Brahms 交響曲第2番ニ長調 作品73
(パーヴォ・ベルグルンド/ヨーロッパ室内管弦楽団)
Brahms
交響曲第2番ニ長調 作品73
パーヴォ・ベルグルンド/ヨーロッパ室内管弦楽団
ONDINE ODC 990-2T 2000年録音バーデンバーデン・フェスティヴァル・ホール・ライヴ 3枚組より
2003年のコメントが残っていて(その稚拙な文章表現さておき)こうして再聴してみると、頷ける内容ではあります。8年経ったらBrahms の交響曲を全部、一気に聴ける体力気力は失せた、という事実は変遷を自覚いたします。(Beeやん9曲だったらもっと苦しい)。小編成、各パートの役割がすっきり、浮き彫りになるような演奏はなかなかよろしいじゃないか。テンポ設定は中庸、全43:29也。
Brahms を、Beethoven を大掛かり浪漫に深化させた、というように捉えれば、これスカみたいな演奏かも。日本人は(欧米でもそうか)独墺系交響曲は大人気で、このBBが2大巨頭なのでしょう。Brahms のセレナードってあるのでしょ?(第1番ニ長調 作品11/第2番イ長調 作品16)ワタシは大好きな作品でして、小編成、親密な旋律がこの交響曲にも身近に感じられる、そんな演奏・・・現在入手は難しいらしいが、ユーザーレビューでも意外と好評です。なかには「『枯れ木』のような感覚に、若いオーケストラが共感できていない」「痩せた演奏・・・録音もデッド過ぎて、楽器の溶け合いが聴き取れない」との厳しいご意見もありました。一理も二理も有、頷けます。
でもね。ほんの小学生から(こんな)音楽たくさん聴いてきて、悪慣れ中年親父に成り果て、挙げ句「Beeやん苦手、Brahms ご遠慮」(但し、交響曲のこと)罵詈雑言な日々。この優雅な交響曲第2番ニ長調を久々、新鮮な気持ちで受け止めました。「録音もデッド過ぎて、楽器の溶け合いが聴き取れない」というのは前者は間違い、後者は正解。録音はデッドではない、適度な残響(鮮明であり、定位もしっかりしている)に小編成各パートの響きが浮き立つだけ。「楽器の溶け合いが聴き取れない」というのは、大掛かりな編成に埋もれる鬱蒼とした響きではない、しっかり明快にBrahms の書いた音符が自己主張していると捉えるべきでしょう。
若いオーケストラは技量的に最高。但し、シミジミとした情感は期待できないでしょう(往年の音楽ファンの方々には、ピエール・モントゥー/ロンドン交響楽団が脳裏にあるんじゃないか)管楽器は明るく、微妙な陰影に乏しい。弦は小編成だから(当然)響きは薄っぺらい・・・ベルグルントの表現はオーソドックスで奇を衒ったものに非ず、深い響きが不足する分だけ快速テンポやら、リズムを強調するわけでもなし。結果、聴き馴染んだサウンドとは別世界のカラリとしたサウンドに至る・・・これって、慣れの問題なんじゃないか。
重厚長大、暗鬱深淵眉間に皺、的Brahms の交響曲はもとより聴きたくもない・・・第1楽章牧歌的な「アレグロ」は明るくキレの良い管楽器に、細い弦の旋律が絡んで響きが薄い・・・のが新鮮。チェロによる憂いの第2主題も軽妙に歌い、木管と対等平等に扱われます。溌剌としたリズム感と推進力を前提に、ベルグルントはそれを特別に強調せず、清涼軽量なサウンドが続きます。提示部繰り返しは当たり前。
第2楽章「アダージョ」。そういえばBrahms ってチェロとホルンだったな、キモは。遣る瀬ないチェロの主題表現も重すぎず、やがて木管、ヴァイオリン、ホルンが絡む頃には、耳は「薄い」響きに慣れて違和感なし。華麗なる加齢を重ね、ここ最近すっかり緩徐楽章嗜好に至っているけれど、このさっぱり静謐風情って最高じゃないか。充分美しい歌じゃないか。第3楽章「アレグレット」はスケルツォ楽章にしては、優雅な出足、やがて躍動する細かい音型が溌剌と登場するが、ここでの小編成ならではリズム感は素晴らしい。木管が浮き立ちます。(やや風情に欠けるが)この辺りが「セレナード」を連想しちゃいます。
終楽章。もそもそと弱音で回想された基本動機は、即、明るく清涼な響きの爆発にて大変身して歓喜へと至ります。ヴァイオリンとヴィオラによる第2主題はジミだなぁ、なんせ編成が小さいから。それでも、小編成による威圧感もムリもない速度感が快活で好ましい。前回、体調崩し、回復過程にてBeethoven をしっかり聴いて更新したが、CD一枚で疲れ果ててしまったものです。
こちら、軽量Brahms だったらそんなことはない。好感を以て拝聴いたしました。 (2011年7月17日)
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