Mahler 交響曲「大地の歌」
(カルロス・クライバー/ウィーン交響楽団/ルートヴィヒ/クメント)


Mahler 交響曲「大地の歌」(カルロス・クライバー/ウィーン交響楽団/ルートヴィヒ/クメント)

Mahler

交響曲「大地の歌」

カルロス・クライバー/ウィーン交響楽団/ルートヴィヒ(a)/クメント(t)

EXCLUSIVE EX92T53 1967年ライヴ 800円

 (このサイト上の分類がエエ加減なのはお許し下さい)これは有名なる1967年ウィーン芸術週間の(海賊)ライヴ。ことの経緯は柴田南雄先生の「グスタフ・マーラー」(岩波新書)に詳しい。ウィーンに於けるMahler 復権の嚆矢となった演奏会のひとつ、とのことです。あちこち、怪しげCDレーベルで出ております。中古でもよく見かけます。正直、音質はあまりよろしくないモノラル収録。これは1996年頃博多で購入したもの。でも、ずいぶんと聴いていなかったんですよね。(いつものことか)

 「薄紫式部日記」で、この演奏に対するアツき思いにインスパイアされて再聴を・・・どんなんだっけ?入手しやすいカルロスの音源でも早い時期ですか。まだ37歳ですよ。若々しい勢いが聴かれます。音楽に集中できると音質は気にならなくなる。

 これはオケのテンションの高さ、歌い手が勇壮でオペラ風表現になっていて、特異な個性を楽しめるものでしょう。全体として速めのテンポ、それ以上に体感加速度を感じさせる爆発的エネルギー。旋律をセクシーに煽り立てるが、戦前世代の茫洋とした巨大スケールではないし、ユダヤ的粘着質とはずいぶんと異なってスタイリッシュなんです。(カラヤンとは似てない)リズムもタテのりで、アクセント明快。

 表情は明るいし、フレージングも明快だけれど、バーンスタイン盤(ウィーン・フィル1966年)に於けるネアカさとは、根本的に方向が異なるように聞こえます。もっとスリムでタイト、甘さも贅肉もない。まぐれもなく若きカルロスのエネルギーが奔出するが、歌手の雄弁な表現がむしろ前面な「大地の歌」・・・考えてみれば、レパートリーの狭い彼が「Mahler ?」といった違和感もないではないが、これも彼の魅力です。

 ウォルデマール・クメントは(例えばパツァークのような無頼ではなく)もっとカッコ良いというか、勇壮で雄弁な表現。リリカルではなく、あくまで劇的、断固とした主張をしっかり感じさせるものでした。クリスタ・ルートヴィヒはクレンペラー/カラヤンともこの作品を録音しているスペシャリスト。ああ、バーンスタイン/ウィーン・フィルのDVDでも競演してますね。知的な表現の方との印象があるが、ここではライヴならではの情感の入れ込みプラスされます。

 薄紫式部さんは「カルロスが、ソリストに気持ちよく歌ってもらうように指揮しているのがよーくわかりますね。ソリストを思う存分歌わせて、オケは伴奏に徹しているかのような演奏」とのコメントだけれど、なるほど!「オケは伴奏に徹している」とは思わないけど、本質的にカルロスはオペラの人だから、歌を基本に音楽を作り上げていくのは本能なのかもね。たしかに”歌を聴く”(歌いやすいのか?)といった手応え有。第4楽章「美について」〜バーンスタイン盤(1966年)での、喜びが爆発して弾(はじ)けるような”やりすぎ”感ではなく、適度な昂揚にバランスしております。

 終楽章「告別」は、歌い手は別格(ルートヴィヒの高貴さに胸打たれること必定)としてオケの真価が問われます。オーボエ/フルートの東洋風節回し、ホルンの奥行き、Mahler に特有なる低音のハープに乗った弦の詠嘆〜速めのテンポで、どちらかといえばさらりとした,、前向きな味わいでしょうか。細部切迫した前倒しの勢いが常にあって、それは不安が後ろに迫っているようでもありました。ウィーン響は熱演だと思います。アンサンブルも細部ていねいに仕上げて立派。カルロスの”歌”を柔軟に受け止めて、個々の楽器の音色表現の深み(ウィーン・フィルと比べられてしまう〜やや軽量だけれど)にもそう不満はありません。

(2005年7月1日)


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written by wabisuke hayashi