Bruckner 交響曲第9番ニ短調
(ヨーゼフ・カイルベルト/ハンブルク州立フィルハーモニー)


TELDEC WPCS6053
Bruckner

交響曲第9番ニ短調

ヨーゼフ・カイルベルト/ハンブルク州立フィルハーモニー

TELDEC WPCS6053 1956年録音 国内盤で税込み1,000円

 記憶では1999年、岡山に転居して最初に購入したCDであったはず。21世紀は廉価盤の時代〜そして”データで音楽を聴く”に至りました。事実、この音源もネットで拾えます。ワタシは棚中に有り余るCDに粗雑な音楽に対する姿勢に至ったことを反省し、オークションにて大量に処分した件は既に幾度このサイトでカミング・アウト済。ここ2年ほどはMahler ばかり聴いていて、Brucknerには疎遠な日々ばかり。ちょっとしたキッカケ〜それはバレンボイムの新旧録音をいくつか聴いたり、噂(ばかり)の朝比奈隆Disques Jean-Jean全集を一部聴く機会を得たり、そんなこんなで集中して”コレばっか”状態に至っております。

 ま、音楽嗜好にもサイクルがあるからね。我が人民中国製極小デイジタル・アンプとBrucknerは、一般に相性がよろしい。

 この録音、購入した国内盤には”1958年頃”となっていて、その後の調査にて1956年であることが判明。これが奥行き、広がり、鮮度に於いてまったく現役水準であることに驚かされました。”やはりオーケストラの響きは薄い。鳴らない。技術的にも少々怪しげ”とは十数年前のワタシの罵倒であります。なんという暴言、安直な音楽に対する姿勢。第1楽章「荘厳に、神秘的に」その指示通りの荘厳、神秘なサウンドに充ち溢れ、”薄い。鳴らない”のではない、渋いんです。あまりに。おそらくはベルリン・フィルとの第6番が念頭にあったと類推されます。

 ”技術的にも少々怪しげ”コメントに至っては、ちょっと表に出ろ!と言いたいほどの罵詈雑言の類、金管の裏返りのこと?それがどーした、この盤石なる頑固なリズム感、呼吸の深さ、スケール、けっして慌てぬテンポ設定(中庸ながら)、煽ったり急いたり、そんな表現とは無縁なんです。大河の流れのような悠揚たる貫禄、要らぬ虚飾一切なし。

 これが第2楽章「スケルツォ」に於ける(法華の太鼓風)熱狂のリズに至ると(昔の傲慢なるワタシでも)”重厚で一つひとつのリズムを確かめるような迫力あるノリ”と評しております。但し、”中間部の木管と弦による可憐な小鳥のさえずりの対比”って、某大物評論家の言い回し影響じゃないか?恥ずかしい。荒々しい金管の炸裂(キンキラ華やかではない)には壮絶なインパクト有。

 終楽章「アダージョ」。冒頭の弦が”薄い”感じないでもない。でもね。それがなんなの?Brucknerはこのサウンドじゃないと。弱音、最強音に限らず金管の渋い深み、厚み、断固たる推進力に目眩がしそう。木管の素朴な、飾らない歌はこれで良いんです。ベルリン・フィルみたいなセクシーな節回しは(ここでは)必要ないでしょ・・・ここまで聴いて気付きました・・・

 この演奏はLP時代からお気に入りでした。と聴いておりました。疎遠になった(なんとなく聴かなくなった)のはここ数年・・・求めていたのはこれだったと。”細かい技術上の傷、無骨かつスムースではない各管パート(+弦も薄い)乗り越え、いかにも独逸!といった手応えの緊張感と集中力、絶妙の間にひたすら感銘深い”とは、つい最近の感想であります。激昂しない、最低限の感興の盛り上がり。すべてを乗り越え、これぞヴェリ・ベスト。

(2011年9月11日)

 LP時代にも1,000円で買ったお気に入りの曲、演奏。1997年に出たカイルベルトの1,000円シリーズは結局2枚のみ購入。LP時代はほとんど持っていたんですけどね。ちょっと後悔。中古でもなかなか出ません。(当たり前。買った人は根性有)

 このオーケストラは、ふだんは歌劇場で働いている人たちとのこと。北ドイツ放響に比べれば、録音もほとんどないし、あまり上質な団体とは云いかねる水準だそうです。そういえば、この録音くらいしか知らないなぁ。(Brahms があったか)

 カイルベルトは、カラヤンと同年なんです。けっこう早く(1968年)亡くなっているし、どちらかというと歌劇場で活躍した人でしたから、地味な存在でした。亡くなった年にバンベルク響(これも渋いオーケストラ)と来日しています。(手持ちのDATにウェーバー「オイリュアンテ」序曲、ヒンデミット「画家マティス」の録音有)

 音の状態が改善されていますね。LPの記憶ではそうとう曇った音だったはず。細部の弱い音まで明快に聴き取れます。

 やはりオーケストラの響きは薄い。鳴らない。技術的にも少々怪しげ。とくに第1楽章は、そろりそろりと手探り状態でテンションが上がらない感じもある。

 でも、渋い「これぞBruckner」という音。なんの虚飾もない、深い呼吸が聴こえます。じょじょに感興が高まってきて、スケルツォに入ると、重厚で一つひとつのリズムを確かめるような迫力あるノリと、中間部の木管と弦による可憐な小鳥のさえずりの対比。

 その辺りから、音楽だけが聴こえ、木管も弦も充分ニュアンスのこもった響きに変わり、金管の咆哮も充実一方。

 上手いというのではないが、一人ひとりが音楽を感じて心を込めているよう。アダージョに至っては、もう冒頭から充実しきった響きで引き込まれます。そして、金管による高らかなファンファーレの絶叫と開放。素朴で暖かい弱音。弦のていねいな歌、木管の目眩のするような細かい息使いに痺れます。

 このシリーズでは第6番も録音していて、ベルリン・フィルとの協演なんですね。それも素晴らしい演奏に間違いないけれど、ハンブルク・フィルのいぶし銀のような響きには特別な価値があります。第9番には名演奏は沢山ありますが、この一枚にいつも戻ります。最高です。


【♪ KechiKechi Classics ♪】

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written by wabisuke hayashi