R.Strauss交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
(マゼール/フィルハーモニア管弦楽団)


20th century classics。この写真もスキャナ購入前、初代30万画素デジカメで撮影したもの R.Strauss

交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30

マゼール/フィルハーモニア管弦楽団(1962年)

Respighi

交響詩「ローマの噴水」

ムーティ/フィラデルフィア管弦楽団(1984年)

Rodrigo 

アランフェス協奏曲より「アダージョ」

アンヘル・ロメロ/プレヴィン/ロンドン交響楽団(1977年)

de Falla 

「火祭りの踊り」

ロペス・コボス/スペイン国立管弦楽団

Khachaturian

「剣の舞」

フェリックス・スラットキン/ハリウッド・ボウル管弦楽団

Ravel

ボレロ

マゼール/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1971年)

D Classics BX 705052(EMI 録音)   5枚組 3,380円で購入したウチの一枚

 コンピレーションもののボックスに含まれる一枚で、もしかして(現在では)入手が難しい音源があるかも知れません。80分ぎりぎりの収録はお徳用だけれど、マゼールの指揮で「ツァラ」+「ボレロ」だけ(46分)でも良かったかも。(「ティル」も欲しかったが)少々、聴き手にとって落ち着かない収集であります。(しかも、「ツァラ」にトラック分けが存在しない)  

マゼールが、60年代にクレンペラーを補佐してPOを指揮していたことは、もう記憶の彼方。「ツァラ」はLP時代1000円盤で出ていました。ムーティのPO時代の録音も、あまり日の目を見ないし「噴水」という選曲が渋い。コボスやお父さんのスラットキンの音源はたいへん珍しいもの。マゼールの「ボレロ」はじつに色気のない、機能的な演奏。79分収録は立派
〜かなり以前(2000年頃?)5枚組の収録をサイトに掲載したときのあっさりとした(素っ気ない)コメントでした。

 マゼールのこの演奏については

これほど色気のない、ある意味機能的な演奏はそう出会えない。(ものすごくおもしろくない)
との(当時)「音楽日誌」上での感想もあります・・・が、正直、ワタシにR.Straussの良し悪しとか、聴き方などようわかりません。スタインバーグ/ボストン響の「ツァラ」(1970年)を激賞したら、BBS上にてエラいご批判を給わりましたね(ウヒヒ)。自分なりの「ああ!ココ」的ポイントは見つけられていない。だから、マゼール盤のコメントもその後どうなるかわかったもんじゃない。

 いずれにせよ、ワタシは数年のインターヴァルを経て、ワタシはマゼールのこの演奏に再会いたしました。(再発されている)演奏云々の前に正真正銘の”EMI録音”であるこの録音評価について。

 ワタシはあちこちで(不遜なる)時に”EMI録音”への疑念を発言しております(すべてではないが)が、ま、ふだん聴いているオーディオ環境は安物だし、聴き手の耳もあてにならぬし、なにより好みの問題なんでしょう、きっと。100万円ほどの高級オーディオ・セット、部屋中を鳴らすことのできる理想的な環境で聴けば、まったく異なる印象なのかも知れません。「CDではノッペラボーに聞こえるのが残念。LPをお聞かせしたいです、ホンマ」(良心的読者からの教育的御指導有)・・・ああ、ディジタル音源化した時に、”なにか大切な要素を削ぎ落としてしまった”せいもあるのか。

 結論的に、これは1962年時点のフィルハーモニア管弦楽団の特徴を説く捉えた、鮮明なる録音でしたね。英DECCA系のあざとい広がり感とか、個々のパートの分離、浮き立ちかた、艶に比べると自然体というか、素っ気ないけど、清涼で明るいオーケストラの響きを余すところなく感じ取ることが可能でした。(低音少々弱いが。むしろ1984年ムーティの録音のほうが音に芯が足りず、弱音で著しく様子がわからなくなる)録音年代が新しくなればなれるほど、良好なる音質に・・・ならないところがオモロい。音録りの思想や哲学の問題でしょう。もちろん会場の都合、相性、演奏そのものの価値問題も有。

 ワタシは”強く、大柄な音楽”が苦手でして、R.Strauss辺りがひとつの代表(この”ツァラ”も)なんです。(だから静かな「変容」とか「オーボエ協奏曲」はお気に入り)ロリン・マゼール32歳気力充実若手時代の(意欲的)録音であります。フィルハーモニア管弦楽団は、クリアで清涼、ややカルめの響きが魅力だけれど、マゼールはそこに強引なる味付け色付けをするんですね。(ウィーン・フィルだって同様だった)貫禄とか自然体とは縁遠い、弱音での極限ニュアンスから大見得切ってせり上げ、無理矢理絶叫する、若さぎらぎら的意欲溢るる演奏・・・オーケストラ・コントロール自由自在の才気走った表現。

 オーケストラの技量は優秀だし、アンサンブルも細部まで完璧であります。いかにもドラマティックな味わいだけれど、重量感に欠けるのは録音の個性か。しかし、爽やかな響きが濁らないのがフィルハーモニア管弦楽団の魅力でしょう。弦、木管、金管も濃厚な個性を前面に出さないで、”清涼で明るい”とは先ほど録音評価で書いたところ。清潔な美しさがある。

 で、やはり素っ気ない、か。やりすぎ感ある躍動推進力はけっして嫌いではないが、ワタシはしっとりとた潤いのある余裕サウンドで聴きたいですね、この作品。でも、最近の若手でここまで強引に自分の個性を表出して、オーケストラを自在にコントロール出来る人っているでしょうか。(ま、聴く機会が少ないから無責任なこと言えんが)

 (他の作品コメント省略して)「ボレロ」いきます。10年経ちました。「じつに色気のない、機能的な演奏」でしょうか?13:05だからテンポはかなり速め。素っ気なく、お仏蘭西のエスプリがどうの・・・とは無縁なザッハリッヒ(即物的?楽譜の味わいそのまま?)な味わい。淡々粛々〜というわけでもなく、妙に下心がありそうな”正確な素っ気なさ”であります。例の如しで、オーケストラは優秀、アンサンブルに乱れもない。しかし、色気もない。

 こんな演奏を好む方もいらっしゃるだろうが、仏蘭西音楽のあるべき姿をつくづく考えさせる・・・そんな感慨に耽りながら、音楽はモウレツに激しく盛り上がって参りました。これも”やり過ぎ”感はあって、聴き手を興奮の渦へと誘う魔術(ミュンシュ/パリ管!)ではなく、純粋に計算に聞こえます。ラスト、ワザとらしいタメ(タンポ・ダウン!)を伴った大爆発は少々空虚か。

(2006年2月17日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲