Mahler 交響曲第6番イ短調
(ラファエル・クーベリック/バイエルン放送交響楽団)


DG  429 042-2 Mahler

交響曲交響曲第6番イ短調

クーベリック/バイエルン放送交響楽団

DG 429 042-2 1968年録音 10枚組(購入価格失念 壱万円以上したと思う)のウチの一枚

交響曲第4番ト長調(1968年)
交響曲第1番ニ長調(1967年)

 音楽は嗜好品なので、人それぞれ好みがあって当然だと思います。この巨大で怪しい作品は通常おおよそ80分、シノーポリ盤(1990年)だと90分を超える長時間へと至ります。テンポが遅いから、という理由で音楽の価値は決まらない、このクーベリック盤は74分、おそらくはもっとも速いテンポのはず。再聴のキッカケは2009年8月に購入したジョージ・ショルティ1970年録音・・・

・・・これが最高!唯一無二、といった賞賛をネット上で拝見したことがあって、その時は駅売海賊盤でしか聴いていなかったし「ふ〜ん」程の感想でした。つまり、全然共感できなかった。きょうは体調悪かったし、剛腕強力華々しい金管の爆発がとても、いっそうツラい。陰影とか苦悩とか、そんなものとはまったく無縁のスポーティ(ノーミソも筋肉でできている!)的凄い演奏。メカニック的には”最高峰”かも。でもね、この作品が持つ底知れぬ恐ろしさ、みたいなものは感じませんね。シノーポリとか、バーンスタイン(新録音のほう)、テンシュテット辺りを思い出すと別作品に思えるほど。
 英DECCAの録音成果も華々しく、シカゴ交響楽団の華やかなる切れ味になんの疑念もない〜が、ワタシの嗜好はバイエルン放響であります。録音だって、この時期のDG録音には”自然な、暖かいサウンド”がちゃんと備わっております。やや地味だけれど”旧さ”を感じない。第1楽章の行進曲に切迫感は充分だけれど、表現そのものにはほとんど虚飾がなくて、素っ気なくストレートであり、オーケストラのアンサンブルはやや粗野(野暮?)なエレルギーに溢れます。

 第2楽章も同様のテンポ(つまり速め)であり、第1楽章4/4拍子に対して、こちら3/8拍子ながら、全楽章と雰囲気はとても似ておりますね。つまり、”虚飾がなくて、素っ気なくストレートであり、オーケストラのアンサンブルはやや粗野(野暮?)なエレルギーに溢れ”るということ。吉田秀和さんは「草いきれのむんむんするような野趣にみちた」演奏と評していらっしゃるが、まさにその通り。特別に第1楽章との違いを強調するようなワザではありません。

 緻密で巨魁なるシノーポリ(これがワタシの作品への出会い)に比べれば、ほんまに素朴というか、洗練されない、スケール小さく(ように聞こえます?)、な〜んもしていないような演奏に聞こえるかも。でもね、なんとも言えぬ安心感というか、肌にフィットする感触がある・・・これは嗜好です。

 第3楽章「アンダンテ・モデラート」は、安寧と安らぎに充ちた楽章であります。まさに牧場を吹き抜ける風(カウベルも響く、角笛も鳴る)を彷彿とさせて、おそらくはこの静謐が全曲中の白眉。切ない哀しみがあり、寂しさがあり、粘着質とは無縁な世界が広がって、おそよ装飾とは無縁な世界。

 終楽章こそ巨魁で、偉容を誇る壮絶なる「アレグロ」であって、ハンマー(2発!)が楽しみであります。バイエルン放響の厚み、暖かい響き、技量になんの疑念もなし。但し、怪しげなる「間」みたいなものはないでしょう。この楽章が一番ショルティ盤(1970年ハンマー3発!)と違うかな?あくまでヴィヴィッドにストレートな表現であって、表層を磨くことに傾注しない。ちょっと素っ気ない、飾りの少ない演奏には人気は出ないだろうが、清々しい気分に 浸れる演奏でありました。

(2010年10月2日)

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written by wabisuke hayashi