Bruckner 交響曲第3番ニ短調(1873年初稿)
(ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)
Bruckner
交響曲第3番ニ短調(1873年初稿)
ゲオルグ・ティントナー/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
NAXOS 8.553454 1998年録音
ティントナーの聴き方に混迷を深めBruckner全集売り払い、再度中古屋で出会って買い直す、といった愚行については既にサイト上カミングアウト済(恥)。再聴、再コメントを目指しております。これは表題「ワーグナー」の元となった、第2楽章「アダージョ」に「タンホイザー」の引用が残っている「ノヴァーク版1873年初稿」による録音、といった価値があります。
一般に演奏スタイルには流行廃れがあるし、ディジタル録音が本格化した1980年以降のみをとっても、ここ30年ほどで驚くような変化(バロックや古典派の演奏に顕著)があります。”スタイルの変化”とまでは行かなくても、ブームは去って定着へ、または忘れ去られる、ということだってありがちなことで、このゲオルグ・ティントナーのBrucknerもそのひとつかも。1999年に亡くなって、急速に話題に上らなくなったと感じます。1997年録音、交響曲第5番発売以来、ワタシは心躍らせて次の発売を待ったことを懐かしく思い出しますね。この第3番録音は遺作になったとのこと。
久々の聴取印象は、あの瑞々しい感動はどこにいったのか、と。ワタシにとって理想のBrucknerとは、優秀なオーケストラによる、虚飾のない”無為の為”である、などと勝手なことを書いていた記憶もあるけれど、きっとそれは現在(いま)でも変わらない。全77:32の長丁場、スコットランドのオーケストラは嫌いなサウンドじゃないが、最初から最後までテンションが低い、緊張感が維持できずに”緩い”印象が拭えません。例えば必ずしも、オイゲン・ヨッフムのような煽るスタイルが好みではないが、”癒し系”と呼ぶにはあまりにヘロヘロではないか・・・いや、もしかしてあらゆるBrucknerを聴き尽くして、辿り着くべき無垢で至高の世界なのか。
まだ、聴き手の修行が足りんのかな。楽譜がどうなっておるのか与り知らぬが、第1楽章ってフツウ20分くらいでしょ。これが、ゆるゆるあちこち見知らぬ旋律も出現しつつ、時に勇壮な爆発もあり、緊張感が途切れがちであり、30分掛かるんです。手練れの聴き手なら、この世界をたっぷり愉しめるのかも。待望の「タンホイザー」登場の第2楽章は20分(通常の版では15分程/旋律全然違う)、前半のみで既にたっぷり50分経過。
静謐なる緩徐楽章には聴き手の集中力が要求されます。”強要”ではないから、ぼんやりしていると単なる”ユルい”演奏に聞こえる〜つまり、磨き上げたアンサンブルと入念なる表現ではない、ということです。説得力はない、説得する気も(端っから)ないかも。ゾクゾクするような魅惑の音色も表現も出現しない。聴き手は、この試練に負けると眠くなるんです(=ワシ)。
で、やってきました「タンホイザー」。インバルで初めて聴いたときの衝撃を思い出します。やがて幾星霜、聴き手の感性は摩耗し、要らぬ知識ばかり増えて、大切なものを失ったのでしょう。痺れるような感銘今何処。
Brucknerのキモである「スケルツォ」楽章は、こういった落ち着いた味わい表現だって悪くないと思いますよ。終楽章の19分以上も少々長いですね。但し、後半2楽章のほうが耳慣れてきたせいか、ゆったり落ち着いた風情のBrucknerとして、けっこう楽しく聴けました(ちょっとヘロヘロだけれど/牧歌的とも言う)。結論的に未だ処分すべき存在ではない。しばらく座右に置いて比較対照を愉しみましょう。Brucknerって、Mahler より難しいと思います。 (2008年12月19日)
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