Schumann 交響曲第1/2番
(チェリビダッケ/イタリア放送ミラノ交響楽団/ローマ交響楽団)


CETRA   CDAR20152
Schumann

交響曲第1番 変ロ長調 作品38「春」(1968年録音)

イタリア放送ミラノ交響楽団

交響曲第2番ハ長調 作品61(1969年録音)

イタリア放送ローマ交響楽団

チェリビダッケ指揮

CETRA CDAR2015  11枚組 5,000円(ほど?)で購入

 2007年8年ぶりの転居となり、生活環境激変です。一部屋減って、要らぬ荷物(あるんですよ、知らぬウチに溜まっちゃった)大量処分してようやく落ち着き、更に収納し切れぬCDをオークションにて大量処分中。基本@300出品だけれど(購入だっておそらく平均@500に届かない)ほとんど、音楽を愛する人に引き取られそうな雰囲気にほっとしております。「林様流に言えば、現在、量から質への転換を図っているところです」とのメールもいただいたけれど、ワタシの在庫などまだまだ「量」優先状態・・・転居でようやく現状自覚ができました。閑話休題(それはさておき)心機一転!苦手な音楽だって、先人の遺業に敬意を表してちゃんと向き合わなければ!そして、棚中で眠っていた可哀想なCDを発掘してあげなくては。

 このボックスは未だ20世紀中購入、その後、衣装レーベルを替え、似たような内容でやや安く再発され、そして再び現在店頭では見掛けなくなっております。メジャーレーベルからの(遺族許諾による)「正規ライヴ」が出る前、海賊盤の本場イタリアでの怪しげライヴ録音集成であります。(歴史的録音ボックスとは異なる)当然、音質に期待できず。どれも、ほぼ例外なく、どんより、ぱっとしない音質。耳を研ぎ澄ませて、その中から本質を聴き取りましょう。一時流行った「No Noise System」というのが、ノイズとともに大切なエキスまで洗ってしまったような、スカスカっぽい響きを作り出すんです。

 Schumannの交響曲は(著名で人気の)第1/3番をとくに苦手としていて、響きが混沌として、親しげなる旋律の絡み合いが整理されていない・・・と感じてきました。ここでの「春」は、最晩年の”微速前進”ではない通常の(適切なる)テンポ設定。イタリアの放送オーケストラは独墺系伝統ある厚みを期待できない(ホルンの音色は気に入らない)が、アンサンブルの入念なる集中力は噂に違わぬ水準だし、”響きが混沌とし”ないのはチェリビダッケの薫陶か?それとも「No Noise System」が生み出した錯覚か。ボリューム上げて聴くと、クリアな響き(音質に非ず)がそれなりに愉しめます。

 第1楽章はリズムが明確で前のめりに走らず、歩みは着実で力強い。第2楽章「ラルゲット」の入念なる表情付けは、既に晩年の熟成を連想させるでしょう。ここの呼吸もなかなか深い。(ここ最近、個人的に緩徐楽章嗜好の反映でもある)第3楽章「スケルツォ」は、ワザと低音を抑えて全体の響きをクリアにしているのか、それともたんなる音質問題なのか。ワタシは威圧感を嫌うので、悪くないと感じました。テンポは通常だけれど、細部味付けの濃さがやや”遅さ”を予感させます。

 終楽章。ここで大見得切られると、ワタシは一気に萎えてしまう。ユーモラスで楽しげで、着実な歩みが快くて、細部明快で歯切れよく、けっして流さない。テンポは微妙に揺れるが不自然さはないと思います。

 交響曲第2番ハ長調は、世評とは逆に若い頃から意外と聴いてきた作品となります。FMで聴いたラインスドルフ/ウィーン・フィルのライヴ(1984年?)が、衝撃の出会いだったと記憶。永い眠りから覚めるような第1楽章序奏の夜明け〜アレグロに入ってからもあまりテンポを無理に上げない(自然と高まる感じ)が、馴染みの気合い(喝!)も入って集中力とノリを高めるアンサンブル(やや乱れてはいるが、オーケストラの響き自体はこちらのほうが充実している)。アクセントの明快な指示。ホルンはミラノ響より、エエ音ですな。

 第2楽章「スケルツォ」の目眩く旋律音形は大のお気に入り。この心象はなにを表しているのでしょうか。不安であり、楽しげでもあり、その不安定な味わいは”狂気”を連想させることもあります。テンポの動かし方、ダメ押し含め、チェリビダッケは緩急付けて上手いですね。第3楽章「アダージョ」は、息の長い甘美なやすらぎが白眉であり、終楽章は溌剌と躍動して・・・ワタシには少々聴いていてツラいほど圧倒的勢いと雄弁、盛り上がりがありました。(ここでも喝!連発)

(2007年4月20日)


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written by wabisuke hayashi