Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ハース版)
ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン


Bruckner 交響曲第7番ホ長調(ハース版)ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

Bruckner

交響曲第7番ホ長調(ハース版)

ブロムシュテット/シュターツカペレ・ドレスデン

DENON  GES-9217 (1980年録音) 中古166円で購入(My Classic Gallery シリーズ)

 ・・・ということで、同じドレスデンのオケでブロムシュテットも聴き比べました。この人も、音楽を作りすぎないところがBrucknerとの適正を予感させます。さきほど「ヨッフムの演奏には余計な貫禄がない」と書きましたが、ブロムシュテットにはもっとないんです。

 この演奏だけ聴くと、そこはやはりドレスデン、なかなかのもの。終楽章の怒濤の力強さも凄い。どこをとっても誠実だし、虚飾のなさ、はある意味ヨッフムに通じるものも有。アダージョの繊細な味わいもたまらない。各パートのバランスも適正で、金管が突出したりしない。ナマで聴いたらきっと最高。でも、なにかが足りない。PCに向かって原稿を書いていても、ヨッフムの演奏だったら「おっ」と音楽に引き寄せられる。ブロムシュテットは原稿のほうに集中できる。

 「色気」なんでしょう、きっと。足りないのは。「無為の為」なんて書きましたが、ヨッフムの「アダージョ」を続けて聴いたら、その極限の細かい(神経質な、という意味ではない)配慮、ニュアンス、感情の込め方が素晴らしい。それがもう体質化しているんでしょうか、作り物ではなく、無理も感じられません。ヨッフムの呼吸そのもの。とてもだけど「ながら聴き」は不可能な魅力。でも、もしブロムシュテット盤しか持っていなかったら、これはこれでそう不満はないはず。

 ・・・こんないい加減な一文を書いたのが2000年。自分の耳のいい加減さ、好みの変遷に驚くばかり〜いえいえ、ヨッフムはいまでも好きですよ。でも、こんなに手放しの評価だったとは記憶が飛んでいました。ブロムシュテットに対する(この演奏の)評価も手厳しい。「なにかが足りない」〜それは「色気」だとの言い種。

 昨年(2003年)はどちらかというと(ワタシにとって)”Mahler ”の年だったので、Brucknerはお休み気味だったんですよ。でも、年末に岡山大学交響楽団が第8番を取り上げて下さる、ということなので在庫をひっくり返し始めました。ウチのBBSでも話題になっていて

ブルックナー8番についてです。セルが話題になっていましたが、この時代の指揮者たちはなんとなくブルックナーの音楽の中に強引にまでメロディーを追い求めているように聞こえる人が多いように思います。8番なんかはメロディーというよりもう少し小さなフレーズが詰まっていて、フレーズのブロックを積み重ねてできた大きな建造物という感覚を持ちます。メロディーを追っかけることで腰の軽い音楽になっている演奏はあまり繰り返して聴く気にはなれません。

(ヨッフムの交響曲第8番について)スタイルとしてはオペラ指揮者的と言うかドラマティックなもので、歌を感じます。好みからするともっとストイックな表現を求めたいと感じますが、いかがなものでしょうか。「ヨッフムによる」ブルックナーとは言いえて妙ですね。

〜これはBさまの発言。これには触発されるものがありました。(引用と前置きばかり長くなりました)

 もしかしたらフルトヴェングラーもそうだけれど、ヨッフムのBrucknerには「煽り」が頻出すると思います。それを「オペラ指揮者的と言うかドラマティックなもので、歌を感じ」る、と表現されたのか。この「煽り」が自分の感性に合致すれば、無上の感動へと至る。当時のワタシはそれを「色気」とも感じておりました・・・いえいえ、今、聴き返してもやはりヨッフムは好きです。そう違和感はなし。


 ブロムシュテットのBruckner録音(DENON)は第4番と二枚のみで終了しました。正直、ワタシはBrucknerに対する感覚がどんどん変化していて、けっしてイヤになったり、嫌いになったりしたワケじゃない。が、いままでワタシのサイトに上梓したBruckner関係文書はぜ〜んぶ消去したいくらい。以前にも少々触れたが、あれほど心酔していたティントナーも(せっかく順繰り発売ごとに全部揃えたのに・・・)現在(いま)は楽しめません。あの感動はなんだったんだろう?

 戦前の録音状態が芳しくないものも、なかなか入り込めなくなりました。で、ブロムシュテット〜正直、この人の演奏はやや苦手系でしたね。真面目すぎというか。でもちょっと見直しております。有名なる第2楽章「アダージョ」が粛々と、遠浅の潮が引いた浜辺に、静かな低い波がほとんど音もなくゆっくり押し寄せて・・・そこから日が昇って(黄昏じゃない)くるような、大自然の呼吸が木霊(こだま)しました。つまり、煽らない、飾らない、軽すぎず、厳しすぎない。でもたしかに水は、青くゆったりと揺れております。

 シュターツカペレ・ドレスデンの、地味なブルー系の弦(弦が主体なんです)、けっして鋭くならない金管(アダージョ最終盤のワーグナー・チューバの躊躇いと、それを一閃するホルンの圧倒的噴出!)、名残惜しい弦に囁きに絡む孤高のフルートの寂しさ・・・これはすべて自然体で語り尽くされます。「無為の為」の極致か。生きている、という実感が湧きます。(「ハース版」と明記されるが、ティンパニは入ります。他の打楽器は入らない。個人的にはなにも打楽器は入らない方が好き)

 Brucknerの音楽そのものがそうだけれど、「悟り」の音楽〜ある日、蓮の花が”ぽんっ”と開くようにすべてが理解できる日が来ます。すべてが順風満帆に、もしくは教科書やら、よくできた参考書みたいにステップを追うごとに理解が深まるのではない、日々ぐずぐず仕事やら人間関係の些末な諸事に疲れ果て、それでも朝は必ずやってきて、家族とともに生きていく〜そして、ある日ひょんなことからすべては氷解します。Brucknerが、そしてブロムシュテットが見えてきました。

 色気も工夫もない・・・いえいえ、それで良いんです。力まず、変化ワザを使わず、まっとうに、ストレートであって、しかも急いたところもない。しかも、もたれない。引き締まった肉体に贅肉はないが、しなやかでオーソドックスなテンポとフォームは普段着で隠されました。シュターツカペレ・ドレスデンの地味だけれど洗練された、涼やかで明るい(ターコイスブルーと表現したい)響きは、こういうスタイルが一番映えるんです。ワタシ正直、ほとんどオケの響きしか聴いておりません。

 Brucknerのキモ「スケルツォ」も、諄々と諭されているような余裕の、というか、やはり自然体なんだろうな、リズムはしっかりとしつつそれをムダに強調しておりません。先日聴いたマタチッチの深い呼吸ばかりか、鼓動さえ感じさせる壮大なスケールも凄かった。この人、もっとフツウなんです。それは極上のフツウ。まとまりを付けにくい、終楽章だってその手堅い歩みになんらの変化はありません。テンポアップも納得できる常識的な範囲内。爽やかなオケの響きを楽しみましょう。それでもちゃんと聴き手を切なくさせる余力有。

 余談です。録音に不満はないが、やや解像度が落ちる気が・・・というのは、これが「名曲全集」中の一枚だからでしょう。(166円で文句を言ってはいけないな)おそらく、もともとの音源にはもっとキレのある音質が眠っているはず・・・これはワタシの想像の域です。いかがでしょうか。(2004年5月14日)


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written by wabisuke hayashi