Bruckner 交響曲第4/5番
(ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー)


Bruckner 交響曲第4/5番(ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー) Bruckner

交響曲第4番 変ホ長調(1975/76年)
交響曲第5番 変ロ長調(1975年)

ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィルハーモニー

PILZ 442188-2  (録音年はスリーブ表記に従って)2枚組1,600円で購入(10年くらい前ですから)

 2004年ワタシがもっとも悩んで聴いたのがBrucknerでしょう。いえいえ、嫌いになったとか、聴きたくない、ということではありません。ハイティンク/シュターツカペレ・ドレスデンをナマで聴けたのは、一生中の得難い経験だったと思います。(1970年少年だったワタシがセル/クリーヴランド管の札幌公演を聴いたことに、おそらく比肩する)もともと「版」の問題など全然わからないので、もっと素朴に、素直に楽しめばよいのに、ティントナー問題で完全にどん詰まりました。(じつは最終的に、ティントナー全集CDはいったん手放しました→ご近所BOOK・OFFへ)自分なりの評価軸がゆらゆら混沌に。でも、やっぱりBrucknerを愛していて、もっと聴きたい。語りたい。

 これは漂流している音源でして、2004年末ようやくまとめて入手可能な状態(リーズナブルな価格で)となりました。この2枚がダブっちゃうけど再購入しようかな?(音質改善も期待)もう10年ほど前に購入したもので、中古だったらなんども見掛けました。年に一度くらいずつ聴いていると思うが、その度に印象が変わって聞こえるのはワタシの耳がいい加減だからか。心身共に疲れ果て、とうとう入院手術まで経験したワタシは「これは燃えるような演奏である」と感じるように。

 Bruckner音楽の特徴に「金管の素朴で開放的な響き」があるじゃないですか。コレ、いうまでもないがドンシャカ・ぶかぶか演れば良い、というもんじゃない。無骨ではないが、洗練されすぎない”味”とか”色”〜例えば第4番第1楽章冒頭、そして、第3楽章ホルンの遠く、草原を涼風が駆け抜けるような、そんな色合いが欲しい、トランペットは鋭く尖らず鳴って欲しい・・・ワガママなる願いはほとんど理想的に叶います。

 弦が薄い?いえいえ、このオケの弦は淡彩なんです。爽やか系と呼んで欲しい。分厚く官能的な響き、中低音に重心のある音じゃないかも知れないが、暖かく、ほっこりとした味わい系の個性が貴重です。大仰なるオーバー・アクション〜アッチェランドとかルバート、ほとんど恣意的なものとは無縁の自然体表現。いえいえ、無為の為(意)と呼ぶべきか、スケルツォ楽章の引き締まったアンサンブルと、強靱なる推進力のマジックはたしかに具現化しますね。(全曲中、白眉!の楽章)

 終楽章の圧倒的スケール感に空虚さが伴わない。交響曲第4番と第7番の終楽章って、なかなか結末が難しいじゃないですか。時として中途半端な気持ちに終わっちゃう演奏にも出会います。金管が全力で爆発するが「やかましい!」という感じではない。ゆったり回想するエピソードとの対比も鮮やかに、全体の構想たしかに見通して「ロマンティック」(かつて出会った中で)最高の演奏とあえて言いたい。美辞麗句巧言令色皆無、地味で着実・実直ストレートなる誠実の実現。


 ワタシは交響曲第5番 変ロ長調が大好きです。眼前にそびえ立つ、巨大かつ困難なる障壁を思い起こさせる第1楽章冒頭〜そして最終楽章の再現。(とてもわかりやすい)いくらでも勇壮に旋律を煽ることが可能だし、逆に、こんじんまりとした演奏ならほんまにつまらない。「これは燃えるような演奏である」という感想は主にこちらの作品に於いて、となります。いえいえ、全体としてはやはり無為の為(意)系の演奏だし、地味渋系の表現が基本であり、爆演などとは縁が薄い・・・

 目の前には暗黒の地下世界につながるであろう漆黒の階段がある、ピツィカートはハラを決めた歩みか・・・それがものものしい雰囲気にならない。弦が爽快さを失わない、中庸のテンポ、神々しい旋律はすっきりとした歌い口でむしろ軽快!なんです。オケの響きも含めて、これは濃厚系重量系の方向ではないんです。ところが、木管が金管が加わってしっかりとした足取りで音楽が進み出すと、微妙なる(あくまで微妙なる)アッチェランド、ちょっとしたテンポの揺れ(時としてややルバート)がまことに効果的で、聴き手の胸をぞんぶんにアツくして下さる。

 でも、爽快さを失わない。憧憬に充ちた繊細な世界は続きます。(弱音時の印象かな?)金管の咆哮はあくまで暴力的威圧を感じさせない〜しかし情熱も荒々しさも存分であって、いつになくアツい一面があちこちに〜驚かされます。これがあの抑制の利いたケンペ?上品さは失わない、端正な姿勢は崩さないが。第1楽章最終盤のアッチェランドは「急ぎすぎ」「騒ぎすぎ」とは思わないが、これほどの決然とした叫びは滅多に聴かれるものではない。

 第2楽章「アダージョ」は、弦の詠嘆にココロ奪われます。第4番で述べたように”淡彩なる”響き。珍しく、そっと泣いております。もちろんバルビローリ風”泣きの涙”ではなく、もっと背筋も伸びて、面(おもて)は真っ直ぐ端正なる姿勢を崩さない。そして木管、金管が加わると一気にサウンドは温度を上げる〜そして抑制の利いた静謐と安らぎが再び戻ってくる〜そんな繰り返しの中で、聴き手は息を潜め、涙腺は緩んでいく・・・

 金管の暖かい響きは、希有の魅力と思います。Brucknerのキモ、第3楽章スケルツォでは金管大爆発!微細に揺れるテンポの不安。リズムの確かさ、快さ。しかしワタシはやはり合間の「弦の静謐さ」に、ゆったりとしたレントラー、木管の牧歌的な旋律に注目しました。それがあってこそ初めて、金管躍動(演じ手の息づかいまで感じられる〜誤解ですか?)が生きる。(ラストのティンパニも凄絶だなぁ)

 最終楽章は、第1楽章のテーマがテンポ遅く、しっかりとした足取りで回帰します。スケルツォの優しい旋律もリズムを変えて再登場。やがて、テンポは適正に戻り、表情付けは主張明快です。金管弦木管各々入魂。各パートの味が濃いわけではないけれど、過不足なく、充実して鳴りきって、「間」が出現〜それは優しい。響きは濁らない。艶やかではないが、痩せた響きではない。ああ、ここでもティンパニのアクセントが見事だ・・・

 クライマックスは着実に近づいていることを予感させる、進行。優しい旋律が一瞬の安らぎをもたらすが、やがて金管全力勝利の叫びがスピードを上げつつ期待は高まります。こんなにキモチのよろしい、大団円爽やか系金管Brucknerって貴重かも。(2004年12月31日)


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