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(続)CD処分



 生来のビンボー症だし、ケチ臭くてムダ使いとか博打(パチンコ、宝くじも!)はしない性格です。使えるものはなるべくそのまま使いたいし、見栄とか無縁で実用一辺倒(クルマもパソコンも)〜ゲイジュツ的センス薄いからデザイン云々も気にならない。あまり物欲はないんです。年末も押し迫ってきて、ことしもいっぱいCD買ったな、まだ聴いていないものもたくさんある・・・と棚の整理を始めたらもういけない。前回に続き「CD処分」病がムクムクと・・・

 今年三回目か。計400枚は在庫をBOOK・OFFに移動したと思います。ああ、このCDはもう聴かないや、とか、今回は特に少々音質が厳しいライヴ音源などを集中して処分しました。それと「LP時代所有していた作品レパートリーをCDで回復!」と(例えば)NAXOS(でしか、かつて出ていなかったり、価格がリーズナブルであった)で揃えていたけれど、やがて望むべき水準・個性的演奏が手頃な価格で入手できるようになると、聴かなくなってしまうものもあったんです。珍しさだけが取り柄、みたいなCDも見切っちゃいました。

 もともとワタシは安いCDしか買わないし、(処分しても)二束三文の価値しかありません。そんな問題じゃなくて、「自分が聴きたい、聴くべき音楽はなんなのか」という問い掛け、また店頭に並んだCDは新しい価値観を発揮して、音楽を愛する人に渡っていくのでしょう。つまり、これはもっと音楽を楽しむための、創造的な在庫処分(のつもり)。

 今年はいろいろ悩み深くて、精神的・肉体的にも少々ツカれが出て、音楽にも集中できなかった。音楽は問題意識をきっちり持って、能動的に聴かなくっちゃいけないと思うが、ぼんやりすることが多かったですね。先日も同好の士と「未聴在庫を聴くだけで一生終わっちゃうよね」みたいな論議をしたものです。理論的にはその通り。CDを購(あがな)う金銭と、聴くべき時間のムダ使いばかり、明日からは拙宅の棚で眠っているCDを端っこから順繰り消化することにしましょうやい・・・

 ・・・と、理論のみに人間は生きていないのが複雑なところ。新しい録音、かつて存在さえ知らなかった興味深い演奏、音楽史の狭間に埋もれた知名度の少ない作品の初録音、かつて高価で手に届かなかった著名なるCD・・・そんなものに興味を失ったら、おそらく現状在庫もすべて聴けなくなること、必定。つまり能動的に音楽を聴いていく、ということは”新たなものへの興味”と表裏一体ということです。

 一方で自分の”聴くべき音楽”の方向は、自分なりに精査しないと。これは「気に喰わない演奏家は切って捨てる」ということじゃないですよ。好みはどんどん変遷しちゃうから油断できません。ワタシも正直「耳が枯れてきた」というか、かつてはなんの変哲も工夫もないジミな演奏と思えたものが、ジンワリ胸に染みる今日この頃、もしかしたら処分したCDのなかにも幾枚か、そんなものも紛れ込んでいたかも。でも、しかたがない。音楽とは出会いであり、縁でもあり、時間は有限ですから。

 CD(LPでもエア・チェックでも一緒だけれど)は、所詮”音楽の缶詰”なんです。高級魚じゃなくても、地元獲れたての刺身が旨いに決まっていて、ナマ演奏の鮮度は、かつて聴き馴染んだ作品に多くの発見をもたらします。「衣食足りて音楽を識(し)る」というのは真理でして、心身共に生活に追われ、余裕を失えば音楽も遠ざかってしまう。精神的に充実した生活、忙中閑有的生活、を目指して・・・故あって手許から去っていったCDに感謝の念を失わず、気持ちも新たに日々音楽を楽しもう・・・自戒でした。(2004年12月13日)


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
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written by wabisuke hayashi