Bach 「ヨハネ受難曲」全曲
(フェルディナンド・グロスマン/ウィーン交響楽団/
ウィーン・アカデミー室内合唱団 1950年)


membran 222381 10枚組

Bach

ヨハネ受難曲 BWV245 全曲

フェルディナンド・グロスマン/ウィーン交響楽団/ウィーン・アカデミー室内合唱団/グルーバー(t)/ブッシュバウム(b)/ラートハウシャー(s)/ホフシュテッター(a)/クロイツベルガー(t)/ベリー(b)

membran DOCUMENTS(VOX原盤) 222381-321(1/2)   1950年録音 10枚組1,774円(税込)で購入したウチの一枚

 安易なコメントはすべきではない、と反省するための一文であります。CLASSIC ちょろ聴き(35)(2005年3月12日) にて、クソミソ書いた挙げ句、そのCDを譲った手練れの合唱経験者に「唱法の問題ですよ。慣れですよ、慣れ。けっして悪くない」と諭され、動揺し、「出戻り買い」したのは既にサイトに掲載いたしました。

 ほぼ壱年後に再聴した結果、非は我に有、という事実明白。「グロスマン ヨハネ」でGoogle検索掛ければ、ワタシのクソミソ・コメントが(トップに)出てきております。つまり、多くの音楽ファンを混迷に陥れた懺悔をしなければいけない、ということです。歴史的名盤という位置づけの録音でもなし、わざわざ好んでこの録音を標準とするつもりもないが、存分に感動可能な演奏でした。反省いたします。  

たしかに、全体合唱での響きの濁り、木管のピッチがおかしいこと、ときにアンサンブルのリズムが乱れること、時代錯誤的金属的雄弁チェンバロ、声楽の歌唱法の方向(ベルカント唱法というのですか?違うか)の好み問題はあるけれど、結論的に感動いたしました。やっぱり「慣れ」と「集中力」なんでしょうか。その時の精神状況にもよるだろうが、ワタシは燃えるような誠心誠意をこの演奏に感じ取ることができましたね。(音楽日誌より)
 録音は奥行き、残響少なく、合唱が濁るのもそのせいかと思われました。しかしモノはモノなりに、個々の楽器やら声楽は分離してそれなりの明快さもあります。(デリカシーには不足する)ようはするに、冒頭木管のピッチが少々おかしく、いきなり合唱団全力の劇的歌唱がやや前時代風でもあり、挙げ句、少々アンサンブルが乱れる・・・これだけ条件揃えば、なかなか集中力継続して聴けるものではない、という結論でした。

 でもね、フェリー・グルーバー(t)のエヴァンゲリストは甘い声で魅了し、ハロルド・ブッシュバウム(b)のイエスは高貴で貫禄充分・・・冒頭の聴きづらさを乗り越え、ヴィヴラート過多の合唱(激唱!)に耳馴染んでくると、その悲劇が少しずつ見えてきましたね。「金属的雄弁チェンバロ」は時代だから仕方がない(ランドフスカ辺りのものといっしょか)が、少々鳴り過ぎ、響き過ぎ、雄弁過ぎではあります。(よく聞こえるのはたしか)オルガンはまともだと思います。(当時、電子オルガンはなかったはず)

 木管が妙に素朴というか、あまり上手くないのか、それともワザと浪漫的濃厚雄弁な表現を排除しようという指揮者の意図なのか?”冒頭ピッチがおかしい”というのはCD復刻の問題か(VOXのライセンス、と明記されているがいろいろ問題あるらしいし)、しばらく聴いていると、そう気にならなくなるのはワタシの耳のエエ加減さか。弦だって”しっとり”とはいえない・・・というか、グロスマンはもともと声楽方面の人で、管弦楽アンサンブルを磨き上げることに傾注していないだけか。(「マタイ」ではウィーン室内管弦楽団、Mozart 「レクイエム」ではウィーン・コンツェルトハウス管弦楽団という仮名オーケストラを使っているし)

 問題の焦点は合唱でして、ワタシはヴィヴラートの少ない、透明なタイプ(古楽器演奏隆盛とともに広がった)、正確無比なアンサンブルが好み、というより馴染んでいるための違和感か、と思います。手練れの合唱経験者(実体は岡山県児島の体操服屋の旦那)の「唱法の問題ですよ。慣れですよ、慣れ。けっして悪くない」というのが(きっと)正解なのでしょう。(そのあとに「グロスマンを全面賞賛するワケでもないが」と付加有)

 ワタシは「ベルカント唱法」と勝手に名付けたが(きっと誤っている)、朗々とヴィヴラートを付ける劇的表現の合唱。同時に「ヨハネは劇的作品である」という主張が明確にされていて、たしかに”それ”は伝わります。でも、例えばフルトヴェングラー(的〜録音はないから)戦前大時代的大仰なる表現とも言えなくて、クサいルバートなどはほとんど存在しません。もちろん録音状態が基本だけれど、同時代録音であるMahler 交響曲第9番ニ長調〜シェルヘン/ウィーン交響楽団のライヴ(1950年)で聞かれた”荒廃した時代の熱気”、”ザラリとした粗い感触”はここにもあります。当時、ウィーンはまだ戦後だったんです。

 頼りなく、緻密ではない、(合唱もオーケストラも)粗野な響きから溢れる”劇性”、ワタシはなんどもなんども楽しんだものです。反省も込めて。ワタシは”安いCDを集める”のが趣味ではなく、”沢山、良き音楽を楽しみたい”というのが本旨なんです。

written by wabisuke hayashi