Hindemith 序曲「エロスとプシュケ」/組曲「気高い幻想」/
フィルハーモニー協奏曲/ウェーバーの主題による交響的変容
(ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト/クイーンズランド交響楽団)


CPO 999004-2 Hindemith

序曲「エロスとプシュケ」(1943年)
組曲「気高い幻想」(1938年)
フィルハーモニー協奏曲(1932年)
ウェーバーの主題による交響的変容(1943年)

ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト/クイーンズランド交響楽団

CPO 999004-2  1987/88年録音

 音楽に貴賎なし、ジャンル分けなど不要。流行歌(はやりうた)も大好きでっせ。たまたま”クラシック”(と通常呼ばれる)音楽を長く拝聴しているのは、保ちがよろしいことが主要因であります。21世紀に入ってCDがとても安かったり、ネットよりデータ入手や拝聴がカンタンになって、油断すると著名な作品、演奏家ばかり聴くことを自戒しております。わずか10年程前迄、市井のサラリーマンには”価格優先”(世評知名度は二の次)の選択肢しかなかった〜結果、マニアックな演奏家やら音楽ばかり聴いていた(=CDが安かった)もの。

 Paul Hindemith(1895-1963)は現代に生き残っている”退廃音楽”(ナチスの意向に沿わなかった烙印)。若い頃は”辛気臭い音楽”(甘美なテイストに欠ける)と敬遠して、ここ最近急激に、暴力的爆発を伴わない淡彩な音楽への嗜好を強めております。評価の定まった著名音楽ばかり聴いていても仕方がない、自分なりに新たに啓蒙を拓かんとな、と。しかも演奏家が文句なく渋い!Werner Andreas Albert(1935ー独逸のヴェテラン)+ニュージーランドのオーケストラ、CDは廃盤っぽくてNMLにて拝聴可能です。

 キッカケはラインスドルフ/ベルリン・フィルによる「フィルハーモニー協奏曲」(1987年)に出会って目覚めたこと、いつまでも苦手意識はアカンでしょ?この音源を探してきましたよ。(初耳音楽、なんて書いているけれど、じつはロルフ・クライナートを聴いていた!完全失念)

 ギリシア神話に題材を取った序曲「エロスとプシュケ」は軽妙なる管弦楽が躍動し、全編ヴィオラ(?)ソロが活発に絡む7分ほどの作品。喜怒哀楽のはっきりしないジミな旋律もお気に入りとなりました。組曲「気高い幻想」はもともとバレエ音楽からの再編らしく「導入部とロンド」(厳粛な風情、ゆったりとした歩み〜暗鬱なままややテンポ・アップ)-「 行進曲とパストラール」(村祭りのような剽軽なリズム〜華やかな金管の炸裂へ)-「パッサカリア」(ファンファーレから壮麗勇壮な盛り上がり)からなる21分ほど。ラスト破壊的な不協和音!っぽいけど、節度を保って”気高い”もの。意外なことに金管は素晴らしく快調です。

 「フィルハーモニー協奏曲」は、2分半ほど(なんともつかみ所のない)短い主題を受け変奏が6回続く22分半ほどの作品、ベルリン・フィルのために作曲された由。いかにもオーケストラの妙技性が試されそうな色彩的(なんだけど妙にジミな)作品。第1変奏曲はいきなりの大音量不協和音(例の如し節度有)炸裂!金管と木管の掛け合いがカッコ良い。第2楽章はおとなしくつぶやいて、第3変奏曲はホルンを先頭にした金管のアンサンブル絶妙!これもカッコ良いところ(一番気に入りました)。第4変奏は木管による神妙な開始〜やがて軽妙なリズムへ、第5変奏は弦による暗鬱神秘静謐な囁き〜スピード・アップしてヴィオラ、チェロ・ソロの闊達な掛け合いは合奏協奏曲風であります。ラスト第6変奏曲はどっしりとしたリズム、フル・オーケストラが全開スケール大きく歩みました。名曲。

 「ウェーバーの主題による交響的変容」は「画家マティス」と並んで(あるいはそれ以上に)売れ筋、フルトヴェングラー(初演)を筆頭に多くの録音が存在するのは周知のこと。Weberを引用しているので、旋律はとてもわかりやすい。 第1楽章は4手ピアノのための「8つの小品」作品60/第4曲「Allegro,tutto ben marcato」を原曲として、しっかりヴィヴィッドにリズムを刻んで粗野な風情なのに、どこか野蛮になりきれぬ知性を感じさせます。前曲の第6変奏によう似ております。演奏の躍動に不足ない。

 第2楽章は歌劇「トゥーランドット」(著名なPucciniと同じ筋立てなのでしょうか)の主題だそう。中国風旋律が木管によって提示され、やがて打楽器が効果的に絡んで、各種楽器が同じ旋律を繰り返して色彩と熱気を加え、賑々しく聴き手をソソります。わかりやすさと迫力抜群!第3楽章は4手ピアノのための「6つの小品」作品10/第2曲「Andantino con moto,Marcia maestoso」引用とのこと。甘美なクラリネット〜ファゴットが優雅でもの哀しい。それは弦に受け継がれ、Hindemithって一般に情感を読み取りにくい旋律が多いから、この作品ってわかりやさ出色と思います。

 終楽章は「行進曲」。原曲は4手ピアノのための「8つの小品」作品60/第7曲「Marcia maestoso」。曲想は軽妙ユーモラスっぽいけど、調性はわかりにくい”暗さ”有。金管登場あたりからしっかり暗くなって、それも否定され〜って、やっぱりHindemithって情感を読み取りにくい。ま、リズミカルな行進曲ですから。徐々にノリノリの熱気が加わって終結。

 種々聴いていないので比較対象不可、クィーンズランド交響楽団は整ったアンサンブルに余情を加えぬ洗練された響きに充分満足いたしました。やや真っ正直、真面目すぎなアルベルトの統率も賞賛されるべきでしょう。どの作品も明晰に響いて、金管も木管も作品を知るには充分な技量であります。音質も充分鮮明と聴きました。Stravinskyのバーバリズム、Bartokの粗野な民族的旋律リズムを愛してきたけれど、Hindemithの”知性ある破壊”にちょっぴり接近いたしました。

(2015年1月24日)


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written by wabisuke hayashi