Mahler 交響曲第1番ニ長調(キリル・コンドラシン/モスクワ・フィル1969年)Mahler 交響曲第1番ニ長調 キリル・コンドラシン/モスクワ・フィル BMG/MELODIYA BVCX-37008 1969年 (影の薄い)ポスト団塊の世代として、出会いはブルーノ・ワルター(1961年)。ほんのこどもの頃、その瑞々しい青春の歌に心震わせましたよ。やがて時は遷り、華麗なる加齢を重ね、謙虚な精神と耳を摩耗させ、昔の録音はあまり聴かなくなりました。それは主に音質問題、モノラル歴史的音源のMahler はすべて処分しました。パブリックドメインに至った歴史的音源は、いくらでもネットから拾えるけれど、おそらくはこれから先拝聴機会は少ないでしょう。閑話休題(それはさておき) 交響曲第5番 嬰ハ短調(1974年)への素朴なコメントは十数年前、彼の旧ソヴィエット時代のMahler 音源は手許に揃えても拝聴機会はなくなっておりました。久々の拝聴印象はオンマイクな音質含め、骨太、直截、素朴、荒削りの迫力に充ちた、わかりやすいものでした。コンドラシンって旧ソヴィエット中ではレパートリーとか表現センスとか、けっこう洗練されているかな、と思っていたけれど、いや、ほんま、モロ露西亜!風。オーケストラのサウンド印象かな?今や旧ソヴィエット系出身の若手が欧州音楽界に大活躍して、表現個性のインターナショナル化が進んでおります。 第1楽章「ゆるやかに、重々しく」 。ディジタル録音以降、冒頭、弦のフラジオレットを繊細に極弱音にて演奏(というか録音)することが多いと思うけれど、こちら聴き手の耳は弱まって耳鳴り盛大、それに打ち消されかねない・・・しっかり骨太な開始がわかりやすい。ざっくりとストレートな表現、微妙にテンポを動かしてデリケート〜みたいなものとは随分ちがって、やや素っ気ないほどの推進力は全編を通じての印象であります。提示部繰り返しなしは残念、自然が覚醒するような憧れの旋律はたっぷり味わいたいところなので。 露西亜系のザラリとしたサウンド、濃密な金管、硬質な木管とかけっこう好きだけど、久々の拝聴にはちょいと違和感強烈。ヴィヴィッドな馬力たっぷりだけど、オーケストラもさほどに上手いとは思えず、力任せ、デリカシーちょいと不足気味と感じます。ラストのティンパニもお下品でっせ。 第2楽章「力強く運動して」。スケルツォ楽章は重量級の迫力がこの楽章にぴたり!はまって堂々たるもの。低音効いてますよ。響きが泥臭いのは構わないけれど、サウンドが濁るのはあながち音質問題のみに非ず、アンサンブルの個性なのでしょう。中間部の前にホルンの4度下降動機を象さん風に歌うでしょ?ビロビロのエッチなヴィヴラート、最高。優雅なレントラーのテンポの揺れ、意外と入念にしっとり(しっかり)歌って、スケルツォ主題との対比は明快、ここは出色の躍動であります。 第3楽章「緩慢でなく、荘重に威厳をもって 」。冒頭のコントラバス・ソロが理想的な”ヘタ”さ加減たどたどしさ、ここ最近上手すぎて、チェロと変わらんような官能的な音色が多いんです。全体サウンドは溶け合わず、金管木管がやたらと前面に存在を主張します。夢見るような中間部はかなり表情濃厚であります。後半、最初の主題が回帰してテンポアップ!ここは思いっきり対比を付けて欲しいところは、まずまずかな?ちょっと流した感じはあるけれど。相変わらず低音、そして打楽器の存在感は顕著であります。 終楽章「嵐のように運動して」。ここに焦点を当てて大爆発!パターンが多いと思うけれど、前3楽章に耳慣れたのか、比較的意外とまともなバランス演奏か。もちろんアクの強いトランペットがやたらと自己主張したり、けっしてお上品に整ったアンサンブルに非ず、基本は剛直ストレート。いじらしいほど情感を込めて、といった世界ではないもの。分厚く、暑苦しいサウンドは継続、オーボエ、弦による「生のテーマ」の床しい表現と対称を見せておりました。クライマックスに持っていく、構成の巧さは流石です。 音質+サウンドはザラリとして少々時代を感じさせるのも事実、少々聴き疲れしました。ロジェストヴェンスキーの全集が存在しないし、露西亜系粗野な演奏はスヴェトラーノフに期待しましょうか。ここしばらく聴いておりませんし。 (2015年12月6日)
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