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Mahler さまざま


 Brucknerも好きだけれど、Mahler の息の長い、セクシーな旋律を聴いていると、ちょっと胸の奥底の古キズに触られるような、甘美な罪の痛みを感じますね。神々しい精神に溢れたBrucknerと、ここが大きな違いか。急に寒くなって、ちょっと風邪気味だけれど、こういうときには暖かくして、まったりMahler 三昧に限りますよ。(勝手な理由付け)

 ここ一ヶ月くらい、図書館でCD借りたり、人様のものを貸していただいたりで、いろいろ堪能しました。また、新しい発見があって、嬉しくて、ちょっと自分なりの覚え書きを・・・・。では


Mahler 交響曲第1番 バルビローリ/ハレ管弦楽団 1957年録音 DUTTON CDSJB 1015

 これね、LP時代テイチクの1000円盤でして、欲しかったが買う機会を得ませんでした。CDは「岡山190万県民の敵hayashiを糾弾する会」会長(自称)が、私的な怨念を越えてワタシに貸していただいた音源。いやはや、コレ驚くべき良好な音質でした。(ちょっと広がり不足だけれど)

 会長は「これぞ最高!」との評価だったが、なるほどそれも一理有。ここでのハレ管の技量は恐るべきもので、バルビローリの「思い」を細部まで表現して不足はない。「思い」とは、青春の甘い苦しみ、胸の痛み、懊悩、青年ならではの恋への憧れ、に存分にこだわって、細部まで描きつくした演奏なんです。

 甘い旋律はとことん甘く、あちこち「泣き」の節回しが頻出する。これほど臆面もなく、この路線が徹底されると快感に変わります。負けます。細部を徹底するあまり、全体のバランスとか見通しとかは別問題、そういうのとは少々次元が異なる。正直「自然体派」のワタシも少々動揺しがち。

 全体としてまったりしているようではあるが、フレージング自体はそうとうにカッチリ明快。いつもは、ちょっとご遠慮申し上げたい最終楽章も、ここまで熱狂的に、徹底的にやられると負けます。胸が熱くなりました。入れ込めば、どこもかしこも「バルビ節」を堪能できて痺れるはず。演奏芸術は個性ですよ。


Mahler 交響曲第9番 ブーレーズ/シカゴ交響楽団 DG POCG-10072(1995年録音)

 図書館で借りました。こういったメジャーな新しい録音をいちおう楽しめるのがありがたい。ワタシはブーレーズの大ファンだけれど、Mahler だけはダメなんです。「大地の歌」も第6番もまったくツマらない、あれほどフツウの演奏がなぜ高い評価なのか、理解できない。でも、いちおう聴いておかなくっちゃ。

 ショルティのMahler をぜんぶ聴いている訳じゃないが、とにかくノーテンキさが違和感バリバリで、逆に感心するくらい。シカゴ響ではアバドの演奏を聴いていないのが残念。ま、ライナー以来の伝統ですから。

 冒頭の弦の響きから、なんやら薄いというか、ココロこもっていないというか、先にバルビローリを聴いたでしょ。熱血入れ込み系とは正反対の、クールな音色であり、表現が続きます。とくに、晩年の苦悩に充ちきった作品ですからね。これはちょっと違和感有。

 でもね、これはブーレーズ・ファンとしての身贔屓かも知れないが、ノーテンキさは感じさせない。すました顔で、な〜んもせず、淡々と、チカラあるオーケストラを操縦しているようではあるが、聴き進むウチに発見があります。

 完璧・極上のアンサンブル、どのパートも細部迄磨き上げられ、かっちり決まっている。出てくる音楽に歌は感じられません。冷酷、色気も笑顔もない。が、無表情に楽譜をこなしていくと、ちゃんと現代社会の「懊悩」が見えてくるんです。ノーテンキではない。現代では、本当の悲しみには涙も出ないんですよ。

 ワルターやバーンスタインとはずいぶん違う世界で、これは嫌う人もいるでしょ。ワタシも最初は「?」状態。でも、これは聴く度新しい発見があって、Mahler の真理の一面を明快に指し示してると思います。もちろん、オーケストラの圧倒的技量も存分に楽しめます。


Mahler 交響曲第6番(1978年録音)
Mahler 交響曲第7番(1975年録音)

コンドラシン/レニングラード・フィルハーモニー(メロディア 番号失念〜これも図書館にて)

 コンドラシンはMahler 交響曲をほとんど録音していて、第2/8番くらいじゃないかな?ないのは。旧ソヴィエット時代、彼はMahler のスペシャリストとして、(当時)手兵のモスクワ・フィルだけでなく、レニングラード・フィル、ソヴィエット国立響とも録音を残しているから、あちこち得意のレパートリーで客演していたのでしょう。

 ま、図書館で順繰り借りて聴いた結果、一番違和感があったのがこの2曲。いえいえ、第5番(ソヴィエット国立響)もなんかへんだったな。やっぱり、オーケストラが慣れていないのか。

 まず、人気なく、ワタシは気に入っている第7番から。オーケストラがね、上手いんですよ。まさにムラヴィンスキー時代の切りつめられた、鋭い響き。金管の凄いこと。技術的にはなんら問題なくて、「ほほぅ」と感心するばかり。ある意味、上記シカゴ響より個性的で、エグくて、いっそう驚きます。

 でもね、この演奏、ずっとへんなんです。第7番って、こんな健全で強い音楽じゃないはず。もっとエッチで、退廃していたはずで、高らかに朗々と歌っちゃいけない。「色」がずっと違って塗られている印象が拭えない。コンドラシンのMahler は、モスクワ・フィルとの録音ではそんな印象ではなかったはず。

 高らかに叫ぶトランペット、強烈なるティンパニの打ち込み、それが完璧に決まるほど、違和感が強まります。不思議で雄弁なる演奏。これも個性か。

 第6番も同傾向だけれど、こちらは曲相が少々違っていて、こういった切迫した演奏も許容されるのかもしれません。速いテンポでグイグイ進めていく迫力は、筆舌に尽くしがたい。ま、第7番と同傾向の音です。ムラヴィンスキー風の鋭いやつね。これは激しい「悲劇」です。打楽器は思いっきり叩いていて、もの凄く衝撃がある。

 第2楽章も、やはり速くて勢いが壮絶で「怒りの楽章」と化しています。第4楽章の、冒頭の弦の「泣き」は尋常じゃない入れ込み、打楽器の華々しくも激しい活躍、金管のおどろおどろしい、しかも強烈なる雰囲気、これは決まってます。初めは「ちょっと粗い演奏かな?」と思っていたけれど、この徹底ぶりには参りました。

 第7番録音の3年後、オーケストラもMahler 演奏、コンドラシンの解釈に慣れたのでしょうか。(2002年11月14日) 


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written by wabisuke hayashi