外伝へ

感動はどこから?


 昨年の誕生日だったかな?女房がMDウォークマンを買ってくれました。(TEKNOSという中国製)あまり使う機会がなくて眠っていたんですが、ここ最近ボチボチ出勤時とか出張の時に使っています。ヘッドホン系はあまり好きじゃなくて、ディスクマンも何年も使っていません。音楽は「部屋で鳴らしてこそ」と思いつつ、タマにヘッドホンで集中すると新しいものが見えてくることもある。

 シュタイン/北ドイツ放響による「トゥランガリーラ交響曲」(1986年ライヴ)は、音の状態も良かったし、オーケストラがしっかりして驚くほど楽しめました。74分MD一枚に収まり切らなくて、終楽章のみ2枚目へ。盛大な拍手を余韻として楽しんでいたら、突然Mozart が始まりました。


 コンサート・ロンド イ長調 K386〜この曲、もう一つのコンサート・ロンド(あの変奏曲ね)と並んで、ワタシのもっともお気に入りなんです。しっとりとした弦の下降旋律が歌い出すと、陶酔が広がります。あ、これモノラルだけどいい音だな、なんて聴いていたら、突然、脳髄の中心部に輝く透明な宝珠が転がり込みました。(うぁ!宗教的)ピアノの音色そのものが価値ある芸術。濃密で、まっすぐで、一度聴いたら忘れられない。

 これ、FM放送から録音したハスキル(p)/バウムガルトナー/ウィーン交響楽団(1954年録音)でした。ハスキルのピアノは、それそのもので完成された世界。工夫とか配慮とか、ましてや作為とか、そういう水準ではなくて、なにもしていないようだけれど誰もまねのできないMozart 。ま、彼の作品は誰の演奏で聴いても感動します。しかし「これ!」というのは滅多に聴けないもんなんですよ。

   リキみがどこにもないし、特異な人を驚かせるような所作はなにもないのに、なんの変哲もないはずのシンプルな旋律が黄金に変わって、胸を打ちます。芯があって、一つひとつの音がしっとりと輝いて絶品。嗚呼、この旋律はこんな意味があって、このバックと呼応していたのか、と、一瞬発見を喜びそうになったが、やがてそんなことはどうでも良くなって、ひたすら音楽が流れました。


 この次には、有名なグルダの協奏曲を収録しておりました。もう、かなり以前にこのサイトにも掲載したワタシの愛聴盤です。筆舌に尽くしがたい自由で溌剌とした魅力。ワタシのチカラではこれ以上付け加えることはない・・・・・が。

 ピアノ協奏曲第21番ハ長調K467に限らんが、天衣無縫な楽しい旋律が続くでしょ。全身に微笑みを浮かべたような幸せな世界。子供の頃からなんど聴いたことか・・・それでも、聴けば聴くほど嬉しくなってしまう。良く知った旋律に思わず鼻歌も飛び出しそうになるし、ちょいと遊んで合いの手を入れたくなったりする。(あ〜、コリャコリャ、と)

 小さい子供が、知っているお気に入りの曲を勝手に作りかえたりして、機嫌良く歌っているじゃなですか。グルダの世界って、それに近くないですか。Mozart のピアノ作品は(ウワサによると)技術的にはたいしたことはなくて、ワタシも「ここは音符が足りないんじゃないの?」なんて勝手に思ったりすることもあります。

 Mozart はまだ時代的には即興演奏が盛んだったはず。だから本番では、いろいろ自由に弾いていたんじゃないか。(これインプロヴィゼイションね)素敵な旋律に感じ入って、おもわずバックと一緒にソロが弾き出しちゃったり、シンプルな旋律の経過を装飾で埋めてみたくなったり、リズムを崩しちゃったりコブシをきかせたり(これ演歌の世界)、って、これ音楽を心から愛していればやってみたくなる所作なんでしょう。(でもグルダのは完成され、ある意味考え抜かれた演奏であるけれど)


 音楽なんて、どこかの首相じゃないが「感動した!」とだけ思ってりゃいいのでしょう。音楽の楽しみ方にはいろいろあって、こうしてインターネット時代が来てみると、他の方々の「聴き方」には勉強になることも多いものです。ずいぶん昔から知っている音源が、ある日、蓮の花が突然開くようにその価値を悟ることもあるんです。

 哀しみも暗鬱も、苦痛も狂気も、騒音だって、じつは現実を先取りし、天才のワザで警鐘を鳴らしている音楽もある。自分が若い世代を通り過ぎて、人生の苦みが辛くなったときに、初めて理解できる曲もあります。Mozart みたいに、その世代、時代によってつぎつぎと発見がある音楽だって存在する。

 音楽をゆるりと楽しむ心と、時間の余裕はなかなか確保できないが、アマ・オーケストラの真摯な演奏は安いチケットで楽しめます。CDは選盤眼さえ鍛えれば、いくらでも安いものを確保できる時代となりました。あとは聴き手の心構えひとつで感動はそこにある、Mozart のMDを聴いてそんなことを考えました。(2002年3月8日)


 速攻で感想が届きました。ありがたい。

「 ところで、グルダのやっているあれは、即興演奏ではなくて装飾音です。英語で言 うとEmbellishmentとなります。つまり楽譜に書かれていない音の追加です。

 カデンツァは楽譜になにも書かれていないわけですから、事前に用意していないのであれ ば即興となるのでしょう。通常即興というのは一種のショーマンシップで、故林家 正楽師匠の紙切り芸のようなものだったのだと思います。その場でテーマをもらっ てそれを展開してみせる。」

 その通り!ワタシのもともとの文章にもそう書いてあります。上記、「感動はどこから?」は、聴き手としてのノリのことのハズだけれど、少々内容に正確さを欠きました。グルダはワタシ如きド・シロウトを喜ばせるような正確な計算をしてるんですよ。

 


【♪ KechiKechi Classics ♪】

●愉しく、とことん味わって音楽を●
▲To Top Page.▲
written by wabisuke hayashi