Mahler 「さすらう若人の歌」
(フィッシャー・ディースカウ(br)/フルトヴェングラー/ウィーン・フィル1951年ライヴ)
Mahler
「さすらう若人の歌」
ディードリヒ・フィッシャー・ディースカウ(br)/ウィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハーモニー(1951年8月19日ザルツブルク・ライヴ)
交響曲第2番ハ短調「復活」第2楽章
アーノルド・シェーンベルク指揮(1934年放送録音?)
交響曲第10番 嬰ヘ長調「アダージョ」
ヘルマン・シェルヘン/ウィーン国立歌劇場管弦楽団(1952年)
以上 パブリック・ドメイン音源をネットよりダウンロード/自主CD化
このサイトにて千度言及したワン・パターン・ネタだけれど、21世紀に至って歴史的音源はパブリック・ドメイン化し、CDは価格破壊の端緒を切ったものです。更にネット世界は進化して、圧縮音源だったらネットで(しかも無料で)拾えるように。ワタシは歴史的音源CD大半をオークション処分し、どうしても興味のあるものは再度”自主CD化”しております。CDRの寿命は短いんだけれど、普段馴染みのオーディオ環境で音楽を聴きたい、そんな基本姿勢であります。時代はオカネモチじゃなくても、市井のサラリーマンであっても、たっぷり音楽を楽しめる時代に至りました。
フルトヴェングラーはMahler に縁が薄い印象があるけれど、「さすらう若人の歌」はあちこち演奏記録が残っております。1952年録音(フィルハーモニア管弦楽団)の完成度は高いけれど、前年ライヴもそれに負けず音質、演奏とも立派なもの。フィッシャー・ディースカウの声は若々しく(26歳)、細部まで配慮が行き届いた歌唱ながら、瑞々しい情感に満ち溢れます。他数種残っている後年の録音は聴いていないんだけれど、作品内容的に熟練した時期より、こちらのほうが似合っているのでは?高音の抜いたファルセットも決まってますね。
以前にも書いたけれど、翌年の録音よりライヴならではの感興のノリが感じられます。フルトヴェングラーはいつになく抑制的であって、丁寧に、しっとり歌って落ち着いた味わいが光りました。
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自主CDなのでフィル・アップ自由自在。
シェーンベルクがこんな録音を残していてたとは!盛大な針音はSP復刻なのでしょう。アナウンスが入っているし、拍手もあるから、ライヴの放送録音かも。予想外に聴きやすい音質でした。しっかりとした足取り、かなりテンポも揺れて浪漫的な、表情の濃い演奏であります。オーケストラは不明。聴衆熱狂。ま、好事家の世界でしょうが。
ラスト、第10番「アダージョ」は、ヘルマン・シェルヘンのWestminster録音。こんな早期からシェルヘンはMahler に熱心だったんですね。第9番(1950年ライヴ)辺りの印象に比べると、ぐっとまともであり、怪しくも巨魁なアダージョをスケール大きく、あわてず、美しく演奏しておりました。この時期のオーケストラ表記は実態がようわからんのです。オーケストラはウィーン・フィルなのかな?おそらく間違いなし。 (2010年8月20日)
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以下のCDは処分済
Mahler
「さすらう若人の歌」
ディードリヒ・フィッシャー・ディースカウ(br)/ウィルヘルム・フルトヴェングラー/ウィーン・フィルハーモニー(1951年8月19日ザルツブルク・ライヴ)
Stravinsky
バレエ音楽「妖精の口づけ」
ベルリン・フィルハーモニー(1953年5月15日ベルリン・ライヴ)
Handel
合奏協奏曲ニ長調 作品6-5
ベルリン・フィルハーモニー(1954年4月27日ベルリン・ライヴ)
以上フルトヴェングラー指揮
VIRTUOSO 2697392 800円(?)で購入→処分済
2004年再聴。2002/3年と歴史的録音を購入/聴きすぎたか、最近やや敬遠気味です。録音状態が気になります。「音質はまったく気にしないから、歴史的録音は得意なほう」なんて公言していたけれど、いい加減なものです。このCDのコンピレーションは妙だけれど、ま、かなり条件はよろしい。とくにMahler が素晴らしい。一年後のフィルハーモニア管とのスタジオ録音が有名だけれど、5年ほど前のワタシはこちらのほうがよろしいと言い切っております。(↓)ほんまか?
フルトヴェングラーのMahler って、実演でもこれしかやっていないでしょ?爽やかな青春のメロディいっぱいいっぱいの素敵な作品だけれど、どんな壮絶な演奏するのか?という期待有。じつは細部まで入念に繊細にニュアンスを付けながら、しっとりと仕上げていて、いわゆる「爆演系」とは縁遠い世界なんです。これは、フィッシャー・ディースカウの歌に惚れ込んで、彼の歌を生かそうという精一杯の配慮なのでしょう。「フルトヴェングラーらしからぬ、均整のとれた美しい指揮ぶり」とは、なかなか上手いことを言う(↓)。
フィッシャー・ディースカウ当時26歳〜語り口の上手さは既に説得力充分だけれど、ワタシはやはりストレートな若さの発露を見ました。つまり、素直。作りすぎない。より自然。現在のワタシなら、1952年フィルハーモニア管とのスタジオ録音(EMI)をいっそう好みます。録音状態がとても優れて(現代に現役で通用する)いて、細部までバックの配慮が理解できますし、オーケストラの素直で爽やかな響きが魅力的。静謐な陶酔感が美しい。歌い手も、ライヴならではの感興よりスタジオでの完成度を好ましく思います。
Stravinskyはアンデルセンの童話「氷娘」を題材に作られたバレエ音楽だそうで、Tchaikovskyの旋律引用がたくさんあります。これは1928年版でしょうか。つまり、前衛的難解・破壊とは別世界の穏健派音楽。「響きが重すぎて、曲の持つ繊細さとはかなり違和感がある」(↓)とのかつての拙評価だけれど、そうですか?やや音質的には苦しいが、しっとりとしたオーケストラの響きを生かして、「少々暗めのメルヘン」な演奏です。フルトヴェングラーにしては大人しいほうでしょ。
Handel は正直、笑っちゃいます。壮大なスケールに変貌していて、ちょうどBach の管弦楽組曲第3番のフランス風序曲を往年の巨匠が演奏しました!みたいな味わいだね。どうやったら楽譜をこういうように読めるのか?と、ド・シロウトのワタシでも疑問に思うほどバロックとは別世界に変貌していて、ま、いわゆる爆演です。豪快です。巨大です。こんなもん、喜んだらあきまへんでぇ。(たまに陰でウヒヒ・・・くらいに。2004年3月26日)1999年頃の文書は以下そのまま。
一時はどこ(の電気屋さん)でも見かけた、イタリアの海賊(風)CD。1989年の発売となっています。このシリーズもずいぶん買いました。何故か音質は良心的。代表作はラ・スカラとの「リング」(私は残念ながら「黄昏」のみ所有。LP時代は全曲持っていた)でしょう。最近見ませんが500円くらいが正しい価格と思います。
解説など一切付いていませんが(ちゃんとしたCDでも、心の琴線に触れるような誠実な解説は滅多に見ない)、フルトヴェングラーであれば「フルトヴェングラーの全名演名盤」(宇野功芳さん著。講談社+α文庫880円)で、基本情報は事足ります。
フルトヴェングラーにしては珍しいレパートリーが並んでいますが、どれも個性的でわかりやすい。音の状態も良好です。
フィルハーモニア管とのスタジオ録音が世評高い「さすらう若人」ですが、こちらはディースカウの歌いぶりが、より動きがあって温度が高いようです。フルトヴェングラーらしからぬ、均整のとれた美しい指揮ぶりですが、ウィーン・フィルとのライヴであることも手伝って勢いを感じます。スタジオ録音より好み。
Stravinskyは・・・と、ここまで書いてライナーの録音を思い出しました。フルトヴェングラーの25:00に対して、7:10。これは版が違うんですね。はじめて気付きました。ライナーの昔のLPには「交響詩」との表示。・・・・ちょっと響きが重すぎて、曲の持つ繊細さとはかなり違和感があるものの、個性的で説得力ある演奏と思います。
何故かHandel のとんでもないフィル・アップですが、カラヤンよりいっそうおもしろい。
粘着質・重厚で、荒々しい響き、激しいテンポの揺れのもの凄さ。超個性的な、主張があまりにもはっきりとした演奏で、「これがHandel 」と思うと人生を誤る可能性大。これを聴いてしまうと、いい加減なアンサンブルで普通の演奏なんか聴けません。(味付けが濃すぎるので、たくさん食べるとお腹をこわします)
【♪ KechiKechi Classics ♪】 ●愉しく、とことん味わって音楽を●
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