海老沢 敏 「巨匠の肖像」

バッハからショパンへ
中公文庫 2001年発行  781円+税

 徒(いたずら)に馬齢を重ねると「学ぶ」という謙虚さを失いがちです。浅薄なる知識を受け売りするつもりもないが、誠実さこそが、真実に近づく近道であること間違いありません。先日、「サイト更新がさっぱり」なんてふざけた一文を掲載して言い訳したが、この本は購入したまましばらく「積ん読」状態でした。

 海老沢さんは1991年「MOZART・YEAR」のときにずいぶん著作を読んだような記憶もあるし、テレビでも講義を拝見したことがあります。(正直、タモリの雰囲気がある)だいたい、著名なる作曲家の逸話なんてワタシにとっては笑止千万!方面なんです。ま、程度ものだけど、これもそれのシリアス版かな、と。でも、全然違って久々ノーミソぎんぎんになりましたね。

 イタリア・バロックの巨匠三人マルチェルロ、ヴィヴァルディ、コレルリ。一般的な音楽史概論ではなく、各々の密接な連関性を解き明かします。項目として取り上げられていないが、フランソワ・クープランが登場し「コレルリ賛」「リュリー賛」で、国境、スタイルの違いを越えて先人の音楽的偉業を讃えていること。更に、偉大なるヘンデルへと言及され、モーツァルトが「メサイヤ」を編曲した経緯、その深い意味合いが分析されます。

 そう、天才は天才を呼び、影響を与え合っている、という驚くべき事実が語られているんです。バッハが度重なる旅の中で先人から学んだことは当たり前の知識だが、ケーテン時代の優秀なるガンバ奏者クリスティアン・フェルディナンド・アーベルの存在には驚きました。バッハの末の息子クリスティアン、そしてアーベルの息子カール・フリードリヒは、後年ロンドンで有名なる「バッハ=アーベル・コンサート」を組織し、我らが幼きヴォルフガングに深い影響を与えていく・・・(シンフォニアなんて、味わいソックリ!)

 栄光に充ちたモーツァルトの少年時代に比べ、ハイドンはなんと地味な(著者は「天と地ほどの懸隔があった」と)ことか。しかし、この二人はお互いに識りあい影響を与えます。世代の違いはあるが、父レオポルドと、ハイドンの弟ミヒャエルは同じザルツブルグの職場であったという偶然。やがてハイドンはロンドンで更なる成功を収め、モーツァルトより長生する・・・ワタシは彼の生涯の様子はここで初めて知りました。

 モーツァルトは著者の専門分野であるし、いっそうの思い入れとページ数が割かれます。映画「アマデウス」で、自殺未遂のあげく病院に入っているサリエリが、医者に対して「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」の旋律を弾いてみせ、医者がその後の旋律を引き取って口ずさむ場面〜つまり、その有名な旋律は誰でも知っている〜これは、事実とは反するという逸話には思わずニヤリ。

 ベートーヴェン、シューベルト、さておき、メンデルスゾーンの「マタイ」再演(ここでも先人との天才との出会いがある!)への経緯。モーツァルトが間違いなく愛読したらしい哲学書「フェードーン、あるいは魂の不死性について」〜著者は18世紀欧州を代表するユダヤ人哲学者モーゼス・メンデルスゾーン!彼はフェッリクスの祖父だった、とは。

 ベルリオーズの「幻想交響曲」作曲の経緯は誰でも知ってるでしょうが、ハリエット・スミッソンとの出会い、蹉跌、芸術への昇華、なにより最終的に結ばれる二人の運命について、ここまで詳細なる著作は初めてでした。そして、ラストはショパン・・・

 クソおもしろくもない一般的「音楽史」ではなく、音楽が有機体として継続され、発展していくことを明快に説き起こしてくださって、まるで行間から旋律が流れ出すような、本を閉じたときに「嗚呼、音楽が聴きたい」と思わせる一冊。(2004年5月1日)


○本で聴く音楽○−top pageへ