン(v)/オイゲン・ヨッフム/ウィーン・フィルハーモニー(1974年)

ハイドンの主題による変奏曲 作品56a

カール・ベーム/ウィーン・フィルハーモニー(1977年)

DG GCP-1023  中古250円

 2010年夏の猛暑辺りから精神的に後退して、本を全然読んでおりません。集中力が続かんのです。ここ最近、少しずつドナルド・キーン「わたしの好きなレコード」(中公文庫)を(何度目かの)再読をしていて、愁眉を開かれる思い〜曰く「どうやらこの作品に対してわたしはもはや何の反応も示さなくなっているらしい」「気をそらさずにこの曲を聴き通すためには相当の努力を必要とする」「これほど希薄な印象しか残さなくなってしまった交響曲」・・・これはBeethoven の交響曲第5番ハ短調のことなんです。キーンさんは声楽に興味の中心があるとはいえ、誠実なリスナーであることは(この書を読めば)一目瞭然。ワタシ如き不誠実ド・シロウトと同列に語れないのは前提ながら、”Beeやん苦手、Brahms ご遠慮”的感触はこのことだったのか、ちょっぴり納得いたしました。

 CDはセットものがつぎつぎ安く発売されるため、中途半端に棚中に揃っていたCDを(臨時再開した)オークションでダブり処分、ルービンシュタインの9枚組ボックスを入手したことは既に「音楽日誌」に言及いたしました。ついでと言っちゃなんだけど、このナタン・ミルシテイン盤も出品したんですよ、何種もこの作品のCD要らんだろう、と。無事入札ありました、でも落札者より連絡なし〜評価のマイナス多過ぎましたね、この人(後述;ようやく連絡が取れました!)。これも何かの縁、しっかり聴いてあげましょう、といった趣旨であります。ミルシテイン70歳、ヨッフム72歳の長老コンビによる録音。いやはや、立派なものです。

 なんと言いますか、辛口で甘美の欠片もない、端正な演奏。古稀のヴァイオリニストに流麗なるテクニックを期待できるはずもないが、ほとんど不足を感じさせない。例えば最晩年のシゲティとは意味が違うんです。(どちらが良い、悪いといった意味に非ず)細部のキレともかく、リズムがよれよれになることなく、矍鑠として背筋が伸び、細身だけれど贅肉がない、辛口演奏であります。豊満優雅ではないが、こんな渋い、しかし颯爽とダンディなスタイルもBrahms にはけっこう似合うものです。

 もともとさほどお気に入りの作品とも言えず、第1楽章「アレグロ」での筋肉質で色気のない音色に少々戸惑いつつ、やがて第2楽章「アダージョ」孤高の歌にじょじょに引き込まれます。おそらくは”ゴージャスなBrahms ”より自分の嗜好に接近している・・・いつもは”いかにも”的圧巻の迫力フィナーレに威圧感を感じるものだけれど、お見事な現役ご老人の妙技に聴き惚れました。ヨッフムの伴奏は盤石の安定度。音質はまぁまぁかな?部屋でボリュームを低くして聴いたけれど、細部やら流れが損なわれることはない。

 ”ハイ・バリ”は懐かしいカール・ベームの担当です。日本では凄い人気だったっけ、最晩年は。オークションでは彼のCDはけっこう人気でしたよ。ほとんど処分して「リング」「トリスタン」くらいしか棚中に残っていないんじゃないか?なんとなく茫洋として、緩い、薄い演奏のように聞こえる・・・とは罰当たりなコメントでした。聴き進むにつれ、こんなゆったりとした演奏(テンポのことではない)も味わいかな、と。

(2010年10月29日)


 評価の高い演奏、文句ない名曲〜今更ワタシのサイトにて云々する必要のない一枚。「Beethoven 、Brahms は苦手」と日頃公言して憚らないワタシも、ヴァイオリン協奏曲だったらココロ安らかに楽しめます。250円CDなら世評を確認することにも躊躇ないでしょう。ミルシテインは1904年生まれというから、この録音当時70歳!おお!なんとういうことか。

 LP時代からお気に入りでした。最近ではバルビローリとのBruch 、セルとの「スペイン交響曲」、ああ、同じBrahms の協奏曲でサバタ/ニューヨーク・フィルとの録音(1950年)も手許にあったな〜いずれ背筋がきちんと伸びて、やや辛口なる端正な姿勢にいつもいつも感心しておりましたね。耳あたりが良くて、安易に入り込むような、そういう聴き手の要望を拒絶するような、孤高のヴァイオリンか。カッコいい。

 技術的な不備はまったく見あたらない。但し、さすがに「少々音が痩せている」といった印象はあって、これは録音の加減かも知れません。(第二楽章の素敵な前奏部分でも同印象)演奏は凛として、老いの欠片も見あたらないと感じました。「ここはこう工夫してもっと効果的に〜」などという姑息なことはいっさい勘案せず、ひたすら音楽に虚心に奉仕する潔さ、そしていつものように”背筋がきちんと伸びている”こと。

 聴き手は襟を糺して対峙しなければ。音楽の美しさとはなにか?そんなことを再考させる演奏でしょう。同世代(録音当時72歳)のヨッフムのバックも控え目で、地味で、そしてしみじみ美しい。シゲティメニューインにも、各々の美しさがあるでしょう。それは「技術がしっかりとしている」「音色が美しい」などという範疇では捉えきれない、聴き手への問題提起なのです。


 このCD「The Great Composers」という雑誌の付録(の一斉処分、と想像される)なので、フィル・アップがやや安易です。ベームの「ハイドン変奏曲」はかなり以前から所有していたし、ああ、もっさりとして緊張感の緩い演奏か、と思っておりましたね。だいたい、この作品の魅力に目覚めたのもナマ演奏に接してから。一見シンプルだけれど、変奏のパターンが多彩で、しかも各パートが独立した見せ場を持っているので、難曲だと思います。

 久々、この「なにもしない」演奏を聴いて、すべてが氷解していくような気持ちに。ゆったりと、虚飾なく、淡々と進んでいくが、じつはオーケストラが極上。薄味の澄んだダシを、もしくは清流の水を、ゆっくり味わうような至福の時間でした。自分も年齢(とし)とったか。(2003年10月17日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi