岡山中央病院4階病室

断食ダイエット道場+切腹の儀


いつもの「音楽日誌」とは逆に、上から下へ読み進んで下さい。久々の大病、実質上初めての手術体験で、結局10日ほどネットから遠ざかっておりました。更新、12日ぶりとなります。

2004年6月18日(土)
夜遅くなって胃の痛み(数日前から自覚有)が背中に広がり、「これは尿管結石の再発!」と確信〜行きつけの岡山中央病院へ。坐薬(鎮痛剤ですな)をいただき、帰宅時にはほぼ痛みも治まって、ま、今回はこんなもんかな?と・・・

2004年6月19日(日)
なんとなくどんよりして、お腹も張ったかんじはあるが、いつもの無為無策の休日。食欲はやや落ちてました。お小水が異様に茶色いのは気になっていたけれど・・・(ここ重要なポイントなんです)

2004年6月21日(月)
通常出勤。じつはやや痛みが亢進し坐薬使用。来るべき悲劇を予感もできず、いつもの調子でバリバリ先の出張予定を入れちゃう。ホテルも新幹線の切符も。さすがに酒を飲みに行く体調にあらず、さっさと帰宅。夜、再び坐薬使用。

2004年6月22日(火)
通常出勤。しかし、朝から坐薬使用。まったく食欲なく、弁当を無理矢理詰め込むが、胃中にそのまま残っている(消化していない?)感じ。昼から地元取引先へ商談一件のみ〜商談終了後、あまりに痛みだけではなく、不快感、嘔吐感激しく、再通院を決意。岡山中央病院へ自らクルマ運転して精密検査を受けることに。

CTでは「腎臓関係は問題ないよ。石もない。でも胆嚢が腫れてる」と、泌尿器科→外科へ。再度、CT撮り直しで「石が二個。胆嚢は炎症を起こしているから摘出。いやぁ、簡単な腹腔鏡手術だから三泊四日」(ウソばっか!自業自得だけど)とのことで、じゃ、即手術してね、と翌々日の6月24日(木)に予定を入れていただく。

たしか1999年頃には、腹部エコーで石などなかったから、5年間の暴飲暴食ストレス黄金の日々生活が生み出した悪石か。この時点で、体調最悪に。自宅に戻るクルマ運転中に嘔吐止まらず、車中壮大にゲロまみれ。昼の弁当全部ムダ。(膵臓炎の症状ですな)

2004年6月23日(水)
通常出勤。但し、昨夜からなにも食べられない状態。「一週間休む」との上司報告と、当面のお約束のキャンセル、最低限のお仕事上の段取りとお願い、今週末に迫った事務所移転の荷造りを。出張三本キャンセル。ホテル二件キャンセル。お取引先にはほとんどメールで連絡。いやぁ、ばんばん電話が来ること・・・

昼過ぎに職場を出て、普段絶対に行かないちゃんとした理髪店(3,800円)で散髪洗髪じっくり。娑婆での生活に別れを告げ、タクシーにて入院。ここから24時間点滴生活開始です。(以降、コメントあるまで基本的に絶飲食継続)

どんよりした腹部及び背中各所の痛み有。治療方針や症状の説明、進行状況の説明などあるが、この病院はエラく懇切丁寧で自分の状況がわかりやすい。患者を取り違えないための「腕輪」(バーコード・血液型付)やら、看護師さんの検査時などの患者確認作業なども徹底されています。

建物が新しい、というだけでなく、大部屋でも4人部屋だし、トイレなどの清潔感もピカイチ。但し、同室の方が(その時点)寝たきりで(見なかったが、脳性麻痺の少年と想像)痰が激しく絡む呼吸音と、時にその吸引作業、トイレも部屋でする・・・(ワタシは絶食だから良いけれど、他の方は・・・?)とても眠れない・・・ということで、部屋は変更していただきました。

ちょっと贅沢(一日壱万五百円の差額)だけど、個室にしようかな(実際、手術当日は一日だけ取ってもらいました)と女房と相談しちゃいました。夕方、MRIで再度詳細検査。凄い音だよね。(コンコンコン、とかド・ド・ド・ド、とか)ヘッドホンで「女子十二楽房」を聴かせて誤魔化してました。

<入院生活のこと>
あちこち点在するオブジェのセンス抜群

医療現場は激務ですよね。種々様々な病院があるんだろうけど、看護師さんが若い、というか若くないと務まらないんでしょう。夜勤なんてほんまハードだと思う。服装がイメージとすっかり変化していて、白タイツにスカート、ナース・キャップ〜なんつうことはなくて、白衣(乃至ピンク)のパンツルックで機能性重視。ナース・ステーションは、ほとんど衝立がなくオープンな雰囲気でした。

主治医は松田先生という女医さんで、向井千秋さんを彷彿させる若き研修医。ワタシごときカラダなど自由勝手気儘縦横無尽に扱っていただいて、立派な外科医になって下さい。岡山中央病院は「急性医療を目的としている」とのことで、つまり老人の慢性病などは(病院がご老人の社交の場になることはありがち。悪いことではないが)扱わない、ということです。(もちろんE.R.もある)

「セカンド・オピニオン外来」なんつうのもありますね。当たり前のことだけれど、患者のための納得診療を目指しているようで、自分の症状の現状と治療方針はよく理解できました。ベッドはすべて「パラマウント・ベッド」〜これには手術後ずいぶんと助けていただきました。ウォシュレットもそれなりに付いているトイレも有。これは嬉しい。

入院にはノートパソコン(もちろんインターネット環境など病院にはないが。無線もそう勝手には使えないし、そもそも所持していない)も音楽(CDなど)持参せず。体調が悪くって・・・。アレクサンドル・ソルジェニツィンの「収容所列島」(新潮文庫版)全巻持ち込むが、これが大失敗。スターリン時代ソヴィエットの容赦なく激しくも、不条理極まる粛正、拷問シーンと、自分の体調とがない交ぜとなって2冊しか読めませんでした。

フロアに少々漫画などがあって、ワタシは普段そういった類のものはまったく見ません。漫画週刊誌を流し読みするが八割方デッサン、文章表現とも稚拙で読むに耐えず。但し、「(暴)株式会社」という16冊くらいのコミックは、楽しく一気読み。「週刊実話」も試しに眺めてみたけれど、読むべきところ皆無。売店には山陽新聞しかなくて毎日買っていたけれど、全然おもしろくない。やはり新聞は朝日に限ります。

風呂は点滴と手術の関係でほとんど入れなかったが、頭だけは自分で、または女房にほぼ毎日洗ってもらいました。あと、テレビが楽しみだったな。なんせ、な〜んも喰えんので。

2004年6月24日(木)
さて手術当日。午後一時から。お臍も掃除してもらって、お腹の毛も剃っていただき、浣腸(密室にて若い女性とふたり・・・密かにケツ穴を晒す中年オトコ一人〜屈辱かヨロコビか?)も済ませ・・・と、直前に「肝機能が異常に悪いから手術延期」とのこと。二日前でしょ?採血したの。検査結果見逃したのかな?しばらくして再度詳細説明あって、送胆管中に石があって胆汁が逆流しているとのこと。(だからそれが血中に戻ってお小水が茶色だったわけだ)

結果、胆嚢炎と膵臓炎(+肝炎)を起こしており、詰まった石をまず取り除く必要がある。明日、25日内視鏡で取り除きます、と。これを以て「三泊四日」幻想完全絶滅。当初予定退院日であった6月28日(月)に手術となりました。先はまだ長い。

夜、かなり激しく胃の辺りが痛み坐薬をいただく。

2004年6月25日(金)
内視鏡(胃カメラ)で胆石取り除き作業。胃カメラは二回飲んでいるし、咽のカメラも経験済みだし・・・なんて甘く見ていると、カメラの先端は胃を通過し、十二指腸を通過(「ちょっと荒れているなぁ」なんて)し、小腸の「乳頭」(形状からそう呼ばれる。これが送胆管出口)に突入。

痛い、苦しい、激しい嘔吐。約30分間の苦行〜正直拷問か。結果「石はなかった」、乳頭が切れていたので、既に出たのではないか、と。もう胆汁は逆流していません、とのこと。(但し、これは翌日の説明。先生忙しいので)

部屋に戻り、厳しい検査に体力消耗しきってベッドにダウン。昨夜、痛かったのは石が動いていたからなんですね。

2004年6月26日(土)
先の医師の説明があって、そのあと、一時点滴を外していただき、しっかりシャワーを。久々。嬉しい・・・が、体調問題か入浴後滅茶苦茶カラダがエラい。というか、気持ち悪い水準。倒れ込むようにベッドで寝込みました。

入浴も体力勝負なんですね。この日から下痢症状続く。でも、出るものなにもなし。今回は、職場にまともに入院先も告げていなかったが、同僚の奥様の職場ということもあり、どうやって訊いてきたのか、お取引先の(正直やや苦手な)お客様が見舞いに真っ先に駆けつけて下さいました。意外。

2004年6月27日(日)
病院外来は休み。お医者さんもほとんど休みです。夜、また胃周辺が痛い。「(暴)株式会社」を全部読んだのはこの日。下痢、ますます頻繁。食欲、ずっとなし。ダイエットは順調なはず。

2004年6月28日(月)
午前中、病室のお掃除で廊下(椅子テーブルがある)に出てきた女性のお姉さん患者と談笑。「ずっと点滴してらしゃいますね」「ハハ、断食道場みたいなもんですわ。ダイエットには望むところ」と強がりを言って、お互いの病状自慢。おひとりの方はガンだそうです。「親父は80近いけど、5年前に胆嚢ガン取ってピンピンしてますわ」と言ったら、ぱっと表情を明るくされましたね。

「この病院はずいぶん親切ですね」と言ったら、「ここは特別ですよ」とのこと。そしていよいよ「切腹の儀」(胆嚢摘出)の時間が。

午後一時から、とばかり思っていた手術開始は12時からで、談笑中にお迎えがやってまいりました。手術室に運ばれ、麻酔の段取りは理解できないが、件の点滴になにかヤクを入れます。質問があって、意識はハッキリしているので返事しようとするともう口が動かない。

次のヤクを入れ出すと、意識が遠のくだけではなく呼吸ができない!エラいこっちゃ・・・(手術中は挿管して人工呼吸だそうです。この後遺症に苦しむことに)

***

いったん意識が戻ったのは午後4時くらい(らしい)で、次は女房が到着して時間を訊いたら「7時」と言っていたから、半日くらい意識喪失だったのか。(あとで主治医に訊くと手術は三時間だったそう)足が熱いのは血栓防止のための白い「王子様タイツ」みたいのを穿いているせいか。当然、然るべき場所には挿管され尿は自動的に排出される仕組み(フォリオ、というのかな?)だけれど、この違和感が相当キツい。

手術跡、血抜きのドレンがないな、と思ったら、小さいのが腹帯といっしょに巻き付けてありました。腰がモウレツに痛く(正直、意識が混乱していたのと、術後の痛みがいっしょになっていたのか)まったく眠れず、苦しみ抜いて朝まで。早朝、採尿用の管を抜いていただく。(激痛!この後、排尿の度)38度ほどの熱有。

痛い、苦しい、咽がおかしい吸入してちょうだい、おしっこ取ってちょうだい、と一晩中大騒ぎしていたので、個室でよかったですよ。トイレも室内にあるし。記念にMy胆石いただきました。黒いゴミみたいな固まり。

2004年6月29日(火)
「頭を上げてはいけない」と言われていたけれど、朝になったし、ベッドの上半身を上げてみたけれど「頭が上がらない」状態。小さいとはいえ、お腹に4ヶ所穴を空けたわけでして、ハラにチカラがまったく入らない。とにかく無理矢理起きあがって室内のトイレに行ってみるが、一滴ちょろり出す度に涙滲み出ちゃう、痛くて・・・ふらふら、よろよろ。

贅沢しちゃいけないので、昼からもとの4人部屋へ。横になっているでしょ?起きてトイレに行こう、とするじゃない。これがたいへんなんです。ベッドの頭を機械で上げて、その状態から起きあがれないんです。なんとかかんとか座る状態まで持っていって、立ち上がるが、もう爺さんですな、様子は。背中が伸ばせない。微速前進しかできない。

それでも、少しずつ元気が出てきて、ああ久々夕方から食事だな、と期待していたら「膵臓の数値が悪く絶飲食継続」とのこと。もう断食はエエっ!てば。この時点で明日退院は夢と消えましたね。試しに体重計ってみたら見事4kgダウンに成功!

夜、咳き込んで(チカラがないのと、手術跡に響くんです)まったく眠れず。お隣さんの大音響変奏曲風大いびきにも悩まされます。

2004年6月30日(水)
昼、ウトウト。膵臓の機能はともかく悪いところは取ってしまっているので、劇的に回復します。職場に連絡し明日以降今週のスケジュールを全部キャンセル。北海道の両親に(いままで隠していたけれど)手術報告。数週間後に帰省するとも。

夕方までにはかなり容易にに起きあがれるようになり、背筋を伸ばして歩行できるようになり、歩行は通常速度となり・・・手術跡ドレンが外され、さらに状況改善。ところが・・・夜半に咳が止まらなくなりました。(術後の傷に激しく響く)冷や汗が出ちゃう。喘息か?

主治医当直で、「挿管で気管を痛めたんですね」とトローチ風ヤクをいただくが、これが劇的に効きます。喘息ではなく、手術後にはありがちなる症状だそう。

女房に連絡し、ノートパソコンとデジカメを所望。ようやく、入院の様子などを執筆するような体調になってまいりました・・・

2004年7月1日(木)
あ〜あ、とうとう7月だ。早朝にいつも通り採血。結果如何。手術から三泊目だけれど、この体調なら退院してもおかしくはない。膵臓炎さえ治まれば・・・。

外界では梅雨だったり、猛暑だったり、いろいろなのだろうが、すべて窓からの景色。空調は快適だけれど、おっさん達(含むワタシ)の病人臭は看護師さんには鬱陶しいものでしょう。朝方体重を量ってみるが、更に1kg減って入院前より5kgダウン。理想的です。(どうせ脂肪じゃなくて、主に筋肉が落ちただけだろうから即戻るね)

午前中に主治医来訪(この時点ではまだ血液数値出ていない)し、「とにかく今週で一度釈放してくれ」と要望伝えました。あとで看護師さんが「数値少し良くなってますよ」との伝言があったが、「少し」ではなく「劇的に」良くなっていただかないと。

あちこち注射針刺しまくりで、いい加減絶食/点滴生活から脱したい・・・と、お昼時、看護師さんから伝言有〜「水分OK、明日朝より食事OK」と。うむ、退院は近いか?〜ところが点滴がおかしい。右手の針が痛いみたいで、左手に替えてもらったが、痛いのは針ではなく、その先のほう。ちゃんとヤクは流れているが、冷たくなっております。もむと痛みは消える。

簡易ゆたんぽ、みたいのを作ってもらって凌いで、半日ガマン。(あとで訊くと、さすがに血管が疲れてきているとか)そう言えば、珍しく足が冷えたり、と体調はへんですな、いろいろ。でも、ほとんど日常体調です。あとは傷が塞がるのを待つだけか。

夜、夜勤明け連続勤務で更に手術という激務の間隙を付いて夜8時半、主治医(研修医はツラいよ)〜「まだ、手術中なんですけど」とコうるさい患者(=ワタシ)へ説明のために訪問〜「土曜には出られますよ」「じゃ、点滴止めましょう」と。

点滴とうとう外れて自由になったので、頭を洗って、足も洗っておきました。

2004年7月2日(金)
昨夜来、お隣の近代露西亜音楽風激爆鼾(いびき)大不協和音変奏曲〜ある時は部屋中を揺るがすが如く、ある時は切なく呻き、ある時は永遠静謐無音に(・・・大丈夫か?睡眠時無呼吸症候群か?)で、かなり悩まされるが、昼間に仕事あるじゃなし、なんの苦にならず。(件の爺さんは「よう眠れませんでした・・・」と朝、看護師さんに報告していたのが印象的)点滴はないので、壮大にハラが減って屁もよう出るが(10日以上なにも喰っていないので)まったく無臭なのは驚き。

同室の一週間先輩の尿管結石患者(破砕活動のべ5回!)も昨夜無事排出。ワタシと同時退院です。ヨロコビを分かち合う。空きベッドだった同室にお一人、明るい爺さん(ようしゃべる。講釈多い)入院。膀胱手術だそうです。

10日ぶりの朝食おお、10日ぶりの朝食!かゆ、とか、やたらと脂質の少ないおかずで牛乳が一番へヴィか。凄い満腹感。味はともかくナント、全身汗まみれになるのはどういうことか。久々の食道通過固形物にカラダが驚いているのか。食事終了後根性入れて歯磨き、条件反射的に便意を感じるが、まだ喰ったばかりで出るのは液体物ばかり・・・

さすがにチカラ漲り、もう廊下も走れまっせ!的体調・・・だけれど、今朝の血液検査では「思ったほど・・・」ではなかったらしく、再び点滴二本分追加有。昼食は朝と似たようなものでして、牛乳がプリンに変わっただけ。早晩飽きるのは必定ながら、食べた途端大汗!+即トイレ!状態続く。

外、相当猛暑らしい。ヒマです。体調も良好。で、公衆電話辺りに置いてある西村京太郎二冊読破。これは二時間ドラマで見るべきストーリーですね。入院生活には(ノーミソ使わず)とてもGood。

2004年7月3日(土)
めでたく退院へ。でも、膵臓の機能は完全に回復せず。でも、これ以上断食は続けられません。カード決済効くんですね。計弐拾参満円也。勤続25年報奨金で余り有。(しかも共済で少々わずかばかり戻りがあるでしょう)おそらくは今年最大のイヴェント終了。女房は仕事の日なのでタクシーにて大名帰宅。

胆嚢がなくなっても、食生活は特別なことはないらしい。ま、もともと脂もの(フライ・天ぷら、みたいなもの)愛着はそれほどない(ああ、鶏唐揚げは好きだな)から、バランスの取れたものを好きに食べて、酒も関係ない、とのことでした。

**

入院中、物心両面のサイト読者から様々お見舞いいただき、深く深く、心底感謝しております。先日、サイト更新していて「それなら持っているから」と「Bach サーストン・ダート/フィロムジカ・オブ・ロンドン」音源ほか、いろいろいただいたりしました。

日常生活復活音楽は「主よ、人の望みの喜びよ」でしょう。高橋悠治のピアノで。さぁて、いつものお気楽中年サラリーマン的生活が待ってまっせぇ。5kgの減量に成功。

(2004年7月3日)

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written by wabisuke hayashi