Tchaikovsky 交響曲第6番ロ短調「悲愴」/幻想序曲「ロメオとジュリエット」
(リッカルド・ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団)


BRILLIANT 99792(EMI録音) Tchaikovsky

交響曲第6番ロ短調「悲愴」(1979年)
幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1977年)

リッカルド・ムーティ/フィルハーモニア管弦楽団

BRILLIANT 99792(EMI録音) 7枚組 2,354円

 ずいぶんと久々拝聴の感触はさほどに悪い音質でもない、弱音の音量が低いくらい。Riccardo Muti(1941-伊太利亜)が未だ若手30歳代の全集録音より。当時、フィルハーモニア管弦楽団の常任指揮者だったはず。オーケストラの響きは清潔に優秀なアンサンブルでした。結論的にあまりに馴染み過ぎた名曲「悲愴」をたっぷり堪能いたしました。

 第1楽章「Adagio - Allegro non troppo - Andante 〜」静謐に抑制した始まりからやがて、途中からの劇的に鋭角な疾走、圧巻のティンパニのカッコ良い打撃に圧倒され、優しい部分詠嘆の対比が雄弁に素晴らしい。これが若さでしょう。もちろん露西亜風泥臭さとは無縁の洗練されたサウンド、オーケストラの上手さが光ります。(18:53)

 第2楽章「Allegro con grazia」は甘いワルツ。中間部の暗い対比も意外とフツウのおとなしい演奏。(8:07)

 第3楽章「Allegro molto vivace」は闊達に躍動するスケルツォ。軽快に溌剌として元気いっぱい熱烈、浮き立つように流線型の表現でした。ここのアンサンブルも細身に軽いサウンドに文句なしのノリノリ。金管の響きは爽やかでした。ここもティンパニの低音、そしてシンバルの一撃は衝撃。(8:44)

 第4楽章「Finale. Adagio lamentoso - Andante - Andante non tanto」は悲劇を強調しない楚々とした始まり。テンポはやや速め、粛々とした歩みはデリケートに歌って大仰に非ず。やがてたっぷり甘い旋律は大きく育ってティンパニ炸裂!やや前のめりに情感は高まって、この辺りいかにも若者の勢いを感じさせました。やがて・・・最後の審判=銅鑼が鳴り響いて、ラストに向けてエネルギーは減衰、諦観のうちに生命尽きました。(10:31)

 幻想序曲「ロメオとジュリエット」は初期の傑作。神妙静謐な始まりから、やがて悲劇が出来(しゅったい)するであろう劇的な叫びがやってきて、ここのティンパニも印象的だけど「悲愴」ほどの切れ味はない、少々ぼわんとした響き。緊張感と疾走のテンションと後半に向けて雄弁な歌は充分でしょう。オーケストラは颯爽と整って(露西亜風とは異なる金管の軽さ)これもたっぷり若々しく清涼な演奏でした。(19:31)

 ほんのこどもの頃(小学生時代)より馴染みの作品であり、長じて草臥れ中年に至っては少々苦手になってしまった作品でもあります。ここ最近、リハビリ進んでましてTchaikovskyはどんな作品でも(その甘美な旋律を)たっぷり愉しめるように。めでたいなぁ。個人的リファレンス(参照の基準)はユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1968年RCA録音)〜オーソドックスで管弦楽が豊かに、明るく鳴る演奏が好ましい。

 21世紀から老舗・EMIはBRILLIANTに音源供給するようになりました。ま、本家レーベルのままでもけっこう安いボックス出てましたけどね。最近、BOOK・OFFで集中的にムーティを入手する機会があって、そのスリムな集中力にすっかり心奪われ〜その流れで購入したもの。フィルハーモニア時代(実質1972年〜1982年)の録音は、あまり日の目を見ておりません。HMVの通販サイト「読者レビュー」ではフィラデルフィア管弦楽団との演奏の賞賛に対して、フィルハーモニア管弦楽団担当する後期交響曲の評価が少々厳しい。

 この演奏をとても気に入りました。颯爽と明快、軽快、ティンパニが強烈アクセント(全編に渡って聴きもの!)であって、良く歌う旋律の”タメ”がなんとも若々しい。本場・露西亜風粘着質とも、剛腕・優秀オーケストラを率いて独墺風交響曲にガッチリ雄弁に構成させる世界(カラヤン/フルトヴェングラー辺りが代表か)とも異なって、もっと爽快スポーティな演奏であります。まるでイタリアの陽光が照らすような眩しさ(「音楽日誌」再掲)・・・「悲愴」にあってはマズい表現ですか?

 閑話休題(それはさておき)問題は”録音”でしょうか。収録音量レベルが異様に低い。つまり、かなりヴォリュームを上げないと様子がわからない。ワタシはよく(謙虚なふりをして)「ワタシのような貧しいオーディオでは様子はわからない」とか、「高級オーディオだったらさぞや凄い優秀録音であろうと類推される」などと書いているが、大多数の音楽ファンは数百万もする聴取環境であろうはずもない。シロウトにもちゃんと、それなりに予想が付く音であるべきじゃないのか。ま、高音と低音を不必要に強調した、薄っぺらくてヒステリックな音(所謂”どんしゃり”)じゃ困るけど。歴史的録音も含め、明らかに”良い録音”じゃないけど、わかりやすい、聴き疲れしない音質というのは存在すると思います。

 ここでは第1楽章がなかなか(音の条件的に)厳しいですね。音量が低いし、冒頭の中低音を強調しない(EMI録音の個性でしょう)から、様子がわかりにくい。やがて金管の大爆発もキンキラと輝かしいものではないんです。ザ・フィルハーモニア自体がグラマラスな響きじゃないし、ムーティの表現も引き締まったものだから、ぼんやり聴き流せば印象まことに素っ気ない。ようやく楽章後半に至って、ティンパニの断固たる強打が光ります。

 第2楽章の”中途半端なワルツ”(5拍子)も、甘さ控えめというか響きが端正清潔であります。微妙なテンポの揺れも濃厚な表情を作らない。第3楽章ののスケルツォは颯爽爽快として、若々しくスリム軽快、キレも躍動もあってオーケストラと指揮者の個性にぴったりでしょう。この楽章はラストに向かって盛り上がります。低音が弱いのか?と思っていたら、やはりラスト付近のティンパニ+シンバルはそうとうの存在感でした。

 終楽章、慟哭と滂沱の涙の果て〜的表現か可能であり、オーケストラは渾身の大爆発で聴き手を圧倒する・・・世界を連想しがちだけれど、ここではやはり清潔なる抑制が前提となるでしょう。もしかしたら(それこそ)録音印象かも。細部ニュアンスに配慮した弦は涼やかであり、金管も辺りの空気を揺るがせません。「最後の審判」的銅鑼も控えめに鳴っていて、これが正しいバランスかも知れないが、シロウト聴き手にはハラの底から響いて欲しかったところ。

 灰汁(あく)とクセの少ない、キリリとした演奏。「Tchaikovskyアレルギー」から外れる方向の演奏でした。

 「ロメ・ジュリ」は、ほんまに難しい作品だと思います。20分弱に及ぶ幻想曲を、全体見通しよく、飽きさせずに聴かせるワザ。緊張感あるアンサンブルが熱気に充ちて、交響曲よりいっそうわかりやすい。熱演です。

(2007年3月16日)

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written by wabisuke hayashi