Shostakovich/Liszt/Prokofiev ピアノ協奏曲第1番
(リーズ・ドゥ・ラ・サール(p)/ローレンス・フォスター/グルベンキアン管弦楽団)
Shostakovich
ピアノ協奏曲第1番ハ短調
Liszt
ピアノ協奏曲第1番 変ホ長調
Prokofiev
ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調
リーズ・ドゥ・ラ・サール(p)/ローレンス・フォスター/グルベンキアン管弦楽団(リスボン)/ガボル・ボルドツキ(tp)
Naive V5053 2006年録音
知名度で音楽を聴かないことを自戒としているが、入手できる音源の関係(主に経済的理由)もあって、油断すると昔馴染みばかり聴くことになりがち。既に来日も果たした1988年フランス生まれ(息子より若い)リーズ・ドゥ・ラ・サールの録音を聴く機会を得ました。アイドル風別嬪はんでんな。14歳の録音を初めとして既にメジャーどころとの録音も多く出ている期待の若手であります。演目が凝っていて、小振りな”協奏曲第1番”3曲、しかもバックが充分渋い、ガボル・ボルドツキもソロのCDを出している程の名手、名前的にハンガリー系の人か。音質極上。グルベンキアン管弦楽団も表情豊か、絶好調。
腕の立つ若手がキラキラと技巧披瀝して、ストレート系爽やか一本勝負!〜的予測は外れました。(Lisztともかく)若い頃初めて聴いて衝撃のあった作品は、その再体験ならず〜って、別にあかん演奏というわけじゃなくて、落ち着いてしっとり瑞々しい味わい充分。
Shostakovichはゆったりとしたテンポで余裕の開始、これがものものしい雰囲気じゃなくて、このテンポが一番美しい、といった余裕と確信に充ちて、テンポ・アップしても急いた落ち着かなさはないんです。(第1楽章第1主題ってBeethoven の「悲愴ソナタ」引用なんですって、なるほど)第2楽章「レント」は静謐に、とことん抑制され、ピアノの粒子が美しく、暖かく語られました。途中、大音量にて切々と盛り上がる部分でも響きは濁らない、激情に走らない。仕上げの入念さと対比はお見事。第3楽章「モデラート」冒頭ソロはスムース流麗であり、それを受ける伴奏の深刻さの対比を際立たせました。あっという間に終えて、最終楽章「アレグロ・コン・ブリオ」へ。
洗練され、緻密な技巧に硬質な響きはありません。妙に生々しいトランペットとの絡みあいは最高の聴きもの。どんどんテンポ・アップして、ノリノリです。美しい仕上げという点では(お気に入りキーシンを凌駕して)ヴェリ・ベストかも。
Lisztは滅多に聴かない作曲家であって、苦手云々の範囲外、棚中在庫CDも”ついでに入っていた”もの意外、求めて買った経験は稀。作品的にはこどもの頃からフィリップ・アントルモン(p)の17cmLP(オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団)以来お馴染みです。例の無遠慮な冒頭からツマらぬ旋律+ピアノの技巧を披瀝する(時に美しい)パッセージ連続!が気に喰わぬ。リーズちゃんは前曲同様、しっとりと粒の揃った音色が美しく、ていねいな仕上げです。肌理細かい表現は技巧が表層空虚に流れない。
Prokofiev ピアノ協奏曲第1番 変ニ長調って、とても親しみやすく短い(わずか15分ほど)けれど、意外なほど人気ありません。希望に溢れた前向きな冒頭主題はラストにも登場します。ま、即ピアノの快速パッセージに突入して、例の如し”乾いた叙情”みたいな甘美な浪漫を拒否したような辛口旋律続きます。ここでのテクニックもたいしたもの、単に指が回るということに留まらぬ(快速でも)余裕の叙情、細部曖昧さのない演奏が続きます。太古劣悪音質+硬派リヒテル(1954年)ばかり聴いていたせいか、こちらずいぶんと自在にテンポが揺れ、あちこち爽やかな歌を感じさせました。例の如し弱音のデリカシー(オーケストラの出来も上々)と相まって、これもかつて聴いたうちヴェリ・ベスト!っていくつも聴いていないんです。お粗末。 |