Mahler 交響曲第3番ニ短調(ヘルマン・シェルヘン/ウィーン交響楽団/
ウィーン国立歌劇場合唱団/ヒルデ・レッスル・マイダン(a)1950年ライヴ)


パブリック・ドメイン音源にてネット・ダウンロード Mahler

交響曲第3番ニ短調

ヘルマン・シェルヘン/ウィーン交響楽団/ウィーン国立歌劇場合唱団/ヒルデ・レッスル・マイダン(a)

1950年10月31日ライヴ

パブリック・ドメイン音源にてネット・ダウンロード/伊パラゴンのLP、TAHRAのCDなどで出ておりました

 2010年も押し迫って、いつものお仕事+恒例の風邪ひきにて体調大崩し、ただでさえサイト更新の意欲テンション下がっているのに、こんな状況では・・・例の如し”お茶濁し”誤魔化し更新にて乗り切りましょう。心身ともに集中力が保ちません。

 2010年は生誕150年ということでMahler のCDがたくさん、安価にて発売されました。2年ほど前年末にオークション入手したバーンスタインの新全集(盤面状態あまりよろしからぬプラケース)は入手金額より安くエコ・パックで再発され、シノーポリ全集は作品押し出し収録を気にしなければ(そして「嘆きの歌」が必要なければ)かつての半額以下に、EMIオール・スター16枚全集はダブり所有処分するとお釣りがきたものです。マゼール全集は2,600円ほどで入手、レヴァインの10枚分も待望の再発をいたしました。他、いろいろ・・・

 ここ数年、ずいぶんと処分したんだけれど、結局数年前より増えているんじゃないか。残る期待はクラウディオ・アバドのコンプリート全集であって、これが5,000円を切れば絶対に買う〜ここまで書いてCD初期だったら交響曲第3番って2枚5,000円くらいしたよな、と思い出しました。このシェルヘンの録音はネットでダウンロード=0円+amazonのCDROM約15円*2枚=30円。ちなみにエドゥアルド・ファン・ベイヌムの立派な1957年ライヴも自主CD化済み。さすがにチャールズ・アドラーの1952年にまでは手を出していないが・・・なんという贅沢!  

この年、シェルヘンは第9番、第7番、そしてこの第3番と意欲的に演奏会に取り組んでいたんですね。この演奏に対する言及は驚くほど少ないというか、知られていないみたい。音質は時代勘案で意外と良好です。演奏はなんというのかなぁ、真っ当というか、素っ気ないとするべきか・・・さっくりと速めのテンポ、余計な詠嘆とか叙情を加えぬもの。第5楽章「天使たちが私に語ること」に於ける女声合唱はヴィヴラートが濃厚で時代を感じさせます。なんせ天下のシカゴ交響楽団に続けて聴いたでしょ?時に「上手いオーケストラとか、オーケストラが弱いというのは理解できない」という(良心的)リスナーがいらっしゃるが、どーひっくり返って聴いても技量の差歴然、しかも、ライヴでしょ。時代も音質も違うことを前提にしても、近代演奏技量の進歩を目の当たりにする思い。とくに金管の差は凄いですよ。それでも、終楽章の静謐なる感銘はちゃんと存在するのだけど・・・

 ・・・終楽章再聴。ちょっと失礼なことを書いたからね、今朝。”真っ当というか、素っ気ないとするべきか・・・さっくりと速めのテンポ、余計な詠嘆とか叙情を加えぬもの”〜とは、ま、それはそんな感じなんだけど、けっこう前のめりのアツい激情は迸(ほとばし)っておりました。悠々たる歌、節回しみたいな表現じゃなく、まさに”Mahler と対決!”的切迫感はあるんです。まだ、Mahler が世間一般馴染みの作曲家ではなかった頃、現代音楽の類であった頃の姿勢なのでしょう。(「音楽日誌」より)

 ワタシが紅顔の初々しい青年だった頃、劣悪音(盤)質、しかも演奏家クレジットが半分ほど存在しないLP全集を購入した記憶有。たしか第5番がルドルフ・シュウォーツ/ロンドン交響楽団(じつは優秀録音)、第8番はミトロプーロス、他は記憶が曖昧だけれど、第1番がエイドリアン・ボウルト、第9番はレオポルド・ルートヴィヒだったっけ。壱万円也、ほとんど歯が立たなかった(=鑑賞にならなかった/音質酷すぎて)からドブに捨てたみたいなもんですよ。でもね、それはムダにならなかった、そこから30年経って痛感します。こうして「30円CD」にて音楽ちゃんと堪能できますもん。このシェルヘン盤は良質な音質とは言い難いが、予想外に聴きやすいし、前のめりの咳いた演奏もそう悪いものではない。なにより作品の姿はちゃんと、全部理解できます。

 ライヴだから、ということに止まらない、当時のMahler 受容、戦後5年ほどのウィーン交響楽団の技量はたしかに危ういものでしょう。ワタシは”整っていること”を先頭に求めないし、ミスタッチを論(あげつら)う趣味は持ち合わせません。それをさっ引いても、やはり金管のミスタッチ、ときに縦線が破綻するアンサンブル、いかにも上手くないオーケストラ(そらくは誰でも気付いちゃう)〜が妙に怪しい切迫感を生んでおります。上記「音楽日誌」でも論評に混乱があるけれど、表現は素っ気ない?さっくりしているようで、時にアツい切迫感が押し寄せたり、走ったり・・・

 先にもコメントしたが、第5楽章「天使たちが私に語ること」に時代を感じます。声楽スタイルの変遷って、けっこう顕著ですよね。合唱のヴィヴラートが凄いんですよ。せっかくの天使の歌は少々表情が濃厚。ヒルデ・レッスル・マイダンってWAGERとかR.Straussとか「第九」のイメージが強くて、いかにも独逸!といった先入感を持っちゃいます。濃〜い声。終楽章「愛が私に語ること」は万感胸に迫る名曲中の名曲、速めのテンポは熱気を孕んで、ぐいぐいとした粗削りの推進力を誇りました。CD一枚半の長丁場、おそらくはこの作品だけで一晩のコンサートを構成したのでしょう。まだMahler 受容以前、そんな時代でもウィーンだったら、こんなコンサートが成り立っていたんでしょう。易々と楽しげに、軽快クリアに演奏する現代の演奏との対比も乙なものでした。

(2010年12月10日)

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written by wabisuke hayashi